モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第108話 サクラの過去と支援隊に迫る赤い波

 ターミナルから酒場は隣接している。これはもちろん受注後すぐに出発できるようにする為だ。当然、ターミナルから酒場へもすぐである。

 外から入る入口に比べて少々簡素な感じの入口から酒場に入ると、そこには見慣れたいつもの光景が広がっている。だが、今日はそれが少しおかしい。

「……変」

 ぼそりとサクラが皆を代表するように言う。当然、残る三人もその異変には気づいていた──何だか、静かなのだ。いつものように多くのハンターが多くのテーブルをそれぞれ囲むようにしており、かなりの人数がいるはずなのに、その誰もが声を発さない。異常な光景だ。

 多くの人が、四人に注目していた──否、四人が通って来たターミナルへの出口を見詰めているのだ。

 いつもの喧騒を失った酒場は、見慣れたはずの景色なのにまるで知らない場所に来たのではという錯覚を覚えさせる。

 四人は何が何だかわからずに出口の前で棒立ちになる。すると、そんな四人の姿を見た彼女はいつものように元気良く声を掛けてきた。

「みんなお疲れ様ぁ~ッ! こっちこっちッ!」

 いい意味で場違いなその声に四人が視線を向けたのはカウンター。そこでは声に劣らず元気たっぷりな様子でブンブンと手を振ってこちらに笑顔を振りまくライザの姿があった。当然、この不思議な空気に包まれた酒場の状況に困惑している四人はこの場で最も詳しそうなライザの方に向かう。

「あ、ライザさんこんにちわ」

 礼儀正しくクリュウがペコリと頭を下げると、それに倣ってフィーリアも頭を垂れる。

「はい、こんにちわ」

 ライザはニッコリと微笑みながらそんな礼儀正しいクリュウとフィーリアに挨拶を返す。そんな三人のやり取りを黙って見守っていたシルフィードはそれが終わるや否や早速単刀直入にライザに疑問を投げ掛ける。

「何だか酒場の様子がおかしいが、何かあったのか?」

「うーん、まぁちょっとした事件がねえぇ」

「事件?」

 物騒なキーワードに眉を顰(ひそ)める。もちろんフィーリアやサクラ、クリュウも程度は違えど同じような表情を浮かべている。

 そんな四人を見て事の真相を話すべきか誤魔化すべきかライザは一瞬悩む。何せ、これは誰にでも口外できるような情報ではない。と言っても、大雑把な内容自体はすでに噂という形で人々に耳にも伝わってはいるが。

 結局、ライザは話す事に決めた。四人は友達であり、何より全員が程度は違うものの実力者ばかり。この非常時では少しでも有能なハンターは確保しておきたいのだ。

「中継都市ヴィルマは知ってるわよね?」

 当然だというばかりにフィーリア、サクラ、シルフィードの三人はうなずく。そんな三人に対しクリュウは恥ずかしげに首を横に振った。それを見てライザは苦笑する。

「まぁ、イージス村とは無縁のような街だからね。知らないのはある意味当然ね」

「す、すみません。辺境過ぎて外の情報があまり入って来ないもので」

「いいのよ。ヴィルマっていうのはこの大陸での物流の拠点の一つになっていて、地理的に重要な中継都市の事よ。ドンドルマに比べると規模は小さいけど、防衛装置が多数置かれた中規模都市ってとこね」

 ヴィルマを知らないクリュウの為にライザは手短で簡潔にその説明をする。詳しくは知らないクリュウでも、何となく大きな、とても重要な街だという事はわかった。

「それで、そのヴィルマがどうしたんですか?」

 皆の疑問を代表してクリュウが尋ねると、ライザは笑みを引っ込めて真剣な表情を浮かべた。その変貌ぶりに、ただ事ではないとクリュウ達の表情も引き締まる。

「……実は、そのヴィルマが──壊滅したのよ」

「え?」

 思わず声を発したクリュウと同じくフィーリア、サクラ、シルフィードの三人もライザの言った言葉の意味がわからず困惑したような表情を浮かべている。そんな三人の反応を予想していたのだろう、ライザは真剣な表情を崩さないままその口に出すのも恐ろしい事実を四人に告げる。

「数時間前、ヴィルマから非常事態宣言の発令及び防共協定に基づく緊急援軍要請が届いたの。現在ヴィルマには今日未明に突如襲来した炎王龍テオ・テスカトルの攻撃を受けて街の大半が崩壊。現在も街付きのハンターが必死の抵抗をしているものの、すでに数人のハンターの死亡が確認されているそうよ」

 ライザの放った言葉は、全てが異常過ぎて理解するのに時間が掛かった。

 ヴィルマという街は辺境の村でなければ大抵の人が知っている大きな街らしい。それが、たった数時間で崩壊の寸前に瀕している。そんな事、普通では決してありえない事だ。

 そして、炎王龍テオ・テスカトル。古龍の中でも好戦的で凶暴、炎を操り近づく全てのものを焼き払う炎を従えし絶対王。

 人の前には滅多に姿を現さず、現れれば街の一つや二つを一夜にして焼け野原に変える自然の暴力。普通の人間はその長い人生の中で一度も会えず、書物や言い伝えでしかその存在を知る事ができない古龍。

 ──それが、今ヴィルマに現れて壊滅的な被害を与えている。そこまでわかった時点で、誰よりも早くフィーリアがライザに迫った。

「え、援軍は向かったのですかッ!?」

 状況が状況だけにフィーリアも必死だ。言葉こそ放たないが、クリュウ、サクラ、シルフィードの三人も気になった。そんな四人の疑問に対し、ライザはコクリとうなずく。

「先程精鋭のハンターを向けたわ。彼らなら上位クラスのテオ・テスカトルなら討伐も容易ね。何せG級の古龍だって討伐してしまうような生ける伝説だもの」

 ライザの言い方から推測するに、どうやら派遣したのは大勢のハンターを集めた猟団ではなく少数精鋭のハンターらしい。そこまで考えが至った時、ふとクリュウはさっき別れた二人の姿を思い出した。

「まさかそれって、ジンさんとシィさんですか?」

 クリュウの口から予想だにしていなかった二人の名前が出てライザは驚いた。

「クリュウ君、何で二人の事を知ってるの?」

「さっき、ターミナルでちょっと話をしただけです」

「……そっか──そうよ。あの二人がヴィルマ救援に向かったハンターなの」

 ライザはそう断言した。彼女が言うのだから相当な実力者なのだろう。さっきあった時に感じたあの異常な気配は、勘違いなどではなかったのだ。

「でも、たった二人で古龍を相手にするなんて無茶ですよッ!」

 そう叫ぶクリュウの声を、ライザは「むしろ他のハンターが一緒だと二人の邪魔になるわ」と切り捨てる。それは贔屓などではなく事実なのだ。ライザの目はそう言っていた。

「大丈夫よ。あの子達は負けないし死なない。そういう子達なのよ」

 まだ会って間もない二人を心から心配するクリュウを見て、ライザはそんな彼を安心させるように優しく微笑む。

「古龍って、すごく強いんだよね?」

 振り返ったクリュウの瞳はいつもの温かさが消えていた。まるで氷のように冷たく、彼らしくない瞳。

 古龍──それは個体の正体は不明だが憧れていた父の背中を奪った憎き存在。それに、もしかしたら母の命をも奪ったかもしれない存在だ。彼が古龍を憎み恨むのは当然の事だろう。

 冷たい瞳を向けて彼が問うたのは炎王龍テオ・テスカトルと並び恐れられる猛烈な風と鋼鉄の鎧を身に纏った古龍、風翔龍クシャルダオラと戦闘経験のあるシルフィード。

 シルフィードはクリュウの視線に対し「私は戦ってないに等しいがな」と前置きし、

「──強い。並の飛竜など比ではない程にな」

 そう、断言した。

 クリュウはそんなシルフィードの返答に対して「そっか……」とつぶやく。

 いつになく真剣で、でもどこか悲しげな表情を浮かべているクリュウを、三人は心配そうに見詰める。ライザもまた、彼と古龍の宿命の事は知っていた身。そんな彼に古龍の話をした事を後悔した。

 そんな四人の視線や気持ちに気づいたのだろう。クリュウは伏せていた顔を上げて四人の顔を見ると、心配掛けまいと小さく笑った。

「大丈夫だよ。別に自分の今の実力じゃ古龍なんて勝てないなんて事わかってるからさ」

 ──次の瞬間、その笑顔が消えて瞳に本気の炎が燃え盛った。

「──でもいつか、勝ってみせます。父さんと、母さんの仇は必ず討ちます」

 クリュウの真剣な瞳と、飛び出した爆弾発言に皆は驚いたような表情を一瞬浮かべたが、すぐにそれは優しげな笑顔に変わる。

「その時は、及ばずながら私も力を貸すぞ」

 小さな笑顔を浮かべながらそう言ったのはシルフィード。クリュウは驚いたように彼女を見詰める。

「いや、でも……」

「水くさいぞ。仲間なんだから、共に闘うのは当然だろう?」

「シルフィ……」

「わ、私もお供しますッ!」

 何だかいい感じの雰囲気に包まれる二人を見て、慌ててフィーリアが間に割って入る。クリュウは嬉しそうにフィーリアに感謝をし、フィーリアは大喜びし、シルフィードはどこか寂しげにそんな二人を見詰める。

「……夫婦は一蓮托生。死ぬまで私はクリュウに付いて行く」

 サクラもまたそんなクリュウと共に闘う事を宣言する。クリュウは嬉しそうに笑うが、彼女の発言の中に一ヶ所おかしな単語が含まれていたような……

「ふ、夫婦ッ!? そんな大ウソよくつけますねッ!」

「そ、そうだぞ。第一君達はまだその前段階でもないように見えるが」

 ブチギレるフィーリアと狼狽するシルフィード。二人の言葉に対し、サクラは何をバカな事を言いたげに哀れんだ目で見詰める。

「……遠くない将来の話。私はいずれサクラ・ルナリーフになる」

 サクラはある意味今年一番の爆弾発言をぶっ放した。何が何だかわからず困惑するクリュウと、そんな皆のやり取りを見て苦笑を浮かべるライザ。

「そ、それなら私だってフィーリア・ルナリーフに……えへへ……」

「シルフィード・ルナリーフ……ゴロが悪いな」

 すぐさま二人も反撃しようとするが、フィーリアは口に出した瞬間嬉しさのあまりよだれを垂らし、シルフィードは己の長すぎる名前を少しだけ恨んだ。

「……クリュウ、子供は何人ほしい?」

「なぁッ!? わ、私は三人はほしいですッ!」

「……盛りの付いたモンスターね」

「そういう目的で言った訳じゃありませんッ!」

 軽蔑の眼差しを向けるサクラと、そんな視線に対し顔を真っ赤にさせて必死に反撃するフィーリア。そんな当人を置いて暴走する二人の会話についに付いて行けなくなったシルフィードは苦笑しながら困惑するクリュウの肩をポンと叩いた。当然、彼は彼女の方を向く。

「まぁ何だ。私達は皆君と同じ道を歩みたいという事だ。仲間だからな、遠慮はするな」

「シルフィ……」

「私では頼りないかもしれんがな」

「そんな事ないよッ! シルフィの事はすっごく頼りにしてるよッ!」

「そ、そうなのか?」

 クリュウの言葉に意表を突かれた形のシルフィードは少し慌てる。そんな彼女に、クリュウはえへッと微笑む。

「ありがとう、シルフィ」

「あ、あぁ……」

 バッとシルフィードはクリュウに背を向ける。彼からは見えないが、その顔はいつもはクールな彼女にしてはありえないくらいに真っ赤に染まっていた。

 そんな公共の往来だというのに桃色の空気を振りまくクリュウ達に苦笑しつつ、ライザはふと思いつく。

「あのね、ちょっと緊急で依頼を受けてほしいんだけど」

 唐突に切り出したライザの発言に、クリュウ達は一斉に彼女の方を向く。

「緊急依頼、ですか? それはヴィルマ関連の?」

 クリュウが尋ねると、ライザは「えぇ」とうなずいた。その瞬間、女子陣三人の表情が硬くなる。クリュウの身を案じての反応であり、ライザは慌てて手を横に振る。

「違う違う。別にあなた達にテオ・テスカトルと戦えなんて言わないわよ。そっちはもう手は打ったしね」

「ならば一体どのような案件なのだ?」

「あなた達に、第二次支援隊の護衛を頼みたいのよ」

「第二次? という事は第一次はもう準備は整っているのか?」

「えぇ。第一次支援隊の護衛には知り合いのギルドハンターに任せて、もうじき出発するわ。あなた達には次の第二次支援隊の護衛を頼みたいのよ」

 ライザが言うには、災害援助は迅速さが要求される。その為第一次支援隊は必要最低限な物資を量は運べないが迅速に届けられる馬車を用い、それ以外の優先度若干低い物資を大量に乗せた第二次支援隊は竜車を用いるそうだ。その護衛を、クリュウ達に頼んでいるのだ。

「それは、ずいぶんと責任重大ですね」

「古龍が現れた場合、他のモンスターはその気配にヴィルマ周辺から追い出される。そんな中を竜車で突っ切るのは並大抵な事ではないな」

 フィーリアとシルフィードは冷静にその依頼の危険度と成功率を天秤に掛ける。できない事はないが、どんなイレギュラーが起きるかわからないという不安もある。

「別に戻って来たばかりの私達でなくてもいいだろう? ここは天下のドンドルマだ。私達と同程度やそれ以上のハンターなど大勢いるだろう?」

「生憎、称号持ちは全員出払っちゃってるの。あなた達くらいの実力を持つハンターなら確かに大勢いるわ──でも、あたしが心から信頼できるハンターってのは、そんなに多くないのよ?」

 そう言って、ライザは無邪気に笑った。その笑顔に、クリュウ達はじんわりと胸の奥が温かくなるを感じた。人から信頼されているという事実は、何とも心地良いものだ。

「今回のヴィルマに対する支援は大長老から私に一任されてるの。だから、護衛に選抜するメンバーは私が信頼できる人の方がいいのよ──お願い、引き受けてくれないかしら?」

 ライザはそう言ってカウンター越しに頭を下げた。彼女から無理難題な依頼を押しつけられる事はこれまで何度かあったが、こうして彼女が自ら頭を下げて本当の意味での《頼み事》というのは初めてだった──それだけ、事態は緊迫しているのだろう。

 ライザの行動にクリュウが慌てて口を開く寸前、スッと前に出たのは意外な人物だった。

「さ、サクラ?」

 凛とした立ち姿でライザの前に立ったサクラであった。鋭く細められた隻眼はまるで刃物のよう。一見すると怒っているように見えなくもないが、クリュウはその本質を見抜いていた。そして、彼女が次に発する言葉も、

「……引き受ける」

 ──それが、サクラ・ハルカゼという少女(ハンター)なのだ。

「ほ、ほんと? あ、ありがとうサクラッ!」

 受注が口約束とはいえ達成された事でライザは嬉しそうに笑い、カウンターを乗り越えてサクラをギューッと抱き締める。そんな彼女の抱擁を、サクラは不機嫌そうに引き剥がす。

「……勘違いしないで。私は護衛依頼を切り捨てたくないだけ。目に見えるもの全てを守る、自分の信念を貫くだけ」

 隻眼の人形姫と言えば護衛依頼。そう言われるほど彼女は幾多の護衛任務を引き受け、それらを見事完遂して来ている。それは彼女自身がハンターになるきっかけから来る使命感に違いない。自分と同じ想いをする人を生み出さない為、彼女は血反吐を吐こうが腕が折れようが必死になって護衛任務に固執して、達成して来た。

 そんな護衛任務を、サクラは見捨てる事ができないのだ。

「……私とシルフィードはカルナスの悲劇を知っている。私はあんな悲劇を生まない決意として、この凛シリーズを纏っている。だから、防げなかった償いとして、せめてその復興の役に立ちたい。それだけよ」

 そう言って、サクラはギュッと唇を噛んだ。握り拳はブルブルと震える──本当は悔しくて仕方がないのだろう。あんな悲劇を生みたくない一心でがんばって来たのに、また何も守れなかった事が。

 ──人形のように感情表現をあまり表に出さないサクラだが、本当は誰よりも責任感が強く、理想家で、優し過ぎる。それがサクラ・ハルカゼという少女なのだ。

 ライザは何も言わず、そっとサクラを抱き寄せる。先程と違い、サクラもそれを拒まない。ただ悔しげに、肩を小刻みに震わせ続ける。

 そんなサクラの姿を見て、クリュウは急に自分が恥ずかしくなった。古龍で苦しんだのは、サクラも一緒なのだ。彼女は守ると決めた街を救えなかった。仲間を一人失うという最悪の犠牲まで出したのに、守れなかった。

 目に見えるもの全てを守る。そんな志を持つ彼女にとっては、悪夢としか言いようのない最悪の結末だ。サクラはそんな苦しみを乗り越え、今では隻眼の人形姫と呼ばれるまでに実力を上げた。

 そんなサクラに今自分ができる事は、ただ一つ。

「……ライザさん。その依頼、僕も引き受けます」

 

 結局、クリュウ達はライザが提示したその依頼を引き受ける事となった。シルフィードは早速ヴィルマや周辺地域の現状、護衛対象の編成などをライザに根ほり葉ほり尋ねた。それらを総合的に判断し、最終的にチームでの依頼受注を決定したのはもちろんリーダーの彼女だ。

「テオ・テスカトルに追い出されたかなりの数のイーオスが周辺に散らばっているらしい。支援隊はその中を突っ切る形になるが、今まで通り前衛と後衛の二段構えで応戦すれば問題ないだろう。フィーリア、できるだけ多くの散弾を持って行ってくれ」

「わかりました」

「サクラにはいつも通り最後の砦になってもらう。激しく動き回る事になるだろうから、強走薬グレートを持参してくれ」

「……(コクリ)」

「クリュウは私と共に閃光玉を中心に戦おう。持てるだけの閃光玉を持ってくれ」

「わかった」

 シルフィードはすぐに各自にそれぞれ細かい指示を飛ばす。シルフィードがリーダーとしてチームに加わってからは彼女の指揮がこのチームを飛躍的に成長させている。最初の頃はソロ狩猟ばかり行ってきた者同士サクラとシルフィードの対立も多かったが、今ではサクラもシルフィードに作戦の全権を委任している。他人と協調するのを嫌うサクラとしては異例の事だが、それだけ彼女の指揮力の高さと作戦立案能力が優れている証拠だ。

 各自に細かく指示を飛ばし終えたシルフィードは各自準備の為に再集結は一時間後として一度解散とした。三人はすぐにシルフィードに言われた道具を調達しに酒場を飛び出す。その後を、シルフィード自身がゆっくりとした足取りで続く。

「ありがとね」

 その声に振り返ると、ライザが嬉しそうな笑みを浮かべて立っていた。シルフィードはフッと口元に小さな微笑を浮かべると、背を向ける。

「状況が状況だしな、仕方がないだろう。それに、友人の必死の頼みとあれば無碍にもできん。君にはいつも世話になっているからな」

 そう言い残し、シルフィードは酒場を出て行った。ライザはそんな彼女の背中を見送ると振り返り、

「──ありがとう」

 薄っすらと瞳を濡らしながら、そうつぶやいた。

 

 一時間後、四人は再びターミナルにいた。そこではすでに護衛対象となる十台の竜車が待機しており、それら全てに大量の物資が詰め込まれていた。

 シルフィードは早速支援隊の隊長とあいさつを交わし、必要最低限の指示や情報交換を済ませるとクリュウ達の所に戻る。

「向こうの準備はすでに完了しているそうだ。君達の方は問題はないな?」

 シルフィードの問いかけに対し、三人は首肯を返す。それを確認してから、シルフィードは出発の号令を放った。

 二列に並んで動き出す竜車隊。四人はそれぞれ危険地帯まで旗車に乗り込んで体力を温存する。その間もそれぞれがそれぞれの武器の手入れを行い、その時に備える。

 クリュウは今回攻撃力を重視してオデッセイを引っ張り出して来た。現在ではこのオデッセイは雑魚モンスター掃討の際に使われる専用武器となっている。

 一方、女子陣の武器はそれ自体が完成度が高い武器ばかりなので変更する必要もなく固定。サクラは鬼神斬破刀、シルフィードはキリサキといったいつもの愛武器を備えている。ただしフィーリアだけは今回は散弾を多用するという事でハートヴァルキリー改よりも散弾LV1の装填数が二発多い、以前使っていたヴァルキリーブレイズを装備していた。

 久しぶりの元相棒を入念に調整しているフィーリアを見て、クリュウはどこか懐かしさを感じた。

「フィーリアが緑色の武器を持つのを見るの、すっごく久しぶりだよね」

「そうですね。桜リオレイアの武具に統一してしまってからは使っていませんでしたから」

「そういえば、フィーリアは以前はリオレイア通常種の素材を使った武具を統一していたらしいな」

 フィーリアが《深緑の閃光》から《桜花姫》に移り変わった直後にチームに加わったシルフィードは、以前の彼女の姿を知らない。興味深げにシルフィードはヴァルキリーブレイズを見詰める。

「この子にはずいぶんお世話になりました。でもまだまだ現役ですからね、今回はがんばってもらおうと思ってます」

 そう言ってフィーリアは久しぶりに握った元相棒の懐かしい感覚に微笑みながら、いざ戦闘の際に弾詰まりなどが起きないよう入念にチェックする。

 一方のサクラは早々に調整を切り上げて一人隅っこで目を瞑りながら鎮座していた。まるで精神を集中しているかのようなその出で立ちに、クリュウ達は先程から彼女に声を掛けられずにいる。

 いつもなら一度はクリュウを押し倒しているのに、今回のサクラは不気味なくらい静かであった。それだけ今回の任務に対する思い入れが深いのだろう。クリュウはそう解釈していた。

 だが、シルフィードはそれだけではないと感じていた。サクラの異常なまでの冷静さ。まるで、内に沸き起こる不安や焦りを必死に押し殺しているかのような、無理をして維持している冷静さに感じられた。

「サクラ、君はヴィルマと何か関係があるのか?」

 シルフィードの問いに対し、驚いたのはクリュウとフィーリアであった。二人は互いの顔を見合わせた後、一人沈黙を貫くサクラを見る。

 三人の視線を一身に受けるサクラはそれでも無言であった。だが、シルフィードが再度尋ねようと口を開き掛けた時、スッと彼女の右目が開かれた。

「……ヴィルマには、私の師がいる。それだけよ」

 つぶやくように言われたサクラの発言はクリュウ達を驚かせるには十分過ぎる威力であった。

「さ、サクラの師匠?」

「……正確には師というよりは、私に戦い方を教えてくれた恩人と言う方が適当ね」

「そんなお方が、ヴィルマにいるのですか?」

「……さぁ?」

 フィーリアの問い掛けに対し、サクラは無責任な発言を返す。そんなサクラの態度にフィーリアはムッとする。だがサクラはこう続けた。

「……彼の故郷がここだったというだけ。私が彼と出会ったのは別の街でだったから。それに、今はどちらも多忙だから連絡も取り合っていなかったから、今現在彼がヴィルマにいるのか確認の取りようがない」

 サクラは無表情で答える。そんなサクラの返答に対し、フィーリアは自分の浅はかさを恥じた。別にサクラは自分に対して無責任な発言をしたのではなく、むしろ無責任な発言をしないように言葉を少なくしていただけなのだ。

 サクラは不器用な子だ。わかっていたのに、サクラのその不器用な心遣いに気づかなかった自分は仲間失格だ。

「その師とは一体何者だ? 私達が知るような名の知れたハンターだろうか?」

「……《灰狼》、名前くらいは聞いた事があるでしょう?」

 サクラが示したその二つ名に、フィーリアとシルフィードは目を見開いて驚いた。それは都市部にいるハンターなら知らぬ者はいない程の有名人であった。一方、辺境出身のクリュウは一人首を傾げている。

「ほ、本当なのか? あの灰狼が師だというのは?」

「……えぇ」

「す、すごいじゃないですかッ!」

 興奮する二人に対し、サクラは冷静だった。正確には優越感につい唇の端がつり上がるのを我慢して必死に冷静を装っているのだが。

「えっと、空気を壊すようで悪いけど。灰狼さんってすごい人なの?」

 恥ずかしそうにおずおずと手を挙げたクリュウ。シルフィードは予想していたのだろう、簡潔な説明をしてくれた。

「灰狼というのは私と同じ大剣を使うハンターなのだが、独自の剣術でまるで大剣を太刀のように扱い、無双の強さを持つ男だそうだ。私も人伝(ひとづて)の噂話でしか聞いた事がないが、とにかく凄腕の大剣使いらしい」

「そんなすごい人が、サクラに戦い方を教えたの?」

「……元々あの人の剣術は昔出会った太刀使いの動きを参考に編み出されたもの。太刀使いの私はある意味一番技術を拾得できた。他にもハンターとして様々な事を教わった。今の私がいるのは、あの人のおかげというのが大きい」

 サクラの言葉に、クリュウ達は心底驚いていた。サクラという少女は想いを寄せているクリュウ以外の人間を自ら進んで褒め称える事は通常ありえない。常に自分こそ最強だという聞き方によっては傲慢にも聞こえる発言を連発し、自ら他人との必要以上の関わりを遮断する。これは人と話すのが苦手な彼女の不器用さが原因だ。そんな彼女がこんな事を言うのは、本当に異例中の異例であり、それだけ彼女にとって、その灰狼という男の存在は絶大なのだろう。

「……もう三年以上昔の事よ。さっきも言ったけど、今は連絡の取り合いもない。だから今あの街にあの人がいるかも不明──ヴィルマと聞いて、ちょっと思い出しただけ」

 サクラはそれで話は終わったと言いたげに口を閉ざした。これ以上その話を語るつもりはないのだろう。

 一方、サクラの突然の驚愕事実を知った三人は程度は違えど驚きを隠せなかった。だが同時に納得もできた。サクラの類稀なる実力の根底には、そんな凄腕ハンターからの教育があったからだ。彼女自身もそれを認めている。

 シルフィードは無言になったサクラを見て小さく笑みを浮かべると、幌から顔を出して運転手にスピードを上げるよう頼んだ。程なくして支援隊の速度は少しだけ増した。

「……なぜ行軍を早めた?」

 サクラはシルフィードを射貫くように睨みつけながら問う。その視線はシルフィード考えをわかっていて敢えて問うという感じ。そんなサクラの視線に対し、シルフィードは小さく肩を竦ませる。

「気になるのだろう? 師がヴィルマにいるかどうか。いるとしたら無事なのだろうか。テオ・テスカトルの迎撃に出ているのではないか。大丈夫なのか。そんな気持ちが渦巻いているのだろう? だから少しでも早く到着できるよう速度を上げたのだ」

「……余計なお世話だ」

 サクラは不機嫌そうに眉をひそめる。瞳はさらに鋭く細まり、まるで彼女の背に携えられた鬼神斬破刀の刃先のよう。常人ならば恐怖するようなサクラの鋭利な視線でもシルフィードは一度たりとも視線を逸らさずに対峙する。

「君が冷静さを失っている事はわかっている。気持ちはわからないでもないが、少し落ち着け。冷静を失っては本来の力を出し切れない。特に君の場合はな」

 シルフィードの言葉にサクラは無言で睨み続け、シルフィードも一度たりとも視線を外さない。そんな二人の険悪な雰囲気を見て、慌ててフィーリアが状況を打開しようと間に入る。

「そ、そうですよッ。サクラ様の強みは仲間が傷ついても眉一つ動かさない冷静さじゃないですかッ。そのサクラ様が冷静さを失ったら価値が半減──って私は一体何を口走っているんでしょうかッ!?」

 実は一番テンパっているフィーリアは右往左往。そんな彼女の姿を見てシルフィードとクリュウは苦笑い。そしてサクラは……

「……人を血も涙もない冷血人間みたいに言わないで」

 不機嫌そうにサクラを睨みつける。フィーリアは慌てて「す、すみません~ッ!」と一生懸命頭を下げまくる。そんな彼女にサクラは容赦なく嫌味の集中砲火を浴びせる。

 一見すると状況はより混沌としたように見えるが、クリュウとシルフィードはサクラの瞳が柔らかくなったのを見過ごさなかった。フィーリアは別に狙ってやったのではないのだろうが、結果的に雰囲気はずいぶんと改善されていた。

「……冷静さを失っていた事は認める。だがそれを理由に貴様らの足を引くような愚行は侵さない」

 サクラはそう言い切ると今度こそ無言となった。瞳を閉じて再び瞑想状態になり、周りからの接触を拒否する。だがそれは先程までの触れる事すらも拒否するものではなく、冷静さを取り戻すからそっとしておいてくれというものに変わっていた。

 三人はそんなサクラをそっとしておく事に決め、彼女の抜きでの今後の作戦を緻密に話し合い始めた。

 

 支援隊は夜通しでヴィルマへ向かって進み続けていた。ゆっくり休憩していられるほどヴィルマの状況は芳しくはないのだ。

 支援隊の隊員達と同じく、クリュウ達も交代で見張り役として起きており、他の面々は皆眠りについていた。

 現在の当番はクリュウであった。一時間後にフィーリアと交代する事になっており、事前に眠っていたおかげで眠気のないクリュウは任務を全うしていた。

 十台の竜車のうち、先頭を進む旗車に一行は乗り込んでいる。クリュウは物資が満載された幌から出て幌の上に座り込んでいた。現在他の三人は物資が満載された狭いスペースに雑魚寝状態で眠っている。ぶっちゃけ、いつもの護衛依頼よりも待遇が悪いが、それはいつも以上に物資が満載されているからに他ならない。

 幌の上はそんな中と違い広々としている。ちょっと足場は悪いが、座っている分には問題ない。

 クリュウはフィーリアほど視力が良い訳でも、サクラのように夜目が優れている訳でも、シルフィードのように集中力がある訳でもない。何とも中途半端な位置であった。

 夜風を浴びながら、月光の光に照らされるクリュウは今はレウスヘルムを脱いで横に置いており、風が吹くたびに彼の若葉色の髪が踊る。

 一人で見張りをしているのは暇だ。かといって話し相手もいないので無言で平原を見詰めるしかない。退屈な時間をそうして黙って過ごす。そんな時間がまだまだ残っている頃、幌の上に上がって来る者がいた。

「……クリュウ」

「サクラ? どうしたのさ一体」

 それは自分と交代して眠っているはずのサクラであった。驚くクリュウを無視し、サクラは無言で幌の上に上がると彼の横にゆっくりと腰掛ける。

「サクラ?」

「……きれいな月夜ね」

「え? あ、うん。そうだね」

 サクラの言う通り今日は雲一つない天候の為、闇夜を照らし上げるように煌めく満月が美しく、星々が輝くきれいな月夜であった。

 だが、クリュウはその光景を素直に喜べなかった。ずっと前方、月明かりでは十分には照らし切れずに黒い森の先をじっと見詰める。

「この夜空の下で、一つの街が滅びへ向かっているなんて。信じられないや……」

「……世界は複数の奇跡から成り立って形成されている。その歯車が一つ狂っただけでその奇跡は崩れ、災厄を生み出す。私達が生きるこの世界は砂上の楼閣に過ぎない」

「哲学だね……」

 クリュウはサクラの言葉に妙に納得していた。昔母も同じような事を言っていた。

 

 ──私達の平和な日々は当然の事なんかじゃないの。ちょっとしったショックで簡単に壊れてしまう、その程度のものなのよ──

 

 子供の頃はその言葉の意味がよくわからなかったが、今だったらその意味は痛いくらいにわかる。

 ちょっとしたショックで両親が死に、自分一人だけ取り残される。そんな災厄を経験したからこそ、痛いくらいにわかるのだ。

 平和は当然のものではなく、掛け替えのないもの。そんな当たり前の事実を理解している人間が、この世の中に一体何人存在するだろう。人々は長い平和の中で、そんな事実を忘れているのかもしれない。

「例えそうだとしても、僕達は僕達にできる事を全力でがんばるだけだよ」

 今の自分達にできる事。それはこの支援隊を無事にヴィルマまで送り届ける事だ。この十台の竜車には災厄に家を追われたヴィルマの市民の命を繋ぐ生活物資などが満載されている。例え街の崩壊は防げなかったとしても、人々の命は守りたい。支援隊の隊員達と同じく、クリュウ達もその想いは同じであった。

「……クリュウらしい」

 サクラはそうつぶやくと、小さく笑った。その笑顔を見て、クリュウはほっとする。今日ずっとサクラは元気がなかったので、その笑顔は安心をもたらす。

「あのさ、サクラ。君の師匠ってどんな人なの?」

 サクラの様子を見て、クリュウは今日ずっと気になっていた事を訊いてみた。サクラはしばしの無言の後、つぶやくように声を出す。

「……私と同じ、不器用な人。自分の信念は決して曲げず、それを何が何でも貫こうとする頑固者。でも、本当は誰よりも優しい人」

「何だか、サクラみたいだね」

「……そう?」

「うん。人と関わるの不器用で、自分の考えは曲げない頑固者で、いつも冷たい態度ばかりだけど本当はすごく優しい。さすがサクラの師匠、よく似てるよ」

「……私が優しくて忠実なのはクリュウに対してのみ。それ以外の人間なんて関わるだけ無駄」

「そういう事言わないの」

 クリュウは苦笑しながらサクラを小突く。確かに最初の頃は本当にクリュウ以外に対する配慮なんてなかった。フィーリアと日々対立ばかりしており、そのたびにクリュウが仲裁に入るという日々を繰り返していた。

 だが今ではフィーリアともシルフィードとも、エレナやツバメ、リリアなど多くの仲間と共におり、皆に対する配慮や気配りも不器用なりにしている。

 昔のサクラは本当に近づくだけで斬られるのではないかと感じるくらい刃物のように鋭い印象だった。でも今はそれも少し丸くなっている。元々他者との関わりを自ら断っていたサクラを心配していたクリュウとしては、良い方向に向かっていると感じている。

「こんな時に訊く事じゃないけど、師匠に会えるかもってのはやっぱり嬉しいの?」

 クリュウは不謹慎だとは感じつつも気になって尋ねたが、サクラは無言だった。でも、クリュウはその瞳を見て「そっか……」とだけつぶやく。二人の間にどんなやり取りがあったのか、それは二人にしかわからない。

 その後しばらく、二人は特に会話もなく無言で夜空を見上げ続けた。その間も支援隊は順調にヴィルマへと進み、そろそろシルフィードが警戒厳とした地帯へと入る頃だ。

「サクラ、ここは僕に任せてもう寝たら?」

 クリュウの言葉にサクラは小さくうなずき──その場に横になり、クリュウの膝の上にころんと頭を載せる。

「えっと……さ、サクラ?」

 サクラの突然の行動にクリュウは頬を赤らめながら戸惑う。そんな彼を無視してサクラは無言で彼の膝を枕にしてスッと瞳を閉じる。その頬が赤らんでいるのは内緒だ。

「ここは寝づらいって。幌の中で寝た方が……」

「……ここがいい」

「いや、でも……」

「……ここがいい」

 サクラはそう繰り返して動こうとしない。こうなると頑固者な彼女は絶対に動かないという事は付き合いの長いのでわかっている。クリュウは恥ずかしさを抑えてため息を零す。

「風邪引いても知らないよ」

 サクラが小さくうなじくのを感じつつ、クリュウは再び見張りに専念する。下から「……クリュウ」と小さな彼女の呼ぶ声がし、クリュウは下を向く。するとそこには寝転がってこちらを向いて横になるサクラが。

「……心配してくれて、ありがと」

 そうつぶやくように言い、そっと微笑んだ。その小さいながらも心からの笑顔に、一瞬とはいえクリュウはドキッとしてしまった。同時に、自分の心の中を完全に見透かされていた事に驚きつつも恥ずかしそうに苦笑を浮かべる。

 そのうち、サクラは小さく寝息を立て始めた。クリュウはそんなサクラを起こさないように注意しながら見張り役を再開するのであった。

 

 サクラが寝入った後も支援隊は進み続け、距離と共に時間も経過していった。

 ガタゴトと乱暴に揺れる幌の中、フィーリアが目覚めたのはそんな時だった。体を起こし、ふわぁと小さくあくびをして握った拳で目を擦ると少し目が覚めた。

「うぅ……、そろそろ交代の時間ね」

 体に掛けていた毛布をきれいに畳み、手鏡で寝癖などをしっかりと直して身支度を整える頃にはすっかり眠気も覚めていた。念入りに何度も確認するのは交代相手がクリュウだからという乙女心。

「良しッ」

 隣で座りながら眠っているシルフィードに気を遣いながら小さくガッツポーズ。

 幌から出て幌の上へと繋がる梯子を上ると、揺れる竜車の上で夜風に当たりながら見張り番を務めるクリュウの背中を見つけ、パァッと笑顔が華やぐ。

「クリュウ様。交代のお時間で──にゃあッ!?」

 笑顔で幌の上に上った瞬間、その笑顔が凍り付いた。自分の声で気づいたのか振り返ったクリュウの膝では小さな寝息を立てて眠るサクラの姿が。

「な、何でサクラ様がクリュウ様に膝枕をしてもらって眠っているんですかッ!?」

「シーッ! フィーリア静かにッ!」

 小声でのクリュウの注意にフィーリアは慌てて手で口を押さえて黙る。だが再びクリュウの膝を枕代わりにして眠っているサクラを見てムスッとする。

「どういう状況なんですかこれは?」

「いや、話せば長くなると言うか何と言うか……」

 困った困ったと苦笑するクリュウを一瞥し、フィーリアはクリュウに膝枕してもらって気持ち良さそうに眠っているサクラを悔しそうで、羨ましげに見詰める。

「もう交代の時間だっけ?」

 サクラを見詰めていたフィーリアはそんなクリュウの問いに慌てて「ひゃ、ひゃいッ」と噛んでしまい恥ずかしさのあまり赤面する。クリュウはそんなフィーリアに苦笑しながら膝枕状態で眠っているサクラを見下ろす。

「起きてもらったのに悪いけど、僕はこのまま見張りを続行するよ」

「え? で、ですが……」

「気持ち良さそうに眠ってるサクラを起こすのもかわいそうだしさ」

 見ると、クリュウの膝を枕にして眠るサクラは心地良さそうに小さな寝息を立てて静かに眠っている。その寝顔を見ていると、確かに起こすのはかわいそうと思えてくる。それほどまでに、サクラの寝顔はかわいらしい。

「……黙ってればきれいですよね、サクラ様って」

「あははは……」

「でもよろしいんですか? クリュウ様は眠らなくても」

「うん。しっかり仮眠しておいたから平気。だからここは僕に任せてフィーリアは──」

「──それでは私もお共させていただきます」

 クリュウの言葉を遮ってフィーリアはそう言うとクリュウの横に静かに腰掛けた。

「で、でもさ……」

「一人よりも二人の方が何かと効率がいいですよ。それに、一人だと退屈ですよ」

 そう言ってフィーリアは微笑んだ。クリュウは「そっか」とだけつぶやくとそれ以上何も言わずフィーリアが隣にいる事を黙認する。

 小さなかわいらしい寝息を立てながら眠っているサクラを見て、フィーリアは小さく微笑む。

「こんな無防備なサクラ様、初めて見ました」

「そっかな?」

「はい。サクラ様っていつも隙のない感じですからね。同じチームの仲間でも、クリュウ様以外には決して無防備な姿は晒しません。心を許すのは一人だけ。一途でかわいらしいですね」

「僕ってそんなに信用できる人間なのかな?」

 サクラから絶大な信頼を得ているという事実に自分では役者不足なのではないか。そんな想いがクリュウの胸を過ぎる。

 そんなクリュウの言葉に、フィーリアは小さく首を横に振る。彼にはわからないかもしれないが、自分とサクラは同じ想いを抱く者同士だからわかる。その想いは決して両立はしない敵同士だとしても、同じ想いには変わらない。

「クリュウ様でないとダメなんです。サクラ様が唯一心を許し、心から信頼し、忠義を尽くすのは、クリュウ様お一人なんですから」

 フィーリアの言葉に、クリュウは何も答えなかった。ただ無言で眠っているサクラの寝顔を見下ろし、その艶やかな黒髪をそっと撫でる。その姿に、フィーリアは小さく微笑んだ。

「……それじゃ、サクラの期待に応えられるようがんばらないとね」

「その意気です」

 フィーリアの言葉にクリュウは小さく微笑み、サクラの頭を優しく撫でる。その瞬間、サクラは「……うぅん」と小さく寝ぼけた声を上げて寝返りを打ち──クリュウに抱き付いた。

「なぁッ!?」

 それまで微笑ましげに見詰めていたフィーリアだったが、このサクラの無意識の暴挙は許せなかった。

「寝ていれば何をしても許されると思ったら大間違いですッ! 即刻クリュウ様から離れてくださいッ!」

「ちょ、ちょっとフィーリア、シーッ!」

 大声を上げるフィーリアにクリュウは慌てて静かにするように怒るが、その間もサクラはさらにギューッとクリュウに強く抱き付く──当然、サクラは起きていてわざとしているのは言うまでもないだろう。

 二人の美少女の間で流されるままのクリュウ。このままでは背中のヴァルキリーブレイズを引き抜きかねない勢いのフィーリアをなだめつつ、ふと平野の方を目に向けた時、クリュウの表情が一変する。

「クリュウ様……?」

 その異変にフィーリアは戸惑ったような表情を浮かべる。そこで初めてサクラがむくりと起き上がり、クリュウの視線を追って硬直する。続けてフィーリアも同じく視線を向けた瞬間、その表情が凍り付いた。

 三人の視線の向こう、暗闇の平野を埋め尽くすような異形の赤の波が蠢(うごめ)いていた。

「……イーオスの群れ。それも、ものすごい数」

 平静を装うように冷静な感想を述べるサクラだったが、その頬を嫌な汗が流れる。

 イーオスの大群。数は暗闇の中なのでよくはわからないが、百匹近い数だ。そんな大群が、まるで竜車と併走するようにして突き進む姿は不気味だ。

 その光景に逸早くこの状況の危機に気づいたのはフィーリアだった。

「た、大変ですクリュウ様ッ! あの大群、方角的にヴィルマを目指していますッ!」

 フィーリアの言葉に二人の表情からいよいよ余裕が消え去った。

 現在ヴィルマはテオ・テスカトルの襲撃を受けて大変な被害を受けている。撃退・討伐できたのか、それともまだ交戦中なのか、それすらもわからない状況の中一つだけわかる事。それはヴィルマに更なる悲劇が迫っているという事だ。

 呆然とする二人に対し、クリュウの行動は素早かった。すぐさま幌の上から飛び降り、まだ中で眠っているシルフィードを叩き起こす。

「シルフィ大変だッ!」

「……うぅ? もう交代なのか?」

 シルフィードは寝起きが弱い。十分な睡眠が取れずまだ眠くて仕方ないらしく、起きたはいいが目はしょぼしょぼで体は左右にゆらゆらと揺れている。だが、シルフィードはハンターだ。クリュウの次の言葉で彼女のハンターとしてのスイッチが入る。

「イーオスの大群を発見したんだッ」

 その報告にシルフィードは完全に覚醒する。横に立て掛けてあったキリサキを掴むと、すぐさま幌から飛び出して梯子を上って幌の上へと移動。その後をクリュウも続く。

「状況は?」

 シルフィードの問いに対し、フィーリアは真っ青の表情のまま闇の向こうを指差した。シルフィードがその方向を確認すると、その表情が凍り付いた。

「……まさかここまでとはな。かなりの規模の遭遇は考えていたが、これは予想外だぞ」

「あの大群、どうやらヴィルマを目指しているみたいなんだ」

 クリュウの言葉にシルフィードはさらに表情を険しくさせる。それだけ、状況は最悪の方向へと突き進んでいるのだ。

「……向こうはまだこちらには気づいていないようだな」

 イーオスの動きを見る限り、どうやらまだこちらには気づいていない。だがこのままでは見つかるのも時間の問題だろう。

 支援隊を護衛する役目を受けたチームを率いるリーダーとして、シルフィードはすぐに取るべき行動を決定する。

「すぐに転進だ。このまま気づかれないうちにイーオスの群から離れるぞ」

 それは当然の選択であった。自分達の任務はこの支援隊の護衛。ならばこの場合は当然イーオスの群れから離れるちうのが一番の選択に違いない。だが、当然この判断に反対する者がいる。

「それじゃあの群れを野放しにするのッ!?」

 まず反対の声を上げたのはクリュウであった。彼はイーオスの群れを指差し、声を荒げる。

「あのままじゃあの大群はヴィルマになだれ込む事になるんだよッ!? それなのに、見て見ぬふりをするのッ!?」

「落ち着けクリュウ。私達の目的は何だ? この支援隊の護衛だろう。私達が成すべき事はこの支援隊を無事にヴィルマに送り届ける事。わざわざ戦いに身を投じる必要などない」

 シルフィードの意見は至極正論であった。自分達の役目はあくまで支援隊の護衛であり、彼女の選択はその安全を最優先させる最も良い選択だ。

 クリュウ自身もそれに気づいているのか、シルフィードの正論に一瞬口を閉ざす。だがすぐに反論を返す。

「でも、そのヴィルマがイーオスの大群に囲まれてたり占拠されてたら本末転倒でしょッ!?」

「だとしても、私達の任務目標は変わらないぞ」

 シルフィードは揺るがない。チーム全員の命を預かるリーダーとして生半可な決断は下せない。だが同時にクリュウの気持ちもわかる。その相反する想いの間でリーダーというのは辛い決断をしなくてはならないのだ。

 折れないシルフィードについに追撃の手段を失ったクリュウは黙ってしまう。それを見てシルフィードは「異論はないな」と念押しし、早速運転手達に転進の命令を出す。

「……私は貴様の命令には従わない」

 冷たく突き放つように放たれた言葉にシルフィードは驚いて振り返る。そこにはクリュウの横に立って自分を睨むサクラの姿があった。

「どういう事だ?」

「……文字通りの意味。私が従うのはクリュウだけ。自惚れるな」

 サクラは隻眼を刃物のように鋭くさせてシルフィードを睨みつけると、呆然としているクリュウの手を掴む。

「さ、サクラ?」

「……私とクリュウはこれから別行動を取る」

 サクラの爆弾発言にシルフィードとフィーリアは驚愕して目を大きく見開く。そんな二人を置いて、サクラは同じく驚いているクリュウの手を引いて止まっている竜車から降りた。

「ま、待てサクラッ! 勝手な行動は許さんぞッ!」

「……何度も言わせるな。私に命令できるのはクリュウだけ。貴様にそのような権利はないし、あっても私は従わない」

 サクラは冷たく言い放つと、クリュウの手を引いて隊から離れて行く。引っ張られるクリュウはその途中何度かシルフィードの方を気まずそうに振り向いたが、結局サクラと共にイーオスの群れへ飛び込んで行ってしまった。

 見えなくなった二人の背中に、シルフィードは頭を抱えて深いため息を零す。

「……無鉄砲にも程があるぞ」

 だが、抱えるその顔は笑顔だった。何とも予想通りの反応をした二人。だがその考えは決して嫌いではない。理屈じゃ説明できない感情での行動。自分はどうも理屈っぽい性格をしているせいでそんな直感的な行動は決してできない。ある意味、それができる二人が羨ましいのだ。そして、そんな二人だからこそシルフィードは好きなのだ。

「フィーリア」

 後ろでもぞもぞと何か言いたそうにしているフィーリアの名を呼ぶと、フィーリアは「ひゃ、ひゃいッ!」と噛みながら返事した。その声に苦笑しつつ、シルフィードは言う。

「支援隊の護衛は私単独で行う。君はあの無鉄砲コンビの援護に回ってくれ」

「い、いいんですか?」

「構わん。私も支援隊を安全が確保できる場所にまで誘導したら駆けつける。それまで二人の事を頼んだぞ。ただし無理はするな。危険と判断したらすぐさま離脱しろ。いいな?」

「は、はいッ!」

 シルフィードの命令にフィーリアは感動したように笑顔を華やかせると、見事な敬礼をして反転。すぐさま二人の後を追って走り去っていく。

 その背中を見送り、シルフィードは苦笑する。

「全く、揃いも揃ってお人好しな連中だな」

 すぐさまシルフィードは支援隊を率いてイーオスの群から離脱を計る。

 こういう裏方的な役目は自分は良く似合う。そんな事を考えて苦笑しながら、シルフィード率いる支援隊は動き出した。


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