グラナダ基地に繋留されているジオン公国軍ムサイ級巡洋艦〈アードラー〉に出港が通達されたのは、1月6日午前0時のことである。
〈アードラー〉は突撃機動軍司令キシリア・ザビ少将座乗艦であるチベ級重巡洋艦〈パープル・ウィドウ〉を旗艦とする直属艦隊に組み込まれた。
半日後の1月6日午後1時をもってグラナダ港を発つ予定である。
目的地はラグランジュ2(L2)宙域。
目下建設が進められている、宇宙要塞ア・バオア・クーである。
「……アードラーは艦隊の前衛部隊として本隊に先行する。我々の任務はアードラー以下の艦が安定航行に移行するまでの港外での哨戒、並びに艦隊護衛。……何か質問は?」
アードラー艦内のパイロットルームに、ヤクモ・セトの声が響く。
司令書が挟まった薄いファイルを左手に持ち、要点を読み上げる。
ヤクモの声は普段と変わらない。ヤクモの部下であるマーク・ビショップ曹長とウィリアム・ウォルフォード伍長は、グラナダでの戦闘終了後、塞ぎ込んでいた部隊長が「元に戻った」ことに内心安堵するとともに、その気分の変化に若干の戸惑いを感じていた。
とは言え、今さら何があったのか問い質すのも野暮なことだ。
「任務への質問はないな? では次。うちの小隊のモビルスーツが新しくなる。さっき受領は済ませてきたが、各自出撃までに最低限のチェックはしておくように」
「え、新型機ですか?」
ウィリアムーーウィルの声が弾む。
「まあ、新型と行ってもザクⅡだけどな。操縦性はザクⅠと大して変わらないだろうが、出力も変わっているし細かい違いもあるだろうからな。時間に余裕があるうちに機体の立ち上げくらいはしておいた方がいいぞ」
作戦に関する伝達が終わると、ヤクモは手に持ったファイルを閉じた。
「モビルスーツのメンテナンスは整備班に頼んでおいた。俺たちの方は仮眠と朝飯を済ませてからでいいだろう」
ヤクモは、そういうと生欠伸を噛み殺しながら、部屋の出入口に向かう。
「俺はちょいと艦橋に行ってくる。……二人とも休んでていいぞ」
マークとウィルが頷くと、ヤクモは部屋を出て行った。
自動ドアが閉まる直前に、「しかし、何で何もかも慌ただしくやろうとするのかねえ。もしかして嫌がらせされてるのかなあ」というぼやきが聴こえたが、室内に残された二人は、慎ましい沈黙を保ったのであった。
*
アードラーの艦橋には、艦内の主なスタッフが顔を揃えている。
艦長、砲術長、航行担当士官、技術士官等だ。
その中に混じってヤクモも不動の姿勢になっていた。
(何故にこのタイミングで?)
ヤクモのみならず艦橋に並んだ全員が疑問を呈するところであるが、アードラーの艦長が交代するのである。
数分ほど待ったであろうか。艦橋のドアが開き、艦の副長が入って来た。その後に続いて、長身の男が姿を表す。
軍服の階級章は大尉のものである。明るい茶色の髪はやや長めで、緩やかに波うっている。
ヤクモは直立の姿勢を崩しはしなかったものの、内心驚きを禁じ得なかった。その顔に見覚えがあったからだ。
否、見覚えがあるどころではない。
士官学校の同期、そして、ヤクモの半生において唯一親友と呼べる男であった。
男は副長の先導で艦長席の前に立ち、艦の士官達に正対した。
「夜間の召集、痛み入る。各位には承知のとおり、この度艦長はグラナダ駐留艦隊にご栄転となった。こちらは後任の艦長として着任されたハイメンダール大尉である」
副長の紹介に続いて、男が口を開いた。
「この度当艦の艦長を命ぜられました、カイ・ハイメンダール大尉であります。新任ゆえ、不備の点もあろうが、何卒御指導頂きたい」
そのまま軍隊礼式の見本になりそうな程端正な敬礼をする。
いかにも優等生的な優男という風体だが、口調にも所作にも不思議なほど嫌みがない。
カイは敬礼の姿勢を崩さず、目の前に整列し、敬礼を返す士官の顔を見渡した。
ヤクモと視線が合うと、一瞬目が笑ったように見えたがすぐに表情を改める。ヤクモの表情も姿勢も、微動だにしない。親友とはいえ、今はお互い公人である。
久闊を叙する機会は、これから幾らでもある筈だった。
一通りの儀礼的な挨拶と紹介が済むと、新旧の艦長の間で職務の引継ぎが始まる。
艦橋を去って自らの職務に戻る士官に混じり、ヤクモも艦橋出入口に向かう。
艦長席の横を通り過ぎるとき、横目で旧友を見ると、再び目が合う。
ヤクモは目礼をすると、視線を前に戻し、そのまま艦橋を後にした。
*
朝食時を迎えた艦内の食堂は活気に溢れている。
その一隅のテーブルに席を確保したモビルスーツパイロットたちは、軽口を叩きながら食事を口に運んでいた。
朝食のメニューはパンに野菜スープ、ベーコンとスクランブルドエッグ、パックに入った牛乳という質素なものだが、作戦行動中に口にする固形レーションとは比較にならない。出来立ての温かい料理を食べられるというだけで贅沢な気持ちになる。
スペースコロニーでも食料生産は当然行われているが、同じ食材でも地球の自然の恵みを受けたものと、スペースコロニー内で人工的に作られたものでは、素材に大きな違いが現れることもある。そして、スペースコロニーという環境上、宇宙ではどうしても手に入らない食材もあり、そういったものは、自然と市場価格が高騰する傾向にある。
食料事情一つ取ってみても、アースノイドに対するスペースノイドの感情はーー主に僻みであるが、歪みを作り出しているのだ。
ともあれ、ゆっくりと食事が摂れるというのは軍属にとっては有難いことで。
ヤクモと二人の部下は、他愛もない会話をしながらの食事を満喫していた。
トレイの上からパックの牛乳を取り上げたヤクモがふと目線を上げると、新任の艦長が料理の乗ったトレイを持ち、席を探しているのが見えた。
ヤクモが座ったまま右手を高くあげた。
先方がそれに気付き、歩み寄ってくる。
ヤクモは、空席になっていた隣の席に座り直し、それまでの席を友人に譲った。
「助かったよ。なかなか席が見つからなくてね」
席を譲られた方も、座りながら笑いかける。
「まあ、この時間はな。それより、こんな所じゃなくて、自分の部屋で食べれればいいじゃないか」
「この艦の食堂はどんな場所なのか確認しておきたくてね」
「見てのとおり狭苦しい。環境の改善を要求する」
「ははっ、まあ追い追い検討しよう」
隣り合った席に座り、気さくな会話を始めた青年たちの様子を見ていたウィルが、躊躇いがちに声をかける。
「小隊長、失礼ですがこの方は?」
ヤクモもカイも、そう言われて初めて、未だ新任の艦長が艦のクルー全員への「お披露目」を済ませていなかったことに気付く。迂闊といえば迂闊である。
「そう言や、皆はまだ知らなかったか。本日付で艦長として着任されたカイ・ハイメンダール大尉だ。……こちらは当艦モビルスーツ小隊のマーク・ビショップ曹長とウィリアム・ウォルフォード伍長。以後お見知り置きを、艦長」
ヤクモが口調を改めて、初対面の3人をそれぞれ紹介する。
相手の身分を知ったマークとウィルが慌てて立ち上がり、敬礼しようとするのを、カイは片手で制した。
「楽にしてくれて構わない。私も堅苦しいのは苦手な方でね」
人当たりの良い笑顔でカイが言う。二人のモビルスーツパイロットは改めて椅子に座り直したが、マークはともかく、これまでにヤクモ以外の士官と接した経験が殆ど無いウィルは、どこか落ち着かなさげにしている。
そんな様子に気付いたヤクモが、部下に声をかける。
「さて、そろそろ新型の様子でも見に行って見るか。……それでは艦長、失礼します」
わざとらしく敬礼するが、カイは気分を害した風もなく、鷹揚に応じた。
「
「構わない。が、整備班の邪魔はしない方がいい。おっかない班長《おやじ》に怒られるからな」
右手を上げて立ち去るヤクモの姿を見送ると、カイは食事を続けた。
*
突撃機動軍の出港予定時間が間近に迫っている。
つい先日、所有者を変えたばかりのグラナダ基地の上空に、全高17.5メートル、超硬スチールの身体を持つ単眼の巨人が舞っている。
MSー06F。「ザクⅡ」の名で呼ばれる、ジオン公国軍の誇る有人機動兵器である。
ザクⅠに比べて機体重量は増しているものの、ジェネレータ出力向上と機体冷却効率の改善が図られたことで、推力上昇をはじめ、全体的な性能が向上している。
顔の両脇には動力パイプが伸び、モノアイスリット中央の支柱が取り払われている。
装甲の増加によるものか、全体像もザクⅠより丸みを帯びている。中でも大きな違いは、右肩から腕の側面を覆うように取り付けられているシールドと、左のショルダーアーマーに付いている、3本の円錐形のスパイクである。
ヤクモらに配備された所謂「F型」は、現在前線に多数配備されている「C型」から、コクピット周辺の放射線遮蔽液が注入された三重複合装甲が廃された機体である。「C型」より機動性で優るものの対核装備が無いことから、現状では後方配備が多い。
この日受領したばかりの新しいコクピットに乗り込んだヤクモは、それまでの愛機との違いを確かめつつの哨戒任務となった。
ザクⅠの後継機だけに、基本的な操縦方法に変化はない。ザクⅠよりもジェネレータ出力と推力が向上しているだけに、操作に対する機体追従性も良くなっている様に思われる。
AMBAC=能動的自動姿勢制御機構の作動も良好である。
コクピットのモニター回りにあるコンソールの若干の変化にさえ馴れれば、
(問題は無さそうだ。……が、)
新しい機体の挙動に気を配りながら、ヤクモには解せない点がある。……機体に対してではなく、彼を取り巻く事象に対して。
なぜ、このタイミングで新しい機体が配備されたか。なぜ、アードラーの艦長が交代したか。なぜ、新艦長が自分に近しい人物なのか……。
意識しなければただの「偶然」で済ますことができるのだろう。新機体の拝領も、グラナダ基地制圧の功に対してのものと考えられないことではない。
しかし、ヤクモの勘は、この一連の動きに何らかの意図のようなものをーー或いは杞憂かも知れないが――感じていた。
意図を巡らす人物については、ある人物の顔と名前が思い浮かぶ。
ジオン公国軍少将。突撃機動軍司令。デギン・ザビ公王の長女にしてギレン・ザビ総帥、宇宙攻撃軍司令ドズル・ザビ中将の妹。
諜報をはじめとする直属機関を統べ、強い政治的野心を抱く女傑。
ーーキシリア・ザビ。
かつて見た、強い野心を秘めた冷たく鋭い眼差しは、ヤクモにとって決して歓迎すべき記憶ではなかった。
(あんたの〈実験〉には充分付き合った。今更俺に何の用だ?)
心の中で苦々しく吐き捨てる。
「……長。……小隊長?」
ヘルメットに内蔵されたインカムから聴こえて来た部下の声で、ヤクモの意識は現実に引き戻された。
「あ、ああ。どうした?」
「どうした、はこちらの台詞です。どうしたんですか、ぼんやりして?」
「ん……ちょっと考え事を、な」
生返事をしながらコクピット内のモニターを、次いで計器を忙しく見回す。センサーにもモニターも、何の異常も告げてはいない。ただ、操縦が疎かになっていたようだ。機体が慣性で哨戒範囲の外へ流されかけている。
慌ててスロットルとフットペダルを操作すると、機体のスラスターが短く火を吐き、機体がグラナダ基地の方向にゆっくりと戻っていく。
コンソールに備え付けられた時計を確認する。アードラー出港予定時間が目前である。
「アードラー、聞こえているか」
母艦宛に通信する。
「こちらアードラー。セト少尉、どうぞ」
「グラナダ上空に異常なし。何時でも出港可能だ」
「了解しました」
オペレーターとの通信が切れる。ややあって、見慣れた艦橋が、月面にゆっくりとせり上がって来る。
ヤクモが僚機とともに周辺の警戒を続ける中、ジオン艦隊は月から要塞へ、宇宙を駆けていく。
*
宇宙要塞ア・バオア・クー全体が異様な緊張に包まれていた。
開戦から一週間が経過した、宇宙世紀0079年1月10日のことである。ジオン公国の仕掛けた空前の策、〈ブリティッシュ作戦〉が、結実の時を迎えている。
ジオン公国軍は、開戦と同時に、月面グラナダ、サイド1〈ザーン〉、サイド2〈ハッテ〉、サイド4〈ムーア〉に対して電撃戦を展開、各宙域で連邦軍を駆逐した。全てはこの作戦のための布石である。
奪取と同時に核パルスエンジンを取り付けられたサイド2の8バンチコロニー〈アイランド・イフィッシュ〉は、すでに地球の衛星軌道に乗り、地球に向けて降下を続けている。
有史以来、人類が宇宙空間に建造した最大級の建造物。地球から巣立った人類の容れ物となった人工の大地が、人類の歴史を育んだ美しい青い惑星に向けて暴虐と殺戮の無慈悲な牙を剥こうとしている。
それはさながら、光輝に満ちた慈愛の女神に向けて悪魔が槍を繰り出している様にも見えた。
L2宙域、ア・バオア・クー周辺には現在、ジオン公国の宇宙戦力の約三分の一に当たる艦隊が集結している。要塞に集った将兵が各々モニター越しに見詰めるなか、コロニーは地球の喉元に向けて確実に迫って行った。
〈アイランド・イフィッシュ〉の周囲では、護衛のジオン部隊とコロニー落下を阻止せんとする地球連邦艦隊の激しい攻防が行われている。
連邦艦隊から放たれたビームがコロニーに突き刺さり、核ミサイルがその外壁を爆散させる。飛散する破片を掻い潜り、コロニーに肉薄した戦闘機が、腹に抱いたミサイルを発射する直前、ザクⅡの編隊が放ったマシンガンの砲火に引き裂かれる。
火球と化した戦闘機がコロニーに突っ込み、飛散した次の瞬間、マシンガンを放ったザクⅡがメガ粒子の光に呑み込まれ、閃光とともに消滅する。
連邦艦隊に向けて急接近したザクⅡのバズーカから砲弾が吐き出されると、直撃された戦艦が二つに折れ、巨大な光と熱に包まれる。
母なる星に仇為そうとするコロニーを巡り、史上初めて地球圏を二分した勢力同士が、血で血を洗う闘争が続けられる。
……地球連邦軍の必死の抵抗にも関わらず、やがて〈アイランド・イフィッシュ〉は地球の重力に引かれていく。
重力に抗しきれなくなったコロニーが、大気との摩擦によって紅蓮の輝きに包まれる。
直後、メガ粒子砲と核ミサイルの間断ない猛攻に晒された〈アイランド・イフィッシュ〉の円筒型の巨体が、大きく三つに分離した。
しかし、既に地球への落下コースに入ったコロニーは、大気圏に突入しても燃え尽きることなく。
ヤクモはアードラーの
誰も声を発する者はいない。艦橋は依然として重苦しい沈黙に包まれていた。
そのうちにも、宇宙での戦闘は終局に向かいつつある。互いに交えていた砲火が次第に収まり、両軍の殺戮の熱狂が醒めていくようだ。
ジオンは地球にコロニーを落とした。連邦はそれを防げなかった。
ただ、その事実だけが、銃火の絶えた宇宙空間に厳然と残っていた。
やがて、オペレーターの緊張した声が、艦橋の沈黙を破った。
「これで……終わり、なのでしょうか」
誰もその問いかけに明確に答えられる者はいなかった。その場には、軍や政府を代表できるような者は誰もいなかった。その場にいたのはーー多少の立場の違いこそあれーー命令で動き、戦場の一局面において自分と敵の刹那の命運を左右することしか出来ない人間だけであったから。
再び沈黙に包まれかけた空気を打開したのは、艦長席に座った榛色の瞳の男だった。
「まあ、取り敢えず本作戦はこれで終了だろう。別に指示があるまで各自待場において待機。以上、解散」
*
コロニーが地球には落ちた数時間後のことである。
アードラーの艦長室では二人の青年が膝を突き合わせていた。
応接用のソファに腰掛けた琥珀色の瞳の青年の前のテーブルに、つい先日部屋の主となった榛色の瞳の青年がティーカップを置く。
ヤクモは遠慮なくティーカップを手に取った。芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「お前に淹れてもらった紅茶も久しぶりだな」
香気を楽しむように一口含む。
「士官学校以来か」
カイが過去を懐かしむように目を細めた。
訓練の厳しかった中にも、どこか気楽さの漂っていた、士官候補生当時のことが思い出された。
お互い、遠からぬ過去に暫し想いを馳せた後、ヤクモが口を開く。
「しかし、お前がこの艦の艦長になるとはね。驚いたよ」
「私もだよ。偶然というのは有るものなのだな」
その言葉がどこかそらぞらしく感じられる。
本当に偶然か?
問い質したい気持ちを堪えて、ヤクモは別の話題を切り出した。
「参謀本部にいたかったんじゃないのか。士官学校首席の英才としては」
「前線勤務は前々からの希望さ。知っているだろうに、人が悪いな」
カイは自分でもティーカップを口に運ぶ。
親友の、相も変わらぬ優雅な仕草を眺めながら、ヤクモは士官学校卒業直前の光景を思い出していた。
「俺はモビルスーツパイロットを希望したよ。それしか能がないからな」
「そうか。私は参謀になろうと思っているよ……前線の、ね」
幼くして両親を失い、幾つかの転機を経て士官学校に入校したヤクモと、ジオン有数の名家に生まれながら姻戚から疎まれ、家出同然に士官学校に入ったカイ。
出自も性格もまるで違ったが、二人が親友となるのにそれほど時間はかからなかった。
そして、彼ら二人とほぼ行動を共にしていた、栗色の髪の少女。カイの双子の妹……。
「……ジニーは今、どこにいるんだ?」
郷愁に心を掴まれながら、ヤクモは親友に問い掛ける。
「さて、どこでどうしているやら。最近は連絡もないのでね」
そうか、とヤクモはすんなり頷いた。不幸な噂を聞かないからには、元気にしているのだろう。
「ここにいない人の話はいいとして、わざわざ部屋まで訪ねてきたのは昔話が目的ではないんだろう? まさかお茶を飲みに来ただけとは言うまいね?」
口許に穏やかな微笑を湛えながら、カイが質問する。
ヤクモは、言い淀むように紅茶を口に含んだ。柔らかい香気が喉を通り過ぎてから、思い切ったように声を出した。
「聞きたいことがあるんだが、いいか?」
眼が真剣になっている。
「その様子では、嫌だと言っても聴かないのだろう? どうぞ」
カイの口調は相変わらず柔らかいが、口許からは笑みが消えている。
軽く息を吐くと、ヤクモは口を開いた。
「誰の差し金でこの
単刀直入に聞いた。どうせはぐらかされるだろう。そう考えた上での質問である。誤魔化すなら誤魔化すで構わない。どう答えるかで推測の立てようもあるというものだ。
「ギレン閣下さ。決まっている」
さらりと言う。
カイの口から出てきた名前はヤクモの予想を大きく外したものでは無かったが、こうもあっさり答えるとは予想していなかった。
不意討ちの質問のつもりが、逆に虚を突かれたヤクモは、つい聞かずもがなの問い掛けをする。
「いいのか、そんなにあっさり答えて」
「どうせ同じことだろう?」
言われて見ればその通りである。奇襲に近い質問で親友の肚を探ろうという魂胆を見透かされた気がして、ヤクモは内心で恥じた。
どうやら、肚の内を探り会うことに関しては参謀本部上がりの友人に分がありそうだ。
左手で頭を掻く。
「諜報機関はキシリア閣下の専売特許ではない。総帥も君のことは先刻ご承知さ」
追い打ちにヤクモの表情が曇る。
「君が例の〈研究〉の被験者だったこともね」
思い出したくない過去だ。精神上の古傷を抉られた思いがして、ヤクモは大きく舌打ちをした。
「迷惑な話だ。出来れば放っておいてもらいたいんだがな」
そう吐き捨てたのは、今のヤクモに出来る精々の強がりだった。
どう転んでもザビの兄弟の政争の駒にされそうな気がする。ヤクモにとっては不愉快極まりない。
「もっとも、総帥は〈研究〉の方はさして興味を持っておられない。キシリア閣下に対しての当て付けじゃないかな、どちらかというと」
「どっちにしても、不愉快なことに変わりはないな」
「つまらない思いは私も同感だよ。友人の見張りをさせられるんだからね」
カイの答えは余りにもあからさまだ。むしろ話を振ったヤクモの方が心配になる。
「おいおい、〈対象者〉にそこまで話して大丈夫なのか?」
「どうせここだけの話だ、構わないさ。それに、今回のことには、父上も一枚噛んでいるのさ。私にはそれが尚さら気に入らない」
見た目によらず反骨精神の旺盛な男だ。折り合いの悪い父親に含むところもあるのだろう。ギレンの命令を反故にすることは不可能でも、そのまま素直に従うつもりもないのかも知れない。
「いいのか?」
命令に背いたら、どんな目に遭うかわからない。それでもいいのか?
そして。
お前を信じてもいいのか? 昔と同じように。
後ろめたさが、質問を漠然としたものにさせる。が、言外に匂わせたニュアンスは、しっかりと伝わったようだ。
「君の為にならないことはしないつもりだ。昔も今も変わらずね」
カイの声には、士官学校時代と同じように、信じるに値するものがある。
ヤクモは友人を疑ったことを、再度恥じた。
*
宇宙要塞ア・バオア・クーは、元々は鉱物採取用の小惑星であった。楕円の下に円錐を繋ぎ合わせたような歪な形状は、元々それらが二つの岩塊であった名残である。
今なお建造が進められているが、一応の司令室と司令官、高級士官用の私室の体裁は整っている。
その一室には男女二人分の影と二つのテレビモニターがある。
アップにまとめた赤色の髪をもつ女はジオン公国突撃機動軍司令キシリア・ザビ少将。
そして、銀髪をオールバックにした偉丈夫は、ジオン公国軍総帥ギレン・ザビ大将である。
壁に掛けられたテレビモニターのひとつには、デギン・ザビ公王の姿が映し出されている。
もうひとつに姿を映すのは額と左顎に傷痕のある、堂々たる体躯の武人。ジオン公国宇宙攻撃軍司令、「ブリティッシュ作戦」の実施指揮官ドズル・ザビ中将であった。
ジオン公国の中枢を担うザビの一族が、直接ではないにしろ、顔を合わせているのだった。
両腕を腰の後ろで組んで立つギレンが、弟の顔を映すモニターに眼光を向ける。
「確かにコロニーは落ちた。が、どうやらジャブローは無傷のようだ。随分な不手際だな、ドズルよ」
視線は冷たいが、本気でドズルの責任を追及するつもりはないのだろう、声には余裕がある。
〈アイランド・イフィッシュ〉落下点については、既に観測結果が報告されている。大気圏突入直後に大破、分断されたコロニーは、連邦軍本部、南米ジャブローへの降下コースを大きく逸れ、最大の部分はオーストラリア大陸東端、シドニーに落ちている。その他、北米、ヨーロッパ等にコロニーの残骸が落ちたことは確認できているが、当初の標的を外した事実は否めない。
兄から面と向かって「不手際」と指弾されたドズルは、ギレンの内心は読み取れていないのだろう、渋面を隠そうともせず低い唸り声を上げた。
ドズルに冷やかな一瞥をくれたキシリアが、長兄に向き直る。
「コロニーをジャブローに落とすことによって連邦の継戦能力を奪い、早期停戦に持ち込む。……戦略を考案したのは兄上でしたな」
確認のように見せかけてギレンの言葉尻を捕らえ、暗に戦略の非を問おうとするが、ギレンは冷笑をもって応じた。
「なに、多少の誤差は修正可能だよ。コロニーはまだ無数にあるではないか」
「成程……。まだ無辜の民を殺戮せよとの仰せですな」
キシリアが柳眉を吊り上げる。
〈アイランド・イフィッシュ〉には2000万を越える住民がいた。住民は、そのコロニーを兵器として使用するためには障害となる。その「障害」を効率的に「排除」するため、ギレンが考案した手段は非道極まるであろう。コロニー内に猛毒の
が、キシリアの言葉も額面どおりの人道的なものではない。
ーー自分の軍が悪名ばかり背負わされてはたまったものではない。
何れギレンを凌ごうと野心を燃やすキシリアにとって、華々しい軍功を歓迎こそすれ、人心を失いかねない「悪行」ばかりを背負わされるのは好ましいことではなかった。
あからさまな非難を浴びてもなお、ギレンの傲然たる余裕は崩れない。
「一度の行為を形式化する必要もあるまい。或いは再度コロニーを落とすと見せて連邦艦隊を一所に集め、これを叩いても良いのだ」
「ならば兄者、もう一度俺にやらせてくれ」
それまで沈黙を保っていたドズルが吠えるように言う。
「今回の損害は後備の兵で埋めてやる。キシリアも手伝ってやれ。……仕損じるなよ、ドズル」
ギレンは、それまで我が子らの腹の探り合いを苦々しく見ていたデギンに声をかけた。
「……それで宜しいですな、父上」
「過ぎたことはやむを得ん。なるべく早期に勝機を得るようにな」
渋々と言った風に裁可を与えた父公王に、ギレンは慇懃無礼に一礼した。
「全ては御心のままに、父上」
*
開戦から7日。28億もの命を奪い、後世に「一週間戦争」という名で伝えられることになる一連の戦闘は、ひとまずの結末を見た。
しかし、それは新たなる戦いを告げる序曲に過ぎない。
地球圏の全てを覆う戦火は、正にこれから燃え上がろうとしているのだった。