恋姫†無双~DQNッ☆キチ○イだらけの三国志演義~   作:gtu

1 / 16
プロローグ

 

 

1584年尾張国長久手

 

徳川、羽柴両軍が激突していた

羽柴軍は、羽黒の戦いでの森長可の独断専行による敗戦により劣勢にたたされ、劣勢を覆す為に、中入り(がら空きである敵国に奇襲をかける作戦)を決行していた。

 

しかし、徳川軍はそれを看破し、中入りの決行部隊に逆に奇襲を仕掛けた。

 

これにより、決行部隊であった羽柴秀次、堀秀政、池田恒興、池田元助、そして、森長可らが窮地にたたされていた

 

「くそッ!、徳川め!小賢しいぞ、くそがッ!」

 

森長可は、徳川家家臣である井伊直政の策により沼に足をとられた。

 

普段の長可であればこのような策に引っ掛かるはずはなかった。

これでも長可は、1582年の甲州征伐の高遠城三の丸攻めで非戦闘員である女子供ごと兵士たちを撃ち殺す功績を上げて、織田家の若手のなかでは最大である信濃川中島等20万石をもらい上杉への牽制を一任されたり、また、本能寺の変後、自分を暗殺しようとしているという木曾義昌にたいして、「明日城に行くよ^^」と言っておきながらその日の夜に「来ちゃった^^」とばかりに来て城門が開いてないという理由で攻城兵器を使って城門を破壊して城に入り、木曾義昌の息子を養子にすると言い出し、ていの良い人質にして、自分の本領に戻るまで連れ去り、本領に帰ったとたん、「やっぱり養子はいらね」といって木曾義昌の息子を追い返したりと人間性はともかく暗殺を見抜けるほど頭も切れ、牽制を一任されるほどの優秀な武将であった。

 

だが、時期が悪かった

 

羽黒の戦いは、森長可にとって見れば初めての敗戦だった。

 

常勝であった最盛期の織田家にいて、本人もその強さが当然のものだと思っていた。

 

しかし、結果は、一時後退という伝令が一時撤退となり、最終的には、全軍撤退という伝令として伝わった。

伝言ゲームでのミスのような話だが、それにより、森軍は全軍撤退となった。

 

 

余談だが、羽黒の戦い後に同僚であった蒲生氏郷に対して、あいさつが聞こえないといって喧嘩を吹っ掛けている。

完全に八つ当たりである。 

この喧嘩はヤンデレサイコキチこと細川忠興に仲裁された。

 

ヤンデレは嫁のこと以外では比較的まともである。

 

閑話休題

 

 

 

そのようなこともあり、冷静さが欠けていた森長可は中入りという成功例が片手の指で数えられるほどしかない作戦に名乗り出た。

 

 

本来であれば止める役目であった筆頭家老かがみんこと各務元正は留守番であった。というか森家の中心人物のほとんどを小牧長久手の戦いに連れていってないのである。

 

 

そんなこともあり暴走を止める人物もおらず、長久手でまんまと井伊直政の挑発に乗り沼地に嵌まり現在に至るのであった。

 

 

「くそッ、井伊も徳川も全員ぶっ殺してやる!それで禿げ鼠から甲斐をとってやr

 

バンッ・・・・・・・・・

 

銃声が響いた

 

そして銃声のあとには、無惨にも眉間に穴が空けた森長可が残されていた。

 

森長可 長久手の戦いで討死

享年27才

 

 




いかがでしたでしょうか?感想お待ちしています!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。