【完結】進撃の美少年クラブ   作:器物転生

1 / 22
リヴァイと電話部屋(上)

 オレはオレだ。オレは、ここにいる。暗闇の中で小さな火が灯るように、そこにオレの意思はあった。たとえ闇の中にあっても、ここにオレは居る。小さな火を灯して、闇の中を歩いて行ける。その意思さえあれば、分からない事ばかりでも、自分を見失う事はない。

 オレの名はエレン・イェーガー。親父の名前はグリシャで、母さんの名前はカルラという。オレの名前は親父と母さんによって名付けられ、オレという存在は形作られた。エレン・イェーガーという意思がオレであり、この意思がエレン・イェーガーだ。母さんを食い殺した巨人を殺すために、オレは存在している。

 たとえ肉体が滅びても、その意思に変わりはない。オレは巨人を憎む。一匹残らず、駆逐する。その感情で心を燃やして、オレは暗闇の中で輝いていた。この巨人に向ける憎しみがオレだ。この憎しみを持たないオレは、オレじゃない。母さんを奪った巨人を憎むオレが、エレン・イェーガーだ。

 

 だとすればオレは何なのか

 

 オレはエレン。ただのエレンだ。同じ名前でも、そこに込められた思いは違う。父親や母親の顔を、オレは見た事がない。リヴァイという名前の執事にオレは育てられた。周囲は高い壁に閉ざされ、執事以外の人を見た事がない。幼い頃からずっと、執事と2人きりで生きてきた。

 オレは巨人を知らない。見たこともない。巨人に殺されたはずの母親を、母親を殺したはずの巨人を知らない。誰かに対して、何かに対して、強い憎しみを覚えた事もなかった。ここでの生活は安らかで穏やかで、不満があるとすれば壁の外に出られないという事だ。それも燃え上がるほどに強い欲求という訳ではなかった。

 この世界に巨人はいないとリヴァイは……リヴァイさんは言う。それはウソなんじゃないかと思う事がある。本当はリヴァイさんはオレの知っている"兵長"で、何かの理由があって、ここにオレを閉じ込めているんじゃないかと思う事がある。あの高い壁の向こうには"奴ら"がいるんじゃないかと——そんな風に妄想する事が何度もあった。

 

 エレン・イェーガーとエレンの違いは肉体の性別だ。巨人の世界のオレは男で、こっちのオレは女だった。かつて男だった事を思い出すと、意識が引き裂かれるような感覚を覚える。自分の体に違和感を覚える。この体は自分の物ではないと、そういう感覚が何時まで経っても消えなかった。

 オレの心は、まだ巨人のいる世界にあるらしい。だけど肉体は、こちらの物だ。この肉体になって10年以上経つものの、巨人のいる世界の記憶は薄れていない。きっと昔のオレが「忘れるな」と叫んでいるのだろう。その記憶は痛くて苦しくて、「忘れてしまいたい」と思うオレもいる。

 オレは、オレだろうか。こんなオレは、オレと言えるのだろうか。どちらのオレで居るべきか、オレは悩んでいた。もしかするとオレは、どちらか一方である事を、一生決める事ができないのかも知れない。エレン・イェーガーならば迷いなく、エレン・イェーガーで在る事を選ぶのだろう。だけどオレはエレンで、エレン・イェーガーじゃないんだ。

 

 痛みが走る

 

 オレの心を真っ二つに引き裂こうとしている。本当に、痛くて苦しい。身を屈めて、胸を抑える自分に気付いて、女である事を思い出した。エレン・イェーガーだったら、男だったら、強いエレンだったら、この程度の事では泣かない。辛い訓練を乗り越えて、巨人と戦う強い意思を持っている。

 だけどオレは、そうじゃない。エレン・イェーガーじゃなくて、エレンなんだ。家族を失った苦しみも、訓練兵団の辛さも、仲間を失った悲しみも、裏切られた怒りを知らない——ただのエレン。エレン・イェーガーを抱え込むには、オレの体は小さすぎた。だから、身を引き裂くほどの痛みが体に走る。

 涙が止まらない。エレン・イェーガーを受け止めきれないオレの心は傷付いて、血を流す。これはオレの涙なのか。それとも巨人に対する怒りで、血の涙を流すオレのものなのか。エレンとエレン・イェーガーの境界が曖昧になって、分からなくなる。自分の体じゃないように感じて、こわかった。

 

 オレはエレンだ

 私はエレンだ

 

 私はエレン・イェーガーを嫌っている訳じゃない。エレン・イェーガーは痛くて苦しいけれど、「忘れてしまいたい」と思っているけれど、エレン・イェーガーは嫌いじゃない。辛いのは思い出で、エレン・イェーガーじゃない。辛いのは世界でエレン・イェーガーじゃなかった。

 真っ直ぐで、炎のように激烈で、巨人を殺すために生きたエレン・イェーガー。その姿に私は憧れる。それは焼け付く太陽へ、手を伸ばす行為に似ていた。その熱に私の心は耐えきれない。それは私が弱いからだ。エレン・イェーガーを受け止めきれない私の器がもろかった。女ではなく男として生まれれば、こんな痛みを感じる事はなかったのかも知れない。

 それでも、いつかエレン・イェーガーを受け止める事ができる日が来るかも知れない。だから私は、"オレ"でいよう。オレはエレンであり、エレン・イェーガーでもある。その思いを受け入れよう。その日まで、この痛みを抱えて生きて行く。オレにとって、それは巨人のいる世界との、最後の繋がりなんだ。

 

 

 生まれた時からオレは壁の内側にいる。敷地の中で一番高い建物は、居住に用いる3階建ての屋敷だ。その屋敷の屋根よりも壁は高いから、壁の外を見下ろす事はできない、壁の内側には屋敷だけじゃなくて、いろいろな施設もある。建物の隙間は木々に埋め尽くされていて、貴族の屋敷のようだった。

 壁は見上げるほどに高く、夕日を遮ってしまう。屋敷の屋根に登っても、夕日を見上げる事しかできない。そこから地平線に沈む太陽を見下ろす事はできない。巨人の世界の壁は50メートルだった。こっちの壁も同じくらいだ。もしも60メートル級の超大型巨人が現れれば、シガンシナ区やトロスト区の外門が破壊された時のように、あの筋肉を剥き出した頭部が壁の上に見えるのだろう。

 ただし、こっちの壁に外門はない。出入りするための門が壁に付いていなかった。この壁の前に超大型巨人が現れたとしても、他の巨人が通れるほどの大きな穴を開けるのは困難だろう。壁の上に兵器らしい物は見えないから、巨人のような生物は居ないのかも知れない。

 

 そんな壁に囲まれた屋敷でオレは、こっちのリヴァイさんに育てられた。本来ならば"リヴァイ兵長"と呼ぶべきなのだろうけれど、こっちのリヴァイさんは巨人の世界を知らない。オレの知っているリヴァイ兵長じゃないんだ。だから「リヴァイ兵長」とは呼べない。そのせいで「リヴァイさん」と呼ぶたびに違和感を覚える。

 オレを育てたリヴァイさんは歳上だ。いつもリヴァイさんを見上げる形になる。だけど巨人のいる世界の兵長は、オレよりも身長が低かった。こっちのリヴァイさんの身長が伸びたのではなく、オレの身長が低くなったんだ。これから成長期でオレの身長は伸びるだろうから、リヴァイさんと同じくらいの身長になるかな。

 リヴァイさんの服装は、いつも黒い執事服だった。オレの服はワンピースやらドレスやら色々とあるけれど、リヴァイさんのクローゼットは仕事別の似たような執事服しか入っていない。その時に「リヴァイさんの服は他にないんですか」と聞いたら、リヴァイさんがパジャマを引っ張り出したので笑ってしまった。

 

 オレは前世をリヴァイさんに教えていない。オレに前世の記憶があるという事をリヴァイさんは知らない。そもそも、これは前世の記憶か疑わしい。だけど、前世の記憶という事にしておこう。こっちにも巨人がいるという可能性は、壁の外を見なければ分からないのだから。

 それに前世について話す事に、オレは抵抗があった。リヴァイさんに嫌われたくなかったんだ。リヴァイさんとの関係を壊したくはなかった。それと同時に「そんな事は知らない」と言われるのが怖かった。そうなれば、また一つ、巨人のいる世界との繋がりを断ち切られる事になるのだから。

 せめてオレを育てる人物が、リヴァイさんでなければ良かったのに……顔も名前も知らない他人ならば、巨人のいる世界との繋がりなんて感じなかった。それと同時に、リヴァイさんで良かったと思う。巨人のいる世界との繋がりが、まだ残っていると思えるからだ。それらはエレンとエレン・イェーガーの思いで、一つの肉体に在りながらも矛盾していない。

 

 リヴァイさんとオレは、いつも一緒にいる訳じゃない。男と女なんだし、寝る時は別の部屋だ……小さい頃は同じ部屋で寝ていたけれど、それは仕方ないと思う。昼間だって、ずっとリヴァイさんが側にいる訳じゃなかった。この広い屋敷を一人で管理しているのだから、リヴァイさんは忙しいんだ。

 でもリヴァイさんが、オレを邪険に扱う事はなかった。巨人のいる世界のリヴァイさんに比べて、こっちのリヴァイさんは表情が柔らかい。巨人のいる世界のリヴァイさんと違って笑う事もあるし、オレを見る目は優しかった。住んでいる環境が違えば、巨人のいる世界のリヴァイさんも、あんな感じだったのかも知れない。

 前世と違うのは、オレもか。激しく怒る事がなくなった。そもそも怒るような環境に身を置いていないせいか。少なくとも壁の外に出なければ、リヴァイさんと共に安定した生活を送れる。それでも現状を不満に思う気持ちは、エレン・イェーガーの残り火としてあった。閉じ込められた今の生活に妥協していれば、「家畜と変わらない」と言って怒られてしまうな。

 

 エレン・イェーガーは特別な力を持っていた。巨人を憎んでいるオレに対する、嫌みのような力だ。この力のせいでオレは、同じ人間に殺されそうになった事もある。壁上に設置されている対巨人用の固定砲を向けられて、幼馴染のミカサとアルミンを守るためにオレは巨人と化した。あの時、アルミンが頑張ってくれなければ、オレ達は駐屯兵団に処刑されていただろう。

 それも前世の話だ。こっちでミカサやアルミンに会った事はない。そもそもオレは、リヴァイさん以外の人と会った事がない。リヴァイさんに似た人がいるからと言って、ミカサやアルミンに似た人がいる訳じゃないだろう。そもそも居たとしても別人だ。オレの知っている2人じゃない。

 顔が似ているだけの奴らに会って、どうすると言うのか。リヴァイさんだって、顔が同じで、名前が同じで、性格が似ているというだけの話だ。そんな人を兵長と同じように見る事はできない。リヴァイさんとリヴァイ兵長は別人なんだ。だけどエレン・イェーガーにとって、リヴァイさんは尊敬する兵長だった。ミカサやアルミンに会いたいとも思っていた。

 

 オレは一人で、壁の前に立っている。壁に触れると、影となっているため冷たかった。温かいリヴァイさんとの生活と反するように、堅くて冷たい牢獄を思い浮かべる。この壁の冷たさが、オレが囚われている事を思い出させる。それを実感すると、心に痛みが走った。

 オレにリヴァイさんを疑えと言うのか。オレが生まれた時から側にいて、愛情を注いでくれた人間を疑えと言うのか。共に食事をして、共に遊んで、共に風呂へ入り、共に寝た。オレにとって家族に等しい人間を、オレは疑えと言う。その疑いが真実になった時、オレは如何すれば良いのか。オレにとってリヴァイさんは父であり、兄でもあり、そして……。

 ここは偽りの楽園なのだろう。夢のような時間だった。痛みを知らず、傷付くことを知らず、優しさだけを注がれてオレは作られた。これを家畜と言うのか。この状況に甘えているオレを家畜と言うのだろう。そんなオレは、いつか訪れる破滅を後回しにしているに過ぎないのかも知れない。

 

 オレは自傷行為に挑む。昔のオレのように、親指の付け根を噛んだ。だけど肌を突き破れない。痛みが恐くて、自分を傷付ける事ができなかった。ハムハムと口を動かし、歯を手に当てる。無意味に舌の先でペロペロと舐めた。やがて諦めて手を下ろし、溜め息を吐く。

 自分を傷付けられるほど、オレの心は強くない。昔のオレのように強くないんだ。巨人に捕まったアルミンを助けるために、片足が千切れたまま巨人の口に飛び込んだ英雄とは違う。弱いな——私は、こんな自分が嫌になる。なんだか体を重く感じて、オレは壁に寄りかかった。そうするとワンピースのスカートが、フワリと浮き上がる。

 服越しに背中から、壁へ体温が奪われた。巨人のいる世界の壁と、この壁は同じ物なのか。そうだとすれば、中でアレが眠っている。オレは耳を壁に付けて、目を閉じた。穏やかな風が通りすぎ、サワサワと木の葉が揺れる。遠くからバサバサという鳥の羽音が聞こえ、すぐ近くからドクドクという心臓の鼓動が聞こえた。

 

 

——プロローグ「リヴァイと電話部屋(上)」

 

 

 リィィィンと、ベルが鳴り響く。壁に囲まれた屋敷の一室で、電話機が鳴っていた。それは古風な、壁掛け式の電話機だ。四角い電話機の上部で、小さなハンマーが丸いベルを打ち鳴らしている。その小さな部屋にある物は電話機だけで、椅子のような家具は置かれていない。電話を用いるために、その部屋はあった。

 ベルの音が止む。電話機に掛かられていた受話器を、執事服の男が持ち上げた。目付きの悪い、まだ若い男だ。執事と言われても一瞬、身分に疑いを持つだろう。しかし、その姿勢は美しく、歪みがない。受話器を支える手は、肘まで届く白い清潔な布手袋で覆われていた。

 執事はエレンを育てた者だ。壁に閉ざされた屋敷に、エレンを閉じ込めている者でもあった。この小さな世界でエレンと共に、2人きりで生きている。しかし、その終わりが近い事を執事は知っていた。幼年期は終わり、エレンは成長の時を迎える。執事の望む結末を得られるか否かは、執事自身に掛かっていた。

 

『ごきげんよう、リヴァイ』

「ごきげんよう、旦那様」

 

『その後、経過はどうだ?』

「ああ、良い報告と悪い報告が一つずつある」

 

『そうか……では、まず良い報告からおねがいしよう』

「了解した。では……」




現在公開可能な情報:12月25日はリヴァイ兵長の誕生日である

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。