モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第160話 絶望を吹き飛ばす旋風 心優しき銀狼の想い

 翠水竜ガノトトス。角竜ディアブロス。

 二頭の巨大モンスターを前に、クリュウは気を失って砂の上に倒れ、フィーリアは悲痛な悲鳴と共に泣き叫び、サクラとシルフィードは愕然とその場に崩れ落ちている。

 もはや三人の乙女に、戦意など微塵も残されていなかった。

 目の前の地獄絵図に愕然としながら、シルフィードは倒れているクリュウを見る。ぐったりと倒れている彼は、先程からピクリとも動かない。気を失っているだけなのか――あるいは……

 その先を想像するだけで、胸が痛いくらいに締め付けられる。

 嫌だ。

 クリュウが死ぬなんて、絶対に嫌だ。

 何としても、彼を助けないと――でも、視線を前に向ければ、そこには絶望的な光景が広がっている。

 もはや自分達にはわずかな体力しか残されていない。それを必死に掻き集めて、ディアブロスに最後の決戦を挑んだのがほんの数十秒前の事。だがそんな彼らの想いは、突如として現れたガノトトス亜種によって打ち砕かれた。

 ガノトトス亜種の水ブレスでフィーリアを庇ったクリュウは地面に崩れ落ち、自分のせいで倒れた彼を見て絶叫するフィーリア。自分もサクラも、その光景に先程まであった闘志を完全に失ってしまった。

 体力もなければ、気力もない。もう、自分達には何も残されていないのだ。

 抵抗する力も、気も、まるで起きない。

 そりゃそうだ。激戦の末にようやくディアブロスを追い詰めたかと思ったら、そこへまさかのガノトトス亜種が乱入。仲間一人が倒れ、三人が実質戦闘不能。これを絶望的な状況と言わずして何と呼ぶ。

 虚ろな視線で見詰める先で、ディアブロスとガノトトス亜種が動く。ディアブロスは必殺の突進を、ガノトトス亜種は首をもたげて水ブレスを放つ構えを取る。どちらにしても、避ける気も起きなかった。

 ――もう、ダメだ。

 シルフィードは諦めるように顔を伏せた――瞬間、嵐が荒れ狂った。

「うおおおおおぉぉぉぉぉッ!」

 勇ましい咆哮に顔を上げると、砂の上を信じられない速度で走る夜叉がいた。サクラよりもさらに疾い、常軌を逸した速度だ。夜叉は跳躍すると、水ブレスを撃とうとしているガノトトス亜種の頭に向かって構えていた太刀を突き刺す。その瞬間、闇夜を斬り裂くすさまじい電撃が迸った。

 頭蓋骨を貫通した刀から放たれる直撃の電撃に、ガノトトスはすさまじい絶叫を上げる。そしてそのまま地面に倒れ、動かなくなった。

 突如現れた夜叉に戸惑う三人。それはディアブロスも例外ではなく、三人に向けていた突進を夜叉に向かって仕掛ける。

 ガノトトス亜種をあっという間に倒した夜叉は迫るディアブロスに対しても全く動じる事なく、閃光玉で動きを封じた。

 視界を潰されて藻掻くディアブロスの横を悠然を通り抜け、夜叉は呆然と自分を見詰めている三人に近寄る。

 夜叉の正体は、女性だった。

 まるで星の煌きを集めたかのような光り輝く銀色の髪をキリンテールと呼ばれる左目を髪で隠し、右後頭部をサイドテールで縛った髪型。碧色の力強い瞳が特徴的な女性だ。

 彼女が纏っているのは銀色の刺々しい印象の防具。両肩からまるで刃物のように突き出た肩当や腕についた刃は、まるで全身が武器のような印象を抱かせる。名をギザミUシリーズ。上位クラスのショウグンギザミから採れる貴重な素材のみを使った上位ハンター装備。シルフィードと同じく、彼女もピアスをして兜は被っていない。

 背負うのは身の丈程はある巨大な太刀。サクラの持つ鬼神斬破刀によく似た、しかしそれよりも強力な武器、名を鬼哭斬破刀。これも上位ハンターの武器だ。

 女性は年の頃は二〇歳前後。シルフィードより少し年上に見える。

 女性は見下ろすようにシルフィードの前に立つと、呆然と彼女を見上げるシルフィードに――そっと手を差し伸べた。

「大丈夫か?」

「あ、あぁ……」

 シルフィードは彼女の手を取って立ち上がる。まだ状況がよくわからない彼女に、女性は「お前がこのチームのリーダーか?」と問う。

「あぁ。そうだが……」

「んじゃ話が早ぇや。そこで倒れてるガキを連れて今のウチに逃げな。その間に閃光玉であいつを足止めしといてやるよ。なぁに、せっかくテメェらが追い詰めた獲物を横取りなんかしねぇからよ」

「……す、すまない」

「――バァカ。こっちは妹が世話になってる身だ。これくらい安いもんだぜ」

「妹……? まさか、あなたは――」

 驚くシルフィードの問いに答える事なく、女性は泣き崩れているフィーリアへと近付く。自分の前で止まった足音に、フィーリアは伏せていた顔を上げる――その瞬間、彼女の表情が変わった。

 驚愕一色に染まった彼女の口から、言葉が漏れる。

「る、ルミナお姉様……?」

 フィーリアにルミナと呼ばれた女性はニッと白い歯を見せて笑うと、彼女の頭をグシグシと少々乱暴に撫でた。

「久しぶりだなフィーリア。元気にしてたか?」

「ど、どうしてルミナ姉様がここに?」

「うん? いや、ドンドルマで受けた依頼でだよ。ガノトトス亜種の討伐ってね。でもどうやら、同じ狩場で二重契約(ダブルブッキング)してたみたいだけどな」

 やれやれとばかりにわざとらしく肩を透かせる女性。そんな姉の姿を、きょとんとフィーリアは見詰めている。

 セクメーア砂漠は基本的にはドンドルマの管轄の狩場である。しかしセクメーア砂漠は砂漠地帯の重要な輸送経路の一つなので、砂漠に領地を持つ国が独断で狩猟依頼を出す事ができる。

 しかし多くの国々はハンターズギルドと揉め事を起こしたがらないので基本はこういう場合ハンターズギルドに依頼を出すのが通例だ。だがエルバーフェルド、強いてはフリードリッヒはハンターズギルドの協力を得ようとはしない為に独断で討伐隊を出し、こうして時たまドンドルマの派遣したハンターと問題を起こす事がある。

 今回もエルバーフェルドではディアブロス討伐を、ハンターズギルドではガノトトス亜種の討伐をそれぞれ行使し、こうしてブッキングしてしまった訳だ。

 だが、今回の場合はむしろそのブッキングのおかげで助かったとも言えなくはないが。

「時間がない。さっさと撤退しろ。その時間稼ぎくらいはしてやるからよ」

「で、でも……」

「そこに転がってるガキの安全を確保する方が先だろ? それとも、野垂れ死にした方がいいってか?」

「そんな訳ないッ!」

 力強く叫んで怒る妹の姿を見てニッと満足気に笑うと「だったらさっさとしな。俺は気が変わりやすいんだ。知ってるだろ?」と言い残し、背を向ける。

「ルミナお姉様、一人で大丈夫? 私が援護した方が……」

「――いらねぇよ。俺を誰だと思ってんだ。称号持ちをなめんなよ。お前は足手纏いだ」

 姉の言葉に、フィーリアの表情が曇る。確かに、姉の言う通りだ。姉はギルドから認められた称号持ち。その実力は相当なもので、もうじきG級ハンターへの昇格が決まっている。ここにいる全員の中で、確実に最強だ。それこそ、一人でディアブロス程度をねじ伏せる事も容易なはず。

 だから、彼女の言う通り自分は足手纏いにしかならない。いくら姉の背中を追い掛けてがんばっても、まだ姉の背中は遠い。自分は、まだ姉の役に立てない。

 表情を曇らせる妹の姿を見て、女性はフッと口元に笑みを浮かべると、再び彼女の頭をグシグシと髪を乱暴に掻き乱す。

「バァカ。お前のがんばってる姿は、ちゃんと見てたぞ。お前はもう立派なハンターだ。胸張れや」

 それはきっと、姉の背中を追いかけていた自分が、最もほしかった言葉だったのかもしれない。

 圧倒的な実力差のある、ずっと自分より前を走っている姉に、認めてほしい。

 顔を上げると、姉はニッと白い歯を見せて笑っていた。美人なのに、その表情や瞳に宿る光はまるで少年のよう。希望に満ち溢れ、今を楽しんで生きている。

 そんな姉に憧れて、ハンターを目指した。ハンターをしている姉は本当に輝いていて、きれいで、自分も姉のようになりたい。そう願って……

「ルミナお姉様……」

「……まぁ、お前はまだまだ張るだけの胸はねぇけどな。キシシシ」

 美人丸潰れな意地汚い笑い声を上げる姉の言葉に、フィーリアは顔を真っ赤にして「それは言わない約束ぅッ!」と怒る。ビシッと指差す先には、自分よりもずっと大きな胸を自慢気に突き出す、いじわるな姉の姿。

 散々笑い倒すと、女性はフィーリアに背を向ける。その背中は、フィーリアがずっと追いかけていた、かっこいい姉の背中だ。

「――さぁ、お喋りはひとまずここまで。さっさと行け」

 姉の言葉にうなずき、フィーリアは立ち上がる。その間にシルフィードとサクラは倒れているクリュウの回収を終えていた。シルフィードが彼を背負っている。

「撤退するぞフィーリアッ!」

「は、はいッ! じゃあ、ルミナお姉様ッ。殿(しんがり)よろしくねッ」

 フィーリアの激励に、女性は背を向けたままヒラヒラと手を返す。

 気を失ったクリュウを背負ったシルフィードを先頭に、フィーリアとサクラの三人は全速力でエリア7を後にした。

 

 拠点(ベースキャンプ)にまで後退した三人。すぐにクリュウをベッドに横たえて手当てをする。幸い、怪我自体は大した事はなかった。あの状況でどうやらとっさに受け身だけは取ったらしい。経験で培った反射神経が功を奏した訳だ。

 手当てを済ませたクリュウの次に、フィーリアはシルフィードの手当ても行う。先程岩に叩きつけられただけあって、どちらかと言えば彼女の方が怪我は大きい。

 痛む部分にリリアの塗り薬を塗って包帯で固定する。

「すまないな。本当はクリュウの傍にいたいのだろう?」

 背中を彼女に向け、包帯を巻いてもらっているシルフィードは申し訳なさそうに彼女に謝る。だが、フィーリアは小さく首を横に振る。

「シルフィード様だってお怪我をされているんですから、放ってはおけません――それに、私がいても何のお役にも立てませんし」

 曇った表情のまま言う彼女の言葉に、シルフィードは振り返る。

「あまり気に病むな。あれは誰も想定していなかったイレギュラーだったんだ。君の責任じゃない」

 自分の庇って倒れたクリュウ。その事に負い目を彼女は感じていた。それは、きっと彼女ではなくとも同じ状況になれば思う罪悪感。でも、あの事態は誰も想定できなかった事だ。彼女に責任はなく、気に病む事は当然無い。

 自分を心配する彼女の言葉に、フィーリアは小さく笑みを浮かべた。

「お心遣い、感謝します」

 それでも、その笑みはどこかぎこちなく、暗い闇が消えた訳ではない。無理もない、それが事実だとしても、自分のせいで彼が傷ついた。これもまた、変えようもない事実なのだから。

 手当てを終え、天幕(テント)の中へと消えるフィーリア。その背中を、シルフィードはいつまでも心配そうに見詰めている。

 天幕(テント)に入ると、ベッドで横になっている彼の傍にサクラが座っている。心配そうに、眠っている彼の顔を覗き込んでいた。

「あの、サクラ様……」

「……別に謝る必要なんて無いし、あったとしてもそれは私に向けられるものじゃない」

 フィーリアがその先の言葉を言うのを遮るように、サクラは淡々と言う。それは不器用なりな彼女の心遣いだった。彼女自身、あれは想定していない事態だ。彼女を責める理由も気も、ない。

 ただそれでも、横になってずっと瞳を閉じている彼を心配そうに見詰める彼女の姿は、見ているこっちまで辛くなるような表情。自然と、フィーリアの表情も曇っていく。

「……自分の身を、最優先にって言ったのに」

 つい数時間前、勇気を出して忠告したはずなのに。彼はそれを聞き入れなかったどころか、一番してほしくなかった自分を庇って傷ついた。

 勝手なのはわかってる。助けてもらっておいて、彼を責めようとしている自分が許せない。許せないけど、同じくらいに彼の事も許せない自分がいる。

 どうして、そんなに人の為に自分の命を簡単に投げ出せるのか。生きてこそ、守る事ができるという事を、なぜ彼はわかってくれないのか。

 もしも、今回のような事がまたあって。その時に、本当に命を落とすような事があれば……そう思うと、怖くて体の震えが止まらない。

「どうして……」

「……クリュウは、バカなのよ」

 そっとつぶやかれた言葉。ハッとなって伏せていた顔を上げると、彼の顔を覗き込むサクラが目についた。でもその表情はさっきまでのような悲痛に満ちたものではなく、優しさに満ちていた。

「バカって……」

「……大バカよ。本当に、信じられないくらいに、バカなお人好し」

 スッと彼女も伏せていた顔を上げ、自分を見詰めているフィーリアと目が合う。刃物のように鋭い常の彼女の瞳とは違う、とても優しげな柔らかな瞳。

「……昔から、人の為に無茶ばかりする人。見ている方としてはいつも心配で気苦労が絶えなかったけど――その無尽蔵な優しさが、クリュウの一番素敵な所だから」

 いつもはクリュウ以外にはあまり見せない穏やかな表情で言う彼女の言葉に、フィーリアはうなずく。彼女の言う通り、確かに彼の無茶ぶりは見ている方としてはハラハラさせられる。でも、その優しさに触れて彼を好きになってしまったのだから、それを否定する事は、自分にはできない。だからこそ、もどかしい。

「サクラ様は、クリュウ様が無茶をなさる事には反対ですか?」

「……私はクリュウの信念を尊重する」

 それはクリュウを心から信頼している彼女らしい言葉。でも、フィーリアはそんな彼女の言葉に違和感を感じずにはいられなかった。

 聞きようによっては、彼を心配していないようにも聞こえるセリフ。クリュウの事を本気で心配しているからこそ、彼女の言葉に引っかかりを感じてしまう。

「――私は、サクラ様の意見には賛同しかねます」

 ハッキリとフィーリアはそう言った。すると、それまで穏やかな瞳をしていたサクラが一転していつもの鋭さを取り戻す。刃物のように鋭い瞳で見詰められて半歩引いてしまうが、負けずに見詰め返す。

「私は、クリュウ様が無茶をして傷つくのはやはり耐えられません。だから、先程忠告したばかりでしたのに……なのに……ッ 私のせいで……ッ」

 忠告していながらそれを無視して断行したクリュウに対する憤り、その彼が無茶をする原因を自分で生み出してしまったという不甲斐なさ。様々な感情が渦巻き、彼女の心と共に握られた拳を震わせる。

 悔しげにきつく拳を握り締めるフィーリア。そんな彼女の姿をしばしジッと見詰めたかと思うと、サクラはわざとらしくため息を零す。

「……私はクリュウの無茶を止めない。その代わりに――クリュウが無茶して怪我をしないように守る。そう決めている」

「え……」

 思わぬ彼女の言葉に驚いて伏せていた視線を上げると、サクラがジッとこちらを見詰めていた。責めるでも哀れむ訳でもなく、ただジッとフィーリアの瞳を見詰めるサクラ。

「……クリュウは自分の事を考えずに突っ込む。だったら、そんな彼に群がるあらゆる脅威を私が斬り伏せる。そうすれば、クリュウは傷つく事はない」

「サクラ様……」

「……確かにクリュウは自分の事を優先順位から外している。普通に考えれば自殺願望とも言える無茶苦茶さよ――でも、そうした覚悟と行動で今まで多くの命を助け、逆境を乗り越えてきた事も事実。それはクリュウの実力。それを否定する事は、クリュウ自身の信念や生き方を否定する事になる。私は、そんな事は絶対に許さない。だから、私はクリュウの信念を尊重する。だって――」

 そう言うと、サクラはフッと口元に笑みを浮かべる。それは表情に対する感情変化が乏しい彼女なりの、精一杯の優しげな笑顔だったのだろう。小さくも、その笑顔は――きれいだ。

「――私はクリュウの事が好きだから」

 飾り立てのない、自分の気持ちを表す真っ直ぐな言葉。自分のように色々な事を考えて悩み、壁に当たって苦しむのとは違う。全てを信頼という形で、ただ一心に彼を支える事を覚悟した、不器用でも確かな恋する乙女の気持ち。

 たったその一言。それだけで、彼女が彼の事をどれほど信頼し、愛しているかがわかる。

 それに比べて、自分はどうだ。彼に傷ついて欲しくないが為に、彼の信念を否定して止めようとする。口では信頼していると言いながら、自分の行動はその言葉を実行しているだろうか。そんな不安が、疑問が、胸を渦巻く。

 本当に彼を愛しているなら。本当に彼を信頼しているなら、自分の考えや行動はやってはいけない事ではないのか。ましてや、自分はそんな彼の部分に恋した。そんな彼の行動に助けられた。それを否定する事は、同時に自分の彼に対する恋心も否定する事にはならないのか。

 様々な考えが頭の中で渦巻き、ゴチャゴチャになる。だからこそ、親友(ライバル)の言葉は、そんな自分の頭の中の葛藤を消し飛ばした。

「――好きな人の全てを支えてあげたい。それは、当然の想いだから」

 ……結局、自分なんかよりもずっとクリュウの事をサクラは想っていた。

 彼の全てを信じ、愛している。だからこそその全てを支え、守りたいと願い、行動している。自分の考えを押し付けるだけの自分とは違う、全てを信じるという――究極の信頼。

 意気地がないとか、勇気がないとか、大胆さが足りないとか。自分がどうしてもサクラに勝てないのは、そんな表面上の事だけではなかった。もっと深い部分で、自分は彼女に負けていたのだ。

「……サクラ様は、本当にすごい方ですね」

 口から漏れたのは、そんな素直な感想。それは同時に――自分の完敗を認める言葉でもあった。

 自分は彼を想うが故に、彼を縛りつけようとしていた。最低な女だ……

 だが、弱音を吐くフィーリアを見てサクラは小さく首を横に振って彼女の言葉を否定する。

「……私は不器用だ。貴様みたいにクリュウの為に考える事ができない。だから、彼の全てを支えるなんて選択しかできない。そういう意味で、私は貴様がうらやましい」

「サクラ様……?」

 静かにそう言うと、サクラはフッと口元に小さな笑みを浮かべて、こう言った。

「――私達は二人でクリュウを支えられるのかもしれない」

 彼女の言葉に、フィーリアは目を見開いて驚く。それはあまりにも彼女らしくない発言だった。

 何事においてもクリュウを独占しようと誰よりも最初に行動し、波乱を起こすサクラ。だが、今の彼女の発言はそんな彼女とはあまりにもかけ離れている。それも、その片翼が自分だという事も、フィーリアは驚かせている。

「私達、二人で……ですか?」

「……正確に言えば、私と貴様。足して2で割るのがちょうどいいのよ。彼を信頼し、しっかりと支えながら、彼が曲がった道へ進まないように時には勇気を出して意見する――私は支える事しかできない。でも貴様は勇気を出して彼に意見できる。両極端な私達は、ある意味二人で彼を支えるのがベストなのかもしれない。そう思っただけよ」

 そんな彼女の言葉に、どこか納得する自分がいた。

 自分達二人は確かに両極端だ。全てを信じて支えるサクラと、彼を想うがゆえに自分の意見を押し付けてしまう自分。自分達はアクセルとブレーキの関係だ。どちらも必要で、どちらも欠けてはならない。

 今のクリュウはきっと、サクラだけでも自分だけでも生まれてはこなかった。二人で彼の傍にいたから、こうして今の彼がいる。どうしてだか、そう思えた。

 クリュウが好き。その気持ちは二人共変わらない。ただ、その表現方法が違うだけ。でもその違いが、大切なのだ。

 自然と、どこか納得したような表情になるフィーリア。だが、そんな彼女の顔を見るとサクラは不敵な笑みを浮かべる。いつもの彼女らしい、自信に満ち溢れたあの表情だ。

「……でも、貴様にクリュウは渡さない」

「なッ!? き、奇遇ですね。私も断固としてその気持ちは変わりませんよ」

 いきなりの宣戦布告のような言葉に驚きつつも、フィーリアもしっかりと彼女に対峙して断言する。

 二人の願いは、両立する事は決して無い。だが――

「……私のクリュウに対する愛はこんなにも大きい」

「わ、私の方がこんなに大きいですッ」

「……じゃあ、私はこれくらい」

「こ、これくらいですぅッ!」

 腕をいっぱいに広げて自分達の彼に対する愛の大きさを競う、一見するとアホらしいやり取りだ。だが、そのどちらの表情もなぜか楽しそう。

 ――今はまだ、この関係を壊したくない。それは二人の共通した願いでもあった。

 

 天幕(テント)の中であまりにも幼稚な争いを繰り広げる二人を、天幕(テント)の外で聞いていたシルフィード。その口元には小さな笑みを浮かんでいた。

「……まったく、私だっている事を忘れてもらっては困るぞ」

 二人の絆がちょっとだけ羨ましく、そんな二人に弾かれている事がちょっとだけ寂しい。でも、そんな二人を見ていると、自然と笑みが浮かんでしまうのだ。

 誰か一人でも欠けてはならない。きっと自分達は、そういうチームなのだ。狩猟においても、日常においても――恋においても。

 そろそろ顔を出すかと天幕(テント)へ入ろうとした時、突然物音が響いた。振り返ると、そこには何も無い。あるのは、岩壁のすぐ傍に築かれた井戸だけだ。

「何だ?」

 不審そうに井戸を見詰めるシルフィード。じっと凝視していると――ゆっくりと、井戸の縁に人の手が現れて……

「……ッ!?」

 

「な、何ですか今の悲鳴はッ!?」

「……シルフィード?」

 突如響いたシルフィードの悲鳴。二人がその声に反応して急いで天幕(テント)から飛び出すと、シルフィードは腰の抜かして地面に座り込んでいた。

「シルフィード様ッ! 一体どうなされたのですかッ!?」

 駆け寄って問い掛けると、シルフィードは引きつった表情のまま無言で前を指さす。二人はその指し示す先を見詰め、硬直した。

 井戸の縁に掛けられた手。すると、ゆっくりと井戸の中から何かが出て来た。銀色の髪を不気味に顔の前に垂らした、びしょ濡れの女性。顔が見えない彼女の姿は、実に不気味だ。顔を引きつらせた三人は、その恐ろしい姿に、一斉に悲鳴を上げた。

「ま、待てバカ……」

 一斉に悲鳴を上げて逃げようと走り出す三人を、井戸から出て来た不気味な女性が引き止める。三人はその声に体を硬直させると、ゆっくりとぎこちない動きで振り返る。

「……まったく、人を幽霊扱いしやがって。感謝の言葉は掛けられても悲鳴を浴びせられる筋合いはねぇぞ」

 そう言って女性は前髪を掻き上げて、隠れていた顔を晒す。

「る、ルミナお姉様ッ!?」

「ったくよぉ、実の姉ぐらい見てわかれっつの」

 苦笑を浮かべながら立つのは、先程彼らを助けた女性ハンターだった。

 

「あ、改めてご紹介します。この方はシュトゥルミナ・レヴェリ。我がレヴェリ家次女にして、上位のハンター。私の姉です」

 フィーリアの紹介に女性――シュトゥルミナは「よろしくな」と屈託の無い笑みを浮かべる。美しく整った顔立ちに野性味が加わった美女。少年のような真っ直ぐでキラキラとした瞳が特徴的の人だ。

「いやぁ、汗掻いたから地底湖で泳いでサッパリしてから綱を登って来たんだが、外は思いの外寒いのな」

「当たり前でしょ? 水があれば凍ったって不思議じゃないくらいの寒さなんだから」

 タオルを巻いたシュトゥルミナにそっと温かいココアを渡すフィーリア。姉の無茶苦茶さに心底呆れている様子だ。

「お、サンキュー」

 妹の注意など聞いていないのか、シュトゥルミナはマグカップを受け取ると冷えた体を温めるようにそれを口にする。

「んー、やっぱココアは最高だな」

「相変わらずルミナお姉様は甘いものが好きだね」

「運動した後は甘いものが一番なんだよ。それに、かわいい妹の作ってくれたココアは格別だしな」

「……も、もう。お世辞を言ったって何もないよ」

 照れるフィーリアを見ておかしそうに笑うシュトゥルミナ。仲のいい姉妹という感じだ。だが顔立ちは確かに似ているが、性格は似ても似つかない。シルフィードはコーヒーを、サクラは緑茶を飲みながらそんな二人を見詰めている。

「最後に会ったのは二年前だったか? お互いハンター家業で忙しい身だからそうそう家にも帰れないからな。だからって、まさか狩場で再会するとは思わなかったけどな」

「ルミナお姉様は、ドンドルマの依頼でここへ?」

「まぁな。別に俺じゃなくても良かったんだが、ちょうど姉さんからセクメーア砂漠で採れる希少素材の採取依頼を受けてたから、ちょうどいいと思ってな」

「セレスお姉様が?」

「あぁ。何でも今度の古龍に関する学会で発表する論文に必要らしくてな。古龍の化石が必要だって頼まれてな」

「それはまた難しい品だね」

「……まったく、聖女みたいな顔して人使いが荒いよ姉さんは」

 疲れたようにため息混じりに言うシュトゥルミナの発言にフィーリアは「そんな事言うと怒られるよ」と苦笑する。

 仲のいい姉妹トークを楽しむ二人に対し、その光景をサクラとシルフィードはジッと見詰めている。シルフィードの場合は二人の会話を邪魔するのは忍びないから黙っている。サクラは単純に二人の会話には興味がないのだろう。その視線はむしろシュトゥルミナの背後に立てかけられている鬼哭斬破刀に向けられている。自身の武器、鬼神斬破刀の進化形態とあってそちらには興味があるのだろう。

「あぁ、話を割ってすまないが。ちょっといいか?」

 しばし二人の談笑を見守っていたシルフィードだが、意を決したように二人の間に割って入る。二人は会話をやめて振り返った。

「まずは貴殿への謝辞だな。先程は助かった。礼を言う」

 礼を述べるシルフィードに対し、シュトゥルミナは屈託の無い笑みを浮かべて手をヒラヒラと翻す。

「気にすんなって言っただろ? 妹が世話になってるのはこっちなんだからよ」

「いや、世話になっているのは我々の方だ。彼女の腕にはいつも助けられているからな」

 そう言って微笑むシルフィードに、フィーリアは顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべる。すると、シュトゥルミナはそんな彼女の頬をつねる。

「調子に乗るな阿呆。そういう所がまだまだ子供なんだよ」

「ご、ごめんにゃしゃい……」

 フィーリアの頬から手を離すと、シュトゥルミナはマグカップを片手にシルフィードに向き直る。その表情は先程までのような柔らかなものから硬いものへと変わっている。

「一つ、訊かせてもらってもいいか?」

「何だ? 私で答えられる範囲でなら、何でも答えるが」

「――妹は、よくやっているか?」

 それは、妹を心配する姉の気持ちの表れだった。彼女の言葉に、頬を撫でていたフィーリアの表情が嬉しそうな笑顔に変わる。それを一瞥し、シルフィードはしっかりとうなずき、答える。

「――もちろんだ。彼女ほど優秀なガンナーはそうはいない。ハンターとしても、仲間としても、非の打ち所が無い」

 シルフィードも、そんな姉に対して素直な意見を述べた。少々恋愛ごとで暴走しがちな所はあるが、それを差し引いてもフィーリアは最高の狩友だ。

「そうか……」

 シルフィードの返答に満足したようにうなずくと、シュトゥルミナは残ったココアを一気に飲み干し、マグカップを置く。

「……さて、俺はここらで退散させてもらうよ」

 そう言って立ち上がると、シュトゥルミナは立てかけていた鬼哭斬破刀を背負う。そんな彼女の行動を見て驚いたのはフィーリアだ。

「も、もう? せっかく会えたのに。もう少しゆっくりしていっても……」

「バァカ。ここは狩場であって家でもホテルでもねぇんだ。ゆっくりする必要がねぇだろ」

「そ、それはそうだけど……」

「それに、一つの狩場に四人以上のハンターがいるのはあまり好ましい状況じゃねぇしな。俺はともかく、天幕(テント)の中で休んでる坊主のようにお前らに迷惑をかける訳にはいかねぇよ――まだ、戦いは続くんだろ?」

 シュトゥルミナの言う通りだ。まだ、ディアブロスを倒せた訳ではない。狩猟はまだ、終わった訳ではないのだ。

 姉の言葉に、フィーリアは複雑そうな表情を浮かべて黙っている。久しぶりに会った姉ともっと話をしたい気持ちは当然ある。だが、彼女の言う通り一つの狩場に四人以上のハンターがいる事はあまり好ましいとは言えない。ジンクスと言い切ればそれまでだが、それでもそれはハンターとしての鉄則であり、掟。それを破る事は、できない。

 落ち込む妹の姿を見てシュトゥルミナは小さく微笑むと、その頭を優しく撫でた。

「ガノトトス亜種の討伐も、姉さんからの依頼も、俺にとっちゃどうでもいい事さ。だが、久しぶりにがんばってる妹の姿を見れたのは、何にも代えがたい報酬だ――短い間だったが、久しぶりにお前に会えて嬉しかったぞ」

 優しい姉の言葉に、フィーリアは泣きじゃくりながらうなずく。実家に帰ればほぼ必ず会えるセレスティーナとは違い、同じハンター家業の為にいつも家にいないシュトゥルミナとはなかなか会う事はできない。またいつ会えるのか、わからない。それでも、姉との絆はちゃんと今も失われずに、結ばれている。それがわかった途端、フィーリアは嬉しかった。

 泣きじゃくる妹の頭を優しく撫でながら、シュトゥルミナはシルフィードとサクラに向き直る。

「――妹を、よろしくな」

「あぁ。任せてくれ」

 答えるシルフィードに対し、サクラは無言だ。だが、その小さな笑みを浮かべた横顔を見る限り、彼女の返答は聞くまでもないだろう。

 シュトゥルミナはそんな妹の仲間達の答えに満足したようにうなずくと、荷物の入ったショルダーバックを背負って拠点(ベースキャンプ)去る。

「待ってくださいッ!」

 その声に驚き、シュトゥルミナが振り返る。天幕(テント)の中から、フラフラの状態で現れたのはクリュウだった。倒れそうになるのを慌ててシルフィードが支え「無茶するなバカ」と怒るが、彼はそれを無視してシュトゥルミナを見詰める。

「思ったより元気そうだな。それなら、秘薬でも呑んでおけばすぐ戦線復帰ができるな」

 安心したように言うシュトゥルミナに対し、まずは助けてもらった礼を言う。そして、クリュウは礼などいらないと先程シルフィードに向けたのと同じ言葉を述べる彼女に、静かに宣言した。

「――フィーリアは最高の仲間です。彼女は絶対僕が守りますから、安心してください」

 クリュウが笑顔でそう宣言すると、フィーリアは顔を真っ赤にして狼狽する。そんな二人の顔を見比べてシルフィードは苦笑し、サクラは不機嫌そうにそっぽを向く――そして、シュトゥルミナは……

「……ハッ、言うじゃねぇか坊主。気に入ったぜ。さすが将来俺の弟になる男だな」

 嬉しそうに笑いながら言うシュトゥルミナ。クリュウはそんな彼女の発言の一部分に首を傾げ、同じ部分でフィーリアはさらに顔を真っ赤に染めて狼狽えまくる。

「坊主、お前名前は?」

「クリュウ・ルナリーフ」

「――クリュウ。妹を守りたかったら、もっと強くなれ。この俺、《銀狼》を越えられるぐらいにな」


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