モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第110話 英雄の丘 サクラの新たなる決意

 イーオスとの戦いから二日後、その後は順調に進み続けた一行はついに中継都市ヴィルマに到着した。そして、その被害の激しさに隊員だけでなくクリュウ達も愕然とした。

「な、何だよこれ……」

 つぶやくように言ったクリュウの視線の先には瓦礫と化した街並みだったものが広がっていた。大通りに隣接するように建つ店らしき建物はそのほとんどが全壊もしくは半壊という状態。奥にもまだ街並みは続いているが、一見する限りでは全てが瓦礫と化している。

 鼻に突くのは焦げ臭さ。まるで街全体が焼却されたように瓦礫の大半は煤焦げ、焦げ臭さが漂っている。

 これが炎を操る古龍、炎王龍テオ・テスカトルに襲われた街の被害の規模の大きさであった。それも複数ではなく、たった一頭のモンスターによるもの。その圧倒的なまでの力と被害の大きさは、ある程度予想していたクリュウ達のその予想を遙かに上回るものであった。

 数日前まではきっと街の中枢として人々で賑わっていた大通りも、今では瓦礫の山や大きく開いた穴などのせいで見るも無惨な姿に変わり果てていた。

 災害から日があまり経っていないという事もありまだ瓦礫などを所定の場所に運搬する段階。地面に開いた穴には砂を積めて荷車の運搬ができるよう最低限の事はしなきゃいけないし、大通りは最優先で瓦礫の撤去や倒壊の可能性のある建物を除去など、問題は山積状態だ。

 だが人々が一丸となって街の復旧に当たる姿は、あまりの被害の大きさに呆然としているクリュウ達に大きな希望を抱かせた。

「まさかこれほどの被害だとはな……」

 シルフィードは壊れた街並みを見回し眉を曇らせながらつぶやいた。フィーリアも「ひどいですね……」とその被害の大きさに胸を痛めるようにしてつぶやく。

 一人、サクラだけは無言でその街並みを見詰めていた。ただ、その瞳は悔しげに鋭く細まっている。

 目の前の光景に呆然としている四人に対し、支援隊の隊員達はすぐに正気を取り戻し、シルフィードに「野営陣地に向かいます」と報告し、再び出発の準備を整える。

「野営陣地?」

「どうやら建物の被害が多く、復興指揮所は街外れの丘に陣地を築いているらしい。今からそっちに行くそうだ。私達も向かうぞ」

 シルフィードの指示に従い、クリュウ達は崩れた街並みにひとまず別れを告げ、再び竜車に乗り込む。

 街中の道の大半は竜車が何台も通れるような状態ではなく、支援隊は一度街から出てその外周を回るようにして街のほぼ裏手にある復興指揮所を備えた野営陣地に向かう。そこは簡易で建てられた天幕(テント)が複数置かれただけの簡易的な場所であった。

 支援隊の竜車はその一角に停まり、すぐに待機していた係員が隊員と一緒になって物資の積み卸しを始める。

 事実上この時点でクリュウ達の任務は達成された。支援隊の隊員はこのまま街の復興に当たり、竜車を引いていたアプトノスもまた復旧作業の貴重な馬力役となる。その為、帰りの護衛は免除されているのだ。

 物資を右から左へ運搬する人達を見守りながら、一応任務がひと段落してほっと胸を撫で下ろすクリュウ達。あとは支援隊の竜車一台が結果報告の為にドンドルマへ戻るのに一緒に乗って帰ればいいだけだが、どうやら街の被害が思っていた以上に深刻だった為、当初の予定よりも出発が遅れるらしい。隊員の話によると少なく見積もっても三日。場合によっては一週間程度掛かるらしい。

「それじゃ、それまで私達はどうすれば良いのでしょう? 街があの状態では宿場に泊まる事も叶わないでしょうし」

 予想外の宿泊にフィーリアが困ったようにシルフィードに問う。本来の予定では泊まるつもりもなかったので、当面の問題としては宿泊場所の覚悟が優先されるが、街の被害状況を見る限り難しそうだ。

「とりあえず指揮所の関係者に相談して適当な場所を確保してもらうしかないな。なぁに、こっちは支援隊の護衛という名目で来ているんだ。天幕(テント)の一つくらいは借りられるだろう」

 そう言ってシルフィードは一人指揮所の天幕(テント)に向かって歩き出す。

「あ、待って。僕も行く」

 その後をクリュウが追い掛け、さらにそんな彼を追ってフィーリアが「ま、待ってください~」と慌ててついて行く。だが、ただ一人サクラだけはその場を動かなかった。

 隻眼でじっとクリュウ達の姿が天幕(テント)の陰で見えなくなるのを見届けてから一人無言で三人が向かった方向とは違う道に歩き出した。

 

 指揮所の天幕(テント)は他の天幕(テント)と違い普通のものの何倍もの大きさで、中央にはギルドの紋章が描かれた旗がはためいている。

 シルフィードを先頭にその中に入り、クリュウとフィーリアもそれに続いて天幕(テント)の中に入る。外見通り中は結構広々としているのだが、所狭しにテーブルが乱雑に並べられ、その上には書類が山積みになっている為見た目的にはかなり圧迫感を感じる。その間をハンターズギルドの腕章をした人々が縦横無尽に世話しなく動き回っている。それだけでものすごく忙しいという事だけは見て取れた。

「あのさシルフィ。すごく今更だけどちょっと今はまずいんじゃない? みんな忙しそうだし」

「そ、そうですね。ここは一度出直した方が……」

「……確かに。仕方ない、改めて出直すか」

 指揮所の中の忙しさを前にしてクリュウ達は出直す事を決めて踵を返す。その時、

「何や、何か用か?」

 掛けられた声に驚いて振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。茶色のウェーブ掛かったセミロングの髪に好奇心に満ち溢れた子供のような目をしている。鮮やかな赤色の一見すると普通の服に見える制服を身に纏ってはいるが、クリュウ達ハンターはその制服には見覚えがあった──否、畏敬の象徴として知っているのだ。

 ギルドナイト。ハンターズギルドに忠誠を誓った特殊なハンター達の事だ。その仕事は新モンスターの生態調査や新狩場の生態系の調査などからこういった災害時の陣頭指揮、違法行為を行うハンターの逮捕、果てはギルドに敵対する者を闇の向こうに葬り去るなど、正直普通のハンターからはあまり好かれていない存在だ。

 当然、クリュウ達もギルドナイトの女性を見てあからさまに警戒心を露わにして身構える。そんな三人の反応にギルドナイトの女性は苦笑を浮かべた。

「そないに警戒せんといてぇな。別に取って食おうなんて考えてへんから」

「いや、すまない。つい条件反射でな」

「別に構わへんよ。慣れとるからなぁ──そんで、こないな所に一体何の用や?」

 女性は別にクリュウ達を邪険にするでも追い出すでもなく、明るい笑顔再度何をしに来たのかを問う。そんな彼女の問いに対しシルフィードが一歩前に出た。

「いや、我々は先程到着した緊急災害第二次支援隊の護衛をしていたハンターなのだが」

「おぉ、それはご苦労様やったな」

 女性は笑顔でクリュウ達を労う言葉を掛ける。シルフィードは「まぁ、仕事だからな」と素っ気なく答え、その続きを話す。

「本来ならばすぐにでも往復する竜車に乗ってドンドルマへ帰る予定だったのだが、どうやらその竜車の出発が遅れる事になったらしくてな、しばらくの間ここに滞在しなければならない。その為の宿を提供してほしいのだが」

「なるほどなぁ。大体の事情は把握したで。ちっと待ってて」

「あ、あぁ」

 女性は慌ただしく奥の方へ消えて行った。それを見送り、クリュウ達はほっと一息する。

「ふぇ、やっぱりギルドナイト相手では緊張しますね」

「全くだ。どうも私は彼らが苦手だな」

「そう? すごく優しそうな人に見えたけど」

 クリュウはそう言って小さく首を傾げた。相手を見た目で判断しないという彼らしい言葉に二人は小さく苦笑しながら己の器の小ささを恥じた。自分達はどうにも彼のように純粋に人を判断する事ができない。今まで生きて来た環境が違うとはいえ、これは彼の純粋過ぎる性格が大きな原因だ。そして、そんな純粋さを二人は尊敬し、そんな彼だからこそ惹かれるのだ。

 しばしの間待たされた後、先程のギルドナイトの女性が幾つかの書類を持って戻って来た。

「すまんすまん。部屋がごっつ散らかっとってな、引っ張り出して来るのに手間取ったわ」

「それは悪かったな。それで、どうだった?」

「天幕(テント)も結構パンパンでなぁ。せやけど何とか一件だけ天幕(テント)を確保したでぇ。滞在する間は狭くて悪いけどその天幕(テント)を使ってな」

 女性の言葉に三人はほっと胸を撫で下ろした。内心野宿になるのではないかという不安があったので、屋根のある宿を確保できた事に安堵したのだ。

 女性は続けて数枚の書類をシルフィードに手渡した。どうやら使用許可の降りた天幕(テント)までの地図と主な装備、避難誘導路や生活物資提供施設など必要な情報が記された書類のようだ。

「すまないな、苦労掛けて」

 頭を下げて感謝するシルフィードに合わせ、クリュウとフィーリアも頭を垂れた。それを見た女性は「気にすんなや」と笑い飛ばす。

「ライザさんは重要な第二次支援隊の護衛を赤の他人なんかに任さへんからな。あんたらもライザさんの知り合いなんやろ? そないな連中を悪いようにしたらウチがライザさんに怒られてもうからな」

 笑いながら言う女性の言葉の中に知った人の名前が出て来た事に三人は驚いた。

「あなたもライザさんのお知り合いの方なんですか?」

「せやでぇ。せやからウチがこの復興作業の陣頭指揮を任せられてるんや」

「陣頭指揮? 貴殿がここの現場監督なのか?」

 驚くシルフィードの問いに女性は「正確には上司がいるんやけどな。まぁ似たようなもんや」と苦笑を浮かべる。

「ギルドナイトドンドルマ本部所属、エミル・ラグナスや。よろしゅうな」

 女性──エミルはニカッと健康的な白い歯を見せながらチャーミングに笑う。口調こそアシュアに似ているが、雰囲気自体はライザに良く似ている感じの優しげな女性だ。

「あ、ご丁寧にどうも。フィーリア・レヴェリです」

 恭しく律儀に一礼するフィーリアを見て、エミルは「あぁ」とうなずいた。

「ふーん、あんたがあのレヴェリさんの妹か。噂には聞いてたけど、ほんま正反対な子やなぁ」

「あははは、良く言われます」

「……今更だけどさ、フィーリアのお姉さんってどんな人なの?」

 苦笑するクリュウに「いずれご説明しますよ」と同じく苦笑しながら言うフィーリア。そんな二人から視線を外し、エミルはシルフィードの方を見る。

「そんで、あんたは?」

「シルフィード・エアだ。世間的には《蒼銀の烈風》の方が知られているしがない大剣使いだ」

「ほぉ、あんたが……」

 シルフィードの装備を見てエミルは納得したようにうなずいた。どうやら噂通りの実力を持っているという事を装備で判断したらしい。そして最後に、クリュウを見る。

「って事は、あんたも結構な有名人なんか?」

「……この順番だと無意味にハードルが上がるよねぇ」

 クリュウだけでなく彼の言葉にフィーリアとシルフィードも苦笑を浮かべた。唯一エミルだけが会話の流れがわからず首を傾げている。

「僕はクリュウ・ルナリーフです。二人と違って二つ名もない凡なハンターですよ」

 自嘲気味(クリュウ自身は本当の事だと思っているが)に言うクリュウの言葉にすかさずフィーリアが「そんな事ないですよッ」とフォローを入れる。シルフィードも「そう自分を卑下するな」と苦笑する。いつもと変わらない三人のやり取りだ。

「……ルナリーフ、ねぇ」

 一人、エミルだけは先程までの笑顔を引っ込めて真剣な表情を浮かべてクリュウを見詰めていた。ジンと同じく、彼の名字の繰り返しながら……

「あれ? そういえばサクラは?」

 ここに来て今更ながらクリュウはサクラの姿が見えない事に気づいた。辺りを見回すも彼女の姿はない。

「そういえばそうだな。師を探しに行ったのだろう。まっったく、勝手な単独行動は控えるよういつも言ってるのに」

 そうは言うもののシルフィードは決して怒ってなどはいなかった。せっかく会えるのだから、

「あと一人、隻眼の人形姫という二つ名を持つサクラ・ハルカゼって子がいるんですけど……ちょっとどっかに行っちゃったみたいで」

「……ほんま、どんだけごっつ豪華な面子が揃ったチームなんや」

 エミルは苦笑しながら蒼々たる面々を見回す。ライザが送って来ただけあって、程度は違えど有名所ばかり。改めて彼女のの広さには驚かされる。

「あんたらのサポートも業務の内やな……しゃあない、なんかあったらうちに言ってなぁ。話聞いたるさかい」

「あ、ありがとうございます」

 明るく笑うエミルの言葉にクリュウは感謝しつつ、早速力を借りてみる事にした。この街の事は今し方来たばかりの自分達より先遣として数日早く到着している彼女の方が詳しいはずだし、もしわからなくても知っている人を紹介してもらおう。そんな期待を込めて、クリュウは本当に何気なく訊いたつもりだった。

「では早速ですみませんが、灰狼というハンターをご存じですか? できれば紹介していただきたいのですが……」

 ──だから、その瞬間エミルの表情が凍り付いた事に困惑してしまった。

「え? あ、あの……」

「あんたら、ゾルフさんの知り合いなんか?」

 なぜか声を震わせながら問うエミル。きっとそのゾルフという人が灰狼という人の名前なのだろう。

「あ、いえ。僕達は面識はありませんが、サクラの師匠がその人だって聞いたので」

「そう……」

 先程までの明るさは完全に姿を消し、エミルは沈痛の面もちを浮かべたまま無言となってしまった。彼女の突然の豹変に困惑するクリュウに対し、フィーリアとシルフィードはそんな彼女の様子からある一つの、最悪の可能性を導き出した。

「ラグナス殿、まさか灰狼殿は……」

 震えるシルフィードの問いかけに対し、エミルは力なく首を横に振った。その動作に、ついにクリュウもその意味を理解し頭が真っ白になった。

「サクラ……」

 自然と、彼女の名前をつぶやいていた……

 

 街の中心部、テオ・テスカトルが暴れ回った為に被害が甚大な中央広場に、その仮設テントは建てられていた。

 テントには簡易的に木の板に文字が書かれた立て札が立てられている。

 ──炎王龍大災害慰霊碑建設予定地──

 ここには今回の炎王龍テオ・テスカトルの襲撃事件で犠牲になったハンターや民間人の遺体が合葬されている。

 ヴィルマの人々のすぐ傍の場所に埋葬しよう。そんな声に答え市議会がここを指定し埋葬を行い、献花台を設置。街の復興が終わってから、ここに犠牲者の名前を刻んだ慰霊碑を建設する事がすでに決まっていた。それまではこの仮設テントが献花台として慰霊碑の代わりとなる。

 テントの中の献花台には多くの花束や故人が好きだったのだろう果物や本、子供も犠牲になった為おもちゃなども置かれていた。

 中でも一際目立つのは台の上に山積みされた大量のお菓子。今回のヴィルマ防衛戦で命を落としたあるハンターに対する供物だそうだ。良く見ると台の上だけではなくその後ろにも大量に置かれている。すさまじい量だ。

 現在は街の復興に人手の大半が向けられているので、ここには人の影はない。そんな場所に、彼女はいた。

 無表情でゆっくりと献花台に近づくと、途中で購入した花束をそっと置いた。隻眼で見詰めた先には今回の災害で亡くなった人の名前が紙に羅列されていた。これは主に民間人で結構な人数の名前が羅列されている。ただし行方不明者もいるので正確な数や名前は把握できていないのが現状だ。これらは本格的な慰霊碑が建設された時に刻まれる予定となっている。

 一方、すでに仮とはいえ置かれている御影石に刻まれているのは今回の戦で命を落としたハンター達の名前が刻まれている。その中から彼女はすぐに目的の人物の名前を見つけた。何しろその名前は一番前に書かれていた。

 ──灰狼 ゾルフ・ヴァルフレア──

 隻眼の少女──サクラは無言で背負った鬼神斬破刀を引き抜くと煌めく剣身を地面に突き刺した。元々は石畳がきれいに敷かれていたここも、テオ・テスカトルが破壊の限りを尽くした為石畳は粉砕し、その下の地面がむき出しになってしまっている。

 続いて花束を持っていたとは別の方の手に持っていた酒瓶を突き刺した太刀にそっと掛ける。酒は太刀に沿って下へと流れていき、地面を濡らしていく。

「……貴様が好きだった酒だ。ありがたく思いなさい」

 そうつぶやき、サクラはその場にゆっくりと腰掛けた。酒瓶の中にはまだ半分以上酒が残っている。サクラはそれを無言で煽(あお)った。あまり酒を飲まないサクラにしては珍しい光景であった。

 一気に半分近くまで飲み干し、地面に置く。酒に濡れた口周りを手の甲で拭い、横に置いた酒を一瞥する。

「……まさか、土産が供物になるとは思わなかったわ」

 そうつぶやき、サクラは空を見上げた。数日前はこの空が黒煙に包まれていたそうだが、今は不謹慎なくらい晴れ渡った青空が広がっている。

「……いい場所ね。貴様の墓にはもったいないくらい」

 返って来るのは風の音だけ。サクラは小さく苦笑を浮かべるとそっと地面を撫でた。

「……何年ぶりかしら。貴様の下で短いながらも修行をして、互いの目標に向かって別離してから。貴様の噂は時々聞いてたけど、私の噂は聞こえてたかしら? 一応弟子なんだから、少しくらいは知っていたでしょう? 私、がんばってたんだから」

 風が、ヒュッと音を立てながら頬を撫でた。撫でられた頬を指で触れ、小さく笑う。

「……そう、ありがとう」

 もう一度、酒を地面に振り撒いた。一瞬浮かび上がった小さな虹。だがそれはまるで幻だったかのように消えてしまう。

「……それにしても、あんたらしい死に方ね。誰かを守る為にその犠牲になるなんて──ほんと、バカバカしい」

 ──刹那、地面が濡れた。酒でもない、雨でもないそれは、そっと頬を流れて地面に落ちる。

「……死んだら、何もできないじゃない。話す事も、触れる事も、どこかに行く事も、見る事も、何もできない。死んだら、全て終わりなのよ」

 つぶやくように、責めるように紡がれる悲痛な言葉。それは彼女の根底にある想い──死んでしまったら、全て終わってしまう。幼い時に両親と死に別れた彼女の心にある強烈な想い。

「……泥水を啜ってでも、木の皮を剥いで腹を満たしてでも、生に縋(すがり)りつく。生きるって、そういう事でしょ? 命は、決して金や物じゃ代用できない唯一無二のもの。貴様は、それを人の為に失った。ほんと、バカげてるわ──でも、今の私ならそう思わない。私にも、命を投げ出してでも守りたい人ができたから。ううん、再会できたから」

 昔は、命は何があろうと投げ出してはならないものであり、それを投げ出すのは愚の骨頂。そう思っていた。両親を目の前で殺された彼女にとって、生きるとはそういうものだと思うのは当然の事だった。

 だが今は少しだけ違う。命を投げ出す事は絶対にダメだという根底は変わりないが、それが何か自分の命を懸けてでもやり遂げたい、守りたいものだったら、それだけの価値があるものだったら、最後の手段として、自分の命を武器にするのもいいかもしれない。そう思うようになった。

 自分は、好きな人の為なら命を投げ出しても構わない。そう思っている──クリュウと再会できて、そう思うようになった。

 だから、きっとゾルフもそういう人を守って自らを盾にしたのだろう──それならば、きっと彼の死も意味があったのだと思えるし、彼が守り抜いたものが今も存在し続けるなら、彼も報われるだろう。

「……そういう事なら、約束を破った事も許すわ」

 ゾルフとサクラの交わした約束──それは、自分が師の横にいても恥ずかしくないようなハンターになったら、また一緒に狩りをしよう。昔、別れ際に交わしたたった一つの約束。

 結局、それは叶う事はなかった。唯一の心残りがあるとすればそれくらいだ。あの世で会ったら斬り殺すと心に決め、サクラは師の眠る大地の土を一握り握り締めて立ち上がる。

「……私は貴様と違ってまだやらないといけない事がある。貴様との再会は、まだ当分先になる」

 太刀を引き抜き、表面を流れる酒を一度振るって吹き飛ばしてから背に戻した。

「……師よ。私は貴様を忘れない。そして、私はここに宣言する──私は貴様を越える」

 風が吹き、彼女の艶やかで長い黒髪を激しく揺らす。前髪が揺れ動き、露わになった隻眼にはもう涙はなかった。あるのは強い意志の光。目的の為ならどんな手段を使ってでも厭(いと)わない、そんな想いが見え隠れする光だ。

「貴様はそこで私に抜かされていくのを指をくわえながら見ているがいい──否、私の中で見守っててくれ」

 そう言って、サクラは握り固めた土を──口の中に放り込んだ。ザラザラとした食感と土特有のあの臭い、子供の頃転んで食べたあの土の味が口一杯に広がる。吐き出しそうになるのを必死に堪え、サクラはそれを残っていた酒と一緒に一気にのどの奥に流し込んだ。

「……これで貴様の魂の一部は私と共にある。約束を破ったバツとして、私が死ぬまで見守ってなさい」

 口元を手の甲で拭い取った直後、サクラは笑った。それは人から見れば小さな笑顔でしかなくても、彼女にとっては満面の笑顔。最上級の笑顔であった。

「……弟子の活躍、楽しみにしてなさい。天国まで名を轟かせてみせるから──サクラ・ハルカゼ。覚えておきなさい。それが貴様の弟子であり、最強のハンターの名前よ」

 サクラはその場で一礼すると空になった酒瓶を手に持って踵を返す。そのまま一度も振り返る事なく、彼女は丘を去った。

 そんな彼女の背中を見送る献花台では彼女が置いた花束の花が風にそよそよと揺られていた。

 

 エミルから今回の災害での犠牲者が合葬された街の中心部にある慰霊碑建設予定地を教えてもらった三人は早速そこへ向かって歩いていた。

 目的地に近づくにつれて、三人の表情が曇っていく。元気が取り柄と言ってもいいクリュウも今回ばかりは表情が暗い。

「……サクラ、この事知ってるのかな? 自分の師匠が命を落としてる事」

「私達よりも先に探しに出ているからな。その可能性は十分過ぎるくらいありえる」

「だとしたら、きっと落ち込んでいますね、サクラ様」

 仲間の消沈している姿は、見たいものではない。特に常に無表情を貫いているサクラの落ち込んだ姿など、想像もできないし、したくもない。

 サクラに会ったら何て声を掛ければいいか。そんな事を考えながら歩いていた矢先、反対側から目的の人物──サクラが歩いて来るのが見えた。

「さ、サクラッ!?」

 最初に気づいたクリュウが驚きの声を上げると、目を伏せていた背後の二人も気づいて顔を上げ、硬直する。

 固まる三人に対し、サクラはいつもと変わらぬ様子で現れた。何を考えているかわからない瞳と乏しい表情。必要な事以外は開く事のない口。何もかもがいつもの彼女であった。

 そんなあまりにもいつも過ぎるサクラの姿に拍子抜けを喰らった三人はポカンとしている。もしかしたらまだ例の事は知らないのかもしれない。そんな想いが三人の胸を過ぎった。

「……何?」

 自分を凝視して固まる三人を見て不思議そうに首を傾げるサクラ。隻眼には明確な戸惑いの色が見えた。

「あ、いや何でもない。それよりサクラ、急にいなくなったりしないでよ。心配したじゃないか」

 とりあえずいつも通り接する事に決めたクリュウ。シルフィードとフィーリアもこれに乗って「そうだぞ。勝手な行動はするな」「心配したんですよぉ」といつも通りに接する。

「……そう、ごめんなさい」

 ──その瞬間、三人の背中に氷水がぶっかけられたかのような異常な冷たさが広がった。

 あの天上天下唯我独尊なサクラが素直に謝った。それもクリュウだけでなく、フィーリアやシルフィードにまで。その異常さに三人は驚愕する。

「さ、サクラ。どこに行ってたの?」

 声が震えないように必死に抑えながら、クリュウは絞り出すように訊いた。本当はこんな残酷な事問いたくはない。でも、訊かない訳にはいかなかった。

 三人が息を呑むように見詰めるその先で、サクラは一度背後を振り返ってから「……大した事じゃないわ」とつぶやき、

「……あいつの墓参りをして来ただけよ」

 それは三人にとって最悪の展開であった。状況に耐えられずめまいを起こすフィーリアを隣にいたシルフィードが支える。そのシルフィード自身悲痛な表情でサクラを凝視していた。

 クリュウは一人胸を押さえた。心臓が握り潰されるかのように痛み、悲鳴を上げる。ギシギシと痛む胸をギュッと鷲掴むその手に、スッと触れる手があった。驚いて顔を上げると、そこには心配そうな表情を浮かべたサクラが間近に立っていた。

「……クリュウ、平気? 大丈夫?」

「サクラこそ、大丈夫なの?」

 まだ痛む心臓を押さえながら、クリュウはもう片方の手で彼女の手を握り締めた。細くて簡単に折れてしまいそうな白い彼女の手。時々忘れかけていた想いが、強く蘇る──彼女だって、自分と同い年の女の子だ。無敵ではないし、完璧ではない。支えてあげないと、簡単に壊れてしまうほどに脆い普通の女の子なのだ、と。

「……別に。私はいつも通りよ」

 確かに、パッと見はその通りだ。フィーリアとシルフィードもそう思っているようで、若干戸惑ったような表情を浮かべている。きっと二人の目には『サクラは師の死にも動じない鉄の心を持つ乙女(ハンター)』のように映ったのだろう──だが、それは間違いだ。クリュウはそう確信していた、だって……

「無理しなくていいんだよ」

 クリュウはそう言ってサクラの細い体を抱き寄せた。驚くサクラが「……く、クリュウ?」と戸惑ったような声を上げる──ほんと、どれだけ自分達を心配させたくないという想いで無理をしているのだろうか、この不器用過ぎる優しい娘は。

「サクラって昔から一人で全部背負い込んじゃう癖があるよね。でもさ、辛い時くらい僕を頼ってよ」

 クリュウの言葉にサクラは驚いたような表情を浮かべた後、小さな笑みを浮かべた。しかしすぐに頭を振る。

「……平気。それにこれは私個人の問題。クリュウには関係がない」

「関係ないって言われてもね──そんな辛そうな瞳をしたサクラを、放ってなんかおけないよ」

 その言葉の後、サクラはビクリと震えた。きっと先程よりも驚いたに違いない。その証拠に、明らかに彼女は動揺していた。

「……な、何で」

「サクラの微妙な表情を読み分けるくらい、僕なら造作ないよ。子供の頃からほんとに変わってないんだもん」

 そう言ってクリュウが微笑むと、サクラの隻眼が大きく見開かれた。それはすぐに細い弧を描き、頬が赤らみ、目の縁に想いが溜まる。

「……クリュウには、敵わない」

 クリュウは無言で彼女の頭にポンと手を置くと、その艶やかな髪をそっと撫でる。サクラはまるでアイルーのように目を細めてそれを受け入れると、スッと手を伸ばしその手を握り締めた。

「……ほんと、敵わないや」

 顔を伏せ、肩を震わせ、サクラは小さな嗚咽を漏らしながらクリュウの手を握り締める。クリュウはそんな彼女の頭をもう一方の手で再びそっと撫で、しっかりと抱き止める。

 何も言わず、ただ抱き止めてくれるクリュウの腕の中、サクラはずっと堪えていたもの決壊させて泣き崩れた。

 どんなに強がっても、どんなに無理をしても、結局はサクラだって一人の女の子に変わりはない。誰かが手を差し伸べて、支えて上げないと簡単に壊れてしまう。

 クリュウはそんな彼女の支えになりたいと思っているし、サクラもまた自分の支えは彼以外は認めない。ある意味、最もベストな組み合わせなのかもしれない。

 クリュウの腕の中、最後の意地として声を押し殺しながら泣くサクラの姿にフィーリアとシルフィードは優しく微笑んで見守っている。

「今回は特別ですからね」

「……全く、クリュウは心底すごい奴だと感心するな」

 いつもは決して人前では見せないサクラの涙に、三人は心のどこかで抱いていた誤解を訂正する──サクラは決して冷徹な鉄の心を持つ鋼の乙女ではなく、どこにでもいる普通の女の子なのだと。

 そんな当然な事を忘れさせてしまうほど、サクラは不器用ながらも周りに気を遣っていたのだ。その事実に感動すると共に仲間にそんな負担を掛けさせていた事に三人は静かに心痛める。

 晴天の空の下、一人の少女の涙が静かに地面を濡らした。


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