島津由乃に転生   作:琉命

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黄薔薇革命
1


 

私は一年のうち、どれくらい学校をお休みしているだろう。

クラスメイトと共に過ごす時間がなくなるのが惜しいとは思わないが、自分が欠席するせいで山百合会の仕事ができず、結果的に姉の令ちゃんに迷惑をかけてしまうのは心苦しかった。

 

同級生の福沢祐巳さんを盛大に巻き込んで行われた山百合会主催の演劇は、無事に成功を納めた。学園祭期間中においては体調も良好状態を保っていたので、与えられた役割を果たすことが出来た。

それは良かったのだ。令ちゃんの顔に泥を塗るようなことにならず、安心したものだった。

しかし、その後疲れが一気に押し寄せてきて、見事体調を崩してしまった。

だから、私は今こうしてベッドに寝そべっている。

 

「はぁ……」

 

最近、私はため息をつくことが多い。

悩みの種はもちろん、令ちゃんのこと。この三、四ヶ月ほど、令ちゃんの様子がおかしいのだ。

例えば、令ちゃんと登校する時。

令ちゃんはいつも優しく手を握ってくれていたのに、最近は手を繋いでくれなくなった。歩幅は合わせてくれるけど、それでもやっぱり寂しくて自分から手を繋ぎにいったら、それとなく手をほどかれたのだ。

私は愕然とした。令ちゃんに拒絶される恐怖は、その時刻まれたのだと思う。

 

他にも、剣道部で一緒に頑張っている時、薔薇の館に集まっている時。

令ちゃんと行動を共にする時、令ちゃんはちょっと様子がおかしい。具体的に説明できないのがもどかしいが、ともかく、変なのだ。十数年一緒に生きてきて、今まで見たことのない表情を見せたりする。

もしかしたら令ちゃんは私のことを嫌いになったのではないか、と恐ろしい想像をしてしまうこともあるくらいだ。

けれど体調を崩したりすると令ちゃんはやっぱり優しくしてくれるから、変わらず自分を好きでいてくれていると、信じていられる。だから、生きていられるんだ。

 

「由乃、起きている?」

 

令ちゃんが私の部屋にやってきたのは、ベッドの中でそうやってうじうじと考えていた時だった。

ふと時計を見れば時刻は既に六時を回っている。時間から考えると、剣道部での稽古が終わってから様子を見に来たのだろう。もうすぐ交流試合があるから、稽古に力を入れているのだ。

 

「令ちゃんっ」

 

侵入者の顔を視界に捉えた私は、現金なもので悩んでいたことも忘れ、ご主人様に尻尾を振る子犬のようにぱあっと瞳を輝かせた。

 

「熱は、まだ下がらないの?」

 

枕もとに腰かけた令ちゃんは、私の顔を覗きこんできた。

 

「まあ、下がった……かな」

 

私は、ちょっと大げさに言った。実際は現状維持、よくて微減といったところだ。嘘はついていない。

令ちゃんはそっか、とだけ言うと鞄からバインダーを取りだして、何枚かの書類を机の上に置いた。

 

「……私は今日は宅配便屋さんだから、お届け物が済んだら退散するね」

 

令ちゃん直々に用が済んだらすぐ帰ると宣言されて、再び私の心は荒む。

ずっと令ちゃんとお話したいのに。

ずっと令ちゃんのそばにいたいのに。

 

私の落ち込みようなど気づかないらしく、令ちゃんは一見素知らぬ顔で英語のリーダーの宿題や古文のレポートとか、学校で預かってきたプリントを見せてくれた。

私は本格的に体を起こして、お届け物をチェックする。

課題については私にとってとるに足らないものなので、軽く目を通すだけにとどめたけれど、その中に混ざっている茶封筒が目に止まった。

 

「あ、これ、新聞部に頼まれていたアンケートなんだけど」

 

私が不審げにそれを見ているのに気付き、令ちゃんが言った。

 

令ちゃんの話によると。

私たち支倉令・島津由乃姉妹が、ベスト・スール賞に選ばれたらしい。そして、それに際し新聞部から取材の申し込みがあり、断ったところアンケートだけでもと泣きつかれたそうだ。

アンケートはともかく、ベストスール賞受賞という事実は誇らしかった。

言ってみれば、令ちゃんと私はお似合いで最高の姉妹なのだと、高等部の生徒に認められたのだ。嬉しくないわけがない。

きっと、令ちゃんだって同じ思いでいるはずだ。

 

アンケートはパーソナルデータを除けば、好きな言葉とか憧れの芸能人とかそんな設問ばかりだった。辟易しながら答えていったが、愛読書は何か? という設問には難儀した。

それこそ古典から何から、とにかく手に取る乱読家だから。

 

何となく気になったから詳しく尋ねてみると、どうやら他にもいくつか賞があったらしい。

何とミスター・リリアンなる奇怪な賞があったらしく、しかも受賞したのが令ちゃんだというから、笑ってしまった。確かに令ちゃんはかっこいいけれど、ミスターはないだろう、と。

 

あと、番外として、福沢祐巳さんがミス・シンデレラ賞を受賞したという。ザ・お嬢様って感じの祥子さまに見初められた祐巳さんは、確かにシンデレラのイメージにぴったりだ。

そこから話が及んで、彼女が祥子さまからロザリオを受け取ったという話になった。祐巳さんにお姉さまが出来た。それはもちろんめでたいことだけれど。

 

「また、山百合会に一年生が増えるね」

 

「そうだね……」

 

祐巳さんが嫌いなわけではないが、あまり嬉しくはなかった。

 

 

――

 

 

学園祭の余韻もやっとなくなった、ある日の放課後。

 

「あれ?」

 

薔薇の館へ向かう途中、一年菊組の教室を通りすぎようとしたところで、祐巳は中に見知った顔を発見した。

 

「由乃さん?」

 

声をかけると、席についている由乃さんはびくりと肩を震わせた後、おずおずとこちらを振り向いた。

菊組は既に掃除が終わっていたらしく、由乃さんの他に人気はない。静かだったから余計に声が響いて、驚かせてしまったのかもしれない。

 

「ゆ、祐巳さん……?」

 

「ごめん、驚かせちゃった?」

 

「い、いいえ……こちらこそ」

 

由乃さんはすーはーって深呼吸してから、由乃さんは慎ましくも可憐に微笑んだ。

何が「こちらこそ」なのかはよくわからないけれど、ともかく祐巳は教室へ入った。

 

「登校していたんだ」

 

「……うん、一週間ぶりくらいかな」

 

「由乃さん、一人?」

 

「うん……休んでいた分のノートを、その、写させてもらってるの」

 

由乃さんの言う通り、確かに机の上には数冊のノートが並んでいる。

 

「大変だね……あ、座ってもいい?」

 

「う、うん。もちろん」

 

祐巳は椅子を引いて、由乃さんの前の席に腰を下ろした。

由乃さんがせっせと写す作業に勤しんでいるのを眺めながら、祐巳は由乃さんってどんな人なんだろうと考えていた。

 

全体的に小柄で、女の子らしい女の子って感じ。

スカートの上に掛けている膝掛けは、制服の色に合わせた新緑色の毛糸で編まれているけれど、由乃さんにかかればそれすら可愛らしく見えてくる。

うつむきがちなのがまた、憂いを帯びていてとてもいい。

こう言っては悪いけれど、由乃さんの纏う雰囲気が弱々しいというか、薄幸の美少女という感じで守ってあげたくなる。

二年生になったら、こんな子を妹にできたらいいと思う。

 

「あの……」

 

由乃さんは不意に顔を上げた。視線を感じたらしく、戸惑っているのが見てとれる。

 

「あっ、ううん、何でも。……ごめん」

 

慌てて取り繕おうとしても、自分のことながら何を言っているのかわからなくなった。

 

「そんな……き、気にしないで」

 

由乃さんは困惑した様子ではあったが、祐巳を気遣ってくれた。

不快に感じたわけではなさそうなのはよかったけれど、由乃さんを戸惑わせてしまって、落ち込んだ。

そうしている間にも由乃さんはノートを写し終わったのか、筆記用具をしまっている。

 

「あの」

 

ノートをしまう手を止めて由乃さんが言った。

 

「え?」

 

「私と令ちゃ……お、お姉さまって、どう見えるかな?」

 

「由乃さんと令さま?」

 

言われてぼんやりと考えてみるが、答えは明白だ。

それはもちろん、ベスト・スール賞を頂いていたことからも分かる通り、お似合いの姉妹だろう。

 

「えっと、お似合いの姉妹って感じかなあ。言うなれば、こう……病弱なお姫様と、姫を護る騎士?」

 

「そっか……」

 

頭の中のイメージを懸命に言葉にしてみたが、由乃さんは得心のいかない様子で、そっけないお返事である。言葉選びを間違えただろうか。

 

「……私、ちゃんと妹やれてるかな」

 

「え?」

 

すると由乃さん、今度はまた別の質問を投げ掛けてきた。

おいおい。

由乃さんがちゃんと妹やれていないというのなら、誰がちゃんと妹やれているというんだ。

 

「よ、由乃さんはよくやってると思うけど」

 

「そうかな……」

 

どこか不安げに俯く由乃さん。

どうも由乃さんは、答えを求めて質問を繰り返しているわけではないらしい。

心の内にある不安を、吐き出しているだけなのかも。

 

「私お裁縫も、お料理も、お姉さまのために覚えたのに」

 

お姉さまのために、って。

こんなに自分に尽くしてくれる由乃さんがいて、令さまは幸せ者だと思う。

けれど由乃さんはやっぱり悲しげで、のろけているようには見えなかった。

 

「由乃さん、令さまのこと、大好きなんだね」

 

だから何も言わず、ただ由乃さんの想いを肯定する。

由乃さんは小さく首を縦に振った。

 

「もちろん。……だって」

 

そこで言葉を止め、由乃さんは表情を変えた。場が凍りつくような鋭い雰囲気になって、祐巳は思わずごくりと生唾を呑み込む。

 

「私は、お姉さまがいないと生きていけないもの」

 

「っ……」

 

それが冗談めかしたものであったなら、祐巳も「またまたぁ」と笑って返すことが出来ただろう。しかし、由乃さんは真面目な表情でそこに佇んでいて、本心からの発言らしかったから。

祐巳は何も言えず、黙りこんでしまった。

由乃さんは一体どんな人なのか。ここにきてわからなくなった。

 

静寂の中、由乃さんはゆっくりと立ち上がって膝掛けをしまった。帰る準備万端の由乃さんに、祐巳は我に帰り慌てて声をかける。

 

「薔薇の館、行く?」

 

このまま別れるのは嫌だったからそう尋ねてみたものの、由乃さんは首を横に振った。

 

「剣道部に行くから」

 

「剣道……部?」

 

由乃さんと、剣道。

はて。

どうも二者が線で繋がらない。まさか由乃さんが剣道をやるわけではないだろう。令さまと待ち合わせでもしているんだろうか。

すると由乃さんは、祐巳の疑問を氷解させるように言葉を続けた。

 

「私、剣道部のマネージャーなの。形だけなんだけどね」

 

「……なるほど」

 

由乃さんは剣道においても、令さまを支えているわけだ。

病弱でありながらも、陰から騎士――お姉さまを支える深窓のお姫様。

そりゃ、妹にしたいナンバーワンにもなるわけだ。

 

「いつでも令ちゃんのそばにいたいから」

 

だから由乃さんは、マネージャーとしても頑張っているわけだ。

うーん、見上げた妹心。

由乃さんの令さまへの想いの凄まじさを実感する。

って、ちょっと待て。今、由乃さん何て言った?

 

「今、令ちゃんって……」

 

指摘すると、由乃さんは「しまった」という顔をした。

 

「あ、えっと……私とお姉さまは従姉妹同士だから」

 

「……なるほど」

 

こうして祐巳は二度も「なるほど」と唸らされたのだった。従姉妹同士で気心知れた仲だからこそ、二人は深い絆を築いている。

一学年上の先輩をちゃん付けで呼ぶからには、それくらいの長い関係なんだろう。

それこそ、互いのことはなんでも知っているくらいに。

すると不意に、先程の祐巳よろしく廊下から声がかけられた。

 

 

「由乃、いる?」

 

そこに現れたのは、令さまだった。

剣道着と防具を身につけた、凛々しいお姿。きっと稽古中に抜け出してきたんだろう。似合っていて素敵な格好ではあるが、これで校舎を歩いてきたのだとしたら、令さまファンにキャーキャー言われて大変だったのではなかろうか。

 

「あ……令ちゃん」

 

「ちょっと遅かったから、迎えに来た」

 

令さまはあっさり言ってのける。

お姫様のお迎えに上がる、騎士さま。何てお似合いなんだろう。まさにベスト・スールの名にふさわしい姉妹。

ふと令さまは、隣の祐巳に目を向けた。

 

「祐巳ちゃんも一緒だったんだね」

 

「あ、私はちょっと通りがかっただけで。すぐ失礼しますから」

 

理想の姉妹であるお二人の手前祐巳はちょっぴり遠慮してしまい、早々に席を立った。噂の主が目の前に現れたが故の気まずさもあって、ちょっと居心地の悪さを覚えたのだ。

 

「祐巳ちゃん、そんな気を使わなくてもいいよ」

 

「へ?」

 

扉へ向かって足を踏み出しかけたところで、祐巳は令さまの声で停止した。何とも不細工な格好になってしまっている。

 

「私たちは昨日今日姉妹になった仲じゃないんだから」

 

そんなにベタベタしたりしないわ。そう言って令さまは笑った。祐巳をからかう令さまの隣で、由乃さんは控えめに微笑んでいる。

うーん、絵になる。美男美女カップルって感じだ。いや、美男は令さまに失礼か。

なんてうっとりしていたら、令さまと目があった。何かじーっと見つめられている。

 

「……祐巳ちゃん、この後時間ある?」

 

「……え?」

「……え?」

 

唐突な質問に思わず祐巳は呆けた声を出してしまった。それと同時に、別の声が被さった。声が重なって聞こえ、その違和感に再び「えっ」と声を洩らしてしまう。

コーラスの主は状況的に由乃さんしかありえない。由乃さんもまた、突然の令さまの発言にその意味を図りかねているのだろうか。

 

「ちょっとお話、しない?」

 

「あ、えっと、あの……はい。構いません」

 

そんな情けない姿を晒してしまったから、ただ返事をするだけなのにしどろもどろになってしまう。ああ、恥の上塗りだ。

 

「ありがとう。由乃、先に剣道場に行っていてくれる?」

 

祐巳の了解を取り付けて、令さまは今度は由乃さんに優しい声音で話しかけた。

 

「……私も一緒じゃだめ?」

 

令さまのそばにいたいという想いが、その顔には分かりやすく現れていた。

由乃さんは上目遣いで令さまの胴着の裾を掴み、挙げ句に小首を傾げてみせる。

その仕草は大抵の人ならあっという間にノックアウトされ、あっさりお願いを聞いてしまうような恐ろしい魅力を秘めていた。

 

「ごめん、祐巳ちゃんと二人きりで話したいの」

 

しかし令さまはそれを断った。

わざわざここまで迎えにきたのにも関わらず、由乃さんを先に行かせてまでしたい話とは何だろう。

 

「あ……うん、分かった」

 

「先生にもちゃんと言ってあるから、気にしなくていいからね」

 

由乃さんも大して抵抗はせず引き下がった。そんな由乃さんの頭を撫でてやる令さまの表情はミスターリリアンのイメージとは違って、お母さんのような包容力のある優しいものだった。

撫でられてる由乃さんも嬉しそう。

というか、お二人も自覚がないだけでベタベタしているじゃありませんか。しかし野暮だから心の中でだけ突っ込みを入れた。

 

「じゃあ、先に行くね……祐巳さん、ごきげんよう」

 

「あ、うん。ごきげんよう」

 

ちょっと名残惜しそうに去っていく由乃さん。

令さまはそれをじっと見守っていた。扉が閉められて、その姿を視認できなくなるまで。

 

「さて」

 

気を取り直すように祐巳の方に向き直り、令さまは口を開いた。


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