モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第179話 例えどんなに距離が遠くても 空は繋がってるから

 ロレーヌ・アルトリア・ティターニアの葬儀は、彼女が存命であった事を知る極少数人で静かに行われた。すでに国葬は終わっている為、多くの花束が置かれる事もなく、本当の葬儀は簡易的に行われた。

 王家の墓へと埋葬され、彼女が存命であった痕跡を消し、全てが終わったのは彼女の死から一週間の月日が流れていた。

 

 姉妹岬(シスターポイント)。ラミリーズ湖に面した二つの岬が向かい合う特殊な地形をした岬であり、そこから見える美しい湖の風景と自然の豊かさから観光スポットとしても有名な場所だ。

 連日多くの観光客が訪れる姉妹岬(シスターポイント)だが、その日はその賑わいはなかった。落盤事故で道が塞がれてしまったので入る事ができない――というのは建前で、本当はイリスの命令で民間人の出入りを禁止したからだ。

 夏の花が咲き始め、また違った美しさを見せる岬に、イリスは立っていた。その隣には同じように湖を眺めるクリュウの姿が。

 二人の頬を風が撫でる。その風は何も言わずに夏の訪れを教えてくれる。

「きれいな所だね」

「……元々は名もない岬じゃったが、三〇年程前に姉妹岬(シスターポイント)と名付けられたそうじゃ。きっと、母上と伯母上の絆から付けられたのじゃな」

 いつものように動きやすい軽めのドレス姿に茶色いローブ姿のイリスが静かに語る。今はフードを取って、海風にその輝く銀髪を靡かせている。それは今は亡き、大好きな母親から受け継いだものの一つ。彼女の誇りだ。

「母上が亡くなって一週間。何かとドタバタとしておったが、ようやく落ち着いた頃合いじゃな」

「……今でも悔やまれるよ。僕が帰ってすぐに、亡くなったなんて」

「じゃが、お主には感謝しておる。母上が死ぬ寸前に、心残りを拭い去ってくれたのじゃから」

「僕だって、ほんのわずかだったとはいえ、叔母さんに会う事ができた。イリスには感謝してる」

「……ならば、礼と礼の相殺じゃ。もう言う事はあるまいて」

「そうだね」

 二人並び立ち、時々お互いの方を見合いながら静かに海を見詰める。

 この岬には今、クリュウとイリスの二人しかいない。封鎖している道の向こうに自分達がここに来る際に使った馬車を待機させているだけ。それはまさに、二人だけの空間だ。

「この一週間、色々とドタバタしたが……お主には感謝しておる」

「イリス。感謝は相殺したんじゃなかったの?」

「その礼とは違う。これは、妾個人の礼じゃ」

「イリスの?」

「……母を亡くして悲しみに暮れる妾を支えてくれたのはお主じゃ。夜、泣きじゃくる妾と一緒に寝てくれた事は本当に嬉しかった」

「……まぁ、母親を亡くす辛さは僕も経験者だからね。誰かが傍にいてくれるだけで、楽になる気持ちはすごくわかるから」

 母を亡くして間もない頃、悲しさと寂しさで押し潰されそうになった事は何度もあった。だが幸い、自分は一人じゃなかった。もしも一人だったら、立ち直る事はできなかったかもしれない。

 落ち込む自分を部屋から無理やり連れ出して散々振り回したエレナ。あの時は彼女の行動は鬱陶しいと思っていたが、今思えば彼女が無理やり外へと連れ回したからこそ立ち直る事ができたと思う。

 そして何より、彼女がいてくれたから……

 ――私を見るのですクー君。クー君は、一人じゃないのです。私がクー君《家族》になってあげるのです――

 落ち込む自分を立ち直らせてくれたのは、あの変わり者だけど優しかった姉のおかげだ。彼女の笑顔が、彼女の優しさが、暗闇に支配されていた自分の心に光を灯してくれた。

 一人じゃない。それが、幼い頃のクリュウを支えてくれていた。

「――でも、乗り越えなくちゃいけないんだよ。僕も、辛いけど乗り越える事ができた。だからイリスも乗り越えなくちゃいけないし、イリスならきっと乗り越えられる。そう、信じてる」

「……そうじゃな」

 フッと口元に小さな微笑を浮かべ、イリスはうなずく。

 母を失った悲しみは計り知れない。落ち込むし、枕を濡らす事もある。だけど、決して立ち止まってはいけない。振り返る事はあっても、足を止めてはならないのだ。自分には、母が残してくれた《未来》があるのだから。

「……明日、帰るのじゃな」

「うん……」

 アルトリアへ来て二週間程が経った。クリュウ、フィーリア、サクラ、シルフィード、エレナの五人はそろそろ村へ帰る事を考えていた。

 村を出発して、もう一ヶ月程が経った。レヴェリ領、エムデン、セクメーア砂漠、アルステェリアと移動時間や滞在時間はかなりのものだった。どうしても、それくらいの月日が経ってしまう。その間、村をツバメとオリガミに任せておいたが、そろそろ戻らないと彼にも悪いし、何より村人達を心配させてしまう。エレナが戻らないと酒場も機能しないのだから不便極まりない。

 クリュウは話合いの末、このアルトリア王政軍国から出発する事を決めた。その日時が明日。すでにイリスには相談しており、彼女は『シェフィールド』で村の程近くまで送ると提案してくれた。飛行船を使えばイージス村までなら一週間と掛からずに行ける。村に直接帰れないのは、村の周りが森林地帯の為。飛行船が着陸できる場所は村から少しばかり遠い平原地帯でないとできないからだ。

 最初こそイリスはクリュウが帰る事に愕然とし、「は、薄情者ッ」と泣きながら部屋へ立て篭ってしまったが、クリュウの長い説得の末に納得してくれた。真っ赤に腫れた目に涙を浮かべながら「寂しく、なるのぉ……」と力なく零した彼女の声は、今もクリュウの耳から離れない。本当は一緒にいてあげたいが、そうもできない――自分の故郷は、ここではないのだから。

「中央大陸の北端にある村と、中央大陸南海に浮かぶ国。信じられない程に遠いのぉ」

「会いたい、と思ってもそう簡単に会える距離じゃないのは事実だよ。でも、決してもう会えない事はないからさ。それに難しいかもしれないけど、手紙も書くからさ」

 事情を察したフィーリアがエルバーフェルド政府経由でアルトリアへ手紙を出せるよう手配をしてくれると言ってくれた。あのフリードリッヒがそう簡単に首を縦に振るとは思えないが、おそらくカレンも賛同してくれるだろう。それにセレスティーナもきっと。

「……不思議なものじゃ。お主がこの国に来て妾と出会ってからはまだ半月と経っておらんのに、何じゃか昔からお主とこうして居る事が普通だったかのように思える」

「僕もだよ。本当にイリスが僕の妹のように思えるもの」

「妹か……、嬉しいような寂しいような」

「え? 何か言った?」

「何も言うておらん。じゃが、寂しくなる」

「……ごめんね」

「謝らなくて良い。例え住むべき故郷が違ごうても、お主と妾を結ぶ金と銀の竜の絆は決して消える事はない。この紋章が、妾達を結ぶ絆じゃ」

 そう言ってイリスは首に掛けた銀火竜のペンダントを掲げる。クリュウもそっと同じく首に掛けた金火竜のペンダントを握り締める。

 金火竜と銀火竜の紋章。かつて離れ離れになった二つの道は、二五年の月日を経て出会い、そしてまたそれぞれの道へと離れていく。でもその間には確かに今までにない絆が結ばれている。例え離れていても、繋がり続ける絆が。

「……いつでも良い。またこの国へ来いクリュウ。ここはお主の、もうひとつの帰る場所なのじゃからな」

「もちろん。イリスも、時間があったら僕の村に来てよね」

「無論じゃ。必ず、お主の生まれ育った村へ行くぞ」

「約束、だね」

「約束じゃ」

 二人はそう言って向かい合うと、互いに握り締めたペンダントをカチリとぶつけて鳴らす。それが二人なりの約束の仕方だった。

「……そろそろ戻るぞ。あまり長居しておるとジェイドに怒られるからのぉ」

「そうだね。じゃあイリス、はい」

「うぬ」

 クリュウが出した手を、イリスは嬉しそうに握り締める。

 二人は手を繋ぎながら、姉妹岬(シスターポイント)を去る。

 かつて、アメリアとロレーヌが城を抜け出しては遊んでいた場所。外でも本を読むロレーヌの頭に、アメリアが笑いながら花飾りを乗せた場所。二人の少女が、仲良く遊んだ思い出の場所――そして、その子供達の約束の場所。

 海風が吹き、岬に建てられた幾つかの風車が今日もゆっくりと回っている。

 

 その夜、イリスは盛大なパーティーを開いた。もちろん、明日には帰ってしまうクリュウ達の送別会だ。イリスの命令を受けて料理人達が腕によりをかけて作った料理がテーブルいっぱいに並べられる。その中にはクリュウがイリスとの約束を果たす為に作ったチーズフォンデュもある。

 クリュウ達五人はもちろん、立案者のイリスにアリア、フェニス、シグマも揃う。皆絶品の料理を食べながら最後の夜を過ごしていた。

「クリュウ」

 チーズフォンデュの置かれたテーブルで、エレナに教わりながら悪戦苦闘しながらもチーズフォンデュをおいしそうに食べているイリス。そんな彼女を見ながら高級リュウノテールをじっくりと煮込んだビーフシチューの骨付き肉をおいしそうに頬張っていたクリュウは名前を呼ばれて振り返る。するとそこにはきれいにドレスアップしたアリアが立っていた。純白に胸元や所々に黒いレースが入ったゆったりとした印象のドレスに、白いレースで作った花を飾り立てた黒色のシュシュで右寄りのサイドテールに髪を纏めている。いつもと違う美しい彼女の姿に思わずクリュウは見とれてしまった。

「ど、どうですの? わ、私のドレス姿。似合ってるかしら?」

 恐る恐るという感じで尋ねるアリアの問い掛けに、クリュウはハッとなって改めて彼女の姿を見た後、少し照れながら「に、似合ってると思う」と答えた。するとアリアはそんな彼の返事に「そうですの。良かった」と頬を緩ませた。

「前のドレス姿も良かったけど、今の方がすごくきれいに見えるよ」

「ほ、褒め過ぎですわ……ッ。そんな風に言われてしまうと、恥ずかしくなってしまうわ」

 クリュウの絶賛にアリアはカァッと顔を真っ赤にしておろおろとする。そんならしくない彼女の反応にクリュウは首を傾げた。

「それで、どうしたの? 何か僕に用だった?」

「え? あ、別に特に用というものはないのですけど……」

 クリュウの問い掛けにアリアは微妙な返事を返す。クリュウが不思議がっていると、意を決したようにアリアは話題の口火を切る。

「明日、帰ってしまいますのよね」

「うん。そろそろ帰らないとまずいからね」

「寂しく、なりますわね……」

「イリスにも言われたよ」

「……っていうかあなた、すっかり我らが王を呼び捨てね」

「まぁ、従兄弟だしね。イリスもそう呼べって言ってるし……あの総軍師さんにはいつも睨まれるけど」

 皿を置いてアリアと向かい合うようにしながら苦笑を浮かべるクリュウ。アリアはそんな彼を見てフッと口元を綻ばせた。

「まだ信じられませんわね。あなたが、王家の血筋を引く人間だなんて」

「血統ではそうだけどさ。でも、僕に王位継承権はない。ただの平民だよ」

 すでにクリュウは血の繋がりがある限り継承される王位継承権を放棄している。例えアルトリア王家の血が流れていても、これでクリュウは決してアルトリアの王になる事はない。そもそもアルトリアは女性統治国家なので、男が王になる事はまずないのだが。念には念を入れておいた。

「そうですわね。でもきっと、初めてあなたに会った際に抱いた妙に感じた既視感は、本能的にあなたの血を感じ取っていたのかもしれませんわね――私と同じ、王家の血を」

「ヴィクトリア家も、元々は王家の血筋なんだよね」

「えぇ。と言ってもずいぶん昔に交わったから、今の王家の血とはずいぶん異なってしまうけど」

「それじゃ、ある意味僕とアリアも親戚みたいな感じになるのかな」

「……それは、お断りですわね」

 アリアの言葉にクリュウは少なからずショックを受けた。自分と親戚だと言われるのがそんなに嫌なのか。自分の行いが何か彼女に嫌われたのか、何も思いつかず困惑する。そんな彼の様子を見て、アリアはポツリと零す。

「……親戚になんて、なりたくありませんわ」

 彼女の胸の中で渦巻く複雑な乙女心。クリュウには理解できない、乙女達が抱く葛藤。

 黙り込むアリアを前にクリュウは話題を変えようと努めて明るく振舞った。

「アリアはもう、ハンターはしないの?」

「え? そうですわね。私にはヴィクトリアの家を継ぐという役目がありますから。でも、二度と剣を取らない訳ではありませんわ。私の夢は、領民の為に自ら先頭に立って戦う領主ですもの。領地に現れたモンスターは、この私が全て薙ぎ払ってみせますわ」

 そう言ってアリアは少し強気な笑みを浮かべた。それは決してハンターと呼べる道筋ではない。でもどこかハンターとしての志が残っている夢。全く違う道へと進む訳ではなく、どこかに自分と同じ志がある。それを知り、クリュウは少しだけ安心した。

「そっか。ならいつか、僕と一緒に狩りもできるかもね」

「そうですわね。その時は、せいぜい私の足を引っ張らないでくださいね」

「現役のハンターを前に自信あるねぇ。まぁ、その自信に満ちていつも輝いている所が、君の素敵な所だと思うけどさ」

「……ッ!? あ、あなたという人は無神経過ぎますわ……ッ」

 クリュウの何気ない褒め言葉にアリアは顔を真っ赤にして狼狽える。こういう事を何の予備動作もなく平然と言ってしまう所がクリュウらしいし、昔から全くもって進歩していない。この言動に、彼を取り巻く乙女達は皆振り回されてきた。それはアリアとて例外ではない。

 クリュウはなぜアリアが怒っているのかわからず首を傾げている。そんな何もわかっていない様子のクリュウを横目に見て、アリアは一人ドキドキしながらため息を零した。

「あ、そうだ。アリアにもちゃんと手紙書くから」

「手紙……? あ、そうですわッ! あなた、卒業後一度も私に手紙を送らないなんて、どういう了見ですのッ!?」

 クリュウの発言にアリアはハッと思い出すと、急に怒り出してクリュウの首根っこを掴んだ。ガクガクと彼を前後に揺らして「薄情ですわッ!」「ひどいですわッ!」と怒るアリア。だがクリュウは「ちょ、ちょっと待って……ッ!」とそろそろ首が締まりそうな彼女の手をどける。

「手紙を送るにしても、アリアどこに住んでるか言わなかったじゃないか」

「……え? 言って、ませんでしたの?」

「うん。シグマとフェニスと同郷って事しか」

 一瞬の沈黙。二人共黙ってお互いを見詰める時が数秒と流れた。だがそれはまたしても急に顔を真っ赤にして慌てふためくアリアの声で壊された。

「えぇッ!? 私、あなたに住所とか言ってませんでしたのッ!?」

「うん。国名すら告げずに別れちゃったから……」

 アリアは自分の凡ミスが恥ずかし過ぎて顔を真っ赤にしながらがくりとうな垂れた。一年間、ずっと彼からの手紙を楽しみにしていたのに。それが来なくて何度怒ったかわからない。それが全て、自分の信じられないような凡ミスのせいで起きていた。恥ずかし過ぎて彼と目を合わす事もできなかった。

「だ、大失態ですわ……ッ」

「まぁ、僕も別れ際に訊かなかったのもいけないし。今回の事で君の居場所もわかったからさ、これからはちゃんと手紙を書くようにするよ」

 クリュウが笑顔を浮かべながら言うと、アリアは頬を赤らめて視線を少し彷徨わせた後、恥ずかしそうに顔を俯かせながら小声で「お、お願いしますわ……」と答えた。

「うん。まぁ、お互い忙しい身だからあまりやり取りはできないかもだけどね。距離も離れてるから届くのに一ヶ月とか掛かるかもしれないけどさ」

「そ、それでもッ」

 突如アリアは顔をバッともたげると、驚く彼を前に彼女は必死な表情で見詰めながら、決意に満ちた瞳を輝かせる。

「――必ず、手紙を書きますわ」

「……うん。僕も、きっと書くよ――」

「約束、ですわよ?」

「うん。約束だ」

 クリュウの言った《約束》という言葉に、アリアは嬉しそうに笑みを浮かべながらうなずいた。心から喜んでいるからこそ生まれる、本当の笑顔。それはとても素敵で、可愛らしくて、眩しい笑顔。アリアのそんな笑顔を見て、クリュウもまた嬉しそうに微笑んだ。

「――おぉ、クリュウ。楽しんでおるか?」

 そんな二人のいい感じの雰囲気にも気づかず、堂々とした歩みでイリスがやって来た。女王陛下を前にアリアは一瞬で姿勢を正すが、クリュウはそんな素振りを見せる事もなく「うん、楽しんでるよイリス」と全くのフランクで接した。

「そうかそうか。それは重畳じゃ」

 クリュウの返事に嬉しそうに笑うイリス。そんな彼女と彼を見比べ、イリスは感心半分呆れ半分という具合にため息を零した。

「クリュウと我らが女王陛下が……何だか妙な気分ですわね」

「この後には軍楽隊の演奏があるのじゃ。我が国の軍楽隊の練度は高く、それは見事な演奏をしてくれるはずじゃ」

「そうなんだ。それは楽しみだね」

「そ、そこでなのじゃが――ど、どうだ? その時に妾と一緒に踊らぬか?」

 そう言ったイリスの頬はほんのりと赤らみ、視線は彼を直視する事ができずに右へ左へと彷徨わせている。クリュウはそんな彼女の誘いに特に考える事なく「別にいいけど、僕はダンスうまくないよ?」と気軽に答える。

「も、問題ない。舞踏会という訳ではないのじゃから、楽しめればそれで良い」

「ふぅん、イリスは僕と踊れば楽しいの?」

「む、無論じゃッ」

「そっか、ならいいよ」

 笑顔で了承するクリュウの返事にイリスはパァッと顔を華やかせ、「そ、そうか。この妾と踊れるのじゃから、光栄に思うが良い」と嬉しそうに胸を張る。クリュウはそんな彼女を見て苦笑を浮かべる。

 一方、そんな二人の様子を横目に見ていたアリアの表情は冴えない。楽しげに会話する二人を、どこか心配そうに見詰める。

「何だか、嫌な予感がしますわ……」

「……同感」

「え? ひゃあッ!? さ、サクラ?」

 いつの間にか背後に立っていたサクラに驚き、距離を置くアリア。サクラはそんな彼女に一瞥をくれて、再び先程までと同じようにクリュウとイリスを見詰める。

「……あの小娘、危険」

「我らが陛下に向かって小娘って……でも、私も同意見ですわ」

 サクラの無礼っぷりにはすっかり慣れた様子のアリア。彼女と同じようにしばらくそうして不安げにクリュウとイリスの二人を見詰める。

 部屋の大扉が開き、軍楽隊の面々が入って来た。それを見てイリスはクリュウにそっと手を差し伸べる。その様はまだ幼いながらも、舞踏会の貴婦人さながらの高貴さを感じさせる。

「クリュウ。では、一曲妾と踊ってたもれ」

「お任せください、お姫様」

 軍楽隊の演奏が始まると同時に、クリュウとイリスは踊りだす。うまくないと言っていたクリュウだが、特別うまいという訳ではないが何とか様にはなっていた。学生時代にはルフィールを始め、シャルルやアリアとも踊った事があるなど結構経験豊富なクリュウ。独学の踊り方だが、イリスに恥をかかせる事はなかった。

 イリスも社交ダンスは作法として習っているのか、優雅に踊ってみせる。そんな二人の姿はとても輝かしく見える。

「うふふふ、お似合いな二人じゃない」

「いいのかアリア? 俺達のお姫様、ありゃクリュウに惚れてるぞ?」

「こ、子供如きに負けるような失態は犯しませんわ」

「……甘い。子供の方が、クリュウは親しく接する。貴様はそれを指を咥えて見詰めるしかない苦しみを知らない」

「リリアちゃんですね。あの子は特別だと思いますが……確かに、地獄でした」

「ロリコン疑惑もあるし、あいつ」

 いつの間にかアリアの周りに集まるフェニスとシグマ、それにフィーリアやサクラ、エレナまでもが揃って二人のダンスを羨ましげに、警戒するように見詰める。

 少し離れた場所ではそんな恋姫達の様子に苦笑しながらシグマが一人用意されたローストビーフを一枚皿へ移していた。

「私にも一枚、よろしいか?」

「あぁ? あぁ……」

 トングを下ろそうとした時、隣からそう声を掛けられて振り返ったシルフィードは驚いた。そこにいたのはイリスの右腕、総軍師のジェイドだった。その隣では補佐官のエイリークがなぜかこちらを睨みつけていた。

 シルフィードが一枚トングを使ってローストビーフを皿へ移して差し出すと、ジェイドは「かたじけない」と礼を述べて受け取る。

 イリスとクリュウが踊り終わると、今度は待ってましたとばかりにアリアやフィーリア達が一斉にクリュウに向かって一緒に踊ろうと群がる。あっという間にクリュウは取り囲まれてしまい、イリスは弾き飛ばされてしまう。が、すぐさまその群集の中に飛び込む。

 そんな騒がしい彼らをシルフィードは苦笑混じりに呆れながら見詰めていた。その隣に、そっとジェイドが立つ。

「……色々と失礼な振る舞いをしてしまい、申し訳なかった」

 突如ジェイドはそう言ってシルフィードに向かって頭を下げた。隣ではエイリークが仕えるべき主君が頭を下げた事に驚いて右往左往しているが、シルフィードは食べていたローストビーフを静かにテーブルの上に置いた。

「別に私が謝られる事は何もない。非礼を詫びるつもりならクリュウに言ってくれ――まぁ、あいつはそういう事気にしない質だから、無駄だろうがな」

「……クリュウ・ルナリーフ。私はあの男は好きになれん」

「ふむ、これはまた珍しいな。クリュウを嫌いになる人間がいるとは」

 シルフィードが知る限りでは、彼の事を嫌う人間というのは一人もいない。それだけ彼は人に好かれやすい子なのだ。だからこそ、彼を嫌うと言ったジェイドを物珍しげに見詰める。

「クリュウの何が気に入らない?」

「……私にできなかった事をしたから、だな」

「できなかった事?」

「……陛下はロレーヌ様の命が短い事を知っていた。母の死が近いのに、助ける事も傍にいる事もできない。その苦しみから、陛下はここ数ヶ月ずっと笑う事はなかった――だが、あの少年はそんな陛下を笑顔にした。あんなに楽しそうな陛下を見るのはいつ以来か。それが、何だか悔しくてな」

 ワインを一口飲みながらそう語る彼の姿は、これまで彼らに見せていた厳しい表情とは一転して、どこか肩の荷が降りたかのようなスッキリしたようなものに変わっていた。

「だが、感謝はしている。我らが愛しき陛下に笑顔を取り戻してくれた事。まぁ、面と向かって言うつもりはないがな」

 そう言って切り分けたローストビーフを一口食べるジェイド。隣に立つエイリークはそんな彼を心配そうに見詰める。

「長官……」

「彼は明日、自らの故郷へ帰るのだろう? そうすればきっと、陛下はまた笑顔をなくしてしまうかもしれない。だがその時は、今度こそ陛下の右腕として、陛下の笑顔を守ってみせる」

「――悪いが、それはないと思うな」

 新たな決心を抱くジェイドを前に、シルフィードは彼と同じワインを一口飲みながらハッキリとそう言い切った。驚く彼の視線を一瞥し、彼女は楽しそうに笑っているクリュウとイリスを見詰める。

「陛下はきっと、大丈夫さ。クリュウとの絆がある限り、きっと闇に堕ちる事はない。前を見据えて、きっと笑顔を失う事はないさ」

 そんな自信に満ちた表情で言う彼女の言葉に一瞬呆けていたジェイドだが、小さくため息を零すと、小さく苦笑を浮かべた。

「……私の出番はなし、という訳か」

「まさか。彼女はまだ幼い、摂政である総軍師殿の仕事はまだまだこれからさ」

 シルフィードの言葉に静かに「そうか……」とだけ零すと、ジェイドはグラスと皿をテーブルに置いてその場を去る。その後をエイリークが慌てた様子で追い、二人は扉を開いて会場を出て行く。

 閉じられた扉を見詰めながら、シルフィードは感心半分呆れ半分という具合にわずかな苦笑を浮かべた。

「……周りの気持ちに気づかない所。なるほど、どうやらアルトリア王家の血筋が原因らしいな」

 そんな部分までもよく似た二人の様子を、シルフィードは静かに見守る。

 どうやら決着がついたようで、順番に踊る事になった様子。トップバッターはフィーリアだったらしく、クリュウと向かい合いあって踊りだす。すごく照れて頬を赤らめながらもそこは貴族の娘。慣れた様子で美しく踊る。

 スーツ姿のクリュウに、女性陣はみんなドレス姿だ。その例外と言えば彼と同じくスーツ姿の自分やシグマくらいなものだ。

 楽しそうに踊るフィーリアの姿を見て、ふとシルフィードは自分の姿を見直す。フィーリア達のようにきれいなドレス姿ではなく、まるで男装をしているかのようなスーツ姿。もしも踊るとすれば、ものすごく的外れな服装だ。

 ドレス姿がよく似合い、クリュウと優雅に踊ってみせるフィーリアが、少しだけ羨ましいシルフィードであった。

 

 その夜、クリュウはイリスの部屋にいた。ベッドに横になり、その隣では彼に寄り添うようにしてイリスが横になっている。この一週間ずっと、こうしてクリュウとイリスは一緒のベッドで眠っていた。

 当初はフィーリア達の激しい反対があったが、クリュウ自身が残り少ない日数をイリスと少しでも一緒にいたいと言い、イリスもそれを願っていた事からフィーリア達も強く反対する事ができず、渋々了承している。余談だが、この一週間クリュウの寝込みを襲えずにサクラが枕を濡らしたり、フィーリアやエレナが不安やイライラから軽い睡眠不足になっていたり、他の恋姫達に少なからず影響があったりする。

 部屋の中は暗く、月明かりだけがほのかに照らすだけ。すでに消灯して数分経つが、一向にクリュウは訪れない眠気に飽き飽きしていた。閉じていた瞳をゆっくりと開き、すでに見慣れた天井を見上げる。ふと視線を横に向けると、隣でイリスがスゥスゥと小さな寝息を立てて眠っていた。その小さな手はしっかりと自分の寝間着の裾を握り締めていた。その姿に、思わず笑みが浮かぶ。

「……人の寝顔を見てニヤけるとは、お主は趣味が悪いのぉ」

「うわッ!? お、起きてたの?」

 実は起きていたイリス。自分の寝顔を見てニヤけていたクリュウをジト目で見詰める。そんな彼女の視線にクリュウは「べ、別にそういう訳じゃないんだけど……」と目も合わせられずに笑って誤魔化す。

「何じゃ。眠れぬのか?」

「まぁね。イリスも?」

「そうじゃな。明日にはこうしてお主と一緒に眠る事もできぬ……そう思うと、眠れなくてな」

「イリス……」

「覚悟は決めておったはずじゃが、案外妾も寂しがり屋じゃな」

 そう言ってイリスは力なく笑う。その笑顔はどこか力なく、弱々しい。昼間には決して見せぬ、彼女の弱い一面。闇夜の中の怯えから現れるそのもう一つの彼女の姿に、クリュウは「ごめん……」と謝る言葉しか浮かばなかった。

 イリスは最愛の母を失ってまだ間もない。なのに明日には彼女の心の支えの一人になっている自分も故郷へと帰ってしまう。彼女を一人にしてしまう、そんな罪悪感が彼の胸の奥には常にあった。だからこそ、彼の口からはそんな言葉しか出て来なかった。

「……仕方ないのじゃ。お主と妾では故郷が違う。いつまでも一緒には居られんじゃ。わかっておったはずなのに……胸が痛いのぉ」

「イリス……」

「未練がましい事は重々理解している。じゃが、お主はもはや妾にとっては大切な人じゃ。失うのはあまりにも大き過ぎる程にのぉ」

「家族、だからね……」

「――クリュウ。妾は今程自分が女王という不自由な身である事を恨んだ事はないのじゃ」

 ギュッと、服の裾を握り締める彼女の拳に力が込もる。微かに震えるその拳に、クリュウはそっと自らの手を重ねる。

「そんな事言っちゃダメだよ。ロレーヌさんが悲しむし、君の夢は立派な女王になる事でしょ? だったら――」

「そんなものを度外視する程に、妾はお主の事が好きなのじゃッ!」

 説得しようとするクリュウの、そんな言葉など聞きたくない。そんな想いが爆発し、イリスは悲鳴を上げるようにしてそう叫んだ。その声に驚き押し黙るクリュウの胸元を掴み、イリスは涙でいっぱいになった瞳で彼を見上げる。

「離れとうないッ! 離れとうないのじゃ……ッ!」

 すがりつくように声を震わせ、必死になって彼女はそう訴えた。その必死な声と表情に、クリュウは返す言葉も失い黙りこんでしまう。何も答えてくれない彼を見て、イリスの頬を大粒の涙が零れ落ちる。

「妾はただ、お主と一緒にいたいだけなのじゃ……ッ」

「イリス……」

 クリュウは弱々しく自分にすがりつく声を震わせるイリスを、無言でそっと抱き締めた。腕の中で「クリュウ……」と小さな声で自分の名前を呼ぶ彼女を、ただ優しく抱き留める。

「ごめんね。本当に、ごめん……」

 罪悪感で胸がいっぱいになる。腕の中にいる一人の小さな少女をこんなにも悲しませ、泣かせてしまった自分の選択は間違っていたのか。

 村に帰りたい。この気持ちは本当だ。自分の役目は故郷の村の安全を守る事。父や母が守って来た村を、今度は自分が守る。そう決めて、ドンドルマのハンター養成訓練学校に行き、ハンターとなった。

 間違っているとすれば、それは自分がここへ来た事だったのか。母の事を知りたい、そう願ってこのアルトリア王政軍国へと来た。だが、それは間違いだったのかもしれない。悲しむイリスの顔を見ていると、そんな想いが胸を満たす。

 自分がこの国へ来なければ、彼女と出会わなければ、きっと、イリスを悲しませる事はなかった。そんな後悔が、頭を過ぎる。

「……すまぬ」

「え?」

「――お主に、そんな辛い顔をさせるつもりはなかったのじゃ」

 一体、自分は今どんな表情を浮かべているのだろう。先程までとは違った悲しみに満ちた表情で自分を不安げに見上げるイリスの視線。心なしか、先程までよりも悲痛そうに見える。

「……妾は、バカじゃの。自分のわがままで、大切なお主を苦しませておる。本末転倒もいい所じゃ」

「いや、別に僕は……」

「……わかっておる。お主にはお主の故郷があり、役目があるのじゃろ? お主は優しい奴じゃから、妾と村の間で板挟みになって苦しんでおる。違うか?」

 クリュウは、何も答えられなかった。だがその無言が、彼女にとっては肯定の意味を持っていたのだろう。静かにうなずき、次に顔を上げた時にはその表情は幾分か柔らかいものに変わっていた。

「――真にお主の事が好きなのなら、お主の夢や役目を尊重し、応援すべきじゃな」

「イリス……」

「……寂しいが、この世界のどこかでお主ががんばっておる。そう思えば、少しはこの寂しさも紛れるというものじゃ」

 そう言ってイリスは静かに窓の外を見詰める。その先に広がるのは夜の星空。世界のどことも繋がっている唯一のもの、それは空だ。凍てつく永久凍土でも、灼熱の火山地帯でも、その上に広がる空は同じ一つのもの。空は繋がっているのだ。見上げれば、同じ空がそこにはある。

「──じゃからクリュウ。妾の事、決して忘れないで」

 そう言って振り返る彼女の顔は、不安で押し潰されそうな程に弱々しく、瞳を震わせていた。

 忘れてほしくない。そんな必死な想いが、その瞳から感じ取れる──だからこそ、クリュウは笑顔で言い切った。

「──当たり前でしょ。絶対に忘れないよ、約束する」

 忘れたりなんて、するものか。ここで一緒に過ごした時間。唯一の親類であり、自分にとって本当の意味での妹のような存在。優しき小さなお姫様──決して、忘れる事なんてない。

 クリュウの言葉にイリスは嬉しそうに笑った。瞳の端に浮かんだ涙はきっと、温かい涙だと願いたい。

 クリュウは涙を流して喜ぶイリスの頭を優しく撫でながら、自らの首に掛けられた金火竜のペンダントを取ると、そっと彼女の首に掛けた。

「これは……」

「これはイリスに預けておくよ。次に会う時に返してくれればいい。約束を果たす為の証だよ」

 胸元に輝く母の形見の銀火竜のペンダントと、クリュウの金火竜のペンダント。かつて分かれた二つの紋章が一つの場所で輝いていた。

「じゃ、じゃがこれはお主の母親の大切な形見じゃ。受け取れん」

「元々これはこの国にあるべきものだ。きっと、僕が持っているよりもイリスが持っていた方が意味がある。だから、君が持っててよ」

「じゃが……」

「確かに大切なものだけど。母さんとの思い出はそれだけじゃない。僕が住む家やアルバム、お皿にテーブルに。大きく言えば村だってそうだ。何より、僕には母さんとの思い出っていう何にも代え難い宝物がある。だから、大丈夫」

「クリュウ……」

「まぁ、あげるつもりはないから預けておくんだよ。いつかちゃんと返してもらう──だから、また会えるさ」

 そう言って笑顔を浮かべるクリュウを見て、イリスはフッと口元に笑みを浮かべた。

 何というか、クリュウはすごいと思った。噂に聞くアメリアそっくりだ。簡単に人を笑顔にして、虜にしてしまう。優しさと思いやりに満ちた、本当にすごい人。

 自分やロレーヌではまだまだ足りない、心の底から人の為にがんばれる優しさ。それが、彼を輝かせ、温かくさせる。

 こんな男だからこそ、きっと──

「大切なものだからこそ、預ける価値がある。その、クサいセリフかもしれないけど、それを僕だと思って大切にしてくれたら、嬉しいかな」

 自分でクサいセリフと言っているだけあって、クリュウは恥ずかしそうに頬を赤らめながらそう言った。そんな彼の姿が何だか可愛らしくて、つい顔が綻んでしまう。

「──大切にするに決まっておるじゃろ。これは妾の宝物にする」

 そっと両手で包み込むようにしてイリスは金火竜のペンダントを手に持ち、微笑みながら言う。そんな彼女の笑顔と言葉に、クリュウも安心したように微笑む。

「そろそろ寝ようか。明日、お互いの目に隈がついてたらいけないしね」

「そうじゃな……」

 お互いに半身を起こしていた二人は、ゆっくりとその身を横に寝かす。

 横になり、ちょうどいい具合に眠気が訪れる。重くなるまぶたをゆっくりと閉じかけた時、ギュッと腕を抱き締められた。見ると、イリスが腕に抱きつくようにして眠っていた。その寝顔は、とても幸せそうに見える。そんな彼女の寝顔を見てクリュウは優しげに微笑むと、そっと彼女の髪を撫で、その小さな体を抱き締める。

 お互いに抱き合うような形で、二人は眠りにつき、最後の夜が過ぎていった――


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