モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第172話 軍事大国の無邪気な少女王 紐解かれる真実の物語

 玉座の前に威風堂々と立ち塞ぎ、自信に満ち溢れた瞳と表情で君臨するアルトリア王政軍国女王、イリス・アルトリア・フランチェスカ。その高貴な血筋を証明するかのように整った顔立ちはまだ幼いながらも、光り輝く瞳には王としての意志が静かに燃え宿っている。

 目的のある人物というのは美しいと言うが、彼女もまた自分の王としての責務に自信と、そして使命感を抱いている。その誇りや自信が、彼女を眩く輝かせているのだろう。

 普通の人とは違う、王としての輝き。それを目の前にして、フィーリア達は改めて彼女が王なのだと認識する。称号や役職ではなく、真に心からそう決意しているからこその輝き。人の上に立つ者としての覚悟を抱いた、一人の少女王の姿がそこにあった。

 王としての輝きを放つ彼女の姿に見惚れるフィーリア達の中、クリュウは一人そんな彼女の姿を動じずに見詰めていた。まるで、彼女の姿を目に焼き付けるように。一秒たりとも視線を逸らさず、一瞬足りとも瞬きもせずに。

 威風堂々と立ったイリスは自分を見詰めて呆けている客人達の姿を見て自信満々な笑みを浮かべ続ける。が、その視線がクリュウを捉えると変わる。ジッとこちらを見詰めたまま微動だしない彼の視線。なぜか、その視線に熱いものを感じ、見られているという事が急に恥ずかしくなってしまう。それはそのまま頬の赤みとして表情に出た。

「な、何じゃ。そのように見詰められると、妾も困るのじゃが……」

「え? あ、すみませんッ」

 困ったような笑顔に変わったイリスの言葉に、クリュウは自分が彼女に対して実に失礼な行いをしていた事に気づき、慌てて視線を外して謝る。すると、そんな彼の脇腹を少し強めに小突く者がいた――サクラだ。

「な、何?」

「……知らない」

 特に痛い訳ではないが、突然小突かれた事で当然彼女の方へ向いて理由を尋ねるも、なぜかサクラは不貞腐れたように唇を尖らせてそっぽを向いてしまう。クリュウが何だろうと首を傾げていると、ジェイドの咳払いで慌てて視線を前に戻す。その瞬間、そっぽを向いていたサクラは彼の反応を見て不満げにぷくぅと頬を膨らませる。その姿はちょっと可愛らしいのだが、今はそれを見ている余裕はクリュウにないのが残念だ。

 直接は怒られた訳ではないが、それでもジェイドの咳払いで気まずくなったクリュウは顔を下げてしまう。だが、

「少年。人に対して顔を背けるというのは失礼ではないか?」

 イリスの言葉にまたしても慌てて顔を上げる。別にこれも怒られた訳でも責められた訳でもない。ただ直したらいい所を注意されただけだ。それでも、緊張でいっぱいいっぱいのクリュウにとっては心臓が潰れるかもというくらいの一撃にはなる。

 誰が見ても極度に緊張しているクリュウ。その様子に呆れつつ、アリアが助け舟を出そうとした時、思わぬ人物が動いた。

「そのように緊張するな。見ての通り、妾はお主よりも年少じゃ。怖くもなかろう?」

 そう言って微笑んだのはイリスだった。怖がるな、と言いたげにそれまでしていた女王としての仮面を捨て、今度は一人の少女としての笑顔で彼を出迎える。それは本当に人の事を想っている者ができる、屈託の無い笑顔。その笑顔を見て、クリュウも少しだけ緊張が緩んだ。

 それだけの力が、彼女の笑顔にはあった。優しさに溢れた、人を心から温めてくれる、屈託の無い純粋な笑み。人の為に全力で頑張れるからこそ輝く、見る者全てに勇気を与える温かな笑顔だ――だが同時に、彼以外の人間にはある既視感(デジャブ)を抱かせた。

「……あの笑顔」

「何だか……」

「クリュウ様に……」

「似て、るわね……」

 恋姫達はそんな彼女の笑顔と自分の想い人の笑顔に共通点を感じていた。笑顔の雰囲気もさることながら、よく見ればどことなくクリュウの顔立ちにイリスは似ている。それが、恋姫達を多少なりとも困惑させていた。他人の空似とかで片付ける事も可能だし、普通はそういう思考に至る。だが、彼女達の乙女としての勘が、それを否定していた。

 訝しげにイリスを見詰める恋姫達を背中に、クリュウもまたイリスをジッと見詰めていた。彼もまた、彼女の顔立ちを見て何かの確信を得たのか。先程よりも表情が険しくなっていた。

「クリュウ、何をそんな怖い顔をしていますの?」

 正面に立つアリアはそんな彼の表情にいち早く気付いていた。その言葉にフィーリア達、イリスやジェイドも彼に注目するが、その頃には彼の表情はいつも通りのものに変わっていた――否、いつも通りを装っていたのだ。

「何でもないよ。ちょっと考え事をしてただけ」

「おいおい、女王陛下の前で考え事たぁ肝が据わってんじゃねぇか」

 呆れ半分面白半分という感じで言うシグマの言葉に「そういう訳じゃないんだけどね」といつも通りの苦笑と共にそう返すクリュウ。その横顔にはすでに先程あったような厳しいものは消えていた。

「それより、お前らもさっさと名乗れ。女王様に名乗らせておいて、テメェらが名乗らねぇってのは筋が通んないじゃねぇか?」

 シグマのもっともなセリフにクリュウはうなずくと、無言で振り返ってシルフィードを見やる。その視線で彼の考えを汲み取ったシルフィードは小さく肩を竦めると、ゆっくりと折っていた膝を上げて立ち上がり、その場で見事な一礼をしてみせる。男装をしたかっこいい出で立ちの彼女がそうすると、まるで貴公子のような振る舞いに見える。事実、玉座の左右に数人いるメイド達からため息が一斉に零れた。

 まず最年長のシルフィードが先陣を切って名乗ると、それに続く形で優雅な振る舞いと共にフィーリアが名乗り、緊張した様子でエレナが、憮然とした態度と共にサクラもそれぞれ名を名乗る。そして、最後に――

「――クリュウ・フランチェスカです」

 クリュウ・ルナリーフは――クリュウ・フランチェスカと名乗った。

「フランチェスカ……?」

 クリュウの名乗った姓に、イリスが首を傾げた。ジェイドも何か引っ掛かりを感じてはいるものの、特に何も言わずに無言を貫いている。一方、彼が本名を名乗らなかった事に対して彼の本名を知る全員が驚愕や戸惑いなどの反応を見せる。だが、誰もその疑問を口にはしなかった――クリュウの真剣な横顔が、それを許さなかったのだ。

「フランチェスカ……大陸では普通の姓として使われているのか。何だか妙な気分じゃの」

 そう言って、でもどこか楽しげに言うのはイリス。彼女曰くアルトリアの古い言葉で《フランチェスカ》は第一王女という意味を持つ。その為アルトリアでは第一王位継承権を持つ長女、ひいては女王にのみ授けられるミドルネームのようなものらしい。

「妾もフランチェスカを名乗る者。良い、そなたの事は名で呼ぼう――構わぬか、クリュウ」

「構いません。僕もそっちで呼ばれる方が慣れていますので」

 クリュウはなぜか一切の感情を面に出す事なく、事務的に答える。いつも喜怒哀楽が激しく表情がコロコロと変わる彼らしくない態度に、フィーリア達は妙な不安感を抱きながら彼を無言で見詰める。

「聞けばクリュウ。お主は亡くなった母がこの国出身であると考え、我が国を訪れたと聞く。これも何かの縁じゃ、妾達もできる限りの協力をしよう」

「ありがとうございます」

「……その代わり――大陸での話を妾に存分に聞かせるのじゃ」

 それまで表情を引き締めて硬い態度で接していたクリュウは、そんな彼女の突然の言葉に思わずその仮面が外れてしまった。ぽかんと、呆けたような表情で無様に玉座を見上げる。それは他の面々も同じだったのか、それまでクリュウを凝視していた面々も一斉に同じような表情で彼女を見上げる。そんな彼らの視線に対して、イリスはニッとイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「なぁに、妾はこの城からあまり出られん身。城下町の事は小耳に挟む事はできても、さすがに大陸話となればまるで耳には入らん。我が国と文化も生活形式も違う土地の話、好奇心が疼(うず)くではないか」

 それはまるで、面白い事を見つけた子供のようにキラキラとした瞳だった。それを見て、改めて自分達の前にいるのが自分達よりも幼い少女だと思い出す。女王という責務と負っていても、その実はまだまだ少女。好奇心は実に旺盛らしい。

「陛下。あまりお戯れは……」

「良い。妾は政務で忙しい日々を送っておるのじゃ。これくらいのわがままは許せ」

「は、はぁ……」

 堂々とした物言いで補佐官であるはずのジェイドを黙らせると、イリスは何と玉座から離れて階段を降りる。そして跪いているクリュウの前に立つと、同じ視線にまでしゃがみ込む。ドレスの裾が見事に床に投げ出されるが、このお転婆女王は気にもしないらしい。

 キラキラとした瞳を輝かせながら、イリスはクリュウと至近距離で向かい合い、屈託の無い笑みを浮かべた。

「それ、早う面白い事を話せクリュウ」

 

 結局、クリュウ達――主にクリュウだが――が解放されたのはそれから一時間後の事だった。クリュウ達が話す何気ない事でも、イリスにとっては新鮮な話題だったらしく、根掘り葉掘りキラキラとした瞳で聞き出された。

 一時間程してジェイドが「陛下、そろそろ」と切り出すと、イリスは「うむぅ……、ここからが面白いのにのぉ……」と不満を漏らしつつも、そこは一国の長。公私混同はせず、「仕方ないのぉ」と話を切り上げた。

 そしてクリュウ達は女王の間を出され、クリュウ達とイリス女王の初顔合せは終わった。

 

「あんた、何で偽名なんて名乗ったのよ」

 女王の間から出たクリュウに開口一番にそう尋ねたのはエレナだった。疑問を抱いたら迷わず尋ねる所は実に彼女らしい。しかもその疑念は皆の共通意識だったらしく、誰もがクリュウに視線を集中させて彼の言葉を待った。

 皆の視線を一身に受けながら、クリュウは静かに首を横に振った。

「……ちょっと、考えがあって」

「何よ考えって」

「それは、まだ言えない……ごめん」

「はぁ? 何よそれ。いい加減隠し事は――」

「エレナ、あまり彼を責めるな」

 語気を荒らげて突っ掛かるエレナの肩を持ってシルフィードは彼女を止める。だがずっと彼に隠し事をされているのが気に入らないエレナはその程度じゃ気が済まない。

「放してよシルフィードッ。あんた、こんな所まで来てもまだこいつに隠し事をされていて、悔しくない訳ッ!?」

「悔しいとか悔しくないとか、そういう問題ではない。彼が話したくない事を、無理に聞き出すつもりもない。彼は何か考えがあって行動している。それを邪魔する権利は私にはない。それだけさ」

「……あんた、前から思ってたけど冷め過ぎなんじゃないの?」

「どういう意味だ?」

「クリュウの事を仲間仲間って言ってるくせに、いつも冷めたような態度。あんた、本当にあいつの事を仲間とかって思ってる訳?」

「……何だと?」

 エレナの挑発するような物言いに、シルフィードが珍しく眉を吊り上げて対峙する。こんな安っぽい挑発なら、シルフィードは普通は無視していただろう。だが例え安っぽくても、仲間(クリュウ)との絆を汚されるような発言だけは看過できなかったのだ。例えそれがエレナ相手でも、だ。

 珍しい組み合わせで睨み合う両者の間に慌てて割って入ったのはフィーリアだ。二人を引き離すと「ケンカはやめてくださいッ。シルフィード様は少し落ち着いてください。エレナ様もですッ」と二人それぞれを注意する。そんな彼女の言動にシルフィードは少し冷静さを取り戻したらしく「す、すまない」と素直に謝る。が、エレナはそれでも怒りを収められずにいた。

「フィーリアはどう思ってる訳? こいつに隠し事をされてて平気な訳?」

「そ、それは……」

 フィーリアだって、クリュウに隠し事をされているのは快いとは思っていない。エレナと同じように、彼に隠し事をされている事には腹立たしいまではいかなくても不満は感じている。だからといって彼女のように彼を責め立てたり追求しようという気持ちにはなれない。ちょうどシルフィードとエレナの間という立ち位置だからこそ、エレナの問いに答えられずにいた。彼女の気持ちもまた、わかるからだ。

「……いい加減にしてエレナ。見苦しいわ」

「何ですってッ!?」

 シルフィードと同じく冷静な声で彼女を止めるのはサクラ。だがサクラはシルフィードのように優しくはない。一人で勝手に熱くなる彼女を、蔑むような目で睨みながら彼女の愚行を吐き捨てる。だがそんな物言いはエレナの怒りの炎に油を撒く事にしかならない事というのは、サクラだって重々わかっているはず。エレナとはこの面子の中ではクリュウに次いで長い付き合いなのだから。

 睨み合う両者。フィーリアは止めなければとは思いつつも、二人の睨み合いに萎縮してしまって動けずにいる。一方的に敵視するエレナに対して、サクラは同じく止めなければとは思っていても自分が原因だとわかっている為動けずにいるクリュウを一瞥すると、恥ずかしがる事もなく堂々と言ってのけた。

「……私はクリュウを信じてるから、何も言わないわ」

 フィーリアの時と同じく、クリュウを信じているからこそ何も言わずについて行くと断言するサクラ。そんな彼女の鋭い隻眼と決意にエレナは言葉に詰まった。あまりにも堂々と言ってのける彼女のセリフに、押し黙らされたのだ。それを見て、サクラはトドメとばかりに畳み掛ける。

「……見苦しく騒ぐ貴様の方が、クリュウの事を仲間と思っていないわね」

「そ、そんな事……ッ」

 ない、と言い切れなかった。有無を言わせぬ迫力で彼女の歯切れの悪い意見をサクラは静かに黙殺すると、言いたい事は全て言ったとばかりに反転する。だが、それはまるで勝利者の背中のようで、敗者の烙印を押されたエレナはただただ悔しげにその背中を見詰める事しかできない。

 エレナが黙ると、自然と五人の間には気まずい沈黙が流れた。数分にも思えるような重い沈黙だが、実際は十秒と経っていない。それを打破したのは当のクリュウ本人だった。

「その、ごめん……」

「謝るくらいなら隠し事なんかするんじゃないわよ、バカ……」

「ご、ごめん……」

 エレナもバツが悪いのか複雑そうな表情のまま謝るクリュウに目を合わせられず、仕方なくそっぽを向く。クリュウもそれが彼女からの拒否だと思い黙り、必然的に二人の間には何とも気まずい沈黙が降りた。そんな二人の間にため息を吐きながら入ったのはシルフィードだ。

「クリュウ。君にも君の考えがあって動いているんだろう? だがそれはずっと隠し通すつもりなのか?」

「そんな事はないよ。ちゃんとみんなにも話す……けど、まだ僕の中でも整理がついてないから、今はまだ話せない」

「……という訳だエレナ。まだ時期尚早なだけで、いずれは話すとの事だ」

「で、でも……」

「――どんなに美味なワインも、早熟では味気ないものになるだろう? 時が来れば彼の方から話してくれると言っているんだ。今は彼の自由にやらせてやれ」

 まるで駄々をこねる子供を諭すかのように優しく語り掛けるように言う彼女の言葉にエレナは渋々という感じでうなずいた。本当は今すぐにでもクリュウをとっちめて聞き出したいが、シルフィード相手では論破はもちろん力技も通じないとわかっている。要するに、駄々をこねても無駄だとわかっているのだ。

 不満げに鼻を鳴らしてそっぽを向く彼女を見て、クリュウは声を掛けようとするがそれをシルフィードに制される。

「今は何も言うな。余計な気遣いは言い訳にしか見えん」

「でも……」

「彼女の為を思うなら、余計な事は考えずにその考えとやらに集中してできるだけ早く片を付けろ」

 余計な気遣いをするなという彼女の忠告にうなずきつつも、少し違和感を感じたクリュウ。何となく、シルフィードの語尾がキツイような気がしたのだ。不満そうなエレナの肩を叩いて歩き出すシルフィードの背中を訝しげに見詰めていると、ちょんちょんと背中を叩かれた。振り返るとそこにはフィーリアが立っている。

「フィーリア?」

「……シルフィード様も口ではああ言っていますが、やはりクリュウ様に隠し事をされているのはあまり快いものではないようですね」

 フィーリアの指摘でクリュウの中で疑問が解決した。どうやら冷静を装いつつも、その内心ではシルフィードも若干は怒っているらしい。そう思うと、自然と表情は曇る。だがそんな彼の肩をポンと叩く者がいた――サクラだ。

「……気にしないで。過程が無駄とは言わないけど、結局は結果が全て。見返してやればいい」

「サクラの意見は極論だけど……うん、とにかく早く決着はつけるつもり」

「その意気ですッ」

 エレナとシルフィードに怒られ、フィーリアとサクラに背中を叩かれ、クリュウの中で迷いは消えた。とにかく今は早急に自分の中にある考えに決着をつける――これ以上二人を失望させないように、これ以上二人に心配させないように。

 

「あのさ、ちょっと訊きたい事があるんだけど」

「な、何かしら……ッ!?」

 女王の間を去ってから一時間後、クリュウは城内でアリアの姿を見つけると駆け寄って早速声を掛けた。突然声を掛けてしまったのでかなり驚いたのは申し訳ないが、それでも真摯に疑問に答えようとするアリアはやはり面倒見がいい娘なのだろう。

「その、立ち話も何だから……私の部屋に来ます?」

「アリアの部屋? でもここって……」

「何かと城に出入りする事が多いから、そのうち陛下が大変だろうと気遣ってくださって部屋を宛てがわれてますの。実家の方に比べれば質素ですけど、平民を招待するくらいなら十分な調度品が揃ってますわよ?」

 なぜか自信満々に言うアリアだったが、すぐに自分が彼をバカにしたような言い方をした事に気づいて狼狽する。が、そこはクリュウ。その程度は特に気にする事もなく「そっか。じゃあ長くなるかもしれないから、お邪魔してもいいかな?」と貴公子スマイル。それだけでアリアの顔は熟れたシモフリトマトのように真っ赤に染まる。

「か、構いませんわよ。あまりいいお茶菓子なんかご用意できませんけど」

「別にお構いなく。じゃあ行こうか」

 思わぬ形でクリュウと二人っきりという環境が整ったアリアは平然を装ってはいるが、実際は嬉しさと戸惑いが両立するというおかしな気分を味わっている。何とも心地良い板挟みだ。

 そんな訳で急遽アリアの部屋へ行く事になった二人。緊張した様子で彼を扇動するアリアの後ろに続きながら、クリュウはそんな妙に動きがぎこちないアリアの姿に首を傾げる。そうこうしていると目的の部屋に到着した。元々利便性を重視した場所にあった部屋を宛てがわれただけあって、意外にもあっさりと着いた。

「ちょ、ちょっと待ってなさい」

 いざ部屋へ入ろうとした時、アリアは突然そう言って進もうとするクリュウを制した。当然、すぐに部屋に入れるものだと思っていたクリュウは不思議そうに首を傾げる。

「どうしたのさ?」

「そ、その、ちょっと散らかってるから片付けたいの。五分でいいから、待ってなさい」

「え? 僕は別に散らかってても気にしないけど……」

「あなたがしなくても私がするんですのッ。本当にあなたはデリカシーがなさ過ぎますッ!」

「……よく、言われる」

「とにかくッ、準備ができたら呼ぶから、あなたはそこで待っていてください」

 返答の余地もなく決定事項を述べるようにそう言い残し、アリアは一人先に部屋へと入ってしまう。残されたクリュウは仕方なく彼女が部屋の掃除を終えるのを待つ事にする。まぁ、女子が多い環境にいる為か何かと女子は準備に時間が掛かる為、ある意味待ち慣れしている彼からすればこれくらい造作も無いのだが。ちなみに彼が背を預けている壁の向こうではアリアが全速力で片付けをしている。特筆して散らかっている訳ではないが、それでも生活感がある。要するに下着などが普通に置かれていたりするので、それを片っ端から片付けているのだ。

 時間にして五分後。有言実行を果たしたアリアは息を切らせながらドアを開くと「い、いいですわよ」と彼を招き入れる。招待されたクリュウは「お邪魔しまぁす」と社交辞令的に言って部屋へと入る。

 部屋の中は、まぁ普通の部屋という感じだ。絵画や家具など高そうな物が置かれてはいるが、結構スッキリとしている。一見すると生活感が感じられないが、細かく見れば化粧台の上には化粧品がきれいに並べられていたり、机の本棚には勉強に使うであろう書物が置かれていたりと、ちゃんと生活感は見て取れる。

 だが、どちらかと言えばサクラやシルフィードの部屋に近い感じの部屋だ。要するに、必要最低限なものだけを置いた、あくまで休む事を軸にした、フィーリアのような癒しを求めるのとはまた違った部屋作り。ちなみにフィーリアの部屋には所々に女の子らしくぬいぐるみが置かれていたりする。特にお気に入りなのはかわいくデフォルメされたリオレイアのぬいぐるみ。彼女曰く珍しい品で手に入れるのに苦労したそうで、部屋で寝る時はいつもこれを抱いて寝ているらしい。

 そういう意味では、ちょっとアリアの部屋は女の子らしくはない。それでも女の子の部屋特有の甘い匂いは漂っていて、それだけで純情少年クリュウはクラクラしてしまう。

「紅茶でよろしくて?」

「あ、うん。別に気を遣わなくても大丈夫だよ」

「客人にお茶の一つも出さないなんて、アルトリア人として恥ですわ」

 エルバーフェルドも紅茶文化が根付いているが、アルトリア程ではない。アルトリア人は何よりもティータイムとお茶菓子を大切にする文化を持っており、お茶の淹れ方にも厳しい。礼儀=紅茶という方程式が成り立つ程だ。当然アルトリア人であるアリアもまた紅茶にはうるさい。レヴェリ産のチューリップティーを持って来ればどんなに喜んだ事か。もったいない事をしたなぁとクリュウはちょっと後悔。

 勧められた椅子に腰掛けて待っている間、クリュウは部屋の中を見回しながら《女の子の部屋》がどんなものなのかを観察する。まぁ、そういう目的ならフィーリアの部屋が一番しっくり来るのだが。

「あ、あまりジロジロと人の部屋を見ないでくださる?」

「え? あ、ごめん」

 確かに人に部屋をジロジロと見られるのはいい気分はしない。クリュウは謝って素直に視線を前に固定する。その先にはお茶の用意を終えたアリアがティーセットを持って戻って来るのが見えた。

「急な事だったから、簡単なお茶菓子しか用意出来なかったけど、いいですわよね?」

「お気遣いなく」

 ティーセットをテーブルの上に静かに置き、自身も彼の対面の席に腰掛ける。慣れた手つきでティーポットからカップへ紅茶を淹れ、彼の前に差し出す。

「砂糖やレモンはいるかしら?」

「ううん、最初の一口は何も淹れないんだ。何かを加えるのは最初の味を味わった後だよ」

「あら、何だか通な人の意見ですわね。驚きましたわ」

「いや、エレナがその辺にうるさくてさ。自然に」

「……そうですの」

 彼の通な意見を驚きつつもどこか嬉しそうに聞いていたアリアだったが、彼の口から女の子の名前が出た途端に表情はちょっと不機嫌そうなものに変わる。せっかくの二人っきりなのに、他の女の子の話や名前は聞きたくない。可愛らしい乙女の恋心だ。

 クリュウは突然表情を変えた彼女の様子を訝しげに見ていたが、香る紅茶の匂いにつられて視線は下に下がる。その先にあるティーカップを掴み、香る匂いを一回楽しんだ後に口に含む。この飲み方もエレナに叩き込まれたものだ。

「どうかしら?」

「うぅん……やっぱり砂糖入れるね」

「……相変わらず甘党なのですわね」

「甘党って訳じゃないんだけど、コーヒーも紅茶も砂糖を入れないと飲めないだけだよ」

「子供ですわね」

「うるさいな」

 一年の間にずいぶんと遠くに行ってしまったような気がしていた彼の、あの頃から変わっていない所を見つけて思わずアリアはくすくすと微笑んでしまう。昔から大人びているんだか子どもっぽいんだかわからない相手だったが、それもあの頃とはまるで変わっていないらしい。それがわかっただけで、つい嬉しくなってしまう。

「な、何さ?」

「別に。やっぱりクリュウは変わっていませんわね」

「……男としては、それってあまり嬉しくないんだけど」

「あら、じゃあ前よりかわいくなったと言えばよろしくて?」

「……怒るよ?」

「うふふ、冗談ですわよ。冗談」

 不機嫌な表情から一転して今度はご機嫌な彼女の姿にクリュウは戸惑う。一体何が彼女の表情をコロコロと変えているのか。不思議そうにしていると、角砂糖が詰まったビンを手渡される。礼を言って受け取ると、中の角砂糖を二つ入れる。温かい紅茶に入った角砂糖はすぐに溶け、姿を消した。それを見届けてからスプーンで軽くかき混ぜ、口に含む。すると、途端にさっきまでは苦味しかかんじなかった紅茶が自分好みの甘い飲み物に変わる。

「うん、おいしい」

「……何だか、紅茶じゃなくて角砂糖を褒められたみたいでいい気分しませんわね」

「そ、そんな事ないよッ。砂糖はあくまで引き立て役であって、主役は紅茶だよッ」

「何だかウソっぽい言い方ですわね」

「ほ、本当だってばッ!」

 気を悪くさせないように必死になって紅茶を褒めたと言う彼の姿をジッと見ていたアリアだったが、我慢できなくなったらしくプッと吹いて笑い出す。その途端、クリュウは「え?」と間抜けな表情に代わり、それが余計にアリアをおかしくさせる。

「あははは、何を必死になってますの? 格好悪いですわね」

「な……ッ!? ひ、人が一生懸命だってのに何で笑うのさッ!」

「その一生懸命さが滑稽だと言ってますの。たかが紅茶じゃないですの」

「だ、だって――アリアが前に紅茶をバカにするのは絶対に許さないって言ってたから……」

 目に涙を浮かべておかしそうに笑っていたアリアだったが、クリュウの最後の消えそうになる小さな声を聞いた途端笑いが引っ込んでしまった。

 彼が口にしたのは、自分と彼がまだ出会って間もない頃。彼が自分の参謀役になって日が浅いある日、クラスで集めたアンケートの集計が一段落した時に紅茶をご馳走した時――そういえばあの時も彼はまず一口紅茶を飲んでから砂糖を入れてたっけ――に彼が何気なしに言った「紅茶って結局違いなんてわかんないよね」の一言。これにあの時の自分は激昂し、まだ仕事の途中だったのに帰ってしまった事があった。その時に彼に怒鳴ったのが――「紅茶をバカにする人間は人間としてのクズですわッ! 許しがたい侮辱ですッ!」だ。

 あの後、結局彼は自分一人で全ての仕事を終えて、翌日その集計結果を渡す際に何度も頭を下げて謝った。一夜明け、自分も紅茶に詳しくない人間相手に憤慨した事を反省し、自分も謝った。

 今にして思えば、後に好きになった相手に怒鳴り散らしたという赤面ものの恥ずかしくて忘れたい記憶だ。だが彼はそれをちゃんと覚えていて、こうして今にその教訓を用いている――恥ずかしいが、でも自分の言った事を忘れないでくれていた彼の言葉に、嬉しくなってしまう自分もいる。どうすればいいのか、二つの意味で顔は真っ赤だ。

「アリア?」

「な、何でもありませんわッ」

 妙な沈黙にクリュウが訝しげに彼女の顔を覗き込むようにして声を掛けると、突然彼の顔が目の前に現れた事にアリアは驚愕し、慌てて彼の顔を押し戻す。

「そ、それで私に用とは一体どのようなご用件なんですの?」

 狼狽している事を隠すように一度咳払いしてアリアは無理やり話を本来の路線に戻す。かなり無理のある流れだが、クリュウはあまり気にせず彼女の疑問に一度うなずくと、自分好みの甘さに変わった紅茶を一口飲んで彼女に付き合ってもらった本来の話を切り出した。

「前女王、ロレーヌ・アルトリア・ティターニア陛下についてなんだけど……」

「先代女王陛下?」

 クリュウの口から飛び出したのはアリアが予想していたどんな話題よりも突拍子がなかった。何せ彼とロレーヌを結びつける線がわからなかったし、そもそも平民と一国の女王とが結ばるとも思えない。アリアが不思議そうに首を傾げると、クリュウは話の続きを持ち出す。

「その、《ティターニア》ってどういう意味?」

「なぜそんな事を?」

「あ、うん。大した事じゃないんだけど、さっき陛下が《フランチェスカ》は第一王女の意味を持つって言ってたから。そうするとロレーヌ陛下のミドルネームはおかしいかなって」

 クリュウが口にした疑問。アリアはようやくその意図が理解できたらしくうなずいた。彼は昔から妙に好奇心が強く、よく気が付き、気になるとそれを解決しないと気がすまない質だ――その気を半分でもいいから恋愛面に回せば自分はこんなに苦労しなくて済むのに、とアリアが内心ため息を零しながら思ったのは言うまでもないだろう。

「アリア?」

「何でもありませんわ。えっと、《ティターニア》というのは古いアルトリア語で第二王女という意味を持ちますわ」

「第二王女?」

「えぇ。先々代女王シェレス・アルトリア・フランチェスカ陛下には二人の娘がいたそうですの。その次女が、ロレーヌ陛下ですわ」

 アリアの説明にクリュウは納得したようにうなずいた。ロレーヌがなぜミドルネームが他とは違っていたのか。その疑問は彼女が第二王女、次女だからという簡単な理由だったのだ。だがこの疑問が解決すると、今度はまた別の疑念が浮かぶ。

「第二王女……王位継承って普通年上の兄弟から引き継ぐものだよね?」

「そうとも限りませんわ。確かに形式的にはどの王国も長男長女が王位継承権第一位ですけど、その人物が王に相応しくないと烙印が押されれば、第二位以降の王位継承権を持つ者が王位を継承する事もありますわ。まぁこれは一位の者が病で王としての仕事ができない。もしくは王位を継承する前、もしくは継承後に崩御された場合など、特異な場合のみに当てはまるので普通は継承権の順位が優先されて継承されますわね」

「という事は、ロレーヌ陛下のお姉さんは病で女王の仕事ができなかったって事?」

 彼女の話から考えると、そう考え至るのが普通だろう。第一王女は病の為に王位を継承できなかった。もしくはすでに亡くなっているので王位継承が無効化となった。そう考えるのが妥当だ。

 だがクリュウの問い掛けに対してアリアは妙な表情を見せた。何というか、言うか言うまいか迷っている。何か密告しようとしている子供の葛藤する姿を思わせる、微妙な態度。

「アリア? どうしたの?」

「……友人ですから特別に話しますけど、他言は無用でお願いしますわね。本当は一部の人間しか知らない、あまり口外してはならない話ですから」

 なぜか自分の部屋なのに周りをキョロキョロと警戒しながら小声で言う彼女の言葉にクリュウは面くらうが、すぐに無言でうなずいた。それを見て決心がついたのか、アリアはそっとその特別な話を口にする。

「その、ロレーヌ陛下の姉君は――とある兵士と駆け落ちなされたんですの」

「……はぁ?」

 それはクリュウが予想していたどんな話題よりも突拍子がないものであった。


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