モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第147話 心すれ違って そして本心と向き合って

 お茶会と言う名の拷問から解放されたクリュウはすっかり疲れ切っており、その横ではフィーリアが必死になって頭を下げている。

 今ここは先程クリュウ達が一度集まった待合室。もう少しすると侍女がそれぞれの部屋まで案内してくれる手はずになっているが、それまではここで待機という訳だ。

「ほ、本当にお父様がとんだご無礼を……」

 父親の容赦のない尋問に対する非礼を必死に詫びるフィーリア。彼女自身父の容赦のない質問の連続に少なからずダメージを受けてはいたが、その直撃を全弾受けたクリュウの比ではない。

 クリュウは疲れ切った表情を浮かべながらも「まぁ、君を心配しての事だから。気にしないで」と微笑で返す。

「とんだ災難だったな。まぁ、身から出た錆だな」

 おかしそうに笑いながら言うのはシルフィード。ため息を零す彼の背中をポンと叩くと、手頃な席を見つけて腰掛ける。

「まぁ、見てる分には面白かったけどねぇ~」

 ケラケラと笑いながら言うルーデルに、「笑い事じゃないよぉ……」とクリュウは力なく答える。

「でも驚いた。フィーリアの両親って言うからもっと優しくていつも笑顔な、それこそセレスティーナさんみたいな人だと思ってたのに」

 エレナのレヴェリ夫妻の正直な印象に、フィーリアは小さく苦笑を浮かべる。

「お父様もお母様もとてもお優しい方ですよ。ただ、レヴェリの誇りという重責を背負っているから、何も背負っていない私のように笑ってはいられないんです――そもそも、親に似ない子供は生まれませんよ」

 フィーリアの至極当然な意見に「まぁ、それもそうね。確かにお父さんはすごく親バカ全開な人だったし、怖いけどお母さんも根は優しそうだったしね」と納得するエレナ。

「根っこの部分では、フィーリアによく似てるかもしれないわね」

「えへへ……」

 エレナの言葉にフィーリアは嬉しそうにはにかむ。すると、そんな彼女の肩に手を回し、グイッと自分の方へ引き寄せるルーデル。

「何よ何よぉ~。当主様の前でかっこいい事しちゃってぇ~。何が「私はレヴェリの名を捨てる覚悟です」よぉ~。このこのぉ~」

 フィーリアに抱きつきながら彼女の柔らかい頬を指先でツンツンと突き、彼女をからかうルーデル。そんな親友の言動にフィーリアは顔を真っ赤にして狼狽する。

「べ、別にそういうつもりで言ったんじゃないもん」

「何よぉ~。照れちゃってかわいいぃ~なぁ。このこのぉ~」

 照れるフィーリアがかわいいのか、ケラケラ笑いながら彼女をからかうルーデル。すると、そんないじわるな親友に反撃とばかりにフィーリアが噛み付く。

「そ、それを言うならルーだって「ルーデル・シュトゥーカ、我が生涯一度切りのお願いでございます」なんてかっこつけてたじゃない」

 フィーリアの思わぬ反撃に今度はルーデルの方が狼狽する。

「あ、あれは別にそういうつもりで言った訳じゃないわよッ」

「何が生涯一度切りのお願いよ。それお父様の前で五、六回くらい言ってるじゃない」

「冗談言わないでよッ! これが三回目よッ!」

「あ、やっぱり一度切りじゃないんだね」

 見事に墓穴を掘ったルーデルを見て、クリュウは小さく苦笑を浮かべる。するとすぐにルーデルは「う、うるさいわねッ! あんたは黙ってなさいッ!」と激怒する。クリュウは苦笑を浮かべながら彼女から視線を逸らす。すると、いつの間にか隣に立っていたサクラと目が合う。

「……お疲れ様」

「あ、うん。でも一番がんばったのはサクラだよ。ありがとうね」

 サクラは静かに首を横に振る。

「……私はきっかけを作ったに過ぎない。本当にがんばったのはクリュウ」

「そうかな? 僕は必死だったからあまりよくわかんないや」

「……クリュウ、かっこ良かった」

「かっこいいかな? 情けなく土下座してただけだよ?」

「……目的の為なら自分のプライドも捨てて邁進するクリュウの姿は、とてもかっこ良かった」

 そっとクリュウの手を握り締め、熱を帯びた視線を送るサクラ。そんな彼女の姿、それもいつもとは違うドレス姿にクリュウの顔がカァッを赤く染まる。

「あ、ありがとう……」

「……クリュウ、いい子いい子」

 サクラは呆然としているクリュウの頭を良し良しと撫でる。同じくらいの身長だが、一瞬だけその大人びた姿がまるで彼の姉のように見えた。

 クリュウは恥ずかしそうに頬を赤らめながらそれを素直に受け入れる。不思議と嫌な気はしなかった。

「どうしたのさ突然」

「……いつものお返し」

 きっといつも彼が自分にしてくれる事と彼女は同じ事をしているつもりなのだろう。小さく口元に笑みを浮かべながら、彼女は彼の頭を撫で続ける。

 そんな傍目に見ても仲良さげな二人を悔しげに見詰める者が約三名。

「うぅ、何でいつもサクラ様ばっかり……」

「フン、鼻の下伸ばしちゃってさ」

「何よ。私やフィーちゃんだって頑張ったのにさ」

 そんなふて腐れる乙女たちをシルフィードは苦笑しながら見詰める。

「まったく、罪作りな奴だな君は」

「え? 何か言ったシルフィ?」

「何でもないさ。どうせ言っても無駄だろうしな」

 シルフィードの発言にクリュウは首を傾げる。そんな彼の横でサクラがじっと彼女を睨む。余計な事を言うなという威嚇なのだろう。シルフィードは何も言わないさと言いたげに肩を竦ませる。

 シルフィードはクリュウとサクラから離れると、部屋全体を見回せる場所に移る。そこで部屋を見回すと、そこには自分の仲間達の姿が見える。だが、女子陣全ての視線は――クリュウに注がれている。

 シルフィードはフッと口元に笑みを浮かべた。

「……クリュウ、君はどうしようもないくらいに人を引きつける魅力があるらしいな」

 心の中で、シルフィードは「まぁ、女限定だがな」と苦笑しながら付け加えるのであった。

 

 それからしばらくして侍女が客人一人一人を用意された部屋へと案内した。

 シルフィード、サクラ、エレナの三人は二階の客室に。クリュウは一階の客室に案内された。客室だけあってフィーリアやルーデルの部屋から離れている事から二人も二階の客室に一時的に部屋を移す事になった。

 部屋に案内されたクリュウはその部屋の豪華さに目を見張る。ドンドルマのギルドの宿泊施設で言えばかなり上級のハンターが使う事を許されるクラスの部屋だ。中は豪華な装飾が施され、ベッドは見るからに快適そう。広々としており、一人で使うにはあまりにももったいない程だ。

「ほ、本当にこんなすごい部屋を使っちゃっても?」

「はい。当主様のご命令です」

 侍女はそう言って一礼すると、静かに部屋を出て行った。残されたクリュウは興味深げに部屋を見回し、ベッドに腰掛ける。信じられないくらい柔らかい事に驚きつつも、改めてフィーリアはすごいお嬢様なんだなぁと感心する。

 クリュウは小さくため息を零すと、ベッドに横になった。

 ぼーっと天井を見上げながら、クリュウはもう一度大きなため息を零す。

「何とかなるもんだなぁ……」

 クリュウは改めて自分の常識外れの行動に呆れつつ、しかしまさかその行動がこうもあっさりと開かれた事に内心まだ驚きを隠せない。

「違う……まだやっと出発点に立てただけだ」

 クリュウはさらにここから先に広がる無茶難題を想像し、前途多難過ぎて頭を抱える。

 あくまで今回得たのはアルトリア行きの切符ではなく、アルトリア行きの切符を売る店の整理券を得たに過ぎない。まだここからエルバーフェルド政府、強いては先日西竜諸国に対して挑発的戦闘を断行したこの国の長、フリードリッヒ・デア・グローセ総統に謁見し、そこでアルトリア行きの願いを聞き入れてもらう。正直、今回のお願いよりも困難であろう事は簡単に予想できる。

 もしも成功したとしても、今度はそこから異国アルトリアで母の情報をどう集めるか。

 大まかな流れは決まっていても、その実は中身はまるでなく、本筋自体も無茶苦茶だ。

 何度思い返しても実に実現性が乏しい無茶苦茶な計画とも言えぬ計画。それに、フィーリア達はついて来てくれているのだ──自分を信じて。

「……何で、僕なんかをあそこまで信じられるんだろ」

 当人達を目の前にして言えばクリュウと言えど本気で怒られかねない発言だが、これが彼の素直な感想であった。

 なぜ、みんなは自分なんかの無茶苦茶極まりない行動について来てくれるのか――自分に、それだけの価値があるのか。本気で、考えてしまう。

「僕に、それだけの価値があるのかな……」

「――それ以上ふざけた事抜かしたら、マジでブチ殺すわよ」

 予期しない声にクリュウは驚愕し、慌てて飛び起きる。振り返ると、そこには不機嫌そうに自分を見下ろすエレナが仁王立ちで立っていた。

「え、エレナッ!? どこから入ったのッ!?」

「ドアに決まってるでしょ。人を幽霊扱いする前にカギくらいかけておきなさいよ」

 至極当然だと言いたげに答えるエレナ。まぁ、彼女の言う通りカギを掛けておかなかった自分にも責任はあるが、そもそもノック無しで無断で部屋に入って来る方が――まぁ、エレナ相手ではその定義は意味を成さないのだが。

「それで、僕に何か用?」

「別に。あんたに会いに来るのに理由なんて別にいらないし──そうね、強いて言えば今のあんたのふざけた発言かしら?」

 口調こそいつもと変わらないが、そう言うエレナの表情はいつになく厳しい。怒れば火山の大噴火のようにブチギレるエレナが、静かに怒る姿はいつもの怒っている時よりも恐ろしい。

 クリュウはそんなエレナの怒りに恐怖しながらも、努めて平然を装う。

「僕、何かエレナを怒らせるような事言った?」

 そのクリュウの何もわかっていない、証拠と言っても過言ではない発言にエレナの表情が静かなる憤怒に染まる。

「驚いた。鈍感鈍感とは思ってたけど、ここまで人の気持ちを理解できない奴だったなんて……」

「何だよ。言いたい事があるならハッキリ言ってよ」

 エレナの人をバカにするような発言に、クリュウもまた不機嫌そうな表情を浮かべる──刹那、頬に鋭い痛みが走った。

 驚くクリュウは反射的に痛みが走った頬を撫でる。そして、次第に熱を帯びる頬を触りながら、クリュウは理解する──平手打ちされたのだ。

 目の前には身を乗り出し、右腕を左へ一直線に振り抜いた後の体勢でエレナが、鋭い瞳で自分を睨みつけていた。

「──ハッキリ言ってやるわよ」

「エレナ……?」

「何であんたを信じられるのか? 自分にそんな価値があるのか? 信じられるから、それだけの価値があるから、みんなあんたについて来たのよッ!」

 静かなる怒りが、激しい激昂に変わる。エレナはクリュウの首根っこを掴み、無理矢理自分の方に引き寄せる。一瞬で、クリュウとエレナの距離は息が届くくらいに狭まる。

「本当にわからない訳ッ!? あんたの人間性に引かれたから、今のフィーリア達がいるんじゃないのッ!? フィーリアはあんたと一緒にいるのが幸せだと思ってるからあんたの傍にいるッ! サクラも子供の頃からあんたの傍にいる事を願ってたッ! シルフィードはあんたの力になりたくて村に来てくれたッ! ルーデルだってあんたを認めたからこそ力になってくれてるッ! 一言で言えばこれっぽっちかもしれないけど、本当はもっともっとたくさんあるんだからッ!」

 クリュウは激しいエレナの怒鳴り声に返す言葉もなく、声を発する事もできず、相槌を打つ事すらできずに無言で聞き手側に徹する他ない。

「みんな、あんたを信じてるからこそ、あんたの力になってくれてるんじゃないのッ!? どうしてそんなみんなの気持ちもわかってくれない訳ッ!?」

「エレナ……」

「自分にそんな価値があるか? ふっざけんじゃないわよッ! 価値がない相手と一緒にいて何が楽しい訳ッ!? 価値がない相手だったら、こんな所までついて来たりしないわよッ! 人をバカにするのもいい加減にしてッ!」

 悲鳴のように叫び、エレナはクリュウを突き飛ばす。ベッドの上に背中から倒されたクリュウだったが、柔らかいベッドでは当然痛みなどない。

 身を起こし、エレナの方に向き直り、硬直した。

 ──エレナは、泣いていた。

 ボロボロと大粒の涙を零し、小さく嗚咽を繰り返す幼なじみ。いつも強気で、決して他人の前で涙なんて流さない彼女が、恥じる事なく涙を流している──それも、悔し涙だ。

「エレナ……」

「ふざけんじゃないわよ……ッ! 私だって、私だってあんたと一緒にいたいから……ッ! あんたの力になりたいと思ったから……ッ! だから、こんな遠い異国までついて来たのに……ッ! ふざけんじゃ、ないわよ……ッ!」

 エレナは泣きながら何かをクリュウに投げつけた。それはクリュウの顔面に命中し、あまりの痛さにクリュウは悶絶する。

 痛みを堪えながら起き上がった時には、そこに彼女の姿はなかった。

 痛む顔面を押さえながら、ベッドに転がる投げられたそれを見詰める──元気ドリンコ。

 きっと、彼女はこれを届ける為にここに来たのだろう。長旅を経て、あんな無茶苦茶な事をやった自分を、自分なんかを心配して……

 そっと、そのビンを握りしめる。ガラスの容器に、一つ二つ水滴が落ちる。

「僕は最低だ……」

 吐き捨てるように、クリュウは声を震わせながらつぶやいた。

 

 その夜、夕食会を終えた一行はそれぞれの部屋で休む事になった。そんな中、クリュウは一人城の外にいた。

 彼がいたのは城のすぐ裏手にある湖。正式な名前はないが、領民からはレヴェリ湖と呼ばれる湖はそよ風を受けてわずかな波を幾重にも繰り返し、水面(みなも)に映る月の形を震わせる。

 その静かな水面を、高速で突き抜ける影があった。

 水面を滑るように進むのは、平たい石。滑るようにして一度水面に触れ、弾かれて飛び、また水面に触れて飛び上がる。その動きを繰り返して進む。そのうち、水面を弾いていた回転力が失われ、石は急速に勢いを失い、最後はあっけない音を立てて没する。

 それは水辺が数メートル離れた場所。そして、水辺に一人立っているのはクリュウであった。

 クリュウは無言で脚元に落ちている石の中から手頃な平たい石を手に取ると、まるで剣を振り抜く時のように腕をスイングさせ、石に回転力を与えて一直線に放る。投げられた石は湖へと走り、再び水面の上を滑るようにして進む。

 一体、何個の石をこうして湖の中に放り投げたかわからない。クリュウは無心で、ただひたすらに、一言も発さずに無言で石を投げ続ける。

 良さそうな石を見つけ、体全体を使うようにして湖に向かって滑り投げる。その石は綺麗に水の上を滑り、あっという間に今日最高の記録を生み出す。

 その時、背後から小さな拍手が響いた。驚いて振り返ると、木陰からお姫様が現れた。

「お上手ですね、クリュウ様」

 影から一歩踏み出し、月明かりが彼女を優しげに神々しく照らし上げる。そこにいたのは優しく微笑む月姫。

「フィーリア……」

「ここ、私のお気に入りの場所なんですよ。きれいな景色ですよね」

 微笑みながら、フィーリアはそっとクリュウの横に並ぶ。困惑するクリュウの方へ振り向き、彼の疑問を答える。

「お姉様から、クリュウ様はこちらに居らっしゃると聞きまして」

 クリュウは納得したようにうなずく。この場所を教えてくれたのはセレスティーナだ。一人になれる静かな場所はないかと彼女に訊いたらこの場所を教えてもらった。

「そっか……」

 クリュウは特に何を言うでもなくそう答えると、再び水面に目を向ける。そんな彼の横顔をフィーリアは静かに見詰める。

「エレナ様と、何かありました?」

 フィーリアの問いかけに、クリュウは気まずそうに視線を落とす。そんな彼の反応を見て、フィーリアは予想通りとため息を零す。

「やっぱり、何かありましたね」

「どうして、そう思うの?」

「先程の夕食会で、お二人は明らかに違いを避けているように見えました。火を見るより明らかです」

「そ、そんなに丸わかりだった?」

「シルフィード様もサクラ様も、とっくに気づいておられるでしょうね」

 フィーリアの言葉にクリュウはがっくりと肩を落とす。自分としては平静を装ったつもりだったが、どうやら仲間達には全てお見通しだったらしい。

「一体、何があったんですか?」

 フィーリアの問いかけに、クリュウは答えるべきか迷う。原因は明らかに自分の方にあり、しかもフィーリアにまで合わせる顔がないような理由だ。

 悩む彼の横顔から視線を外し、フィーリアは足下に落ちていた石を手に取ると、湖に向かって投げ飛ばす──それは一度も水面を跳ねる事なく、一直線に水中へと没した。

「あ、あれ?」

 フィーリアはその結果が予想外だったのか、慌てて足下の石をまた一つ手に取ると、湖に向かって投げる。が、結果は同じだ。

 意外と負けず嫌いなフィーリアは何個か石を拾うと、それを連続して投げる。が、どれもドポンドポンドポンと情けない音と共に水中に没する。

「は、はうぅ~……」

「あははは……」

 クリュウはそんな彼女の姿を見て苦笑を浮かべると、足下にある水切りに適した石を拾い上げる。

「石は何でもいいって訳じゃないんだ。こういう平たい石じゃないとダメだよ。それを回転をつけて投げる。こうやってねッ!」

 クリュウは今一度石を投げ飛ばす。高速な横回転を受けた石は水面に接した途端その回転力で水を弾き、水面を跳ぶ。回転力が失われるまで石は跳ね続け、数メートル先まで滑った後、没する。

「お上手ですね」

 羨ましいとばかりに石が没した後に広がる波紋を見詰めるフィーリア。クリュウは「子供の頃にね。よく遊んだから」と苦笑を浮かべる。

「石選びが重要なんですね。じゃあ……これなんて如何でしょう?」

 フィーリアが選んだのはクリュウが使っていたような、水切りに適した平たい石だ。

「うん、そんな感じ」

「はいッ」

 フィーリアは元気良く返事をすると、水辺に立って勢い良く石を投げる。

 投擲された石は弱いながらも横回転を受け、空気を切り裂き、水面の上を滑空。そして、石の底辺が水面に触れ──弾く。

「と、跳んだッ!」

 喜ぶフィーリアだったが、石は一度だけ水面を弾いた後、力を失って水中へと没する。

 水面に波紋だけを残し、湖に没した石。クリュウは「惜しかったね」と彼女に声を掛けるが、フィーリアは小さく首を横に振る。

「欲張っちゃダメです。ちゃんと一歩を踏み出せた。今は、それだけでいいんです」

 どこかサッパリした顔でそう言う彼女の横顔を見て、「そっか」とだけクリュウはつぶやく。

 しばし、二人の間に沈黙が舞い降りる。クリュウは何か話題を振ろうと考えるものの、彼女と顔を合わせるのが何となく気まずくて、沈黙を続ける。そんな彼を、フィーリアは悲しげに見詰める。

「ケンカは、ダメですよ」

 つぶやくような彼女のセリフにクリュウが振り返ると、悲しげな表情を浮かべたフィーリアがジッとこちらを見詰めていた。

「事情を知らない私が余計な事は言うべきではないんですが、私はお二人にケンカしてほしくありません」

 悲しげな表情を一変させ、フィーリアの瞳は本気の色に輝く。心の底からそう想っている証拠だ。

「私で良ければ、相談してください。必ずやお力になれると大それた事は言いません。でも──たったお一人で悩まれるよりは、一緒に悩んだ方が楽ですよ?」

 そう言って屈託なく笑う彼女の笑顔に、クリュウはどこか救われたような気がした。

 一人で悩み、考えていた。それを見抜いているかのようにフィーリアはそっと手を差し伸べてくれた。その優しさ、温かさに、胸が熱くなる。

 一人で悩んでいても、きっと答えは見つからないだろう。どこか冷静な自分が、そう言っている。

 ──だから、今は彼女の言葉に甘えてもいいだろうか。

「……すごく情けない理由だし、君を傷つけるかもしれない。それでも、いい?」

 クリュウの小声での問いかけに、一瞬反応があった事に驚くフィーリアだったが、すぐに自信満々の笑みを浮かべて胸を叩く。

「ドンと来いですッ」

 クリュウはそんな彼女の姿を見て小さく、嬉しそうに微笑んだ。

「ありがと、フィーリア」

 クリュウは礼を言うと、静かに事の経緯を話し始めた。と言っても実質的な内容はあまり多くはない。数分と掛からない間に説明は終わってしまう。

「それで、エレナに泣きながら怒られたんだよね」

 そこでクリュウの説明は終わる。彼が話している間はずっと聞き手側に徹して沈黙を続けていたフィーリアは、しかし話が終わるとゆっくりと口を開く。

「そんな事言われたら、私だって怒ります」

 そう自分の意見を言うフィーリアはどこか不機嫌そう。そんな彼女の反応を予想していたクリュウは気まずそうに「ご、ごめん」とつぶやくように謝る。

「クリュウ様の発言は、クリュウ様を信じて行動を共にする私達に対する侮辱に他なりません。私達の想いを、踏みにじるような言動です」

 いつになく真剣に、そして怒る彼女の姿を見て、やはり自分の言った発言は改めて最悪だと痛感せざるを得ない。彼女の言う通り、自分の発言は信じてついて来てくれた彼女達の想いを裏切るようなもの。怒って、当然だ。

 自分の中である意味一つの結論を出したクリュウ。しかし、そんな彼を見てフィーリアは首を横に振る。

「クリュウ様は何もわかってません。確かに、クリュウ様の発言は間接的に私達を侮辱するようなものです。しかし、その程度ならエレナ様があのように激怒する事はありません。問題は、クリュウ様の発言の本質です」

「発言の本質?」

「私達はクリュウ様が大好きです。だからこそ、一緒にいるんです。その大好きな人が、自分の事を価値のない人間のように仰っている──こんなに悲しくて、怒り狂う事はありません」

 フィーリアは真剣に、困惑するクリュウから一切目を離さずに語る。月明かりを受けた彼女のその姿は、神々しく、有無を言わせぬ迫力を持つ。その迫力に、クリュウは押し黙った。

「クリュウ様はもっと自分に自信を持ってください。もう何度言ったかわかりませんが、クリュウ様はあまりにも自分を過小評価し過ぎです。決して過大評価しろとは言いません。ですが、最低限の自信は持ってください。じゃないと──私が、寂しいです」

 そう言うフィーリアは、薄っすらと瞳の縁に涙を浮かべていた。突然泣き出した彼女に慌てるクリュウ。すると、そんな彼の腕をフィーリアが取った。放さない、そんな彼女の意志が伝わるかのように、握る彼女の手には自然と力が込められている。

「私やシルフィード様、サクラ様。程度は違えど皆それなりに名が世に知られたハンターです。有名な私達に負い目を感じる気持ち、私もわからなくはないです。私も、この世界にいる以上いつもルミナ姉様の伝説を耳にします」

 彼女の口から聞き慣れない人名が飛び出した。しかしすぐにクリュウはそれが彼女のもう一人の姉、レヴェリ家次女のシュトゥルミナ・レヴェリだとわかった。

 彼女がハンターを目指すきっかけになった一つの要因で、彼女曰くシルフィードなんかよりもずっと実力のある、今のクリュウからしてみれば想像もできないような実力者。

 自分よりもずっと実力が上の姉。ある意味、自分なんかよりもずっと劣等感が強く感じられるかもしれない。

 だが、クリュウと違ってフィーリアは前向きだった。そんなすごい姉を持っていても、それに対して劣等など感じずに、自分は自分だと割り切っている。

「でも、人はそれぞれ歩む道も、歩む速度も違います。それを無理に比較して、落ち込む必要なんてありません。簡単に言えば、クリュウ様と私達では使う武器も戦い方も違います。それを無理に比較する方がおかしな話です。そもそも、誰かと誰かを比較なんて、できないんですよ──だって、自分と同じ人なんて、この世には一人たりともいないんですから。クリュウ様は、たった一人しかいないんですから」

 そうフィーリアは断言し、微笑んだ。その笑顔は本当に眩しくて、月明かりの下だと言うのに、まるで昼間に輝く太陽のよう。

 クリュウはそんな彼女の言葉に、ようやく小さいながらも笑みを浮かべた。

 彼女が言っている程、自分の中では簡単に整理はできないし、割り切れない──でも、少しだけ気が楽になったような気がした。

 フィーリア達だけではない。村には今でも伝説として語り継がれている亡き父と母という、今の自分では足下にも届かないようなハンターが名を残している。

 子供の頃から、自分の目指す道には常に自分よりもすごい人がいて、自分はいつもそれと自分を比較して、落ち込み、越えてやろうと努力し、でも結局届かなくて空しくなる。そんな事を繰り返していた。ある意味、自分のこの後ろ向きな思考はそんな自分の生き方から生まれた自己防衛なのかもしれない。

 ──誰も信じなければ、裏切られても辛くない。昔、そう言って周りを拒絶していた二色の瞳を持った少女がいた。程度は違えど、自分と彼女は同じ自分を守る方法を持っていたのかもしれない。

「……人の事なんて、言えないじゃないか」

 つぶやくように言った彼の言葉。その意味がわからず、フィーリアは首を傾げる。すると、そんな彼女の瞳の縁に溜まった涙を、クリュウはそっと指で拭い取る。

「クリュウ様……?」

 視線を彼に向けると、そこにはさっきまでと違って幾分か明るげな表情を浮かべたクリュウがいた。

「ありがとフィーリア。少し気が楽になったよ」

 クリュウの言葉の意味を一瞬理解できなかったフィーリアは疑問符を頭に浮かべるが、すぐに明るい笑みに変わる。

「そうだよね。昔の僕とは違うんだから、少しくらい自信を持っても、バチは当たらないよね」

「そうですよ。むしろお釣りがたくさん返ってきます」

 自信を取り戻した彼を見て、フィーリアは心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる。これでこそ、自分が大好きなクリュウ・ルナリーフという少年だ。

「それじゃ、その気持ちを忘れないうちにエレナ様に謝りに行きましょう」

 すると、いざエレナと会うとなると途端に自信をなくしたのか、クリュウの表情が曇る。何せ、こっちは泣きながら怒られた身だ。そんな別れ方をしておいて、平然と会いに行ける程クリュウの心は強くない。

 すると、渋る彼を見てフィーリアが珍しく眉をしかめる。

「一度決めた事を曲げるのは男らしくないですよ」

 ムッとしたように言う彼女のセリフにクリュウは内心「いつも女の子みたいな扱いしてないかな?」と苦笑を浮かべる。しかし、彼女の言う事はまったくもって正論だ。

「……そうだね。ケンカは長引かない方がいいからね──わかったよ。謝って来る」

「クリュウ様ぁ……」

 まるで自分の事のようにほっと胸を撫で下ろすフィーリア。本当に人の事を自分の事のように考え、一緒に悩んでくれる、すごくいい子だ。こんな子が彼女にできたなら、その人はすごく幸せだろう。

 ──姉の私が言うのも何だけど、フィーってかわいくない? あんなかわいい子を彼女にしたいとか、君は想わないのかしら?

 一瞬、昼間セレスティーナの発言が思い出される。すると、妙に緊張してしまい、クリュウは彼女の顔を見る事ができなくなる。頬を赤らめ、気まずそうに視線を逸らす。しかし、どうにも気になってしまいチラチラと彼女の方を見る。すると、そんな彼の態度をフィーリアが不思議そうに見詰める。

「どうされましたかクリュウ様? 私の顔に、何かついてます?」

「あ、いや、その……」

 正直に答える訳にはいかない。何せ、理由はおそろしく恥ずかしい赤面ものなのだから。

 ──娘に妙な真似をしたら、その時は我が隷下のレヴェリ軍が国境を越えて貴様の首を討つ。ゆめゆめ疑う事なきように。

 彼女の父親にも妙に念を押された結果、クリュウはどうしても彼女を意識してしまう。

「クリュウ様?」

「あ、いや、何でもない。何でもないんだ、うん」

「そ、そうですか?」

 フィーリアは半信半疑ながらも彼が「何でもない」と言うからにはそれ以上は追求しない。謙虚な彼女らしい対応だ。

「とにかく、エレナ様に謝って来てくださいね」

 念を押すように言う彼女の言葉にクリュウはうなずく。彼自身、エレナとケンカしたままにしていいとは思っていない。

「わかってる──エレナに謝って来るよ」

 そう言ってクリュウは湖の方に背を向け、城の方へと歩き出す。そんな彼の背中を、フィーリアが笑顔で見送る。

「ちゃんと謝るんですよ」

 見送り言葉にそう言いながら、フィーリアは小さく手を振る。その時、歩いていた彼が振り返った。

 月明かりを受ける彼は、優しく微笑んでいた。

「ありがとう、フィーリア。やっぱりフィーリアは頼りになるよ」

 笑顔での彼の誉め言葉に、フィーリアはボンッと顔を真っ赤にすると、嬉しさと恥ずかしさでパニックに陥る。

「うぇ? あ、はうぅ……」

 言葉にならない声を吐き出す彼女に微笑み、クリュウは一人城へと向かって歩き出す。

 ──目指すは、エレナの所だ。

 

 一方、エレナはと言うと、きれいな花々が咲き誇る花壇が並ぶ城の中庭にいた。

 円形状の中庭にはレヴェリ湖から引かれた水が円状に広がる水路を伝い、水路と水路の間にある花壇に常に水を適度に与える。レヴェリ湖のきれいで栄養のある水を得た花々はどれもきれいで、月明かりを受けてキラキラと輝いている。

 そんな円形の中庭の中央には屋根とテーブル、椅子が置かれた休憩できる場所がある。彼女はそこに座っていた。

「ごめんなさいね。こんな時間に誘っちゃって」

 緊張するエレナの正面に座るのは、優雅にお茶を淹れるお姫様、レヴェリ家次期当主──セレスティーナ・レヴェリ。

「い、いえ。私も暇してたので、お誘いいただき感服の限りです」

「うふふ、そんなに緊張しなくてもいいわよ」

 くすくすと笑うセレスティーナを見て、しかしエレナは内心「緊張するななんて無理よぉ……」とつぶやく。

 セレスティーナは女性の自分から見てもすごくきれいな人だ。こんなきれいな人、エレナは今まで会った事がない。本当に、お姫様みたいな人だ。事実、一つの土地を納める貴族の娘なのだから、お姫様なのかもしれないが。

 そういう意味では、フィーリアもお姫様だ。確かに彼女を誉める単語を上げるとすれば《お姫様》という単語が当てはまるだろう。だが、セレスティーナはそれを上回る。

 あまりにも美人過ぎて、女である自分まで彼女の色香や魅力でクラクラしてしまう。これを緊張するなと言う方が無茶な話だ。

 セレスティーナは紅茶を注いだティーカップをそっとエレナの前に差し出す。とても香ばしい紅茶の香りが鼻をくすぐる。

「チューリップティー。この国の特産品よ」

「独特ないい香りですね」

「我が国の国花、チューリップを使った紅茶よ。エルバーフェルドでは一般家庭から王族まで嗜(たしな)む国民飲料ね。隣国にもあまり普及してないから、あなたは初めてかしら?」

「はい。こんな紅茶がある事も知りませんでした」

「うふふ、お口に合うかしら?」

 セレスティーナに微笑まれ、エレナは緊張しながらティーカップを手に取る。見た目も香りも実においしそう。仕事柄様々な茶葉を扱う彼女だからこそわかる──この一杯には、生産者の汗と涙と愛が込められている事を。

「お砂糖とか入れる?」

「いえ、まず最初は紅茶本来の味を嗜みたいので」

「あら、わかってるじゃない」

 紅茶の味わい方を理解しているエレナを、セレスティーナは嬉しそうに見詰める。

 無邪気に笑う彼女の笑顔は、やはりどこか妹のフィーリアに似ている。ずいぶんと物腰は雰囲気は違うが、それでもやはり二人は血の繋がった姉妹なのだ。そう改めて思うと、少しだけ緊張が和らいだような気がした。

「いただきます」

 エレナはゆっくりとティーカップを持ち上げ、近くで改めて紅茶の匂いと色を味わい、最後に口に含む。

 一口飲んだだけで、口の中いっぱいに花の香りがフワッと広がる。これが、彼女の言うチューリップという花の香りなのだろう。

 舌の上を、独特なほのかな甘みと苦みが転がる。言葉ではうまく説明できないが、とにかくおいしい。

「おいしい……」

 自然と、口からそう漏れていた。そんな彼女を見て、セレスティーナは「でしょ?」と嬉しそうに笑う。

「レヴェリ産のチューリップティーはエルバーフェルド一おいしいのよ。周りを囲む山の傾斜に茶畑があって、このきれいな空気が絶妙な風通しで茶畑を抜けるの。水も栄養が豊富で、何より農薬を使わない有機栽培が売りなのよ」

「有機栽培……、茶葉を農薬を使わないで作るのはかなり難しいと聞きますけど」

「あら、よく知ってるわね」

 驚くセレスティーナにエレナは照れながら「これでも一応村で酒場を経営しているんです。なので、そういった情報は普通の人より詳しいですね」と説明。

「その年で店を持っているなんて、すごいわね」

「病気の療養で村を離れている両親の代行ですけどね」

 謙遜するエレナの発言に、セレスティーナの表情が変わる。

「ご両親、お病気なの?」

 まるで自分の両親のように心配する彼女を見て、やっぱりフィーリアの姉なのだとうなずかせられる。

「母が病弱で、父はその看護に付き添いで」

「療養先は、どこなのかしら?」

「今はガリアの田舎町でのんびり暮らしているそうです」

 ガリア、その単語にセレスティーナの表情が曇る。表情を一変させた彼女を見て、エレナも自分の発言のまずさに気づき、慌てて口を塞いだが時すでに遅し。

 ──エルバーフェルド帝国とガリア共和国は現在軍事衝突を起こしている国同士。そして、エルバーフェルド人はガリアの事を憎んでいる。

「す、すみません……」

 慌てて謝るエレナだったが、そんな彼女の頬をセレスティーナは優しく撫でる。伏せていた顔を上げると、優しげに微笑むお姫様がいた。

「ガリアはいい国よね。空気や水はきれいで、料理はみんなおいしくて、景色は最高。さすが観光大国って所ね」

「セレスティーナさんは、ガリアの事を憎んでいないんですか?」

 ガリアを誉めるセレスティーナに不思議そうにそう尋ねるエレナ。しかし、その問いかけに対しセレスティーナの表情が曇る。

「……そりゃ、恨んでいないと言えばウソになるわ」

 つぶやくように言う彼女のセリフに、エレナはやっぱりと納得すると同時に、こんなに慈愛に満ちたセレスティーナでさえ、ガリアは許せないのだと驚く。

「ローレライの悲劇は二〇年くらい前の出来事だから、私も子供心に何となく覚えている大災害。故郷を失った人達が助けを求めてこのレヴェリに大勢押し寄せたわ。みんな、故郷も家族も何もかもを失ってわずかな希望の光を求めてもがいていたわ。そのすぐ後よ、ガリアと東シュレイドの連合軍が次々に私達の国を違法占領していったのは」

 セレスティーナの表情が怖い。あんなにも優しさに満ち溢れていた彼女でも、そんな表情を浮かべる。

 ──エルバーフェルドでのガリアに対する憎しみは、自分達が考えていた以上に、ずっと深い。

 一体、彼(か)の国はどれだけの事をすれば、こんなに女神のように優しげな笑みをする人を、こんなにも憎しみに染めるのか。

 不気味な沈黙が、二人の間に舞い降りる。ゆらゆらと揺れる湯気がその間を空しく揺れ動き、空に消えるだけ。

「ごめんなさいね。ティータイムには相応しくない話だったわね」

 セレスティーナは苦笑しながらそう言うと、この話はおしまいと言いたげに自分のティーカップで紅茶を優雅に飲む。

 本当はもっと聞きたい事はあったが、エレナはそれ以上何も言わずに無言で紅茶を飲む。確かに、おいしいお茶を飲みながらする話ではなかった。

「あの、そもそもなぜ私を誘ってくれたのですか?」

 話題を変えるエレナの問いかけ。それはずっと抱いていた疑問だ。なぜティータイムに自分を誘ってくれたのか。それこそ、久しぶりに会った妹のフィーリアを誘うのが普通だろう。

 すると、セレスティーナはくすくすと小さく笑った。

「そりゃ、あんな悲しそうな顔をしていたら、心配しちゃうわよ」

 セレスティーナの返答に、エレナはきょとんとする。しかしそれはすぐに頬の赤らみに変わる。

「か、悲しそうな顔? 私が、ですか?」

「もちろん」

「そ、そんな事ないですよ。私は至って元気一杯です」

 元気一杯とアピールするようにガッツポーズをするエレナ。しかしセレスティーナは構わず話を進める。

「クー君とケンカでもしちゃったの?」

 無視して紅茶を飲もうと口に含んだ瞬間のセレスティーナの的確な発言。エレナは思わず噴き出しそうになったが、何とか堪えた。

 むせるエレナを見て、「あら、図星だったかしら?」ととぼけるセレスティーナ。

「私とあいつがケンカ? 何を根拠に言ってるんですか?」

 今更平静を装おうとするエレナだが、どう考えても苦しい。しかしセレスティーナはそれを追求する事なく、大人な返しをする。

「だって夕食の時、あなたあからさまにクー君を避けてたじゃない」

 誰が見ても明らかな拒絶だったが、どうやら本人は完全に隠し切れていたと思っていたらしい。信じられないというような表情を浮かべる。そんな彼女を見て、セレスティーナは小さく苦笑を浮かべた。

「ケンカ、したんでしょ?」

 まるでお姉さんに問われているかのように、エレナは自分でも不思議な程素直にうなずいた。

「……だって、あいつが」

 なぜ、自分は胸の中に渦巻くこの想いを、まだ会って間もない彼女に話しているのか。具体的な理由はわからない。でも、まるで本当の姉に悩み事を聞いてもらっているかのように、スムーズに話せる。

 愚痴が混じって、ひどく無茶苦茶な事を言っていると自分でもわかっている。でも、しゃべらずにはいられなかった。そして、そんな話でもセレスティーナはただ黙って、聞いてくれる。

 穏やかな表情のまま、じっくりと自分の話を聞いてくれる──まるで、本当のお姉さんのようだ。

 紅茶から湯気が上らなくなるまで、エレナは話し続けた。全てを話し終えると、不思議と肩の荷が下りたように楽になっていた。

「ごめんなさい。愚痴なんて、聞いてもらっちゃって」

 エレナは恥ずかしそうに頬を赤らめながら黙って自分の愚痴を聞いてくれたセレスティーナに謝る。しかし、彼女はゆっくりと首を横に振った。

「いいのよ。それであなたが少しでも楽になったなのなら、私はそれで満足よ」

 心の底からそう想っているのだろう。浮かべる笑みは優しく、温かな慈愛に満ち溢れている。

 優しさの女神。そんな言葉が思い浮かぶほど、セレスティーナは優しい人だ。女の自分でも惚れてしまいそうになるくらい、魅力的な人。

「……すごいですね、セレスティーナさんって」

「そんな事ないわ。私はただ、昔と同じ事をしているに過ぎないの」

「昔と同じ事?」

「うふふ、私はかわいい妹に恵まれてるわ。みんなかわいくて、いい子。でも、時々ケンカもしちゃう。そんな時はお姉さんの出番なの。怒る訳でも、同情する訳でもない。ただ、相手の話を聞いてあげて、自分自身で答えを見つける手助けをする。私は、何もすごくなんかないわ──すごいのは、ちゃんと自分で答えを見つけられる子の方よ」

 無邪気に微笑みながら言うセレスティーナ。彼女の言う妹とは、フィーリアやまだ会った事のない次女のシュトゥルミナ、そしてきっと、ルーデルも含まれているのだろう。

 ──本当に、いいお姉さんだ。

「……あなたは、自分がすべき事、見つかったかしら?」

 全てを見抜いている。

 セレスティーナの問いかけに、エレナは内心「敵わないなぁ」とつぶやきながら、しかし自分の中での決着はすでに着いていた。

 エレナは、静かにうなずいた。


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