朝日に照らされて煌く雪が大地を覆っている。昨日の昼間から夜中まで振り続けた大雪は一瞬にして大地を白一色に染め上げてしまった。銀世界というのは、こういう景色の事を言うのだろう。
北国に分類されるイージス村では雪なんて冬では当然の事。ただ、隣接するセレス密林は亜熱帯地方に属する。これは上空の気流によってラティオ活火山の熱風が吹き込むかららしいが、詳しい事はわからない。ただ言えるのは、イージス村で大雪が降れば、セレス密林は大雨になるという事だ。
雪がたっぷりと屋根などに降り積もり、イージス村の朝は早速除雪作業から始まる事となる。
道はもちろん雪の重さで家が潰れないように屋根に上って雪を下ろしている村人は多い。建っている家々の屋根全ての上に人がいる光景は、イージス村の冬では珍しくない。
そして、その中に一人の少年も混じっていた。
防寒着として狩場でも実際に使われているマフモフシリーズを纏い、自分の家の屋根に積もった雪を下ろしている少年。まだ遠い春に輝く若葉のような緑色の髪と瞳、ちょっと少女っぽい顔立ちが特徴的な彼の名前はクリュウ・ルナリーフ。このイージス村専属のハンターの一人だ。
「ふぅ……」
疲れたようにため息を漏らし、持っていたスコップを屋根の上にまだ積もっている雪に突き刺す。雪の厚さはだいたい膝下くらい。これでも除雪前は腰くらいまで積もっていたのだから彼の奮闘は見事なものだ。
「雪かきなんて何年ぶりだろ……」
雪国であるイージス村に住むクリュウだったが、ついこの間まではドンドルマでハンター修行をしていた。ドンドルマでは雪はここに比べれば頻度も量もずっと少ない。その為、雪かきなんてもうずっとしていなかったのだ。
子供の頃は普通にできていた作業なのに、やはり継続しないと体が追いつかないらしい。慣れない作業に若干腰が痛む。クリュウはそっと腰を掛けた。
クリュウの家は村の中でも高台に位置する。その為、この屋根からは村の全貌が見えると言っても過言ではないほどに良く見渡せる。どこの家の屋根も真っ白に染まり、その一つ一つに人が登って雪かきをしている。道の方でも除雪作業は進んでおり、メインストリートはすでにほぼ除雪を完了している。ちなみに、この村独特の伝統で雪かきは屋根を男が、道などは女性や子供がやる事になっている。他の村と違い、男が全て除雪をして女子供は家の中という訳ではない。これは先代の村長が「村を作るのは君達だ。そこに男女も年齢も人種もない」と豪語していた名残だ。ただし、それでも屋根の上は危険という事で、いつの間にか区分けが生まれたのだが。
クリュウの家は結構大きな家だ。彼の父と母が共にハンターという職業で積み立てた資金は都市部でも相当なもの、こんな辺境では大金中の大金だった。そのお金を使ってこの家を建て、もしもの時や家族で幸せに過ごす為に貯蓄までしっかりしていた。その貯蓄のおかげで、ハンターという働ける状態になるまでクリュウは一人暮らしができていたのだ。
結局、そのお金は家族全員で幸せに暮らすという意味では使われず、もしもの場合に適応されてしまったが。
クリュウがハンターを目指すきっかけとなったのはハンターだった父に対する憧れであった。母は自分が生まれると同時にハンター家業を辞めて専業主婦となった為、彼の憧れは父一点に注がれた。
そして、本格的にハンターを目指したのもまた、憧れのハンターであった父の死からであった。父のようなハンターになりたい、父の代わりにこの村を守りたい。その想いが、彼をここまで導いてくれた。
父はギルドからの依頼で古龍討伐に向かい、そこで命を落とした。せめてもの救いは、父の遺体は発見されて村に戻って来れた事だろう。
一方の母は父が死んでからしばらくして、狩場で命を落とした。とっくの昔にハンターを引退していたのに、あの嵐の日に村の子供がセレス密林に野草を採りに行ったまま帰って来ないという事で単身で捜索に向かった。翌日、帰って来たのは子供だけ。彼女が言うには、嵐の中に現れたモンスターから自分達を逃がす為に、母は自ら囮となった。子供は泣きながら逃げた為詳しい内容はわからない。すぐに捜索隊が編成されて密林を捜索したが、発見できたのは血にまみれた母の昔の愛防具のG・ルナZヘルムの額当てだけ。結局遺体は見つからなかった。
遺体となって帰って来た父と、遺体すらも帰って来なかった母。父の遺体と母の形見の破片は共に村の合同墓地に埋められている。
父のようなハンターになりたい。そう願ってドンドルマのハンター養成訓練学校に入った。でも、ハンターという難しさをそこで十分理解したクリュウは、いつの間にか父だけではなく村の子供の為に命を懸けた母の事もまた尊敬できるようになった。
子供の頃の凄惨な出来事だった為に、その時の自分は自分を捨てて戦った母を憎んだ。その時の記憶が、彼の母に対する想いを一定以上寄せ付けなかったのだ。でも、心も体も成長し、ハンターになった今ならわかる。
――母も立派なハンターであったのだと。自分の誇りなのだと。
村長から何度も聞いた事がある。銀色の防具と大きな剣を振りかざす父と、金色の防具とライトボウガンを巧みに操った母。父だけでなく、母もまた英雄と呼ぶにふさわしいハンターであった、と。
「母さん、かぁ……」
何で今更母の事を思い出したのだろう。理由を探っていたらそれはすぐに見つかった。この景色、昔よく母と見た景色であった。母は何と言うか、母と言うより姉という感じの人だったのを覚えている。やんちゃで、笑顔がとてもかわいらしい人だった。男しか登らないこの屋根の上にも平気で登り、よくここで一緒に夜空を見上げたり食事をしたりしたものだ。
――ここは、母との思い出の場所なのだ。
正直、いつも村を空けていた事が多かった父よりも母との思い出の方がずっと多い。なのに、父ばかり追い求めてしまったのはやはり憧れや男の子の父の背中を追うというものが原因なのだろうか。
そういえば、母は自分がハンターになると言っていた時に「そうね。でもハンターってすごく大変で、ママあんまりおすすめできないなぁ」とさりげなく反対していた記憶がある。今の自分を母が見れば、どんな風に思うだろうか。
今でも瞳を閉じれば思い出せる母の声。
やはり、父の記憶よりも母の記憶の方が鮮明だし数もある。子供の時にはわからなかったが、自分をここまで成長させてくれたのは母のおかげというのが一番大きい。
久しぶりにこの屋根に上り、母の事を思い出した。それほどまでに、自分はこの村を空けていた期間が長かったのだ。
クリュウが一人哀愁を漂わせていると、そんな彼の家からフィーリアが出て来た。吹き抜く風に身を震わせながら、フィーリアは屋根の上を見上げる。
「クリュウ様ぁッ! 雪かき終わりましたかぁ?」
フィーリアの声で現実に戻ったクリュウは「何とかね」と笑顔で返した。フィーリアはその返事にうなずくと「昼食の用意ができましたので、クリュウ様も早く来てくださいね」と笑顔で言う。
そういえば朝早くから簡単な朝食だけで雪かきをしていた。自分では気づかなかったが、実は結構空腹だったのだろう。フィーリアの言葉に腹は正直にグゥと鳴った。
「わかった。今行くよ」
そう言ってクリュウはスコップを持ちながら掛けてあった梯子で下に降りる。降りて来たクリュウにフィーリアは「お疲れ様です」と労(ねぎら)いの言葉を掛ける。
「外は寒いです。早く家に入って体を温めてください」
「そうさせてもらうよ」
クリュウは笑顔でそう言うとフィーリアと共に家に入った。家の中は暖房がしっかりと機能しており外とは別世界のように暖かい。今までずっと寒い外にいたクリュウにとっては何よりも嬉しい歓迎だ。
玄関からすぐの場所にリビングがある。そこではすでにサクラとシルフィード、エレナの三人が彼の到着を待っていた。
「遅いわよクリュウ! せっかく用意した料理が冷めちゃうじゃない!」
そう怒るのはこの料理のほぼ全てを作ったエレナ。何と言うか、もう普通にこの家にいる事が多過ぎてツッコミすらできない。
「……クリュウ、手を洗って早く座って」
「ごめんごめん。すぐ洗って来るよ」
そう言ってクリュウは苦笑を浮かべながら急いで洗面所に向かう。そんな彼の背中を見送り、サクラは堂々とクリュウの席の左側の席に腰掛ける。逆にクリュウの右側にはフィーリアが座り、エレナとシルフィードはその対面に腰掛けた。これが現在のクリュウ家の基本的な席順である。以前まではクリュウの隣を賭けて壮絶な戦いが繰り広げられていたが、クリュウがこの争いの終止符を打つ為にくじで定位置を決めたのであった。
ちなみに、リリアが混じる場合は一応席はシルフィードの隣となっているが、クリュウの膝の上に陣取る事が大半であった。その為、リリアがいる時は大概大騒ぎになる。そのたびにクリュウは振り回され、食事をするだけなのに疲労困憊になるというのをもう何度も繰り返していた。
そんな幸せ過ぎる苦労人、クリュウは手洗いうがいを終えてリビングに戻って来た。そして、いつものようにフィーリアとサクラの間の席に腰掛ける。
「それじゃ、全員揃いましたので。いただきます」
フィーリアの掛け声と共に、少し早めの昼食が開始された。
今日の献立は様々な具が入ったサンドイッチをメインに、ガブリブロースの骨の部分を煮込んで作ったダシにすり潰したシモフリトマトとくず肉、細かく刻んだまだらネギとヤングポテトなどの野菜をふんだんに入れた特製トマトスープだ。
クリュウは早速茹でて柔らかくなった砲丸レタスとガビアルカルビ、薄切りしたシモフリトマトと熟成チーズをマスターベーグルで挟んだワイルドサンドイッチ(エレナ命名)を頬張る。口の中に広がるシモフリトマトの酸味とガビアルカルビの旨味が何ともいえない。砲丸レタスがガビアルカルビの豊富な肉汁をベーグルに染み込ませるのを防いでいるので、いつまでもモッチリとした食感が壊れない。全体的な味を熟成チーズがまろやかにしてくれる。
「うん。すっごくおいしいや」
「でしょ? 今度ウチのランチメニューに加えようと思ってるの」
「人気爆発だね」
「他にも色んなサンドイッチがあるのよ。どんどん食べてね」
自信作を誉められてエレナは上機嫌だ。クリュウもまたエレナの自信作のサンドイッチの数々には驚くばかり。いつの間にか、すっかり料理の腕は超えられてしまった。元々は自分が最初に料理を始めたのだが、一緒にやるうちにどんどんエレナは上達し、そのうち「料理人になるッ!」と夢を抱いてしまったほど。そして今は、その夢を見事に実現させているのだ。
「私はこれが一番美味しいと思います」
フィーリアが選んだのスネークサーモンと茹で砲丸レタスと特製ドレッシングを絡めたサンドイッチ。エレナは嬉しそうに「それは女性に優しいカロリーを控えめにしたサンドイッチなのよ。油が使えないから特製ドレッシング作りには苦労したわ」と誕生までの秘話を語る。
カロリー控えめ。女性にとってこれは魔法の言葉なのだろう。そういう事をあまり気にしないクリュウにとってはガッツリしたものを食べたいという欲望が強いが。
サクラが先程から食べているのは猛牛バターで焼いたワイルドベーコンとアプトノスの卵を使ったスクランブルエッグにシモフリトマトを使った特製ケチャップを絡めたシンプルな一品。だが、アプトノスの卵は安定供給が難しいので、エレナ曰く日替わりランチの一つに入れるらしい。しかし、貴重な素材を使っているだけあってシンプルながら深みのある味らしい(サクラ談)。
「私はこれが一番うまいな」
シルフィードがそう絶賛したのは高級素材であるギガントミートをトロトロになるまで煮込んで作ったビーフシチューを中に仕込んだサンドイッチと言うよりはビーフシチューパンのようなもの。口の中で広がる旨味がたまらない一品だ。
「それもギガントミートが高いから安定供給は難しいわね」
それに値段もたっぷりとギガントミートを使うので少し割高になってしまうらしい。庶民レベルに合わせておいしい物を作るというのは、なかなか難しいものだ。
「まぁ、私の力があれば何とかなるわよ」
そう言って明るく笑う凄腕料理人兼敏腕経営者兼カリスマウェイトレス。気楽と言うか、余裕の表れだろうか。
「がんばって。応援してるから」
「任せなさいって」
クリュウの言葉に対しエレナは自信満々に言い放った。何とも頼れる幼なじみだ。
一方のフィーリアとサクラは先程からコソコソを何かを話し合っている。どうやらエレナの最大の攻撃力である料理技術では二人は劣る為、その技術を会得しようとしているらしい。だが、素人とは言えないがそれでもアマチュアの二人がいくら味わっても、プロの作る味の隠し味などまではわからない。すぐに二人とも表情が暗くなった。
シルフィードはシルフィードで自分には料理の才能がないからこそエレナの料理技術を心から尊敬していた。何せこの前クリュウの付き添われながら卵焼きに挑戦したが、完成したのは炭化した謎の物体。クリュウは無理してその見た目最悪の料理(?)を「料理は味が大事だから」と言って食し――卒倒した。
自分には料理の腕がないだけではなく、料理を兵器に変換する能力でも備わっているのだろうか?
「本当に、うまいなぁ……」
粗末な食生活だった自分が、クリュウ達と共に行動するようになってからは見違えるような理想的な食生活に変貌した。そういう意味でも彼らに対して心から感謝している。
「ほらクリュウ。これもおいしいから食べてみなさいって」
トマトスープを飲んでいたクリュウにエレナは別のサンドイッチを渡す。その表情はとても幸せそうで楽しそうに見える。クリュウもまた嬉しそうにエレナからサンドイッチを受け取る。その姿は仲のいい恋人同士に見えなくもない。
「……これあげる」
そう言ってサクラはお気に入りのタマゴベーコンサンドをエレナに渡した。そういえばずっとサクラが一人で食べていたのであまり食べていなかった。エレナは「ありがと」とお礼を言って受け取り……
「……あ、あんたッ」
「………」
エレナはすぐさまサクラを睨んだ。だが、サクラはクールな表情を浮かべている。そのカマトトぶりに、エレナの怒りがフツフツと湧き起こる。
渡されたサンドイッチにはケチャップで《死ね》と書いてあった。それは見事にサクラの様々な想いを全て表したかのような言葉であった……まぁ、全ての想いを言語化したものが《死ね》というのは彼女らしいが。
そんな二人の緊張感漂う状況に気づいていないクリュウは笑顔を綻ばせながらもきゅもきゅとサンドイッチを頬張っている。その姿に、フィーリアとシルフィードは心癒される。
「ふが?」
口いっぱいにサンドイッチを頬張る美少女顔の少年――あぁ、癒されるのもうなずける。
食事が終わり、クリュウ達はそれぞれの時間を過ごす。クリュウは暖炉用の薪を割りに裏戸から外へ出て行き、シルフィードはリリアの店に調合に使う素材の買出しに向かい、エレナは店へと戻り、サクラは週一でドンドルマから村へ送られて来る瓦版を椅子に座って読んでいる。
一方、フィーリアはと言うと……
「うにゃぁん♪」
暖炉の正面に位置するソファに寝転がって暖まっていた。彼女曰く自分の故郷は温暖な気候だった為に寒いのは苦手らしい。それにしても、暖炉の前で丸くなったり伸びたりと、まるでアイルーのようだ。
そんなそれぞれの時間を過ごす中、クリュウは一人黙々と巻き割りを行っていた。昔に比べて腕力だけはついたので一振りで薪は簡単に割れる。
切り株の上に薪を置き、手斧で四つに切り分ける。その単調な作業の繰り返しだ。すっかり気温も上がり、もうマフモフではなくても厚手の服装なら十分過ごせる。それに、軽い運動をしているようなもので薄っすらと汗も掻いていた。
「フゥ……」
とりあえず必要な分だけ切り終え、クリュウは一息つく。汗を拭うと、北風が汗に染みるように冷たい。思わず身を震わせてしまった。その時、一瞬だけとても温かい風が頬を撫でた。それはまるで、人の手のような温かさ。驚いて吹き抜けた風を追うように視線を向けると、枯葉が二枚風に乗って空へ上って行った。そして、そのまま村の奥の方へ消えていく。その先は……
「……行ってみるか」
クリュウは小さく笑みを浮かべながら、手斧を切り株に置いて家の中に戻った。
いつの間にか椅子に座って編み物をしているサクラとソファでくつろいでいるフィーリア。現在家にいるのはこの二人だけだ。シルフィードはリリアの家に、エレナは店にいる。
「あのさ二人とも、ちょっと出掛けて来るから留守番頼んでいいかな?」
クリュウの問い掛けにサクラは手を止めてこちらに振り返り、首を傾げた。
「……どこかに行くの?」
「うん。まぁちょっとね」
「……そう。なら、私もついて行く」
そう言ってサクラは編み物をテーブルに置いて立ち上がった。その会話を敏感に聞き取っていたのだろう、フィーリアがソファから飛び起きて「私もついて行きますッ!」と断言した。
予想していたとはいえ、あまりにも予想通りな展開にクリュウは苦笑しながらも「仕方ないなぁ」と了承する。
準備を整え、と言っても特に持って行く物はないのですぐに家を出る。クリュウを先頭に行き先を告げられていない二人はとにかく彼に続いて歩く。
クリュウが向かったのはリリアの店であった。二人は彼の目的地を見て眉をひそめた。ここは幼邪神の本陣、自然と警戒するし狩場に似た緊張感が流れる。
そんな二人の様子など知らないクリュウは特に気にした様子もなくリリアの店に入る。様々な道具や薬が置かれた棚の行列の向こうにあるカウンターで、リリアとシルフィードが何事かを話していた。すると、こちらに気づいたリリアがクリュウを見てパァッと笑顔を華やかせた。まるで少し早い春が来たかのような印象を受ける。
「クリュウお兄ちゃんッ!」
パタパタと軽快な足音を立てながら駆けて来たリリアはそのままクリュウに抱き付いた。その瞬間、フィーリアとサクラの瞳が鋭くなる。
「コラコラ、店員なんだからちゃんとカウンターにいないと」
「いいもん。どうせ今日はみんな雪かきで来ないし。それに今の私はお兄ちゃんだけの店員さんなんだから!」
「どういう意味だよそれ」
「えへへ」
何とも仲睦まじい兄妹という感じだ。リリアはかわいさ全開の笑みを浮かべながらクリュウに抱きついて甘える。クリュウもまた本当の妹のように思っているリリアの甘えに対して頭を撫でてあげる。抱きついても拒否されず、それどころから優しく頭を撫でてもらうなんて、フィーリアやサクラでは逆立ちしたってできない事。二人は悔しそうな表情を浮かべて今はこの地獄のような苦行に耐える。
一方、そんな四人の様子を一望できるシルフィードは苦笑を浮かべるとあまり事態が悪い方へ転がらないようにさりげないフォローを入れる。
「それで、君は一体何の用でここへ来たのだ?」
「あぁ、そうだ。リリア、雪山草ってあるかな?」
「ふえ? あるけど、薬でも作るの? だったら私に任せてくれれば……」
「いや、薬じゃなくて雪山草自体が必要なんだ」
「ふぅん……、わかった。ちょっと待ってて」
リリアはクリュウから離れると店の奥に向かう。その背中が完全に見えなくなった所でフィーリアは不思議そうに首を傾げながら問う。
「雪山草なんて何に使うんですか?」
「まぁ、いずれわかるよ」
クリュウがそう言うので、フィーリアはそれ以上追及する事はできなかった。それに、いずれわかると言うなら今無理して問う必要もないだろう。そう結論を出したのだ。サクラもまた無言を貫いている。
やがて、店の奥からリリアが戻って来た。両腕を使って抱き締めるように持っているのは小タル。その中には真っ白な美しい花を咲き誇らせる雪山草がたくさん挿さっていた。
「これが今店にある全部だけど」
「十分過ぎるよ。じゃあ、十本程束ねてくれる? できればきれいにラッピングしてほしいんだけど……」
――刹那、場の空気が一瞬にして凍りついた。
クリュウはその恐るべき豹変を遂げた状況に一切気づいておらず、無数の雪山草の中から良さそうなものを一人で選んでいる。そんな彼を、四人の恋姫がじっと見詰めていた。
「く、クリュウ様が………は、花束を……?」
「……どういう事?」
「つ、つまり。その花束を渡す相手が、いるという事か?」
「え、えぇッ!?」
四人は改めてクリュウの横顔を見詰める。クリュウは相変わらずの鈍感っぷりを発揮して雪山草を選び続けている。その横顔はいつもと変わらない彼の顔だ。すぐにバッと四人は円陣を組む。その動きは見事なものだ。
「ど、どういう事ですかこれはッ!?」
「まさか、彼はすでに好きな女性でもいるのか?」
「そ、そんなぁッ!」
「……許さない」
「お、落ち着けサクラッ! とりあえずその手に持った瓶を置け! それは下手すれば下手するぞッ!?」
そんな完全にパニック状態に陥っている恋姫達を置いといて、クリュウは難なく十本の雪山草を選んだ。財布に手を伸ばしながら、ここでようやく四人の方へ向く。
「リリア。ラッピングしてくれる?」
「ふえッ!? う、うん」
リリアはカクカクとした動きでカウンターに戻ると、雪山草を白い紙と水色のリボンでシンプルだが色合い抜群のラッピングをする。クリュウはその出来に満足し、なぜかラッピングを終えたままうつむいて沈黙しているリリアに声を掛ける。
「それで、これはいくら?」
「ふえッ!? え、えっとぉ……そ、それはあげる!」
「え? いや、でもそれは……」
「い、いいからいいからッ! っていうか今話し掛けないで! 何かが解き放たれそうだから!」
「そ、そう? ありがとう」
意味不明な事を叫ぶリリアに多少困惑するも、すぐに気を取り直してきれいにラッピングされた花束を掴み、「じゃあねリリア。ありがとう」と礼を言って店から出て行く。三人はしばし固まっていたが、慌ててクリュウを追って店を出て行った。
「おぉリリア。しっかり繁盛してっかぁ?」
「……」
「ちょッとリリアッ!? 一体どないしたんやッ!?」
「……」
「え? 何か知らんけどきれいなお花畑が川の向こうにある? あかんッ! それは絶対に渡っちゃあかん川やッ! リリア、しっかりせいッ!」
リリアの店から、アシュアの悲鳴が轟いたのはそれからすぐ後の事であった。
ある場所を目指して歩くクリュウと、少し後ろから重い足取りで彼を追うフィーリア、サクラ、シルフィードの三人。わずかな間でその表情はまるで大連続狩猟を終えた後のようだ。
もはや言葉を発する気力もないのか、無言でクリュウを追う三人。だが、一歩一歩足を進めるたびに重くなっていく。心が行きたくないと拒んでいる証拠だ。ただ歩くだけなのに、こんなに気が重くなる事も珍しい。
そんな三人の様子に全く気づいていないクリュウはゆっくりとした足取りで通り掛かる村人一人ひとりにあいさつをしながら歩いて行く。ちなみに彼にあいさつされた村人が次にフィーリア達にあいさつしようとするが、とても声を掛けられるような雰囲気ではない為にあいさつせずに逃げるように立ち去って行く。
そんな前後で雰囲気がまるで違う四人。とにかくフィーリア達はクリュウの後を追ってとぼとぼと歩き続ける。すると、次第に住宅街を離れて行っている事に気づいた。こっちの方は三人はまだ来た事がなかった。
「住宅街を抜けましたけど……」
「どういう事だ? 街外れにでも住んでいるのだろうか」
「……」
「サクラ。頼むからその鋭利に尖った枝は捨ててくれ。それは下手したら本当に下手するぞ」
そんな会話をしながら、三人はクリュウを追って歩き続ける。そして、周りを囲む林が途切れて視界が一気に開けた。そこに広がっていたのは……
「ぼ、墓地?」
そこは崖に面した広い芝生が広がる場所であった。そして、そこには規則正しく多くの十字型の墓石が並んでいた。
そう、ここはイージス村唯一の集合墓地であった。この村で亡くなった者はほぼ間違いなくここに埋葬されている。
予想のずっと上をぶっ飛ぶような展開に呆然としている三人を置いて、クリュウは慣れた様子である場所を目指す。それは最も崖に近いブロック、つまり最も景色がいい場所に建てられている墓石群であった。そして、クリュウは一つの墓石の前で止まった。手に持っていた花束をそっと墓石の前に置くと、いつもモンスターを狩った後にするように手を合わせる。そこへ遅れてフィーリア達もやって来た。
墓石に近づくと、そこに彫られている名前を見る事ができた。
《アメリア・ルナリーフ》
墓石にはそう名前が彫られていた。
「クリュウ様、これは……」
フィーリアが問うとクリュウは小さな、どこか悲しげな笑みを浮かべて言った。
「――これは、僕の母さんの墓だよ」
「これが、クリュウ様のお母様の、お墓……」
クリュウの母が命を落としたのは彼が子供の頃だった為、この墓石も数年前に建てられたもの。だが、墓石はとてもきれいに手入れされておりそのような年季は感じられない。まるで、つい数日前に建てられたのではないかと疑うほどだ。
「とてもきれいですね」
「僕がドンドルマにいる間は村の人達が手入れをしてくれてたんだ。母さんは、この村の英雄だからね」
そう言うクリュウは嬉しそうな笑みを浮かべていた。それはまるで母の功績を心から喜んでいるようだ。
以前にエレナから聞いた事がある。クリュウの父はギルドの任務で古龍討伐に向かい、そこで命を落とした。それはクリュウが8歳の頃であった。
そしてクリュウの母、アメリア・ルナリーフが命を落としたのは彼が10歳の頃。ある嵐の日にセレス密林に入ったまま帰って来なかった村の子供を単身で捜索しに向かい、そしてそこで子供を庇いながら謎のモンスターと戦い――亡くなった。
遺体で帰って来た父と違い、母は遺体すらも帰って来なかったという。つまり、この墓石の下には彼の母はいないのだ。あるのは、遺留品であるG・ルナZヘルムの額当てのみ。
形だけの墓。でも、クリュウはこれを母の墓としてずっと手入れして来たのだ。
腰に下げた水筒を取り、中に入っている水をたっぷりと墓石に掛ける。そんな彼のいつもとは違う背中を見詰めながら、フィーリアは複雑な心境になった。
自分は忘れていたのかもしれない。彼は父と母を失うという辛さを乗り越えて、ここまで来たのだと。
今思えば、サクラは両親を失い、シルフィードは両親と弟も失った。そしてクリュウも両親を。それら全てが、モンスターによるものであった。彼らがハンターを目指すのは、ある意味当然の結果だったのかもしれない。
それに比べて、自分はどうであろうか。
両親は共に健在で故郷の街に暮らしている。二人の姉も、それぞれの道に向かってしっかりと歩んでいる。
この中で、何も大切な人を失っていないは自分だけ。その事実を再認識し、フィーリアは自分がここにいてはいけないような衝動に駆られた。
「……おば様、お久しぶりです」
そう言って墓石の前に跪(ひざまず)くサクラ。彼女はクリュウの両親が健在であった頃に何度も村を訪れていた、この中でクリュウ以外で彼の両親を知っている者。その想いは複雑だろう。
「……おば様覚えていますか? 私は、忘れた事はありません」
サクラは遠い目で、蒼い空を見上げる……
「……おば様が作ってくれたクッキーで、三日三晩腹痛に見舞われたあの日の事を」
「あのさ、母さんの墓石の前で恨み事は言わないでくれる?」
そう言って苦笑するクリュウに、サクラは「……別に恨んでなどいない。ただ、あの時の苦しみは今でも夢に出て来るほど強烈だったと報告してるだけ」と無表情で答える。
「いや、確実にそれは恨み事だよ? まぁ、母さんの料理は致命傷というか劇薬だった事は事実だけど」
「そ、そうなんですか? クリュウ様料理がお上手ですから、てっきりお母様仕込かと思ってましたが」
驚いたようにフィーリアが言うと、クリュウは何とも言えないような複雑な表情を浮かべる。
「その逆だよ。僕が料理を作らないと、母子共に中毒死するからね。子供ながら、そりゃ必死になって料理を作ったもんさ」
……不謹慎だとは思いながらも、なぜかものすごく納得するフィーリアとシルフィードであった。
「それにしても、何で突然お母様のお墓参りなど。もしかして今日は、お母様の命日なのですか?」
「いや、何となくだよ。ほら、さっきまで僕雪かきで屋根に上ってたでしょ? 子供の頃、よく母さんと一緒に上った事を思い出してね。それでだよ」
「……ず、ずいぶんアクティブなお母様なんですね」
「まぁ、何というかやんちゃな人だったからね。あの人は」
「……天然な人だった」
サクラも何度コクコクとうなずく所を見ると、どうやらかなり癖のある人物だったらしい。でも、クリュウの母の事を話す二人はどこか楽しげに見える。
クリュウの母を知っている二人と、知らない二人では反応が真っ二つに分かれてしまう。
「して、君の母上はどのような人物だったのだ? 聞く所によると、相当な腕を持つハンターだったようだが」
G・ルナZシリーズは古龍に匹敵する力を持つ黄金に輝くリオレイア希少種、それもG級に認定された個体からしか取れない強力かつ超希少素材で作られた最強クラスの防具である。それはつまり、彼の母は現役時代は大陸に名を馳せてもおかしくはない英雄クラスの実力者という事になる訳だが。
シルフィードの問いに対し、クリュウは何とも複雑そうな笑みを浮かべた。
「エレナから聞いたなら知ってると思うけど、母さんは結婚と同時にハンターを引退したからね。僕は母さんのハンター時代の事はよく知らないんだ。詳しい事は村長とかに訊いた方がいいと思うよ」
「そ、そうであったな」
「まぁ、一つ言えるとすれば、母さんは村を救った僕の誇りだって事かな」
そう言って無邪気に微笑む彼を見る限り、本当に心からそう思っているのだろう。こんな素敵な彼に成長したのも、間違いなく彼の母の偉業の一つだ。三人は墓石を見詰め、心の中で最上級の感謝の気持ちを伝えた。その想いは彼の母、アメリア・ルナリーフにも届いているだろうか。
「ハンターとしての母さんはよくわからないけど、母としての母さんはよぉく知ってるよ」
「どのような母だったのだ?」
「うーん、何ていうか母といよりどっちかと言えば姉っぽい母さんだったな。いつも天真爛漫に無邪気に笑ってて、毎日を楽しそうに過ごしてたね。趣味は近所の子供と一緒にサッカーをする事だったって人だったし。食事前には「ク~くん、ママお腹空いた~」って床に転がってゴロゴロしてたし、勉強を訊いても「ママ難しい事わかんなぁい」って逃げては僕にじゃれ付いてきたり。本当に母親なのかと思うほど子供っぽい人だったよ」
「な、何というか、すごい母上だったのだな」
シルフィードはどんな顔で返せばいいのかわからず、困惑したようにとりあえず笑って返した。フィーリアは「そうなんですか?」とサクラに問うが「……あの人は子供以上に子供だった」と彼女も認めた。どうやら本当に色々な意味ですさまじい母だったらしい。
「なるほど、そんなお母様がいたからこそクリュウ様はとてもしっかりした方へ成長されたのですね」
「……ダメ親ほど、子供はしっかり育つの法則」
「……だから、一応母親なんだからさりげなく非難するのはやめてってば」
そんなバカなやり取りをしている三人の輪には入らず、シルフィードは一人クリュウの母の墓の前に膝をついて、その真っ白な墓石を撫でる。
「クリュウの母上、彼は本当に良くやっております。いずれ、あなたを追い越すようなハンターになるでしょう。それまで、私が責任を持って彼を守ります。ですから、安心してください」
そう言って、シルフィードは微笑んだ。その瞬間、彼女の頬を柔らかな風が撫でた。シルフィードは一度コクリとうなずくと、ゆっくりと立ち上がる。
「そろそろ戻らないか? どうもここは風が寒くて敵わん」
「そうだね。じゃあ帰ろうか」
クリュウは最後に墓の前に立って「また来るからね」と優しげな笑みを浮かべながら言い、踵を返す。三人もまた墓に向かって一礼すると、彼を追って歩き出す。そんな彼らを見送るアメリアの墓には、彼女が大好きであった雪山草の花が風に揺れていた。
墓地を出る直前、村の方から一人の少女が歩いて来た。鳶髪のきれいな髪をポニーテールに束ね、同色のクリッとした瞳が可愛らしい、リリアより少し年上に見える少女だ。
女子三人は村人の誰だからわからない様子だったが、クリュウは彼女に気づくと「こんにちは」と声を掛けた。すると少女はクリュウに向かってペコリと頭を垂れて近寄って来た。
「こんにちはクリュウさん。お母様へごあいさつに?」
「うん。久しぶりに会いたくなってさ」
「そうですか。あ、じゃあこれ差し上げます。お供え物にしようかと思ってたんですが、皆さんでどうぞ」
そう言って少女は手に持っていたバスケットをクリュウに渡した。中を開けると、そこにはきれいに並べられたクッキーが入っていた。作りたてなのだろう、香ばしい匂いが辺りに漂っている。
「いいの?」
「はい。その方がアメリアさんも喜ぶと思いますので。では、私はこれで」
そう言って少女はペコリと頭を垂れると、クリュウ達とは反対に墓場の方へ入って行った。そんな彼女の背中を、四人は見詰める。
「クリュウ様、今の方は一体……」
「あぁ、彼女はエリエ・フォルシア。あの日、母さんが助けた子だよ」
エリエと呼ばれた少女はクリュウ達が見詰める先で墓地の奥、アメリアの墓へ向かう。
「あぁして毎日のようにお墓参りしてるんだ。母さんの墓がいつもきれいなのは彼女のおかげさ」
「……大したもんだ。普通なら、罪悪感で近づく事すらもできないだろうに」
シルフィードは自分よりもずっと年下の、でも自分よりもずっと強い心を持つエリエを感心したように見詰める。フィーリアやサクラも、同じようにエリエを見詰めていた。
「恩返しだってさ」
クリュウはエリエに背を向けると、そう言った。
「罪悪感じゃない。自分を命を懸けて助けてくれた母さんに少しでも恩返ししたいって。前に訊いたら彼女はそう答えたよ。ほんとに、大した子だよ」
「……クリュウ様は、エリエちゃんを恨むなんて事はしないんですか?」
フィーリアは不謹慎だとは思いながらも、訊かずにはいられなかった。
彼女を助ける為に、母親は死んでしまった。ならば、普通ならその助けた子であるエリエを恨んでもおかしくはないはず。だが、今の彼の口調からはそんな気持ちは一切感じられなかった。
フィーリアの問いに対し、クリュウは小さな声で答えた。
「そりゃ最初の頃は恨んださ。でもさ、母さんは何があっても人を恨んだり憎んだりしちゃいけないってずっと言ってた人だったし、彼女の献身的な態度を見ればそんな気はすぐに吹っ飛んださ。むしろ、最初の頃は毎日のように泣きながら謝りに来られて、そりゃもうこっちが悪い気になるくらいだったよ」
そう言って昔を思い出したのか、おかしそうに笑うクリュウ。その邪心のない真っ直ぐな笑顔を見て、三人はほっとしたように笑みを綻ばせた。
「接点は少ないけど、今ではある意味で妹みたいなもんさ。彼女のお母さんには何かと面倒見てもらってたしね」
「そうですか」
「……って、暗い話はこれくらいにしてさ、早く家に帰ってこのクッキー食べようよ」
笑顔で振り向く彼の言葉に、三人もまた笑顔を浮かべながらうなずく。
「そうですね。エリエちゃんのクッキー、楽しみです」
「……甘過ぎない事を望む」
「クッキーかぁ。私が作ったら黒焦げの謎の物体になるだろうなぁ」
それぞれの笑みを浮かべながら、クリュウ達は村の方へ戻って行く。すっかり雪化粧された村は、今もまだ除雪作業や凍結防止の為に塩を撒く作業が続いている。人手が足りないのだろう、家に戻ったクリュウ達だったがすぐに村長から応援を頼まれて村の作業を手伝う事になった。
イージス村の春は、もうすぐだ……