モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第140話 月下に輝く少女の涙と結ばれていく絆

 翌日の昼過ぎ、クリュウ達はアルザス村に戻った。四人が戻るのを待っていたかのように入口には大勢の村人が待っていてくれて四人を出迎えてくれた。そして、クリュウ達がガノトトス及びドスイーオスの討伐に成功した事を伝えると、村中に響くような歓声が上がったのであった。

 

 その夜、村長主催で戦勝祝いとも言うべき宴会が催された。何となく自分の村と同じノリだなぁと苦笑しながらその催しに参加したクリュウ。最初こそ感謝されまくったのだが、次第にただの飲み会に変貌する所もまた似てるなぁと感じながら、クリュウは一人喧騒の中心から離れた隅の方に用意されたテーブルに腰掛けて村特産のグレープジュースを飲んでいた。

 村特産のジュースはすごくおいしかった。甘くて、でもそれが甘過ぎずに飲みやすくて、口いっぱいにブドウの味を香りが広がる絶品だ――ただ何となく、どこかで飲んだ事のある味だなぁと心の隅に引っかかりはあったが、特に気にした様子もなくチビチビと飲みながらきれいな夜空を見上げ続ける。

 しばしそうして一人の時間を過ごしていると、そんな彼に近づく影があった。

「こんな所にいたんすか? 探し回っちまったっすよぉ」

 その声に振り返ると、そこには大きな骨付き肉を右手に、左手にはクリュウと同じく村特産のグレープジュースの入ったコップを持ったシャルルが立っていた。

「僕を探してたの? そりゃ悪い事しちゃったね」

「いいっすよ。シャルはともかく客人の兄者にとっては知らない人が大騒ぎしているのは居心地が悪いんすよね?」

「いや、そういう訳じゃないんだけど……」

「ニヒヒヒ、困ってる兄者もかわいいっすねぇ」

「……お前、僕が《かわいい》とか言われるのがトラウマだって事知ってるでしょ」

「知ってるっすよ。だからからかってるんじゃないっすか」

「怒るよ?」

「ニヒヒヒ、これも全部クロード先輩の影響っすかね――懐かしいっすね」

 そう言って、シャルルはそれまでのイタズラっぽい笑みを引っ込めると、どこか遠い目をして空を見上げる。この空の下のどこかにいる仲間達の事を想いながら……

「そうだねぇ。僕が卒業してからもう一年以上が経ってるんだもんね。何だか、こうしてシャルルといると懐かしい気持ちになるよ」

「そうっすね。まぁシャルとしては鬱陶しいルフィールやクード先輩がいない今の方が快適っすけどね」

「先輩捕まえて鬱陶しいって……まぁ、気持ちはわからなくもないけど」

「兄者は特にクード先輩に気に入られてたっすからね。二人はデキてる噂が出た時の衝撃は今でも忘れないっすよ」

「……忘れて。今すぐに、一切の断片も残さずにきれいサッパリに」

「ニャハハハ……、まだ気にしてたんすね」

「当たり前だろ。一生のトラウマだよほんと……」

 クリュウはどっと疲れが押し寄せたかのように大きなため息を零す。今思い出すだけでも頭が痛くなる。あの時の女子のなぜか嫉妬に狂った瞳や、これまたなぜか感動的な瞳で見詰められた事は嫌というくらいに目に焼き付いている。後者が後に自分の知らない世界の住人からの反応だとわかり、余計にトラウマに拍車を掛けた事も頭が痛い。

「まぁ、学生時代の思い出はそれだけじゃないっしょ。特に兄者の周りはいつも騒動ばかりだったっすからね。特に最後の年は」

「まぁ良くも悪くも忘れられない半年にはなったよね」

「……ほんと、懐かしいっすよね」

 そう言いながら、シャルルはクリュウの隣の席に腰掛けた。湯気がまだ出ている肉を空いている皿の上に置き、静かにグレープジュースを飲む。

「……兄者は、今もルフィールの事が心配っすか?」

 無言で空を見上げているクリュウに、シャルルはそっと問う。その問い掛けに対し、クリュウは静かに答える。

「そりゃ大切な後輩だからね。心配だってするさ。特にあいつは、僕達とは違う苦しみを背負ってるんだからさ」

 人と違う。それは人間という生き物にとっては最大の魅力であり、最大の欠点でもある。一人一人違うからこそ、人は強く生きられ、共に行動すればその力は無限だ。だが同時に一人一人違うからこそ誤解やすれ違いが生じ、争いが生まれる。

 有史以来、部族や国が他の勢力と戦争になる最初のきっかけになるのは民族争いだと言う。自分とは違う思考や外見をした人間を受け入れる事ができず、争う。

 人間とは生物の中で最も知性を持ち、栄えてきた。だが同時に最も醜くて、争いが絶えない生物でもある。

 人とは違う、幻想に過ぎない稚拙な伝説に登場する悪魔と同じ瞳を持つ。たったそれだけで、ルフィールは人には説明できないような苦しみを味わって来た。きっと今も、苦しみ続けているのだろう。そう思うと、胸が苦しくなる。

 でも、だからと言って今の自分にできる事は何もない。ルフィールは人一倍負けず嫌いな子だから、どんなに苦しくても平静を装って抗い続ける。そんな子だから危なっかしくて、そんな子だから誰よりも強い。

 彼女からの連絡が一切ないという事は、今はまだ自分が手を貸す必要がないという事だ。まだ、自分一人の力で何とかなる。そう信じ、戦っているのだろう。

 もしかしたら、もう頼りには来ないかもしれない。寂しいが、それがきっと一番なのだろう。

 ――でも、やっぱりまた会いたいを願ってしまう。妹のように気に掛けていたからこそ、こうして会えない時間が長いと寂しくもなる。

 これじゃ自分の方が情けないではないか、クリュウは小さく苦笑を浮かべる。そんな彼の心内を悟ったのか、シャルルはそっとそんな彼の手を握った。

「シャルル……」

「ったく、あいつは本当にムカつく奴っすね。兄者にこんなにも想われてるなんて、自分がどんだけ恵まれているか自覚する必要があるっすよねぇ」

「いや、どんだけ僕の評価高いんだよ。そんな大したもんじゃないよ僕」

「……ほんと、兄者は残念なくらい変わってないっすね」

 そう言って大きなため息を零すシャルル。そのため息の中にはきっと学生時代に行って来た数々の玉砕経験とこれからもまだまだ苦労が続くのだなぁという前途多難な気持ちが込められているのだろう。恋する乙女はいつも苦労ばかりだ。

 一方、そんなシャルルの苦労などまるでわかっていない当人であるクリュウはシャルルの発言の意図がわからず首を傾げている。それを見て、シャルルはもう一つため息。

「……ルフィールの事もわかるっすけど、たまにはシャルの事も構ってほしいっすよ」

 シャルルはそう言って、クリュウの手の上にそっと自分の手を重ねた。それは彼女にとって、ずっと傍に居てほしかった温もりで、ずっと我慢していた絆であった。

 重ねられたシャルルの温かくて柔らかい手に、クリュウはそっと振り返る。いつも元気いっぱいでバカみたいに明るいシャルルの顔が、どこか淋しげに見えたのは気のせいだろうか。

 そんな事を考えていると、重ねられたシャルルの手にそっと力が込められた。手の甲を包むように、ギュッと握り締められる。

「どうしたの?」

 クリュウが何気なく問うても、シャルルは何も答えてはくれない。ただ、ギュッと手を握り締めるだけ。そんないつもと様子の違うシャルルに、もしかして気分でも悪いのではないか。そんな心配が胸を満たす。

「なぁ、気分でも悪いなら――シャルル?」

 ――シャルルは、泣いていた。

 大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、それが限界を超えてポロポロと大粒の涙となって零れ落ちる。その一粒がシャルルの手の甲に落ち、そっとクリュウの手の甲に零れる。

「シャルル……、どうしたのさ?」

「……兄者は、シャルの事をバカにしてるっすか?」

 責めているような口調ではなく、ただ一心の問い掛けであった。ボロボロと涙を零しながら、シャルルは小さく嗚咽を繰り返し、重ねた手の握る力を強める。

「シャルだって……あいつと同じくらい――あいつ以上に兄者が大好きっす……ッ。だから……誰よりもシャルの事を構ってほしい……、そんな事思っちゃいけないっすかぁ? シャルだって……これでも女の子っす。……ウソでもいいから、一度ちゃんとシャルを見てほしいっすよ……」

 ボロボロと涙と一緒に零れ落ちるのは、彼女がずっと我慢して来た想いだった。ずっと会いたかった、ずっと甘えたかった、ずっと傍にいてほしかった。ただ一心に、大好きなクリュウと一緒にいたい。自分を見てほしい――自分の事を、構ってほしい。

 学生時代はずっと彼はルフィールの事ばかり見ていた。確かに、彼女の境遇を知れば誰よりも優し過ぎるクリュウの事だ。彼女を気に掛けるようにはなるし、力になってあげたいと思うに決まっている。その優しさに惹かれた自分は、そんな彼の優しさの邪魔をしたくはなかった。だから、どうしても強引にはなれなかった。そこにはルフィールは恋敵(ライバル)であったのと同時に、友達だったという事も大きかった。

 学生時代、シャルルはすぐ傍にいたクリュウに満足に甘えられなかった。だから、こうしてルフィールのいない今ならちゃんと甘えられる。そんな風に想っていた。

 ――でも、クリュウは今でも自分ではなくルフィールばかり見ている。それが、シャルルにとっては辛かった。

 どうして、自分を見てくれないのか。やっぱり、女の子らしくない自分なんて眼中にないという事か。クリュウはそういう人ではないとわかっているのに、そう思ってしまう。そんな自分が嫌で、二重の意味で自分を苦しめる。

 ――シャルルはただ、クリュウに甘えたいだけなのに。

 ボロボロと流れる涙を、シャルルはグシグシと拳で拭う。その下にある表情は、いつしか力ない苦笑に変わっていた。

「……悪かったっす。兄者は……こんなシャルじゃ嫌っすよね? シャルは、バカみたいに笑ってて……バカみたいに脳天気で……難しい事は考えない……バカなままがいいんすよね? だから――」

「――ごめん、シャルル」

 クリュウはそっと、シャルルの震える肩を抱き寄せた。抱いてみて、シャルルの体はこんなにも小さかったのかと驚く自分が情けなかった。いつも元気いっぱいで、パワフルで、バカだけど誰よりも真っ直ぐで、頼ってくれて、頼れる後輩。そういう風に思っていた。

 ――だけど、その体は小さかった。本当に、小さかった。

 本当は、シャルルは別に強い子ではない。ただ、周りに心配されるのを嫌って明るく振舞っていただけに過ぎない。そんな事に、なぜ気づけなかったのか。あんなにも一緒の時間を過ごしたのに、何で……

「ごめんな、シャルル……」

 今はただ、謝る事しかできなかった。

 悲痛な彼の言葉に、腕の中でシャルルがそっとそんな彼の腕を抱き締める。

「……シャルはやっぱり、バカのままでいいっす」

 そう言って、シャルルはそっと彼の腕から離れた。数歩進み、そこでくるりと振り返る。美しく輝く月の明かりをバックにして、シャルルはニッと微笑んだ。

「――だって、バカじゃないと兄者を苦しめるだけっすからね」

「シャルル……」

「シャルは別に兄者を責めてる訳じゃないっす。泣いている人がいたら駆け寄られずにいられない。そんな兄者の性格は十分わかっているつもりだし、シャルはそんな兄者が大好きっす――でも、もうちょっとだけシャルの事も構ってほしいっすよ」

 ちょっぴり寂しそうな笑みを浮かべながら言うシャルルに、クリュウは小さく「ごめん……」とつぶやく。そんな彼を見て小さくため息を零し、シャルルは神々しく輝く月をバックに静かに頭に手をやる。そして、やんちゃに結ったツインテールを片方ずつ解いた。

 結ばれていたやんちゃに揺れるツインテールが解かれ、シャルルの髪は重力に従ってゆるやかに流れる。肩程のセミロングヘアになったシャルルはそっと彼に近寄り、その手を握り締める。

 クリュウが顔を上げると、そこにはいつもとは違う《女の子》なシャルルの顔が目の前にあった。シャルルはそんな彼の反応を見てそっと女の子っぽく微笑むと――チュッとクリュウの頬にそっと口づけした。

 顔を真っ赤にして驚くクリュウがまだシャルルの唇の感触の残る頬を手で押さえて困惑していると、そんな彼の反応を見て嬉しそうにシャルルが笑う。

「約束の印っすよ。ちゃんと構ってくれないと、許さないっすからね」

 そう言うシャルルの頬もまた、真っ赤に染まっていた……

 

 突然頬とはいえ勢いでキスしてしまったのが後になって滅茶苦茶恥ずかしくなったシャルルは顔を真っ赤にしたまま「ちょ、ちょっと風に当たって来るっすぅッ」と一人でどっかへ行ってしまった。

 一人残されたクリュウは鮮明に記憶に刻まれた頬の感触に困惑し、未だに手で押さえたまま。その頬もまた赤く、無言でグレープジュースを一気飲み。

「……やっぱり、女の子はよくわかんないや」

 そう言葉を漏らすクリュウだが、本人は相変わらず自身の乙女心に対する理解能力の低さ及び自身の羨まし過ぎる境遇などをまるで理解していない。ここまで来るともはや乙女心に関する判断力が完全に欠落しているとしか思えない。

「うーん……、帰ったらシルフィにでも相談してみようかなぁ……」

 自覚がないとはいえ、その選択肢は彼女にとっては不幸だと気づいてもらいたい。

 そんな感じで一人でクリュウが贅沢な悩みに地味に苦労していると、そんな彼の背後から近づく者がいた。

「あ、あのぉ……」

 声に振り返ると、そこにはレザーライトヘルムをいつも以上に深く被って顔を隠しているレンが立っていた。その手には湯気を上げるお茶の入ったカップが握られている。

「相談と聞こえたのですが……何かお悩みですか?」

「あ、いや。何でもないよ。うん、何でも」

「そ、そうですか……?」

 心配そうにレザーライトヘルムの鍔越しに見詰めて来るレンにクリュウは心配ないよと微笑む。彼女に相談してもたぶん解決しないだろうし、そもそもレンに心配を掛けたくなかった。

「そういえば、エリーゼはどこ?」

 話題を変えるようにクリュウは珍しく一緒ではないエリーゼの姿を探す。だが、パッと見回す限りどこにも彼女の姿はなかった。

「あ、エリーゼさんならさっきシャルルさんに捕まってどこかに行きましたけど……」

 どうやらテンパっているシャルルの犠牲になったらしい。まぁエリーゼには悪いが、シャルルの性格を十分理解している友人として彼女を任せるとしよう。というか、エリーゼと一緒と言うなら安心だ。

「それで、エリーゼと別々になっちゃったんだ」

「は、はい……。私、あまり知らない人とは話せないので皆さんの輪にも入れずに……」

「僕も一緒だよ。何ならここにいれば? シャルルは僕がいる場所を知ってるからさ、そのうちエリーゼを連れて戻って来るかもだよ?」

「そ、そうですね。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」

 知っている人に会えたのが嬉しかったのか、レンは無邪気に笑ってクリュウの正面に腰掛ける。持っていたお茶を置いた所で「やぁ少年、青春しているかい?」と陽気な声と共にキャンディが現れた。酒場担当の為、今回の騒ぎでは大忙しだ。先程から見える彼女の動きはドンドルマのギルド嬢やエレナにも負けないような機敏さだ。

「おやおや、珍しい組み合わせだね? 余り者同士って訳かい?」

「まぁ、そんな所だよ」

「……そうかそうか。それじゃ、そんな相棒に忘れられちゃったお二人にウチのおごりでこれをプレゼントしようッ」

 そう言ってキャンディは持っていたクッキーの盛られた皿を二人の前に置く。香ばしい香りの中にはブドウの香りがあり、よく見るとクッキーにはブドウが練り込まれている。ブドウクッキーという訳か。

「あ、ありがとうございます……」

「いやいや、可憐なお嬢さんのその言葉だけでウチは大満足じゃき。ほいじゃ、ウチは仕事に戻るっちよ。何か用があったら「キャンディちゃんッ、大好きだよぉッ」と叫んでお呼びくださいねぇ」

「……いや、それはちょっと」

「ニャハハハ、まぁ気軽に呼んでって事さね。そいじゃぁね」

 楽しげな笑い声を残して、キャンディは喧騒の中へ去って行った。残された二人は彼女のシャルルに良く似た底抜けの明るさに苦笑しつつ、クッキーに手を伸ばす。その瞬間、同時に伸ばした二人の指先が触れた。

「あ……」

「あ、ごめんね」

 クリュウは特に気にした様子もなく手前からクッキーを取って頬張る。口の中いっぱいに広がる香ばしさとぶどうの風味、そして絶妙な甘さ加減がおいしい一品に仕上げてくれている。

「うん、これおいしいや」

 さすがに村特産のブドウを使っているだけあって、その使い道である料理もまた絶品だ。特筆して名産を持たないイージス村と違って特産のあるアルザス村がちょっとだけ羨ましくもある。

 そんな事を考えながらクッキーを頬張っているクリュウに対し、指が触れてから頬を赤らめたまま無言でうつむいているレン。

「どうしたの? これおいしいけど、食べないの?」

「え? あ、食べます」

 クリュウに声を掛けられ、レンは慌ててクッキーを一枚手に取って食べる。クリュウはそんな彼女の反応に首を傾げながらグラスを傾ける。が、さっき飲み干したグラスは空っぽであった。

「ごめんレン、ちょっとジュース足して来るよ。何かほしい物があれば持って来るけど、何かある?」

「あ、私は結構です……」

「そっか。ちょっと待っててね」

 そう言い残してクリュウは喧騒の中心部へと消える。一人残されたレンはクッキをかじりながら、クリュウと触れた指をさすり続ける。

「……えへへ」

 ちょっぴり嬉しそうな笑みを浮かべ、その手を大切そうに抱くレン。しばらくそうして待っていると、なぜか嬉々とした表情でクリュウが戻って来た。

「レンッ、これこれッ」

 嬉々とした表情を浮かべてクリュウがレンの前に差し出したのは皿には大粒のブドウのような紫色の食べ物が数個あった。

「これは……」

「ブドウマンジュウ。東菓子を模して作った試作品だってさ」

 アルザス村では村の特産であるブドウを使って様々な特産品を考えてはこういった機会に試作品を出し、そこでの評価を元にして新しい特産品を作り出す。今回の試作品がこれであった。

「レンは東方人だからさ、当然よくマンジュウも知ってるでしょ? だから口に合うかなぁって。おいしかったら後でアンケートにそう伝えておくからさ」

 レンはジッとブドウマンジュウを見詰める。確かにそれはマンジュウによく似ている。大きさが小さいのはブドウの粒を模しているからだろう。触れてみると、普通のマンジュウと違って皮がなく、全体的にしっとりしている。手で食べるのは苦労しそうだ。だから小さな串が備え付けられているのだろう。

 レンは串を一本取って一つに突き刺して持ち上げ、しげしげと興味深げに全体を見詰める。しばしそうして見たり匂いを嗅いだりしてから、一口食べる。

「あ、おいしい……」

 口の中に入れた瞬間、懐かしい感じの甘さが広がった。そこにブドウの味が見事にマッチしている。昔食べていたマンジュウとは違うが、これもまたマンジュウであった。

「全体が餡(あん)なんですね……」

「よくわからないけど、おいしいんだ。良かった良かった……」

 クリュウはほっとした表情を浮かべると、同じく串を取って一つ刺し、自分も頬張ってみる。

「うん、おいしいや」

 口の中いっぱいに広がる甘味に志た鼓を打ちつつ、クリュウは元居た席に戻る。

「あの、ありがとうございます」

 ジュースを飲んで一息をついた所で、レンがはにかみながら言った。

「気遣ってもらっちゃって、申し訳ないくらいです」

「別にそういうつもりじゃないから気にしないで。一度とはいえこうしてチームを組んだ仲なんだから、そういうのは一切なしって事で」

 クリュウはそう言って笑うと、もう一粒拝借して口の中に放り込む。どうやら地味にこの味が気に入ったらしい。

 そんな子供のようにお菓子を食べて笑みを浮かべているクリュウを、レンは先程からジッと見詰めたままだ。そんな彼女の視線に気づいたクリュウは不思議そうに首を傾げる。

「どうしたの? 僕の顔に何か付いてる?」

「あ、いえッ、何でもないですッ」

 急に話しかけられ、慌てて視線を逸らすレン。クリュウは不思議に思いつつも特に気にせずに視線をきれいな空に移し、ジュースを一口含む。そんな彼の横顔を、レンはジッと見詰め続ける。

「あの、クリュウさん」

 しばらくの間があって、小さな声でレンがクリュウに声を掛ける。彼が振り向くと、レンは恥ずかしそうに頬を赤らめながら、もぞもぞとテーブルの下で手をいじり、うつむき加減で彼を見詰める。

「その、お願いがあるんですが……」

「お願い?」

 そっと、レザーライトヘルムを取る。

「……あの――頭、撫でてもらってもいいですか?」

「えぇ?」

 突然の突拍子も無いレンのお願いにクリュウは当然困惑する。そんな彼の反応は予想していたのか、レンは恥ずかしそうに小さな声で説明する。

「その、クリュウさんってどこか村にいる兄さんに似てるんです」

「僕が? っていうか、レンってお兄さんがいたの?」

「あ、いえ、実の兄妹という訳ではなく、近所に住んでいる大好きだった兄さんです。容姿とかは特に似ているという訳ではないんですが、どことな雰囲気が似てて、どこか懐かしい気持ちになって――胸がポカポカするんです」

 そう言いながら、レンはそっと自分の胸を押さえて無邪気に微笑む。その屈託の無い、おそらくクリュウが今まで見て来た笑みの中で一番純粋な笑顔だ。見ているこっちまで幸せになれる、そんな笑顔。

「村を出てからもう何ヶ月経ったかわかりません。一人前になるまでは帰らないと豪語してしまったから、帰るに帰れなくて……。エリーゼさんと一緒にいるのは本当に幸せだと感じてはいますが、やっぱり故郷の事を思い出すと胸がキュッってなるんです」

 クリュウは故郷に拠点を置いている今はそうでもないが、学生時代は遠い故郷とはまるで違うドンドルマで故郷を懐かしく感じた事は多々あった。特にレンの場合は文化圏も違うから、その想いはより強いのかもしれない。

「私、元々こちらでの知り合いは少なくて……、だから、クリュウさんのように東方の事がわかる人は初めてでした」

「まぁ、確かにあまり東方地域以外では東方人は見ないもんね。友達に東方人がいる僕はかなり稀有な例だもんね」

「クリュウさんは私が大好きだった故郷の兄さんに似てて、しかも東方での話題が通じる人です。だから、ちょっと故郷の事を思い出しちゃって……」

「……なるほど――寂しいんだ」

「はい……」

 どんなに大好きな姉と暮らしていても、どんなにその日々が幸せでも。父や母、子供の頃からずっと過ごした故郷を忘れる事はできない。時々、そんな日々を懐かしく思い、寂しくなってしまう事もある。

 その寂しさが、自分の行動で少しでも和らぐなら、断る理由にはならない。

「そういう事なら、別に構わないよ」

「ほ、本当ですか?」

「うん。こんな感じでいいの?」

 クリュウはそう言いながらレンの頭を優しく撫でる。彼女が求めている撫で方ではないかもしれないが、とりあえずは自分なりのやり方で撫でてみる。フィーリア、サクラ、ルフィール、シャルルなどにしてきたあの撫で方だ。

 レンは黙ってクリュウに頭を撫でられ続ける。まるで、その感触をじっくりと味わうように、眼を閉じて、神経を研ぎ澄ませる。

 しばらくそうしてクリュウが撫で終えて手を離すと、レンも閉じていた瞳を開き、顔をゆっくりともたげる。上げられた顔は少し頬を赤らめ、幸せそうな笑みが浮かんでいる。

「あ、ありがとうございます……」

「う、うん……あははは、何だか変な気分」

 何というか、自然にするのではないというだけで同じ行動でも妙な気分になってしまう。さっきまでのどこか淋しげなレンの表情が明るくなった事は良かったが。

 クリュウも何となく小恥ずかしくて、レンからちょっと視線を逸らして空へと逃げる。こうして見上げると、とてもきれいな星空が瞬いている――と、ちょっと逃げ腰な思考。

 空を見上げ続ける彼をジッと見詰めたまま、レンは再びモジモジと手元をいじり始める。何度か自分の手元を彼を見比べた後、意を決したように口を開く。

「……あ、あの、お願いついでにもう一つよろしいでしょうか?」

「うん? 別にいいけど、何?」

 視線を再び彼女に向けると、レンはちょっとだけ頬を赤らめ、恥ずかしそうに、いつもの自信なさげな上目遣いで彼を見詰める。その視線にちょっとドキッとしたり。

「――お、お兄さんとお呼びしても、よろしいでしょうか?」

「えぇ?」

 またしも突拍子も無いレンの発言に困惑するクリュウ。それを見てレンは慌てて説明する。

「あ、えっと、クリュウさんが私の故郷にいる兄さんに雰囲気が似ているという話はしましたよね? だからその、そういう呼び方の方が私としてもしっくりくるというか、呼びやすいんです。あ、でもご迷惑でしたら全然お断りをいただいても……」

「あぁ、いや、別にいいけどね。君の好きなように呼んでよ」

 別に呼ばれ方に特にこだわりがある訳でもないし、好き なように呼んでもらってもクリュウとしては全然構わなかった。というか、すでにリリアに《お兄ちゃん》と呼ばれているし。

 クリュウの返答に、レンは目に見えて表情が明るくなり、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。

「あ、ありがとうございますッ──お、お兄さん」

 照れながら、でもどこか嬉しそうにレンはクリュウの事を呼ぶ。そんな彼女の姿を見て、クリュウの顔にも自然と笑みが浮かぶ。リリアの時にも感じたが、《兄》と呼ばれるのはちょっと嬉しい。一人っ子だったから、余計なのかもしれない。

「何だか、改めてそう呼ばれると恥ずかしいね」

「ご、ごめんなさい」

「いや、別に君を責めている訳じゃないからさ」

 そう言ってクリュウは嬉しそうに微笑む。そんな彼の笑顔を見て、レンもまた嬉しそうに無邪気に微笑んだ。

「お兄さん、ジュースのおかわりいりますか?」

「え? あ、うん」

「じゃあ、取って来ますね」

「あ、ありがとう」

「いえいえ、お兄さんの為ですから」

 そう言ってレンは幸せそうな笑みを浮かべて席を立つと、トテトテとしたどこか危なっかしい足取りで走って行く。

 そんな彼女の背中を温かく見守りながら、クリュウはブドウマンジュウを一口食べた──直後、彼の視線の先でレンが何もない所で転倒した。

 

「お兄さんは、どのくらいこの村に滞在するつもりですか?」

 しばらく黙って月見でもしながらジュースを飲んでいたクリュウに、レンが何気なく尋ねた。クリュウは少し考えるように黙り、口を開く。

「うーん、できれば明日にでもこの村を出発するつもり」

「そんな急に、ですか?」

「村の事が心配だからね──まぁ、僕がいなくてもあの村の守りは鉄壁だから、正直僕がいなくても全然問題ないんだけどね」

 自分の口で言ってみて、改めて空しくなる。謙遜ではなく事実というのが厄介な所だ。

 クリュウの密かな悩みや、彼の村の現状を知らないレンは彼の発言の意図が掴めず、疑問符を頭に浮かべている。

「……でもまぁ、みんな心配するからさ、なるべく早く帰らないと。ここから村に戻るにもまた十日ほど掛かるしさ」

「そ、そうですかぁ……」

 クリュウの返答に、レンはあからさまにがっかりする。せっかく《お兄さん》と呼べるまで仲良くなれたのに、すぐにお別れになってしまうのは、寂しい。

 そんなレンの反応を見て、クリュウも気まずそうに謝る。

「ごめんね。もっと滞在できればいいんだけど、行き来だけでも二〇日くらい掛かるからさ。狩猟時間なんかも含めるとほとんど一ヶ月村を空ける事になるからね」

 イージス村とアルザス村は大陸の横幅の半分くらいの距離がある。その行き来だけでもかなりの日数を要する為、滞在できる時間は限られてしまう。

 一ヶ月もの間、皆に心配を掛けてしまうのだから、少しでも早く帰って安心させてあげたい。実に彼らしい。

 そんな彼の言葉を聞いて、レンは寂しげな笑みを浮かべた。

「そうですか、残念です」

「ごめんね」

「大丈夫ですよ。それにしても、お兄さんにそこまで想ってもらえるなんて、お仲間さん達は幸せ者ですね」

「そ、そうかな?」

「そうですよ。そして、そんな素晴らしいお仲間に囲まれるお兄さんもまた、幸せ者です」

「……そうだね。僕はすごい幸せ者だよ」

 それは、心からそう思えた。

 気遣い上手でとても仲間想いなフィーリア、無茶苦茶だけどいざという時はとても頼れるサクラ、強く美しく頼れる最高のリーダーであるシルフィード。

 素直じゃないけど本当はすごく優しい幼なじみエレナ、困った時はいつも助けてくれる親友のツバメ、いつも無邪気に笑って甘えてくる妹のようなリリア。

 自分の周りには、本当に良き仲間や友がいる。本当に、自分は幸せ者だ。そう、心から思える。

 そんな彼を見詰め、レンは小さく微笑む。

「私も、もっとがんばらないとッ」

 小声で、そう自分を奮い立たせた。

「いつか、お兄さんの村にも行ってみたいです」

「いつでも大歓迎だよ。ドンドルマからはちょっと遠いけどね」

「どんと来いですッ」

 そう言って無邪気に微笑むレンの姿を見て、クリュウも自然と笑みが浮かぶ。こんな妹がいたら、本当に幸せだろう。そして、そんな妹を持つエリーゼは本当に幸せ者だ。

 そうこうしている間に、レンは先程クリュウのジュースのおかわりを持って来た時についでに持って来たブドウプリンをおいしそうに食べ始める。ブドウを混ぜたプリンに、ブドウジャムのようなソースが掛かったブドウ尽くしな一品だ。

「私、卵かけご飯とプリンが大好きなんですッ」

「あははは、卵好きなんだねぇ」

 無邪気に笑いながらプリンを頬張るレンを見ていると、こっちまで嬉しくなってしまう。本当に、かわいいの一言に尽きる子だ。

「あ、レン。口元にソース付いてる」

「ふぇ?」

 プリンに夢中になっていたレンは口元にソースの飛沫が付着している事にも気づいていなかったらしい。クリュウは苦笑しながら布巾を取って、そっとソースを拭い取る。

「ほらね。これで大丈夫だよ」

「えへへへ、ありがとうございますお兄さん」

 何て幸せな時間なんだろう。クリュウはほんわかと微笑んでしまう──刹那、背後から雪山のような極寒の冷気が吹き荒れた。ブルブルと体が震え、驚いて振り返ると、そこにはまさに絵に描いたように怒り狂う二人の少女がいた訳で。

「……レンに手を出したら、ブチ殺すって言ったわよね?」

「兄者、本当に相変わらずなんすね」

 不気味なくらいに冷静な二人の声。それを放つ二人の表情は憤怒に満ち、次第次第に氷の怒りは火山に燃え盛る業火のような激しい怒りに変わっていく。

 クリュウは顔を真っ青にしながら、何とか穏便に済ませようと引き吊った笑みを浮かべる。

「え、えっと……話すと長くなるんだけど、聞いてくれるかな?」

「「聞く耳持つかあああぁぁぁッ!」」

 刹那、イージス村から遠く離れたガリア共和国の辺境にある小さな村に、少年の悲鳴が響くのであった。

 

 翌日、駄々をこねるシャルルを説得して何とか出発の準備を整えたクリュウ。来た時とほとんど変わらないが、一応幾つかガノトトスの素材は持った。むしろ大タル爆弾Gなどがない分帰りの方が身軽だ。

 村の入口にやって来たクリュウ。振り返ると、アルザス村の村人達が見送りにやって来てくれていた。そして、一番前の列にはシャルル、エリーゼ、レン、キャンディの四人が並ぶ。

「私とエリーゼさんはドンドルマを拠点にしていますので、機会がありましたらまたよろしくお願いしますね、お兄さん」

「……何がお兄さんよ。言っておくけど、顔を合わせても声掛けんじゃないわよ。迷惑だから」

 無邪気に笑いながら見送ってくれるレンに対し、エリーゼはまるでここで初めて出会った時のように敵意むき出しだ。これにはこの数日間の努力が見事に無駄になったのだとクリュウは苦笑するしかない。

「またこの村に遊びに来いよな。あんたの村からはすんごく遠いみたいやけど、わざわざ足を運ぶだけの価値があると、ウチは思ってるぜ」

「もちろん。また遊びに来るよ」

 ビシッと見事に親指を立てて見送るキャンディ。本当によくわからなくて、無駄に明るい人だ。さすがシャルルの姉代わりなだけはあると、今更ながら感心してしまうクリュウ。

 そして、視線は最後にムスッとしているシャルルへと向けられる。今日帰ると伝えた昨日の夜からずっとこんな調子で、すっかりふてくされてしまっているのだ。

「……兄者のバァカ」

「シャルル……」

 これでまたしばらくお別れだと言うのに、シャルルは目も合わせてはくれない。唇を尖らせてそっぽを向くシャルルの横顔を見て、クリュウは小さくため息を漏らす。

 そんな二人の様子を見て、呆れたようにため息を零すエリーゼ。

「何やってんのよあんた達……」

 エリーゼは隣でふくされるシャルルの頭を軽く小突いた。そんな彼女の拳にシャルルはムスッとする。

「何っすか?」

「別に、あんた達ってほんとバカだなぁって思っただけよ」

「ば、バカって何すか」

「また会えるのがいつになるかわからないって時にこの状況。バカ以外の単語が見つからないわよ」

 トゲのある言い方ではあるが、彼女が言っている事が正論であるとは理解しているのか、シャルルは気まずそうに視線を逸らす。そんな友人の姿を見てエリーゼはため息を零すと、その背中を無理矢理押す。

「な、何するっすかッ?」

「意地なんて面倒なもの張ってないで、本能の赴くままに行動しなさい。らしくなわよっとッ」

 そう言ってエリーゼはシャルルをクリュウの方へ押し出した。その予期しない力技にシャルルは為す術もなくクリュウの前に押し出される。

 突然クリュウの目の前に押し出されたシャルルは慌ててうつむき、クリュウもそんなシャルルの拒否行動を見て掛ける言葉も見つけられずに黙ってしまう。

 そんな二人を見てエリーゼは大きなため息を零す。すると、その隣にいたキャンディが突然豪快に笑い声を上げて二人に近づき、気まずい雰囲気の中にいる二人の肩を持って無理矢理くっ付ける。

「な、何しやがるっすかキャンディッ!」

「ちょ、ちょっとッ」

「何二人してらしくない事しやがってるのよッ。お別れと言ったらこうやって熱い抱擁に決まってるじゃないッ」

「お前の常識とシャル達の常識を一緒にするなっすッ!」

 クリュウにくっ付いたまま顔を真っ赤にして激怒するシャルルだったが、その赤みの原因の一つは別の意味だったりする。

 顔を真っ赤にしてテンパるシャルルと、同じく頬を赤らめて困惑するクリュウの二人を見て、キャンディは豪快に笑う。

「青春しなよ若人達よッ。時間は君達を待ってはくれないぜ?」

「……あんたも立派な若人しょうが」

「か、かっこいいですぅ……」

「……いや、ただイッちゃってる人でしょ」

 そんな騒がしいギャラリーは放っておいて、クリュウとシャルルは互いに少し距離を開ける。が、それ以上距離を開く事はなかった。

「……本当に行っちゃうっすか?」

 しばらくの間があって、クリュウの手を握り、小さな声で尋ねるシャルル。その表情は先程までの意地を張った素直じゃない彼女ではなく、彼女の本質である寂しがり屋から来る、彼女の本当の表情。

 クリュウはそんな彼女の表情を見て一瞬躊躇したように視線を逸らすが、すぐに再び彼女に向き合う。

「ごめんね。今は、僕を待ってくれている人がいるんだ。いつまでもその人達に心配を掛けたくないんだ。ごめんね、シャルル」

 そう言いながら、クリュウはそっとシャルルの頭を撫でた。シャルルはそれをしばらくの間無言で受け続ける。そして、

「……仕方、ないっすね」

「シャルル?」

 諦めたように、シャルルはつぶやいた。彼女の表情は依然として寂しさに満ちてはいたが、それはどこか諦めがついたかのような、サッパリしたものに変わっていた。

「兄者には兄者の《今》があるっす。それを壊す権利は、シャルにはないっすよね……だから、仕方がないっす」

「シャルル……」

「──でも、シャルは諦めた訳じゃないっすよ。またいつか、兄者とチームを組める日を信じて、これからがもがんばるっすッ!」

 そう覚悟を決め、シャルルはグッと拳を握り締めて彼と向き合う。

 本当は大好きなクリュウとまた離れ離れになるのは嫌だ。でも、彼の決めた事を尊重してあげたいという気持ちもあるし、自分だっていつまでも駄々をこねられる子供ではいられないと、わかっているからだ。

「また、村に来てくれるっすか?」

「もちろん。その代わり、シャルルも今度は僕の村に遊びにおいでよ。ここみたいに特産品がある訳じゃないけど、この村にも負けない村だからさ」

「必ず行くっすッ。楽しみにしてるっすよッ」

 そう言って、シャルルはグッと拳を突き出す。それに合わせるようにクリュウも拳を突き出し、互いにぶつけ合う。二人の、約束の証。

 そんな二人を、キャンディやエリーゼ、レン、そして村のみんなが温かい目で見守る。

 ──そして、その時が来た。

「それじゃ、またね」

 クリュウはそう言って皆に背を向けて歩き出す。そんな彼の背中を見て「あ、兄者ちょっと待ってほしいっすッ」と慌てて彼を止めるシャルル。

「どうしたの?」

「これ、この村の特産のグレープジュースっす。ぜひ持って帰ってほしいっす」

 そう言って彼女が差し出したのは、クリュウが気に入っていたこの村の特産のグレープジュース。今までは村で消費される分だったからむき出しのビンに入れられていただけだが、彼女が渡したのは輸出向けの製品版。木箱に入った一品だ。

「これって……」

 そして、クリュウはそれに見覚えがあった。口元に、自然と笑みが浮かぶ。

「結局、みんな繋がってるって事なんだね」

「うにゅ? 何がっすか?」

「何でもないよ。ありがたくもらっておくよ」

 クリュウはシャルルからジュースを受け取り、改めて皆に別れを告げ、今度こそ村の外へ向かって歩き出す。

 振り返ると、シャルルが大きく手を振って大声で別れの言葉を叫んでいる。その光景はまるで、あの時と同じ。

 クリュウはシャルルやエリーゼ、レン、キャンディ、そしてアルザス村の村人達に手を振りながら、アルザス村を後にした。

 

 帰りは出国手続き自体は入国に比べては楽で、ドンドルマを経由せずに直接村に帰ったので少しは早かったが、それでも村に帰ったのは彼が村を出て二〇日以上経っての事だった。

 心配で心配で仕方がなかった女子陣は無事に帰って来たクリュウの姿を見てほっと胸を撫で下ろした。フィーリアは薄っすら涙を浮かべ、あれだけ自信満々に送り出したシルフィードも安堵の表情を浮かべる。エレナやツバメも無事に帰って来たクリュウを見てそれぞれ喜んだ。

 そして、サクラは……

 

「……無事で良かった」

 サクラも表情と鋭い隻眼を和らげ、ほっと胸を撫で下ろす。そんな彼女を見てクリュウもほっと胸を撫で下ろしつつ、思い出したように荷物の中から例のアルザス村特産のグレープジュースを取り出す。

「サクラ、これ覚えてる?」

 クリュウがそれをサクラに見せると、サクラは一瞬驚いたように隻眼を大きく見開くと、ゆっくりと小さな笑みに変わる。懐かしい物を見た、そんな表情だ。

「……当然。それは、クリュウと再会した時にドンドルマで飲んだ、あの時のグレープジュース」

 それはクリュウがまだまだかけだしだった頃。イージス村がフルフルの危機に瀕して彼がドンドルマに助けを求めて村に戻って以来初めてやって来たあの日。ライザと出会い、そしてサクラと子供の頃以来に再会したあの時。

 彼女に引っ張られるままに部屋へ向かい、そしてそこで久しぶりに話をした。その時に飲んだ、二人にとっては大切な思い出の味。それが、

「あの時飲んだジュースが、まさかシャルルの村で作られたジュースだったなんて。世の中結構狭いものだね」

「……そうね」

 一本のジュースを中心に、懐かしさに満ちた会話をする二人。そんな二人を羨ましげに、そして恨めしげに見詰める女子陣。

「な、何でいつもいつもサクラ様ばっかり……ッ」

「心配して損したじゃないッ」

「私が知らない二人、か……。何だか、ちょっと悔しいな」

「じゃの」

 それぞれの想いを抱きながら、イージス村の日常が戻って来る。イージス村の柔らかな日差しを受け、アルザス村産のグレープジュースが静かに光り輝いていた。

 

 クリュウが去ってから数日後にはエリーゼとレンも村を後にし、ガノトトスを討伐してから一週間程が経過し、アルザス村にもようやくいつもの日常が帰って来た。人々はブドウの栽培に汗を流し、子供達は楽しげに笑いながら野原を駆け回っている。どこにでもある、長閑な村の姿がそこにあった。

 その日もシャルルはいつもと変わらず近くの森林へ野草やキノコなどの採取へ行き、たくさんの野草やキノコなどをカゴに詰めて帰って来た。

 依頼主である村長にカゴごと渡し、わずかな報酬金と感謝の言葉を貰って意気揚々と酒場へと向かう。彼女にとってはお金よりもみんなが幸せにいてくれる方がずっと嬉しいのだ。まぁ、前回のガノトトス戦で受け取った報酬金は結構な額だったのでその備蓄があるからこその余裕とも言えるが。

 何はともあれ意気揚々と村唯一の酒場であるキャンディの酒場へと向かうシャルル。いつものように「腹減ったっすよぉッ。キャンディご飯大盛りでランチを頼むっすッ」と元気良く中へと入る。そんな彼女をキャンディが笑顔で出迎える。

「やぁシャルちゃん、今日も元気だねぇ。そんな君にとっておきの情報だぜ? 今日のランチは何と幻の高級食材、キングターキーが手に入ったからキングターキーのフライドチキンをごちそうしちゃうぜ?」

「マジっすかッ!? こんなド田舎にそんな高級食材が届くんすかッ!? 早く食べたいっすッ!」

 キャンディからの奇跡のようなランチを紹介され、口の中いっぱいにヨダレが広がり、辛抱堪らんとばかりにキラキラとした目で大喜びするシャルル。そんなシャルルの反応に満面の笑みを浮かべるキャンディ。

「すぐ用意するからね」

「おうっすッ!」

「あ、それと君にお客さんだよ? あそこあそこ」

 そう言ってキャンディが指差したのは店の隅にあるテーブル。そこに腰掛けているのは一人の少女であった。シャルルと同じハンターで、纏うのはシャルルの纏うケルビやガウシカの皮をベースにしたバトルシリーズとは異なり、全身を美しい青色の大きな鱗を繋ぎ合わせて作られたまさに鎧。それは怪鳥イャンクック亜種から取れる世にも珍しい素材をふんだんに使って作られたクックDシリーズ。

 今は狩場ではないからか、クックDヘルムは脱いでその素顔が露になっている。

 青みがかかった紺色の髪をザザミ結びと呼ばれる今時の女の子らしい髪型に結い、細メガネを掛けて本を読むその横顔は知的な印象を抱かせる。その澄ましたような横顔に、シャルルは見覚えがあった――否、忘れられる訳がない。

 少女は静かに本を閉じた。

「……まったく。少しは成長しているかと思っていましたが、相変わらず知性が致命的に欠落しているようですね。要するにバカのままという訳ですか」

 そのムカつくような冷静な悪口的解釈。昔、このムカつく口調に何度も振り回され、何度怒り狂った事か。あの時は本当にムカつくガキだと思っていたが、こうして久しぶりに聞くとその発言が実に素直じゃない挨拶に聞こえてしまうから不思議だ。

「何でも遠路遥々君を訪ねに来てくれたんだってよ。感謝しぃな、キングターキーを手土産に持って来てくれたのは彼女なんだぜ?」

「……エクレルールさん。どうやらボクとあなたの間に致命的な解釈の齟齬が生じているようですから訂正しますけど、ボクはあくまで旅の途中で立ち寄ったに過ぎません」

「ニャハハハ、そうやったねぇ。ごめんニャ~、勝手に解釈しちゃって」

「まったく……、どうやらシャルルさんが残念な頭をしているのは環境的要因が大きいようですね。長年の謎が解けたような気がします」

「あニャ~? 何だか私までバカにされちゃったニャ~」

 おそらくは会ってまだ間もないはずのキャンディに対してもこの容赦のない毒舌の波状攻撃。本当に、こいつは人と仲良くなろという概念が欠落しているのではないか。昔から思ってはいたが、相変わらず変わってないようだ。

「……お前、相変わらずっすね」

「そのお言葉、そっくりそのまま丁重に包んで代引で返送させていただきます」

 ゆっくりと立ち上がり、少女はようやくこちらに向く。細メガネの奥に輝くのは、左は太陽のように眩しい金色の瞳。右は南方の美しい海を思わせる碧色の瞳――イビルアイ。

 その生意気に澄ました顔に懐かしさを感じてしまうとは、どうやら本当に自分はバカになってしまったらしい。

 大陸に伝わる左右の瞳の色が違う美しき女の姿を象った、様々な男を惑わした悪魔――邪眼姫(イビルアイ)。それは大陸全土に広く伝わる伝説の悪魔として人々に語り継がれていった。

 その伝説と同じ左右で色の違う瞳を持った少女。生まれてすぐにその瞳に恐れをなした両親に教会に捨てられ、ハンターを志してドンドルマに来てからはその瞳のせいで人々から忌み嫌われ、迫害され、心を閉ざしてしまった。周りの全てがどうでも良くて、価値のない日々だと吐き捨てていたあの頃。

 それが、クリュウと出会ってから変わった。

 彼の優しさに触れ、彼を慕う仲間達に囲まれ、少しずつ心を開いていった。普通の女の子のように笑い、普通の女の子のようにオシャレをし、普通の女の子のような日々を過ごし――普通の女の子のように、恋をした。

 シャルルにとって、口が悪くて容赦のないムカつく年下の同級生で、クリュウを争った最大の恋敵(ライバル)で、共に背中を預け合った最高の仲間。

 ドンドルマハンター養成訓練学校三期連続校内主席という記録を残した天才少女。その名は――

「――久しぶりっすね、ルフィール」

 シャルルの言葉に、ルフィール・ケーニッヒは「はい」とうなずき、ほんのちょっとだけ嬉しそうに微笑んだ。

 その笑顔は、彼女がようやく手に入れた《生きる》という意味そのものだったのかもしれない……


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