一方その頃、アリアの部屋で行われている女子会は実に和やかな雰囲気で進行――する訳もなく、どちらかと言えば紛糾していた。
当然だろう。何せ集まった面々の大半が一人の少年に恋しているというのだから、ぎこちない雰囲気を突破してしまえば後に残るのは互いの恋敵(ライバル)関係のみ。和やかにしろと言う方が土台無理な話だ。
「クリュウと私は第五学年第一期から卒業までの一年半という長い期間一緒の学園で過ごしていたのですわよ? 一緒に食事をした事も、狩りに出た事も、休日にデート(自分視点)した事もありますわ。学生生活というのは、実に青春らしい。その青春を私は彼と共に過ごしたのですわ」
フフンと自慢気に腕を組みながら自身の学生時代での彼との自慢話を言ってのけるのはもちろんアリアだ。颯爽と髪をかき揚げ、エレガントな振る舞いと共に他の女子を牽制する。自信に満ちた高笑いは今日も絶好調だ。
部屋に響き渡る絶好調の高笑いに、ぐぐぐッと歯を噛み締めるフィーリア。学生時代一緒というのは、何て羨ましいイベントなのか。言い返してやりたいが、自分には彼女の自慢話を打ち破る術はなかった。
「ふ、フンッ。ナメんじゃないわよ。こっちはガキの頃からあいつと一緒にいるんだからッ。たかが一年半で長い期間? ハッ、十年以上の付き合いを持つ私の前でよくそんな紙屑よりも軽い期間を自慢できたものねッ」
一方、アリアに言い返せるのはこの面子の中で圧倒的にクリュウと共に過ごした時間が長いエレナだ。幼なじみのアドバンテージを遺憾なく発揮する発言の破壊力は絶大。これには先程まで優位に立っていたアリアも押し黙る。
十年以上の付き合いを持つエレナ。彼女の幼なじみとしてのアドバンテージの前ではサクラの昔なじみという数年の付き合いも霞んでしまう。当然約一年半の付き合いのアリア、約一年のフィーリア、そして半年程のシルフィードでは太刀打ちはできない。
「……それだけ長い時間一緒にいて、進展がない事を自慢するなんて、愚かね」
正攻法では太刀打ちできない。だが逆に、そのアドバンテージを無力化する術を彼女は持ち合わせていた。「な……ッ!?」と愕然とするエレナの視線の先で嘲笑するのは、常識にとらわれない最狂の恋姫、サクラだ。
「……私は、クリュウにドレスを買ってもらった。それだけじゃないわ、一緒の布団で寝る事も珍しくない。そんな上っ面だけの関係とは違うわね」
「あ、あんたは夜中に勝手に潜り込んでるだけでしょうがッ!」
「……そんな覚悟もない貴様達は相手にすらならない証拠ね」
世の中、こんなにも嘲笑が似合う十代の乙女がいるだろうか。相手を嘲つつ自身の優位性を示し、尚且つ牽制。これを同時並行できるのは、さすがサクラだとしか言いようがない。
「……恋において恥や外聞は足枷でしかないわ。本気で好きなら、そんなものは全て捨てなさい。じゃないと、貴様達はいつまで経っても私には勝てないわ」
「……覚悟としては立派だが、君は少し恥や外聞を取り戻した方がいいぞ」
コーヒー片手に恋姫達の話を聞いていたシルフィードは苦笑しながらサクラに忠告する。彼女の言う通り、サクラは少しそういうものを取り戻した方がいいだろう。皆同意見だったらしく、村組の面々は何度も頷く。
「……う、うるさいわね」
余程恥ずかしかったのか、サクラは頬を赤らめながらプイッとそっぽを向く。その際に余計な事を言ったシルフィードを睨みつける事も忘れない。そんな彼女の視線にシルフィードは苦笑で返す。
「わ、私はクリュウ様に頼りになるってすっごく言われますッ!」
勇気を出して言ったのはフィーリアだ。自分の中のアドバンテージとは何か。それを必死に考え、搾り出したのがそれだった。
自分はクリュウに最も信頼されている。そんな自信が彼女にはあった。自分は比較的彼から相談事を受ける事が多い。実際に頼りになると言われた事も一度や二度ではない。
自分にはエレナのような時間もアリアのような思い出も、サクラのような大胆さもない。でも、誰よりもクリュウの事を考え支えている。その気持ちは誰にも負けないと自負している。
ただし、最近は頼りになる役はシルフィードが引き受けているので多少ではあるが彼女のアドバンテージが霞んでしまったのは否めないが。
フィーリアの参戦で余計に恋姫達の言い合いがデッドヒート。もはや外野が何を言っても止められるような状態ではなくなってしまった。火に油を注ぐという言葉があるが、事実上それに限りなく近いような状態だ。
激しく言い合うそんな恋する乙女達を見守るのは外野であるシグマとフェニス、そしてシルフィードの三人だ。
「ったくよぉ、惚気話に付き合わされてるこっちの身にもなれっての」
「まあまあ、微笑ましいじゃない」
呆れるシグマの横で優しく微笑むフェニス。その目はまるで妹達を見守る姉のような優しげなもの。実際フェニスはクリュウやアリアよりも一つ年上なのでお姉さんと言っても通じる。
そんなフェニスの言葉に同意見だとばかりにシルフィードは静かに微笑む。
「確かに。一生懸命な彼女達を見ているのは胸が温まるな」
言い合ってはいるが、いがみ合っている訳ではない。その証拠に、何だかフィーリア達は楽しそうだ。お互いの好きな人が同じというのは恋敵(ライバル)であると同時に、自分と同じ気持ちや悩みを持つ同志でもある。自分の好きな人を褒められるのは嬉しい。その相乗効果が、彼女達を嬉々とさせているのだろう。
「何だかしけたような言い方だな。テメェも当事者じゃねぇのか?」
「冗談。私は彼女達のようにクリュウに何かしらの気持ちを抱いている訳ではない。彼とはただの仲間という関係に過ぎんさ」
肩を竦ませながらシルフィードはそう答えると、シグマは「ふぅん、てっきりテメェもクリュウラブかと思ってたぜ」と意外そうな反応を見せる。その横ではフェニスが何か意味深な笑みを浮かべていた。
「……何だ、その意味深な笑顔は?」
「別に何でもないわ。ただ、あなたってクリュウ君そっくりだなぁって」
「私が、クリュウに? どんな所がだ?」
「自分の本質がちゃんと見えていない所、かな?」
「うん? どういう意味だ?」
彼女の言わんとしている意味がわからず首を傾げるシルフィードに対してフェニスは「自分で見つけないと、意味が無いと思うわ」と彼女の問い掛けをスルーする。当然シルフィードは不思議そうに首を傾げた。
「シルフィードは、クリュウ君の事をどう思っているのかしら?」
「……手が付けられない程のお人好しと言ったところか。誰かの為に一生懸命になれる、そんな彼の部分は尊敬に値するな。私にはあそこまで人の為に一生懸命にはなれんさ」
「ふぅん、でもクリュウ君の為ならがんばれるんでしょ?」
「……そうだなぁ。私にできる範囲でなら、全力は尽くすさ」
「うふふふ、クリュウ君ってばモテモテね」
「ケッ、あんな軟弱者のどこがいいんだか」
理解出来ないと言いたげに腕を足を投げ出しながら言うシグマに対してフェニスはわざとらしく驚きながら「あら、あなたはクリュウ君に輪をかけて軟弱なエル君の事が好きなんでしょ?」とシグマをからかう。
「だぁかぁらぁッ! 違うって言ってるだろうがッ!」
面白おかしそうに笑うフェニスを前にシグマは顔を真っ赤にして怒るが、もはや彼女が何を言っても無駄だろう。
フェニスには彼氏がいるし、シグマにも事実上の彼氏がいる。そしてフィーリア達にはクリュウが。歳相応の娘達は皆それぞれ恋に生きている。その眩い姿にシルフィードは思わず目が眩みそうになった。
自分にはない、青春を謳歌する恋する少女達の輝き。何とも眩しいものだ。
そんなどこか遠い目をしてフィーリア達を見詰めていた時だった。突然ドアがノックされたのだ。その音に全員が口を閉じてドアの方を見詰める。シルフィードもまた表情を引き締めて振り返る。
「誰かしら?」
部屋主であるアリアが立ち上がってドアの前で「誰? 何の用かしら?」と尋ねるが、訪問者は何も堪えない。訝しげに警戒しながらアリアがドアを開くと、そこには思わぬ人物が立っていた。
「よぉ、ヴィクトリアの娘よ」
「へ、陛下ッ?」
驚く一同を前に現れたのは、この場にいる全員が予想だにしていなかった訪問者。ドアの三分の二程の高さしかない小柄な幼き少女。銀色の美しい髪を無邪気に揺らし、意志の強い碧眼を細めて笑うアルトリア王政軍国を統治する幼き女王――イリスであった。
「こ、紅茶です」
「おぉ、すまんのぉ。あ、別に妾に構わずとも談笑を続けても良いぞ」
アリアの淹れた紅茶を前に笑顔で言うイリスであったが、もちろん彼女の言葉通りに談笑を続けようなどとする人物は誰もいない。一国の女王を前にして恋話を咲き誇らせる勇気などこの場にいる全員が持ち合わせてなどいなかった。
イリスは紅茶を一口飲む。その瞬間、瞳を輝かせた。
「おぉ……、これは何じゃ。妾が飲んだ事のない紅茶じゃの」
「あ、それはエルバーフェルド産の紅茶ですわ。彼女、フィーリア・レヴェリのお土産の品です」
話題を振られたフィーリアはビクリと震えて驚くが、そこは貴族の娘。恭しく礼でイリスの視線に対すると「正確には我が領、レヴェリ領のチューリップティーです。エルバーフェルドでも特級品に位置づけられている品です」と堂々と振る舞う。それはきっと彼女なりの空元気だったのだろう。それでも、レヴェリの名を汚したくない。その一身での虚勢。しかしその姿は実に自信に満ちた貴族らしい。
「ほぉ、エルバーフェルドの特級品の茶葉か。それはまた良い品じゃの。香りも口当たりも良い。至高の一品じゃ」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
チューリップティーをおいしそうに飲むイリスの横顔を見て安心したのか、フィーリアはほっと胸を撫で下ろす。そんな彼女の背中を労うようにシルフィードが叩く。
「うぬぅ、妾も何か土産を持って来れば良かったのじゃが。如何せん思い立って立ち寄っただけじゃからのぉ」
「そんな。お気持ちだけで結構ですわ――それよりも、一体どのようなご用件で私のお部屋に?」
イリスの気遣いに謙遜しながら、アリアは意を決して彼女が訪れて以来抱いていた疑問をぶつけてみる。それはこの場にいるイリス以外全員の共通の疑問。彼女の問い掛けを、他の面々も興味深げに聞き入っている。
そんな多くの視線を一身に受けていても表情を崩す事なく目を瞑りながら紅茶を飲むイリス。カチャリとテーブルの上にカップを戻すと、ゆっくりとその閉じられていた瞳が開かれた。
「……ちぃとな、お主達に尋ねたい事があったのじゃ」
そう言ってイリスはフィーリア達を見る。突然の展開に驚くフィーリアを先頭にその背後ではサクラが訝しげに首を傾げ、その隣に立つシルフィードも同じような表情だ。
「女王陛下が、我々に尋ねたい事ですか?」
「うぬ。大した事じゃないのじゃが……」
フィーリアの問い掛けに対してイリスは何かを考え込むような仕草をした後、意を決した様子で彼女に向き合う。その表情は真剣そのもので、幼いながらも一国の長としての凛々しい表情。それを見てフィーリアも自然と表情が引き締まる。
一拍の間があって、不気味な沈黙を破ってイリスが口を開いた。
「――クリュウとは、どういう少年なのじゃ?」
『……はい?』
文字通り、それは異口同音であった。誰もが同じような呆けた表情を浮かべ、半開きになった口から全く同じ反応が飛び出した。それ程までに、彼女の口から飛び出したのは突拍子も無い事だった。
「う、うぬ? どうしたのじゃ?」
皆の反応に困惑するイリスは訝しげに首を傾げながら彼女達を見詰める。視線を向けられたフェニスは何とも言えない表情のままシグマに助けを求めるが、シグマは無理だと言いたげに首を横に振りまくる。そんな中、真っ先に冷静さを取り戻したのはやはり彼女だ。
「クリュウ、ですか?」
「うぬ。あの少年の事を詳しく知りたいのじゃ」
シルフィードの疑問に対してイリスは全く臆する事なく堂々と返す。その表情には一点の曇もなく、純粋なもの。南海の蒼と同じ碧色の瞳が純粋な輝きでキラキラと煌めいている。そんな彼女の視線を浴びながら、シルフィードは困ったような表情を浮かべる。というか、実際困っている。
「と、言われましても。何をどう説明したら良いやら……」
「別に難しい事は訊いておらん。お主達の目線から見てどういう人間なのかという事じゃ」
「はぁ……」
難しい事はと言っているが、実際問題人の説明程難しいものはこの世にはないだろう。困ったように頭を掻きながらシルフィードが考え込んでいると、思いがけない人物が口火を開いた。
「バカがつくくらいのお人好しですわ」
その声に全員が声の主を見詰める。その視線の先にいたのは、先程までの動揺がウソのように威風堂々と凛と立ち振る舞うアリア。その表情はいつものように根拠不明な自信に満ち溢れている。
「お人好し、とな?」
「はい。人の為にがんばり過ぎて自分が傷ついてしまう。しかもその事に何の躊躇いもない大バカですわ」
「うぬぅ、人としては立派な心構えじゃが、自分の保身を捨て去るのは如何なものか」
「自分の事など二の次三の次という呆れるくらいのお人好し――でも、だからこそ本当に優しい。クリュウは、誰にでも心優しい、そんな人ですわ」
まるで自分の事のように嬉しそうにそう語るアリア。バカバカバカと言いつつも、その《バカ》は決して侮蔑の言葉ではない。《バカ正直》と同じ、一種の褒め言葉。
アリアの言葉にうむうむとうなずくイリスを見て、ようやく自分達が一歩出遅れた事に気づくフィーリア達。すぐさま巻き返そうとばかりに動き出す。その先陣を切ったのはフィーリアだ。
「や、優しいだけじゃありませんッ。クリュウ様は強くてかっこいいんですッ!」
「ほほぉ、強くてかっこいい。男を褒めるには理想的な言葉じゃな」
「……それでいて、かわいい」
「うぬぅ、それは男を褒める言葉ではないが……しかし、納得はできるのぉ」
あっという間にイリスを取り囲むようにアリア、フィーリア、サクラの包囲網が完成する。この包囲網に参加していないのはエレナとシルフィード。そして一応外野のフェニスとシグマの四人だ。シルフィードはそもそもこの話に参加する気はないし、エレナはクリュウを褒めるという行為がひどく苦手な子なので、参加できずにいるのだ。その証拠に、参加したいけどできないという歯がゆさにエレナはひどく苦しんでいる様子。その葛藤する姿は、ちょっと可愛らしかったり。
イリスの問い掛けは一度だったのに、そこからはまたクリュウの褒め合戦のような彼を賛美する文句が三人の口から速射のように飛び出す飛び出す。本人がいたら恥ずかし過ぎて気絶するような褒め殺しだ。イリスはそれを相槌をしながら真剣に聞き入っている。
クリュウの褒め殺しが始まって十分程が経過した頃、全力で賛美の言葉を放っていた三人は肩で息をして今は休憩中。フィーリアに至っては先程から水をゴクゴクと飲んでいる程だ。その間三人から入手した情報を整理するように考え込むイリスに近づく者がいた。
「陛下。ちょっとよろしいでしょうか?」
「うぬ? 何じゃ?」
考え事を中断して視線を上げると、そこにいたのはシルフィードであった。視線を向けられたシルフィードは後頭部を掻きながら何か言いづらそうに黙っている。イリスが首を傾げるのを見て意を決したように口を開いた。
「なぜ、クリュウの事を尋ねるのでしょうか?」
――本来、一番最初に尋ねるべき問い掛けであった。
息を整えていた三人もシルフィードの疑問にハッとなる。エレナはある意味冷静な側にいたのでそんな三人の様子を見てフェニスやシグマと共に苦笑を浮かべていた。
「なぜ、と申すと?」
「いえ、クリュウと陛下はまだ会って日が浅い。それに実際に会っていた時間もわずかです。なのに、なぜ陛下はクリュウの事をそんなにも熱心に尋ねられているのか。少々疑問に思いまして」
イリスは目をパチクリと何度か瞬かせた後、少し考え込む。すると、その間に彼女の白い頬がほんのりと赤らんだのを恋姫達は見逃さなかった。
「う、うぬ。別に大した事ではないのじゃ。彼はこの国に母親の事を調べに来たのじゃろ? それに協力する為にも情報収集をしているに過ぎんよ」
言っている事は実に正論なのだが、一度疑問を抱いてしまった恋姫達の視線は鋭い。もし本当にそうだとしても、彼女の質問内容はあまりにもその説に関係のない話だ。取って付けたようなウソなどでは彼女達を誤魔化す事はできない。
「……怪しい」
「ぬおッ!? な、何じゃお主はッ!?」
いつの間にかイリスの背後に回ってジト目で彼女を見詰めるサクラ。音もなく忍び寄るスキルはさすがと言おうか。イリスが驚くのも無理も無い。
「お、驚かせるでない。無礼な奴じゃの」
「すみません。この子は礼儀というものに最も縁遠い子でして」
「……シルフィード、私は貴様が嫌いだ」
無礼極まりないサクラの頭を軽く叩きながら代わって謝るシルフィード。自分を不機嫌そうに睨みつけるサクラを無視してイリスの前に立つ。その堂々とした立ち振舞にはさすがのイリスも少し気圧されたのか「う、うむ。別に良いのじゃが……」と語尾が弱まる。それを見てシルフィードが攻勢に出た。
「何でしたら本人を呼びましょうか? その方が手っ取り早いと思いますが」
「あ、いや、それには及ばん。それは追々行うつもりじゃ」
シルフィードの提案に対してイリスは少しだが動揺を見せた。それを見てシルフィードは彼女が明らかにウソをついている事を見抜き、自然とため息が零れた。このため息はもちろん、一国の女王様相手でも容赦のないクリュウの天然ジゴロに対する呆れから生まれたものだ。
「……陛下。クリュウと何かありましたね?」
「な、何じゃ藪から棒にッ!?」
「声、裏返ってますよ……」
シルフィードの苦笑交じりの指摘にイリスは顔を真っ赤に染めて黙ってしまう。かわいらしい反応を見せるイリスに遠くでフェニスが「陛下、かわええわぁ……」と頬を押さえながら喜び、隣でシグマが「そうかぁ?」と興味なさげに返している。
妙な空気を打破すべく、イリスはわざとらしく咳払い。皆を牽制しながらその口をゆっくりと開く。
「ちょっと奴と話す機会があっただけじゃ。特に何があった訳ではない」
当然それはウソだ。つい一時間程前まで彼女はクリュウと一緒に城下町でデートをしていたのだから。だがそれを正直に話す必要もなければ、自分が夜な夜な脱走している事を口外する訳にもいかず誤魔化したのだ。
一方のフィーリア達も一応は彼女の言葉に納得していた。一国の女王相手にクリュウがそれ以上の接触を行ったとは想像もできなかったのだろう。まさか女王様とデートしていた、なんて発想は普通は生まれて来ないものだ。
「それで、妾の質問に答えてくれる者はいるか?」
頬の赤らみをまだ残しつつも、気持ちを切り替えて威風堂々と構えるイリスを前にフィーリア、サクラ、エレナ、アリアの四人は円陣を組む。敵を増やす、それも相手は一国の女王だ。そんな事に協力などしたくないのが本音だ。だが断るのも気が引けるし、そもそも相手は子供なのだからもし本当にそういう状況になってもクリュウが相手にするかも怪しい。何より本当にクリュウに対して自分達と同様、もしくはそれに近い感情を彼女が持っているのかまだ正確にはわからない。
小声で相談しながら対策を練る四人を横目に苦笑しながら、なかなか返答がなくて不貞腐れているイリスの前に立ったのはシルフィードだ。
「私でよければ答えられる範囲で答えますよ。ただし、私はクリュウとの付き合いはこの中では一番短いですが」
「構わん。基礎情報だけほしいだけじゃ。協力感謝する」
背後でザワザワしている四人の反応に苦笑を浮かべながらシルフィードはイリスの質問に答えていく。本人が言った通り彼女の口から出る疑問はどれも基礎的なものだ。出身地、交友関係、ハンターとしての実力の程度、どんな人間かなどなど。シルフィードにも答えられるようなものだ。
しばらくそうした彼女の疑問に答えていたが、何個目かわからない質問を答えた時だった。
「――クリュウには家族はおるのか?」
何気ない疑問だったのだろう。質問を口にしても特に顔色一つ変える事はなかった。だがシルフィードが答えに詰まったのを見て、そこで初めて自分の質問が余計な事であった事、そしてその疑問に対する答えが予想できた。
「す、すまぬ……」
「私は彼の両親に会った事はないので、謝られても困ります」
謝るイリスに苦笑しながらそう答えると、シルフィードは正直に答えた。
「――彼には家族と言える人はいません。一人っ子ですし、彼の両親は共にハンター。どちらもクリュウが子供の頃に亡くなっています」
「そうか……。孤児、という訳か?」
「正確には違いますが、分類的にはそうですね」
「……そんな事、あ奴からは微塵も感じなかったぞ」
「まぁ、もう何年も昔の事ですし。何より、クリュウは強い子です。その苦しみを乗り越えたからこそ、彼は強いんですよ」
シルフィードの言葉にイリスは静かに「そうか……」とだけ答えると、それ以上疑問を口にする事はなかった。無言で席を立つと部屋のドアの前に立つ。
「フィーリアとやら。お主の用意した紅茶、実に美味だったぞ」
「あ、ありがとうございます」
「――クリュウの母親についての事、こちらとしてもできる限り捜索を助力しよう。紅茶の礼じゃ」
そう言い残し、イリスは部屋を去った。
残されたフィーリア達は呆然と閉じられたドアを凝視していたが、いち早く脱したシルフィードがそっとフィーリアの肩を叩いた。驚いて振り返る彼女に対して、シルフィードは優しく微笑む。
「今回、君は本当に大活躍だな」
彼女の言わんとしている所を理解すると、フィーリアは顔を真っ赤にして謙遜する。するとそんな彼女をからかうようにシグマとエレナが両側から挟む。
「おうおう、やるじゃねぇかお前」
「無垢な笑顔を振りまきながら、何だか計画性を感じるわね」
「そ、そんにゃ事にゃいでふッ……ッ!」
両頬を二人にフニッと引っ張られるフィーリア。頬を引っ張られながらもどこか嬉しそうな表情を浮かべる彼女を見ていると、何だか微笑ましい。
「私も、ヴィクトリア家の力を使ってご助力いたしますわ」
「うふふふ、じゃあ私もがんばっちゃおうかな」
「おうよッ。俺は軍関係を当たってやるぜ」
アリア、フェニス、シグマの三人も助力を惜しまない。和気藹々(わきあいあい)と語り合う一同を見詰め、シルフィードは一人苦笑を浮かべた。
「……まったく、クリュウの人望の厚さには感服を通り越して呆れすら感じさせる」
言葉ではそう言いつつも、その表情はどこか楽しそうだった。
男子禁制の女子会はイリスの登場で一瞬緊迫したが、その後またすぐにクリュウの話で盛り上がりを取り戻し、それから一時間後にお開きとなった。
「……クリュウ、少しいい?」
「……とりあえず、ノックなしで部屋に入って来るのだけはやめて」
ため息混じりに言うクリュウの視線の先には堂々とドアを開けて部屋へと入り、不思議そうに首を傾げているサクラの姿が。相変わらず彼女はノックなどもせずに堂々とクリュウの部屋へ入って来る。慣れたとはいえ、いい加減やめてもらいたいのだが。本人はまるでその自覚がないらしく、いくら言っても無駄だ。正直、クリュウ自身半ば諦めている。
「とりあえず、好きな所に座りなよ」
「……じゃあ、クリュウの膝の上に座るわ」
「数ある座る場所の中で、なぜ迷わずそこを選ぶの?」
すぐさまクッションを膝の上に置いてブロックするクリュウ。サクラは不満げに瞳を揺らしながら仕方ないとばかりにクリュウの対面に腰掛ける。すると、突然彼女は左目にしている眼帯を取り外した。その行動を見て、クリュウは少しばかり驚く。
「眼帯、何で取ったの?」
「……別に。取っちゃまずかった?」
「いや、サクラって僕の前でも眼帯を取る事ないでしょ? 君の素顔を見たのも、初めて会った時以来だし」
「……そうね。クリュウにはああ言われたけど、やっぱりあまり人に見せたくないもの」
「じゃあ、何で」
「――今は、不必要なものだから」
そう言って、彼女がうつむかせていた顔を上げる。いつもは眼帯に隠された彼女の左目。幼い頃にモンスターに襲われた際に負った傷で、眉の下くらいから一直線に走った裂傷。男ならそれくらいの傷は大した事なくても、女の子にとっては大問題だ。あまり人に見せたいものではない。だからこそ、サクラはずっと眼帯でそれを隠している。その素顔を知っているのは、今現在ではクリュウだけだ。フィーリアやシルフィード相手でも、眼帯の下は決して彼女は見せなかった。彼女曰く「……自分を全部見せるのは、クリュウだけ」だそうだ。
「不必要?」
彼女が口にした言葉に、クリュウは首を傾げた。サクラは一つうなずくと、ジッと隻眼で彼を見詰める。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……おば様は、私の眼帯姿を知らないから」
「おば様って、母さんの事?」
サクラはコクリとうなずいた。
「……きれいな人、だったよね」
「う、うん。まぁ、子供の目から見ても美人だったよ。すっごく」
「……でも、子供以上に子供っぽかった」
「あははは、それは言えるね。よく僕達と一緒にサッカーとかやってたし」
昔を思い出しながら、楽しそうに自分達と一緒にサッカーをやっていた母親、アメリアの姿を思い浮かべる。本当に彼女の言う通り子供以上に子供っぽい人だった。いつも楽しそうに笑っていて、底抜けて明るい人。彼女の悲しそうな顔を見たのは、片手の指の数くらいしかないだろう。
「……私も、よくあの人に振り回されたわ」
「うーん、そうだねぇ。母さん、できれば女の子がほしかったって言ってたから。女の子らしいサクラの事すごく気に入ってたもんね」
子供の頃、サクラが商隊と共にやって来た時は無口でいつもクリュウの後ろに隠れていた彼女を捕まえては本当に可愛がっていたアメリア。本人としては正直迷惑だったのだが、彼女も心の底から楽しそうにしているアメリアに対して、本当に拒絶する事もできず、結局されるがまま。まぁ、その関係でクリュウと仲良くなれたのだが。
ちなみにエレナは当時から男子に混じってサッカーやら野球やらと男のクリュウ以上に男の子っぽい遊びに熱中していたので、アメリアの言う女の子らしい女の子では対象外になる。その頃のエレナは動きやすいように髪はショートカットに切りそろえていて、それはそれで可愛らしかったのだが。
「……正直、今でもおば様が亡くなったのは信じられないわ。あのおば様が、ハンターだったというのも驚きだったけど」
「そう、だね。僕も母さんが武具を身につけた姿はあの日のただの一度きり。正直僕もあのぽけぇッとした母さんがハンターだったなんて、ちょっと今でも信じられないかも」
「……息子ながら手厳しい意見ね」
「息子だから、だよ」
それを合図にするようにして、二人は一斉に吹き出した。クリュウはおかしそうに笑い、サクラは口元に優しげな微笑を浮かべて。どちらもアメリアを知っているからこそ、笑える。
「……本当に、よくわからない人だったわ」
「あははは、息子としてはその評価にどういう反応をすれば良いのやら……」
「……笑えばいいと思う」
「……どういう意味?」
「……特に意味はないわ」
不思議そうに首を傾げるクリュウに対してサクラは表情を変える事なく受け流す。
それを最後に目を伏せて黙ってしまったサクラを見てクリュウは彼女が訪れてからずっと疑問に思っていた事を口にする。
「っていうか、何で突然母さんの話を?」
クリュウの問いかけに対してもサクラは黙ったままだ。もう一度問おうと口を開いたと同時にサクラがゆっくりと伏せていた視線を上げる。
「……今回の旅の根幹だからよ」
視線を逸らす事なく堂々と真っ直ぐな言葉を向けるサクラに対して、クリュウは一瞬呆けてしまう。が、彼女の真っ直ぐな視線を前にして表情を引き締める。
「何が言いたいの?」
「……別に。今回のクリュウの行動には多くの疑問があるというだけよ」
「……怒ってる?」
サクラの言葉に対してクリュウは不安げ尋ねた。何せあのシルフィードだって今は自分のハッキリしない態度に少なからず不満を抱いているのだ。サクラだって不平不満を言いに来たと解釈しても何もおかしくない。だが、
「……なぜ私が怒る必要があるの?」
サクラは怒る事も不満をぶつける事もなく、ただ不思議そうにクリュウの問いかけに首を傾げる。その反応が予想外だったのか、クリュウは一瞬面食らってしまう。
「え、だって……怒って、ないの?」
「……なぜ私が怒る必要があるの?」
動揺するクリュウに対してサクラは再度同じ疑問を口にする。その表情は心底わからないと言いたげだ。
「いや、だって僕今回の事を君に何も話してないから。てっきり不満があるんだとばかり……」
「――不満は当然あるわ」
サクラは迷わずにそう即答した。その迅速な切り返しに対してクリュウは情けなくも呆けた表情に思わず「え……?」と声を零す。そんな彼の反応を気にした様子もなく、サクラはジッを彼を見詰めたまま口を開く。
「……私だって、クリュウに何も話してもらえないのは不満よ。何より、信頼されていないようで――悲しいわ」
「ご、ごめん……」
「……でも、私はクリュウを信じている。だからこそ、何も言わなくても私はクリュウについて行くし、従う。それが私の役目、私の信念」
真っ直ぐな瞳を向けたまま、サクラは迷う事なくそう断言する。心の底からそう思っているからこそできる、一切の曇のない瞳。その強い輝きは、彼女の信念の強さと比例するように強く輝いていた。そんな彼女の煌く瞳が、今のクリュウにとっては眩し過ぎた。
「……不満を抱いていても、サクラは僕について来るの?」
サクラは迷う事なくコクリとうなずいた。その即答が、余計にクリュウを動揺させる。
「どうして、君はそこまで……」
「――好きなのよ、クリュウの事が」
「え……?」
面食らったように呆ける彼を前にして、サクラはその黒く艶やかな長い髪を掻き上げながら真っ直ぐとクリュウを見詰める。前髪に隠れていた塞がれた左目も、隠す事なくクリュウに向けられる――それは、彼女の素顔だ。
「……クリュウの事が好きだから、クリュウを信じる。ただ、それだけよ」
恥ずかしがる事も、目を背ける事もなく堂々と言い放つサクラ。その度胸と覚悟は並大抵の事ではないが、彼女はその程度の事など造作も無い女の子だ。ただ、恥ずかしいのは隠せなかったのかほんの少しだけ頬が赤らんでいる所は可愛らしい。
「あ、いや、あ、ありがとう……」
クリュウも真正面から女の子に「好き」と言われ、少なからず嬉しくもあり照れているらしく頬を赤らめて視線を彷徨わせる。サクラもそんな彼に声を掛ける勇気はないのか、黙ってしまい、二人の間に微妙な沈黙が舞い降りた。そんな空気が珍しく耐えられなかったのか、サクラが少し慌てながら「……と、特に深い意味はないわ」と訂正する。
「そ、そうだよね。あははは、びっくりしたぁ」
クリュウもサクラの言葉で少し安心したのか、小さく笑いながらほっとしたように胸を撫で下ろす。そんな彼の反応を見て不服そうに唇を尖らせながらも、自分のここぞという時の度胸のなさに呆れ、落胆するサクラ。同じ部屋の中で全く違う雰囲気になる二人。
「それで、母さんの話をしに来た訳じゃないよね?」
本題に戻すようにクリュウが言ったのは、今回のサクラが部屋に来た核心だ。遠回しの表現ではなく、ハッキリと尋ねるのは彼女を信頼している証だ。その信頼を肌で感じたのか、サクラはこくりとうなずくとその核心に触れる。
「……大した事じゃないの。ただ、私に手伝える事はないかなって」
「手伝える事? いや、今の所特にはないかな」
「……そう」
クリュウの返答に少し残念そうにサクラは視線を伏せる。そんな彼女を見てクリュウは罪悪感を感じつつも本当に今は何も手伝ってもらいたい事がないので、どうしようもない。思わず「ごめんね」と零れるが、サクラはフルフルと首を横に振る。
「……クリュウが謝る事じゃない。これは私のわがまま――私がクリュウ一人で悩んでいるを見ているのが辛いだけだから」
「サクラ……」
「……でも、手を貸してほしい時はいつでも言って。その時は――私は命懸けでクリュウを助けるから」
煌く隻眼で見詰めながら、サクラは堂々と言う。そんな彼女の威風堂々とした姿にクリュウは思わず見とれてしまった。何というか、本当に彼女は真っ直ぐな子だ。迷う事なく、自分の行くべき道をわかっている。その眩しいくらいの輝きが、時々羨ましくもあり、いつも頼りになる。
クリュウは静かに微笑むと「ありがとう、サクラ」と礼を述べる。だが思った通り、サクラは小さく首を横に振る。当然の事を言っただけ、そんな声が彼女から聞こえてきそうだ。
「……じゃあ、私は部屋に戻るわ」
「うん。疲れてるだろうから、ゆっくり休んでね」
「……クリュウもね」
そう言ってサクラは小さく微笑むとテーブルに置いた眼帯を手に取り、慣れた様子でそれを装着する。それでいつもと同じ、眼帯姿の彼女に戻るとクリュウに背を向けて部屋のドアへと向かう。ドアを開けて出て行く瞬間に一瞬だけ振り返って微笑み、手を振るサクラを笑顔で同じように手を振って見送った。
パタンとドアが閉じ、一人残されたクリュウ。彼女が消えたドアを見詰めながら、クリュウは静かに微笑んだ。
「――ありがとう、サクラ」
サクラはきっと、気付いていたのだろう。自分が、これから何かをしようとしている事に。具体的にはわからなくても、自分が悩み、そして何かを実行に移そうとしている事に気付いていた。だからこそ、わざわざこうして部屋に来て、何か自分に手伝える事はないかと言ってきたのだろう。同時に、これは彼女なりの激励だったのかもしれない――いや、絶対そうだ。サクラは、そういうちょっと不器用な子なのだから。
自分は彼女の表情や感情を読むのに人より長けていると自負しているが、同時に彼女は自分のそういう心の動きを誰よりも敏感に感じ取れるのかもしれない。昔から、何か悩んでいた時は真っ先に彼女が気付いていたのだから。
ゆっくりと席を立つと、窓へと近づいた。カギを外し、両開きの窓を開けると、途端に外気が部屋の中へと流れ込む。初夏、とまではいかないがそれでもずいぶんと気温が高い。南国のアルトリアはもう夏へ入ろうとしているのだろう。イージス村が夏に入るのも、もうすぐだ。
夏――それは奇しくも母アメリアが亡くなった季節だ。夏の嵐の中へ消え、帰って来なかった母。それから約十年の時を経て、母の故郷へと降り立ったクリュウ。それは偶然なのか、それとも……
「――決戦は明日。そこで全てがわかる……だよね、母さん?」
答えは返って来ない。返って来るのは虫の鳴き声、風の音だけ。ただ、頬を一瞬撫でた優しげな温かな風にクリュウは静かに微笑み、うなずく。
――パタンと、窓が閉じられた。