モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

128 / 251
第123話 加速する少女の気づかぬ想い

 春が近いとはいえまだまだ朝は寒い日が続くイージス村。

 朝日がすでに森の木の高さを超え、村人のほぼ全員が起きている時刻。すでに外に出て遊ぶ子供達の姿も見る事ができる、そんな時間――そのような時間になっても、未だにベッドの中に潜り続けている者が一名。

「シルフィード様ッ。もう朝はとっくに過ぎていますよッ。いい加減起きてくださいッ」

 ドアを勢い良く開けて現れたのは鎧の代わりにエプロンを身につけ、手にはライトボウガンの代わりにフライパンという武具を見に纏ったフィーリア。その視線の先にはベッドがあり、膨らんだ毛布がもぞもぞと動いている。

「シルフィード様ッ。朝食もできてますから起きてくださいッ」

「……あ、あと五分だけ……」

「ダメです。あと、《じゃあ、あと五〇分》というボケもなしです」

「……あと五時間……」

「本気で怒りますよ?」

 そんなやり取りをしばし続けた後、ようやくシルフィードが起き上がる。だが毛布を頭に被ったまま、無表情でぼけーっとフィーリアを見詰める。まだ頭が完全には覚醒していない証拠だ。

「あぁ……朝か……」

「もう皆さんとっくに起きていますよ。あとはシルフィード様だけです」

「そうか……」

 シルフィードは「うぅ……」と眠そうに目を擦り、なぜか片手で毛布を掴みながらベッドから起きる。しかし体もまだ完全には覚醒していないのか、歩く足取りはフラフラしている。そんなシルフィードの姿にフィーリアはため息を零す。

「シルフィード様は本当に寝起きが悪いですね。顔を洗ってサッパリしてからリビングに来てくださいね」

「あ、あぁ……」

 そう言い残してフィーリアは去った。残されたシルフィードはフラフラと洗面所を目指して歩き出した。

 

 とっくに朝食を食べ終えたクリュウは一人リビングでソファに腰掛けながら訓練学校時代に使っていた教科書を読み返していた。猛勉強した名残として、教科書には様々な書き込みがされ、書き切れない分は別の紙に書いてそれを教科書に貼ったりしていたので本来の倍くらいの厚さになっており、使い込まれてすっかりボロボロになっている。

 こうして時折読み返す事で知識が磐石のものになり、いざという時に役に立つ。彼の機転や奇抜なアイデアはこういう積み重ねから生まれているのだ。

 今日も特に出かける用事もないクリュウは教科書を読み返している。何度も読んだ事のある文章に目を通していると、ズズゥ……と何かを引きずる音に振り返る。すると、そこには寝間着姿でなぜか毛布を引きずりながらぼーっと部屋の入口にシルフィードが立っていた。それを見てクリュウは苦笑する。

「また寝ぼけてるの? 洗面所は向こうだよ?」

「……ぅ? そ、そぉか……」

 クリュウは「仕方ないなぁ」と苦笑しながら教科書を閉じると寝ぼけているシルフィードに駆け寄る。

「連れてってあげるよ。ほら、こっちだよこっち」

 寝ぼけているシルフィードを洗面所まで連れて行こうと彼女の手を引っ張るクリュウ。すると、足元が覚束ないシルフィードはバランスを崩して倒れてしまった――クリュウを巻き込んで。

「な、何事ですか――って、なななななッ!?」

 大きな物音に慌てて台所から走って来たのはフィーリア。そこで彼女はその光景を見てしまい、顔を真っ赤にして狼狽する。

 彼女が見た光景とは、寝ぼけたシルフィードに押し倒される形で転倒した二人。横になった事で睡魔に負けてしまいまた寝息を立てて眠り始めたシルフィードと、そんな彼女に押し倒された上に運悪く(もしくは運良く?)シルフィードの豊満な胸の間に顔を埋めるクリュウ。何とも奇跡的な光景であった。

 顔を真っ赤にし、ピクピクとこめかみを震わせるフィーリア。一度大きく深呼吸をし――キレた。

「朝から一体何してるんですかお二人はあああああぁぁぁぁぁッ!」

 清々しい朝に、少女の怒号は良く響いた……

 

「いっそ殺してくれ……」

 朝の騒動から十数分後、完全に覚醒したシルフィードが発した第一声がそれであった。頭を抱え、リビングのテーブルに突っ伏しながら朝の自分の失態を恥じまくるシルフィード。その正面には苦笑を浮かべたクリュウが座っている。

「す、すまんクリュウ……切腹する……」

「まぁ、別に僕は気にしてないから。そんなに落ち込まなくても」

「……いや、私が気にするのだが」

「――そうですよねぇ~。クリュウ様にとってはむしろ天国のような状態ですものぉ~」

 その声に振り返った瞬間、クリュウの表情はまるで怒り狂う雌火竜リオレイアを見たような戦慄一色に染まる。彼の視線の先では、シルフィードの朝食を載せたトレイを持ったフィーリアがこれ以上ないってくらいの清々しい笑顔を浮かべながら立っていた。しかし、瞳は一切笑っていないし、背後から猛烈な怒気が滲み出しており、その姿はとてもじゃないが女神やそれに類するものには見えない。

 全くもって笑っていない、むしろ怒りに満ちた眼光に睨まれるクリュウは表情を強ばらせる。

「ふぃ、フィーリアさん? 目がマジなんですけど……」

「私はいつでもクリュウ様と真剣に接していますのでぇ~」

 満開の笑顔を華やかせるフィーリアの迫力に、クリュウは今にも逃げ出したい衝動をグッと堪える。ここで逃げたら、後が怖過ぎる……

「シルフィード様ぁ~。朝食ですよぉ~、昨日余ったコロッケで作ったサンドイッチですけどよろしいですよねぇ~」

「まぁ、別に構わんのだが。その、コロッケと偽ってタワシというオチは……」

「……シルフィード様、私はそこまで鬼じゃないですよ?」

 シルフィードの中での自分の評価に愕然としつつ、フィーリアは彼女の前に昨日余ったコロッケをパンで挟んだコロッケパンと付け合せのサラダを置く。言うまでもないが決してタワシが挟まっている訳ではない。

「ある意味サクラ様が不在の時で助かりました。もしも見ていたのが私ではなくサクラ様だったら、それはもう言葉では表現できないような事態になっていたでしょうから」

「サクラの場合、それが冗談じゃ済まないから怖いよね」

 フィーリアの冗談(内容はリアル)に苦笑を浮かべるクリュウ。

 サクラとツバメは先日アシュアに整備の為に預けた武具を取りに朝早くから彼女の家に行っており現在不在である。その為、今この家にいるのはここにいる三名だけだ。

「サクラ達はいつ頃戻るか聞いてる?」

「さぁ、整備が終わっているのでしたらそろそろ戻って来てもいいはずですが。何分アシュア様もシルフィード様と同じで朝が苦手な方ですからね」

「……返す言葉もない」

「とりあえずお昼前には帰って来るよう言っておきましたので、それまでには帰って来るでしょう」

「そっか。じゃあそれまでは自由時間だね。今後の予定なんかの話し合いは午後にしよう」

 クリュウの提案にフィーリアは「わかりました」と笑顔で答えて台所へと去る。彼女の後ろ姿が見えなくなってから今度は正面でコロッケサンドを食べているシルフィードにも確認しておく。

「シルフィもそれでいいでしょ?」

「あぁ。私も整備の為にアシュアの所に武具を預けてるからな。後で取りに行くさ、朝は苦手なのでな」

「あははは……」

 何事においても完璧な頼れる姉御、シルフィード・エア。なぜかドジ属性がついている事とこの朝の異常な弱ささえなければ本当に完璧超人なのだろうが、このギャップが皆との親近感に一役買っているのは事実だろう。

「シルフィもサクラと同じで定期整備?」

 ハンターの使う武具は文字通り自分の命を預ける存在である為、月に一回とかでプロの鍛冶職人に定期整備を頼む事をギルドは推奨している。しかし実際はイージス村のように鍛冶職人がいる村や街など少なく、大都市ドンドルマでも整備費用をケチったり忙しさから疎かにする者が多く、あまり浸透はしていない。

 アシュアが自ら率先して整備を引き受けているからこその整備率の高さだ。

 しかし、クリュウのその何気ない問い掛けに対し、シルフィードは「いや、ちょっとサイズを変更したくてな……」となぜか頬を赤らめ、視線を逸らしながらつぶやくとうに言う。

「サイズの変更? 身長でも伸びたの?」

「いや、伸びたというか、大きくなったというか……」

「大きくなった?」

 ここで勘の鋭い人なら彼女の言う意味を理解して慌ててこの話題(じらい)を回避するのだが、残念ながらクリュウは鈍感男王決定戦全国大会優勝候補クラスに鈍感な為、全く気づいておらず純真無垢に首を傾げている。

 そんなクリュウの反応に対し言うべきか言うまいか散々悩んだ末、意を決し、

「その……む、胸が……な、まだ……成長しているというか……そのぉ……」

 恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら言うシルフィード。さすがの鈍感王クリュウもこれにはわかり、同じく顔を真っ赤にさせてうつむいてしまう。

 二人の間に、何とも言えない気まずい雰囲気が流れる……

 ――刹那、その雰囲気を嵐のような怒気が吹き飛ばした。

「へぇ~、まだ成長しているんですかぁ~。やはりおっぱい勝ち組が違いますねぇ~。ねぇ~サクラ様ぁ~」

「……宣戦布告と見なし、ぶっ殺す」

 いつの間にか背後に立っていたフィーリアと、これまたいつの間にか帰って来ていたサクラ。言わばおっぱい負け組二人の嵐のような怒気が吹き荒れる。その気配に、家の中に入りそびれたツバメが小さくため息を零した。

 二人の怒気の嵐の真っ只中に取り残されたクリュウとシルフィード。それはまさに、荒れ狂う海の中に取り残された小舟のように、あっけなく潰されるのであった。

 

「はぁ……」

 ため息を零しながらとぼとぼと村の道を歩くのはシルフィード。

 半ば強引に追い出される形で家を出た彼女は、予定を大幅に早めて一人アシュアの工房へと向かっていた。

 外出という事で先程までの寝間着姿ではなく、今は草色の長ズボンに白いTシャツ、その上から茶色のベストという実に彼女らしいラフな姿だ。いつもは鎧の下で押し付けられている現在も成長を続けている豊満な胸は解放された事を喜んでいるかのように歩くたびに揺れ動く。

 振り返ると、まだクリュウの家が見える。今頃、彼は床に正座させられて乙女に対する気配りだとかデリカシーとか、女の子の評価は胸だけで決まる訳ではないとか、自分達はまだまだ成長する可能性があるとか、猛烈な勢いで説教されているに違いない。そんな所に彼一人残したのは心痛いが、何せ二人の目が殺気(マジ)だった以上シルフィードは逃げるしか選択肢は残されてはいなかったのだから仕方がない。

 仲裁を任せたツバメが少しでもクリュウの窮地を救ってくれる事を願いながら、シルフィードは一人でアシュアの所へと向かった。

 

「とりあえず、あんたはもっと女の子らしい格好をするべきやな」

 整備を終えた武具を受け取った後、アシュアの家でお茶をご馳走になる事になったシルフィード。淹れたての紅茶を一口飲んだ瞬間、突如アシュアが爆弾発言をぶっちゃけたのだ。

 完全に不意をつかれた形のシルフィードは軽く咳き込む。

「な、何を突然……ッ」

「そないに驚く事か?」

 むせるシルフィードを不思議そうに見詰めながら、アシュアは砂糖を入れた紅茶を一口飲む。

「よくわからんが、君にだけは言われたくはないぞ」

 咳きがひと段落してからシルフィードはのん気に紅茶を飲んでいるアシュアを見ながら言う。

 アシュアはいつもと同じく煤汚れた作業着姿だ。彼女の場合家の中だからという訳ではなく、常日頃外に出る時もこの格好だ。

 シルフィードの返しに対し、アシュアは「まぁ、そうやなぁ」と苦笑を浮かべる。

「せやかてうちは毎日工房にいるんやで? 着替えなんて面倒な事せぇへんのや」

「それなら私だって」

「あかんあかん。あんたはうちと違うやろ。狩場では防具姿は仕方がない。せやけど、今はオフのはずや。なのに、何やその色気のない格好は」

 そう言ってアシュアはシルフィードのラフな格好を非難する。

 確かに、あのオシャレに無頓着だったサクラでさえ以前クリュウに服を買ってもらって以来オシャレに気をかけるようになったし、フィーリアは元々実に女の子らしくオシャレに命を注いでいるような熱心ぷりだった。

 それに引き替えシルフィードはいつも今着ているようなラフな私服姿ばかり。ある意味以前のサクラ以上に無頓着であった。しかし、シルフィードの場合は、

「色気なんて私には不必要だ。私はとうの昔に《女》を捨てた身だ。そのような事に気をかける必要などない」

 何をバカな事を、と言いたげにアシュアの発言を一蹴してしまう。

 シルフィードは根っからのハンターであった。生きる為にハンターになり、そして実力をつける為にあらゆるものを犠牲にしてここまで力をつけてきた。その際に、自身に不利に働く《女》というハンデを捨てた。

 自分はとうの昔に《女》を捨てている。だから、オシャレなど女らしい事をする必要など一切ない。それが彼女の考え方であった。

 単に面倒だったからしなかったというサクラとは、根本的に原因が違うのだ。

 女などとうの昔に捨てていると切り捨てるシルフィードの言葉にアシュアは苦笑を浮かべながら「そないに悲しい事言うなや」と引き留める。

「あんたええ体してるんやから。それを武器に使わんなんてもったいないやん。あんた顔もええんやからちょっとオシャレしただけでもきっとモテモテになるで」

「興味ないな」

 紅茶を飲み直しながら見事に一蹴するシルフィードにアシュアは「そうバッサリと切り捨てんでも」と苦笑を浮かべる。

「ほんま、あんたも一応女の子なんやから。青春時代をそないに過ごしてたらあかんで」

 アシュアのしつこい説得に対し、シルフィードは不愉快そうに眉をしかめながら紅茶を飲み干し、コトンとテーブルに置く。

「くどいぞ。私は女である前にハンターだ。そのような女々しい事に神経を割いている暇などない」

 不機嫌そうに睨みつけてくるシルフィードの刃物のように鋭い眼光に臆する事なく、アシュアは苦笑を浮かべ続ける。

「女々しいって、あんた女やろ」

「言葉のあやだ。気にするな」

「……あんた、このままやとほんまに彼氏できひんで」

「だから、興味ないと何度言えば……」

「――クリュウ君にも、愛想つかれてしまうで?」

「なッ!?」

 これ以上話す事はないとそろそろ帰ろうとすら思っていたシルフィードは、アシュアの何気ない一言に驚愕して動きを止める。それを見たアシュアは彼女に見えない角度でニヤリとほくそ笑んだ。

「まぁ、あんたがそこまで言うんならウチもこれ以上は言わんわ。好きにしぃや」

 突如アシュアは《これ以上離しても無駄だ》と言いたげにそうため息混じりに言うと、硬直しているシルフィードの前に置かれたティーカップを片付けようとする。だが、その手をシルフィードが慌てて掴んだ。

「ま、待てアシュア。く、クリュウに愛想をつかれるというのは、どどど、どういう意味だ?」

「うん? 何や急に」

 わかっているくせに、アシュアはニヤニヤと笑いながらとぼけた風に言う。するとシルフィードは頬を赤らめて狼狽する。

「い、いや他意はないんだが。その、チームメイトに愛想をつかされるというのは困るんだ。た、他意はないんだぞ」

「まぁ、それはわかるんやけど。何をそんなに慌ててるんや?」

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながらアシュアは狼狽するシルフィードをからかう。

「あ、慌ててなどいないぞ。な、何をバカな事を……ッ」

「うーん? 顔真っ赤っかやで?」

「ち、違うッ! こ、これは風邪……そう風邪だッ! 全身に寒気がして関節が痛くてものすごい倦怠感が全身を包んでいるだけだッ!」

「……あんた、それ絶対寝てないとあかんレベルやで?」

 からかった本人であるアシュアでさえシルフィードのあまりのテンパりっぷりに引いている。それに気づいたシルフィードは顔をさらにカァッと真っ赤に染める。

「うぅ、穴があったら水を注いで上に枝と枯れ葉で骨組みを作って上から土を被せたい……」

「……穴があったら入りたいやろ? それじゃたちの悪い落とし穴や」

 もはやテンパり過ぎて自分でも何を言っているかわからないのだろう。アシュアのツッコミに対しシルフィードはもうこれ以上ないってくらいに顔を真っ赤にして涙目になる。それを見たアシュアは一言、

「……あかん、ごっつかわええやん。鼻血出そうや」

「は、話を逸らすなッ! クリュウが愛想をつかすとは、一体どういう事だッ!?」

 頬を赤らめて鼻を押さえるアシュアにすがりつくようにシルフィード。そのかわいさに軽く悶絶しつつ、アシュアは諭すように言う。

「あのなぁ、いくら実年齢に対して明らかに精神年齢が低い子供で、女の子に対して純情で人畜無害なクリュウ君かて――」

「……それは褒めてるのか? それともけなしているのか?」

「――男の子には変わりないんや。あの子は特に純真無垢な子やから、女子に対しても子供っぽい理想っちゅーもんくらいある」

「女子に対する理想? 好きなタイプとかそういう意味か?」

「そこまで限定的なもんやない。そうやなぁ、簡単に言えば女子と言えばおしとやかで清潔感があってかわいらしい。そんな感じの今の世の中じゃ絶滅危惧種みたいな女子を、あの子は女の子の理想の形とか思てるんやないか?」

「絶滅危惧種って……そこまで言うか?」

「あながち間違いでもあらへんのちゃうか? あの子、ずっとあのエレナと一緒にいたんやから。おしとやかな女子に憧れを感じるのはある意味当然やと思うけど」

 確かに、クリュウは子供の頃からエレナのバイオレンスな攻撃の数々を受けていたある意味とてもかわいそうな少年である。女子=暴力娘(エレナ)という悲惨過ぎる方程式を打破すべく、そういう理想を掲げていてもおかしくはない。何というか、クリュウは本当に世界の汚い部分に触れずに育ったかのような少年だ。

「つまり、あの子は女子に対してそんな感じの理想を持ってるって事や。ここまではわかったか?」

「まぁ、憶測の域は離れないが、確かにそう感じる節はあるのは事実だな」

「せやろ? ほんで話を元に戻すけど、そんな理想を抱いているクリュウ君に対して、あんたの服装はどう見えると思う?」

 そこで改めてシルフィードは自分の服装を再確認してみる。白いTシャツに茶色のベスト、草色の長ズボンというラフさを最優先にした彼女の最も典型的な私服である――ただし、女の子らしさからはかけ離れている。つまり、クリュウの理想を見事に真っ向から粉砕するような格好だ。

「……絶望的だな」

 がっくりとうな垂れてそう結論づけた。

「やっと自覚したか。せやからうちはもっと女の子らしい格好しぃや言うとったのに」

 苦笑しながらそう言うアシュア。しかしその目はがっくりとうな垂れているシルフィードを温かく見詰めていた。彼女の不器用さというか天然さはよぉくわかっているつもりだし――彼女の彼女自身が気づいていない気持ちもわかっている。だからこそ、こうしてアドバイスをしているのだ。

「わ、私は一体どうすればいいのだ?」

「せやから、ちっとは女らしい格好せいやって」

 珍しく狼狽しながら問うシルフィードの姿に苦笑しつつ、アシュアは至極簡潔に答える。しかし、至極簡潔過ぎてそれではそういう事に免疫のないシルフィードに対しては全く答えになってはいない。

「女らしい格好と急に言われても……」

 シルフィードは困ったように頬を掻く。ハンターとしての知識は豊富に持っていても、とうの昔に捨てたと豪語する女らしい知識に関しては周りの女子の中で最も欠落している彼女にとっては、難問中の難問であった。そんな彼女を見て「こら難航しそうやなぁ」と苦笑を浮かべるアシュア。

「単純に言えばスカートでも穿いたらどうやって事やね」

「そ、そのようなはしたない格好をしなければならないのかッ!?」

「いや、女の子なら至極当然な格好なんやけど」

 顔を真っ赤にさせながらスカートをはしたない格好と結論付けるシルフィードを見てずっこけるアシュア。内心、ここまでとは想定外だったようだ。気を取り直すように紅茶を淹れ直す。

「あんた、スカート穿いた事ないんか?」

「いや、両親が健在だった頃は親が用意した服を着てたからな。普通に穿いていたが……」

「ふぅん、あんたがスカート穿いてる姿なんか想像できひんなぁ」

「失礼だな。これでも子供の頃は近所でも評判の淑やかな女子だったんだぞ?」

「どれがどうしてこんな子に……」

「……キレるぞ」

 軽く怒るシルフィードに「冗談や冗談。気にするな」と笑いながら言い、「せやなぁ……」と続けながら腕を組んで思考を巡らせる。女らしい格好について全く意識していなかったシルフィードは当然そういう服は持ちあわせていないだろうし、かと言ってフィーリアやサクラではサイズが違い過ぎる。身長はもちろん、胸が大問題だ。

 そうなると……

「ウチの服ならあんたに合うんちゃうかな。身長も同じくらいだし、胸だってどっちも勝ち組やしな」

「……そのような不用意な発言は控えた方がいいぞ。フィーリアやサクラがキレるからな」

「そんなおっぱい負け組の負け惜しみの逆ギレにいちいち付き合ってたらあかんて」

「……本当に容赦無いな君は」

 感心半分呆れ半分という感じでいるシルフィードに「ちっと待っててなぁ」と言い残し、アシュアは奥へと姿を消した。その先に彼女の寝室があり、そこに彼女の常日頃あまり使われない服があるのだ。待たされている側のシルフィードはただ待つしかなく、ただただ見詰め続ける。

 しばらくして、奥の部屋から「準備できたでぇ。こっち来てぇな」と声が掛かり、シルフィードは期待と不安を胸にアシュアの待つ寝室という名の戦場へ赴いた。

 

「ま、待てアシュアッ! それはいきなり過ぎるぞッ!? 世の中には段階を踏むという言葉があってだな……ッ!」

「問答無用やッ! ページ数が迫ってるんやからここは巻きでいくでぇ~ッ!」

「君は一体何の話をしているのだッ!?」

「こっちの話やから気にするな。世の中気にしちゃあかん事がぎょーさんあるんや。これもその一つと思っといてぇな」

「あ、あぁ……」

「そんじゃ、気を取り直してドレスアップタイムやぇ~ッ」

「ま、待て待て待てッ! やはり心の準備が――にゃあああああぁぁぁぁぁ……ッ!?」

 珍しく、シルフィードの年相応の無垢な悲鳴が響き渡るのであった。

 

「ふぃ~、完成や。ここ最近で一番の自信作やなぁ」

 額に浮かんだ汗を手の甲で拭い取り、アシュアは自慢気に完成したばかりの《作品》を見詰める。

「何か……大切なものを失った気がする……」

 ぐったりとした表情に目にはたっぷりの涙を溜めたシルフィード。その姿は先程までのオシャレのオの字もないようなものとは一変していた。

 纏うのは美しい湖をイメージさせる薄い水色のドレス。胸元を強調するように首と胸で服全体を支えるホルターネックと言われる形のドレスだ。胸元には濃い水色のリボンが結びさりげなく可憐さも残し、純白の付け袖の袖先が濃い青色の紐でリボン結びにされている所もまたかわいらしい。

 全体的にセクシーな感じだが、だからと言って大人な雰囲気を全面に押し出すのではなくあくまで健全な色気を基調としたデザインのドレス。だからこそ、純情な娘であるシルフィードに良く似合っている。ドレスに合わせていつもは結ってポニーテールにしている髪も下ろし、紫色の花を集めた花束をイメージした簪(かんざし)や銀色のチェーンにマカライト鉱石の欠片をはめ込んだネックレスなどのアクセサリーも素敵だ。

 見事に《きれいな女の子》。街を歩いていれば誰もが振り返るであろう絶世の美少女に変身したシルフィード。しかし慣れない格好が恥ずかしくて仕方がないのか、純白の肌は紅潮し、伏せている顔は熟れたシモフリトマトのように真っ赤に染まっており、依然として目は涙目のままだ。

 そんな恥ずかしがりまくっているシルフィードの姿に、コーディネートしたアシュアは苦笑を浮かべる。

「そんな恥ずかしい格好かぁ? ドンドルマならそれくらいの格好の女子ならその辺にも結構おるで?」

「そ、それはそうかもしれんが、私には合わな過ぎるぞ……」

「何言っとんねん。ムッチャ似合ってるで?」

 アシュアの言うとおり、シルフィードのドレス姿はとても良く似合っている。似合っているどころかきれいという言葉では表現できないくらいに彼女は輝いている。元々こういうドレス、そもそもスカート自体も着る事はないシルフィードだからこそ、ドレス姿というのはインパクトを増すのだ。

「そ、そうか……?」

 最初こそ自分のキャラじゃない格好に困惑し、恥ずかしがっていたシルフィードだったが、アシュアのお世辞ではないベタ褒めや実際に鏡の前に立ってみてようやく自分の姿に少しだけでも自信を持てたのだろう。しばらくすると伏せていた顔は何とか正面を向くようになった。ただ、未だに頬は赤く若干涙目のままだが。

「……信じられんな。私でもドレスが少しは似合うのだな」

「少し所やないで。あんたは元々の素材がええんやから余計似合っとるで」

「……き、きれいという表現が合うのか?」

「せやなぁ。ウチあんまし言葉のボキャブラリーないから在り来(きた)りな事しか言えへんけど、メッチャきれいやで?」

「そ、そうか……」

 今まで《かっこいい》と言われた事はあっても《きれい》なんて言われた事はほとんどなかったシルフィードはその言葉に自然と微笑んでしまう。その笑顔は、まるで女神のようにきれいで、でも妖精のようにかわいらしい、女の子の笑顔であった。

「こ、これならクリュウも幻滅はしないだろうか……」

「アホか。幻滅なんてありえへんし、むしろあんたの威力抜群のドレス姿にメロメロになるかもしれへんで?」

「そ、そうかぁ……?」

 無意識なのだろうが、あからさまに嬉しそうに微笑むシルフィードに苦笑しながら、改めて鏡の前で自分の変身した姿に見惚れているシルフィードを見詰める。

 こうして見ていると、年相応の少女にしか見えない。いつもは大人びた雰囲気を纏い、皆の頼れる姉御でいる彼女もまだ十八歳の少女。こういう楽しみもまた、必要なのだ。

 過去の悲惨な出来事からそういう楽しみを封印し続けてきた彼女にも、そろそろその封印を解くべき時なのだ。

 ――だって、今の彼女は人並みに恋ができるようになったのだから。

「まぁ、本人にその自覚はまるでないんやけどなぁ」

 思春期が始まるより前から女を捨ててしまった為、そういう感情に免疫のないシルフィードは今もなお自分の中に渦巻く《感情》に困惑しているが、いずれその《感情》は花開くだろう。その時の為に、少しでも彼女の役に立ちたかった――ただ、一人の友人として。

 まぁ、フィーリアとサクラもまた友人には変わりないのであまり一人に肩入れはできないが、せめて全員が納得出来るよう全力で戦わせたい。その為に、一歩も二歩も遅れている彼女に助け舟を出しているに過ぎないのだ。

 ちょっとその場で軽くポーズしてみたりするシルフィードに苦笑しつつ、アシュアはステップ2への口火を開く。

「ほな、早速その姿でクリュウ君に会いに行こうやないか」

「なッ!?」

 ニヤリと不敵に笑いながらそう宣言したアシュア。そんな彼女の爆弾発言に対しシルフィードは先程までの照れたような微笑を消し、驚愕と羞恥に表情を凍らせる。その顔は最初の時と同様に真っ赤に染まっていた。

「何を驚いとんねん。その為にわざわざドレスを着たんやないか」

「そ、それはそうだが……さ、さすがにそれは勘弁願えないか?」

 今頃当初の目的を思い出し凍りつくシルフィードだったが、時すでに遅し。声を震わせながら回避を提案するが、もちろんアシュアは認めない。

「そうは問屋が卸さないでぇ? せっかくおめかししたんやから、キッチリとクリュウ君に見したらんとなぁ」

「い、いや、全力で遠慮願いたいのだが……」

「往生際が悪いなぁ。クリュウ君もあんたのドレス姿見たいと思うんやけどなぁ~」

「……それはないだろう。クリュウは、私のようなスタイルの女性は好みではない。彼の理想は胸がペッタンコな可憐な少女なのだから」

「あんた、さりげなくクリュウ君にロリコンの烙印を押しとるなぁ。それと、それ絶対何かの誤解やと思うで?」

 そんなやり取りをしている間に、彼女達の意思とは関係なく状況は確実に変化していた。

 神様のイタズラか、ちょうど二人が揉めている頃家の前にはクリュウが迫っていた。いつになく疲れた表情を浮かべているのは当然フィーリアとサクラに猛烈に説教を受けた影響だ。ツバメのおかげで何とか二人の怒りをとりあえず一段落させ、今は家に帰るのも気まずいので気分転換を兼ねての散歩がてらシルフィードを追ってアシュアの家を目指していたのだ。

「……うぅ、何で二人共すっごく怒ってたんだろ。僕、何かしたかなぁ……」

 世界が滅んでも彼の強烈な鈍感は直らないと言っても過言ではないクリュウは、当然二人の乙女が怒り狂った理由も検討がつかない。ただ、理由はわからないけど自分が二人を怒らせたという罪悪感だけが彼の胸に渦巻き続けている。

「シルフィに相談すれば、何かわかるかなぁ……」

 そんなこんなで何も知らないクリュウは頼れるチームリーダーを追って、その頼れる姉御がまさかのドレス姿になっているアシュアの家へと到着した。ドアの前に立ち、軽くノックする。

 そのノック音は当然中にいた二人の耳にも届く。

「何や? 客人かいな」

「こ、このタイミングで来客だとッ!? わ、私は隠れるぞッ!」

「そないに取り乱すなや。別に家に上げたりせんで。どうせ注文の依頼か何かやろ。ちぃと待っててな」

 自身の恥ずかしい極まりない格好(本人視点)にいつもは冷静なシルフィードの取り乱す姿に苦笑しつつ、アシュアは平然と玄関まで行き、ドアを開く。

「悪いなぁ。今ちぃっと取り込んでて、注文ならまた後で――って、クリュウ君やないか」

「あ、どうも。おはようございます」

 ドアの前で待っていたクリュウは出て来たアシュアに丁寧に頭を下げてあいさつする。アシュアも手をひらひらと翻しながら「おはようさん」と笑顔で返す。

「えっと、今取り込み中でしたか?」

「うん? あぁ、クリュウ君ならええんや」

「はぁ……」

「ほんで、シルフィードに用かいな?」

「あ、はい。まぁ、特筆して用があるという訳ではないんですが」

「ふぅん、まぁええわ。むしろグッドタイミングやでクリュウ君」

 そう言って満面の笑を浮かべてグッと親指を立てるアシュアに「は、はぁ……」と状況が呑み込めていないクリュウ。アシュアは「ええからええから、入った入った」とクリュウを招き入れる。戸惑いつつも、アシュアに手を引かれて家の中へと入るクリュウ。中に入ると、そこには誰もいなかった。ただ、ティーカップが二つテーブルの上に置いてあり、少し湯気も立っている所を見ると先程までアシュア以外の人間がいたのだろうと推測できる。

「えっと、シルフィは……」

「チッ、気配で気づきおったか。せやけど、ここはウチの城や。逃げ切れると思うなや」

「……あの、アシュアさん? 状況が全く呑み込めないのですが」

 困惑するクリュウに「ええから気にすんなや。あんたはちぃっとそこに座って待っとってなぁ」と言い残し、アシュアは奥の方へと駆け出して行った。まるで状況がわかっていないクリュウはとりあえず言われた通りに椅子に座って彼女の帰りを待つ。すると程なくして、

 

「放せぇッ! 私に恥を晒せと言うのかッ!?」

「今更駄々を捏ねるなや。往生際が悪いでッ!」

「放せえええええぇぇぇぇぇッ!」

 

「……今の、シルフィの声だった……よね?」

 奥から響く仲間の悲鳴と激しい物音にクリュウが硬直していると、奥の部屋のドアが勢い良く開いてアシュアが飛び出して来た。その両手はしっかりとシルフィードの腕を握り締めている。クリュウの位置からだとまだ腕しか見えていないが、当然シルフィードは先程と同じくドレス姿だ。

 最後の攻防戦。あと一歩という所で必死に抵抗するシルフィードに業を煮やしたのか、アシュアは「堪忍せえええぇぇぇッ!」と叫びながら全力で彼女を引っ張り出す。その豪快な引っ張りに負け、シルフィードがついに姿を現す。

「「……ッ!?」」

 その瞬間、二人の目が合った。

 クリュウの目に映ったのは、彼が知っている彼女の姿とはあまりにもかけ離れたものだった。

 水色の柔らかな、可憐なドレスを身に纏うシルフィード。長身とそのプロポーション抜群のスタイルが美しさに変わり、下ろされた白銀の長髪がドレスの蒼と神々しいコントラストを生み出す。

 ――きれいだった。

 それは、おそらくクリュウが見て来た全ての女性の中で最もきれいに見えた。まるで空間全体が煌めいているのではないかと思ってしまう程に彼女は輝いて見える。一瞬、彼女の背後に一対の純白の翼が見えたのは幻覚ではないのかもしれない。

 息を呑む美しさ。だけど、恥じらうように顔を真っ赤にして狼狽えているその顔は全体の凛々しさとは違い、年相応の少女のもの――そのかわいさに、ドキッと胸がトキめいてしまう。

 シルフィードのドレス姿にすっかり見惚れてしまっているクリュウに対し、当のシルフィード本人は全くもって心の準備ができていない状況で突然最も会いたくない(でも心のどこかでは最も会いたい)と思っていたクリュウを目の前にしてすっかり狼狽してしまっている。顔を真っ赤にさせ、瞳にはたっぷりの涙を溜めて狼狽えるその姿はいつもは大人びて見える彼女がまだ十八歳の少女であるという事実を思い出させる。

「い、いやあああああぁぁぁぁぁッ!」

 まるで風呂場を覗かれた少女の悲鳴のような声を上げ、シルフィードはとっさに近くにあった当たったら痛いだろうなぁと確実にわかる分厚い本を全力投擲。それは見事にクリュウの顔面に直撃。当然、彼は気絶した。

 倒れた彼の姿にようやく自身が仕出かした暴挙に気づき、駆け寄ってテンパりまくるシルフィード。そんな彼女と彼女の片隅で気を失って倒れているクリュウの姿を見て、アシュアは何とも言えない深いため息を零したのであった。

 

「す、すまない……」

 本日二度目の失態にシルフィードは頭を上げる事ができない。その正面に座るクリュウは「へ、平気平気」と言いながら氷結晶と水が入った小袋を顔面に当てている。あれだけの一撃を受けてこの程度で済むのは奇跡というべきか、それとも当然と言うべきか。彼の今までの人生を振り返ると判断がつかない。

「言うておくけど、それ過剰防衛って言うんやからな? 気をつけや」

「心に刻んでおく……」

 アシュアの忠告に対しても面目ないと頭を下げるシルフィード。何というか、今日は彼女にとって厄日なのかもしれない。

 とりあえず、シルフィードはいつもの私服姿に戻っている。彼女らしい格好に戻ったと言えなくもないが、何というかとても残念だ。まぁ、おかげで彼女が冷静さを取り戻したのだが。

「まぁ、うちもやり過ぎた思てるし。すまんかったな、お二人さん」

「いや、君は私の為を思ってしてくれたのだから。謝るのはむしろ私の方だ。すまない」

「律儀な子やなぁ。でも、クリュウ君はほんまごめんな」

「いえ、慣れてますからこういうの」

「……慣れちゃ、あかんのやけど」

 クリュウのさりげない返答に苦笑しつつ、アシュアは「待っててな。お詫びにお茶でも出したるさかい」と言い残して台所へと消えてしまう。当然、残されるのはクリュウとシルフィードの二人だ。

 先程の事もあって、二人の間には何とも言えない気まずい雰囲気が流れ、双方共に沈黙してしまう。その沈黙を破ったのは、クリュウの方だった。

「えっと、シルフィ。さっきのは一体……」

「わ、忘れろッ! 全力で記憶からその忌まわしい映像を消去しろッ! 今すぐにだッ!」

 バンッをテーブルを激しく叩いて叫ぶシルフィード。クリュウは「そ、そんな無茶な~ッ!」と軽く暴走しているシルフィードの剣幕にたじたじになってしまう。何というか、どちらかと言えば今日はクリュウにとっての厄日なのかもしれない。まぁ、彼の場合こういう事は日常茶飯事だから一概に厄日とは言えないのだが。

「あ、あれはアシュアが無理やり私に着せたに過ぎない。け、決して私の趣味ではないぞッ!?」

「趣味って、別に普通の事だと思うけど。何でまた突然そんな事になったのさ」

 正直、彼が知っているシルフィードという少女はああいう格好をする子ではないし、本人も以前「スカートは好かん」とそういう格好になる事自体を嫌っていた。そんな彼女が突然スカートという過程をぶっ飛ばしていきなりドレス姿になるなんて、何かあるに決まっている。クリュウはそう結論づけていた。

 クリュウの問いかけに対し、シルフィードは沈黙する。自然と二人の間に再び沈黙が漂い始め、クリュウは慌てて発言を引っ込める。

「い、いや、別に言いたくない事情があるんだったら無理して言う必要はないんだけど……」

「……アシュアにな、もっと女らしい格好をしろと叱責されて、無理やり女装させられたのだ」

 本当はその過程には彼の存在が重要なキーになるのだが、当然そんな事言える訳もなくその部分は省略する。

「女装って……」

 シルフィードは女子なのだからそういう格好をする事自体は何の問題もないはずだが、本人にとっては女装以外の何ものでもないのだろう。シルフィードらしい言い方にクリュウは苦笑を浮かべる。

「シルフィってああいう格好は嫌いなの?」

「嫌いというか、私にはああいうフリフリした服は似合わないとわかっている。恥を晒すだけに過ぎんからな」

 先程の自分の格好を思い出したのだろう、シルフィードは恥ずかしそうに頬を赤らめながらどこか拗ねたように唇を尖らせながらつぶやく。そんな彼女を見詰めながら、クリュウは「そっかなぁ」と首を傾げる。

「さっきのシルフィ、すっごくきれいだったと思うんだけど」

「な……ッ!?」

 何気なく、心に思った事をぽろっと口に出す癖があるクリュウ。いつもいつもその無意識の言動が周りの人達(主に女子陣)を翻弄するのだが、今回も見事に炸裂した。

 クリュウの無意識の爆弾発言に対し、シルフィードは顔を真っ赤にして慌てまくる。

「ば、バカな事を言うな……ッ!」

「いや、冗談とかお世辞とかじゃなくて、本気で言ってるんだけど」

「より厄介だッ!」

「な、何で?」

 クリュウは訳がわからないという感じで首を傾げ、思わぬ形でクリュウに《きれい》と言われたシルフィードは顔を真っ赤にして狼狽しまくり、喜怒哀楽の喜と怒が過剰反応してしまっている。

「わ、私はそういう事に免疫がないのだ。だから、面白半分でそういう事を言われるの非常に困るのだ」

「だから、面白半分とか冗談なんかじゃなくて、本気でそう思ったって言ってるでしょ? さっきのシルフィは、僕が今まで会って来た女子の中で一番きれいだったと断言してもいいくらいだもん」

「だ、断言するな……ッ」

 クリュウの本音だからこそ絶大な威力を発揮する褒め言葉の連撃の数々に、百戦錬磨の戦乙女シルフィードも陥落寸前となっていた。彼に背を向けて必死に平静を装ってはいるが、彼からは見えないその表情は嬉しさのあまり瞳は涙に濡れ、頬は赤らみ、無意識に笑みが浮かんでしまっている。

 家族を失い、女を捨てて一人のハンターとして思春期を過ごして来たシルフィードにとってはそういう褒め言葉は全く免疫がないのだ。だからこそ過剰に反応してしまう、ある意味彼女の悲しい宿命が生んだしまった悲劇なのかもしれない。でも、だからこそ、たった一言だけでも彼女は何百万の言葉を並べられても得られない感動を得る事ができる。

 たった一言で、ほんの些細な事で至極の幸せを得られる。ある意味、フィーリアやサクラなんかよりもずっと乙女なのかもしれない。

「ほ、本当か……? 本当に、私のドレス姿は似合っていたか? い、生き恥を晒していただけでは、ないのか?」

「生き恥って……またそういう事言う。本当に本当だって、僕がこんな事でウソをつく訳がないし、つく必要もないでしょ? かっこいいシルフィも好きだけど、ああいう女の子らしいきれいなシルフィも大好きだよ」

 ――大好きだよ。たったその一言だけで、シルフィードの胸いっぱいに温かい気持ちが満ち溢れる。

 豊満な胸をそっと手で押さえると、まるで狩りの最中全力で走り回っているかのように心臓が激しく動悸していた。体中が熱くなり、特に顔はお風呂に入っている時のように火照る。手で触れると、すごく熱い。

「ま、まただ。また、クリュウの言動に振り回されてしまう……。胸が熱くなって、ドキドキが止まらない……。な、何なのだこれは……」

 自分の中で渦巻く感情に戸惑いつつも、でもその胸を包みこむような温かさは嫌いではなかった。ポカポカする、この温かさは、ずっと、ずっと感じていたい、そう願ってしまう温かさ。

 背を向けながらブツブツとつぶやくシルフィードの背中を心配そうに見詰めるクリュウ。そこへ、今まで二人の会話を盗み聞きして微笑んでいたアシュアがティーセットを持って戻ってきた。

「お待ちどうなぁ~。アシュア特製のハーブティーやでぇ~」

 アシュアの登場にクリュウはほっとしたように安堵の息を漏らす。そんな彼の姿に苦笑しつつ、アシュアはリビングへと足を進める。その途中、何とか平静を取り戻そうと四苦八苦しているシルフィードの横を通り抜ける。その瞬間、シルフィードと目が合い、アシュアはにっこりと微笑むと何を言うでもなくそのまま通り過ぎる。しかし、そこで足を止める。

「――あんたが自分だけ生き残ってしまった事を負い目に感じる気持ちはわからんでもない。でもなぁ、あんたにだって人並みに幸せになる権利はあるんやないか? あんたのご両親も、きっとそれを望んでると思うで」

 そう言い残し、今度こそシルフィードから離れてクリュウの所へと歩み寄る。クリュウと楽しげに会話しているアシュアの横顔を見詰め、シルフィードは小さく苦笑を浮かべる。

「やはり、敵わないなぁ……」

 そして、そっと自分の胸に手を当てる。ようやく落ち着きを取り戻し、心臓はゆっくりとリズムを刻んでいる。でも、まだあの温かさは消えず、胸の中に残る。この気持ちが一体何なのか、それはまだわからない。でも、この温かさは大好きだ。

「幸せ、かぁ……」

 悲劇から数年間、《幸せ》という単語とは無縁で生きてきたシルフィードにとって、何が幸せなのかハッキリはわからない。でもきっと、

 ――この胸の温かさが、幸せというものなのだろう。

 そう、信じていた……

 

 これ以降、特筆してシルフィードが女の子らしい格好に目覚めたという事はなかった。やはり誉められたとはいえあの格好は彼女に取っては羞恥以外の何ものでもなかったのだろう。

 でも、ほんの少し、アクセサリーを身に纏ったり、ちょっとだけ女の子らしい服を組み合わせてみたりと、確実に彼女には変化が起きた。

 彼女が普通の女の子として幸せを得る日は、そう遠くないのかもしれない。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。