四人の狩人を乗せた航空哨戒艦『イレーネ』は来る時と同じように穏やかな旅路を終え、帝都エムデンへと帰還した。
事後処理は全てエルディンが自ら引き受ける事となり、四人は数日ぶりの揺れない地面を味わいながら、自分達を待ってくれていたエレナ、ルーデル、セレスティーナと再会した。
「怪我はないでしょうね? あんたが怪我してちゃ意味ないんだから」
帰って来たばかりの幼なじみの体の隅々を心配そうに見回すエレナ。クリュウはそんな彼女の視線に苦笑しながら「大丈夫だってば」と無傷を強調する。
「しっかし、まさか本当にディアブロスを狩っちゃうなんて。まぁ、これも全部フィーちゃんがいたからでしょうけど。あんた、ちゃんと役に立った訳?」
ニヤニヤとからかうようにルーデルが言うと、クリュウは苦笑を浮かべたまま「まぁ、ボチボチかな」と当たり障りのない答えを返す。まぁ、当然フィーリアが「ルーッ!」と怒るが、それこそルーデルはさらりと流してしまう。
そんな二人の容赦無い歓迎に苦笑する彼の背中を見詰め、シルフィードもまた「大変だな」とつぶやきながら苦笑を浮かべた。
すると、すっかりそんな待機組の二人にからかわれるクリュウの前にサクラが立ち塞がる。鋭い刃物のような瞳で二人を威嚇し、背後に立つクリュウを守る。その姿は実に凛々しく、自分を庇ってくれようとする彼女の気持ちはすごく嬉しい。
「……無能は黙ってろ」
――ただ、その相手の神経を逆撫でるような言い方は勘弁してほしいが。
当然のようにケンカを始める三人をフィーリアが慌てて止めに入るが、しばらくは続きそうだ。そんな四人を放って、クリュウはひとまずソファに腰掛けた。
ここはエムデン宮殿の一室。とりあえず、帰還した彼らはここへ通された。エルディンとカレンはすぐにフリードリッヒへ報告へ向かう為に別離。ただし事前に伝書鳩で討伐報告は出してあるので、今頃はクリュウ達のアルトリア行きの最終決定がなされているだろう。
「大丈夫よ。総統陛下は良くも悪くも有言実行される方だから」
そう言って安心させるように声を掛けてきたのはセレスティーナ。今日も優雅なドレスを身に纏い、実に美しいご婦人だ。そんな彼女の声掛けにクリュウは「そうですね」と苦笑を浮かべる。
どこか浮かない顔をしている彼をセレスティーナは心配そうに見詰める。それは彼の背後に立つシルフィードも同じだった。ただ、彼がどうしてそんな表情を浮かべるのか、二人にはわからない。
そんな二人の視線に気づく事なく、クリュウはボーッと天井を見上げる。その頭の中にあるのはアルトリア行きの事でも母アメリアの事でもなく――数日前の夜、悲しげな表情を浮かべて立ち去ったカレンの事だ。
あれ以来、クリュウはカレンと一言も話していない。それというのも、カレンが艦内の一室に閉じ込もってしまった為だ。なので、先程艦を降りる際に一瞬会っただけ。その時もすぐに待機していた将校達に囲まれてどこかへ行ってしまったので、声を掛ける事もできなかった。
彼女との溝は、未だ埋まらないままだ。
座って以来、ずっと沈黙を続けるクリュウを見て騒がしかった四人も自然と口を閉じる。様子がおかしい幼なじみの後ろ姿を見て、ようやくエレナも異変に気づいた。
「クリュウ、どうした訳?」
「それが私達にもわからないんです。ディアブロスを討伐した翌日からあんな具合に……」
一緒にいたフィーリアにも理由はわからない。エレナの視線は自然とサクラの方へ向くが、彼女は心配そうに彼を見詰めたまま。その様子を見るに、彼女も原因はわからないようだ。
四人の心配そうな視線を一瞥し、シルフィードはため息を一つ零すとそっとクリュウの横の席に腰掛ける。クリュウはそれにすら気づかずに天を仰ぎ続けるが、突如シルフィードはそんな彼の頬を引っ張る。
「……へッ? ひゃに?」
「いやなに、抓(つね)り甲斐のある阿呆面があるなぁと思ってな」
おかしそうにイタズラっぽい笑みを浮かべながら言う彼女の言葉にクリュウは子供のように頬を膨らませて怒る。
「シルフィって、結構意地悪だよね」
「君がいじめてくださいオーラを出すからだ」
「出してないよッ」
「――まぁ、どちらにしてもようやく瞳が生き返ったな」
「え?」と思わず声を出して驚く彼の反応を見て、シルフィードは安心したように微笑むとそっと背後を親指で指差す。すると、ようやくクリュウも自分を心配そうに見詰めている面々の存在に気づいた。
「皆、君をずっと心配してたのだぞ?」
「……そっか。ごめんね」
「謝る事じゃないさ。ただまぁ、悩み事があるなら一人で抱え込まずに相談してみるのも手だぞ? 人間一人の知識や考え方には限界がある。知らない事や理解できない事など、それこそ五万とある。だが自分とは異なる人間が複数集まれば、可能性はゼロからわずか1パーセントくらいにはなるかもしれない。例え1パーセントでも、ゼロよりは遥かにマシだ。幸い、ここには良くも悪くも色々な人間が集まっているしな」
苦笑しながら彼女が振り返ると、そんな彼女の視線に様々な反応を見せる四人。フィーリアは気まずそうに視線を逸らしているし、サクラは自信満々に無い胸を張っている。エレナは「どういう意味よそれ」と彼女の発言の真意を追求し、ルーデルは自分の変わり者さ加減を重々承知している為か苦笑を浮かべている。確かに、色々な人間が集まってはいる。それこそ彼の目の前には国立大学卒という高学歴な貴族のお嬢様までいるのだ。
そんな色々な人間の視線は、全てクリュウに注がれている。良くも悪くも色々な人間が集まっていると同時に、彼は多くの仲間に囲まれているのだ。それに今更ながら気づくクリュウは、そんな彼女達の視線に対し微笑む。
「みんな、ありがとう」
その笑顔に、少女五人は一斉に頬を赤らめる。そんな恋する乙女達の様子を微笑ましげにセレスティーナが見詰める。
「そ、それで。君の悩み事ってのは一体何なんだ?」
気まずい沈黙を打破するように、軽く咳払いして尋ねるシルフィード。そんな彼女の問い掛けにクリュウは一度うなずくと、ゆっくりと口を開いた。
「……憎しみの連鎖って、どうやったら止められるのかなって」
――それは、皆の想像の遥か斜め上を翔け抜けるような難しくて、突拍子もなくて、厄介な疑問。五人は思わず一斉にその一文字を零す。
『……え?』
それは、見事な異口同音なのであった。
「……難しい問題だな」
クリュウから事の経緯を聞いたシルフィード達の表情は一様に難しげだ。事の経緯とはもちろんカレンとの一件だ。ただし、もちろん上辺の説明だけであって本能的に彼女達が怒り狂いそうな部分は割愛してはいるが。
クリュウからの無理難題に、シルフィードは腕を組んで考える。だが当然、いきなり問題が解決するような妙案が浮かぶ訳もなく、困ったように天を仰いでしまう。そりゃ、いくら大人びていても十八歳の少女には実に重過ぎる難題だ。
「残念ながら、エルバーフェルドでの反ガリア思想は徹底的です。宣伝省にプロパガンダによって多くの国民がガリア・東シュレイドを憎むべき敵国と信じています。それに加えて、両国が行った我が国に対する侵略行為は紛れも無い事実。そう簡単に解けるような代物ではありません」
エルバーフェルド人であるフィーリアの言う通り、宣伝省よる国民誘導宣伝(プロパガンダ)は徹底的だ。フリードリッヒが政権を奪ってからは小等学校の段階から反東シュレイド・反ガリアが徹底的に叩き込まれている。憎しみの連鎖の暴走は、止まる気配はまるでない。フィーリアのように、他国を回って客観的に物事を判断できるようなエルバーフェルド人は、極僅かだ。
「でもね、フリードリッヒは何も感情的に嫌いな二国に対する嫌悪感を扇動してる訳じゃないわ。確かにあの子も東シュレイドとガリアを憎んではいる。でもこのプロパガンダはどちらかと言えば、共通の敵を生み出す事で国民団結を促し、その力を国の復興または経済発展の原動力にしようとしてるの。いずれ復讐する為、今は衰えた国力を回復させる準備期間。そんな風に誘導すれば、国の復興は信じられない速度で進むわ。事実、エルバーフェルドの復興速度は空前絶後と言われている程に早い。普通にやれば二〇年と掛かる事を、彼女は数年でやり遂げたんだから」
セレスティーナが述べたのは、恐ろしい程に緻密な政府、即ちフリードリッヒの画策。確かにその方法を使えば一つの目的を果たす十分な起爆剤にはなるだろう。事実、エルバーフェルドはその結果ここまで国力を回復させたのだから。だが、国は復興できても同時に国民の中には憎しみが残されてしまう。その憎しみは世代を越えて受け継がれていき、いずれは戦争という形で狂気が暴れ出す。
しかも厄介な事に、プロパガンダが全くのデタラメなら真実を解き明かせば怒りが消滅する可能性もあるだろう。だが、東シュレイドとガリアのかつての侵略行為は紛れも無い事実。だからこそ、憎しみの呪いの拘束力は強い。
「……憎しみという感情は、人間誰もが持っている感情。そして、最も扱いやすくて、最も力を得やすい感情」
「確かに。私も憎しみの力でここまで来たと言っても過言ではないからな。その力の凄まじさは身をもって知っている」
憎しみを知っている二人の少女の言葉には、どこか重みを感じる。二人共両親をモンスターに殺され、サクラはわからないがシルフィードは一時期憎しみに狂った事もある。憎しみという感情の恐ろしさ、身をもって体験している者達の言葉は重い。
皆の話を聞きながら、クリュウは小さくため息を零す。彼だって憎しみという感情を持ち合わせていない訳ではない。むしろ世話になった事もある。あまりにも身近過ぎる感情だからこそ、それに染まる恐怖は、誰もが知っているのだ。
クリュウの真剣な悩みに、皆の顔も自然と引き締まって精一杯考える。だが、そう簡単に解決策など見つかる訳もなく、皆妙案もなく複雑そうな顔を浮かべている。そんな中、一人だけケロッとした表情を浮かべる者がいた。その人物はゆっくりとクリュウの背後へ近づくと――何の躊躇もなく彼の頭を引っ叩いた。
「えぇッ!?」
突然頭を叩かれたクリュウは叩かれた部分を押さえて驚いて振り返る。すると、そこには今まさに自分を引っ叩いた体勢のまま立っているエレナの姿が。
「え、エレナ……?」
「ったく、何らしくない事考えて煮詰まってるんだか」
彼女の突拍子も無さ過ぎる行動に皆驚きのあまり絶句している中、エレナは実に彼女らしい、幼なじみのアホさに苦笑を浮かべている。
「らしくないって……」
「らしくないわよ。だってあんた――バカじゃない」
エレナの口からハッキリと放たれた二文字の暴言。その言葉にサクラが物言おうと前へ出るが、そんな彼女をそっとシルフィードが制す。サクラが睨んでくると、シルフィードは黙って見ていろと言いたげな視線を送った。
そんな背後の展開など知らず、困惑する彼を目の前にしてエレナはなぜか偉そうに仁王立ちしながらフンと鼻を鳴らす。
「バカはバカらしく、考える前に行動しなさい」
「考える前に……」
「あんた、友達を作るのに何か策を巡らせるような、そんな卑怯な人間だった?」
呆れているような、軽蔑しているような、そんな視線で見詰める彼女の言葉にクリュウは首を振る。もちろん、否定を表す横方向だ。
人間自分の事ほどわからない事はないが、それでも自分がそんな人間ではない事は断言できる。
クリュウの返事に満足気にうなずくと、エレナはゆっくりと続けた。
「――だったら、当たって砕けなさい。そんな難しい事なんか考えないで、自分の気持ちをぶつける。それで十分よ。ダメな時はその時に考えればいい。行動をしてからこそ、結果ってものはついて来るのよ」
それは実に単純な、アホなくらいに真っ直ぐな言葉。どこかシャルルを思わせるような物言いだが、それは実にエレナらしい意見だ。容姿も正確も違うながら昔から意外と似てると思っていた両者。その心の真っ直ぐさはそっくりのようだ。
だが、どちらにも共通している事がある――それは、その真っ直ぐな意見に何度も救われてきた。という事実だ。
「あんた、自分の事結構頭いいとか誤解してると思うけど。実際は相当なバカだって事を忘れんじゃないわよ――あんたのそのバカさ、バカみたいな優しさが、今こうしてここにいるみんなを揃えた。違う?」
ニッと健康的な歯を見せて頼もしげに笑うエレナ。その周りにはいつの間にか乙女達が集結していた。フィーリア、サクラ、シルフィード、ルーデル、セレスティーナ。皆の視線は温かく、そしてクリュウ一人に向けられている。
「みんな……」
頼もしい笑顔で見守ってくれる皆を見て、クリュウもまた笑顔を華やかせる。根本的な解決がした訳ではないが、エレナの言葉で気が軽くなったのは確かだ。
そうだ。結局は自分の気持ち次第だ。どんな相手でも、自分の気持ちをぶつければいい。シルフィードを仲間にした時や、フィーリアの両親に協力を求めた時もそうだ。自分の一生懸命さが、状況を動かした。後者の場合はサクラのおかげというのが大きいのだが。
希望の光を取り戻す彼の背中を、エレナは力強く叩く。そのあまりの威力にクリュウは咳き込むが、彼女はそんなの構いやしない。
「え、エレナ……」
「――がんばりなさい」
耳元でそっと囁かれた彼女の言葉にハッと顔を上げると、そこには頼もしい笑みを浮かべた幼なじみが威風堂々と立っていた。その姿に勇気づけられるようにクリュウは立ち上がると、無策ながら「ちょっと行って来るッ!」と部屋を飛び出して行った。
彼が部屋を出て行くと、皆の視線は一身にエレナへと注がれる。その視線は感動や尊敬の念に染まっている。
「さ、さすがエレナ様ッ! クリュウ様の事をよくご存知でッ!」
「ハッ、一体何年あいつの幼なじみやってると思うのよ。こんなの訳ないわね」
当然よと言いたげに胸を逸らして自慢するエレナだが、どうやらそれがかなり恥ずかしい発言だとは自覚していないらしい。むしろフィーリアは感動し、サクラは悔しげにしている。
冷静なシルフィードが苦笑を浮かべていると、その隣にそっとルーデルが立ち並んだ。
「……あんた達ってさ、ほんといいチームよね」
羨ましげに言う彼女の言葉にシルフィードはどう答えたもんか悩む。彼女が仲間ができない理由は以前にクリュウとフィーリアから聞いた事があるからこそ、彼女の言葉の重みがわかる――だが、ここはきっとこの答えが合っている。
「そうだな」
シルフィードの返答にルーデルはくすっと笑うと、「ほんと、妬いちゃうわ」と笑いながらつぶやく。その笑顔はやはりどこか淋しげ。
彼女のそんな笑顔にシルフィードは何か話題を振ろうとした時、ふと思い出す。
「……何だか万事解決みたいな流れになっているが――クリュウとあの娘が仲良くなる事をよく君達は容認したものだな」
何気なく思い出したようにつぶやいた彼女の言葉に、それまで騒いでいた乙女達が一斉に沈黙する。そして、ゆっくりと振り返り……
『……え?』
「……クリュウもそうだが、君達も相当な阿呆だぞ」
ため息混じりにシルフィードがつぶやくと同時に、部屋の中はパニックに陥ったのであった。
「バカだなぁ……」
その頃クリュウは一人宮殿の廊下で頭を抱えていた。石畳の上に腰を落とし、柱に背を預けながらため息を零す。
勇良く部屋を飛び出したがいいが、肝心のカレンを見つけられずにいた。そりゃここは一国の首脳陣が集まる宮殿だ。その広さは半端ない。詳しい内装を知らない人間が目的の人物を探すのは相当苦労するだろう。というか、そもそも見つけたとして声を掛けられるのか。相手は一国の一軍最高司令官。その周りには先程のように大勢の将校が囲んでいる事など容易に想像できる。さらに言えば、彼女は軍人であって政治家ではない。ならばよくはわからないが海軍の総司令部が置かれている建物にいるのが筋だ。しかもそういう建物は大概こういう宮殿の中にはなく、首都の別地域に置かれているものだ。
冷静になるにつれて様々な考え――主にネガティブな思考がフルに発揮されていた。
「どうしよう……」
飛び出した手前、手ぶらで帰るのはものすごく恥ずかしい。その為、帰るという選択肢は却下だ。だがだからと言って行く宛てなどもちろんない。こうして蹲っているにしても限界もある。
どうしたもんかとクリュウが思考を巡らせていると、そんな彼の姿を見知った人物が運良く発見したのであった。
「おぉ、こんな所で何してんだ坊主」
その声に伏せていた顔を上げると、気さくな笑みを浮かべながらエルディンが立っていた。クリュウにとって、それはまさに渡りに船。というか、神様にも思えた。
「ロンメルさん……ッ」
「お、おぉ? 何だよ、そんなキラキラした目で俺を見やがって。気味悪いぞ」
クリュウの思わぬ反応に半歩引くエルディン。だが当然クリュウは逃すはずもなく素早く立ち上がるとそのまま彼の手を取った。
「た、助かりましたぁ……ッ」
「何だその反応? 宮殿の中で迷子にでもなってたのか?」
「ま、まぁ似たようなものです……」
恥ずかしそうに苦笑を浮かべながら答えるクリュウに、エルディンも何となく事情を察したのか同じような苦笑を浮かべた。
「それで、君は一体どこを目指していたんだ?」
「あの、デーニッツを探してて……」
「嬢ちゃんを? 嬢ちゃんならさっき財務省から諸経費削減を指示されて頭抱えてたから……今頃海軍事務室にいるんじゃねぇか?」
「それってどこですか?」
「おいおい、国防に関係する部署をそう簡単に一般人に教えられるかよ」
苦笑しながら答えるエルディンの言葉に、クリュウもまた苦笑を浮かべながら「そうですよね」と答えるしかなかった。彼の言う通り、カレンは国防の一角を担う一軍最高司令官。当然彼女がいる場所は軍関係施設になる訳で、そんな所を通常は一般人に教えるものではない。だが、
「……まぁ、ちょっとした質問に答えてくれれば考えなくもないが」
「ほ、本当ですかッ!? 全力でお答えしますよッ!」
彼の言葉にクリュウはすぐさま飛びついた。そんな彼の様子に微笑むと、エルディンは一度咳払いして改めて彼を見詰める。
「突然だが、君に言っておかなければならない事がある。実は――私は君の両親をよく知っている」
「な……ッ!?」
突然の予期せぬカミングアウトにクリュウは言葉を失った。驚きのあまり目を見開く彼の反応を見て、大方予想通りだったのか特に驚いた様子もなく苦笑を浮かべるエルディン。
「僕の、両親を、ですか……?」
驚きながらも彼の口から出たのは、半信半疑というような口調であった。そりゃ、クリュウが住み両親が暮らしていたイージス村と遠い異国エルバーフェルドではまず接点を見出せない。そんな異国の地に、両親の知り合いがいるなどそう簡単に信じられるものではない。
そんな彼の疑心にも気づいているのだろう。エルディンは小さく肩を竦めると「立ち話もなんだ。ついて来い」と回れ右して彼を誘導する。クリュウは半信半疑ながらも彼を追い掛けて歩き出した。
「――もう三〇年も昔の話だ。俺は当時ドンドルマのハンター養成学校へ単身このエルバーフェルド、当時はまだ王国だった頃に留学生として参加していた」
そう言ってコーヒーを片手に昔話を始めるエルディン。ここは宮殿内にある三軍連絡室。その名の通り陸軍・海軍・独立歩兵師団三軍との伝書鳩による情報連絡を行う、宮殿における軍の前線基地とも言うべき場所だ。その為か、部屋というより館と言う方が相応しい程に広い。平時でも三軍の兵士達はそれぞれ忙しそうに書類整理に追われている。これが有事となればここもまた戦場と化すだろう。
そんな部屋の一角にある、上級将校にのみ仕様が許可されている応接室が二人のいる場所だ。
テーブルを挟んで向き合うようにしてソファに腰掛けている二人。クリュウはたっぷりミルクと砂糖を入れたコーヒーを飲みながら彼の話に耳を傾けている。
「当時の俺はガキながら暴れん坊でな。ケンカじゃ負け知らずで逆らう奴は片っ端からぶん殴っていた。もちろん、先輩年上関係なくな。まぁ、所謂ガキ大将だった訳さ」
「はぁ……」
「そんな時に一人のクラスメイトと些細な事でケンカになってな。当然殴り合いになった訳だが、激戦の末に俺はそいつに打ち負かされた。初めて拳と拳のぶつけ合いで負けた――その相手がお前の父親、エッジ・ルナリーフだ」
「ブホォ……ッ!」
思わぬタイミングで父の名前が飛び出し、クリュウは驚きのあまり飲み掛けていたコーヒーにむせる。激しく咳き込む彼を見て「何してんだよ」と呆れるエルディン。
「ちょ、ちょっと待ってください……ッ。父さんって、そんな人だったんですかッ!?」
クリュウの覚えている父の姿は優しい父親という感じで、モンスターはともかくとして人に手を上げるような人には見えなかった。だから、彼の口から飛び出た発言に驚きを隠せないでいる。
「まぁ、俺があいつと拳で殴り合ったのはその一回切りだ。俺が不良ならあいつは優等生って感じだな。技能学科共に優秀で、学科に関しては当時の上位成績優秀者の中に名を連ねていたからな」
「父さんが、僕と同じ上位成績優秀者に……」
「ちなみにその頃よく一緒につるんでたのが、今現在そこで教官をやってるフリードだ。知ってるか?」
「フリードって……ビスマルク先生ですかッ!?」
知ってるも何も、何度も担任になった教官。クリュウにとっては恩師のような人だ。というか、昨今のあの学校関係者なら知らない者はいないような教官だ。
「知ってんのか」
「そりゃあもう、鬼教官として有名ですし」
「……まぁ、あいつは昔から不器用な奴だったからな。でもまぁ、いい奴だろ?」
「は、はい。尊敬してます」
「ははは、あいつが尊敬を受けるような奴になるたぁ。俺も年取ったもんだなぁ」
心底楽しそうに笑うエルディン。昔なじみの今を知る事ができて嬉しいのだろうが、クリュウとしては正直苦笑を浮かべるしかない。何だかんだ言っても、世間は狭いんだなぁと。
「……だから、ビスマルク先生何かと僕を気遣ってくれたのかな」
フリードは特にクリュウに何かとアドバイスをしてくれていた。ずっと謎だったのだが、それがかつての友人の息子だとわかっていたとすれば納得はできる。少し残念ではあるが。
だが、そんな彼の言葉にエルディンは首を横に振った。
「あいつはんなセコい真似はしねぇよ。あいつがお前を気にしてたって言うなら、お前にそれをさせるだけの実力があったって事さ」
「そんなまさか……」
「ディアブロスとの戦いをずっと見てたが、お前はなかなかの腕だ――それも、エッジの戦い方によく似てる」
「父さんの……?」
エルディンの言葉にクリュウは心底驚いた。別に父エッジに教わって今の戦い方を会得した訳ではない。なのに、彼が言うには自分の戦い方は父に似ている。ずっと追い掛けていた背中が、何だか少しだけ近づいたように感じられた。
「まぁ、エッジは大剣使いだったからな。片手剣使いのお前とじゃ武器自体での戦い方は当然違う。でもあいつも道具を多用する奴だった。小細工をさせたらあいつの右に出る奴はそういねぇな」
クリュウが道具を多用するのは、片手剣という武器による所が大きい。片手剣は攻撃力が低いのでどうしても道具に頼ってしまう武器だ。それに加えて片手剣は常に片手を自由に使えるので道具も取り出しやすい。片手剣使い共通の戦い方だが、クリュウはその使い方が上手だ。それは他のメンバーも、そしてあのフリードも認めている部分だ。
「お前は本当にエッジの息子かってくらいに自分に自信を持てねぇ奴だな。あいつは無駄に自信に満ち溢れていたが」
「……まぁ、父さんを知っている人にはよく言われます。自信過剰な人だったって」
「アメリアも結構おてんばな所があったかならなぁ。お前、どっちにも似てねぇぞ」
「ははは……、それもよく言われます。「あの二人からこんなにしっかりした子が生まれるなんて奇跡だ」って」
「事実奇跡だろ」
面白おかしそうに笑うエルディン。不思議と、彼と話していると何だかほっとする。両親の事を知っている人だからというのももちろんあるが、どことなく頼れる感じがして話しやすい。何というか、実に親しみやすい人だ。
「あの、一つ質問してもいいですか?」
「何だ?」
「――父さんを殺した古龍の正体、ロンメルさんなら何かご存知ですか?」
クリュウの真剣な問い掛けに、それまで笑っていたエルディンの顔からも笑顔が消える。
それはクリュウが知らない、そしてどうしても知りたい真実。どんなに調べても、その事件に関する事は何一つ出て来ない。ただの一介のハンターの情報だと言ってしまえばそれまでだが、それにしても情報がなさ過ぎる。
ジッと見詰めるクリュウの視線を受けながら、エルディンは少し考え口を開く。
「引退した身だから構わんが、他言は無用にしてほしい――俺とエッジはギルドナイトだったんだ」
「ギルド、ナイト……?」
思いもしない単語の登場に目を見開く。ギルドナイトといえばハンターズギルド専属のハンター集団だ。その業務は多岐にも渡り、中には要人や法を犯したハンターの抹殺任務もあると噂されている。一介のハンターから見れば、正直関わりたくはない存在だ。
クリュウの表情が厳しいものに変わったのを見てエルディンは慌てて訂正する。
「確かにギルドナイトの中には非合法な事を専門とする部隊もいる。だが、エッジが所属してたのはそっち側の部隊じゃない。俺とあいつが所属していたのは主に古龍討伐を専門とした《Dフォース》と呼ばれる機関だ」
「Dフォース……」
「俺も詳しい事はわからないが、あいつが最後に受けた依頼は確かローマリアからの依頼だった」
「ローマリアって、あのアテネ神教の?」
二人の言うローマリアとは、西竜洋諸国の一角を担う国家。神聖ローマリア法国の事だ。地理的にはガリアと共に西竜洋には面しておらず、ガリアのように他の西竜洋諸国と国境を面している訳でもないが、経済・文化・歴史などあらゆる面で西竜洋諸国と密接な事から、分類的には西竜洋諸国に位置づけられている。
ローマリアは王国制の国と同じような王が支配する国であるが、他の王政国家とは異なり教皇と呼ばれる指導者が君臨している。
ローマリアは全世界に普及している最大宗教、アテネ神教の宗主国である。アテネ神教とは《全ての命は神が与えし平等な命》とする生命平等宗教で、その関係からモンスターを討伐する事を生業とするハンターズギルドとは昔から対立が多い。熱烈な信者が狩場を占拠してデモを行い、ギルドナイトが出撃してこれを撃退するという事件も少なくない。
大陸人口の三割近くが信者と言われており、それを国家人口とすれば大陸最大国家とも言える。その為、神への冒涜を行うハンターズギルドだけではなく、国家転覆を危惧する周辺諸国との関係もあまり良くはない。特にエルバーフェルドではアテネ神教は国家転覆を企む危険思想とされ、国内での一切の信仰を禁止。これに反して信仰する者は国家転覆罪に罰せられ強制収容所に収監。布教を行う首謀者に対しては国内最高刑罰となる国家転覆扇動罪に問われ、処刑も辞さないという厳しい態勢を築いている。
クリュウもハンターであるが故、あまりローマリアの事は快くは思っていない。噂では狩猟中に信者が妨害に入ったり、地方のハンターズギルド支部が焼き討ちを受けるなどの被害も多数受けているそうだ。生命平等主義と言いながら、実際は異教徒と断定した相手には一切の容赦がない非道な連中だ。
ちなみにローマリアはジォ・クルーク海とアテネ海を結ぶアテネ運河を支配しており、そこの交通費と信者からの募金で成り立っており、宗教国ながら財政は潤っている。
「でも、何でまたローマリアから。ハンターズギルドと敵対しているはずですよね?」
「おいおい、敵対とは言い過ぎだ。仲が良くないと言うだけで……まぁ、実質同じか。とにかく、そのローマリアの教皇庁からの依頼をハンターズギルドが受けて、エッジが派遣された訳だ。極秘依頼だったらしくてな、俺も詳しい事は知らない」
「そう、ですか……」
結局、父を殺した古龍の正体はわからなかった。それでも、今までに比べればずいぶんと状況背景はわかった。それだけでも良しとしなければならない。言うなれば、霞のようなものからわずかながら輪郭が見えるようになったのだ。
「アテネ神教の聖書は読んだ事はあるか?」
「いえ、ありませんけど」
「アテネ神教は創造神アテネを神とした宗教だが、その最大の敵は世界を滅ぼすと言われている《白き邪神》だ。現教皇はその邪神の復活が近いと騒いでいるらしいが、当然ローマリアを快く思っていない他の周辺国家はこれに同調する動きを見せていない」
「それが、どうかしましたか……?」
「……これは俺の勝手な解釈だが、その邪神ってのはおそらく何か特殊な古龍だ。そして、エッジはその古龍に関係する事柄で命を落とした。そう思ってる」
エルディンの話はかなり規模の大きなものだ。一つの国家が最大の敵としている伝説上の生物に関連する何かで父は命を落とした。普通に考えれば誇大妄想の甚だしい話だが、クリュウは自然とその話を信じられるような気がした。というか、信じたかったのかもしれない。
父は古龍討伐のエキスパートだった。なら、その父が敗北を喫した相手というのは普通の古龍ではないはず――否、そうであってほしいという子供心だ。
次第次第に、父の死の背景が見えてきた。このままなら、本当の真実に辿りつける。そう思った矢先、エルディンはコーヒーを飲みながらそんな彼の気持ちを制した。
「言っておいて何だが、この件にはあまり深入りしない方がいい」
エルディンの忠告に、クリュウは思わず「え?」と声を零す。自分にこれだけの、しかも引退したとはいえおそらくはハンターズギルドの口外してはならない秘密まで語ってくれた。だが、その本人がこの件には関わるなと言っている。どういう事か理解できなかった。
「どういう、事ですか?」
「言葉通りの意味さ。この件には政治的なものも絡んでいる。それに俺がギルドナイトの権限を使って十年以上掛けて調べてもこの程度しかわからない。下手すれば、命を落とすぞ」
真剣な表情で言う彼の言葉は脅しのようにも聞こえるが、おそらくは事実を言っているに過ぎないのだろう。それだけ、危険な案件なのだ。だが、だからと言って父の死の真実を知りたいという彼の子供心が収まるはずもない。
「でも……」
「俺としちゃ、エッジとアメリアの息子が命を落とす結果になるのは目覚めは悪いが、結局は部外者の話だから特筆して気にする事もねぇ――だがな、お前に死なれると俺の愛弟子が悲しむだろうが」
彼の言葉にクリュウは思わずハッとなった。彼が言う愛弟子とはもちろんシルフィードの事だ。当然、仲間である自分が死ねば、彼女も悲しむだろう。
「シルフィードだけじゃねぇ。あのレヴェリの娘や眼帯の東方娘だってな。お前、自分が羨ましいくらい仲間に恵まれている自覚はあるか? そんな仲間を悲しませるような事するな。お前は今を生きてるんだ。過去に囚われてても仕方ねぇだろ」
それは過去に囚われていた少女――シルフィードを救った一人の男の信念。彼もまた親友とも言うべき男を失い、過去に囚われた男。だからこそ、過去に囚われるなと言える。その言葉は重い。その言葉に、クリュウはその先を言う事はできなかった。
脳裏に浮かぶのは、皆の笑顔だ。その笑顔はきっと、自分がいなくなれば失われる。自信過剰な訳ではない。ただ何となく、そんな気がした。薄っすらとはわかっている。自分が、今のチームの一番の中核を担っている事を。戦略的なものではなく、精神的なものだ。
事実、レウス戦及び先日のディアブロス戦で自分が倒れた瞬間、チームは総崩れとなった。他の面々が脱落しても、何とか戦線を維持できるのに対して、自分が倒れただけで戦線はあっという間に崩壊する。
狩猟の中だけではない。日々の生活でも、自分はいつも皆の中心にいる――その自覚は、ちゃんとあった。
「親父の死の真相を知りたい、それは別に悪い事じゃねぇ。だがな、そんな事の為に今の仲間を悲しませ、自分を危険に晒す必要はねぇんだ。エッジも、息子のお前にそうなってほしいとは思ってねぇはずだ」
「ロンメルさん……」
「後ろに振り返る事は大切だ。だが、いつまでも後ろを向いてられる程世の中は甘くねぇ。気合入れて前を見据えて歩け。ルナリーフの名に泥を塗らないようにな」
そう言ってエルディンはクリュウの頭をグシグシと荒っぽく撫で回す。髪はかき混ぜられてぐちゃぐちゃだし、結構力があるので頭が振り回されて首も痛い――だが、自然とそれは嫌ではなかった。何となく、父親にされているような、そんな安心感があった。
「……チッ、ちゃんと結婚してればお前くらいの息子がいたのか。時の流れってのはつくづく恐ろしいぜ」
「ロンメルさんは、独身なんですか?」
「おぉ。俺は心に決めた女がいるからな。そいつ以外の女なんざ振り向きもしねぇよ――まぁ、結局は俺に振り向いてくれなかったんだけどな」
そう言って苦笑を浮かべるエルディン。その言葉に、何となくクリュウは引っ掛かりを感じた。
「ロンメルさん……」
「あいつは底抜けて明るくて、優しくて、本当に献身的な女だったよ。ちょっと世間知らずでバカな所もあったが、それによく笑わせてもらった。自然と、あいつの笑顔を見てると元気が出てなぁ。それでいてハンターとしては見た目に反して優秀で、あいつの援護に俺もよく助けられたもんだ。優しくて、きれいで、可愛くて、それでいて頼もしくて。あんないい女を妻にできたあいつは本当に幸せ者だ」
「それって……」
「ハハハ、人妻に手は出さねぇよ。それで親友もあいつも幸せになって、今目の前にかわいらしいその息子がいる。それで十分さ」
愉快そうに笑うエルディンだが、その笑顔は今までと違ってどこか淋しげだ。話の流れで、確信した。彼が心に決めた女性というのは……名前を上げるだけ野暮な話だろう。
「……アメリアは、死んだのか?」
「はい……」
一転して、真剣な表情となって問うてきたのはある意味クリュウは予想していた問い掛けだった。自分の返答に、彼はどんな反応をするのか。チラリと見ると、彼は顔を伏せたまま表情を見せなかった。ただ、「そうか……」と一言つぶやくだけ。
「時々あった手紙のやり取りが、十年くらい前から全くなくなってな。風の噂で死んだって俺の耳にも届いてた。だがな、確認に行く勇気がなくてよぉ、未練たらしく「あいつは生きてる」って信じ込もうとしてた。だがな、今回お前がやって来て、あいつの死は確信に変わった。そして今、真実となった。そうか……アメリアはやっぱり死んでいたか」
がっくりと項垂れながら「そうか……そうか……」と小さく繰り返す彼を見ているのが、とても心が痛かった。父の親友で、自分や父と同じくらい母を愛してくれていたもう一人の人。その辛さは、自分もよく知っている。だからこそ、こういう時は下手な慰めの言葉なんていらない事を、自分は知っている。ただ今は、黙っているしかない。
しばらくの沈黙。だがそれはずっと黙っていた彼の口が開くと同時に終わりを告げる。
「……これで俺も前に進めるって訳だな。ったく、お前に過去に囚われるなと言っておきながら、俺はずいぶんと囚われてたみたいだな。二〇年は長ぇぞ」
「ロンメルさん……」
「――今度、村へ二人の墓参りに行ってもいいか?」
苦笑しながら問う彼の言葉に、クリュウはどう答えるべきか迷っていた。だが、自分の中に流れている父と母の血が、その答えを教えてくれているような気がした。
「もちろん。父さんも母さんも、きっと喜びます」
母譲りの屈託の無い笑顔で、クリュウはそう答えた。