モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第145話 フィーリアを想う優しき天使と素直じゃない悪魔

 女子陣は広い応接室で着替える事になり、唯一の男子であるクリュウは隣の半分程の広さの休憩室で着替える事になった。着替えは一応フィーリアから「正装は用意しておいてくださいね」と言われていたので持って来たが、こういう意味だったのかと今更理解する。

 荷物の中から取り出したのは懐かしい一張羅(いっちょうら)。ドンドルマハンター養成学校時代に始業式や卒業式、創立記念日のパーティーなどで着た黒いスーツに白いワイシャツ、赤色の紐ネクタイというまさに正装だ。よもや、またこれを着る機会があるとは思ってもいなかった。

 クリュウは久しぶりに着るそれに腕を通してみる。少しキツくなった感じがあるが、どうやら一年という間にまた少し背が伸びたりしていたようだ。ちょっと嬉しかったり。

 最後に紐ネクタイを締めると、完成だ。用意された鏡の前に立ち、おかしな所がないかチェックする。

 鏡に写る自分の姿を見て、どこか懐かしさを感じる。

 ふと、急に右手が寂しくなったのを感じた。何度か手を開いたり握ったりし、その異変を考える。答えはすぐに見つかった。

「……ルフィール、元気にしてるかな」

 いつも右手を握っていたのは彼女の小さな手だった。いつも不安げな二色の瞳で、自分を見詰めていた。いつも傍にいて、自分が振り返ると人には見えないような角度で嬉しそうに微笑む。

 あの月の美しい晩、自分はこの格好でルフィールと踊った。嬉しそうに微笑む彼女の顔は、今も目に焼き付いて離れない。

 そして、卒業式の日。嬉しそうで、でもやっぱりどこか淋しげな表情を浮かべながら胸ポケットに桜の枝を挿してくれた彼女の顔も、忘れられない。

 今頃、彼女は一体どうしているだろうか。頭の片隅に、いつもそんな心配が浮かんでいる。

「……大丈夫。あいつは、負けたりなんかしない」

 でも、信じているからこそ、大丈夫という想いもある。

 自分よりもずっと強くて逞しい子。ルフィールなら、きっとうまくやっているはず。きっと……

 そんな事を考えていると、ドアがノックされる音がした。「開いてますよ」と答えても、ノックが続く。

 クリュウは首を傾げる。フィーリアやシルフィードなら答えれば入って来るし、サクラとエレナはそもそもノックをしないで突然入って来るので、この反応は見知った四人ではない。

 クリュウは不思議に思いながらドアを開いた。すると、そこには輝く美しい金髪を流した、吸い込まれるような翡翠色の瞳をした女性が立っていた。

 一瞬フィーリアかと思ったが、違った。目の前の女性は自分より背が低いフィーリアとは違い自分よりも頭半分くらい背が高く、柔らかな笑顔が素敵なオトナの色香漂う――セレスティーナであった。

「ふぃ、フィーリアのお姉さん?」

 突然の予期しない来訪者に慌てるクリュウに、セレスティーナは優しげに微笑みながら問いかけてきた。

「お邪魔してもいいかしら?」

「へ? は、はいどうぞッ」

 慌ててドアを全開まで開けて中に通すクリュウ。そんな彼を見てセレスティーナは「ごめんね」と謝りつつも、ちょっとイタズラっぽい笑みを浮かべる。その笑顔にクリュウは心臓が跳ね、顔が真っ赤に染まり慌てて顔を隠す。

 フィーリアは誰もが認める美少女だ。シルフィードの凛々しさやサクラの綺麗さとは違う、幼さを残した純真無垢なかわいさが彼女の魅力だ。その魅力を残しつつ、大人の魅力を加えて何乗にもかわいさをパワーアップさせた感じ。まさにフィーリアの拡大発展型とも言うべき美女。

 あの妹あってこの姉あり。実に優しげなお姉さんという感じだ。

 セレスティーナはゆっくりと部屋に備えられている椅子に腰掛けた。その振る舞いにもどこか高貴なものが感じられ、彼女の美しさにさらに磨きをかける。

 ただ、フィーリアとセレスティーナには決定的に違う所が二つある。一つはフィーリアにはかわいさの中にもハンターとしての厳しさがどこかにある。どんなにかわいい女の子でも、武器を振るうという行動からどこかに鋭さを感じさせられる。しかしセレスティーナはそういう物騒な世界には一切触れずに育ったのだろう。そういう鋭さがまるで感じられない。まさに、優しい一色な人だ。

 もう一つは、クリュウが自然と目が行ってしまって慌てて逸らし、しかしまた目が行ってしまい慌てて逸らすという事を繰り返す視線の先。フィーリアにはない、大きな胸。知り合いの中ではおそらくトップレベルの巨乳であるシルフィードよりも大きい。アシュアと同じくらいか、もっと大きいかもしれない。

 成長期というアドバンテージを使っても、今からフィーリアがこんな大きな胸になるとは思えない。幾分か大きくはなって人並みにはなるだろうが、こんな常軌を逸したものにはならないだろう。

 そんな変な下心丸出しな思考を全開でする自分に気づき、クリュウは恥ずかしさと罪悪感から苦しみ、一人悶絶する。そんな彼を見詰め、セレスティーナはくすくすと笑う。

「私とフィーは全然違うわよ。あの子は私なんかよりもずっと魅力的な女の子になるわ」

 まるで心を見透かされたかのようなセレスティーナの発言に、クリュウの表情は強ばり真っ赤に染まる。「あ、いや、その……」と狼狽のあまり文章にならない言葉を吐く彼を見て、セレスティーナはおかしそうにくすくすと笑い続ける。

「別に隠す事じゃないわよ。男の子なんだから、当然の反応ね」

「す、すみません……」

「あらあら、謝る事でも全然ないのに」

 ころころと笑う彼女の笑顔を、クリュウは直視できない。それほどまでにセレスティーナはかわいらしい人だった。年上の人に対してかわいらしいというのはおかしいかもしれないが、それ以外に彼女を表現する言葉がクリュウは持ちあわせてはいなかった。

「あなたは確か、クリュウ君……で、いいのよね?」

「あ、はい。クリュウ・ルナリーフです」

「うふふ、そんなに緊張しなくてもいいのに。じゃあ私ももう一度自己紹介。フィーの姉のセレスティーナ・レヴェリ。よろしくね」

 優しく微笑みながら立ち上がって、ドレスの裾をつまんで優雅に一礼しながら改めて自己紹介するセレスティーナに、クリュウは緊張しながら慌てて頭を下げる。そんな彼を見てくすくすと笑いながら、下げられた彼の頭を優しく撫でる。

「うふふ、かわいいわねぇ」

 頭を撫でられ、クリュウは自然と微笑んでいた。

 男だから《かわいい》と言われるのは決して褒め言葉にはならない。でも、彼女に言われるのはちょっと複雑な気分にはなるものの、嫌な気はしなかった。お姉さんにかわいがってもらっているような、そんな幸せな気分になる。

 しばらくそうしてクリュウの頭を撫でていたセレスティーナは、ちょっぴり残念そうにため息を零して手を離す。

「はぁ、私にもこんなかわいい弟がいれば良かったんだけどね」

「僕もセレスティーナさんのような素敵な姉が欲しかったです」

「あら、お世辞がお上手ね」

「お世辞なんかじゃないですよ。すっごく憧れます」

「うふふ、ありがとう」

 嬉しそうにくすくすと笑うセレスティーナをようやく直視できるようになり、クリュウも自然と微笑む。何だか、すごく癒される。

「それで、僕に何か用があったんじゃないんですか?」

 思い出したようにクリュウが言うと、セレスティーナは「そうだったわ。すっかり忘れてた」と自分で驚きながらそう言うと、失敗失敗とばかりにペロッと舌を出す。そのギャップのある子供っぽい仕草一つにも、クリュウはドキッとしてしまう。

「一つ忠告しに来たの」

「忠告、ですか?」

「えぇ。これからお父様やお母様とのお茶会ですけど、お父様には気をつけてね」

「は? フィーリアのお父さんに、ですか?」

 意味が分からないとばかりに首を傾げるクリュウを見て、セレスティーナは人差し指を自分の唇に付けてうーんとどう説明したものかと少し考え、ゆっくりと口を開く。

「お父様はフィーにそりゃもうベタ惚れなのよ。かわいいかわいい自慢の娘だからね。だから、そのフィーが男の子を連れて来たってだけでもうピリピリしてるの。フィーから時々来る手紙にはいつもあなたの事が書いてあったから、その度にお父様はイライラしていらっしゃったわ。そして事前に貰ったあなたを連れて来るという手紙を読んでから今日まで、お父様はずっとピリピリイライラ。さっきは貴族の誇りに掛けて礼儀的に出迎えてくれたけど、一度父親の顔が出たらもう大変。だから、あまりお父様を刺激しないように。その忠告に来たのよ」

 セレスティーナの忠告に、クリュウは何となく理解した。娘を持つ父親はその娘が彼氏を連れて来るのを最も嫌がると言う。手塩にかけて育てた娘を、どこの馬の骨ともわからぬ男が受け取りの許可をもらいに来るのだから、そりゃ気が気でもないだろう。

 今回の場合、自分はフィーリアの彼氏ではない。彼氏ではないのだが、それでもやはり娘が男友達とはいえ連れて来るのは嫌なのだろう。

 クリュウはあまり経験した事のない親心。ちょっとだけ羨ましくもある。

「わかりました。なるべく穏便に済ませてみます」

 だとしたら、その親心になるべく心配を掛けないようにしないと。

 クリュウの返答に満足気にセレスティーナは微笑む。

「よろしくね――ところで、一つ訊いてもいいかしら?」

「はい。何でしょうか?」

 何でも訊いてください、自分に答えられる範囲なら何でも答えますよとばかりに自信満々に胸を張るクリュウ。そんな彼の返答にそれじゃあとセレスティーナは微笑む。

「――クリュウ君は、フィーの彼氏さんなのかしら?」

「ふえええぇぇぇッ!?」

 予想を遙かに上回る問いかけに、クリュウは顔を真っ赤にして驚く。しかしすぐに首を激しく横に振って全力否定。

「ち、違いますよッ。僕とフィーリアは一緒に狩りをする戦友であって、恋人とかそんなんじゃないですよッ」

「あら、違ったの? てっきり私は今日結婚の申し込みに来たのだとばかり……」

「違いますってッ」

 顔を真っ赤にして否定するクリュウを見て、セレスティーナはふぅと困ったようにため息を零す。

「……あの子ったら、まだ絶賛片想い中なのね」

「はい?」

「ううん。何でもないわ……でもまずいわね。お父様、完全にあなたが娘を奪いに来たのだと想ってらっしゃるもの。それも、娘だけじゃなくてかわいい女の子をいっぱい連れて」

「……先行き真っ暗なくらいの誤解ですよそれ」

 クリュウはがっくりと肩を落とす。今回ここへ来た目的はフィーリアの父であるシュバルツ・レヴェリ公爵に政府への自身のアルトリア行きをお願いする事。しかし肝心のシュバルツとの関係は直接言葉を交わす以前から最悪。前途多難過ぎて涙が出てきそうだ。

 ため息を零して落ち込むクリュウ。そんな彼を励ますようにセレスティーナはそっと彼を抱き寄せる。

 突然の事に驚くと同時に腕に押しつけられる大きくて柔らかい感触に顔を真っ赤にして慌てまくる。

「せ、セレスティーナさんッ!?」

「うふふ、こんな事フィーじゃできないでしょ?」

 イタズラっぽく笑いながら言う彼女の発言に、セレスティーナがわざとしていると理解しクリュウは頬を膨らませるて急いで彼女の腕から離れる。

「か、からかわないでくださいッ」

「うふふ、ごめんなさいね。あなたってどうにもイジメたくなっちゃって」

 ころころと楽しげに笑う彼女を見ていると、どうにも調子が狂う。まだ頬の赤い顔で複雑そうな表情を浮かべていると、セレスティーナはそっと近寄って来て、顔を覗き込んで来る。

「姉の私が言うのも何だけど、フィーってかわいくない? あんなかわいい子を彼女にしたいとか、君は思わないのかしら?」

 セレスティーナの問い掛けにクリュウは顔を真っ赤にしたまま、困ったように頬を掻く。ジッと見詰めてくるセレスティーナを一瞥し、クリュウは「そりゃ、フィーリアはすごくかわいい子だと思いますし、あんな子をお嫁さんにできた人はすごく幸せ者だと断言できます」と素直に答える。それは決して彼女の姉の前だからと上乗せしたり膨らませたりした訳ではなく、本心からの彼の返答だった。

 クリュウの返答にセレスティーナは満足そうにうなずくと、「だったらフィーをお嫁さんにしたら? 私としても、あなたみたいなかわいい弟ができるのは大歓迎よぉ」と嬉しそうに答える。

 セレスティーナの言葉にクリュウは嬉しそうに微笑むも、しかしすぐに小さく首を振って表情を引き締める。そんな彼を見て、セレスティーナの表情も少し真剣なものに変わる。

「あなたは、フィーの事が好きじゃないの?」

「……好き、かもしれません。でも、僕はまだ女の子を好きになるというのがどういう事なのかがわかってません。だから、この気持ちがそういうものなのか、自分じゃわからないんです」

 それは、まだクリュウが一人前の男になりきれていない証拠。昔シャルルが読む事を勧めた小説(その時はシャルルが小説を読める事に驚いていたが)では人を好きになる事で力が何倍にもなって強くなっていくというシーンが描かれていたが、自分はそもそも人を好きになるというのがわかっていない。

「そりゃ、フィーリアみたいなかわいい子を見てればドキドキします。一緒にいるとすごく幸せな気持ちになって、すごく胸が温かくなります。でも、それはフィーリアだけじゃなくてサクラやシルフィードと居ても感じます――もしもこれが《好き》って事なら、僕は最低な人間なのでしょうか?」

 もしも今自分が抱いている気持ちが《好き》という事だとすれば、自分は現在進行形で複数の女の子を見てそういう感情を抱いている事になる。それは、男としては最低な事だ。だからこそ、これを《好き》とは認めたくはなかった。

 自分の中で渦巻く気持ちに困惑しているクリュウを見て、そんな彼のフィーリア達に対する罪悪感をセレスティーナは気にした様子もなく笑顔で答える。

「仕方がないわよ、男の子なんだもの。かわいい女の子を見てドキドキするのは当然の事。特にあなたの場合は周りにかわいい子が選り取り見取りなんだから」

 それにはクリュウもうなずいた。自分の周りの女子は世間一般的に言えばかなりの美少女ばかり。それは男としては実に恵まれている環境なのかもしれないが、彼自身は当然かわいい子ばかりとは思っていてもそれ以上の感情は抱いていない。だからこそ、今こうして困惑しているのだ。

 自分の中の感情を悩むクリュウを見て、セレスティーナはそっと質問してきた。

「――クー君は、今まで誰かを好きになった事とかもないの?」

 セレスティーナの何気ない問い掛けの中にあった、クリュウは一つのキーワードを聞き逃さなかった。彼女の問い掛けに、ゆっくりと口を開く。

「……その呼び方、すごく懐かしいです」

「あら、そうなの?」

 クリュウは小さくうなずくと、春の日差しが注ぎ込む窓へ振り返る。しかし、その瞳が見詰めているのは窓でも、その向こうに広がっているレヴェリの景色でもない。そこに映るのは、遠い昔の想い出。

 今でも、時々思い出す事がある。

 母が死に、絶望の淵に追いやられたあの頃の自分。何せ、子供のような母の面倒を看る事が自分の生き甲斐にすら感じていたのに、その母が突然いなくなってしまった。

 何をすればいいのか、何がしたいのか。何もかもが壊れてしまった。

 エレナ曰く、あの頃の自分の目は死んでいたそうだ。否定はしない。だって、自分でもあの頃の自分は死んでいたと言っても過言ではないからだ。

 そんな、死んだ瞳で地面を無意味に見詰めていた時あの夏の日――彼女が現れた。

 

「――君がクリュウ・ルナリーフ君ですね」

 

 澄んだ凛とした声にゆっくりと顔を上げると、夏のきれいな青空と白い入道雲で描かれたキャンバスに、夏の燦々とした日差しを一身に受けて輝く麦わら帽子を被った純白の少女がいた。

 純白のかわいらしいワンピースに麦わら帽子が彼女のいつもの格好。服と同じ純白の髪をセミロングに切り揃え、空を同じ美しい蒼色の瞳がジッと自分を見詰めている。

 年は自分より何個か上くらいで、まるで人形のように美しく整えられた顔が印象的だった。まだ年の関係で幼さが目立つが、子供心にきれいだと思った事を今でも良く憶えている。

 少女はおそらく笑うのが苦手なのだろう。少しぎこちない笑みで、そっと腕を伸ばして来た。

「では、君の事は今日からクー君と呼ばせていただきます。クー君は私の友達第一号なのです」

 その慣れない笑顔は、ほんの少しだけ真っ暗だった心に光を挿し込んでくれた。だから、僕は、そんな彼女の手を、そっと握り締めた。

 ――そして、僕は彼女の弟になった。

 

「昔、姉にそう呼ばれていたんです」

「あら? フィーからはあなたは一人っ子だって聞いてたけど」

「あ、いえ。本当の姉弟じゃなくて、姉のように慕っていた人がいたんですよ」

 クリュウの説明にセレスティーナは納得したようにうなずくと、頬に指を当てて首を傾げる。そういう子供っぽい仕草もよく似合う人だ。

「その人は、今も君の村にいるのかしら? フィーの手紙にはそれらしい人は書かれていなかったけど」

「……今は、もう村にはいません。僕が十歳の頃に村を出て行ってしまって以来、今も音信不通です」

 ちょっと悲しげな表情で言うクリュウを見て、「ごめんなさい。変な事を訊いてしまって」とセレスティーナは申し訳なさそうな顔で謝る。

 クリュウは小さく首を横に振った。

「いえ、もう何年も前の事ですから。今はフィーリア達がいますから、寂しくなんてありませんよ」

「そう……」

 セレスティーナはほっとしたように胸を撫で下ろすと、健気に微笑むクリュウの頭を優しく撫でる。

「クー君は立派ね。いい子いい子」

 頭を撫でる事はあっても、撫でられる事はあまりない。クリュウはセレスティーナの温かな手を嬉しそうに受け入れる。

「君みたいな子がフィーの旦那さんになってくれれば、私も大歓迎なんだけどなぁ」

 嬉しそうに笑いながら言うセレスティーナの言葉に、クリュウは困ったように苦笑する。この場合、どう答えればいいのか必死に考えるが、なかなかいい答えは出て来ない。

「うふふ、ちょっとからかい過ぎちゃったかしら?」

 コロコロと笑うセレスティーナの言葉に、クリュウは口元に小さく苦笑を浮かべる。何というか、さっきからずっと振り回されっぱなしだ。遠慮深いフィーリアと違って、セレスティーナは結構グイグイ来るタイプらしい。やっぱり姉妹でも性格は細かくは違うものだなぁと変な所に感心してみたり。

「まぁ、何にせよ今フィーはあなたの傍にいる事を選んでいるそれが今の彼女の幸せなら、私はそれは尊重してあげたい。だって、私はフィーのお姉さんだから。妹の幸せが一番だから」

 そう言って微笑むセレスティーナは、本当に良き姉だ。妹の幸せを誰よりも願い、それを応援している。同時に彼女や公爵夫妻を見ていると、フィーリアがどれだけ愛されているのかがわかる。

 大切な娘であり、妹であり、親友である。ここには彼女を結ぶ絆がしっかりと繋がれている。

 だが、フィーリアはそんな故郷を離れて今は遠い辺境の地、イージス村に住んでいる。イージス村に、自分に、それだけの価値があるのか。

 ここなら、彼女は幸せに暮らせるのではないか。何しろここは彼女の故郷であり、家族がいる。

 フィーリアがいるべき場所は、ここではないのか。自分なんかと一緒にいる事は、本当に彼女の為になるのだろうか。

 クリュウ自身フィーリアの事を大切に想っているからこそ、彼女の一番の幸せを願いたい。

 家族と暮らす事。自分にはもうできなくなった、憧れるシチュエーション。それは、幸せな事ではないのか。

 何だか、久しぶりにブルーな気持ちになり、自然と表情が暗くなるクリュウ。そんな彼の頬を、柔らかな温もりが触れる。顔を上げると、優しく微笑むセレスティーナと目が合う。頬に当てられているのは彼女の温かな手だった。

「そんな顔しないで。私はあなたに感謝してるんだから」

「僕に、ですか?」

「えぇ。だってあなたは、フィーに幸せを教えてくれた人だから」

「……僕は、本当に彼女を幸せにできているでしょうか?」

 クリュウの不安げな問い掛けに対し、セレスティーナは微笑みながらしっかりとうなずく。

「もちろんよ。だって、今のフィーすごく楽しそうだもの。きっと、すごく幸せななのね」

「そう、ですか……」

 セレスティーナの言葉にほっと胸を撫で下ろすクリュウ。セレスティーナはそんな彼を見て、本当にいい子だなぁと微笑んだ。なるほど、妹が惚れるのも納得出来る――姉としてはそんな妹と彼が結ばれる事を願いたいが、彼の周りには妹と同じように彼に好意を寄せている女の子が多数いると聞く。

 妹が挑む恋の道は相当厳しいだろう。でも、そんな中でもああやって嬉しそうに笑っている彼女を見ると、今が幸せなのだとわかる。

 あの子は純粋だから、きっと一緒にいられるだけで幸せなのだろう。

 あの子がもっと強い想いを抱くのはもう少し先かもしれないが、それまでは今の幸せが一番だ。そして、そんな幸せを教えてくれた彼には感謝してもし切れない想いだ。セレスティーナにとって、フィーリアは大切な妹なのだから。

 ――まぁ、時々彼女を泣かせたり他の女の子とイチャイチャしているという話題を聞くと、ちょっとだけプンスカする事もあるが。男の子なのだからと割りきっておく。

 今は、彼に全てを任せる。結果はわからないが、妹が彼といるのが幸せだと言うなら、止める気はない。

 セレスティーナはそっと彼の手を優しく握り締める。クリュウが驚いて彼女の方を見て目が合った瞬間、セレスティーナは優しげに微笑んだ。

「――フィーの事、よろしくね」

 優しげな笑顔の中に、大切な妹の幸せを願う姉の顔があった。大好きなフィーリアを、幸せにしてほしい。そんな願いが込められた笑顔だ。

 クリュウは握られた手をギュッと握り返すと、真剣な表情で答える。

「はいッ」

 

 事前の打ち合わせで一度フィーリアを除いた四人は集合する事になっており、クリュウは集合場所である待合室に向かった。

 部屋に入ると、まだ誰も来ていなかった。一瞬部屋を間違えたかとも思ったが、さっきルーデルに案内されたのでここで間違いはない。

 クリュウは一人部屋の中に入り、椅子に腰掛けて皆がくるのを待つ。だが、しばし待ってもなかなか誰も来なかった。女子というのは男子の何倍も着替えに時間が掛かると言うが、となるともうしばらくは来ないかもしれない。

 時間を持て余したクリュウは一人になって、今更ながら自分がしようとしている事の異質さ、巨大さ、無謀さに緊張してきた。

 これから自分は一国の王族に次ぐ家柄の大貴族当主に協力を求め、その後ろ盾を得て今度はエルバーフェルド帝国総統に直談判して異国アルトリアへと向かう。

 大まかな骨組みだけでも相当無茶苦茶な事をしようとしているのがわかる。でも、やらなければならないのだ。

 シャツの下の首に掛けられている母の形見のペンダント。それが意味する所を、自分はこの目で確かめなければならない。

 ──母の、故郷へ行きたい。

 親類縁者がいない自分にも、もしかしたらそこに行けば母の親族がいるかもしれない。

 不安はあるが、同時に期待も当然ある。相反する想いが複雑に絡み合い、クリュウは複雑な表情を浮かべる。

 頭の中で何度そんな争っても結論の出ない議論をした事か。いよいよ考え過ぎて頭が痛くなってきた頃、部屋のドアが開かれた。慌ててペンダントをポケットに隠す。

「あんた、ずいぶん早いわね」

 そう言って最初に現れたのはルーデルだ。黒を基調としたシンプルなデザインのワンピース型のドレス。帯のように結ばれた純白のリボンが落ち着いた感じに華を添える。

 ルーデルの魅力を見事に引き出すドレスだ。それを纏うルーデルもいつもよりグッと魅力的で、クリュウは思わず見惚れてしまう。すると、そんな彼の視線に気づいたルーデルは頬を赤らめて自分自身を抱き締めるように腕を胸元で交差させる。

「な、何よあんた。そんなにジロジロ見ないでよね。キモイんだけど」

「あ、ごめん……ッ」

 クリュウも顔を真っ赤にして慌てて視線を逸らす。

 互いに話しかけづらく、二人の間に気まずい沈黙が舞い降りる。特に、二人の脳裏にはテロス密林での月下の湖での、あのシーンが思い浮かび、それがさらに恥ずかしさと気まずさに拍車を掛ける。

「な、何かしゃべりなさいよ」

 勇気を出してという感じで最初に開口したのはルーデル。しかしその言動は見事にクリュウに丸投げだ。クリュウは困ったように顎に手を添えて少し考え、

「──げ、元気にしてた?」

「……あんたに突破口を見出そうとしたあたしがバカだったわ」

 呆れたようにため息と共に言葉を吐くルーデル。クリュウ自身自分の見当違いな発言に呆れていたのでそんな彼女の言葉に返す言葉がなく、苦笑を浮かべる。

「まったく、あんた本当に変わってないわね」

「ルーデルと別れたのは結構最近でしょ? そう簡単に人は変わらないよ」

「ま、そりゃそっか」

 ルーデルも納得したようにうなずくと、迷う事なくクリュウの隣の席に腰掛ける。するとルーデルはクリュウの顔を横から覗き込んできた。

「相変わらずアホ面ねぇ。フィーちゃんは何でこんな奴を気に入ったんだか」

「君も相変わらず包み隠さないよね」

 シャルルの時のように一年以上会っていない訳ではない。つい数ヶ月前の事なのに、すごく懐かしく感じられる。それだけ、ルーデルは仲のいい友達だ。一度しか狩りをしていないし、過ごした時間も短いけど、そう自信を持って断言できる。

「ま、それは置いといて」

「できれば置いといてほしくないんだけど」

「──何でまた、ここに来たのよ?」

 ルーデルの包み隠さない真っ直ぐな言葉での問いかけ。クリュウは一瞬話すべきかどうか迷ったが、先程自分は彼女の事を友達と断言した。友達に隠し事はしたくない。そう結論を出し、クリュウは静かに口を開く。

「実は……」

「──悩むぐらいなら、別に言わなくてもいいわよ」

 クリュウの言葉を遮り、ルーデルはあっけらかんと答える。そんな彼女の言葉に決意して口を開いたクリュウは文字通り開いた口が塞がらない。

「え? で、でもさ……」

「フィーちゃんがわざわざ超ド田舎のあんたの村から遠方のここに電撃帰宅するって事は、余程重要な事態なんでしょ? それも、きっとあんた絡みの。あの子、あんたの為ならがんばっちゃうからね」

 ルーデルの言うのは、見事に今のクリュウ達の状況を見抜いていた──いや、フィーリアの親友だからこそ、フィーリアの行動を見てこちらの状況を推測したのだろう。彼女の事なら自分が良く知っている、以前彼女が言っていた言葉は本当だったらしい。

「今回はあんたが何か特別な目的の為にここへ来たって頃でしょ? それも、すごく重要な。なら、今無理して言わなくてもいいわよ。話すべき時が来たら、あんたが迷わずあたしに話せる時が来たら、その時にでも言いなさい。話を聞くくらいなら、付き合ってあげてもいいわよ」

 言葉自体は素っ気なくても、その声と表情はどちらも優しげだ。彼女なりの優しさなのだろう。クリュウはそんな彼女の思いやりに、心から感謝する。

「ありがと、ルーデル」

 素直に、そう言っていた。

 クリュウが笑みを浮かべながらそう言うと、ルーデルはそんな彼を見てカァッと顔を真っ赤に染めて狼狽する。

「は、はぁ? 何であんたが礼を言う訳? 意味分かんないッ」

 そう怒りながらプイッとそっぽを向けるルーデルを見て、なぜ怒られたのかわからず困惑するクリュウ。そんな彼に真っ赤になった顔を見せたくないルーデルは背を向けながら仁王立ちする。

 しばらくの沈黙があって、そっとルーデルの口が開く。

「っていうかあんた、あの後フィーちゃんとはどんな感じなのよ」

 彼女が言うあの後とはもちろん彼女とフィーリアを奪い合った、彼女と初めて会った後の事だ。しかし、具体的には特筆して何かが変わったという訳でもなく、クリュウは素直に答える。

「別に、それまでと同じような感じだよ」

「……って事は、何の進展もしてない訳ね。ほっとしたようながっかりしたような」

「え? 何か言った?」

「何でもないわよ。それより、ちゃんとフィーちゃんを大切に扱ってるでしょうね? 今はあんたに仕方なく預けてるだけなんだから、もしもあの子を泣かせるような事したら承知しないんだから」

 前回のフィーリアを巡っての争いは結局引き分けという形で終わった。ただし、彼女の意思を尊重してあくまでクリュウに仮に預けているに過ぎない。なので、ルーデルとしてはクリュウにフィーリアを幸せにできる能力がないと判断すれば即時彼女を回収する構えだ。

 忘れていた訳ではないが、改めてそんな複雑な状況に自分が置かれている事にクリュウは苦笑を浮かべる。

「大丈夫。今の所フィーリアに捨てられるような事はしてないよ」

「フン、どうだか」

 自分の発言をものの見事に信じようとしないルーデルにクリュウは苦笑を浮かべるしかない。何となく彼女とはちょっとした信頼関係を築けていたような気がしていたのだが、どうやら思い違いだったらしい。

 ちょっとだけショックを受けるクリュウだったが、もちろんそれは彼の勝手な思い違いだというのは言うまでもないだろう。苦笑するクリュウの隣で、ルーデルは嬉しそうに微笑んでいた。親友が幸せにやっている事を、彼女はちゃんと知っている。そして、彼の言葉の中にフィーリアに対する優しさを感じられて――嬉しくあり、でもちょっとだけ寂しい。

「あんたさ、彼女とかほしくない訳?」

 少しの間を置いてルーデルがそう尋ねた。クリュウはそんな彼女の問い掛けに少し考え、苦笑しながら答える。

「そりゃほしいとは思うよ。でもねぇ、僕にはまだ早いかなぁって」

「はぁ? あんたこの前十七歳になったんでしょ? むしろ遅いくらいよ」

「そうかな? でも今はハンターをしたいなぁ。もっと落ち着いてから、そういう事にも余力を回せるようにしたい」

「贅沢な事言っちゃって……」

 呆れつつも、内心ルーデルはほっとしていた。フィーリアを始め複数の女子から猛烈アタックを受けているというにの全く靡かない彼を見ていると女性に興味がないのではないかという疑問も浮かんでいたのだが、どうやらそれは杞憂だったらしい。

 まだ本気で恋をしたいとは思っていないようだが、とりあえずそういう願望があるという事だけは聞き出せたのは良かった。これは早速フィーリアに報告しないと。

「――じゃあさ、その時が来たら、私があんたの彼女になってあげようか?」

 気がついたら、そう口に出していた。

 クリュウが「え?」と驚いたような顔になって、ようやく自分が言った発言の意味に気づいたルーデルは顔を真っ赤にして慌てふためく。

「ば、バイトよッ! 時給6000zでやってあげてもいいわよ?」

「……それ、確かリオレイア討伐の時の報酬金に匹敵しない?」

 呆れるクリュウにルーデルは「じょ、冗談に決まってるでしょ。からかっただけよ」と頬を赤らめたままプイッとそっぽを向く。そんな彼女の姿を見て、クリュウは不思議そうに首を傾げた後、「そっか……」とつぶやいた。

「な、何がよ」

「いや、ルーデルみたいな子が彼女になってくれるなら、僕は幸せ者だなぁって」

「は、はあああぁぁぁッ!?」

 クリュウの何気ない返しに、ルーデルは顔を真っ赤にして狼狽する。目付きがキッと険しく細まり、変な事を言うクリュウに逆ギレ。困惑する彼に向かって怒鳴りつける。

「ば、バカ言ってんじゃないわよッ! こんな二重人格の凶悪性格破綻者をどういう風に見たらそういう結論に至る訳ッ!?」

「じ、自分の事をそこまで言う?」

 顔を真っ赤にして眼前にまで迫るルーデルに苦笑しながら、クリュウはでもしっかりと答える。

「確かにルーデルは変わってるけど、それを上回るだけの優しい心を持ってるじゃん。親友の為にあそこまで必死になれるなんて、すごく友達想いないい人だよ。そういう人ならさ、きっと好きになっても後悔はしないと思う。僕は、ルーデルなら大歓迎だけどね」

「な、なぁ……ッ!?」

「なぁんてね。まぁ、ルーデルじゃ僕は役者不足だけどね」

 そう言って苦笑を浮かべるクリュウ。そんな彼を至近で見詰めるルーデルの顔はもうこれ以上ないってくらいに真っ赤に染まっていた。若干涙目になり、口はわなわなと震えている。

「あ、あんたねぇ……ッ」

「あのさルーデル? そろそろ離れてほしいんだけどぉ……」

 そこで初めてルーデルは自分とクリュウの異常な距離に気づいた。「へ、変態ッ!」とルーデルはクリュウを突き飛ばすようにして離れる。が、椅子に座っていたクリュウは背中を椅子に押し付けられるので基本は動いていないが。

「大丈夫? さっきから顔が赤いけど、熱でもあるの?」

 クリュウは心配そうに立ち上がると距離を置いたルーデルの方へ近づく。しかしルーデルは「く、来るな変態ッ」と怒鳴りながら後ずさり。

 クリュウから避けるように後退しているうちに、あっという間に壁際に追い込まれる。

「くぅ……ッ」

「いや、そんな仇敵に追い込まれたような顔をされても困るんだけど」

 クリュウは苦笑しながらスッと手を伸ばすと、そっと彼女の額に手を当てる。その瞬間、ルーデルがビクッと震える。

「うーん、やっぱり少し熱があるんじゃない?」

「う……」

「う?」

「うっさあああああぁぁぁぁぁいッ!」

 ルーデルは顔を真っ赤したまま突然怒り出して目の前のクリュウを突き飛ばすと、「ふえええええぇぇぇぇぇんッ」と泣きながら部屋を飛び出して行った。

 

「る、ルーッ!? どうしたのよ一体ッ!?」

 部屋の前まで着ていたフィーリア達は突然泣きながら部屋を出てきたルーデルにびっくりする。しかしルーデルはこちらがまるで見えていないのか反対方向へ全速力で走っていく。フィーリアが慌てて追いかけ、残されたのはサクラ、シルフィード、エレナの三人。

 三人は何となく予想しながら部屋に入ると、そこで床に転がって気絶しているクリュウを見つけ、三人揃って小さくため息を吐く。

「あいつ、また何かやらかしたわね……」

「……クリュウのバカ」

「ある意味才能だな……」

 珍しく、誰もクリュウを助け起こさないのであった。


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