モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第167話 想いの込もった夜食 凛々しき戦姫の儚き素顔

「うわぁ……、速いですねぇ」

「エルバーフェルドの哨戒艦よりだいぶ速いな。この大きさでこの速度とは、技術力に雲泥の差があるという事だな」

 下層艦橋の一室に案内されたクリュウ達。フィーリアとシルフィードは窓に張り付いて軽巡洋艦『シェフィールド』の性能に驚かされていた。『イレーネ』で飛行船の感覚を体験しただけあってそこでは驚きはしないが、その速度に驚いていた。

「……大型艦だけあって揺れも少ない」

「でも何だか変な気分ね。空を飛んでるって実感がないもの」

 紅茶を片手にソファに深く腰掛けているサクラと、この面子では唯一飛行船未経験者のエレナが不思議そうに別の窓から外を眺めていた。

 ちなみにクリュウは現在この部屋にはいない。出港直後四人の激しい尋問を受け洗いざらい(もちろんキスの件は死守したが)白状させられ、その時の精神的・肉体的ダメージから今は宛てがわれた部屋で死んだように眠っている。

 という訳で、結果的にこの部屋は女子部屋のような状態になっている訳だ。

 しばらくは飛行船の話題で盛り上がっていたが、それだけでは話題は続かない。そして話題が尽きた時、話は自然とこれから自分達が向かう国――アルトリアの事へシフトしていった。

「今更だが、私達の誰もクリュウから詳しい話は聞いていないのだな?」

 全員一度部屋の中央にあるテーブルに腰掛けた途端、そう口火を切ったのはシルフィードだ。その問い掛けに皆は一斉にお互いの顔を見詰め合った後、一様に首肯で答えた。

「そう、ですねぇ。実の所、アルトリアが自身のお母様の故郷かもしれないとクリュウ様に言われただけで、詳しくは知りません」

「確かに。どうしてそういう結論に至ったのかってのはあいつ話してくれないわよね」

 フィーリアとエレナも内心疑問に思いつつも、何だか訊いてはいけないような気がしてクリュウ自身に問えずにいた疑問を零す。それはここにいる全員の疑問であり、クリュウを応援しつつも、どうしても拭う事ができない不安に直結する……

「……クリュウ、何か私達に隠し事してる」

 サクラは臆する事なく、皆の最大の不安を口にした。

 ――クリュウは何か自分達に隠し事をしている。何か、まだ自分達に話していない重大な何かがある。そう彼女達は確信していた。物的証拠がある訳ではないが、女としての勘が、彼女達にそう警告していた。

「これは私の予測に過ぎないが――おそらく、以前ヴィルマでアルトリアの総軍師と話していた金火竜の紋章とやらが関係しているのではないか?」

「シルフィード様もそう思われますか? 私も、ずっと気にはなっていたのですが……」

 シルフィードとフィーリアの思い至る点は共通であった。それは以前、ヴィルマでアルトリアの総軍師、ジェイド・クルセイダーとクリュウが話していた事。彼はその際、金火竜の紋章について熱心に彼に質問していた。それを間近で見ていたフィーリアも、

後に彼女からその様子を聞かされた三人もこの旅が始まって以来、常にどこか頭の隅に引っかかっていた出来事。

 どうしても、それが無関係とは思えなかった。

「……クリュウは、金火竜の紋章に興味を持っていた」

「でも、何であいつがアルトリアの紋章なんて興味を持つのよ」

「それがわかれば苦労しないんだがな。幼なじみである君が知らないとなると、彼しか真相はわからぬという事か」

 シルフィードの言う通り、このメンバーの中で最も彼と一緒にいた経験が長いエレナが知らないのだ。他のメンバーは知るはずもなく、そしてそれはおそらく彼が胸の中に留めている秘密。何もわからない自分達はお手上げという状態だ。

「でも、わざわざこんな遠い所までついて来てあげてるんだから、今更隠し事なんて卑怯だと思わない?」

「それはまぁ、そうですけど……」

 幼なじみに隠し事をされている。それが気に入らないのか、エレナは不機嫌そうに深くまで背中を背もたれに預けながら愚痴る。そんな彼女の問い掛けにフィーリアは微妙な反応だ。もちろん気になるし黙っている彼に多少の不満はあるだろう。だがそれ以上に彼が話したくない事を無理に聞き出そうとする程、彼女は積極的にはなれなかった。

「……今は、クリュウを信じる他にない」

 何事においても常に積極的で常識外れの突撃力で物事を力づくで片付けるサクラも、クリュウが嫌がる事は決してしない子だ。彼が話す気がないのなら、気にはなるも聞き出そうなどと野暮な事はしないと決めているようだ。

 クリュウに対して最も激しいアタックをする二人がこんな状態では、シルフィードとエレナもそんな二人を差し置いて彼を問い詰める事はできない。そもそも、そんな気もないのだ。皆、同じようにクリュウに無理強いをさせる気など毛頭ない。

 結局、誰もがクリュウに疑問を投げかける勇気など持ち合わせてはいなかった。

「あぁ~もうッ! 焦れったくて腹が立つぅ~ッ!」

「あら、ずいぶん楽しそうね」

 その声に部屋にいた四人が一斉に振り返ると、ドアを開いて「お邪魔しま~す」と陽気な声をと共にフェニスが入って来た。最初に会った時のような優雅なドレス姿ではなく、純白のブラウスに紺色のジャンパースカートという比較的動きやすい出で立ちだ。その姿だと貴族の令嬢と言うよりは町娘に近い印象を抱かせる。

「レキシントン様、どうしてここに?」

「フェニスでいいわよ。それだとお父様とややこしいから。えっと、飛行船に乗っちゃうとやる事がないから、暇潰しにお話でもと思って」

 そう言ってフェニスは優雅に、でもどこかイタズラっぽく笑った。本当に暇なのかもしれないが、何となく抜け出して来たというイメージを拭えない。そんな彼女の姿に思わず苦笑が浮かぶ。

「あら、クリュウ君は?」

「自室で休憩中だ」

 まさか自分達の尋問で力尽きているとは言えず、シルフィードは至極簡潔に答えた。他の者もわざわざ自分達の墓穴を掘ろうなどとは考えておらず無言でうなずく。そんな彼女達の様子に些かの疑問を感じたであろうが、フェニスは特に追求する事もなく「あら、そうなの」とただ残念そうにつぶやいた。

「じゃあ、女の子同士お茶でも飲みながらお話でもしましょうか?」

 フェニスの提案に、皆は賛成とばかりにうなずいた。

 

「うぁ……?」

 混濁する意識の中、重いまぶたを開くと見慣れない暗い天井がまず目に入った。意識がハッキリするにつれて視野は広がっていく。どうやら自分は横になっているらしい。

「……あぁ、眠ってたんだっけ」

 意識を失う前の記憶が蘇り、自分の置かれた状況を理解する。

 ゆっくりと起き上がるとそこは自分がよく知らない、乗船直後に宛がわれた自分の部屋。まだ眠い目を擦っていると、部屋の異様な暗さに気づいた。振り返ると、窓の外には寝る前に広がっていた青空はなく、代わりに星々が煌めく夜空に取って代わっていた。

「……寝過ぎた」

 状況を理解すると、思わず苦笑しながらそうつぶやいた。

 ベッドから身を起こし、窓に近づいて眼下を見下ろすと暗くてよくわからないがどうやら海の上らしい。内海のジォ・クルーク海か、それとも外海のアテネ海か。まさかまだ西アルトリア海には入っていないだろう──どれにしても、アルトリアは確実に近づいているのは間違いない。

 自然と手は自分の胸元に下げられた母の形見のペンダントに伸びる。

 自分の中にある可能性、それは正直まだ自分の中でも半信半疑という状態だ。でも、その半信半疑もアルトリアに近づくにつれて少しずつ信じるに値するものに変わっていった。

 まだ、自分の中にある考えは誰にも話していない。もちろんフィーリア達にもだ。本来ならもっと早くに相談すべきなのだろうが、何となく話しづらかった。それはきっと家族の事だから、母の事だからというのが大きいのだろう。自分でもよくわからないが、母の事は自分で何とかしたいという気持ちが強かった。

 自分はこの可能性を使って何かをしたい訳じゃない。ただ、知りたいだけだ。純粋に、子が母の事を知りたい。そんな誰にでもある普通の気持ち。ただ彼の場合は、それを叶えるのがひどく難しいだけだ。

 最初こそ必死に前に進みながらも、心のどこかで無理じゃないかとも考えていた。あまりにも無茶で突拍子もない手段の連続だ。普通に考えればとてもじゃないが可能とは思えない。

 だが実際は、こうして今まさに飛行船に乗ってアルトリアへと向かっている。

「努力は報われる……か」

 昔、母がよく言っていたセリフを口ずさむ。子供ながらに様々な失敗を経験し、落ち込んだ事もあった。だが、そんな時母はいつもこう言って励ましてくれた。

 子供の頃にこうして自分を励ましてくれた大好きな母。自分は今、そんな母の軌跡に近づけているのか。

「母さん……」

 自然と、胸元に掛けたペンダントを握り締める手に力が入る。

 この闇の向こう、母の故郷が存在する。そこで自分は、一体何を見つけ、何を知れるのか。期待と不安が入り交じる胸に母の形見を下げながら、ため息を零した。

「……お腹空いたな」

 鳴る腹を押さえながらクリュウは思わず苦笑を浮かべた。何せ朝にこの船に乗った後、そのすぐ後にフィーリア達の激しい尋問で心身共に疲労困憊となって寝てしまったのだから、今日はまだ朝食しか食べていない。育ち盛りな彼にとって一日一食など言語道断だ。

 クリュウはとりあえず汗を流す為にシャワーを浴びた。驚く事にお湯が出て来た。まぁ、この飛行船の動力は燃石炭を燃やしてその熱で水を沸騰させて水蒸気にし、その力でピストンを動かす蒸気機関。当然熱湯が発生するのでそれの有効活用という事か。そんな小難しい事を考えながら、そういえば以前ヴィルマで飛行船の不必要となったお湯を使った仮設風呂に入った事を思い出し思わず苦笑を浮かべた。

 汗を流した後に着替えて、部屋を出た。すでに艦内は寝静まっているらしく、不気味な沈黙がそこには広がっていた。わずかに動力部の音が聞こえるだけで、辺りは静かだ。歩き始めると金属の床は足音を妙に響かせ、それが逆にこの空間に自分しかいないのではという不安をかき立てた。

 そんな感じで歩いていると途中で兵士に出会った。エルバーフェルドの軍人とはまるで異なる草色の軍服姿。兵士はクリュウに気づくと訝しげに見詰めてきた。アルトリア人は大陸人を嫌っている。彼の目にも少なからずそんな意志が感じられた。

 あまり関わらない方がいい。そう判断したクリュウはとりあえず何か食べ物がある部屋はないかとだけ尋ねると、兵士はぶっきら棒に烹炊室の場所を教えてくれた。礼を言うが、兵士は無視して闇の向こうへ消える。クリュウは多少ムカついたが、それは腹の奥に押さえつつ兵士に言われた通りの道順を進む。

 程なくして烹炊室に着いた。中を覗き込むとコック姿をしたアイルー達数匹が今まさに食事をしている最中だった。人間の食事を用意し、その後片付けを終えてようやく一息ついての食事なのだろう。楽しそうに談笑しているが、アイルー語なので内容まではわからない。わざわざアイルー語を使っている辺り、何となく兵士達への悪口を言っているのだろうと察しはついたが。

 漂って来るおいしい匂いに耐え切れなくなり、部屋へ入ろうとした時。背後からとんとんと肩を叩かれた。驚いて振り返ると、そこには思わぬ人物が立っていた。

「え、エレナ?」

「あんたこんな所で何してんのよ」

 そこに立っていたのは幼なじみのエレナであった。エレナは驚くクリュウを不思議そうに見詰めている。兵士かと思っていたクリュウは見知った人物に安心すると「ちょっと小腹が減っちゃって」と苦笑しながら答える。

「あぁ、まぁあんた丸一日寝てた訳だからそれもそうね」

「うーん、寝てたのか気絶してたのか怪しい所ではあるけどね。エレナこそ何でこんな所に」

「ちょっと野暮用」

 そう言ってエレナは首を傾げるクリュウを追い抜いて部屋へと足を踏み入れた。彼女が部屋の中に入って来るとそれまで楽しげに談笑していたアイルー達が一斉に話を止めて彼女の方へ振り返る。そんな彼らに向かってエレナは臆する事なく仁王立ちで対峙する。

「ここの責任者は?」

 彼女がそう尋ねると、アイルー達の中から一匹のアイルーが前へ出た。純白の毛並みとサファイアのような碧い瞳がかわいらしいアイルーだ。

「オイラがこの烹炊室の料理長ニャ。一体何の用かニャ?」

「別に大した用事じゃないわよ。今日の夕食がおいしかったから、ぜひそのシェフにあいさつがしておきたかっただけ」

 エレナが笑顔でそう言うとアイルー達はお互いに顔を見合わせる。こんな事今までなかったのだろう、皆驚いている様子。そんな彼らの横を通り抜け、エレナは彼らの賄い食を見る。どうやらサンドイッチらしく、テレを染み込ませた細切れ肉とレタスを挟んだシンプルなものだ。その横には野菜スープも並んでいる。

「これって、今日の夕食のローストビーフの余り?」

「そうニャ。見栄えから端の部分はいらニャいからカットしニャきゃいけないけど、もったいニャいから有効活用ニャ」

「このスープは?」

「それも同じニャ。細切れ肉と野菜の切れっ端を塩と胡椒で味付けしたものニャ。切れっ端も貴重な食材ニャ」

「ふぅん、わかってるじゃない。ちょっと味見してもいいかしら?」

「ニャ? そんな客人に賄い食なんて失礼ニャ。お腹が空いてるニャら簡単なもので良ければちゃんと作るニャよ?」

「いいのよ。私もこれで料理人だから」

 あっけらかんと言いながらエレナはサンドイッチの一つを手に取って食べてしまう。他のアイルー達も彼女の行動に困惑しているようだ。すると、エレナはじっくり味わった後に一言。

「この肉、一度ブレスワインでフランベしてるわね?」

 エレナの問い掛けにアイルー達は驚いたように顔を見合わせる。すると料理長は感心したように「よくわかったニャ」と感嘆の声を上げた。

「これが隠し味って訳ね。うん、おかげで肉も柔らかくておいしい。でもいいの? そんな高級なワインを賄いで使っちゃって」

「いいニャよ。使ったのは栓を抜いて日にちが経ったせいで風味が落ちて飲めなくなったものニャ」

「なるほど。それも有効活用って訳ね。このスープもシンプルだけとおいしいわ」

 いつの間にかエレナの周りには料理長だけではなく他のアイルーまで集まって料理の話で盛り上がっている。さすが料理人同士、話もよく合うのだろう。エレナの意外な一面に驚きつつも、何となくその光景が微笑ましくて見守るクリュウ。すると、そんな彼にエレナが気づいた。

「何そんな所に立ち尽くしてんのよ。入って来るならさっさとしなさい」

 まるで自分の部屋のように振る舞う彼女の様子に苦笑しながらもクリュウはそこでようやく烹炊室へと足を踏み入れる。そこでアイルー達ともあいさつを済ませる。

「それで悪いんだけど、何か食べられるものないかな?」

「ニャ~、ちょっと待ってくれれば簡単な料理が作れるニャけど」

「待って。このバカの面倒は私が見るから。キッチン借りるわよ」

 そう言ってエレナは勝手にキッチンを占領する。そのあまりの堂々っぷりにアイルー達も止める機会を失ってしまい見守るしかない。というかクリュウはなぜか突然料理を始めた幼なじみの背中に首を傾げた。ただ何となく声を掛けづらくて黙っていると、十分もしないうちに「はい」と彼の前に料理が置かれた。

「これは……」

 それはお粥だった。具は薬草と卵だけというシンプルなものだが、香りだけで間違いなくおいしい事がわかる。その香りに空腹に耐えていた腹は力なくグゥと鳴る。そんな彼の姿を見てエレナは苦笑を浮かべた。

「まぁ、私もちょっとやり過ぎたと思ってたし。体力回復も兼ねての夜食。こんな時間にガッツリ食べるのは健康に悪いから。まぁ夜食程度にね」

 どうやら彼女も少しクリュウを痛め過ぎたと反省していたらしい。これはきっと、そんな彼女なりの謝罪の気持ちの表れなのだろう。素直じゃない彼女らしい、実に回りくどくて、でも心温まる計らい。

「あ、ありがとう」

「ふ、ふん。冷めないウチにさっさと食べなさい」

 クリュウの礼の言葉にエレナは頬を赤らめながら素直じゃない態度を取る。ここでもう少し素直な態度を取れれば彼の中でももう少し評価が違っていたかも知れない。

 クリュウはそんないつもと変わらない素直じゃない幼なじみの姿に苦笑しながら、ありがたく粥をいただく。

 火傷しないように慎重に冷ましながら口に含む。そんな彼の様子を、エレナがどこか心配そうに見守っていた。

「ど、どう?」

 じっくりと味わう彼に痺れを切らしてそう尋ねる彼女に対し、クリュウはゴクリと呑み込むと感想を笑顔と共に口にする。

「うん。すっごくおいしいよ」

「そ、そう? ま、まぁ当然よね。何てったってこの私が作ったんだから。マズイ訳がないのよ」

 クリュウの褒め言葉に自信を抱いたのか、いつものような自信満々な態度が彼女に戻る。いつもの彼女らしさを取り戻したエレナを見てクリュウも安心したように微笑むと、お粥を食べ進める。誇張でもお世辞でもなく、やはりエレナの料理は何もかもが美味だ。その実力は折り紙つきで、実は幼なじみとしてちょっと自慢だったりする。

「……すっかり抜かれちゃったな」

 思わずそうつぶやいた。そんな彼の言葉に、エレナが反応する。

「何よそれ」

「料理の腕だよ。僕の方が先輩なのに、いつの間にか後から始めたエレナの方がすっかり上手になっちゃったなぁって」

「ふ、フン。当たり前じゃない、私とあんたじゃ元々持ってる才能に雲泥の差があるのよ」

「あははは、確かにそうかもね。君の料理を食べてると、本当にエレナはすごい才能だなぁってわかるもの」

「と、当然じゃない……ッ」

 微笑みながらベタ褒めするクリュウの言葉の数々に思わずニヤけそうになる顔を何とか引き締め維持するエレナ。まぁ、必死に隠しているがその表情はとてもじゃないが平常心とは程遠い。すると、そんな彼女の様子を一匹のアイルーが覗き見て一言。

「照れてるかニャ?」

 好奇心で訊いたのだろうが、迂闊だった。当然彼は首根っこを掴まれてエレナによって部屋の外へと排除された。振り返り、ギロリと他のアイルー達を睨みつけて黙らせる。余計な事を言ったら殺す、そんな雰囲気を纏いながら。

「え、エレナ?」

「な、何でもないわよッ! さっさと食べて寝なさいバカッ!」

「えぇッ!? 何で僕が怒られるのぉッ!?」

 身に覚えのない事で理不尽に怒られるクリュウはそう叫ぶしかなかった。

 そんなこんなで薬草粥を食べ終えたクリュウはアイルー達と料理の話で盛り上がるエレナに別れを告げて先に部屋を後にした。背後から聞こえるエレナの楽しそうな声に笑みを浮かべながら自身の部屋を目指して来た道を戻る。

 船内の通路はどこも似たようなものなので、来る途中に通路に振ってあった記号を頼りに進んでいるおかげで迷う事なく自身の部屋のある階へと辿り着いた。

 あとは自身の部屋を目指して通路を進むだけ。すると角を曲がると思わぬ人物と遭遇した。

「クリュウ? どうしたこんな時間に?」

 驚いたように目を見開きながらそう尋ねたのはシルフィードだった。いつものようにTシャツとズボンという実にラフな彼女らしい格好。だがいつもは後頭部の後ろでポニーテールに結った凛々しい姿の彼女も今はそれを解いて重力に任せて下ろしている。そのいつもと少し違う姿が妙に魅力的で思わずクリュウは見とれてしまう。

「クリュウ?」

「あ、ううん。シルフィこそ何でこんな所に?」

「何でと問われても、ここが私の部屋だからとしか答えられんな」

 そう言って彼女は背後の扉を拳で小突いた。眠っていたクリュウは知らなかったが彼の部屋と同じ階にフィーリア達の部屋も一緒にあるのだ。要するにここはシルフィードに宛がわれた部屋の前という訳だ。

「私は先程まで夜風に当たりたくてここから少し先にある外部通路にいたのだが。君はこんな時間に何をしてたんだ?」

「まぁ、ちょっと色々あって……」

「そ、そうか? あぁ、体は大丈夫か?」

 言いづらそうに尋ねるシルフィード。彼女が気遣ったのは乗船直後の尋問の事だろう。主にクリュウに精神的・肉体的にダメージを与えたのは他の三人であり、彼女は傍観に徹していただけだが、助け舟を一切出さなかった事を気にしているのだろう。クリュウは別に怒っている訳でもないので「別に平気だよ」と気にしてないという感じに微笑んで答える。それを見て安心したのか、シルフィードは「そうか……」と胸を撫で下ろしながら零す。

「まぁ、立ち話もなんだ。暇なら付き合え」

「別にいいけど」

「そうか。なら入ってくれ。と言っても借り部屋だから大した持て成しもできんがな」

 苦笑しながら言ってシルフィードは扉を開く。中に通されるとそこはずいぶんとシンプルな部屋であった。と言っても彼が寝かされていた部屋と大した変わりはない。必要最低限の装飾が施されただけの簡素な部屋だ。

 部屋へと入ったクリュウをシルフィードが中央にあるテーブルに座るよう促すと、自分は部屋の隅に置いてある氷結晶を使った氷冷式冷蔵庫からビールを取り出す。

「君も飲むか?」

「うーん、たまにはいいかな」

「珍しいな。まぁ、私としてもその方が助かるが」

 クリュウが酒の相手をしてくれるのが嬉しいのか、シルフィードは上機嫌でグラスと共にビール瓶を持って戻って来る。彼の前の席に腰掛けると、栓抜きを使って慣れた手つきで瓶を開けてしまう。

「そういえば、シルフィって結構ビールを飲んでる事多いよね?」

「うん? まぁ、嗜む程度にはな。酔う程は飲まんな。いつも一杯くらいで十分だからな」

 確かに、シルフィードはよくビールを飲んでいるがいつもグラス一杯くらいでやめてしまっている。本人曰く嗜む程度なので、そんなに量は必要ないらしい。まぁ、少量の酒は健康にはいいらしいのが。

「ふぅん、よく酒場なんかじゃ酔い潰れてる人もいるけど、シルフィはそんなには飲まないんだ」

「……まぁ、実を言うとあまり酒に強くない体質でな。飲み過ぎると自制が効かなくなるというか、取り返しがつかなくなるというか。要するに面倒な酔っ払いになってしまうからその手前で踏み止まるようにしているだけだ」

 恥ずかしそうに言うシルフィードの話を聞く限り、どうやら昔飲み過ぎて何か失態を起こしたらしい。それが何なのかはあえて訊きはしないが、シルフィードの新しい弱点を知れたのは何となく彼女に近づけた気がして嬉しいクリュウ。それにしてもシルフィードは完璧超人に見えて結構弱点が多い子だ。

「フィーリアも酒はあまり得意ではないらしく、サクラはビールよりワインを好む奴だからな。こうして誰かとビールを飲むのはずいぶん久しぶりな気がするな」

 いつも一人酒に徹しているシルフィードにとっては、こうして誰かと一緒にお酒が飲める事がすごく嬉しいのだろう。あまり見れない彼女の喜ぶ姿を見て、クリュウも誘われて良かったと心から思った。

 シルフィードはそれぞれのグラスにビールを注ぐと、片方を彼に手渡してもう片方を自身が取る。

「それではまぁ、まだまだ先は長いがとりあえずひと段落ついたという事で――乾杯」

「乾杯ッ」

 カチャンと互いのグラスが触れて心地良い音色を響かせた後、二人して一気に喉の奥へとその独特の苦味とのど越しが勢い良く駆け抜ける。何とも気持ちのいい飲みっぷりだ――と、言いたい所だが二人して酒に弱いのでかっこ良く一気飲みはできず、お互いにグラスの半分より少し上辺りでテーブルに戻してしまう。

「うん、さすが本場エルバーフェルドのビールだな。キレが違う」

「そ、そうなの? 余計苦味が強いような気もしなくはないんだけど……」

 同じようにビールを飲んでも一方は感動し、一方は難しい表情を浮かべる。そんな彼の様子を見てアルコールが入って上機嫌になったシルフィードが楽しそうに笑う。

「まぁ、私は君くらいの年齢の頃から飲んでいるからな。舌もそういう風に変化しているんだよ」

「へぇ。一応イージス村の掟だとお酒は十六歳からって言われてたから、お酒を飲み始めたのはここ数ヶ月の話だよ」

「……まぁ地方、村や街、国ごとに飲酒可能年齢がバラバラだったり、そもそもなかったりするからな。ドンドルマでは基本的に年齢制限はないから、そこに拠点を置いていた私は何の躊躇いもなく飲んでいたな」

 彼女の言う通り、国や地域、将又(はたまた)村や街ごとに法律や掟が存在する。飲酒可能年齢の設定年齢や、そもそも設定の有無もそれぞれバラバラだ。こういう所では時たまこうして出身地が違う者同士で意見が割れたりする事もある。食べ物の風習などは特にそれが顕著に現れるものだ。

 もう一口飲んでみて、やっぱり苦いなぁと顔を顰めるクリュウ。時にはこの苦味がおいしく感じる事もあるが、基本的にはやはりあまり飲めない。個人的にはハチミツ入りミルクの方が一番おいしい飲み物だと思っている――もちろん、自分でもお子様っぽいなぁとは自覚しているが、おいしいものはおいしいと開き直ってみたり。

 ただ実は、おいしそうにビールを飲むシルフィードの姿に憧れて最近は少しずつビールを飲み始めたのは――内緒だ。

「そうか。君はビールの苦味が苦手なのか……なら今度、ラガーじゃなくてエールでも飲んでみるか?」

「な、何? ラガーとかエールって」

「ビールの種類だ。詳しい事は知らないが、醗酵期間の長さで分けられるらしいな。ラガーは一般的なビールで、今私達が飲んでいる苦味を味わうのがラガー。エールは比較的甘口で香りやコクを楽しむタイプのビールだそうだ。ビール大国エルバーフェルドでも珍しいビールだそうで、入手するのは骨が折れるそうだが」

「ふぅん、ビールに種類なんてものがある事すら知らなかったよ」

「ビールも狩猟も同じさ。長期戦に持ち込む戦いもあれば、短期決戦で決着をつける戦いもある。同じモンスター相手でも、そうなれば戦術や戦法、使用道具などが大きく変わる。同じ狩猟でも、そうした種類がある。だからこそ、実に味わい深い」

 ビールと狩猟は一概には比較はできないが、クリュウは何となく彼女の言う事がわかった。同じ狩猟でも方法が変われば全く違う狩猟になる。だからこそ狩りは味わい深い。実に大人なシルフィードらしい考え方だ。

「やっぱりシルフィはかっこいいよね」

「……なぜか素直に喜べないのだが」

 笑顔で褒めるクリュウの言葉に、複雑そうなシルフィード。口では女は捨てたと言いながらも、最近は彼に女の子らしく扱われたいなぁという願望が少なからずあったりする。以前にドレス姿になった際に彼に「きれい」と言われて以来、余計にその想いは強くなっているのだ。

 ただ、そんな願望を口で直接言う事もできず、シルフィードはため息を零して一気に残ったビールを飲み干す。すると、何を思ったか瓶を手に取って二杯目を注ぎ始めた。その様子を見てクリュウが目を丸くして驚く。

「え? シルフィ、一杯でいいんじゃなかったの?」

「今日は一杯じゃ足りない気分なんだ」

 どこか不機嫌そうに言う彼女に戸惑いつつも、本人が飲みたいのだからと止める事はせず、シルフィードが二杯目を飲んでいる間に一杯目をチビチビと減らしていく。

 ――ただ、すでにこの時点で問題が発生していた。

 お酒というのは気分が良い時や、逆に機嫌が悪い時などは思いの外飲み干すスピードが早く、飲み重ねるにつれて次第に理性の箍(たが)が外れて自制が効かなくなるものだ。

 クリュウに女の子として扱われない事に若干の不満を抱いていたシルフィードは、それが少しだけ腹が立ってグイグイとビールを飲んでいく。そしていつの間にか、瓶一本を見事に飲み干してしまった。その時にはもう――

「うぅ……、ひっく」

 ――完全に酔っ払ってしまっていた。

「し、シルフィ? ちょっと飲み過ぎじゃないかな……」

 顔を真っ赤にしてぼけーっと天井を見上げているシルフィードに、クリュウが心配そうに声を掛ける。すると、まるでそれがスイッチだったかのようにシルフィードは突如彼を凝視すると、拳をダンッとテーブルに叩きつけた。その音と震動、それ以上に突然のシルフィードの信じられない行動にクリュウは驚いて言葉を失う。すると、そんな彼に向かってシルフィードは叫んだ。

「何を言うかッ! 私は酔っ払ってなどないッ!」

「――いや、明らかにいつもとはテンションが違うでしょ。シルフィのそんな姿見た事ないし」

 完全に酔っ払っているのに断固酔ってなどないと大声で否定するシルフィード。ムキになっているのかブンブンと腕を振り回しており、いつもの冷静沈着な彼女とは似ても似つかない。あまりの彼女の変貌ぶりに、クリュウはすっかり呆気に取られていた。

「うぁ? クリュウ、君はいつの間に分身の術を覚えたのだ? どれが本体だ? これか、これか、これか」

「……いや、サクラならともかく僕にそんな人間離れした事はできないから」

 何もない空間に手を伸ばしては居る筈のない分身クリュウを捕まえようとするシルフィード。完全に酔っており、もはや幻覚まで見え始めてしまっている。もはや末期だ。

 いくら飲み過ぎたとはいえ、一人でビール瓶の大半を開けたとはいえ、これはさすがに酔い過ぎだ。彼女自身の言う通り、シルフィードは相当お酒に弱いらしい。

 クリュウはため息を零すと、「クリュウぅ~、クリュウぅ~」と自分を呼んでいるシルフィードに近付く。ただ残念な事に彼女が必死に手を伸ばしている方向には何も無い訳で……

「ほらシルフィ、少し飲み過ぎだよ。もう夜も遅いし、寝ちゃいなよ」

「うぅん? そうだなぁ。確かに少し眠いしな……」

「ほぉら、肩貸してあげるからベッドまでがんばろう」

 そう言うとシルフィードは素直に従うようにクリュウの肩を借りて立ち上がる。すぐ間近で酔い潰れている彼女の姿を見てクリュウは思わず笑ってしまった。いつもいつも凛々しくてかっこいい彼女ばかり見ていると、こうしたちょっと情けない所を見れるのが嬉しくなってしまう。何というか、こういう姿は信頼されているからこそ見せてもらえるものであって、彼女の自分に対する信頼の大きさが思わず嬉しくなってしまうのだ。

 フラフラの足取りのシルフィードを支えながら、クリュウは彼女を部屋に置かれているベッドまで連れて行く。ここまでは優しくてかっこいい男の子という感じだが、ここでドジを踏むのがクリュウ・ルナリーフという少年だ。

「どぅわぁッ!?」

 足下不注意。先程シルフィードがテーブルを叩いた際に転がった瓶に見事に足を取られてバランスを崩してしまう。倒れる最中、酒の影響で全く力の入っていないシルフィードは受身すら取れない状態だと気づき、慌てて彼女が怪我しないように自分が下敷きになるように動く。この配慮は実に紳士的だが、問題は彼はそういった行動を見事に裏目に出すというある種の才能がある事だった。

 運良く、二人はベッドに倒れ込んだ。おかげで二人共怪我はない訳だが、寸前の彼の行動の結果――

「むぐぅ……ッ!?」

 ――シルフィードの下敷きになったクリュウの上に、彼女が倒れ込んだ。さらに言えば、彼女のその豊満な胸が彼の顔面を押さえ付ける形に。見ようによってはシルフィードがクリュウを押し倒しているようにも見える。

 顔に押し付けられるシルフィードの豊満な胸にクリュウは顔を真っ赤にして慌てまくる。すると、そんな彼の様子に気づいたシルフィードが助け舟を出すようにトロンとした目で彼を見詰め、

「……んぁ? どうしたクリュウ……一緒に寝るか?」

 ――助け舟かと思ったそれは、爆薬を満載した突撃艇だった。

 クリュウは必死になって首を横に振ろうとするが、未だにシルフィードの胸でロックされている状態なので思うように首を動かせず、その意思表示はいつもは察しのいいシルフィードも酔っている為に鈍感になっている彼女には伝わらない。

 すると、拒否の反応を示さない彼を見てシルフィードは嬉しそうに屈託の無い笑みを浮かべた。いつもは凛々しい笑みを浮かべる彼女も、お酒の影響かその笑顔はずいぶんと幼く見え、歳相応の少女らしい可愛らしいものだ。その笑顔に思わずクリュウがドキッとしたり。

「クリュウは甘えん坊だなぁ。良し、お姉ちゃんが添い寝してあげよう」

 そう言ってようやくクリュウの上からシルフィードは退くが、彼に向き合うように隣へ寝転がる。楽しそうに笑っている彼女を見ていると今更拒否する事もできず、クリュウは無言でその場から動けずにいた。すると、右腕を突然掴まれたと思ったら、シルフィードはそれを大切そうに優しく抱きしめる。が、当然そうなればクリュウの腕は容赦なくシルフィードの大きくて柔らかい胸に押し付けられる訳であって……

「し、シルフィ……ッ」

「――クリュウの匂いは落ち着くな。君と一緒にいると、自然と安心できる」

 慌てて離れようとした途端に掛けられた彼女の言葉に、クリュウは動きを制された。そんな事を言われてしまえば無理に離れる事はできなくなる訳で、結果的にまたしても動く機会を失う。腕を彼女に抱き締められながら、クリュウは未だ赤みが落ち着く事のない頬を困ったように左手の指先で掻く。すると、そんな彼の腕をシルフィードがギュッと抱き締める。

「……私はいつも君に甘えてばかりだな」

 つぶやくように彼女が零したのは、あまりにも意外な言葉だった。

「そ、そんな事ないよ。むしろ甘てばかりなのは僕の方だと思うけど……」

 そう言う彼の言葉を、シルフィードはゆっくりと首を横に振って否定した。

「君が気づいていないだけで、私はいつも君に支えられているのだ」

「そ、そうなの?」

 シルフィードに頼る事はあっても、彼女から頼られる事などあまりないクリュウとしては正直藪から棒な話だ。自分が何かそれらしい行動を取った事があるか記憶の中を探す彼の横顔を見て、思わずシルフィードは微笑んでしまう。

 ――そういう事ではないのだ。

 何かの行動があったから彼を頼っている訳ではない。こうして、自分の横にいて微笑んでくれる。それだけで自分は勇気をもらえ、苦境に置かれても逆境の決意で震える足を叱咤して立ち続ける事ができる。そんな彼に甘え、そして頼りながら、自分はこうして彼らのリーダーという地位を維持し続けられている――彼女の中でのクリュウの存在は、もうなくてはならない程にまで大きくなっている事に彼は、そして彼女自身も気づいていない。

「……クリュウ、どうか私の前から消えないでくれ」

「え? そ、そんなつもりは全然ないけど……」

「……お願いだから、決して私を一人にしないでくれ」

「う、うん。だからそのつもりだってば」

「クリュウ……」

「え? ちょ、ちょっとシルフィ……ッ!?」

 次第に近づいて来るシルフィードの姿に、ようやく彼女の様子がおかしい事に気づいた。瞳はどこか遠くを見ている感じで、心ここにあらずという状態だ。その状態で両腕をキープされ、いつの間にか足も彼女自身に足が巻き付くように絡まり動けない。完全に身動きを封じられてしまう。

「クリュウ……」

「シルフィッ!? ちょ、ちょっとタンマッ! タンマッ!」

 目の前にまで彼女の、どこか蒸気した顔が迫るもクリュウは動けずにいた。次の瞬間、彼女の唇がクリュウの唇を塞ぐ――その直前、突然力を失ったように彼女の顔が倒れた。おかげで唇が重なる事はなかったが、彼女の顔はクリュウの肩にしなだれかかるように着く。

「し、シルフィ……?」

「スゥ……」

 見ると、シルフィードは瞳を閉じて気持ち良さそうな寝息を立てていた――どうやら眠ってしまったらしい。それを見てクリュウは助かったとばかりに安堵の息を漏らすが、静かに寝息を立てる彼女の唇を少し名残惜しげに見ては慌てて自分の中の邪念を振り払う。

 眠ってしまったシルフィード。仕方なくクリュウは彼女をベッドに残したまま一人退散しようと彼女の体をゆっくりを引き剥がし、仰向けに寝かす。だがベッドから退散しようとした途端、眠ったままのシルフィードの腕がクリュウの服の裾を掴んだ。驚いて振り返ると別に彼女は起きている様子もなく、気持ち良さそうに寝息を立てている。どうやら寝ぼけているらしい。起こさずに済んだ事にほっとしたものの、いざ彼女の握っている手を離そうとしたが思いの外強く握っていて解ける気配がまるでない。

「シルフィ……、ちょっと離してくれないかな」

 言っても聞こえている訳でもないが、思わずそう言わずにはいられない。すると、眠っている彼女の口から先程聞いた彼女の弱気な声が漏れる。

「一人にしないでくれ……」

 その言葉を聞いた瞬間、クリュウは彼女の手を解くのをやめた。そしてゆっくりとベッドへ戻ると、彼女の横に並ぶように寝転がる。先程のように密着はせずにある程度距離は保ったままだが、一応添い寝の形だ。そっと自分の裾を握る彼女の手の上に自分の手を重ねると、心なしか彼女の寝顔に笑みが浮かんだ。それを見てクリュウは静かに苦笑を浮かべた。

「……もう、今日だけだからね」

 聞こえるはずがない。だが、そんな彼の言葉に眠り姫は一つ小さくうなずくのであった。

 

 結局、クリュウはその夜シルフィードと一夜を共にした。と言ってもあれからそれ以上の展開もなくクリュウも朝までぐっすりと眠った。まぁ、翌朝正気を取り戻したシルフィードが隣にクリュウが寝ている状況に悲鳴を上げるわ、その声を聞いて雪崩込んで来た三人に詰め寄られて二人共猛烈に怒られるわ、クリュウはその後首根っこを掴まれて消えたと思ったら隣の部屋から彼の断末魔の悲鳴が聞こえてくるわと騒がしい朝を向かえるのであった。

 ――唯一の救いは、シルフィードが昨晩の事をまるで覚えていなかった事だろう。三杯目辺りから記憶がないらしく、当然クリュウを押し倒した事など覚えてはない。

 それがせめてもの、リーダーとしての威厳を彼女から奪わなかった唯一の救いだ。まぁ、そのおかげでクリュウは再び夜中まで気絶する事になったのだが、それはまた別のお話。


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