モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第111話 薄氷の上の平和 廃墟に咲く小さな野花の笑顔

 サクラが泣き止んだ後、四人は街中へと向かった。街と言っても右を見ても左を見ても瓦礫だらけの廃墟のような景色に変わりはない。住民達はそんな気が遠くなるほど無数に散らばっている瓦礫を片づけている。まずはこの瓦礫をどうにかしない事には次のステップには行けないのだ。

 そんな状態だというのに、人々の表情は明るい。そこかしこで笑い声がし、皆が協力し合って大きな瓦礫などを撤去する。子供達も小さな瓦礫を拾っては父親の所へ持って行く。

 家や財産を亡くしたとは思えない程、人々は明るかった。その光景に驚きつつも、大変救われた。街全体が暗い雰囲気に包まれていたら、それこそ神経が持たない。

 四人が全員ハンターという事もあり、人々は気軽にあいさつをしてくれる。何とも強い街だ。

 街に所属するハンター達が文字通り命を懸けて自分達を救ってくれた。その想いが彼らを突き動かしているのだろう。

 犠牲は決して少なくはないが、残されたものは多い。人々に笑顔がある限り、ヴィルマは姿形が廃墟になろうと、街が死ぬ事は決してない。

 そんならしくもない事をクリュウが考えていると、グイッと腕を引かれた。驚いて振り返ると、そこには道中ずっと手を繋いでいた(繋がされていた)サクラがジーッとこちらを見詰めている。

「ど、どうしたの?」

「……お腹空いた」

 そう言って、サクラはくぅとかわいらしい腹の虫を鳴かせる。その音にクリュウは小さく苦笑した。

「そういえばもうそんな時間だよね。でもまぁ、街全体が食糧不足のようなものだからね、贅沢は言ってられないよ」

「そうですよサクラ様。不謹慎な発言は控えてください」

「……私の辞書に《不謹慎》の三文字はない」

「ずいぶん我が道を突っ走った辞書だな」

 サクラの見事な天上天下唯我独尊絶対自分至上主義的発言に苦笑しながら、シルフィードは辺りを見回す。

「……大きな声では言えんが、携帯食料なら護衛任務で支給された奴がまだ残っているぞ」

「……私も大きな声では言えませんが、長旅を想定してこんがり肉を全員分確保しています。生肉と高級肉焼きセットもバッチリです」

「……何だかんだ言って、君達も不謹慎だよねぇ」

 苦笑しつつも、自身も空腹状態なのは変わりはない。クリュウは小さく苦笑すると「天幕(テント)に行こうか。もう荷物も運び終わっているだろうし」と三人を促す。

「そうだな。ここにいても私達は邪魔になるだけだしな。早々に退散しよう」

「そうですね──と、その前に……一体いつまでクリュウ様の腕を独占してるんですかサクラ様ッ!」

 ここでついに今までは彼女の心境を考慮して大目に見ていたフィーリアがブチギレた。キッと睨む先には当然の事をしているだけだと言いたげに堂々とクリュウの腕にしがみ付くサクラ。

「……何?」

「何じゃありませんッ! いい加減クリュウ様から離れてくださいッ!」

 ブチギレるフィーリアに対し、サクラは「……なぜ?」と言いたげな表情を浮かべつつ小首を傾げる。その常軌を逸するような冷静さは、フィーリアをさらに激怒させる。

「ムキーッ!」

「お、落ち着けフィーリア。サクラに正攻法が通じない事は今に始まった事じゃないだろ」

 激しくイラ立つフィーリアをシルフィードが冷静に宥める。すっかいこの立ち位置にも慣れたものだ。

 一方、フィーリアの文句を物ともしないサクラは平然とクリュウの腕にしがみ付いたままだ。そんな彼女のスキンシップに対し、クリュウは苦笑い。

 美少女に抱きつかれているという事で周りの注目を惹いてしまっている状況に対する恥ずかしさといつも通りなサクラに安堵するのと、その内心は複雑だ。

 そんなワイワイと騒ぎながら一行は知らず知らずのうちにその場所に足を踏み入れていた。

「おい、あれは……」

 最初に気づいたのはシルフィードだった。彼女の真剣な声に残る三人もその視線を追い、体を強ばらせる。

 ──そこにあったのは、王冠を奪われた王の亡骸であった。

 燃えるような真っ赤で勇ましい翼に、高熱の炎が発する紫色の炎に似た色の鱗に全身を覆われ、王というに相応しい立派な炎を象徴するかのような真っ赤なたてがみ。

 その大きさは空の王者と呼ばれる火竜リオレウスよりも一回りほど大きい。何より驚くのは、その強靱な四足。

 飛竜は後足と翼へと発達した前足で構成される。火竜リオレウスや鎧竜グラビモス、角竜ディアブロスであっても例外はない。

 しかし、古龍観測所の発表によると古龍に類別されるモンスターは全て四本足であり、その多くがさらに前足の進化とは関係のない別の進化を遂げた翼を持っている。例外としては以前カルナスを崩壊させた老山龍ラオシャンロンには翼はないが、彼もまた四足という前提に当てはまる。

 教科書でしかその存在を知る事のできなかった自然が生み出した最強の驚異──古龍。

 そのうち、古龍四天王とも称される一角を担うのがこのヴィルマを壊滅させ、多くのハンターの命を奪い、討伐され、今こうして自分達の目の前で横たわっている──炎王龍テオ・テスカトル。

「これが、テオ・テスカトル……」

 初めて見る古龍の姿に、クリュウはぞくりと背筋が凍るのを感じた。死して尚、彼の王の放つ絶対的な存在感と圧迫感は消える事はない。まるで自分のような小物などが近づく事すらも許されない、そんな気が起きてしまう程に王の威厳は絶対だった。

「本当に、四足なんですね……」

 クリュウと同じくこの面子の中では初めて古龍の姿を間近で見たフィーリアはその書物でしか知らなかった姿に驚く。テオ・テスカトルはその強靱な四足を使って陸の女王とも呼ばれる雌火竜リオレイア以上に突進力に優れている。半信半疑だったが、この強靱な、しかも四本の足を見ればそれも頷ける。そして、その事実に背筋が冷たくなった。

 古龍四天王の一角、風翔龍クシャルダオラとの交戦経験があるシルフィードは四足という飛竜などと違うか体つきには驚かないが、やはり初めて見るモンスター、それも古龍となると表情も険しくなり、真剣な瞳で横たわるテオ・テスカトルの亡骸を見詰める。

 そして、このテオ・テスカトルに師を殺されたサクラの表情もまた険しい。憎悪、畏怖、殺意、困惑、驚愕、それら全ての感情が入り交じったかのような複雑な瞳でその亡骸を見詰める。

 辺りを見回すが、先程まであった住民の姿はない。誰もが死して尚恐怖を抱かせるような圧倒的な王に近づこうとしないのだろう。

 ギリッ……

 そんな音にクリュウは振り返り、凍り付いた。そこには歯軋りするサクラが立っていた。その表情は常の無表情からは想像もできないような憎悪に歪み、瞳には明確な殺意の炎が燃え盛っている──普段決して見る事のできない、本気で憤激するサクラの表情。それに気づいた他の二人も驚きのあまり言葉を失っていた。それこそ、テオ・テスカトルを初めて見た時よりも驚愕が大きい。

「さ、サクラ……」

 刹那、サクラは背負った太刀、鬼神斬破刀の柄に手を伸ばす。その光景に慌ててクリュウが止めようとした時、そんな彼のすぐ横を何かが高速で通り抜けた。

 ドンッと鈍い音に振り返ると、倒れたテオ・テスカトルの横にコロコロと石が転がっていた。

「人殺しッ! 父ちゃんを返せよ化け物ッ!」

 振り返ると、そこには男の子が幾つかの石ころを握り締めて立っていた。その表情は純真無垢な子供には不釣り合いな憎悪に歪み、瞳からは涙が溢れ、でも殺気に満ちた瞳は憤怒の対象から目を離さない。

「何だよッ! 何なんだよッ! オイラの街を滅茶苦茶にして、父さんまで殺して……ッ! 一体オイラ達が何をしたって言うんだよッ! 何でこんな事したんだよッ! 何とか言えよ化け物ッ!」

 怒鳴り散らしながら、少年は石ころを何発も何発もテオ・テスカトルの亡骸に投げつける。だが、すでに命を失った彼に何を言っても無駄だし、答えもない。そもそも生きていたとしても人と話す事はできない。だが、そんな不謹慎で野暮な事は決して口が裂けても言えない。少年は普通にこのヴィルマで家族と暮らしていただけなのに、突然その全てを奪われた。その激しい怒りを、ぶつけられる相手と言ったらその張本人であるテオ・テスカトルくらいなのだ。

「人殺しッ! 化け物ッ! このこのッ!」

 少年は泣き叫びながら石ころを投げまくる。そんな彼の背後から慌てた様子の女性が駆け寄り抱き締めた。きっと彼の母親なのだろう。

 怒りが収まらず暴れる子供を抱き抱え、母親はクリュウ達に気づくと深々と一礼してそそくさとその場を後にした。

 残されたのはクリュウ達とテオ・テスカトルの死骸だけ。不気味な静けさが、辺りを包み込む。

「……ごめんなさい。冷静さを失ってたわ」

 寸前まで爆発一歩手前だったサクラは静かにそうつぶやくと、柄に伸ばしていた手を引っ込める。それを見てクリュウは心の中でほっと安堵の息を漏らした。

 殺気に染まった瞳はいつも通りガラス玉のように透き通り、小さく苦笑を浮かべながらクリュウを一瞥する。

「……亡骸に怒りをぶつけても、何にもならないわね」

 その言葉に、クリュウは何も返せなかった。それは倒したモンスターには敬意を払いその魂が成仏できるよう祈っている自分に対する配慮であった。もしも亡骸を痛めつけるような行動を取れば、それはクリュウの信念に背く事になる。サクラはそれを嫌って刀から手を離した。それがわかっているからこそ、クリュウは何も言葉を返せなかった。

 確かに亡骸を痛めつけるのは自分の信念に反する。だが、テオ・テスカトルに師を奪われたサクラの心境を思うと、その信念が乱れる。そして、そんな信念の為に怒りの矛先を失うしかないサクラの悲痛な姿に、胸を痛める。

「サクラ、ごめんね……」

「……気にしないで。私はクリュウの信念には賛成している。だから、これは私の意志。クリュウが謝る事は何もない」

「でも……」

 続けようとするクリュウを拒絶するように、サクラは背を向けた。クリュウはそれ以上何も言う事はできず、沈黙する。

 クリュウとサクラ、チームでも随一の仲の良さを誇る二人が気まずそうに黙ってしまい、フィーリアも掛けるべき言葉を失ってしまっている。

 一行の間に気まずい沈黙が降りたその時、突然グゥ……と小さな音が無音の世界にひどく良く響いた。驚いて振り返ると、そこには赤面して自分の腹を押さえたシルフィードが立っていた。

「す、すまない。腹が減ってしまって……」

 恥ずかしさに顔を真っ赤にさせて狼狽するシルフィードの姿をしばし三人はポカンと見詰めていたが、まずはクリュウが噴き出した。

「もう、シルフィードは」

「す、すまない……」

「でも私ももうお腹ペコペコです。早く戻ってご飯にしましょう」

 それをきっかけに話題を取り戻したクリュウとフィーリアは笑いながら言葉を繋げる。シルフィードもまた顔はまだ赤いが、いつも通りに戻った雰囲気にほっと胸を撫で下ろす。

 一方、いつもの調子を取り戻す三人に対しサクラは無言を貫いていた。元々こういう状況でもあまりしゃべらない子なのでそれが異変の沈黙なのかいつもの沈黙なのかは判断できない。だが、

「……そうね」

 小さな、本当に小さな笑みを口元に浮かべてそう言ったサクラ。

 明確な理由や証拠がある訳ではない。でも、友人として、仲間としての勘が《大丈夫》だと告げていた。

「じゃあ、行こうか」

 そう言ってクリュウはそっとサクラに右手を伸ばす。その手をサクラは一瞬驚いたように見詰めていたが、フッと小さな微笑を浮かべて握る。

「サクラ様ばっかりずるいですぅッ!」

 まるで小さな子供のように拗ねながら駄々を捏(こ)ねるフィーリア。クリュウは少しだけ逡巡した後、サクラにそうしたように左手を差し伸べた。すると、フィーリアはおもちゃを貰った子供のように大喜びして握る。

 右手にサクラ、左手にフィーリアを繋ぎ、クリュウは小恥ずかしくも手を伝って感じる二人の温もりに小さな笑みを浮かべた。

「まったく、君達は……」

 一人、シルフィードだけは小さく肩を竦ませて「さっさと行くぞ」と先頭を歩く。その後ろを慌ててクリュウが続き、そんな彼の両手にはそれぞれサクラとフィーリアがしがみ付いている。先頭を歩くシルフィードが時折振り返り羨ましげにクリュウの手を盗み見ている事は秘密だ。

 信頼できる仲間と愛しの人に囲まれながら、サクラはそっと小さな、でも満面の笑みを浮かべていた。

 

 天幕(テント)に戻った一行はすぐに食事の用意を始める。用意と言ってもこんがり肉を肉焼きセットを使って温め直したり、保存用の乾燥野菜を水で戻し、こんがり肉のスライスと一緒に茹でた野菜スープを作る程度。後は保存用のパンを添えるだけ。すぐに用意が整い、四人は小さなテーブルを囲んで食事を開始する。ちなみにクリュウの横はサクラが陣取り、クリュウの正面にはフィーリア、その隣でクリュウからは対角線上の場所にシルフィードが腰掛ける。これが三人(主にフィーリアとサクラの間)での妥協点の席順だ。

「いただきます」

 クリュウの掛け声を合図に三人も手を合わせ食事が開始される。簡単な料理しか並んでいないが、こんがり肉はフィーリアの特製だし、スープはクリュウが味付けをしている事もありどれも美味だ。まさにシンプルイズベスト。

 適当に話題を振って楽しげに談笑しながら食事を進めていると、ふとクリュウが手を止めた。

「どうした?」

 シルフィードがパンをかじりながら問うと、クリュウは小さくため息を漏らした。

「ヴィルマの人達は一日の食事も危うい状態なのに、僕達がこんな物を食べてていいのかなって……」

「お気持ちはわかりますが、私達が護衛した支援物資には当然食糧が含まれているはず。質素な物には違いないですが、食事自体は十分配給できると思います」

 確かにフィーリアの言う通りだ。自分達が無事に物資を輸送した事により、短期的とはいえ食糧問題はこれで解決するはず。クリュウが言うような深刻な状態ではない。

 だが同時に、支給されるのは携帯食料や水などの必用最低限の物ばかり。栄養バランス重視で味は簡素で今自分達が食べている物よりも豪勢さはさらに劣る。

「我々はハンターだ。依頼はないとはいえ、もしも先日のイーオスの残党を始めとしたモンスターがこの街に攻め行って来た場合はこれに応戦する必要がある。その時に備えて腹を満たすのだから、食べ応えのあるものでないといかん。それに、私達が持っている食糧など四人で数日分だ。ヴィルマにはそれこそ何百人と難民がいる。どの道これを配ろうと考えてもとてもじゃないが量が足りない。無駄口は叩かず、今は戦に備えて腹を満たせ」

 そう言ってシルフィードはスープをすする。言い方はキツイが、彼女が言う事は全て正論だ。自分達の食糧は少な過ぎて話にならない。改めて突きつけられたその現実にクリュウは静かに落胆した。

 理想主義のクリュウと、現実主義のシルフィード。いくら仲が良い二人でも根本的な主張の違いがあり、それは決して相容(あいい)れる事はない。二人の間には決定的なまでに踏んで来た場数の違いがあるのだ。

「そう、だよね。ごめん、変な事言って」

「いや、私の方が大人げなかったな。すまない。だがこれだけは理解してくれ。現実的には君の考えは不可能だが──私はそんな君の考え方は嫌いではない」

 そう言ってシルフィードは静かに笑った。その笑顔にクリュウもまた「ありがと」と礼を言いながら小さく笑みを浮かべた。

 そんな二人の様子を見てフィーリアは嬉しそうに笑みを浮かべると「スープおかわり持ってきますね」と気を利かせてくれる。シルフィードは「すまない」と言ってカップを渡し、クリュウは「僕はもういいや」と言って断る。

「サクラ様はおかわりなさいますか?」

 フィーリアは今も尚ずっと沈黙を続けているサクラに問う。サクラは無言で首を横に振って拒否の意を示し、フィーリアはシルフィードと自分の分を鍋から取り出してカップの中に入れる。まだ作りたてだけあって湯気が立ち上り、おいしそうな匂いが鼻を通り食欲を刺激する。これに少し胡椒を入れるのもまたうまい。

「シルフィード様どうぞ」

「あぁ、すまないなフィーリア。ありがとう」

 いつもと変わらないやり取り、いつもと変わらない食事、いつもと変わらない光景。だがここは被災地であり、天幕(テント)から一歩外に出ればそこには廃墟が広がっている。そう思うと、こうしていつもと変わらぬ日常を送っている自分達がどうしても不謹慎に見えて仕方がない。一歩外に出れば、突然非日常の世界に放り投げられた人々が何百人といるのに。その想いが、どうしてもクリュウは心の底から抜け切れなかった。

「……ごちそう様」

 クリュウはまだ自分の取り分が残っているにも関わらずフォークと置いた。どうにも食事がのどを通らないのだ。

「クリュウ様、もうよろしいのですか? まだ残っていますのに……」

「……うん。何か食欲が沸かなくてね。ちょっと散歩にでも出て来るよ」

「あ、クリュウ様……ッ」

 フィーリアが慌てて呼び止めるが、クリュウは無言で天幕(テント)から出て行った。残されたのは三人の少女達と彼の残した食事だけ。

「……クリュウには少々この現実は辛かったのかもしれんな。良くも悪くも、私達は経験上こういう場数も踏んではいるが、彼は違う。この現実とは思えない現実を受け入れるのには、もう少し時間が掛かるのかもしれんな」

 静かにシルフィードがそう言うと、二人は小さくうなずいた。クリュウは自分達とは違いまだ経験や踏んで来た場数が未熟過ぎる。決して自分達の事を過大評価しているのではなく、事実を言っているに過ぎない。

 クリュウはリオレイアを単独で狩る力はまだないし、ラオシャンロンやクシャルダオラとの交戦経験もない。女子陣三人とクリュウとの間にはまだ大きな差があるのは事実に変わりない。

「クリュウ様……」

 フィーリアはクリュウが残した料理を片づけながら彼が出て行った天幕の入口を見詰める。彼がこうしている間にも戻って来てくれる事を願ったが、それは叶う事はなかった。

 サクラもまた無言で彼が座っていた席を見詰め、シルフィードは静かにスープをすすった。

 

 天幕(テント)から出たクリュウは一人で再び街の中を当てもなく歩いていた。

 廃墟と化した街並みが続く道をゆっくりと歩いていると、瓦礫を載せたリヤカーを引く親子とすれ違った。向こうが丁寧に頭を下げて来たのでクリュウも慌てて頭を垂れる。その後も人とすれ違うたびに頭を下げられ、クリュウは何とも言えない微妙な気分になった。

「……マントでも羽織って来れば良かったな」

 ドンドルマのようなハンターが大勢いる大規模な街や、イージス村のような見知った人しかいない小さな村と違い、ヴィルマは初めて来る中規模都市。それもハンター数名が今回のテオ・テスカトルとの戦闘で戦死している。そのせいかただでさえ目立つハンターの防具姿がより目立って仕方ないのだ。せめてヘルムを被ってれば良かったのだが、レウスヘルムは天幕(テント)の中に置いて来てしまった。

 クリュウは自分の浅はか過ぎる無計画な行動を反省しつつも、ついさっき出て来たばかりの天幕(テント)に戻るの気も起きず、結局はそのまま当てもなく街中を放浪する。

 周りを見れば人々が復興作業に勤しんでいた。復興と言ってもまずは半壊、もしくは全壊した家の瓦礫の下から自分の私物や私財を確保したり、倒壊しそうな建物を崩したり、飛び散った瓦礫の除去など。復興以前の段階だ。

 こういう災害時には当然と言ってもいい程火事場泥棒とも言うべき者が現れる。倒壊した人の家の瓦礫の下から勝手に私財などを盗む者がその多くだ。現在は臨時の自警団を中心にエミルなどのギルドハンターの指揮の下で警戒や監視を行っている。

 災害当時に比べればずいぶん沈静化したが、まだ混乱は続いているのが現状だ。

 右を見ても廃墟、左を見ても廃墟。前後も廃墟が続く光景にクリュウは頭が痛くなった。その全てがクリュウの知っている常識とは懸け離れる過ぎていて理解が追いつかなかった。

 一つの街がたった一日で壊滅的打撃を受けて崩壊し、大勢の難民を出してしまう。そんな事実が、信じられなかった。

 家一件建てるのにも何ヶ月も掛かる。街なんてその集まりだから、ヴィルマのような街が生まれるまでにはそれこそ何十年という年月を要する。なのに、それが壊れるのはたった一日。人々が積み重ねてきたものが、たった一日、たった一頭のモンスターによって壊されてしまった。

 理解しろと言われてもできっこないし──行き場のない憤りが胸を熱くする。

 サクラはカルナスで、シルフィードは故郷の村で、フィーリアも詳しくは知らないがどこかの街か村で同じような光景を見ている。だからあんなにも冷静でいられるのだろうか。だとしたら、彼女達も初めて目撃した時は自分と同じような気持ちを感じたのだろうか──否、きっと自分のそれよりもずっと辛かっただろう。特にシルフィードは両親と弟を、サクラも元チームメイトを一人失っているし、今回も自分の師匠と言うべき人を亡くしている。その辛さは自分とは比べ物にならない。

 ──技術も経験、自分はあの三人に比べてあまりにも未熟過ぎる。今回の事でクリュウはその事実を改めて痛感した。

 そんな鬱(うつ)な事を考えながら歩いていると、少し離れた場所に小さな茶髪のお下げをしたかわいらしい女の子が一人で瓦礫の中から何かを引っ張り出そうとしているのが見えた。それ自体は同じような光景を何度も見ているので別段気にならなかったが、クリュウの視線は少女の引っ張り出そうとしている物の上に積み上がった瓦礫だった。元は家だったのだろうが、今では危険に積み重なった瓦礫の山だ。その脆さは少女がその下敷きになっているものを引っ張り出そうとするたびに震えている事が証明していた。

 嫌な予感がしてクリュウが声を掛けようとした刹那、ついに耐え切れなくなった瓦礫が音を立てて崩れ出した。少女の背丈よりもずっと高い場所からボールくらいの大きさの瓦礫が少女に向かって崩れ落ちる。

 崩れる瓦礫に少女が悲鳴を上げて座り込んだ直後、狩場で鍛えた脚力を生かしてあっという間に少女の前に回り込んだクリュウは構えたオデッセイの盾でボール程の大きさの瓦礫を弾き飛ばした。続けて拳程の大きさの瓦礫が数個落ちて来たが、クリュウはそれを全て盾で防ぎ切った。

「ふぅ……」

 盾を下ろして一息ついた後、クリュウは足下に座り込んで涙目になっている少女を見た。どうやら瓦礫は一個も彼女には当たっていないようだ。ほっと胸を撫で下ろすと、そっと少女に向かって手を伸ばす。

「大丈夫? 怪我はない?」

 クリュウの問い掛けに少女はビクッと震えた後、恐る恐るとうなずいた。

 クリュウは「そっか」と笑顔で返すと、少女が引っ張り出そうとしていた物を見た。瓦礫に埋もれていて一部しかわからないが、どうやらそれはぬいぐるみらしい。

「危ないからここで待っててね」

 クリュウはそう言うとぬいぐるみを掘り出し始めた。少女には重くてどかせない瓦礫も、見た目こそ少女に見えなくもないが一応十六歳の男子のクリュウの腕力があれば何とかどかす事もできた。数分後、クリュウは少女のぬいぐるみ──かわいらしくデザインされたリオレウスのぬいぐるみを少女に渡した。

「はい、どうぞ」

 クリュウがぬいぐるみを手渡すと、少女はクリュウと出会って初めて笑顔を浮かべた。ギュッとぬいぐるみを大切そうに抱き締め、キラキラとした純真無垢な瞳でクリュウを見詰める。

「ありがとうお姉ちゃんッ!」

 ──刹那、勢い良くクリュウがずっこけたのは言うまでもない。

 

「ご、ごめんなさい」

「いいよ。たまにこうやって間違われるから慣れてるし。とりあえず、わかってもらえればいいよ」

「う、うん。じゃあもう一回──ありがと、お兄さん」

「どういたしまして」

 少女の誤解を訂正し、クリュウは今度こそ一息ついた。

 瓦礫の下にあったせいで少々薄汚れてしまったリオレウスのぬいぐるみを、少女は大切そうにしっかりと抱き締めている。よっぽど大切な物だったのだろう。無事で何よりだ。

「お兄さん、ハンターさんなんだぁ」

 少女の方を見ると、彼女は自分の装備を見て目を輝かせていた。子供にとってはハンターというのは正義の味方というイメージが強いのは自分も昔はそうだったのでわかっている。クリュウはそっと微笑んでうなずいた。

「そうだよ。と言っても、僕はドンドルマから送られて来た外部のハンターだけどね」

「そうなんだぁ。えへへ、ご苦労様」

 そう言って少女は無邪気に微笑んだ。クリュウは少女のそこ抜けた明るさと優しさに微笑みつつも、内心は複雑な心境だった。

 街付きのハンターは命懸けでテオ・テスカトルと戦い、先行したジンとシィは恐らくその討伐戦に荷担しているはず。それに対し自分は食糧などの物資運搬の護衛という難易度がグッと低い慣れたような依頼でここに来た。

 少女は家やたくさんの宝物を失った。辛い状況にいるはずなのに、こうして自分に労いの言葉を向けてくれる──彼女の労いの言葉に報いれるだけの事を、自分はしているだろうか。そんな疑問が心にチクリとトゲとなって突き刺さる。

「それ、レウスシリーズだよね。かっこいいなぁ」

「そうだよ。詳しいんだね……えっとぉ」

「サラ。私の名前はサラ・ブヴァルディアだよ、よろしくね」

 そう名乗り、少女──サラは無邪気に微笑んだ。名前を教えてもらい嬉しくはあるが、知らない人には無闇に名乗らない方がいいと後で注意しようと心に決める。

 名乗られたからにはこちらも礼儀として名乗らないといけない。例え子供相手でもその辺の礼儀は変わらない。

「僕はクリュウ・ルナリーフ。見ての通りのハンターだよ」

「クリュウお兄さん……うん、やっぱりお兄さんの方が呼びやすいや。このままでもいい?」

「もちろん」

 そう答えるとサラは嬉しそうに微笑み、改めてクリュウのレウスシリーズを興味深げに見詰める。

「すごいなぁ、こんな身近にレウスシリーズを見れるなんて夢みたい」

「サラちゃんはリオレウスとかレウスシリーズが好きなの?」

「うんッ。私ね、夢があるんだ。いつかハンターになって、リオレウスと戦って、レウスシリーズを手に入れて、もっと高い所を目指す。この街を守れるくらい──ううん、世界中の人を守れるようなハンターになりたいの」

 そう無邪気に自分の夢を語るサラを、クリュウは微笑ましげに見詰めていた。昔の自分も彼女のように無邪気にそんな大層な夢を掲げて、そこに向かってひたすらに突っ走っていた──何だか、昔の自分を見ているみたいだ。

「それにしても、女の子なのにハンターになりたいなんて珍しいね。何か理由があるの?」

「うんッ。あのね、昔おばあちゃん家からの帰りに商隊の人と一緒にここに帰って来る途中、ランポスの群れに襲われたの。その時、護衛してくれていた女のハンターさんが守ってくれたんだ。すごいんだよッ。まるで飛んでいるみたいに速くて華麗で、近づくランポスを細長い剣で次々に薙ぎ倒したの。ランポスの数は商隊の人数よりも多いくらいだったのに、その人は一匹たりとも竜車には近づけなかった。私、その時決めたの。いつかあの人みたいなハンターになって、私みたいな子供を守りたいって」

 嬉しそうに理由を語るサラの姿は、やっぱり昔の自分と重なる。父の姿に憧れ、凄腕のハンターになると夢を持っていたあの頃の自分に──まぁ、今では現実はそんな甘くないと身近で痛感してはいるが。

「ねぇ、今度はお兄さんの話を聞かせて」

「僕の?」

「うん。そうだなぁ、じゃあやっぱりリオレウスとの戦いのお話がいいッ」

 キラキラと目を輝かせながら言うサラのお願いに、クリュウは苦笑しながらうなずくしかなかった。この純真無垢な瞳を見て断れる奴がいたら目の前に連れて来てほしい。

 仕方なく、クリュウはリオレウスと初めて戦ったあの戦いの話をする。正直、かなり自分の恥を暴露するような話だが、サラの純粋な好奇心に満ちた爛々と輝く瞳の前にウソを言う訳にもいかず、結局正直に話す事にした。

 

 太陽がすっかり下り、山の間から覗くように大地を暁色に染め上げる。廃墟と化したヴィルマの街並みも同色に染まり始めた頃、クリュウはサラの手を繋ぎながら街の大通りを歩いていた。ここはこの街のメインストリートであるが正式な名称はなかった。しかし後に今回の事件を機に街を救った英雄の一人の二つ名を取り、この大通りは灰狼通りと呼ばれる事になる。

 そんな道を、二人は夕日に照らされながら歩いていた。

「こっちでいいんだよね?」

「うんッ。こっちこっち」

 クリュウの手を掴んでこっちこっちと嬉しそうに引っ張るサラ。今クリュウはサラを親の下へ無事に届けようと彼女の両親がいる避難所に向かっていた。

 サラと出会ったのはまだ日が高かった頃。すっかり日も高くなってしまっている上に、こんな治安状態も混乱の中にある街中に子供一人を放流できる程クリュウは薄情ではない。

 フィーリア達が心配しているかもしれないが、事情を説明すれば問題ないだろう。そう結論づけてクリュウはサラに手を引かれるまま歩いていく。 

「今日は色々とありがと、お兄さん」

 遠くに避難所が見えた所で突然サラが振り返って言った。クリュウは「どういたしまして」と笑顔で返す。

「リオレウスの話も聞けて嬉しかったッ」

「恥を披露したような話だけどね」

 苦笑しながらクリュウが言うと、サラは「ううん、とってもかっこ良かったよ」と満面の笑顔でそう言った。

「やっぱり私、ハンターになるッ」

「うーん、僕的にはおすすめできないなぁ。結構辛くて大変だよ? それに、サラちゃんは女の子なんだからもっとそういう方面の夢でもいいと思うけど」

「お兄さんの仲間は女の人ばっかりなのに」

「まぁ、彼女達は例外というか、僕以上にハンターというか、比較対象にする事自体が間違っているというか」

「それに、お兄さんだって女の人みたいな顔だよ?」

「……子供の純粋さって、時にどんな刃物よりも鋭く胸を抉るよね」

 若干傷つきつつも、サラの幼いからこその真っ直ぐさには何かと救われる。今日一日でかなりの非現実さを痛感したクリュウにとっては、サラの純粋さが何よりも心を支えてくれた。

「えへへ、お兄さん。また明日も会ってくれる?」

「うーん、まぁ大丈夫だと思う。少しの間この街に滞在する事になりそうだし」

「そうなんだッ。じゃあ一緒に避難所に行こうよッ。私お兄さんと一緒がいいッ」

「いや、それは勘弁。仲間を待たしてるからさ」

「えぇ~。つまんな~いッ」

「ごめん。また今度ね」

 さっきまでの笑顔はどこへやら。すっかりふて腐れたように唇を尖らせて石ころを蹴るサラ。クリュウは苦笑しながらもこればっかりはどうしようもないと「ごめんね」と繰り返す。するとサラは振り返り、

「じゃあお兄さん、そこに屈んで」

 なぜか腰に手を当て、もう一方の手で自分の前を指差す。クリュウは素直に従って「こう?」と屈んでみる。

「──お兄さん、大好き」

 そう言って、サラは自分と同じ高さくらいになったクリュウの頬にチュッと唇を当てた。驚くクリュウにサラは頬を赤らめながら「えへへ」とはにかんだ。

「ママに教わった大好きな人に感謝の仕方だよ。お兄さんが初めてだぁ」

「あ、ありがと……」

 突然の事に頬を赤らめながら戸惑うクリュウ。相手が自分よりも年が半分程の少女だという事実を忘れてしまうくらいの狼狽だ。

 とりあえす頭でも撫でておこう。そう思いながら手を伸ばす──寸前、それを遮るように猛烈な勢いで何かが地面に突き刺さった。

「どわッ!?」

「キャッ!?」

 二人して突如として飛来し、地面に突き刺さった物を凝視する。それは一本の刀だった。クリュウはなぜかその刀にものすごく見覚えがあった。そして、冷や汗ダラダラでぎこちなく振り返り、凍り付いた。

 ──少し離れた所、全力投擲をした後と思しき構えをしたサクラが立っていた。その背後にはフィーリアと知るフィードの姿もある。

「さ、サクラ……ッ。それにフィーリアとシルフィまで」

 驚きのあまり狼狽するクリュウ。一方、女子三人は静かだった。正確に言えば、無言でものすごい圧迫感と殺気を吹き荒らしているのだが。

「クリュウ……、人の趣味にあれこれ言うのは野暮だとはわかってはいるが、さすがにそれはヤバイぞ。国や地域によっては犯罪だし、道徳的にも……」

 若干引きながらも、精一杯の優しさで真っ当な道へと誘うシルフィード──確実に彼女の中で自分の評価が猛烈な勢いで急降下し、尚且つものすごい誤解が生じている。

「……残念です。クリュウ様のご友人が一人世界から消えようとしています」

 天使の微笑みを浮かべながらすさまじい事を言い放つフィーリア──だが、その瞳が全く笑っていない事に彼女の言動が冗談ではない事を悟った。

 そして愛刀、鬼神斬破刀を槍投げの応用で常識外れの全力投擲をしたサクラは……

「……遺言は聞いてやる」

「とりあえずフィーリアとサクラは落ち着いてッ! どっちも殺気が猛烈な勢いで溢れ出してるッ! それからシルフィもそんな道端のゴミを見るような目で僕を見ないでッ! 地味にそれが一番傷つくッ!」

 クリュウは突然の事に戸惑っているサラを守るように彼女の前に立って三人の暴走娘を止める。だがすでにサクラは攻撃態勢に入っているし、フィーリアもいつの間にかヴァルキリーブレイズを構えている。これ以上ない絶体絶命のピンチだ。

 この危機的状況をどう打破すればいいか。クリュウはかつてない程の勢いで様々な方法を考える。

 

 打破策その1

「いやぁ、目にゴミが入っちゃって」→あからさま過ぎて殺される。

 

 打破策その2

「ちょっとした事故なんだッ! 転んだ拍子にサラちゃんの唇が──」→やっぱり殺される。

 

 打破策その3

「えへへ、やっぱり小さな女の子はかわいいね」→肉体的な死と同時に社会的にも殺される。

 

 ……おかしい。全ての選択肢が最終的にはバットエンドに至ってしまう。何これ、結局死ぬの?

 クリュウは必死に思考をフル回転させるが、この状況を打破できるだけの策はなかなか浮かんで来ない。その間にもサクラとフィーリアの包囲網はさらに狭まって来る。

 そんな中、一番最初に冷静さを取り戻したのはシルフィード。状況を改めて見回して慌てて止めに入る。それを見て状況が幾分か好転したと見てほっと一息するクリュウ。

「ごめんねサラちゃん。怪我とかは──サラちゃん?」

 クリュウの問い掛けなど一切聞こえないという感じにある一点を見詰めて微動だしないサラ。その表情は驚愕一色に染まっていた。

「サラ、ちゃん?」

 彼女の視線を追うと、そこには地面に突き刺した鬼神斬破刀を回収するサクラが。

「……何?」

 サラの視線に気づいたサクラは不思議そうに首を傾げ、隻眼でサラとクリュウを交互に見る。

 サクラを凝視したまま固まるサラ。しばしの空白の後、彼女はつぶやくように言った。

「……ハンターのお姉さん」 


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