島津由乃に転生   作:琉命

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翌々日。

事前に買っておいたお見舞いの花を持って、放課後に祐巳は由乃さんが入院しているという病院を訪れた。

令さまによれば、由乃さんの怪我そのものは全治一週間程度ということだったが、体調がすこぶる悪いらしい。

 

由乃さん、大丈夫かな。

以前由乃さんを驚かせてしまったことがあるから、大きな音などには注意を払わなくては。

そう思って、祐巳は入り口のプレートの名前をちゃんと確認してから、ゆっくりと扉を開けた。

 

「令ちゃんっ!?」

 

同時に中から由乃さんとおぼしき声で、しかし由乃さんとは思えないほどの声量をもった叫びがこちらに向けられ、祐巳の方が驚かされた。

見ると由乃さんはベッドの上、体を起こしている。付き添いの人は今はいないようだ。

先程の一声からわかる通り、きっと令さまが来ることを心から待ち侘びていたんだろう。由乃さんはこちらを凝視していた。

 

「ごめんね。令さまじゃなくて」

 

「あ……ゆ、祐巳さん……」

 

やってきたのが令さまでないとわかって、由乃さんは見るからに落ち込んでいた。

もう、体調がよくないはずなのにそんなに興奮していたら更に悪化してしまうでしょう、って。

そう思いながら中へ入り、ベッドの側の丸椅子に腰掛ける。

 

由乃さんは最後に会ったときよりもやつれていた。顔は赤く火照っていて熱があるようだし、額にある傷痕は縫合こそしてあるものの、ちょっと痛々しい。

まだちゃんと眠れていないのだろうか。目の下には濃い隈ができていた。由乃さんって白くて綺麗な肌をしているから、余計に際立っている。

心身ともに傷ついた姿をありありと見てしまって、悲しくなった。

 

「あの、なんでここに祐巳さんが……?」

 

「今日はお見舞いに来たの。病室は令さまに聞いたんだ」

 

そんな胸の内は悟られないよう笑顔を保ちつつ、祐巳は持参した花を差し出した。

 

「あ……ありがとう」

 

困惑しきりといった様子ではあったけれど、ちゃんと受け取ってくれた。

黄色い花が三種類。似合ってはいるけれど、由乃さんが万全の状態だったなら、もっと素敵に彼女を彩っていたことだろう。

 

「調子はどう?」

 

怪我のこととか、体調のこととか。

令さまに頼まれてこうしてやってきたけれど、由乃さんを心配する気持ちは確かにある。

 

「あ、うん……まあ」

 

しかし、由乃さんの返事はとりとめのないものだった。

まあ、聞くまでもなく芳しくないのは分かっていたが。

 

「焦らず、ゆっくり治してね。令さま、心配していたよ」

 

励ますつもりで言ったのだが、由乃さんの表情は暗い。

 

「令ちゃんが……?」

 

「もちろん」

 

「……嘘」

 

「嘘じゃないよ。令さまは誰よりも由乃さんを想っている」

 

「……」

 

由乃さんは何も答えなかった。けれど納得したようには見えない。

祐巳にだって、由乃さんが何を考えているか分かった。

由乃さんはこんなにも令さまを欲している。

令さまがいない今、由乃さんからは儚げな印象をより強く受けた。

 

「あの、由乃さん。私、令さまから伝言を預かってきたの」

 

あの時聞いた、令さまの由乃さんに対する熱い想い。まさに今、それを伝えなければならないと思ったのだ。

 

「えっ……」

 

しかしそれを聞いた由乃さん、びくりと体を体を震わせた。怯えているようだった。

令さまの気持ちを知るのが怖いのだろう。けれど、それは言わなきゃいけないことだから。

 

「えっとね――」

 

祐巳は拙いながらも、懸命に令さまの想いを語りはじめた。

由乃さんは、泣きそうな顔で俯いている。

 

 

――

 

 

「……というわけで。令さまからの伝言は、『試合は独りで頑張るから、由乃も私なしでも病気に立ち向かってほしい。そして強くなってほしい』。以上です」

メッセージを聞き終わった由乃さんは、目が点になっていた。

ぷるぷると小さな手を震わせて、すっかり怯えきっている。まるで審判を受ける罪人を見ているようだ。

 

「え……いや、だって。私がいないと令ちゃん、試合頑張れないんじゃ……」

 

「今まではそうだったみたい。でも、頑張るって意気込んでいたよ。そして、令さまは由乃さんにも頑張って欲しいって」

 

「そんな! 私一人じゃ無理っ……無理だよ……」

 

胡乱な瞳には涙が滲んでいる。

悲しい時、辛い時、由乃さんのそばにはいつも令さまがいたんだろう。そうして由乃さんをずっと支えていたのだ。

だからこそ令さまがいない今、由乃さんはこれほどまでに衰弱してしまっている。

 

「……由乃さん」

 

祐巳は由乃さんの小さな掌にそっと手を重ね合わせた。少し熱を持っているそれを、優しくにぎりとめる。

ほんの少しでも勇気を分けてあげられたらと思って。

 

「っあ……」

 

小さく声を漏らすと、由乃さんの既に潤んでいた両目から、涙が滴となって頬を流れていく。

それでいい。

悲しい想いは溜め込まずに、吐き出してしまえばいい。

気持ちを共有しあって、悲しみを半分こだ。

「わ、私……令ちゃんにそばにいてほしくて、我が儘ばかり言っていたの」

 

その震える唇から、弱々しい声が紡がれていく。

 

「うん……」

 

珠のようにこぼれ落ちる由乃さんの涙を、指でそっとすくいあげる。

ただ、由乃さんの言葉を聞いてあげたいと思った。

今、由乃さんが内に秘めてきた感情が、奔流となって溢れだしているのだ。だから、それを受け止めてあげようって。

 

「私が頼りないから。そんな私だったから……だから、令ちゃんは……」

 

「うん……」

 

令ちゃんは。

そこまで言って、由乃さんの台詞は途切れてしまった。

感極まって、言葉が出てこないのだろうか。焦点の定まらない瞳でしきりに視線を這わせている。泣くまいと唇をかみしめて懸命に堪えているけれど、しかし一度堰を切って溢れ出した涙はその勢いを緩めることなく流れていく。

沈黙していながら、そこには確かな感情の動きがあった。

何を言われても、祐巳は全て受け入れるつもりだった。

 

「……死にたい」

 

「え?」

 

しかし。

その言葉だけは、祐巳には受け入れられなかった。

 

「いいよね……どうせ、私は元々あの時死んでいたんだから」

 

あの時死んでいた。意味は図りかねたが、それでもその言葉はやけに胸に響く。

死。

由乃さんの口から溢れる死という言葉はあまりにもリアルで、今この瞬間にも消えてしまいそうな恐怖を感じた。

 

「そ、そんなこと言わないで! 令さまは由乃さんのことをあんなに想っているのに!」

 

だからつい、祐巳は大きな声を上げてしまった。

だめだ。病は気からっていうのに、由乃さん、すっかり心が折れてしまっている。

弱音を吐くとか、悲しみに暮れるとか、そういう段階ではない。

 

「だ、だって、今まで私と令ちゃんは二人で一緒に頑張ってきたのに! 本当に令ちゃんが私のこと思ってるって言うなら、ここに連れてきてよ! ねえ、祐巳さん、早く――」

だんっ!

その言葉には我慢できず、思わず祐巳は机に両手の平を叩きつけていた。

乾いた音が病室に響き渡り、由乃さんは息を呑む。

 

「違うっ! 令さまの気持ち、由乃さんは全然わかってない!」

 

「わ、わからないよ……わかるはずないじゃないっ!」

 

涙まじりに、由乃さんは叫んだ。

 

「誰のために令さまは今頑張っていると思うの?」

 

「だ、誰のって…」

 

「他ならぬ、由乃さんのためでしょう?」

 

「だって……だって! っ……けほっ、けほっ!」

 

二人とも、熱くなりすぎていたのだ。

由乃さんが咳き込んだ瞬間に祐巳は我に帰り、一気に顔が青ざめていく。

お見舞いに来ておいて、患者の体調を悪化させてしまうなんて。

 

「ごめん、ごめんなさい。由乃さんっ」

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

慌てて由乃さんの身体に手を添えて、ゆっくりとベッドに寝かせる。

涙でぐちゃぐちゃになってしまっている可愛い顔をハンカチで拭いてあげると、由乃さんは少しだけ楽になったのか表情を弛めた。

 

「ねえ、由乃さんの世界には令さましかいないの?」

 

「え……?」

 

「そうじゃないよね。だって世界はこんなにも輝いているもの。ね、もっと周りに目を向けてみようよ。そうだ、私と友達になろう。 一緒にお弁当食べて、お話しして、笑い合うの。素敵だと思わない?」

 

ひっく、ひっく。

激しい呼吸を繰り返しながら、由乃さんは嗚咽を漏らしている。

とにかく落ち着くようにと、由乃さんの手を握り、時に頭を撫でてやりながら。

祐巳は今度こそ優しく語りかけた。

 

「私も、志摩子さんも。令さまだけじゃなくて、みんな由乃さんのこと大好きなんだよ?」

 

由乃さんから返事はない。

構わなかった。自分の気持ちが伝わってくれれば、それで。

 

「私たち、山百合会の仲間でしょ? ね、頑張ろうよ。由乃さんっ。お願いだからやけにならないで。みんな由乃さんのこと心配してるんだから」

 

由乃さんは令さまにロザリオを投げつけたけれど、それと同時に山百合会から外れたとは、誰も考えていない。

至極当然のように、由乃さんを一員だと思っているんだ。由乃さんの帰ってくる場所は、変わらずにリリアンに在る。

だから、お願い。

 

――うん。

 

由乃さんはそう頷いてくれた……気がした。

確信がないのは、その後由乃さんが寝入っていることに気付いたためだ。

返事であったのか、寝息であったのか。それは定かではない。

けれどその寝顔を見て、祐巳は安心した。

それは、きっと由乃さんは大丈夫だって思えるような穏やかな表情だったから。

 

「ごめんね、由乃さん。おやすみなさい」

 

すぅすぅと慎ましい寝息を立てて安らかに眠る由乃さん。

そのあどけない横顔をそっと一撫でして、祐巳は席を立ったのだった。

 

 

 

――

 

 

 

夢を見ていた。

祐巳さんと、あと志摩子さんと三人で談笑していて、令ちゃんはそれを優しく見守ってくれている。

何気ない雑談の中で、二人に言われるのだ。

由乃さんは、令さまのことが大好きなのねって。

私はとびきりの笑顔で頷いて、見せびらかすように二人の前で令ちゃんに抱きついてみせる。

すると令ちゃんは満更でもない顔で頭を撫でてくれるのだ。

何の変哲もないただの日常なのだけれど、なぜか幸せな気持ちになれる素敵な夢だ。

その余韻に浸りながらの、中々心地よい目覚めだった。

 

「おはよう、由乃。また熱が出ているみたいね」

 

目を開けた私の視界に真っ先に飛び込んできたのは、お母さんの顔だった。その言葉通り、確かに身体は熱いしどこか気怠さがある。

ともかく、問題はお母さんだ。何故か視界が全て埋まるくらいに近付いてきていた。具体的には、鼻先と鼻先が触れるか触れないかくらい。

 

「あ、あの。何でそんなに近いの?」

 

「……由乃、泣いていたの?」

 

お母さんは私の問いには答えず、丸椅子に座り直してから質問で返してきた。

そのままはいと頷くのも憚られたから、私はなにも言わず黙っていた。

周りを見回してみたが、祐巳さんはもう帰ってしまったらしい。すごく優しくてあたたかな人肌の温もりを感じていたから、暫く手を握ってくれていたんだろうか。

 

「目、腫れているわよ」

 

「えっ?」

 

なんて関係ないことを考えていたら、お母さんが先に口を開いていた。

指摘されて思わず目元に手をやると、確かに少し腫れているような気がした。いつにもなくわんわん泣いたからだろうか。

 

「どうしたの、って聞くのも野暮な話よね」

 

お母さんはそう言って笑った。

そう、令ちゃん。

令ちゃんのことで、私はあんなにも泣きわめいたのだ。

 

「……うん」

 

まだ令ちゃんのことを思うと胸がズキッと痛むけれど、軽々しく死にたいなどとはもう言うつもりはない。

 

「あの……令ちゃん、どうしてる?」

 

あの一件以降、お母さんの前ではあまり令ちゃんの名を出さなかった。嫌でも令ちゃんを想ってしまって、辛くなるから。

お母さんは少し驚いていたけれど、笑って答えてくれた。

 

「由乃がいなくて寂しそうだけど、試合に向けて稽古に励んでいるわよ」

 

「……そっか」

 

祐巳さんの言った通り、令ちゃんは一人で頑張っているらしい。

 

「ねえ、お母さん」

 

「なあに?」

 

「令ちゃんは……私が重荷になったのかな。私がずっと、寄りかかっていたから」

 

さっき散々泣き晴らしたからだろうか。悲しい気持ちはあるけれど、もう涙は出そうにない。

 

「あなた、小さい頃から令ちゃんにべったりだったものね。私よりも、令ちゃんの方が懐かれてるんじゃないかって思ったこともあったわ」

 

お母さんは微妙に質問の答えになっていないようなことを言った。

 

「ご、ごめんなさい」

 

「いいのよ。令ちゃんには、由乃のことでたくさん助けられてきたからね」

 

「うん……本当に」

 

本当にたくさん、たくさん助けられてきた。

それで生きる理由まで預けていたんだから、相当だ。

 

「重荷になったのかは分からないけどね。寄りかかっていたんだと気付いて、それが良くなかったんだと思うなら、少しずつでも直していけばいいじゃない」

 

「直す……」

 

「ええ。令ちゃんも、今それを頑張っているのよ」

 

「うん……そうだね」

 

ようやく私は、それを素直に受け入れることができた。

 

――もうちょっとだけ、頑張ってみようかな。

 

窓から覗く空は紅の輝きを放っている。それを見上げ、私は心の中で呟いた。

すると。

ふわぁっ、て。

込み上げてくる眠気から、つい、大きなあくびをしてしまった。

 

「ああ、また眠くなってきちゃった」

 

「無理しないで、ゆっくり寝なさい」

 

そしてお母さんに布団をすっぽり被せられ、いつものように頭を撫でられる。

ああ。

やっぱり私はなでなでされるのが好きみたいだ。

令ちゃんに、お母さんに、祐巳さん。

三者それぞれ違いはあれど、私を想ってくれているのが分かる優しい手つきだったから、安心して身を委ねられる。

 

「うん……おやすみ」

 

ゆっくりと、私は目をつむった。

 

 


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