モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第114話 アルトリア王政軍国

 そこは美しい都市であった。

 透き通るような水が溜まる広大な湖、ラミリーズ湖の中心に浮かぶ大きな島。湖の対岸とは四方をそれぞれ一本の跳ね橋で結び、人々はそれを行き来してこの街に入る。有事の際は跳ね橋を上げて敵軍の進軍を断念させる難攻不落の城塞都市──アルトリア王政軍国王都、アルステェリア。

 その街の建物は真珠のように純白の塗装をされており、美しい湖の青、浮かぶ森の緑、そして建物の白が織りなす色彩の美しさは訪れる者全員を感動させる。

 街中には川が流れており、景観を重視して街中には蒸気機関車は通っていない。その為、この街の主な交通手段として川が使われている。アルステェリアが別名《水の都》と呼ばれる所以(ゆえん)はこれだ。

 街の外側を一般人が住む区画として街の賑わいの大半はここに集中している。市場ももちろん一般人地区に置かれており、連日多くの人々で活気に溢れている。一般に下町と呼ばれる場所で、街全体の敷地の四割をこの地区が占めている。

 三割は極力伐採を禁止した森が広がっており、自然との調和が美しい。

 一割は中心部にある小さな湖を囲むようにして隣接する貴族区だ。普段貴族というのはそれぞれの領土を納める為にここにはいないが、有事や緊急時に王都に長居する場合を想定した用意だ。

 そして、その湖が残り二割を占めている。その中心には巨大で美しい純白の城が建っていた。

 湖の中心にあった小山のような島に建てた純白の城の名はアルトリア城。このアルトリア王政軍国の中枢である。

 城の一番高い塔にはこの国の国旗が翻っている。竜に乗った騎士を模したこの旗は、かつての独立戦争での英雄にして後のアルトリア初代女王となったヴィルヘルム・アルトリアの勇姿を表している。

 現存する世界最古の絶対君主制国家であるアルトリアはドンドルマなどがある大陸から離れた洋上に浮かぶ複数の小さな島々で形成された海洋国家。

 この国を他国から見れば三つの姿がある。

 一つは世界トップクラスの蒸気機関技術を持っているという事。大量生産に適したテティル連邦共和国、流通に適したドンドルマ、そして少数精鋭のアルトリア。多くの国がこの二国一都市で製造される製品を欲しており、この技術力こそアルトリアの発展の礎となっている。

 一つは世界でも珍しい女帝統治国家である事。これは初代女王となったヴィルヘム女王の影響が大きかった事と、元々この地帯が神の御遣いとして巫女が強大な権力を有していた民族的な理由が大きい。

 そしてもう一つ、政治的な意味合いではこちらの方が強いアルトリアの姿。それは──世界最強の軍事力を有する事だ。

 まずはアルトリアの近代史を説明しよう。

 元々は弱小国家に過ぎなかったアルトリア。先々代女王、シェレス・アルトリア・フランチェスカが統治していた時代に大陸最強の国家シュレイド王国が分裂。大国の崩壊を見て世界の軍事バランスが崩れ、同国分裂後数十年間世界では様々な小国同士が戦争をし合う戦国時代に突入した。その最中、アルトリアはその立地的に海に面した国からは補給線の大拠点として狙われ、幾多の国と戦争に突入した。

 シェレス女王は初代女王ヴィルヘルム女王に負けず劣らずの騎士王であり、海に面していた事で当時から軍事の大多数を海軍に集中。押し寄せる敵艦隊を自ら陣頭指揮して幾たびも粉砕撃破し、他国からは《提督王》と呼ばれ恐れられた。最後の戦いでシェレス女王は命を落としたが、その志は臣下が継ぎ、最終戦争に勝利した。

 以降、アルトリアに挑もうとする国はなくなった。世界の軍事バランスがようやく安定したというのも大きいが、アルトリアの軍事力に恐れたというのもまた大きい。

 シェレス女王の娘にして第二王女だったロレーヌ・アルトリア・ティターニアがその後新女王として即位。御年十六歳の事であった。

 ロレーヌ女王は母の意志を継ぎ海軍力を中心に自国の技術を軍事に特化した結果、世界一の海軍力を有する事となった。第二位はエルバーフェルド帝国であるが、保有する艦船の数もさる事ながら、単艦戦闘能力も秀でており、その実は倍近い戦力差とも言われている。

 本土に敵が上陸した事及び領土内に現れるモンスターを撃破する為に陸軍、アルトリア聖騎士団を編成。現在ではハンターズギルド以外でモンスターを撃退できる数少ない組織となっている。

 そして現在、第三軍として発足した空軍、アルトリア王軍艦隊が最も他国が恐れる部隊として有名であった。

 世界で唯一飛行船を主力とした部隊であり、対空兵器などそもそも思想すらない他国はこの艦隊を撃破する術がない。空から爆弾や大砲の雨を降り注ぐこの飛行戦艦を相手にできる国など、どこにも存在しないのだ。

 ロレーヌ女王は無限に軍事力増大を続け、最終的にはそれまでのアルトリア王国をアルトリア王政軍国と国名すらも変更して軍国化を押し進めた。

 国土こそ小国ながら海上物流の拠点であり、世界屈指の蒸気機関技術を持ち、尚且つ世界最強の軍隊を有するアルトリア王政軍国。

 母の意志を継ぎ、一代でアルトリアを軍事大国に押し上げたロレーヌ女王だったが、元々病弱であった彼女は去年崩御した。アルトリアの絶対的な独立の確定をした事は功績として大きいが、軍事力拡大の為に増税や必要な公共事業さえも削減したなど、国民からの支持は低かった。

 現在はその娘、イリス・アルトリア・フランチェスカが王位を引き継いで政(まつりごと)を遂行している。

 イリス新女王はそれまでの母の軍拡化方針を停止させ、現存戦力の維持に軍事費を確定。減税政策や公共サービスの徹底などそれまでの方針とは大きく舵を切った政策を行い、国民の絶大な支持を得た。

 国民に優しい政策を執る新女王。しかし彼女の絶大な人気の理由はもう一つの理由の方が大きい。それは──

 

 アルトリア城の中枢にある女王の間。幾人の衛兵に守られたこの部屋に、一人の青年が入った。

 飾り気の少ない軍服を身に纏った灰色の髪に碧眼、右目にモノクルと呼ばれる方眼鏡をした青年の名はジェイド・クルセイダー勲功爵。若干二七歳にして総軍師に就任した天才青年だ。

 総軍師とは他国では宰相に相当するこの国のナンバー2の権力を有する国務大臣であり、同時にアルトリアが世界に誇る最強の軍隊、アルトリア王軍艦隊を指揮する王軍艦隊司令長官(空軍大将)も兼任している。

 ジェイドは広く、様々な高級品が並び、豪華なシャンデリアに美しく照らし上げられた女王の間に入り、王座まで続く赤い絨毯の上を優雅に歩く。そして、その中間で恭しく一礼する。

「先程炎王龍テオ・テスカトルに襲撃されて崩壊したヴィルマから救援要請が届きました。如何なさいますか陛下?」

 ジェイドが問いを投げ掛けた先には王座がある。そしてそこには一人の少女がその体格には不釣り合い過ぎる大きな王座に座っている。

 銀色の美しい長髪に凛とした意志の強い碧眼。顔立ちはまるで職人が半生を掛けて造形したかのような美しさで、肌は白く陶磁器のよう。今はまだ幼い印象が強いが、数年後には大陸中に知られるような美少女になる事が期待できる。彼女こそ現アルトリア王政軍国君主、イリス・アルトリア・フランチェスカ女王陛下である。

「ジェイド。お主はそのような下らぬ事を問う為に妾(わらわ)の前に立っているのか?」

 凛とした瞳を鋭くさせ、静かに怒りの炎を燃え上がらせるイリス女王。その怒気に控えていた小間使い達はビクリと肩を震わせる。

 ジェイドはそんな女王の怒気に対し「左様でございます」と冷静に返す。

 しばしの沈黙の後、イリス女王は「良い。頭を上げよ」と言葉を掛ける。ジェイドが顔を上げると、女王は小さく苦笑を浮かべた。

「また老いぼれどもが其方(そなた)の案を棄却したのじゃろ? 全く、時代錯誤の棺桶に片足どころか両足を突っ込んだ化石どもが生意気な……」

「陛下、そのような汚い言葉を御身がなされては困ります」

「良い。小間使い達は妾の味方じゃ、密告はせんし、しても奴らが妾の権力に逆らえる訳なかろう?」

 ふふんと先程までの威厳に満ち溢れた表情から一変して年相応のイタズラっぽい笑みを浮かべるイリス女王。小間使い達もくすくすと笑っており、部屋の中には穏やかな空気が流れる。

 ジェイドもまた小さく苦笑した後、再び表情を堅くした。

「陛下の仰る通り、先程枢密院で棄却されました。ですので、こうして陛下の緊急|勅令(ちょくれい)の声明を頂きに参上した次第です」

 ジェイドの報告に改めて「老いぼれどもめ」と苦々しくつぶやくイリス女王。そんな王にジェイドは「陛下、ご指示を」と促す。

 イリス女王は小さくうなずくと、その大き過ぎる王座から立ち上がった。窓から注ぎ込む太陽の光を全身に浴びキラキラと輝く一国の主は、その絶大な権力の発動を宣言した。

「緊急勅令を発動するッ! すぐさま支援隊を組織し救援物資を国中から掻き集めるのじゃッ! ジェイドはその指示を各省の大臣に通達後、王軍艦隊の稼働可能の全軽巡洋艦に支援隊の移動手段に任命せよ」

「陛下が王軍艦隊を動かすのは予想済みでしたが、なぜ輸送艦ではなく軽巡洋艦なのですか?」

「愚か者。輸送艦は物資を積み込むのには優れてはいるが足が遅い。軽巡洋艦なら高速で移動が可能だろう?」

「しかしそれでは積み込みができる物資の量が限られます」

「必要最低限の砲弾や爆弾を下ろし、その弾薬庫に物資を入れればより積み込める。さらに軽巡洋艦全艦で輸送すれば輸送艦数隻に匹敵する量の物資の運搬ができる。護衛には駆逐艦を十数隻と戦闘準備をさせた軽巡洋艦を二隻程度つければ問題なかろう。それと、支援隊は其方が指揮してくれ」

「私が、ですか?」

「そうじゃ。こういう場合は妾が信頼できる者に陣頭指揮を任せたい。頼まれてくれるか?」

 イリス女王の問い掛けにジェイドは「仰せのままに」と恭しく一礼すると踵を返して部屋から出て行った。それを見送ると、イリス女王は再び王座に腰掛け、そっと手を組んで祈りを捧げる。

「……神よ、妾の赤子(せきし)達に幸運を授け賜え」

 数万の軍人、数百万人の国民の命を預かるアルトリア王政軍国の君主、イリス・アルトリア・フランチェスカ女王。国民からは敬愛されし良き王として、心癒す皆のアイドルとして、齢(よわい)十二歳の少女王は今日も難しい国政の舵を切るのであった。

 

 ジェイドはすぐさま再び枢密院を開くと、その場でイリス女王の緊急勅令発動を宣言。緊急勅令とは大臣などの意見を無視し、女王が全決定権を持つ命令の事を言い、絶対君主制国家であるアルトリアでは決して逆らう事のできない命令である──それこそ、国民が反対していても戦争に突入できる程の権限なのだ。

 緊急勅令の発動。各大臣や各委員長、両院の議長などのが集まる政の中枢を担う枢密院でこの命令が発動されてしまえば、それまで反対されていたとしても反対意見が棄却されてしまう。反対派の閣僚達はジェイドを憎々しげに睨みつける。それらの視線に対しジェイドは気にした様子もなくクールに指示を出す。

「農水大臣。すぐに備蓄している食糧の一部を出してロサイス軍港に集めてください」

「了解しました」

 ジェイドの指示に背の高い壮年の男、農林水産大臣のアルフ・レキシントン男爵は待ってましたとばかりにすぐに部屋から飛び出して行った。彼は賛成派の一人だ。

「小僧、また陛下に泣きついたのか?」

 憎々しげに言うのは白髪に白髭を携えた老臣、貴族院議長のオスカー・クロムウェル公爵。前女王の頃から貴族院議長を務めている古参の国務大臣だ。何かとイリス女王やジェイド総軍師の案に反対意見を唱える嫌な奴だ。

「私は陛下と一心同体。陛下も私の意見に賛成を表明したまでの事です」

「フン、小僧と小娘が生意気に……」

「貴様ッ! 陛下を愚弄する言動は重大な国家反逆罪に値するぞッ!」

 クロムウェルの不敬発言にすかさずジェイドが怒り狂う。それを見てクロムウェルはやれやれとばかりにわざとらしくため息を零す。

「図に乗るなよ依怙贔屓(えこひいき)。貴様が陛下の幼少時の武官だったというコネがなければ、貴様は一介の衛兵に過ぎなかった事を忘れるな。それと私が忠誠を誓うのはアルトリアという国。小娘女王など飾りに過ぎん癖に生意気になりおって。良いか? 女王などというものは我々枢密院の決定にただうなずいてればいいのだ」

「貴様ぁッ!」

「お止めなさい、クロムウェル貴院議長、クルセイダー総軍師」

 名目上国のナンバー2と実質ナンバー2という二人の喧嘩に他の大臣達は恐ろし過ぎて声も出ずに震える中、議長席に座る女性が威厳ある声でそれを制した。白っぽいクリーム色の長髪に凛とした碧眼、四〇歳という年齢を疑うほど若々しい彼女こそこの枢密院の議長を務めるアルカディア・ヴィクトリア大公。実質のナンバー3であり、王家と血縁関係にある名門ヴィクトリア家当主でもある。

 アルカディアの声一つで二人は互いにそれ以上の言葉を発する事はなく、クロムウェルは杖を突きながら建設大臣と共に出て行った。それを契機に他の大臣達もそそくさと出て行き、部屋にはジェイドとアルカディアだけが残された。

「ジェイドよ、そう熱くならないのです。全く、いつもは冷静沈着なのに陛下の事となるとなぜそうもすぐ暴発してしまうのですか」

「も、申し訳ございませんヴィクトリア枢院議長」

「二人の時は昔のようにアルカで良いと何度も言っておろう?」

「ハッ、申し訳ありません。アルカ様」

 アルカディア──アルカは嬉しそうに微笑むと席を立って分厚い書類を手に掴んだ。

「クロムウェル貴院議長が何らかの妨害をするかもしれません。私の方からも各省や委員会に根回しをしておきましょう」

「助かります」

「あなたは総軍師として、すぐに隷下の王軍艦隊の編成に取り掛かりなさい」

「了解しました」

 アルカディアは安心したように小さく微笑むと、部屋から出て行った。ジェイドはそれを見送ると身を包む軍服を正し、気合いを入れて部屋から出て行った。

 

 ロサイス軍港。王都アルステェリアの郊外、ラミリーズ湖の畔(ほとり)にあるこの港は海軍ではなく空軍の管轄にある。それもそのはず、ここは王軍艦隊主力、第一機動艦隊の本拠地であった。

 平野には数多くの飛行船が停泊している。全長百メートル程の飛行駆逐艦から、全長三百メートルにもなる飛行戦艦まで、その総勢は目を見張る。

 飛行軍艦の気嚢(きのう)の外装はゲリョスのゴム質の皮をベースにしており、大砲の弾でさえ跳ね返す防御力を有している。これこそが王軍艦隊の無敵さを象徴する技術の一つである。

 王軍艦隊主力、王都防衛の任を受けている第一機動艦隊には王軍艦隊旗艦『クイーン・アルトリア』を始め四隻の飛行戦艦を有している。他の第二機動艦隊(北部防衛)、第三機動艦隊(南部防衛)は主に巡洋艦や旧式戦艦などで編成されている。この三艦隊を合わせて王軍艦隊と呼ぶのだ。

 ジェイドは軍港の中を走る蒸気機関車に乗って第五戦隊旗艦、軽巡洋艦『シェフィールド』に乗り込んだ。

「長官。現在第二、第三機動艦隊から軽巡洋艦が続々とこのロサイスに集結しつつあります」

 燃え盛る炎のような真っ赤な髪をポニーテールで結った赤眼の女性、彼女は総軍師補佐官兼王軍艦隊参謀、エイリーク・アトランティス少佐。補佐官という立場から常にジェイドの傍に控えており、剣術の腕も優れているので彼の武官としての役目も務めている。

「一六〇〇(ヒトロクマルマル)には出港準備が整う予定です」

「支援物資は?」

「すでにレキシントン農水大臣が手配しており、農水省からの報告では一四〇〇(ヒトヨンマルマル)にはここロサイスに集まるそうです」

 ジェイドの問いに対しエイリークは資料を片手に素早く、そして的確に答えていく。ジェイドはその答えを聞いて時折考え事をしながら最終的な判断を決めていく。

「護衛任務はこの『シェフィールド』と『レゾリューション』、『レイフォール』。第六、第七、第八駆逐隊に手配しています」

 エイリークの返答にジェイドは「わかった」とつぶやくと、自身も資料を手に持ってそこに書かれた内容を読み始める。そんなジェイドの横顔を見詰め、エイリークは「ところで」と話を切り出した。

「この支援隊、まさか長官が率いられるのですか?」

「あぁ。陛下直々の任命だからな」

「……陛下の命令ならば仕方ありませんが」

 そこまで言って言い淀むエイリークに、ジェイドは資料から視線を外して彼女の方を見る。

「何だ、何か問題でもあるのか?」

「当然です。長官は我が国の総軍師、宰相に等しいお方です。そんな長官が自ら国を空け、蛮族の住む大陸へ向かわれるなど危険過ぎます」

 エイリークが言った蛮族とは大陸に住む者達の蔑称だ。シェレス女王時代、大陸国家はこのアルトリアに幾度となく侵攻して来た侵略軍。その為こうした大陸に住む者達を敵視する者達も少なくないのだ。エイリークも祖父が海軍軍人として戦争に参加し、命を落とした。その経緯から彼女は祖国に侵略侵攻して来て、祖父の命を奪った大陸の者達を決して快くは思ってはいないのだ。

「君が大陸の人々を嫌っているのはわかるが、ヴィルマは我が国と少なからず貿易関係を築いている。そのヴィルマが支援を求めている以上、我が国としては手を貸さない訳にはいかないだろう?」

 ジェイドの問い掛けに対し、エイリークは心外だとばかりに瞳を鋭くさせる。

「私は個人的な理由で長官の大陸行きに反対している訳ではありません。私が心配を申し上げているのは、内政の方です」

「内政?」

「長官がいない間、クロムウェル貴院議長が野放しになります。私はその危険性を危惧しているのです」

 エイリークの進言に対し、ジェイドは納得したようにうなずいた。確かに、この補佐官は自分の個人的な理由を仕事に押しつけるような愚考はしない。常にあらゆる可能性を考え、それを進言しているに過ぎない。今回の事もジェイドが留守の間、クロムウェルが妙な動きをしないかという事を危惧しているのだ。

「問題ない。クロムウェルは所詮貴族院の議長に過ぎない。私がいなくても枢密院をヴィクトリア大公が守っている限り奴も大きな動きはできまい。すでにヴィクトリア大公には動いてもらっている。抜かりはない」

 ジェイドの返答に対しエイリークは驚きつつも「不躾(ぶしつけ)な進言、申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。自分が思っているような事は、当然彼もとっくに気づいていてその根回しを回している。自分が仕えている男は、本当にキレ者だという事を改めて認識したエイリーク。

「構わんさ。君のお節介さにはいつも助けられているからな。これからもお節介頼むぞ」

「か、からかわれては困ります長官……ッ」

 カァッと顔を真っ赤にさせて怒るエイリークい苦笑しつつ、ジェイドは部下を呼ぶと指示を出し始める。

 まだ青年と言ってもいいような若々しい己が主の凛々しき姿に、エイリークは頬を赤らめながら見入っていた。 

 

  予定時刻の十分前、蒸気機関車が無数の貨物車を引いてロサイスの軍港に入って来た。この貨物車一つ一つに満載に等しい量の物資が詰め込まれている。その量はドンドルマがヴィルマに送ったものの五倍近い。蒸気機関という最先端の科学力を持つと共に海洋貿易国家としてヴィルマと同じく物資の中継地点として関税を取っており、尚且つ世界でも有数の農業国家でもあるアルトリアの貿易黒字が成せる業だ。

 一部の物資は他の街から陸路で渡ってきた事もあり、尚且つ農林水産大臣のアルフ・レキシントン男爵の護衛の為にも聖騎士団の団員が数名護衛についている。ジェイドはその中に見知った顔を見つけて驚いた。

「デアフリンガー団長。どうしてここに?」

「辺境部隊の視察から帰って来るついでにこの物資の護衛を任されたのでな。アルカの命令で」

「……団長を指名するとは、相変わらず無茶苦茶なお方ですねアルカ様は」

「まったくだ」

 ジェイドの言葉に苦笑する立派な口髭に聖騎士団の制服を身に纏った筋肉巨漢の男。彼こそアルトリア三軍の一角、陸軍に相当するアルトリア聖騎士団を率いる団長(陸軍大将)、オメガ・デアフリンガー伯爵。枢密院の常任顧問官の一人だが今回は辺境視察で参加していなかったのだ。

「そう言ってはいけませんよ。アルカの根回しがなければこれだけの物資を集めるのは難しかったですからね」

 そう言って二人の間に入って来たのは農林水産大臣のアルフ・レキシントン男爵。巨漢のオメガよりも背丈こそ高いが、体が細いので二人が並ぶとボールと枝のようだ。

「アルフも大変だな。これから大陸へ向かうんだろ?」

「えぇ。農水大臣として食糧物資の配給などを管轄しなくてはいけないので。オメガ、悪いけど留守の間妻と娘の事を任せておいてもいいか?」

「婦人の方は構わんが、娘の事は娘の方が適任だろう? ちょうど今はアルカの娘と三人で王宮にいるだろうからな」

「相変わらず、親も子も仲がよろしいのですね」

「まぁ、うちの娘とアルカの娘はよく色々な事で張り合ってはいるがな」

 アルフもオメガもとても娘を溺愛している事で有名だ。その娘達もとても仲が良くいつも一緒に行動している。親が仲がいいという事で子供の頃から一緒にいる幼なじみだし、一緒に社会勉強も兼ねてドンドルマのハンター養成学校に在学していた経歴もある。性格が全く違う三人なのに、なぜか気が合うらしい。

 アルカの娘はヴィクトリア家の次期当主として日々勉強の中にいるし、オメガの娘も現在は父の部隊で少尉候補生として日々鍛錬を続けており、アルフの娘も父のような政治家になる為に日々勉強中。そんな中でも三人は時間を見つけては今でも親しい関係を続けている。

 そんな子煩悩な二人に苦笑しながら、ジェイドは無言で傍に控えているエイリークから関係資料を受け取り、それをアルフに手渡した。

「今後のスケジュールを羅列して書いておきましたので、目を通しておいてください」

「はい。ではこちらも、食糧物資のリストです。どうぞ」

 アルフから資料を受け取ったジェイドは一度それをエイリークに預け、ジェイドは二人に一礼してその場を後にした。きっとあの後二人はお互いに自分の娘にかわいさで熱弁を振るうに違いない。そう思うと自然に漏れる苦笑を見てエイリークもまた苦笑を浮かべた。

「どちらも軍人、政治家としてはとても優秀なお方なんですけどね。どうにもお子様の事になると父親になってしまいますね」

「あんな立派な人に愛されている娘さんが羨ましいよ」

 そう二人は笑い合うと早速部下に運ばれて来た大量の物資を各艦に搭載するよう命じ、ジェイドは自ら先頭に立って陣頭指揮をし、急ピッチで積み込み作業を進めるのであった。

 

 出港時刻。角笛による出撃の合図がロサイスの港に鳴り響いた。

 中心部から少し外れた平野に集結していた支援艦隊の各艦艇。碇を上げ、蒸気機関で動く巨大なプロペラが回り、気嚢に入ったガスの浮力と合わさり、巨大な飛行船が次々に浮かび上がる。

『第八戦隊出港しまぁすッ!』

『第十一戦隊出港しまぁすッ!』

『第七駆逐隊出港しまぁすッ!』

 第六戦隊旗艦兼ヴィルマ支援艦隊旗艦の軽巡洋艦『シェフィールド』の艦橋には次々に各戦隊や駆逐隊の動きが入って来る。そんな慌ただしい艦橋の中心、本来は第六戦隊司令官が座る椅子には王軍艦隊司令長官のジェイドが座っている。その横には本来の主である第六戦隊司令官と総軍師補佐官のエイリークが控えている。

「『シェフィールド』出港しますッ」

 軽巡洋艦『シェフィールド』艦長の号令一下、兵達の動きがさらに慌ただしくなった。機関室では国産の蒸気タービンが唸りを上げ、灼熱地獄と化すボイラー室では機関兵達が汗と煤まみれになりながら燃え盛る火室の中にシャベルで燃石炭を放り込み出力を上げていく。

 燃え盛る火室の熱が水を蒸発させ、生み出された蒸気がシリンダーに送られ、シリンダーがピストン運動を起こしプロペラを回転させて推進力を生み出す。

 軽巡洋艦『シェフィールド』はゆっくりと上昇を始め、地上から離れて行く。すでに上空にて待機している他の艦の隊列に加わり、まだ出港できていない艦を待つ。

 風上に艦首を向け、前進微速で相殺してその場に止まる。煙突から噴き出す黒煙だけが背後に流れていく。

 各戦隊、各駆逐隊ごとに隊列を組む艦隊は事前に決められた艦隊位置に隊ごとに移動し、全軍出撃の態勢を整える。

 最後の艦が出港し、軽巡洋艦及び駆逐艦で編成された総数四七隻のヴィルマ支援艦隊が陣形を組み終える。

「全艦配置完了しましたッ」

 兵の報告にジェイドは小さくうなずくと、王軍艦隊司令長官として命令を発した。

「全艦前進微速」

「前進微速ッ!」

 支援艦隊旗艦の『シェフィールド』が動き出すのを見て、他の艦も次々に前進を開始。それが次第に全艦に伝わっていき、まるで一つの生き物のように四七隻の飛行船が動き出す。

 祖国の王都、敬愛するイリス女王の住むアルトリア城に別れを告げ、ヴィルマ支援艦隊は一路ヴィルマに向けて海を越えての大遠征に向かうのであった。

 

「二人とも見て。支援艦隊が出撃して行くわよ」

 王宮の中庭に椅子とテーブルを置いてティータイムを興じていた腰まで伸びる美しい桜色の髪の少女が翡翠色の瞳で王都から離れていく艦隊を見上げながら友人に声を掛けた。

「そうですわね。フェニスのお父上も乗艦なされているのでしょう?」

 ティーカップを優雅に持ちながら微笑みながら返したのは白っぽいクリーム色の長髪をカチューシャで整えた碧眼の少女。その動作や口調、姿全てに気品を感じさせる、まるで上流階級のお嬢様だ。

「えぇ。農水大臣として食糧物資を管理しないといけないので」

「大変ですわね。ヴィルマは確か、ドンドルマからそれほど離れてない場所でしたわね」

「……ちょっと足を運んでみたかったわね」

 どこか寂しげにつぶやく桜髪の少女の言葉に、カチューシャの少女も「そうですわね」と寂しげに呟いた。

「もうすぐ一年になりますわね。私達がドンドルマの学校を卒業してから」

「そうね。みんな今頃どうしてるのかしら?」

「きっと、それぞれの道に向かって努力していますわね」

「私達だって負けてないわよ。ほら、この前だってこの三人でバサルモスを討伐したじゃない。あの時の父様の狼狽っぷりは忘れられないわね」

「いじわるな娘ですわね、あなたは」

 くすくすと笑う優雅な二人に対し、先程から少し離れた場所で木刀をひたすら素振りしている少女がいた。紫色の長髪をポニーテールで結った、凛々しい顔つきの聖騎士団の制服を身に纏った美少女。そんな彼女にカチューシャの少女は眉をしかめながら注意する。

「シグマ、こんな時に素振りなんて下品ですわよ。さっさと席に着いてほしいですわ」

「生憎俺はお前らと違って貴族でもお嬢様でもねぇからな。一族揃って軍人の家系だからそんな作法は知らねぇな」

「何を言っていますの。あなたは私達の武官なのですから、それくらいの作法をしてもらわないとこっちが赤っ恥ですわ」

「ケッ、知ったこっちゃねぇし。そもそも俺はこんな任務親父に無理やり任させれただけだ。本当なら一人でもリオレウスをぶっ潰すってのによ」

「冗談も休み休みにしてほしいですわ。あなたの実力でリオレウスに挑んだら上手に焼かれちゃいますわよ?」

「……こんがり肉、あれって時々無性に食べたくなるわよね。父様ははしたないとか言いますけど、あれはかぶり付いて食べるのが一番よね」

「ですわね。日々丁寧に料理されたものを食べていると、時々ああいう素材本来の味を食べたくなりますわね」

 学生時代が懐かしい。そんな会話をしていると自然とポニーテールの少女もこちらに近づいてきた。用意されていた紅茶――ではなく自分で用意してい水筒を手に取り一気に中の水を飲み干し一息。

「あの頃は良かったな。難しい事考えずにバカみたいに騒げてよ。今は背負うものが多過ぎてそうもいかねぇ。ハンターとしての仕事なんて、聖騎士団の仕事の方が多くてなかなかできねぇしな」

「そうですわね。私も次期当主としてやらなければいけない事は多いですわ。昔みたいに、己の信念だけではやっていけませんわ。それが貴族ですもの」

「そうね。私も似たようなものよ」

 たった一年で、少女達を取り巻く環境は一変していた。次期当主として、政治家として、軍人として。道は違うもののそれぞれ背負うものができた。その為に目標は生まれたものの、今までのように自分の自由は制限されてしまう。これを幸せと見るか、不幸と見るかは当事者にしか判断できないし、そう簡単に判断できるものでもない。

「そういえば、フェニスはまだ彼と手紙のやり取りをしているのよね。いいですわね」

「あら、やきもち?」

「べ、別にそんなんじゃないですわッ」

 くすくすと笑う桜髪の少女の言葉にカチューシャの少女は顔を真っ赤にしてプイッとそっぽを向いた。その照れた横顔を見てポニーテールの少女が苦笑する。

「ルナリーフの地元は手紙が届きにくい環境だしな。結局一年近く音信不通なんだろ?」

「……えぇ。会いに来る事もなく、本当に薄情なお人ですわ」

「確かに寂しいわよね――でも、今も好きなんでしょう?」

 桜髪の少女の問いに、カチューシャの少女は頬を赤らめながらコクリとうなずいた。

 学生時代、彼女には片思いの少年がいた。彼は底なしの明るさと優しさで当時委員長としてクラスを束ねていた自分を支え、落ち込んだ時には励ましてくれた。最後の学年では逆にシグマのクラスになってしまったが、その後も敵対しているはずなのに彼は気にせず自分に色々と気遣ってくれた。その優しさが、温かさが、信頼となり、いつの間にか恋心に変わっていた。

「しっかし、あんな女みたいな鈍感野郎。俺は今でも何がいいのかわかんねぇぜ」

 心底わからないという感じに肩をすくませるポニーテールの少女を、それまで頬を赤らめていたカチューシャの少女はキッと彼女を睨み付ける。

「ショタコンなあなたには言われたくないですわ」

「ハァッ!? 俺のどこがショタコンだゴラァッ!」

「……私、知ってますわよ。あなたがエルと今も手紙のやり取りをしている事」

「なぁッ!?」

 今度はポニーテールの少女の方が顔を真っ赤にする番だった。カチューシャの少女は勝ち誇った笑みを浮かべ、桜髪の少女は「あらあら」と楽しげに笑っている。

「あ、あれは向こうが一方的に送って来るからだッ! 俺は無視もできねぇから仕方なく返信をしてやって、すると向こうから返信があって、俺が返信して、返信されて、返信して……」

 最後の方はゴニョゴニョと聞き取れないくらい小さくなってしまい、少女は顔を赤らめながら人差し指をツンツンさせる。そんな彼女を見てカチューシャの少女は盛大にため息を漏らした。

「結局、想い人と何の連絡のやり取りをしていないのは私だけですのね」

「アリア……」

「ちょっと待てッ! べ、別に俺はエルの事をそんな風には思ってねぇぞッ!」

「そんなに気になるなら会いに行けばいいじゃない。ヴィクトリア家の権力を駆使すればこの国だけでなく大陸国家ですら動かせるじゃない」

「無視すんなゴラッ!」

「……やろうと思えばできなくもないけど」

「けど?」

 不思議そうに首を傾げる桜髪の少女の視線の先で、なぜかカチューシャの少女は頬を赤らめながらツンとそっぽを向いて唇を尖らせた。

「わ、私の方から行くのは何だか負けた気がして嫌なのですわ」

「……あの、アリア? 恋に勝ち負けなんてないんだけど……」

 負けるなんて絶対嫌と断固として折れない親友の姿に、桜髪の少女は小さく苦笑を浮かべると呆れたようにため息を漏らした。負けず嫌いな彼女がそれを負けと認定した以上、それを撤回させる事はまず不可能のだろうという事は長い付き合いで重々わかっていた。

「そんなんで告白とかできるの?」

「わ、私からなんて絶対に嫌よ。それこそ負けじゃない」

「いや、だから何が負けなのか……」

「私は彼の方から告白させてみせるまでですわ」

「……それは、たぶん……いや、絶対に無理だと思う」

 自分の記憶が正しければ、彼女が想いを寄せている少年は並大抵の鈍感さを凌駕した猛者である。何しろ、当時すでに親友以外に身近に二人も好意を寄せている美少女がいたのに、全くもってそれに気づかなかったという記録もある。その彼の方から告白させる――ある意味、火竜の番を同時討伐するよりも難しいだろう。

「ったく、考えても仕方ないだろ。思い立ったら全力突貫すりゃいいじゃねぇか」

「……世の中、あなたみたいな猪突猛進単純単細胞な人間ばかりじゃありませんのよ」

「あぁんッ!?」

 それをきっかけに、カチューシャの少女とポニーテールの少女の激しい言葉の言い合いが始まった。桜髪の少女はそんな二人を見て「あらあら」と困ったような笑みを浮かべながら、蒼天の空を見上げた。煌く太陽が大地を力強く照らし上げる光は肉眼で見るにはあまりにも強過ぎて、でもとても温かい。

「……今日も、いい天気ね」

 

 ――アルトリア王政軍国。

 それはクリュウのかつての学友、アリア・ヴィクトリア、シグマ・デアフリンガー、フェニス・レキシントンの故郷であり、クリュウにとっても後に人生の大きな転換点となる国である。


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