島津由乃に転生   作:琉命

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もし神様が本当にいるのなら、どうしてこんなひどい仕打ちをするのだろう。

転生なんて奇跡をもたらしておいて、なんたることか。

これでは生き地獄ではないか――。

 

――

 

重い瞼を開いて、視界に映ったのはお母さんの暗い表情だった。

お母さんは私の様子に気づいてはっと目を見開き、体を乗り出した。

 

「由乃っ!」

 

お母さんの小さい、けれど確かな喜びを孕んだ声音。それは私を心から想っているがゆえの温もりを帯びていて。

私はそれを、ほんの少しの戸惑いをもって迎えた。

 

ここはどこだ?

目を丸くして、視線を這わす。

 

白を基調としたシンプルな部屋で、窓からは穏やかな陽光が差し込んでいる。

 

――ここは、病室だった。自宅へ帰って数日も経たずして、再びこの場所へと舞い戻ってしまったというわけだ。

 

ふと、人肌の温もりを感じた。言うまでもなく、それはお母さんの腕。

私の小さな体はお母さんに優しく抱き止められ、その耳に、耳心地の良い声で囁かれる。

 

「生きていてくれてよかった……愛してる、由乃」

 

そうして私の頭は撫でるお母さんの手はとても優しかった。優しすぎて、涙が出てくる。

 

「うぅ……えぅ……」

 

嗚咽を洩らし、鼻水流し、 羞恥心なんてかなぐり捨てて私は泣いた。

ここまで感情を露にしたのは、前世を含めても始めてだったかもしれない。

 

比喩でなく、私は生と死の瀬戸際に立っていたのだと思う。

現世に生まれて以来、私はずっと気を張っていたのかもしれない。

そうやって声をかけてもらってはじめて、私はこのお母さんからの深い愛情を感じた。

 

私が目覚めた興奮が冷めやらぬ中、お母さんはナースコールを押し、私が覚醒したことを嬉しそうに告げた。

 

看護師さんとお母さんの話によると。

意識をなくしてすぐ、私は病院へと搬送されたそうだ。

なんと熱が四十度を優に超えていたらしく、下手したら死んでいたかもしれなかった、と。

それぐらい危ない状態だったらしい。

 

良かった、良かったと目に涙をためてしきりに呟くお母さん。

そんな様子に、涙が収まっていた私までつられてもらい泣きだ。

 

お母さんはグスグス泣いて、私は子供らしくわんわん泣いた。

このような状況になってようやく、私はお母さんをお母さんだと思うことができた。自分はこのお母さんの娘なのだと。

お母さんとの心の繋がりが、ようやく出来た。そんな気がした。

 

 

――問題は、その後だ。

看護師が告げた、私の突然の発熱は原因不明であるとの言葉。

私が何らかの病気にかかっていたのか、それともただ症状がひどいだけの風邪だったのかは分からずじまいだったのだ。

 

ともかく、少々弱い身体に生まれたのかもしれないから、ちょっとした風邪なんかでもひどい症状になりうる。

だから、覚悟しておいてください、と。

 

私は愕然とした。お母さんもショックを受けているらしかったけれど、私はそれ以上だったと思う。

おいおい、ちょっと待て、それは聞き捨てならないぞ。

 

――弱い身体。

ふざけるな。

それは私には不都合な話だ。脆弱な身体では満足な剣道をすることができない。それではせっかく転生したというのに、意味がないではないか。

 

剣道をしてさえいれば、自分は自分でいられるのだ。

私の唯一の拠り所まで、奪わないでほしい。

 

だから。

どうか、それがただの杞憂であってほしい。

思い過ごしであってほしい。

 

私を現世に転生させ賜うた神様が、本当にいらっしゃるのなら――どうか、どうか、ささやかな私の願いをお聞き入れください。

 

生まれて始めて、神様へ祈る。

手は合わせられないけれど、私は心から願った。

 

 

 

――

 

 

 

ああ、その心配が杞憂に終わればどんなにか良かっただろう。

 

不安が的中してしまったのだ。

私の身体はやはりどこまでも虚弱であったらしい。

 

成長するにつれて、私の虚弱体質はその姿を明確に現していった。

三歳になる頃には、病弱な身体がほぼ完成していた。

原因不明の発熱、発作、時には吐血。不定期に起こるそれは、私の心までも徹底的に蝕んでいく。

 

運動はもちろんのこと、ただ走ることすらも、満足にできない。

ちょっとはしゃぐと、それだけで身体が悲鳴を上げる。

 

そんな不自由な身体を、私は心底嫌った。

満足に動かせないこの身体に、もどかしさ以外、何を感じるというのか。

私を生んでくれたお母さんを恨んでいるわけじゃないけれど、もっと健康体でありたかったと、そう思わない日はない。

 

剣道。

それは私の生きる道であり、生きがいであり、私の全てだった。

剣道をするために、私は再び命を与えられたのだと思っていた。

再び剣を握ることができると、私は当たり前のように考えていた。

 

なのに、なぜ!

なぜ、私は剣道ができないのだ。

 

これでは、何のために私は再びこの世に生を受けたのか分からないじゃないか!

 

剣道という、確固たる生きる意味を見失ってしまった。

 

これから先、何のために、私は生きていけばいいのだろうか。

分からない。

分かるわけない。

――そうして生きていく道しるべをなくし、絶望の淵にいた私を正しき道に戻してくれたのは、隣家の御令嬢、令ちゃんだった。

一歳年上の、可愛い従姉妹だ。

 

 

「……あ」

 

例によって、ベッドで安静に寝かせられている私はその音を聞いて顔を綻ばせる。

 

ばたばたばた。

慌ただしく廊下を走る足音。今日も今日とて、飽きもせず来てくれた。

 

「由乃っ」

 

勢いよく部屋の扉が開かれて、令ちゃんが入ってくる。令ちゃんもどこか嬉しそうだ。

端正で見目麗しい顏に、少年かと見紛うほどのベリーショートからなる完璧なルックス。よもや美少年と勘違いしてしまいそうなくらい、格好いいのだ、令ちゃんは。

 

見た目とは裏腹の乙女っぷりもまた素敵なの。

こんななりして、おままごととか大好きで、お母さん役をやりたがって駄々をこねたりする。

そんなギャップが可愛いのだ。

 

 

「令ちゃん……おはよう」

 

「おはよう。身体の調子はどう?」

 

「うん……今日はだいじょうぶ、だと思う」

 

昨日は久しぶりに四十度近くの熱を出して、一日中寝込んでしまった。支倉家総出の用事があったのに、令ちゃんはそれを突っぱねて私を看病してくれたのだ。

ずっとそばにいて、手を握ってくれていた。

令ちゃんがいてくれているだけで、不思議と心が穏やかになる。

 

「ほんとう? 由乃の大丈夫は信用できない」

 

精神年齢のせいか、私は自分の体調をかえりみず無理をしてしまうことがままあるらしい。自覚はないのだけれど。

 

「ほ、本当だよ。令ちゃんたら、心配性なんだから」

 

拗ねてそう言うと、令ちゃんは笑って私の頬をつんとつついた。

 

「や、やめてよぉっ……令ちゃんのばか」

 

「ふふ、拗ねてる由乃もかわいい」

 

かあっと頬が熱くなって、照れ隠しのため話題転換を図った。

 

「えと、それで……今日はどうしたの、令ちゃん?」

 

「ふふ、今日も一緒に本を読もうと思ってね、持ってきたの」

 

子供らしいというかなんというか、令ちゃんは本が好きな私のために、お姉ちゃん風吹かして読み聞かせをしてくれたりする。

前世でも読んだことのある本でも、令ちゃんと肩を合わせて読めば百倍楽しいのだ。

 

「あ、ありがとう……今日はどんな本なの?」

 

「えへへ、今日はこれ!」

 

そう言って令ちゃんが差し出したのは、ロミオとジュリエットの絵本。

子供向けに書き起こされたものらしく、可愛らしい絵でかかれている。

話自体は知っているけれど、この絵本は読んだことがなかった。

 

私がベッドから身体を起こすと、令ちゃんは寄り添うようにして隣に腰かけた。

私の右膝と令ちゃんの左膝に本をのせて、ゆっくりと令ちゃんは読み始めた。

令ちゃんの優しい声で、物語が紡がれていく。

 

――

 

「……でした、おしまい。どうだった?」

 

読み終わって、令ちゃんは本を閉じた。

おもちゃをねだる子供みたいに感想を求めてくる令ちゃんがかわいくて、私は笑った。

 

「すごくよかったよ、ありがとう」

 

「えへへ、また本読もうね!」

 

隣に令ちゃんの存在を感じながら過ごす、穏やかなひととき。

私はそれが大好きだった。

それこそが、剣道を失った私が唯一享受できる幸福だった。

 

 

本をしまった令ちゃんを横目に、私はふと思い浮かんだことを口にする。

 

「明日は、リリアンの入園式だね」

 

リリアンとは、私立リリアン女学園のこと。東京都下、武蔵野の面影をいまだに残す地区に建つ、幼稚舎から大学までの一環教育が受けられる乙女の園。いわゆるミッション系お嬢様学校だ。

 

「うん、由乃とはあんまり一緒にいられなくなっちゃうね」

 

令ちゃんはちょっと寂しそうだ。

令ちゃんは明日からリリアンの生徒となる。

歩いて行ける距離だし、離ればなれになるというわけではないけれど、今までいつでも会いたいときに会えていたから、寂しく感じてしまうのだ。

 

でも私も、来年になればその一員だ。

そうなれば、令ちゃんと一緒に通うことができる。

 

前世のころから、引きこもりでありながら勉強に関しては得意だった。

だから休みがちにはなるだろうけれど、学業に関しての不安はない。

 

なによりも、知らない子と過ごすことへの恐怖が未だにあって、不安が心に重くのし掛かっている。

 

でも。

令ちゃんがいるから。

隣で令ちゃんが手を握ってくれていれば、きっと大丈夫。

 

剣道を失って絶望せずにいられたのは、なにより令ちゃんがいたから。

生まれた時からいっしょの令ちゃんがいたから。

 

初めは憂鬱だった隣家との交流も、令ちゃんが私をずっと気にかけてくれたから、次第に心を開いていったのだ。

そうして気付けば大切な存在になっていた、令ちゃん。

令ちゃんがいれば、なんだってできそうだ。

 

だから私はまだ、この世界の住人として、生きていられるんだ。

 

「大好きだよ、令ちゃんっ」

 

令ちゃんはとびきりの笑顔で私を抱きしめてくれた。

 

 

 


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