モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第173話 二五年前の真実 夜空の下で結ばれる運命の絆

 アリアの話を纏めるとこうだ。

 二五年前、当時国を治めていたシェレス・アルトリア・フランチェスカには二人の娘がいた。

 長女は明るく笑顔が素敵で、天神乱漫という言葉が具現化したかのような人で、その美貌と笑顔、優しさから現在のイリスをも上回る国民からの人気があった。王位継承権の順位的にも、人望などからも次期女王は確定していたそうだ。

 次女ロレーヌ・アルトリア・ティターニアは逆に病弱だった為に物静かでいつも本を読んで部屋に引きこもるような子だった。しかしそのお陰か政治学・経済学・法学など様々な分野で博士号を得る程の天才だったそう。

 人を纏めるのに秀でた姉と、人や目に見えない力を効率良く動かすのに秀でた妹。二人はまるで光と闇のようにお互いにない所を持った姉妹だった。その為、周りからも次の世代はこの二人でアルトリアという国は動くと思われていた。

 女王として人をカリスマ的に纏めあげる姉と、それを補佐する宰相として国を実質的に運営する妹。すでにまだ共に十代の中頃でしかなかった二人の姉妹の次期《双頭体制》は確定したも同然だった。

 だが、そんな大人の事情が錯綜する中、事件が起きた。

 長女は当時、誰にも口外していない秘密があった。

 当時アルトリア王国とハンターズギルドは試験的に同盟関係を結んでいた。互いの持つ技術を公開し合い、より多くの人民をモンスターから守ろうというもの。まぁ、あくまで表面的なもので実際は互いの武力の確認や牽制、及び互いの技術開示による自技術の向上など、これまた大人の事情が錯綜するものであったが。

 その際、後の完全同盟に備えて互いの末端部分での信頼関係を築く為にアルトリアからは兵士が、ハンターズギルドからはハンターがそれぞれ数十人交換されていた。

 現場の兵士達は本来の目的である互いの信頼関係を作る事に奮闘していたが、一説にはこれは互いが約束を反故した場合に備えての人質だったとも言われているが、実際の所は不明だ。

 ともかく二五年前、アルトリアには数十人の大陸人――ハンターが派遣されていたのだ。

 ハンター達はひとまず聖騎士団の特殊部隊の兵士という立ち位置を得て、アルステェリアでアルトリア軍の兵士達と合同で訓練や実戦を行い、互いの信頼を築いていた。

 そんな中、一人の少年ハンターと長女が思わぬ形で遭遇した。長女は天神乱漫な性格からちょっとやんちゃでもあって、時々勝手に城から抜け出す事があったらしい。その際に森の中へ入ってしまい、そこでモンスターに襲われた所をそのハンターに助けてもらったのが始まりと言われている。

 その出会いをきっかけに、二人はそれから幾度と無く密会を重ねていった。最初のうちは友達としてスタートした二人だったが、そこは年頃の男女。次第に二人の関係は友達のそれから離れていき、互いに想い合う許されない身分の違いの中で生まれた恋心を抱く、恋人同士へと変わっていった。

 そして二五年前、長女はついに城から抜け出すと少年ハンターと駆け落ちしてしまった。すぐに捜索隊などが派遣され、全ての港を封鎖。国内に閉じ込めて必死の捜索がされたが、二人は見つからなかった。すでに貿易船に乗り込んで国外へと逃亡していたのだ。

 次期女王と言われていた長女の逃亡は是が非でも国民に隠しておきたかった。その為王政府は二人が国外へ逃亡したとわかると捜索を打ち切り、長女は病で亡くなったと国民に公表した。

 国葬が行われ国民全員が悲しみに暮れる中、この大失態は当時の一部の閣僚や関係者のみだけが知る以外、決して口外はされなかった。その為、現在でもアルトリア政府はその長女は病死したと決定している。

 長女死亡。これは同時の王位継承権第一位の喪失と同義。その為シェレスが崩御された後は繰り上げで王位継承権第一位となった次女のロレーヌが王位を継承した。

 ロレーヌは姉を奪ったハンターズギルドとの同盟関係を解消し、自国の力だけで諸外国を牽制する為に無理な軍拡化を強行。それが現在のアルトリア王政軍国の礎となった。

 そしてロレーヌ陛下もまた元々の病弱に無理を重ねた為か次第に衰弱していき、崩御。現在はその一人娘であるイリス・アルトリア・フランチェスカが王位を継承して現女王として君臨している。

 これがアルトリア政府が国民や諸外国に絶対に隠し通したい事件の真相であった。

 

「……その、これは本当に国家機密に関わる事だから、絶対に口外しないと約束してくださる?」

「う、うん。あまりにもすごい大恋愛の話だったからまだ現状が呑み込めていないけど、約束はする」

 アリアの口から明かされたのは、クリュウの予想のどれもを凌駕するような内容だった。あまりにもすご過ぎて、というかジャンルが違い過ぎて正直困惑しており、まだ頭は理解できていない。それでも、何となくこれは口外しちゃいけない事だという事だけはわかったので、ひとまず約束は守る方向に定めた。

「とにかく、そういう経緯があってロレーヌ陛下はフランチェスカの名を持っていなかったって訳ですの。わかりまして?」

「わかったけど……いいの? それ、絶対一般人の僕が聞けるような話題じゃないけど」

「そりゃ、私がバラしたとわかれば母様に滅茶苦茶怒られますけど……あなたは口が堅い人とお見受けしてますし、それにあなたかたの頼みとあれば、私が断る謂れはありませんもの」

 そう言って微笑む彼女の笑顔に、無警戒だったクリュウは思わずドキッとしてしまった。慌てて視線を逸らし、じわじわと赤く熱を帯びてきた頬を冷ます。そんな彼の様子を見てアリアが首を傾げた。

「どうしたんですの?」

「な、何でもないよッ。何でも、ね?」

「そうですの? 変なクリュウですわね」

 アリアは気になりはつつもそれ以上の追求はせずにゆっくりと自身で淹れた紅茶を嗜む。そんな彼女のあまり見た事がないお嬢様らしい姿にも思わずドキッとしてしまい、クリュウは自分の心臓に手を当てて首を傾げた。

「……変だなぁ」

「何がですの?」

「な、何でもないってばッ」

「……何だか怪しいですわね」

 ジト目になって疑うような視線を向けるアリアに対して笑って何とか誤魔化しつつ、無理やり話を進める。

「その先代女王のお姉さんの名前や、駆け落ちした兵士の名前はわかんないの?」

「それはちょっと……どちらも王家にとっては忘れたい汚点ですもの。私も流れだけは母様から教えてもらいましたけど、さすがに名前は禁忌中の禁忌で、私にもわかりませんわね」

「そっか……ごめん、ありがとうね」

 笑顔と共に礼を述べるクリュウ。それは心からの感謝を込めた言葉と笑顔だ。何せ自分一人じゃわからなかった事、それもかなりの秘密話を聞けたのだ。まだこれが自分の中の疑問と結びつくかはわからないが、それでも情報はあって損はない。自分の為に親に怒られるような行いをしたのだから、本当に感謝してもし切れない。

「か、構いませんわよ。私とあなたのその……親しい仲じゃないですの」

 クリュウの無垢な笑顔を前に顔を真っ赤にしたアリアは慌てて視線を逸らし、消え入りそうな声でそれだけ搾り出した。最後の方はかなり勇気を出して言ったのだが、残念ながらそれは小さ過ぎて結局彼の耳には届かなかった。

「でも、こんな事を訊いて何に役立てると言うのですの?」

 一度咳払いして話を戻すアリアの問い掛けに、クリュウは少し考えて「うーん、内緒じゃダメかな?」と彼女の問い掛けをスルーしようとする。フィーリア達にも黙っているのだから、もちろんアリアだけに言う訳にはいかない。それにまだ自分の中でも整理がついてないのだから、根拠のない話は妄言でしかないと彼はわかっている。

 クリュウの返答に最初こそ不満そうな表情を浮かべていたアリアだったが、すぐにその表情を引っ込めて仕方がないと言いたげなどこかサッパリと諦めたような表情に変わる。

「まぁ、あなたは意外と何を考えてるかわかりませんものね。あえて追求はしませんわ」

「あ、ありがとう」

「その代わり、まだ紅茶のお茶菓子もあるからあなたの武勇伝でも聞かせてもらえるかしら?」

「武勇伝って……そんな大した話はないよ」

「いいんですの。ただ――あなたがこの一年間で体験した事を知りたいんですの」

 好きな人の事は何でも知りたい。恋する乙女のちょっとしたわがままだ。

 恥ずかしそうに頬を赤らめながら言う彼女の言葉に、クリュウもまた何だか気恥ずかしくて同じように頬を赤らめながら、「その、あまり面白い事はないよ?」と念を押しておく。だがもちろん、アリアからの返答は、

「構いませんわよ」

 笑顔でそう返されると、情報提供を受けた身としては諦める他はない。素直に諦めたように自分のこの一年の出来事を話してみる。以前にフィーリア達に学生時代の話をした事もあったが、それに匹敵するくらい恥ずかしいものだ。

 だから所々自分の情けない所は省略しながら話すが、もちろんそんな事はウソが苦手なクリュウ、しかも相手はそのクリュウに恋している乙女だ。そんなウソすぐに見抜かれてしまうのだが、アリアはあえて何も言わなかった。自分の事をかっこよく見せようとする彼の情けない姿が、ほんの少しだけ愛らしかったのは彼には内緒だ。

 アルトリア産の紅茶とお茶菓子を楽しみながら、クリュウとアリアの二人だけのお茶会はその後一時間程続いたのだった。

 

「三日前、テティル連邦共和国の警備艇団が我が国の領海へ侵入。第3艦隊の国境警備隊が出撃して一時これと睨み合いとなったそうです。その後、こちらの威嚇射撃で共和国の警備艇隊は撤退した為、双方共に被害はなしです」

 女王が仕事を行う専用の部屋、執務室でジェイドが話したのはテティル連邦共和国とアルトリア王政軍国の間で時々起きる国境問題だ。

 テティル共和国は元々火山などの山岳地帯に囲まれた温暖な立地の国で農業国として栄えていたが、火山の噴火による火山灰や環境変化の影響で国土の大部分が火山灰を被ったり地殻変動によって元々国境外周にあった湿地帯が内部にまで広がるなどして農業に適さない土地が増え、一時国が滅びようとしていた。その際大陸へのパイプを模索していたアルトリア王国が商業協定を結ぶ見返りとして蒸気機関技術を提供。以降テティルは独自の技術も加えて今日では工業国として国を再建させたのだ。

 しかし結局ロレーヌ女王の代になってアルトリアは鎖国化。同盟は解消され、アルトリアという監視役を失ったテティルはその後利益優先の為に環境問題を無視した結果、現在では首都テティリアでさえ工場の煙で空が隠れてしまう程に環境汚染が深刻化。イリス女王の代になってテティル共和国に対し環境改善を要求するもテティル共和国はこれを黙殺。それどころか無限の工業拡大の為に資源を欲し、資源が豊富なアルトリア国の領土であるフューリアス諸島を狙い、今では時々無断で国境を越えて領海へ侵入。アルトリア海軍の軍艦が国境警備に派遣されるなど両国の関係は悪化の一途を辿っている。

 イリスは平和的に解決したいのが本音だが、だからと言ってテティルの悪行を放置しておいては国民からの支持を失いかねない。仕方なく、国境海域に軍艦を派遣して威嚇射撃に留めての発砲を許可している。その為、こうして時々両軍が睨み合うという状況が起きてしまっているのだ。

 軍上層部などは王軍艦隊を派遣してテティル共和国の無人の土地を焼き尽くして威嚇すべきという意見まで出始め、過激なものになれば首都テティリアを空爆すべきと言い出す将軍までいる始末。統率する身としては頭の痛い問題だ。

 いつもならジェイドの意見を聞きながら互いにアイデアを出し合って今後の対策を練るのがイリスの女王としての仕事だ。だがこの日は……

「陛下?」

 書類を片手に話を進めていたジェイドはその奇妙さに気がついた。いつもなら事細かく質問や改善点を言うはずのイリスが、今日に限ってなぜか沈黙しているのだ。不思議に思ってイリスの方を見やると、

「……うぬぅ」

 いつもなら真剣な眼差しをこちらに向けて話を聞いているはずのイリスが、なぜかぼぉっと視線を上に向けたまま時折唸っていた。当然、その様子からはお世辞にも話を聞いているようには見えない。

「陛下」

「……う、うぬ? な、何じゃ」

 ぼぉっとしていたイリスはジェイドの声にハッとなり慌てて威厳ある顔つきの、女王としての仮面を被る。が、もちろんその前段階の顔を見ているジェイドは呆れたようなジト目で彼女を見上げる。

「私の話、聞いていましたか?」

「な、何を言うか。妾はちゃんと主の話を聞いていたのじゃ」

「では、今私は何をお話していたのでしょうか?」

「無論、今宵の晩餐の献立じゃ」

「……」

「……」

「……陛下」

「……す、すまん。聞いておらんかったのじゃ」

 見事にウソがバレたイリスはジェイドのいつになく低い声に申し訳なさそうに頭を下げて謝る。その姿は一国の長である女王としての風格は微塵もなく、あるのは怒られた子供のような弱々しい印象の少女の姿だ。そんな彼女の姿にジェイドは呆れたようにため息を零すと、先程まで読み上げていた書類を脇に挟む。

「陛下がお考えの事、恐悦ながらご推測しますと――例の大陸人の一行の事をお考えでしょうか?」

「う、うぬ? な、なぜわかったのじゃ?」

「丸わかりです。いつもの陛下なら私の言葉を一字一句聞き漏らす事なく聞いておりますのに、今日に限っては心ここにあらず。いつもと違う要因があるとすれば、それは例の大陸人の存在くらいのものです」

「うぬぅ、さすがジェイドじゃな。見事な推理じゃ。お主、推理小説を書いてみたらどうじゃ?」

「これくらい当然です。何年陛下の配下でお世話させていただいてるとお思いですか」

「う、うぬぅ……」

 話をすり替えようとしたイリスだったが、ジェイド相手ではそう簡単いくはずもなく失敗。困ったように唸る彼女を横目に、ジェイドは大きなため息を零す。

「一体どういうおつもりですか? 大陸人を招き入れる事を許可した挙句、この城内に留めるなど正気の沙汰ではございませんぞ。前者は百歩譲って許可したとしても、後者は明らかに突拍子が無さ過ぎます」

「そうかのぉ? 妾は客人に対して最大限の歓迎をしたまでなのじゃが」

「まずはそこです。彼らは決して客人ではありません。どちらかと言えば不法入国者に等しい存在です」

「アルフが連れて来たのじゃから、不法入国ではなかろう?」

「そこなんですよねぇ。まったく、レキシントン農水大臣にも困ったものです。優秀なのはこういう事においてもそうなのですかね」

 結果的に面倒事を増やしたアルフに対してジェイドはため息と共に皮肉を言う。

 この国はまだ先代ロレーヌ女王が崩御してから日が浅い。まだ完全には新女王であるイリスが実権を握れてはいない。その隙を突いてクロムウェルが台頭したのが頭の痛い話だ。ロレーヌは自分の信念の為には一切容赦をしない《冷酷王》とも称され、自分に反対する者は容赦なく更迭や無力化を行うなどして敵を力づくで封じてきた。だがイリスは逆に話合いによる民族団結を信念としている為、力づくでの押さえ込みを拒否している。その結果、クロムウェルがイリス女王の政治に不満や不安を抱く者達を吸収して勢力を拡大させてしまった。

 結局、まだ子供であるイリスの信念は綺麗過ぎる。世の中には残酷な程に正々堂々を忌み嫌う腐った連中がいる事を、まだ彼女は把握し切れてはいない。そんな彼女を支えるジェイドは逆にそうした腐った連中を牽制する役目も担っているので日々忙しいのだ。そこに敵にイリス政権を批判できる要因にしかならないであろう外人の入国滞在許可。ジェイドの心労は加速するばかり。

「とにかく、この事は国民には知らせない方がよろしいでしょう。それと彼らへの監視役としてアトランティスを付けさせてもらってもよろしいでしょうか?」

「構わん。じゃが、客人が不快を抱くような行いはするでないぞ」

「わかりました」

「――ところでジェイド。お主はあのクリュウという少年をどう見る?」

 話題転換。突然これまでとは違う話を振られたジェイドは訝しげに「あの少年ですか?」と答えつつ、彼女の質問の意味を量る。彼の問いに対してイリスはうむとうなずく。

「彼がウソをついているように見えるか?」

「と、仰いますと?」

「妾には、奴がウソを言っているようには見えなかった。目が真剣だったからのぉ。じゃが、冷静に考えてみれば我が国から出て行った人間など、そうはいないであろう? この国は海洋国家。大陸諸国と違って徒歩という訳にはいかん。船を使ったとなれば、奴の親というのは平民ではないと思うのじゃが」

「ですが、ここ数十年貴族などの蒸発はありませんが」

「じゃろ? 彼の祖母が我が国の民だというのであれば、戦乱時代に海戦で沈没した我が国の軍艦の兵士の生き残りという説が成り立つ。あの頃は時には大陸沿岸の砲撃なども行なっておったからのぉ。じゃが、奴が捜しておるのは母じゃ。そうなると、その母親は一体何者なのか――ちぃとばかり妾の好奇心を刺激してのぉ」

 真剣な顔から一転してイタズラを思いついた子供のような表情にイリスは変わる。まだまだ子供な彼女だってイタズラが大好きなお年頃。時々それに付き合わされるジェイドはそんな彼女の子供らしい一面に安堵しつつも、厄介事が増えたとばかりにため息を零す。

「陛下。もうすぐヴィルマ支援の際に使い切った物資の買い付けを行う第一次補正予算案の採決です。その前に片付けておかねばならない仕事はまだまだあるんですよ」

「うぬぅ……、好奇心は刺激されても妾はそれに本能的に従える時間はないのじゃな」

「それが女王としての責務です、陛下」

 ジェイドがピシャリと言い切るとイリスは不満げに唇を尖らせるが、そこは一国の長。まだ不満は残るがひとまず仕事を片付ける事に決めたらしく玉座の前に置かれた豪勢な作りの机の上に並べられた書類に目を通す。それを見てジェイドはひとつうなずくと、次の書類を読み上げる。

 イリスはそんなジェイドの声を聞きながら、一瞬だけ窓の外を見やる。雲ひとつない青空を見やりながら、ポツリと零す。

「……気になるのぉ」

 その一言を残して、イリスは今度こそ仕事へと意識を戻した。

 

 その夜、クリュウは一人城の外にいた。正確には城を囲う城壁の内側なので城の敷地内なのだが、きれいな星空を眺められるここは分類的には外と言うに相応しい。

 南方に位置している為、イージス村などに比べればずいぶんと暖かく普通に外で暮らせる程に快適だ。そんな外でクリュウは一人星空を鑑賞しながら肉焼きのうたを口ずさみながらこんがり肉を焼いていた。

 二時間程前、イリスの計らいで夕食をご馳走になったのだが、如何せん出された料理は全てが高級料理。しかもオシャレな小皿に少しずつ盛るような形式だった為、緊張も加わって成長期の少年のエネルギー摂取には程遠いものだった。結局空腹に負けて、こうして一人夜空の下でこんがり肉を焼いているのだ。

 ここは昼間の段階で兵士などもいない場所だとわかっていたので、気兼ねなく肉を焼ける。慣れた作業なので火の後始末などはお手の物なので、ミスってボヤ騒ぎになる事はないが、それでも兵士達の前で火をつけるのはあまりいい気はしない。ここはそういう意味ではうってつけの場所だ。

 ここは正面口と反対側なので警備が薄い。そもそも大国アルトリアの本城に侵入しようなどという無謀者は絶対数が少ないし、城壁も高いのでそもそもの警備の兵士が少ないのだ。さらに言えばアルトリア城は二重の城壁で守られている。警備は主にこの外側の壁と城の内部に集中しているので、比較的この内側の壁の周囲には警備が少ないらしい。

 まぁ、そのおかげでこうして気兼ねなく肉を焼けるのだからラッキーなものだ。

「……上手に焼けました、っと」

 慣れた手つきで肉焼きセットの火から取り出した生肉は絶妙な焼き加減のこんがり肉になっていた。外はパリッと焼けていて、しかし中は柔らかくジュワッと肉汁が口の中いっぱいに広がる、まさにこんがり肉だ。フィーリアが持つ高級肉焼きセットならこんがり肉Gになるタイミング。ハンターの初歩の初歩は肉焼きと言われるが、熟練になればなるほど逆に肉焼きが下手になるハンターも少なくはない。最近はこんがり肉自体が販売されていたり、アイルーに焼かせるなどをするハンターが多いので、新人やそれに近いハンター程そういうゆとりがない分肉焼きがうまい。クリュウも一応分類的にはまだまだかけだしの方だし、そもそも肉焼きが好きなのでフィーリアが自主的にやる以外では基本自分でも肉焼きをする。

 ハンターと言えば狩り、というのは一般人のイメージだ。本当はこうして自由気ままに肉焼きをしたり、釣りをしたりするのもハンターとしての一つの一面だ。

 焼きあがったこんがり肉は湯気を立てながら香ばしい匂いでクリュウの空腹の腹を刺激する。まるでその登場を喜ぶかのように、彼のお腹は空腹の音でシンフォニーを奏でる。その音色に、一人でいるはずなのに恥ずかしくなって頬を赤めてしまう所が、彼のかわいい所だ――と、フィーリアとサクラは自信を持って断言するだろう。

 ちなみに他の面々は今頃はアリアの部屋に集まって会話を楽しんでいる事だろう。いわゆる女子会という奴で、当然男子禁制。特に集まった面々が全員同じ少年に恋をしているというのだから、その当人は完全シャットダウン。そんな経緯があって、クリュウは一人寂しく夜空の下で肉を焼いていたのだ。

 今頃フィーリア達は紅茶を片手にお茶菓子を食している事だろう。だが逆にクリュウはこういうガッツリとした肉を好むので、むしろ一人で助かってはいるが。

 アプトノスから剥ぎとった段階で殺菌と防腐、及び下味と三つの意味で振った塩がこんがり肉の味を整え、同じく香りづけの為にまぶした乾燥させた香草の粉のおかげで肉の匂いにその香草の匂いが加わった香りは、まさに空腹には耐え難い攻撃力を秘めた香りだ。

 クリュウは一人だという事で「いただきます」も言わずにそれにかぶり付く。想像通り、パリッとした皮の内側には柔らかな肉と旨みたっぷりの肉汁が待ち受けていた。塩を振って適度な日にちが経っている分、むしろ塩味が内側にまで浸透しているだけあって中まで絶妙な塩加減だ。

 一口食べただけで口の中いっぱいに広がった美味。もちろん、そのままガツガツと勢い良く食べていく。貴族という連中が見たらさぞかし眉をひそめる光景だろうが、これが平民の食べ方だ。

 口の周りに油がこびり付くのも気にせず、こんがり肉を貪るクリュウ。安心と次第に溜まる満腹感が、そんな彼の警戒心を解いていたのだろう。そもそもこんな所で警戒心を持つ必要もなかった事も災いして、クリュウは最後まで背後から近づいてくる存在に気づかなかった。だから――

「このような場所で、お主は何をしておるのじゃ?」

 ――突然背後から掛けられた声に、心臓が飛び出しそうになる程にクリュウは驚くのだった。

 驚いてこんがり肉を頬張ったまま反射的に振り返ると、そこには全身くすんだ茶色のローブを纏った小柄な少女が立っていた。目元までフードを被っているので、その顔は窺い知れない。

「え? な、何でこんな所に子供が……」

「お主も分類的には童子であろうが。それに、妾の家の中をうろつこうが、それは妾の勝手じゃ」

 その言葉の意味、そしてその難しい言い回しと特徴的なしゃべり方。クリュウが彼女の正体に気づくのにはそれ程の時間は掛からなかった。

「……も、もしかして――イリス陛下?」

「正解じゃ」

 そう言って少女は深くまで被っていたフードを取り払う。するとその下から現れたのは紛れも無くこのアルトリア城の城主であり、アルトリア王政軍国を束ねる現女王――イリス・アルトリア・フランチェスカであった。

 呆然とするクリュウを前にして、イリスは女王としての顔ではなく歳相応のイタズラに成功したやんちゃな少女の笑顔でそこに君臨していた。

 数秒程目の前の光景が理解できずにフリーズしていたクリュウだったが、ようやく脳が理解すると慌ててこんがり肉を隠してその場で楽にしていた姿勢を正した。思わぬ形で一国の長と対面した為、その慌てぶりも半端ではない。が、そんな慌てまくるクリュウに対してイリスはおかしそうに笑いながら「そう緊張せんでも良い。見てみぃ、今の妾は王冠を付けてはおらんのじゃ。つまり、今の妾はお主と変わらぬ平民と言った所かのぉ」と冗談を言ってみる。

「いえ、王冠を取ったからと言っていきなり女王ではなくなるというのは無茶があるんじゃ……」

「そうなのじゃ。王冠を脱いだだけで王をやめられるのであれば、今頃妾は青春を楽しんでいたのじゃがのぉ……」

 冗談なのか本気なのかわからない物言いでため息を零すイリス。その姿はそれこそ十二歳の子供だが、妙にその社会に揉まれた大人のような顔と口調とがギャップで、ちょっと奇妙な姿に見える。その姿が逆に、クリュウの過度な緊張をわずかではあるが解いた。

「あの、イリス陛下? このような場所にどうして……」

「どうしてと言われてものぉ。ここは妾の月見ポイントなのじゃよ。じゃからわざわざ警備の兵士を外しておったのじゃが、思わぬ先客がいたようじゃの」

 イリスの言葉にようやくクリュウがなぜここが兵士の警備がないのか理解した。彼女の言う通り、ここは彼女のある意味でプライベートスポットなのだろう。だからこそ一人になりたい時に邪魔な兵士を外していたのだ。という事はつまり、自分は女王陛下の特別な場所で肉を焼いてそれを食べていた事になる訳で……理解した途端、顔面が蒼白になった。

「す、すみませんッ。すぐに出ていきますッ」

「良い。別にここは妾だけの場所ではないからの。ゆっくりせい――それに妾はお主に話があった。そういう意味でも手間が省けた」

「僕に話、ですか?」

 一国の長が平民の、それもつい数時間前に会ったばかりの外国人相手に一体何を話す必要があるのか。突然の展開に戸惑っていると、そんな彼の隣にイリスは腰掛けようとする。クリュウと同じように地べたに直接腰を落として、だ。

「あ、これ使いますか?」

 そう言って彼が差し出したのはいつも持ち歩いているハンカチだ。彼の言っている意味を量りかねているイリスの落とそうとしている腰の下にそのハンカチをそっと敷く。一応これで簡易的なシート代わりだ。それを見てやっと彼の行動の意味を理解したイリスは微笑む。

「ローブを着ておるからそのような心配は無用なのじゃが、まぁお主の好意に甘えるとするかのぉ」

 そう言ってイリスは静かにクリュウが敷いたハンカチの上に腰を落とした。ずっと見上げていた形だったイリスが同じ地面に腰掛けると、当然その小柄な体格に相応しい座高でクリュウよりも背が低くなる。その途端忘れかけていた、彼女が自分よりも年下の少女だという事を思い出す。振る舞いや落ち着きが大人びているので、雰囲気だけではとてもそうは見えないが不思議だ。

「して、主は一体ここで何をしておったのじゃ?」

「え? あ、その、夜食をと思いまして……」

「うぬ? 夕餉(ゆうげ)では足らんかったか? 言うてくれれば用意したのじゃぞ?」

「あ、いえ、その、自分は至って普通の家出身なので、ああいう高そうな料理に慣れていなくて……」

 言ってみて自分の発言がとてつもなく恥ずかしい事を自覚してクリュウは一人顔を赤面させる。貴族出身のフィーリアならともかく、至って平凡的な平民出身のクリュウからしてみれば先程の夕食に並んだ料理の数々は縁遠いものだ。それこそ書物でしか知らないような材料や料理名のオンパレード。食べてみて料理をしているだけあって、その繊細な味付けや口触りに圧倒された。

 ここ一ヶ月程、エルバーフェルドにアルトリアと立て続けに大国への直訴を繰り返しているクリュウ。正直色々と心労も重なっていて、今はむしろこういうシンプルな料理の方が落ち着く。平民の悲しい性(さが)だ。

「……それが平民の食すものじゃな?」

 考えに耽っていたクリュウはそんな彼女の言葉に意識を戻されると、彼女が指差す先を目で追う。するとそこには自分が今現在握っているこんがり肉。彼女の興味津々の視線はその一点に注がれていた。

「あ、その、平民と言うよりはハンターの典型的な食事の一つ、ですね」

「おぉ、大陸のハンターズギルドが誇る無双の戦闘集団、ハンターのスタミナ源とな。ふむふむ、確かに鋭気を養うには十分過ぎる量じゃの。じゃが、これは見る限り肉を焼いただけかの?」

「あ、はい。日持ちと下味の為に生肉の段階で塩を振って、それをただ焼いただけです」

「ふむ。日持ちが効き、即座に調理ができ、尚且つ空腹を一撃で満たすだけのボリューム。確かに理に叶ってはいるのぉ。我が軍の兵士達の戦闘食の参考になるやもしれんのぉ」

 うむうむと一人納得したように何度かうなずくイリス。そんなただ焼いただけの肉に興味津々な彼女の姿を見て、クリュウは思わず笑ってしまった。どうやら先程の夕食の料理を見る限り、彼女はいつもあんな豪勢な食事をしているらしいく、逆にこういうシンプルな食事というものが物珍しいのだろう。

「あの、良ければ食べてみます?」

 何となく食べたいのかなぁと思って彼女にそう問い掛けると、イリスはあからさまに目を輝かせた。その様は、まさに歳相応の子供らしい少女の反応だ。

「よ、良いのか? お主の夜食であろう?」

「別に構いませんよ。予備はありますから」

 そう言ってクリュウは地面に置いた袋の中から生肉を取り出すと手際良く肉焼きセットにセッティングする。その一つ一つも物珍しいのか、イリスのキラキラとした好奇心に満ちた視線が注がれ続ける為少し小恥ずかしい。

 慣れた手つきでセッティングを終えると、今度は肉焼きのうたを口ずさみながらの肉焼きだ。これは見られているとなると余計に恥ずかしい。本当は別にクリュウはもう歌わなくても肉焼きはできるのだが、これをした方が焼き加減がうまくいく気がする為、今でも口ずさんでいる。これはフィーリアも同じらしく、彼女の鼻歌はそれこそオルゴールのように心癒される。ちなみにサクラとシルフィードはどちらも無言焼き派だ。

 興味津々で見てくるイリスの視線を感じながら、それでも努めて平静を装いつつ肉を焼く。そしていつものタイミングで一秒でも早く火から離すように一気に振り上げ、完成だ。

「上手に焼けました、っと」

 横でイリスが「おぉ……」と感嘆の声を漏らしながらパチパチと拍手。そんな彼女に照れながら「どうも」とだけ返すと、焼き上がった肉を皿に置いて、ついでに食事用の小物入れからフォークとナイフを取り出す。相手は一応一国の長だ。食べやすいように切り分けるという彼なりの気遣いだ。だが、

「良い。郷に入れば郷に従え、じゃ。お主と同じように食べる」

「え? で、でもお召し物が汚れるかもしれませんよ?」

「良い。ちょっとくらいやんちゃをしても良いように、こうしてローブを着ておるのじゃからのぉ」

 そう言って彼女は着ているくすんだ茶色のローブを自慢気に見せる。お忍び用の為か、一国の長が着るにしては見窄らしい印象だ。しかもサイズも合っていないらしく、彼女が腕を上げても袖がだいぶ余る。それが余計に何だか彼女をかわいらしく見せていた。

「料理は出来立てに限る。早う」

「あ、待ってください。せめて布だけ巻きます」

 とりあえず握り手になる両側に突き出た骨の部分だけには両方共に布を巻く。手を汚さない為の配慮だ。それを終えてからイリスに渡すと、イリスはその長過ぎる袖をまくる事なく袖越しに骨を掴む。どうやらそうやって物を掴むのが慣れているらしい。

「熱いですから、気をつけてください」

「……うぬぅ、お主妾の事を少し子供扱いが過ぎんか? それくらい言われなくてもわかっておる」

 ジト目になって怒るイリスの視線に慌ててクリュウは謝る。相手は一国の長だ。ちょっとの失礼な事でも致命傷になりかねない為クリュウの慌てっぷりは相当なもの。だがイリスは「まぁ良い」と特に気にする事なく視線を肉に戻す。その振る舞いは実に大人という感じだ。

 クリュウが呆気に取られていると、イリスは一人渡されたこんがり肉にフゥフゥと息を吹きかけて食べようとしている部分を冷やしてから、大胆にかぶりついた。思いの外熱かったらしく口の中で肉を転がしながらほふほふと息を吸ったり吐いたりして冷ます。しばしそうしてから、ようやくよく噛んで味わい始める。そして、無言で咀嚼を繰り返した後、ゴクリとそれを胃の中に収めた。そして、緊張した面持ちでそれを見守っていたクリュウに向き直り、静かに口を開く。

「うむ。シンプルな味付けと料理法じゃが、むしろそれが素材の味を引き立てている。なかなかの美味、それもクセになる感じじゃな」

「そうなんですよ。僕も料理を作っている身なのでわかるんですけど、色々と試行錯誤して料理に挑戦しても、結局はこの一番シンプルな一品に戻ってしまうんです。このシンプルさが、結局は一番いいのかもしれませんね」

 料理とは素材に《加工》を行う事で、その可能性を広げるものだ。素材それぞれに個性があり、それを調味料や料理法で他の食材と組み合わせて、可能性を何倍にも広げる。だからこそ、同じ食材を使っても料理法によってそれはまるで異なるものになる。例えるなら、同じ食材を使っていても中核となる調味料が違えばそれはカレーにもなるしシチューにもなる。料理法が変わればビーフシチューも肉じゃがへと変貌してしまうものだ。

 そんな作り手の腕や知識によって左右される創作料理。だが万人が等しく作れ、そして最低限な味付けしかしないこの一品はそうした料理とは異なる。調味料を多用する料理は結果的に素材の味を生かし切れない事も多いが、この料理はむしろ素材の味をメインに据えている。

 普段、調味料の味付けになれているイリスにとっては、むしろこのシンプルさが新鮮で、何とも魅力的な味だったらしい。それはハンターを志した直後、学校でこの料理を知った際に抱いたクリュウの意識革命と同じだ。

「うむ、今度シェフに作らせてみるかのぉ……」

「たぶん、想像を絶する努力で宮廷料理人になった人だから、そんな事を言ったら泣いちゃうかもしれませんよ?」

「ぬははは、そうじゃなぁ。盛り合わせにサラダとスープくらいは求めんとのシェフの面目が丸潰れじゃ」

 おかしそうに笑う彼女の姿にはまさにイタズラを思いついた子供という感じだ。この娘が、一国の長だというのだから世の中わからないものだ。意識していないとつい忘れてしまいそうになる。敬語だって、本来クリュウは年上の人に向ける言葉であって、年下相手に使うというのはあまり慣れていないので余計にだ。

 しばし他愛のない雑談を交わしながら、クリュウとイリスはこんがり肉に齧り付く。きれいな星空の下、平民と女王が、焼いただけの肉を、ガツガツと頬張る。それは何ともおかしくて、なかなか拝めない光景だ。

「うむ、美味であったぞ」

「え? もう食べ終わったんですか?」

 それにもう一つ驚いた事は、イリスは華奢な体つきからは想像できない程に大食漢だった事だ。クリュウより少し後に食べ始めたはずなのに、クリュウが半分を食べ終えた頃には完食してしまっていた。

「……言うでないぞ。ここだけの話、妾は時々城を抜け出しては城下町に出ては下々の店に入って平民の食事を食べておる。城の料理とは違う、無骨な味付けとボリュームは最初こそ戸惑ったものじゃが、今ではむしろ城の料理より好きじゃ」

「へ、陛下? 陛下ともあろう人が勝手に城下町に出てはいけないのでは?」

「うむ。何度もジェイドに見つかってこっ酷く怒られたものじゃ。じゃが妾は諦めずに何度も脱走を繰り返した。今ではジェイドの目を掻い潜る術も覚えたからのぉ。むふふふ、あの自信過剰なジェイドの鼻をあかすのはどんな娯楽よりも面白く、心踊るものじゃ」

「……陛下って、意外と意地悪ですね?」

 つい反射的に、いつものクセで考えていた事がポロリと口から零れてしまう。慌てて口を塞ぐが時すでに遅し。イリスはしっかりとその言葉を聞いていて、ちょっぴり拗ねたように頬を唇を尖らせてツンとしてしまう。

「意地悪とは何じゃ。かごの中の鳥では一国を統治する事はできんのじゃよ」

「そう、なんですか?」

「当然じゃ。お主《百聞は一見に如かず》という東の諺(ことわざ)を知っておるか?」

「はい。百の事を聞くより、一度実際に見たものの方が信憑性のある、みたいな意味ですよね?」

「そうじゃ。妾はこう考えておる――百の書物を読むよりも、一人の民の言葉の方が重い。書物では知識でしか得られないが、実際に接する事で新たな発見があるものじゃ。紙の上の数字も重要じゃ。じゃが、実際に民が求めている声はその数字よりもずっと大切じゃ。妾には上がって来ないような、小さい、でも民にとっては重大な問題もそうしていれば知る事ができる。知る事ができれば、その対策も考えられる。「王とは支配者ではなく指導者」と妾が姉上が言っておった。指導する為には、そういった小さな事にも目を向けなくてはならん。だからこそ妾は城下町へと出向くのじゃ――妾が守るべき、妾の大切な赤子(せきし)達の姿をこの目に焼付ける為にのぉ」

 星空を見上げなら、静かにそう語るイリスの姿は子供だ。だが、その瞳や振る舞い、信念はまさに《王》。一国を、数百万の国民を束ねる王の責任と信念。彼女はそれを持ち合わせている。

 フリードリッヒに対しても感じた、自分とそう変わらない少女なのに、自分とは明らかに生きる覚悟が違う。抱いたのは尊敬の念だ。それはこの小さな少女王に対しても同じ。この小さな体に、不釣合いなくらいの重責を背負っている。でも彼女のすごい所は、それを決して重荷だと思う事はなく、むしろ自分に与えられた使命だと信じてその重責を正面から向かい合っている所だ。覚悟のない自分には決してできない、王の覚悟。

 自分よりも年下で小さな少女なのに、一国を背負っているイリス。クリュウはそんな彼女を心から尊敬した。

「……え? あれ、陛下は一人っ子ですよね?」

「あぁ、正確には姉代わりじゃな。エルバーフェルド現総統のフリードリッヒの事じゃよ。ローレライの悲劇を発端とした革命で国を追われた当時の国王夫妻はその後このアルトリアへと亡命しておって、姉上はその最中に生まれたのじゃ。妾が生まれてすぐに病死した両親の願いであった祖国再建の為に一人で国を出て、今ではエルバーフェルドの総統にまで上り詰めた。妾のように、王位継承権など使わず、実力で王座を奪い返したのじゃ。妾はそんな姉上を尊敬しておる。じゃから、大陸との友好関係の礎として同盟国をエルバーフェルドに選び、そして互いの国の繁栄を相互に助ける為に、形式的とはいえ妾と姉上は姉妹の契を結んだのじゃよ」

 国の長と国の長が互いの子供や親類縁者を相互に婚約や養子にする事によって、相互の国の強固な信頼関係を築く。古より続く国家運営の王道手段だ。時にはこのやり方は悲劇を生む事もあるが、イリスとフリードリッヒはそうした悲劇となうものとは違う。互いが互いの数少ない理解者であり、信頼し合っているからこそできる事。そして、その信頼を形にしたのが、二人の姉妹関係だ。

 そのせいか、二人は姿形も性格もまるで違うが、その信念を宿す強い瞳の輝きはよく似ている。

「でも、だからと言って陛下自ら城下町に出るのは危険なんじゃないですか?」

「まぁ危険も覚悟の上じゃ。何事においても命がけでなければ、それは片手間という程度に終わるからのぉ。それに、妾の他にも同じように城下町に出ては民の声を聞いていた王族もおったのじゃから、何も妾が初めてという訳ではない」

「そ、そうなんですか?」

 クリュウは何気なくそう尋ねているが、その内心は思わぬ形で向こうから欲しかった話題を振られた事で動揺していた。事実、どうやらイリスは騙せたらしいが恋姫達なら一発でバレてしまうくらい彼の声は、微かにだが震えていた。

「うむ。母君の姉上殿が生前の頃は、妾のようにこうしてよく城を抜け出していたらしい」

「聞きました。その人、亡くなったんですよね。お若いのに……」

「う、うぬ? そ、そうじゃ。惜しい人をなくしたものじゃ」

 一方イリスの方は明らかに動揺が見て取れた。どんなに大人に振舞っていても、こういう細かい部分ではまだまだ彼女は子供なのだ。逆にそういう部分で責めを仕掛けてみる自分は、むしろそういう意味では嫌な大人になったなぁと思わず苦笑が浮かぶ。

 そしてクリュウは内心彼女に対して今からする事に罪悪感を感じ、謝りながらも静かに――鎌をかけてみた。

「――そういえば、現在の王家の王紋旗は銀火竜に乗った騎士を模しているんですよね?」

「な、何じゃ突然? 確かに、妾と母君は銀火竜を模した王紋を受け継いでおるが……」

「以前金火竜は失われた王紋というのを聞きました。もしかして――そのお姉さんが死んでしまったから金火竜の王紋は失われてしまったんですか?」

 クリュウの問いかけに、イリスは目を丸くして驚く。だがすぐに動揺を隠し、平静を装う。その切り替えの速さはさすが女王といった所か――だが、その一瞬の隙がクリュウが求めていた何よりの確証だった。

「……お主、何を考えておるのじゃ?」

「いえ、母さんの故郷の事を必死になって調べた際に気になった事を聞いてみただけですよ。こっちにはエルバーフェルド政府と、その政府すらも動かせるレヴェリ家とのパイプがあるんですから」

 何とも自分らしくない嫌みたらしい言い方に、クリュウは内心反吐が出そうな思いだった。子供相手に何をこんな汚いやり口を使っているのか。でも、相手は子供でも一国の女王だ。平民の自分が彼女の前に立つ為には、これくらいの汚さがないとやってはいられない。

 しばしの沈黙。ジッとこちらの思惑を推し量るように見詰めていたイリスはしかし静かにため息を零すと、肯定するようにうなずき「その通りじゃ」と素直に認めた。

「妾の祖母、シェレス・アルトリア・フランチェスカには二人の娘がいた。姉には金火竜の紋章を、妹には銀火竜の紋章をそれぞれ王紋――その頃はまだ姉妹紋じゃったが――として授けたのじゃ。じゃが姉君は病で倒れ、亡くなった。王位は妹にして妾の母、ロレーヌ・アルトリア・ティターニアへと継承され、以後親子二代に渡って銀火竜の紋章が王族の象徴とする王紋旗とされておる。その後金火竜の紋章は母上の政に反対する者達の象徴紋となった。「姉君の方ならこんな政治はしない」という皮肉を込めてな。母上はそんな自分に反対し、愛していた姉を侮辱されるような行いをする連中を片っ端から弾圧した。今では妾の政治は比較的穏やかな為、そういった反対運動は少ない。じゃが今でも警察や軍は反対勢力の象徴となりかねない金火竜の紋章を国家転覆の象徴として法律で使用を禁止しておる。じゃから、正確には失われた王紋というよりは禁断の王紋と言うべきじゃな」

 イリスはクリュウが食後に用意したお茶を一口飲み、長話で乾いた喉を潤す。彼女にしてみれば安物の茶葉のお茶のはずだが、イリスは何も言う事なくそれを無言で飲む。クリュウは自分の為にあまり口にしたくはない話をしてくれて、しかも安物のお茶にも文句を言わない彼女の懐の広さに心から感謝した。だから、彼女がお茶を飲み終えると同時に「わざわざお話ししていただき、ありがとうございました」と礼を言ったのは、本当に反射的であった。

「良い。妾も好奇心には逆らえん人間じゃからな。気になったら夜も眠れなくなる気持ちはわかる。じゃが、これはあまり口にしていい話題ではないから、くれぐれも軽はずみにしゃべらんようにな」

「わかりました。それと陛下、最後に一つだけお願いがあるのですが……」

「……別に構わんが。その代わり、妾もお主に頼み事ができた。その交換条件でどうじゃ?」

 試すような物言いで言う彼女の言葉に、クリュウは一瞬気後れする。が、どのような条件が提示されるかはわからないが、向こうがここまでこちらに譲歩してくれているのだ。こちらは多少の無理程度ならその交換条件を引き受ける覚悟でいた。だからこそ、クリュウは静かに頷く。

「よろしい。では、まずお主の願いとやらは何じゃ?」

「はい。失礼ですが陛下。陛下は銀火竜の紋章を象ったペンダントをお持ちだと聞きました。それを、見せてはもらえませんか?」

「うん? うぬぅ、これは王位継承の証じゃから、母上からも決して自分の信頼のおける人間以外には見せるなと言われておるのじゃが――まぁ、なぜじゃかお主は信頼できる気がする。良かろう、特別に見せてやろう」

「あ、ありがとうございますッ」

 クリュウは大喜びしながら何度も年下の少女相手に礼を述べ、頭を下げる。そんな彼の姿を見て「そういちいち頭を下げるでない。首が疲れるじゃろうが」と彼を気遣う。本当に女王としても人間としてもイリスは素晴らしい娘だ。

 イリスは早速胸元までボタンをしめているローブのボタンを全て外す。すると、下は最初見た時に比べれば簡素ではあるが、それでも女王らしくドレス姿であった。簡素な上に動きやすさを追求したのか、スカートも昼間のものは床に着く寸前くらいまでに長かったが、今は膝程の長さしかない為、彼女の白くて細い足が眩しい程によく見える。

 純白のフリルがたくさんついた可愛らしいデザインのドレス。イリスはそのふわふわとした胸元に躊躇いなく腕を突っ込む。その動作に一瞬クリュウは慌てて視線を外すが、すぐにその腕は引き抜かれた。そして、その手には確かに銀色のペンダントが握られていた。

「これが妾の王紋にして王位継承の証――銀火竜のペンダントじゃ」

 そう言って彼女が見せてくれたのは銀色のチェーンに吊るされた、王冠を被った銀火竜に一人の騎士が跨って戦場を翔ける姿を模した銀製のペンダントであった。デザインは、見れば見る程に母の形見によく似ていた――そしてこの瞬間、クリュウの中にあった可能性は確信へと姿を変えたのだった。

「……ありがとうございました」

「うむ。じゃが、こんなのを見てどうするのじゃ?」

「今はまだ言えませんが、そのうちに僕から言わせていただきます」

「うぬ? そうか、まぁ良い。では交換条件で、妾からの頼みを言おうかのぉ」

「あ、あの。今更ですが僕に出来る範囲でお願いしますね?」

 ここで「何でも任せてください」と言えないのが彼の弱気ぷっりであり素直な所だろう。イリスも無茶を言う気はないらしく「何もお主に無茶難題を言う訳じゃない。ちぃと頼み事を頼まれてほしいだけじゃ」と彼の不安を和らげるような物言いをする。

「そ、そうですか? なら、どのようなご用件で?」

「うむ。元々の予定にお主を参加させたいだけじゃ。要するに――これから妾と共に城下町へ行く。これが頼み事じゃ」

 あまりにも予想外な交換条件に呆気に取られるクリュウを見ながら、イリスは一人ニコリと楽しげに微笑んだ。それはまさらに、面白い事を思いついた子供の、純粋なキラキラとした笑顔であった。


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