お二人が何を指して「それよ!」と仰ったのか分からないから、言葉が出てこない。返答に窮してしまい、令は黙りこんでしまった。
「今の貴女たちは……互いに依存しあっている。それでは良い方向には向かわないと思うの」
「依存、ですか」
「ええ。だから、令。由乃ちゃんを理由にするのはよしなさい。それでは、由乃ちゃんに令が必要なんじゃなくて、令に由乃ちゃんが必要なだけなんじゃないの?」
「そ、そんな事は……」
「あるわ。令は由乃ちゃんに、すがっている。もっと言えば、『病弱な由乃ちゃんを守る』と言う大義名分に、ね」
きっぱりと言われてしまう。
そんな事は無いと反論したかったのに、その言葉に何も言えなくなった。
「今はまだいいわよ、令も由乃ちゃんも、まだ高校生だもの。でも、いつまでも二人一緒にいられるなんて、本当に思う?『病弱な由乃ちゃんを守る』と言う大義名分が無くなった時、令は令でいられなくなるのではなくて?」
「わ、私は……」
令は答えられなかった。今までずっと、由乃と共にいることが令の全てだったのだ。由乃のいない日々が想像できないくらいに、令の生活に由乃の存在は浸透している。
確かに由乃がいなくなったら、令は簡単に壊れてしまうだろう。自分が自分でいられなくなるかもしれない。
「でも、本当に怖いのは……由乃ちゃんの方ね」
「え?」
自分が由乃に依存している。それは認めよう。
しかし、由乃の方が怖いとは一体どういうことであろうか。お二人と話していると、疑問が際限なく涌き出てくる。
「それは、どういう……」
「由乃ちゃんの眼には、令の姿しか映っていない」
「私……の」
「ええ、由乃ちゃんは周りが見えなくなるくらい、令ばかりを見つめている」
やはり、令には否定できなかった。
あの日、救いを求めて令の名を何度も口にしていたように、由乃は危機に陥ると令を渇望する。助けて令ちゃん、と。
ひたすらに自分を求められるのが、令はある意味誇りにも感じていたのだが、それは良くないことだったのだろうか。
「令のことを好きなのはいいけれど、少々行き過ぎていると思うわ。令がいないと、由乃ちゃんは駄目になってしまう……身体のことだけではなく、精神的にもね。けれど、令が卒業したら、どうするの? その先は? 由乃ちゃんを見ていると、怖いのよ。あの頃の聖を見ているようで……」
「蓉子」
聖――白薔薇さまの名を紅薔薇さまが口にしたとき、お姉さまが窘めるように言った。
「……ごめんなさい。ともかく、貴女たちはこのままではよくない。それだけは言っておくわ」
確かに……そうかもしれない。少なくとも令には、反論することはできなかった。
由乃には、仲のいい友達がいない。
幼い頃から剣道にしても、何にしても令と一緒にいたから、由乃は寂しさとは無縁ではあったかもしれない。令がいれば友人など必要ないと思うくらいには。
その身体のこともあって休み勝ちだから、クラスメイトにも気を使われているだろう。特別扱いされて、中々友人として心を開ける相手がいないということも、要因とは思われるが。
令のほかに心許せる人が学校にいないことは、確かに心配してはいた。
「由乃ちゃんの身体のこともあるから、中々思い切ったことはできないかもしれないけれど」
紅薔薇さまの言葉をお姉さまが継いで、端的に言い放った。
「考えておいて」
その「はい」と頷かざるを得ないほどの迫力こもった一言で、お二人の話は終わった。紅薔薇さまに解散を告げられ、令は一人薔薇の館を出る。
そして雨の中を帰路につくわけだが、もはや朝の弾むような心地は霧散してしまっていた。
「はぁ……」
体内に溜まった暗い感情を、吐息にのせて吐き出す。
お姉さま方に言われて、令ははじめて気がついた。自分が由乃に依存していると。
確かに、このままじゃよくないのかもしれない。由乃はこれから先もあの身体と付き合っていかなければならない以上、せめて心は強く在ってほしい。それは間違いなく自分の思いだ。距離が近すぎることで由乃がさらに自分に寄りかかってしまうのだとしたら、やはりそれは改善すべき問題なのかもしれない。
由乃のことを愛しているからこそ、離れなければならない。
……自分にできるだろうか。
結局考えても答えは出ぬまま、家に着いてしまった。
憂鬱な思いが蓄積されていたから、ともあれ今は由乃の顔を見たかった。
自分の部屋に鞄を置いてから、すぐに由乃の家へ向かう。
「んぅ……令ちゃん?」
部屋に入ると、そこには令を見て顔を輝かせる由乃の姿があった。身体を暖かくしてベッドに横になっている。
「由乃、ただいま」
由乃に笑いかけるが、果たして本当に笑えていただろうか。もしかしたら、暗い表情を無理矢理歪めて笑顔を演出していたかもしれない。
「……お帰りなさい」
由乃の嬉しそうな声を聞きながら、令は由乃の隣に腰を下ろした。
「今日は、山百合会の集まりがあったの?」
「えっ!?」
ふと由乃が洩らした、今日の憂鬱の原因を言い当てるような言葉に、令は思わず声を張り上げてしまった。
普段から由乃が驚かないよう、極力大きい音を出さないようにしている令だから、その大声は不意を突かれたことによる不可抗力にほかならない。
「ど、どうしたの……令ちゃん?」
胸に手を当てて目を瞬かせる由乃の様子を見て、令の顔は即座に青ざめた。
前例があるから、どうにも過敏になりすぎるきらいがある。
由乃を診てみたが、発作が起きる様子はなく、令はほっと胸を撫で下ろした。
「ごめん、由乃。驚かせちゃったね」
「ううん、大丈夫だけど……何かあったの?」
由乃が尋ねる。
図らずも、お姉さまたちに言われたことを由乃に告げるチャンスが来たわけだ。
「……いいや。何もなかったよ」
「そう……」
しかし、令は言えなかった。
ベッドで横になるこの愛しい妹に、なんといえばいいのだ。
一度離れてみて、関係を見つめ直してみない?
なんて、言えるわけがなくて。
「ちょっと遅かったから、何かあったのかなって思ったの」
「まあ、ちょっと友達と、ね」
「……ふうん」
「それより、喉乾いてない? 何か入れてこようか?」
「ううん。それより、そばにいてほしい」
立ち上がりかけたのを再び座り直して、由乃の手を握ってやる。ずっと寝ていたからか、温もりを帯びていた。
「令ちゃんの手、つめたいね」
「ふふ、由乃の手は温かいな」
結局令は、こうして由乃との耽美な時間に溺れてしまうのだった。
――
例えば、剣道部で共に頑張っている時。
いつもなら由乃にアドバイスを求めるところを、由乃に頼りすぎないよう、そもそも聞くことを止めたりとか。
いつもなら由乃に汗を拭いてもらうところを、由乃に甘えすぎないよう、別の後輩にやってもらったりとか。
他にも一緒に登校する時や、薔薇の館で仕事をしている時。
そんな由乃と行動を共にする瞬間ごとに、お二人の提言は令の脳裏に甦ってくる。
そのせいでつい意識してしまい、無意味に由乃を戸惑わせる。そして結局、何も変わらない。
なんて事が、何度もあった。
結局行動は起こせぬままで。
このままではいけない。分かってはいるのだ。
けれど、愛しい由乃と離れがたくて、ついつい先伸ばしにしてしまう。
由乃と共に過ごさないという選択肢がそもそもなかったのだから、それは一大決心を要するくらいのものなのだ。
気持ちが揺らぐばかりで、時間だけが過ぎていく。
それでも、少しずつ。
よくなるよう、努力はしているつもりだった。