モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第115話 失われし金火竜の紋章

 謎の飛行艦隊はヴィルマ郊外上空に集結すると、信号角笛を鳴らし合いながら順番に着陸していく。その艦隊連携力はきっと軍関係者なら舌を巻くような見事なものだ。

 最後の一隻が着陸する頃には街で復興作業をしていた人々が野次馬の如く次々にその平野に集結していた。その中には当然クリュウ達の姿もある。

「大きいね……」

 クリュウはまずその飛行船の大きさに驚かされた。一隻の大きさはリオレウス十匹分に相当するだろうか。全長は二〇〇メートル近い。そんな巨艦が五〇隻近くも集結している。圧巻の光景だ。

「あれはまだ中型の部類だ。王軍艦隊には全長三〇〇メートルに達する軍艦もあるそうだ」

「さ、三〇〇メートルって……ッ」

 クリュウはもはや今自分の目の前に広がっている光景を疑うしかなかった。これまで辺境の小さな村で暮らして来た彼にとって、空を飛ぶ船、それも全長数百メートル規模の船など見た事もないし、その存在すら信じられなかった。しかし、現実には今目の前にその巨艦が五〇隻近くも停泊している。

「あれが王軍艦隊。噂には聞いていましたが、実物を見るのは初めてです」

「当然だ。王軍艦隊は本来は本国防衛の要。有事でもなければ渡洋遠征して大陸にまで来る事はないからな」

「……それが何でこんな所に」

 フィーリア、サクラ、シルフィードはその艦隊の姿を見て緊張した面もちで話を進めている。一方、クリュウはそんな三人の会話を聞いて、一つ質問を。

「あ、あのさシルフィ。その王軍艦隊って、一体何なの?」

 その瞬間、三人は一斉にクリュウの方へ振り返り、驚愕に満ちた表情で彼を見詰める。当然、クリュウは焦った。

「え? ぼ、僕何か変な事訊いた?」

「いや、まさか王軍艦隊を名前すらも聞いた事もない者がいるとは思わなくてな」

「……すみません、田舎者で」

 苦笑しながら謝るクリュウに「いや、頭を下げられても困るのだが」とシルフィードは困惑しつつも、丁寧に教えてくれた。

「では、アルトリア王政軍国。この名前くらいは聞いた事はあるだろ?」

 クリュウは静かにうなずいた。それくらいは知っていて当然だ。

 アルトリア王政軍国。大陸南東部の海に浮かぶ複数の島々で構成された海洋国家であり、現在世界で最も科学力が進んでいる国とも称される技術大国の事だ。

 アルトリアには優秀な蒸気機関製造工場及び技術者が集まっており、アルトリア製の蒸気機関は世界一と言っても過言ではない。

 流通に適したドンドルマ、大量生産に適したテティル連邦共和国、そして少数精鋭のアルトリア王政軍国。この二国一都市が現在大陸の三大蒸気機関とされている。

 そして、アルトリアはその地形的条件から海上の貿易拠点として栄え、昔は多くの国々がその地を狙って戦争を仕掛けた。だがアルトリアはその蒸気機関技術を軍事力に特化させ、優秀な兵器を次々に生み出し、小国程度の国土に対し大国に肩を並べるほどの軍事力を有する軍事国家となった。

 現在では大国の一員として大陸全体の政治・経済・軍事軍事・環境など様々な事を話し合う大陸均衡会議の常任理事国に腰を据えている超大国だ。

「そのアルトリアが誇る世界初にして唯一の飛行船を主力とした軍隊、それが王軍艦隊。あの艦隊はまさにその王軍艦隊の一部だろうな」

 シルフィードの説明にようやく事の重大性が理解できたクリュウ。

 なぜ、そんな大国の主力を担う軍隊がわざわざ大陸全体から見れば中規模都市に過ぎない、それも先程の災害で壊滅的打撃を受けたヴィルマに現れたのか。

 群衆の中には「戦争が始まるのか」「アルトリアが攻めて来たんだ」「また戦争が起きるのか」と疑心暗鬼の輪が広がっていく。

「ええかッ! ウチらの指示がないうちに勝手な行動をしたらアカンでッ!」

 エミル達ギルドナイトが混乱する住人の統制をしているが、野次馬と化し、さらに《戦争》という単語がさらに混乱に拍車を掛けている住民達はそんな声など聞いていないかのように艦隊に目が釘付けになっていた。

 すると、エミル達ギルドナイトの制止を振り切って艦隊に近づく一団があった。それはヴィルマ市議会の議員やヴィルマ市長など、この街の内政を司る者達だ。

 それに呼応するように艦隊中心部、最後に着陸した軍艦から向こうの一団が降りて来た。毅然と軍服を着こなした見るからに軍人という者達に囲まれているのは、見た感じヴィルマ側と同じ政治家っぽい。

 双方は群衆と艦隊のちょうど中間点で接触すると、互いに挨拶を交わした。

「ここからじゃ何も聞こえないね。当然だけど」

「……『アルトリア王政軍国所属、ヴィルマ支援艦隊。ただいま到着いたしました』『我らの為に遠路はるばるありがとうございます。我々ヴィルマ市民一同、貴殿らを歓迎いたします』」

 無表情のまま淡々と声音すらも変えずに言葉を発するサクラ。その言動にシルフィードは大きく目を見開いた。

「サクラ。君には彼らの声が聞こえているのか?」

「……まさか。私はイャンクックじゃない」

「そ、そうだな。そんな人間離れした聴力はさすがの君でも持ち合わせてはいないか」

「……昔、人の弱みを握る技術を体得する時に習った読唇術を使ってるだけよ」

「結局人間離れしているのか君はッ! しかもその技術を体得する為の理由が激しくえげつないぞッ!」

「……女子なんて大抵こんなものよ」

「クリュウッ! 今の発言は全力で記憶を抹消しろッ! 今すぐにだッ!」

 珍しくシルフィードがサクラに振り回される光景に苦笑しながらも、クリュウはとりあえずサクラの人間離れした技術に力を借りる事にした。

 散々シルフィードをおちょくり倒したサクラは再びその人間離れした読唇術を発動させる。

 

『アルトリア王政軍国総軍師、ジェイド・クルセイダー勲功爵です。今回の支援艦隊の全指揮を陛下から仰せつかりました』

『それはそれは。まさか総軍師様直々に来られるとは思いませんでした。改めて遠路はるばるご苦労様です』

 

 今サクラはヴィルマ市議の一人と、王国側の集団の中央に立っている青年との会話を読唇術で披露している所だ。

「シルフィ、総軍師って何なの?」

「アルトリア王政軍国において、国王の右腕となって采配を振るう国務大臣だったか。まぁ、他国の宰相、ナンバー2に相当するお偉いさんだ」

「あんなに若いのに、一国のナンバー2……」

 

『それで、補給物資の方は』

『国中の備蓄食糧をかき集めて持って来ました。当分の間は食糧不足になる事はないでしょう。その他、災害時に役立つであろう道具類も大量に各艦に積載されています』

『感謝します。イリス女王陛下にはヴィルマ市民一同感謝していたとお伝えください』

『了解しました。ただ陛下はその謝辞に対し、きっとこう答えられるでしょう『我らも大陸の民も同じ神の赤子。兄弟が助けを求めているのならそれに助けの手を伸ばす。当然の事をしているまで』と』

『陛下の広大なお心、感謝致します』

 

「イリス女王って?」

「アルトリア王政軍国の現国王の事だな。私も詳しくは知らんが、国民から絶大な支持を受けている女王だそうだ」

 ここでサクラの読唇術の対象が変わった。今度はその総軍師と呼ばれた青年の横に立っていた男が口を開く。

 

『お初にお目に掛かります。アルトリア王政軍国農林水産大臣、アルフ・レキシントンです。今回の食糧分配は私が指揮させてもらいます』

 

 クリュウは農水大臣と名乗った男の言葉に一人首を傾げた。

「レキシントン……、まさかね……」

 農水大臣の名字の部分に若干の引っかかりを感じたが、特に気にする事でもないと判断しそんな雑念を思考の外へ追いやった。

 

 その後も両者の話は続いたが、クリュウ達には関係のない事ばかりだった上に、サクラが飽きてしまったのでそれ以上の話は聞かなかった。

 しばしの話し合いの後、双方共に場所を変える為に用意していた竜車に乗って街の方へと消えていった。

 残されたのは約五〇隻の軍艦の大群とそれを見に来た群衆だけ。もう見飽きて帰る者も多かったが、それでも大多数の人間はまだその珍景に見入っている。

 さらに状況は動く。今度はエミル達ギルドナイトが先程総軍師の横に控えていた向こう側の上級将校らしき赤髪の女性に呼び出され、こちらは旗艦らしき艦の方へと消えていった。

 今度こそ事態の動きは完全に終わり、群衆もちらほらと帰路に着き始める。クリュウ達も後ろ髪を引かれる気持ちはあったが、とりあえずその場を離れた。

 

 突然の異国からの訪問客に最初こそ驚いた住人達だったが、テオ・テスカトルに街を破壊されたという事実はそれを大きく上回っている。住人達はすぐに異国の艦隊など忘れたように瓦礫の撤去作業などに戻った。クリュウ達もとりあえずは途中で止まっていた復興作業に戻る。

「やっぱり重いぃ……ッ」

 瓦礫満載のリヤカーをクリュウは必死になって引っ張る。だが、単純計算でクリュウ二人から三人分の重さの瓦礫が搭載されたリヤカーはなかなか進まない。

「動けぇ……ッ」

 そこへこの光景を見たサラがパタパタと駆け寄って来た。そしてリヤカーの横に立つと、クリュウを手伝うように押し始める。

「う~ん……ッ」

「あ、ありがとサラちゃん。でも危ないよ?」

「私もお兄さんを手伝う……ッ」

 気持ちは嬉しいが、子供一人分の力など所詮は役に立たない。しかし、その気持ちだけでもクリュウにとっては十分過ぎるくらいに心強かった。

 サラと一緒にリヤカーを引っ張るクリュウ。そんな二人の姿に食事の後片づけをしていたフィーリアが気づく。

「わ、私も手伝いますッ」

 慌ててリヤカーに駆け寄ると、サラの反対側に立ってリヤカーを押し始める。

「あ、ありがとフィーリア」

「いいえ、お気になさらず」

 さすがにフィーリアの力が加われば何とかリヤカーも動き出した。一度動き出してしまえば後は止まらない限りは少しだけだが楽になる。

 そのまま三人は瓦礫の集積場所まで行き、リヤカーに乗せられていた瓦礫を積み下ろす。やっと重いリヤカーから解放されたクリュウは額に浮かぶ汗を拭いながら微笑む。

「二人ともありがと。助かったよ」

「えへへ、お礼言われちゃった」

「あ、クリュウ様。良ければ私のタオルをお使いください」

「ありがと」

 クリュウはフィーリアからタオルを受け取ると、それで汗を拭う。そのままタオルを首に掛けると、再びリヤカーに手を掛ける。

「それじゃ、戻ろうか」

 今度は空っぽなので軽い。リヤカーはクリュウ一人が引き、フィーリアとサラはその左右を歩く。

 そのまま何気ない雑談を交わしながら元来た道を歩いていると、対向方向から住民とは違う一団が現れた。

「あれって……」

 ピッチリと見事に軍服を着こなし、銃や剣などを武装した集団──王国軍人の一団だ。

「……あまり関わらない方が良さそうですね」

 小声でフィーリアが進言し、クリュウも「そうだね」と小さく答えて道の端に針路を変える。

 王国軍の一団は数にして十数人程度。しかしその全員が武装している姿は物々しい。一般市民とは違い、戦争になるのではなんて不安はないが、確かにこの出で立ちは一見しただけでは友好的には見えない。

 目を合わさないように横を通り過ぎようとするクリュウ達。今はこちらは全く武装をしていない。おかげでハンターには見えないが、関わってしまった場合は脅しとしての武器も使用ができない。ここは干渉するのを避けるのが得策だ。

 横を通り抜ける一瞬、クリュウは何気なくその一団を見た。その時、あるものの姿に目が釘付けになった。それどころではなく、体も止まってしまい、両脇を歩いていた二人は驚いたように立ち止まって振り返った。

「あれって……」

 クリュウが凝視していたのは軍人の一人が掲げている国旗。先程の軍艦にも必ず掲げられていた飛竜に乗った騎士を模した旗。それがアルトリアの国旗であった。

 だが、クリュウが見詰めていたのはもう一つの旗。

 王冠を被ったおそらく銀火竜と思われる竜に騎士が乗って天を翔ける姿を模した旗。国旗とは少しデザインも違うし、竜の姿もよりリアルなものになっている。

 その旗の姿に、クリュウは目が離せなかった。そして、フィーリアの制止を振り切り、クリュウは物々しい武装をした軍人の一団に丸腰で近づいた。

「あ、あの」

 クリュウの声に一番近くにいた兵が「何の用だ?」と威圧するような声で返して来た。体格差もあるので、かなり怖い。

「一般人か。我々は急いでいるのだ。邪魔をしないでくれ」

「す、すみません。でもちょっと質問が」

「くどいぞ坊主ッ。邪魔だ、どけッ」

 今にも腰に下げた剣を抜きかねない勢いにクリュウは体を硬直させる。そこへ今までおろおろとしていたフィーリアが慌てて駆け寄って来た。

「す、すみませんッ! クリュウ様、邪魔してはいけませんッ! 退散しますよッ!」

「で、でも……」

 ここはまずクリュウの安全を最優先しようと必死になって彼の手を引っ張るフィーリア。そんな彼女の行為にクリュウも諦めて退散しようとした時、

「──少年。我らに問いたい事とは?」

 その声にフィーリアの方に向けていた顔を再び一団の方へと戻すと、そこには先程までの軍人ではなく一人の青年軍人が立っていた。その姿を見て、クリュウは目を丸くした。

「総軍師……」

 先程ヴィルマの市議達と話していた、それも一国のナンバー2である総軍師と呼ばれていた青年──ジェイド・クルセイダーであった。

 クリュウのつぶやきに対し、別の軍人が「総軍師様と呼べッ!」と怒鳴り、「構わん。彼らは我が国の国民ではない」とジェイドは静かに戒める。

「して少年。君の問いとは?」

 いきなり一国の、それも大国と呼ばれているアルトリア王政軍国のナンバー2の登場に驚きつつも、クリュウはこの二度とないであろうチャンスをしっかりと握りしめた。

「あの、その旗は一体何なんですか?」

 クリュウの指先を追ったジェイドは頭上に翻るその旗を見て「あぁ」と声を漏らす。

「これは王紋旗だ。我がアルトリアを統べる女王、イリス・アルトリア・フランチェスカ様の母君、前女王様が使われていた王紋を模したものだ。これがどうかしたか?」

「あの……、金火竜の旗はないんですか?」

 クリュウの問いかけに対し、ジェイドの瞳が鋭くなった。それだけではない。周りにいた軍人達も一瞬で表情を険しくさせて緊張を漲らせている。

「あの、その……すみません」

 クリュウは彼らの逆鱗に触れたと気づいて慌てて謝る。するとジェイドは小さくため息を零した。

「銀火竜の対を成す金火竜の紋章……覚えておけ少年。我が国において金火竜の紋章は禁忌の紋。不用意に問えば命の保証はない」

「す、すみませんッ」

 命の保証はないという言葉に、クリュウは慌ててさらに謝る。フィーリアも一緒になって頭を下げると、ジェイドは「良い。以後気をつけてもらえばそれで構わん」と淡々と言う。

「疑問はそれだけか? ならば我々は先を急ぐので失礼する」

「ま、待ってくださいッ。せ、せめて何で金火竜の紋が禁忌になっているか、それだけでも……ッ」

 兵を率いて出発しようとするジェイドに再度声を掛けて引き留める。それに対しジェイドは振り返り、再びクリュウの前に対峙する。

「禁忌と言ったはずだが」

「それでも、どうしても知りたいんですッ」

 クリュウは睨むように険しい目つきで見詰めるジェイドの視線に臆する事なく真っ正面からそれと向き合う。その真剣な瞳にジェイドはフッと小さく口元に笑みを浮かべた。

「いい目をしている。その真剣さに免じて、簡単に説明するぞ。金火竜の紋章は現女王とは別系統の王族を意味し、その血筋は今の王家からは消失した。言わば、失われた王族を意味する紋章だ。それだけしか言えないな」

 そう言い残し、ジェイドは兵を率いて今度こそクリュウ達の前から去った。今度はクリュウもそれを止める事はなく、静かにその行軍を見送る。

 アルトリアの一団が見えなくなった事を確認し、フィーリアがそっと近寄って来た。

「あの、クリュウ様。金火竜の紋章がどうかしたんですか?」

 フィーリアの問いに対し、クリュウは「何でもない」と小さく答え、律儀にリヤカーの横で待っていたサラにすら声を掛ける事なく、リヤカーを引いて歩き出す。その後をフィーリアとサラが慌てて続く。

 無言で前だけを見詰めて歩くクリュウに何度か声を掛けようとしたが、今はそっとしておいた方がいいと勘が告げていたのでフィーリアもまた無言を貫いた。サラもまた、そんな二人の空気を察して口を閉じている。

 三人は無言のまま来た道を帰って行った。

 

 その後の復興作業も、クリュウはどこか上の空のような状態が続いた。そんな彼の異変にサクラとシルフィードは心配そうな視線をクリュウに注ぐ。

「クリュウは一体どうしたのだ?」

「……知っている事全て吐け」

 フィーリアはどう説明したものか悩みつつも、とりあえず先程あったクリュウとジェイドのやり取り全てを二人に話した。すると、それを聞いた二人も先程のフィーリアと同じような表情を浮かべる。

「金火竜の紋章か。サクラ、君は何も知らないのか? この面子の中では子供の頃のクリュウを知っているのは君だけだが」

「……知らない。知っていたら私だって驚かない」

「それもそうだな。うーん、エレナなら何か知っているかもしれんが、今ここにはいないしな」

「クリュウ様と金火竜の紋章……一体どんな繋がりがあるんでしょうか」

「詳しくは当人に訊いてみない事には仕方がないが、彼の様子から見るに自分からは言いたくないようだな。まぁ、時期が来たら自分から言ってくれるかもしれん。今は、その時を待つ他ないな」

 シルフィードの言葉に一応は納得した二人だったが、その視線はぼーっと空を見上げるクリュウに集中している。どちらの瞳も、彼を心配する想いで満ちている。

 シルフィードはそんな三人を見て口元に小さく笑みを浮かべると、「ほら、突っ立ってないで作業に戻るぞ」と先陣を切って作業へと戻り、フィーリアとサクラもそれぞれの担当部署に去った。

 一人残されたクリュウ。ゆっくりと流れていく白い雲を見詰め続ける。そんな彼の肩をシルフィードがそっと叩いた。

「考え事をするのは構わんが、やる事やってからにしてくれ。仕事は山ほど残っているぞ」

「う、うん。そうだね」

 シルフィードの言葉にクリュウはまだ引っかかりを感じてはいたが、作業に戻った。だが終始、やはりどこか上の空という状態は続いた。

 

 その夜、フィーリア、サクラ、シルフィードの三人は街の郊外に仮設置されている大衆風呂場に来ていた。

 アルトリアの軍艦は蒸気機関で動いている。燃石炭を燃やし、水を沸騰させて蒸気化し、その蒸気でピストンを動かして動力に変えている。その為ボイラーは高熱となる。

 アルトリア艦隊司令部は四七隻の軍艦のうち、二隻の軽巡洋艦を選抜。冷却水の一部とボイラーから排出された熱水を混ぜて災害以降風呂に入れていない市民の為に仮設の風呂場を設置。市民は何日かぶりの風呂に大喜びで殺到していた。

 治安維持の為、男湯と女湯は街を挟んで離して設置。さらにそれぞれ男性軍人と女性軍人が警備及び案内を行っている。

 殺到する市民を誘導路に導く女性軍人の横を通り抜け、ようやく湯船のある天幕(テント)の前にやって来た三人。

「数日ぶりの風呂か。やっと汗を洗い流せるな」

 タオルを首に掛けながらご機嫌そうに言うシルフィード。今日は復興作業で力仕事に加わっただけあって、汗を流したいという気持ちは人一倍強いのだろう。

「そうですね。濡れタオルだけじゃやっぱり不十分ですし、クリュウ様の前で汗臭いのだけは絶対に避けたいので嬉しい限りです」

 同じく乙女的な理由でお風呂を心待ちにしていたフィーリアも笑顔が満開。シルフィードは「乙女だな」と小さく苦笑を浮かべる。

 一方、無言を貫き通しているのはサクラ。しかし、風呂が嬉しいのは隠し切れていないようだ。

「サクラ。手ぬぐいを頭に載せるのは風呂に入ってからにしたらどうだ? それと、後でそのカバンに忍ばせている牛乳を一本私にも貰えないだろうか?」

「……サクラ様、ものすごくお風呂楽しみにされているんですね」

「……そんな事はない」

 珍しく羞恥で頬を赤らめるサクラの姿に新鮮さを感じつつも、妙に大人っぽかったり子供っぽかったりする彼女の態度に苦笑する二人。

「クリュウ様も今頃は並んでいる頃合いでしょうか?」

「そうだな。むしろ男湯は街から若干近いから、すでに湯船の中かもしれないな」

「……クリュウと一緒に入りたかった」

「そ、そんな恐れ多い事をッ! で、でも気持ちはわかります」

「……君達のような輩がいるから、男湯と女湯が真逆に設置されているのかもしれんな」

 常人には拾い切れない強烈なボケを炸裂させるサクラと天然ボケを要所要所で放つフィーリア。そんな二人の強烈なボケを自分一人でツッコミ切れるかどうか。シルフィードはそんな心配をしつつ苦笑しながらすでに絶好調にボケを飛ばす二人を見詰める。

 いよいよ自分達の番となり、三人は天幕(テント)の中に入る。天幕(テント)に入るとまずは脱衣所。三人はそれぞれ空いている棚をキープして身に纏っていた服を脱ぎ始める。

 汚れた服を脱ぐと、現れるのはきれいな白い肌。

 服を脱ぎ、体を洗う際に使う手ぬぐいを持ち、さらに三人とも長髪なのでゴムで結って髪を上げ、これで準備完了。

「さぁ、入るか」

 

 脱衣所の横はすぐに浴槽となっている。穴を掘り、水を通さないシートで覆い、そこにお湯を張った簡易的なもの。地面にもシートが被されているので土で足などが汚れる事もない。すでに市民の女性が何人も湯船に浸かり、復興作業で疲れた体を癒している。

「まずは体を清めんとな」

 シルフィードは空いている鏡の前に腰を下ろす。その右側にフィーリア、左側にサクラがそれぞれ腰を下ろした。

 用意されている洗剤で手ぬぐいを泡立て、体を洗い始める。シルフィードとサクラは無言で、フィーリアはご機嫌に鼻歌を歌いながら。

 埃や泥、汗で汚れた体を磨きながら、ふとサクラは隣に座るシルフィードを見る。

 まさに女性らしい体つき。擬音で言うならボンッキュッボンッ。見事なプロポーションだ。狩場ではいつも鎧に隠れている大きな胸は、彼女が体を洗うたびにその存在を主張するように揺れる。

「……」

 サクラは無言のまま、自分の胸を触った。良く言えば控えめ、悪く言えばペッタンコ。

 自分とシルフィードは二歳の年の差があるが、だとしても二年でこの差が埋まるとは決して思えない。

 女性の魅力は何よりも胸。男性は女性の大きな胸にメロメロになるというのは一般常識だ。その常識を照らし合わせれば、シルフィードの胸はその極地とも言うべきだろう。そして、自分の胸はその対極に位置する。

 決して自分では手に入らない女性の宝玉とも言うべき大きな胸。サクラはそんなシルフィードの胸を憎々しげに睨みつける。

「うん? ど、どうしたサクラ? なぜそんな親の仇を見るような目で私の胸を睨んでいるのだ?」

「……胸の大きな女性はみんな死ねばいいのに」

「ど、どうしたのだサクラ──ひゃあッ!?」

 憎々しげにシルフィードの胸を睨んでいたサクラだったが、やっぱり羨ましいという気持ちの方が強く、自然と伸びた手がシルフィードの大きな胸を鷲掴みにした。突然胸を掴まれたシルフィードはいつものクールさからは想像もできないような乙女な悲鳴を上げて顔を真っ赤にさせる。

「な、何をしているのだ君はッ!?」

「……この柔らかさ、弾力、張り……これが、同じ胸だとでも言うのか」

「い、意味不明な事を言ってないで離さんかッ──ひゃんッ。あ、あまり強く揉むなッ!」

 嫌がるシルフィードを無視し、サクラは執拗にシルフィードの胸を揉みまくる。その目が若干血走っているように見えるのは気のせいではないのかもしれない。

「一体何を騒いでいるんですか──って、お二人とも一体何をしてるんですかッ!?」

 髪を洗い終えたフィーリアは騒ぐ二人の方に振り返り、二人の(主にサクラの)奇行を目撃。顔を真っ赤にして声を荒げた。

「えぇい離せサクラッ! フィーリアも見てないでサクラを何とかしてくれッ!」

 一心不乱に自分の胸を揉みまくるサクラを引き剥がそうとシルフィードが全力を出すが、ある意味弱点をキープされている状態ではうまく力が出せず未だにサクラを引き剥がせずにいる。

「……貴様も触ってみろ。これが男を惑わせる女の武器の最強形態だ」

「わ、私は遠慮しますッ! さ、サクラ様もそのような卑猥な行動は即刻やめてくださいッ!」

「……これが神が与えし宝具だとでも言うのか」

「さっきから何を言っているのだ君はッ!? い、いいから離れろッ! ふぃ、フィーリアも早く助けてくれぇッ!」

 シルフィードの大きな豊満な胸を揉みまくるサクラ。先程からフィーリアの視線はその揉まれる大きな胸に集中している。まるで、信じられないものを見るかのような驚愕と、決して敵わないという敗北感、そして嫉妬。様々な感情が彼女の瞳には渦巻いていた。

「い、いい加減にせんと本気で怒るぞ──にゃあッ!? ふぃ、フィーリアッ!? な、何をするッ!?」

 サクラの執拗な胸への攻撃ですでに手一杯なシルフィード。だがここにさらにフィーリアまでもが我を失ってシルフィードの胸に襲いかかった。

「こ、こんな大きくなるものなんですか……ッ!? わ、私もこんなに大きくなるのでしょうか……ッ!?」

 シルフィードの大きくて柔らかくい胸を片手で揉みながら、自分の建造中の胸も揉んでみる。だが、その差は歴然だ。

 右胸をフィーリアに、左胸をサクラに鷲掴みにされるシルフィード。顔を真っ赤にし、涙目になりながら普段のクールな彼女からは想像もできないようなかわいらしい声を漏らす。

「ひゃ、ひゃめろぉ……ッ。む、胸は弱いんら……ッ。や、やめれくりぇ……ッ」

 呂律も回っていない。立って逃げようにもすでに腰が抜けてしまい、もはやシルフィードは抵抗する術もなく二人の観察対象として胸を揉まれ続けるしかない。

「ひゃ、ひゃめれふれえええぇぇぇッ!」

 珍しく、シルフィードの悲鳴が轟いたのであった。

 

 十分後、ようやくシルフィードは解放されたが、すでに腰が抜けてしまって立つ事もできず、あらでもない姿で床に転がっている。

「……も、もう私はお嫁に行けん」

 しくしくとさめざめと泣くシルフィードを無視し、散々大きな胸を堪能した二人は湯船に浸かりながら先程のシルフィードの胸に対する感想や意見を真剣に、そして激しく議論していた。

「……フン。所詮胸なんて邪魔な脂肪に過ぎん」

「そ、そうですよね。無駄に大きいのなんて、年取った時に悲惨になるだけですッ」

 散々シルフィードの胸を無許可で揉みまくった挙げ句、彼女の胸を全面否定するような発言。倒れているシルフィードの拳がプルプルと怒りに震えている。

「……それに、クリュウは胸はない方が好みだ」

 それは以前、クリュウがテンパった末に口走った失言。結局あの発言は撤回する機会もなくズルズルと現在まで尾を引いている。

 サクラの発言に、床に転がりながら静かに怒りの炎を燃え上がらせていたシルフィードがピクリと反応する。

「そ、そうですよねッ。胸なんて飾りだっていう事ですよねッ!? む、むしろ全くない方が好みですしねッ!」

「……ペチャパイ最強伝説」

 刹那、二人が纏う空気がどよーんと重くなった。何度か自分のそれぞれシルフィードに比べたら若干やないに等しい胸だが、全くない訳ではない。ある意味、中途半端。

「……それに、言っててすごく空しくなってきました」

「……事実上、女としての敗北宣言を叫んでいたに過ぎない」

 言えば言うほど自分の胸がない事を認めなければならず、二人は次第に自分の女としての魅力に自信を失い始めていた。

 何度か自分の寂しい胸を触っては、がっくりと肩を落として深いため息を漏らす。

 一方、床に転がっているシルフィードもまた自分の大きな胸を何度か触り、重々しいため息を零す。

 子供の頃から年齢の割には大きな胸を持っていたシルフィード。周りの子、男子からは妙な目で、女子からは尊敬と嫉妬の目で見られていた。その他の子とは違う大きな胸に、子供の頃からコンプレックスを抱いていた。

 ハンターになってからは防具で隠す事ができていたので、自分のその大きな胸を気にする機会は少なかった。しかし、クリュウの貧乳好き宣言(誤解)以降、そのコンプレックスにより拍車が掛かっている。

「……私も、せめてフィーリアのようなかわいらしい胸なら」

 ふにふにと胸を触っては、そんな叶わない夢にため息を零す。

 毎日防具の下でサラシをきつく巻いて少しでも胸が小さくなるような涙ぐましい努力を彼女がしている事は内緒だ。

「「「……はぁ」」」

 湯煙漂う風呂場で、三人の恋姫はそれぞれの悩みの末に絶望し、重々しいため息を零すのであった。

 

 その頃、クリュウは──

「いや、ですから僕は男ですからッ! 男湯に入らせてくださいッ!」

 ──その女の子らしい顔つきの為、ちょっとばかし男湯に入る事に難航していた。


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