一年戦争異録   作:半次郎

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 本当に申し訳無いです(遅刻の常習者)


第26話 ハワイ攻略前夜

 其処は暗かった。

 宇宙の如き虚無ではない。

 頭上を見上げれば遥か彼方に微かな光があるが、或いはその光が、身の周りの暗さを一層際立たせているのかも知れない。

 そして四方からまとわりつき、押し寄せる圧迫感。

 鋼鉄に鎧われた異形の巨人の体躯がその圧力に屈することはないと、それは理解しているものの。

 此処には、虚無の宇宙(そら)とは異種の重圧がある。

 海。

 地球を水の惑星たらしめる所以であり、原初の生命を育んだもの。地球と、地球を離れて宇宙に住まう全ての生きとし生ける者の始まりの存在を産み出した母。

 その胎内。

 〈ゴッグ〉の脚が海底を踏むと、細かい粒子となった泥と気泡が、その巨体を隠すかのように舞い上がる。

 泥の幕を射抜くかのように赤く輝いたモノアイがスリットの中をゆっくりと動く。僅か数十メートルの距離に僚機の姿を認めるが、その姿は暗闇に揺らぐシルエット程度にしか認識できない。

 ゴッグのコクピット内、無骨なパイロットシートにおさまるしなやかな肢体。ノーマルスーツのヘルメットの中で口唇が開き、吐息が漏れた。

 

「ふう……今日はこれくらいにしよう、ウィル」

『了解』

 

 メインモニターの中で揺らいで見えるゴッグから、少年の声が答えた。

 レジーナがフットペダルを踏む。バックパックの噴出口から熱核水流ジェットによって水流が迸り、付近の海水に人工的な流れを作り出す。

 ゴッグが海底の泥土を蹴ると、その巨体がゆっくりと浮き上がった。

 

『中尉、海の中って結構厄介ですね』

 

 レジーナに一拍遅れて続いたウィリアムが言う。

 

「同感。海水の抵抗はあるし、気を付けないと海流に機体制動を乱されるし。それより厄介なのは視界の悪さね」

 

 コクピット内のメインモニターに映し出されているのは、モノアイを構成する光学カメラが捉えた光景にアクティブセンサーにより感知したデータを反映、再構成して表示しているもの。

 モビルスーツが、そもそも宇宙都市国家であるジオン公国によって宇宙空間での運用を前提に作られたものである以上、そのパーツであるモノアイもまた光の無い空間での視界確保を企図して作られている。それは水中での運用を主眼とするゴッグであっても例外ではない。

 その為、その所在地が単純に「暗い」だけならば良好な視界の確保に然したる問題はない。

 これまで乗っていたザクⅡでは、無明の宇宙でも地上でも戦闘を経験している。地上では悪天候時の視界の悪さも体験しているところではあるが、この海中程ではなかったと、レジーナは改めて思う。

 深度が増すにつれて重々しく揺蕩う海水は光を遮り、全てを闇の中にに引きずり込もうとするかのように思える。

 その闇の軛に抗うようにゆっくりと浮上していくのにつれて、視界が明るく煌めいていき、海面の近くに至ったときには、あたかも溶けたアクアマリンの中を漂うような感覚にとらわれる。

 ゴッグに搭載された、現行のモビルスーツの中でも最大級の出力を誇るエンジンが唸り、巨体を浮上させる。

 海水を巻き上げつつ海から躍り出た異形の巨体が、その勢いのまま宙に浮かび上がった。

 一瞬海面から中空に逆巻いた水が重力に引かれて再びあるべき形に戻ろうとする、その時ならぬスコールの中、ゴッグのモノアイがキャリフォルニアベースの港湾部を捉える。

 ザクⅡに比べて緩慢な動作ながら姿勢を制御し、緩やかな弧を描いた巨体が、その足でコンクリートの大地を踏んだ。

 腹に響くような重低音に続いて機体に付着した海水が流れ落ち、驟雨となる。

 重金属の軋む音を立てながらゆっくりと歩き始めたゴッグのコクピットの中で、レジーナは一台の軍用ジープが近付いてくるのに気付いた。

 ゴッグからやや離れた場所に停車すると、運転席の人物がインカムを手繰る。

 その直後に開かれた通信で聞こえてきたのは、聞き馴染みのある男の声。

 

『よう、ジニー。調子はどうだ?』

 

 口調も台詞も、出撃を直後に控えた軍人の物としてはおよそ似つかわしくない、まるで世間話のようなものだ。平素と変わらない僚友の様子に、呆れと安堵、信頼感で綺麗に三分割された感情を、レジーナは抱いた。

 

「まあまあってところかな。大分慣れて感じ」

『そりゃ結構。ウィル、お前の方はどうだ?』

 

 ヤクモの言葉につられてモノアイを動かすと、左側にやや遅れてもう一機のゴッグ。

 

『こっちもまあまあです。最初はザクとの違いに少し戸惑いましたけど、慣れてきました』

『そいつはよかった』

「何かあったの?」

 

 ヤクモとて、現在は一パイロットに留まらず部隊を率いる立場。部隊のことのみならず地球方面軍との折衝など、しなければならないことは幾らでもある多忙な身である。

 初めて扱う機体、初めての環境、新戦術での戦いに当たるレジーナやウィリアムを気に掛けて慣熟訓練の様子を視察に来たと解すれば、その気遣いは嬉しくもあるが、どうもそれだけではないように思える。

 

『なに、皆に伝えることがあってね。伝達ついでに訓練の様子を見て回っているわけさ』

 

 なに一つ態度を変えることもなく、ヤクモが答える。

 

「悪い報せ?」

 

 皮肉っぽく聞くレジーナ。

 

『いや、良くも悪くもない。作戦開始の日時が決まったんでね。説明するから三時間後に〈モリガン〉に集まってくれ』

 

 

           *

 

 

 レジーナとウィリアムの訓練終了から、昼食を挟んで後。

 ザンジバル級機動巡洋艦モリガンのオペレーションルームには、モリガン艦長のバークレー、モビルスーツパイロットなど、部隊の主要メンバーが集まっていた。

 最後に姿を現したヤクモが室内を見渡しながら、最奥の椅子に腰を下ろす。

 招集した人員が全員揃っているのを確認して口を開いた。

 

「作戦開始の日程が決まったことについては個々に伝えたとおりだ」

 

 階級上の部下、というより感覚としては気安い仲間達の視線を浴びながら、単刀直入に切り出した。

 

「作戦開始は一週間後、5月17日03時丁度(ゼロサンマルマル)。目標はオアフ島、真珠湾(パールハーバー)にある連邦軍基地の攻略と、連邦軍太平洋艦隊の撃破」

 

 言葉を切ったヤクモが席を立つ。壁際のスクリーンに近付いて端末を操作すると、スクリーン上にアメリカ大陸西海岸を含めた北太平洋の地図が表示された。

 キャリフォルニアベースの位置に赤色の光点が表示される。

 

「……ここだな。キャリフォルニアベースからの距離は約4千キロだ」

 

 次いでスクリーン上の地図に表示された青色の光点を指差す。

 

「作戦の概要は……まあ、ざっくり言えば空と海からの両面攻撃」

「当然だな。何せ陸が続いてない」

 

 言わずもがなと言った感の否めないバークレーの言葉にヤクモが頷く。

 

「艦長の言うとおり、これ以外に手段がないからな、他にどうしようもない」

 

 ヤクモが端末に添えた手を動かすと、キャリフォルニアベースからハワイ諸島へ向けて、赤色の矢印が二本走る。

 一本は真っ直ぐに、もう一本は、真っ直ぐ走る矢印の下で緩やかな弧を描いている。

 

「上の矢印が航空部隊。編成とすれば地球方面軍のガウとドップが主体。それから降下強襲、基地制圧の為のモビルスーツ。下の方が海洋部隊。主戦力は潜水艦三隻とモビルスーツ、それに陸戦部隊……ここまではいいかな」

 

 口を閉じて室内を見渡したヤクモ。その中で視線があった部下に軽く笑いかける。

 

「マーク。そんなに険しい顔をしなくてもいいよ、詳しいことはこれから説明するから……大鴉(うちの)隊の任務を含めてね」

 

 不意に声を掛けられたマークが周りにいる僚友たちの視線を受け、軽く俯きながら苦笑する。が、それも僅かのこと、多少不安定なところがあるながらも信頼に足る指揮官に、やや細めの碧眼を向けた。

 

「是非教えて頂きたいですね、なるべく詳しい陣容も含めて」

「そのつもりさ。大半は上層部(うえ)からの受け売りだけどね」

 

 軽く肩を竦めながら席に戻ると、分厚い書類を取り上げた。

 

「先ず言っておくけど、今回、ジニーとウィルは別行動。ゴッグの整備に必要な最低限の整備士(メカニック)を連れて作戦開始の48時間前までに海洋部隊に合流、作戦行動の詳しいことはそっちで確認して欲しい。他はモリガンに搭乗、航空部隊に入る」

「了解」

「了解です」

 

 レジーナは常と変わらぬ様子、ウィリアムはやや不安があるのか軽く緊張した様子で、それぞれ頷く。

 

「それじゃあ、整備士の方は俺の方で人選しとくわ。四人いればいいか?」

 

 大鴉隊のモビルスーツ整備班長、テオが腕を組んだまま言うと、ヤクモが頷く。

 

「お願いします。で、航空戦力の方だけど」

 

 一旦言葉を切って書類に目をやる。

 

「ええと……ガウが五機にドップ40機、ザクⅡの陸戦()型がガウ一機ごとにそれぞれ三機か」

「そこに俺たち、と。多いのか少ないのか、微妙なところですね」

「そこに混じるってことは、今回の任務は奇襲じゃあないってことで?」

 

 アンディとリカルドがそれぞれに口を開くと、ヤクモが再び頷いた。

 

「そうだな。俺たちは今回は遊軍だな、強いて言えば。ジニーたちの方は、場合によっては奇襲に近くなるかな。それと……」

 

 言い淀むと、気難しい顔で頭を掻く。

 

「戦力に関しては、本当はもう少し欲しいところなんだけどな」

 

 地球方面軍が現在把握している限りでは、攻略目標である連邦軍基地に在る戦力は、純粋な陸軍戦力として兵員数個大隊ほど。兵員の数では圧倒的に負けているが、モビルスーツと既存兵器の能力の差を充分に活かして戦えば決して覆せない戦力差ではない。そのことは、これ迄の戦局の推移それ自体が証明してきていることだ。

 だが、逆に言えばモビルスーツという戦略、戦術上の大きなアドバンテージがなければ、ジオンは到底連邦軍の兵力に伍しえないということである。

 それはつまり、ジオン公国が地球連邦に対して「敵より多数の兵力を運用する」という戦略上の常道を歩むことができていないことを示している。開戦からここまでの五ヶ月間、ごく一部の局地戦を除き、単純な兵力でジオンが連邦を凌駕したことはないのである。開戦からここまでの五ヶ月間、ジオンが積み重ねてきた勝利は、冷静に振り返れば薄氷の上に組み上げられてきたものであると言える。

 今現在この場に居ない、本来の大鴉隊指揮官であるカイ・ハイメンダールが、自分の立場では如何ともしがたいことを承知の上で早期講話を望んでいるのは、その事実を理解しているからに他ならない。

 実はヤクモは、今回地球行きに際してカイから事務的な申し送りを受けた際、雑談に近い会話の中でその辺りの話も聞いている。

 

(あいつには、余計なところまで見えすぎている)

 

 ある意味では範疇を越えかけているとはいえ一尉官に過ぎないヤクモにとって、戦略的或いは政略的なことに関しては、まるっきり無関係ではないにしても直接関与できる類のものではなく、それは佐官とはいえカイとて同等である。

 ザビ家の専制に近い現在の政局にあって主流を占める主戦派に批判的な態度ととらえられてしまえば、いつ上層部の不興を蒙るかも知れず、一歩間違えば最悪の事態に陥れられるかもしれない。

 カイがそのようなあからさまな失態を冒すとは考えがたく、また、彼の危惧するところをいちいち尤もだと思う反面、職分を越えたところにまで思いを巡らせる友に一抹の懸念を抱かずにいられないのであった。

 それはさておきヤクモの本音としては、味方の犠牲を減らして勝利を確実なものとするためにもう少し戦力が必要と思われた。

 だが彼らにとっては作戦の立案や運用に容喙出来るような身分でもなく、そもそもが戦力不足を補うための増員として派遣されている身上であるからにはどうしようもないことであった。

 これ以上の戦力増強が望めない以上、軍属であるからにはやれと言われたことに全力を傾注するしか途はなかった。

 

「まあ、やれと言われている以上、やる以外仕方ない。全員揃って宇宙に帰れるよう最善を尽くすとしようか」

 

 ブリーフィングを締めたその言葉は、半ば自分に言い聞かせるかのようだった。

 

 

           *

 

 

 キャリフォルニアベースから近くて遠く、アマゾン流域を覆い尽くす熱帯雨林の地下。

 地球連邦軍本部ジャブロー。

 地下数十メートルを数え、難攻不落を誇る要塞の一室に十を数える人物が動いていた。

 親の仇を見るようにディスプレイを睨めつけていた、明るい灰色の髪の青年がキーボードを叩く手を止めた。顔を上げて無機質な天井を眺めると、その傍らに立っていた赤毛の女性士官がその顔を覗き込む。

 

「どうかしたの、アルバート?」

「まただ……」

 

 呼び掛けられた青年がポツリと呟いたのが早いか、室内が微かに揺れる。

 

「なるほど」

 

 事情を察した女性士官がにこりともせずに頷く。

 と、

 

「……定期便、ね」

 

アルバートを挟んで彼女の反対側に座る褐色の肌の男がしたり顔で肩を竦めた。

 

「相変わらず敏感だねえ、アルバートさん?」

「無神経よりはましだと思うがね、オリヴィエ先輩?」

 

 シニカルな表情で視線を絡ませる男二匹を、女性士官が呆れた表情で見下ろす。

 

「毎回毎回、同じようなことばかり言って。良く飽きないわね、二人とも」

「そう言うなって、クリス。人間、心に平衡を保つためにはルーティンってのが必要なのさ」

「心外だな。俺はいつもオリヴィエに絡まれているだけだ」

 

 片や意に介さないような、片や憮然とした、何れも彼らの為人(ひととなり)を知っているならば「らしい」と思わざるを得ないやり取り。

 「定期便」と彼ら連邦軍が揶揄するのは、北米大陸に君臨するジオン軍のジャブロー周辺に対する爆撃。

 未だジャブローの確たる位置は突き止められていないのだろうその爆撃にはジャブローの急所と呼ぶべき箇所を破壊するには精度がなく、また大地そのものを外壁と成すジャブローの坊禦を抜くべき破壊力にも欠けている。

 とは言うものの、日に数度定期的に頭上を脅かされている事実には変わりなく、基地の中にはある種の閉塞感と、「ジャブローの中にいる限り安全」だという、劣勢の中での屈折した安心感とが一部に蔓延りつつあった。

 その中にあっても、士官学校以来変わることの無い友人たちの()()()()会話。

 平和であった時の日常を切り取ってきたかのような何気無い舌戦に、クリスチーナの口許が微かに綻ぶ。

 足を組んで椅子に凭れながら、オリヴィエが言う。

 

「こんな穴ぐらに閉じ込められているんだ。アルをからかうくらいしないと心にゆとりがなくなるってものさ」

「穴の中にいるのが嫌なら、今すぐ外に出ると良いぜ。宇宙人野郎(ジオン)共がこんがり焼いてくれるだろうさ」

「そいつは御免だ。ウェルダンは好みじゃないんでね」

「何なら生焼け(レア)にしてもらえるように注文してみたらどうだ?」

 

 アルバートの言葉は、第三者に対してであれば喧嘩を売っているかのように思われるほどだが、そんな台詞すらオリヴィエは愉しんでいるかのように見える。「からかう」という詞に偽りはないが、そこに悪意が感じられないのが気安さの証なのであろう。

 剽げた仕草で大袈裟に肩を竦めたオリヴィエが、上体を起こしてディスプレイを覗き込む。

 

「さて、作業を済ませるとしようぜ。早いとこ穴ぐらから解放されるために」

 

 彼らが居るのはジャブローの一角にある技術開発局の一部局の、そのまた一室。

 テム・レイ技術大尉を中心としたモビルスーツ開発部門の中にある制御プログラム開発室である。

 テストパイロットとして技術開発局に派遣された彼らは、数週間前までジャブローを遠く離れた東南アジアにおいて、史上初の初の連邦製モビルスーツ〈ザニー〉の実地試験任務に従事していた。その試験中、期せずしてザクⅡとの遭遇戦を行い、被害を受けながらも生還した彼らの実戦データは、それまでの連邦に前例のないモビルスーツ対モビルスーツの交戦記録という意味において貴重なものであった。

 そこで、モビルスーツ開発を精力的に推進するレビル将軍の命により、ジャブローに帰還して以降の彼らは、交戦記録の精査とレポートの作成を義務付けられていたのである。

 オリヴィエに促されたアルバートが、ディスプレイに向き直りキーボードを叩く。

 ディスプレイに、各種のデータとともにザニーのメインコンピュータから抽出した記録映像が映し出された。

 映像が場面を進めるにつれてそれを食い入るように見つめるアルバートの表情が強張っていったのは、会話から作業に至るまで、悪友と呼ぶべきオリヴィエのペースに乗せられていることに気付いたこととは、おそらく関係がない。

 アルバートの表情と精神を硬化させる最大の要因は、モニター内を我が物顔で跳梁する単眼の巨人。

 彼にとって憎むべきジオン軍が運用し、開戦以来宇宙と地上において、連邦軍に控え目めに言っても尚多大と言わざるを得ない被害をもたらしてきた忌むべき存在。

 運良く生還できたとは言うものの、連邦軍の新機軸たるモビルスーツに搭乗してなお一方的にザクに蹂躙された苦々しい記憶が、アルバートの心を暗く翳らせる。

 現在ディスプレイに表示されているのは、ある意味で最も濃厚にザクと接触したアルバートの機体が記録した映像。

 ザニーのメインカメラが、緩やかな稜線の影から躍り出たザクを捉えたほんの数秒後、そのザクはアルバートの反応を越える早さで肉薄している。

 その後状況の終了まで、ほぼ一方的にやられ続けた記録を見ることは、アルバートのみならず同席するクリスチーナにもオリヴィエにも、決して愉快なことではなかったが、それでも繰返し再生し、ザニーとザクの相対的な差異を抽出、コンピュータが分析した数値を記録、精査していく。

 幾度目かの再生が終わった後、アルバートが忌々しげに吐き出した息が引き金になったかのように、オリヴィエが口を開いた。

 

「こいつ、何度見ても……いや、見れば見るほど、他の機体とは動きが違うな」

 

 何時になく真剣な眼差しでディスプレイを見やりつつ爪を噛むオリヴィエに、クリスチーナが頷き返す。

 

「うん、そう思う。機体が特別なのかしら。それともパイロット?」

「特別?」

 

 訝しげな声を上げるアルバート。

 

「特別な機体、ねえ……」

 

 アルバート同様に怪訝そうな表情を作ったオリヴィエが、肩を竦める。

 

「例の〈赤い彗星〉みたいな?」

 

 表情とは異なる軽い口調だが、生まじめに頷くクリスチーナの顔を見て、オリヴィエの眉間に皺が寄る。

 

「私も詳しくは知らないけど……噂だと、ルウムでこちらの戦艦五隻を単独で沈めた赤いザクは、他のザクの三倍近い速さだったそうよ」

「聞いたことはあるけどさ。その話、本当なのかい?」

「さあ。でも、三倍は誇張だとしても他のザクより性能が良いというのは考えられないことじゃないでしょう? 自動車でも戦闘機でも、なにも全く新しいものを作らなくたって、チューニングやカスタマイズをして性能の底上げをするのは昔からやっていることだし」

「そりゃごもっともだね。もっとも……」

 

 再び肩を竦めるオリヴィエ。

 

「クリスの意見が正しいとすれば、それだけの機体を動かす赤い彗星ってのは、パイロットとしての技倆(うで)も並外れているわけだ。嫌だねえ」

 

 戦場じゃ遭いたくないね。

 本音を交えた軽口に軽く微笑み、控えめながら同意を示すクリスチーナ。そのやり取りを耳だけで認識しながら、アルバートの視線はモニターから外れない。

 

「……なんだっていいさ」

「え?」

 

 低く呟いた言葉が聞き取れなかったか、或いはその意を解し損ねたか。だらしなく椅子に凭れかかった背筋を伸ばしたオリヴィエが、アルバートの顔を覗きこんだ。

 

「なんだっていいっていったのさ。モビルスーツが特別だろうが、パイロットが特別だろうが。次に会うことがあったら、俺がこいつを落とす。それだけだ」

 

 オリヴィエやクリスチーナの方を向くこともせず、低く淡々と、アルバートが告げる。その瞳には、ディスプレイの中を縦横無尽に飛び回る黒い左肩のザクⅡ、そして、その機体に描かれた鴉がはっきりと刻まれていた。

 

「そうかそうか、その意気やよし。次にこいつにあったらお前さんに任せるわ。俺はもっと楽な相手がいいや」

 

 おそらく、重くなりかけた空気を和ませようと冗談めかしたであろうオリヴィエの言葉は、しかし、誰の反応も受けることなく部屋の空気に溶け込んでいく。

 思い詰めた様子のアルバートを、クリスチーナの緑色の瞳が心配げに見詰めた。

 何か言いたげに半分開かれたその唇は、結局何の音も発することなく閉じられた。

 

 

           *

 

 

 出撃を12時間後に控えたモリガンの食堂に、パイロットが一人。

 開戦と時を同じくして行われたグラナダ制圧戦を潜り抜けて以降、ルウム戦役を生き延び、地球降下作戦を経て生き抜いてきた戦績で言えば所謂ベテランに比肩しうるパイロット。

 一人椅子に座り、少年と青年の丁度境界線上に立つ若々しい顔。

 普段は自分より年上の同僚パイロットたちに囲まれて自分の未熟を感じることが多く、その反面、精神的に背伸びをしていることも多い。その分、上官であるヤクモやバークレー、そして現在地球に居ないカイにとっては世話の掛からない()()()であるのだが。

 現在、目の前にテーブルに置かれているのは、砂糖がたっぷり入った甘いカフェオレ。

 普段、他人の目があるときに飲むブラックコーヒーではなく。

 

(たまにはいいよね、甘いの好きだし。周りに誰も居ないし)

 

 軍という個が極端に制限される組織集団の中にあって、ささやかながら個人の嗜好を優先させられる得難いタイミング。

 普段、個人の好みを抑制して周りに合わせる。

 甘いカフェオレか苦いブラックコーヒーか。

 言葉にしてしまえば些細な、本当に取るに足らないことであるのだが。

 だが、それが周りに大人びて見せたいという背伸び、寧ろ子供っぽい見栄だということに、彼自身は気付いていなかった。

 

 熱い液体を一口啜り、芳醇なミルクの甘味とコーヒーの香気、微かな苦さを喉の奥に流し込んだそのとき。

 

「お、ウィル、一人か?」

 

 半年ほど前からほとんど毎日のように耳にする声が投げ掛けられた。

 慌てて振り返った視線の先には、想像を違えようもない男の姿。

 代理とはいえ現在隊を率いる指揮官である、ダークブラウンの髪と琥珀色の瞳を持つ青年がこちらに歩を進めてくる。

 

「あ、隊長。お疲れさまです」

 

 むせかえりそうになるのを堪えて立ち上がり、敬礼をしようとするウィリアムを片手で制したヤクモが、ウィリアムの前を通り過ぎる。

 ドリンクディスペンサーでドリンクを淹れると、カップを持ってウィリアムの元に近付いてくる。

 

「……あまり旨いコーヒーじゃないな」

 

 行儀悪く椅子に横向きに腰掛け、カップに口をつけたヤクモが、悪戯っぽく口角を上げる。

 

「そうなんですか?」

「うん、酸味が強すぎる。俺は好きじゃないな。今度補給士官に言っておくかな」

「へえ……僕には良くわからないです」

「ん? 何飲んでるんだ?」

 

 わざわざ首を伸ばしてウィリアムのカップの中身を覗き込むヤクモ。

 

「ええと、カフェオレです……ちょっと子供っぽいですかね」

 

 心持ち気恥ずかしそうな顔をするウィリアムに、ヤクモが「何で?」と言いながら不思議そうな顔を向ける。

 

「別にいいじゃないか。甘いのは俺も好きだぞ?」

「え?」

 

 ウィリアムが意外そうに目を瞠ったのを見て、ヤクモが苦笑する。

 

「なあ、ウィル。変なところで肩肘張る必要はないんだぞ」

「別にそんなつもりは……」

「好きなものを好きと言って悪いことなんてないし。そんな事に格好つける必要なんてどこにもないだろ?」

 

 目の前の士官、自分の尊敬する上司であることに違いはないが、どこまで自分の内面を見抜かれていたのか。

 

「なあ、ウィル」

「……はい」

 

 呼び掛けてウィリアムに返事をさせた後で、ヤクモは逆に言い淀んだ。

 

「違ってたらすまないが、何て言うかな。色々と無理してないか?」

「別にそんなこと……」

 

 ありません、と即座に否定しようとした言葉が尻すぼみになったのは、ウィリアムに自覚する気持ちがないわけでもないから。

 彼の目から見ても卓絶した技能を有する周りの大人たちに比べて自分の未熟を理解しているからこそ、普段の立ち居振る舞いからも、少しでも近付こうと背伸びをしていた自覚があったから。

 何時から気付かれていたのか、これまでそんな素振りさえもなかったヤクモの言葉に、驚きを禁じ得ない。

 

「そうか。ならいいんだ。……いきなり新型を任せてすまないが、頼むな」

「え? あ、はい」

 

 話題の変化に追従しきれず、きょとんとした顔になるウィリアムを後目に、コーヒーを飲み干したヤクモが立ち上がる。

 握り潰した紙カップをゴミ箱に放り投げたヤクモの後ろ姿に、今度はウィリアムが話しかける。

 

「あの、隊長……」

「うん?」

「なんで、僕が無理してるって思ったんですか?」

 

 振り返ったヤクモが、軽く肩を竦めた。

 

「何となく、かな。お前が、たまに周りに合わせようとして小走りになってる気がしたんだ。俺の思い違いならいいんだけどな」

 

 ヤクモの言葉になんと返せばいいかと、ウィリアムが考え込む。

 その姿を見たヤクモが、優しい目になる。

 

「真面目なのは助かるけどな。俺たちに気を遣う必要なんてないぞ。たまには自分のやりたいようにやってみな、難しいことは考えずに」

 

 ウィリアムの肩を優しく叩いたヤクモが、食堂を出ようとする。

 その背中に、少年が再び声を上げる。

 

「隊長!」

「うん?」

 

 立ち止まるヤクモ。

 

「明日、頑張りましょうね」

 

 ヤクモが、振り返らないまま肩を竦める。

 

「そんなのは当たり前。俺が望んでいるのはその更に上だよ」

「……はい」

 

 ヤクモが自分のの内面をどこまで察していたか、ウィリアムにはわからない。上官にかけられた言葉が、今の自分に必要だったかと問われれば、必ずしもそうではないだろう。

 大人か子供かという点で言えば、ヤクモの行動にだって子供っぽいところは沢山あるだろう。

 だが。

 ことあるごとに自分を気にかけてくれる存在。

 未知の戦場への出撃を控えた少年は、その存在を有り難く噛み締めるのであった。




 何とか2月中……。
 遅い上に内容がブレッブレですな。
 猛省。
 ご意見、ご感想など頂ければ幸いだす。

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