一年戦争異録   作:半次郎

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第24話 再び、地球へ

「あーもう、訳わからん!!」

 

 ヤクモは一声叫ぶと、手に持ったボールペンを、執務机に山積みとなった書類の上に放り投げた。椅子に座ったまま背を伸ばし、肩を回す。

 大鴉(レイヴン)隊が前日拝領したばかりのザンジバル級機動巡洋艦〈モリガン〉の中にある私室である。

 部隊指揮官のカイが(グラナダ)を離れられないことから、その名代として「指揮官代行」に指名され、まだ1日。それでありながら、既にこの体たらくである。

 

「まったく……カイはよくやってたな、こんなデスクワーク」

 

 小声で呟きながら、椅子から立ち上がって大きく背伸びをした。

 カイから、当面部隊運用に必要な各種手続きに関してのレクチャーを受けたものの、いざ自分で手をつけてみるとその煩雑さは想像を超えるものがあった。

 艦の受領に関してはカイが手続きを済ませていてくれたからいいとしても、だ。

 まず、モビルスーツについて。

 ヤクモ自身からしてモビルスーツパイロットである大鴉隊は、言うまでもなくモビルスーツをその戦力の主力に据えている。

 いざ戦闘となれば、弾薬やその他の兵装を扱うことになる。無論、常に無傷でいられるとも限らず、予備の弾薬や各種武装の他にも、モビルスーツを動かすのに必要な推進材、修理に必要なパーツや機材もある程度数を揃えておかねばならない。

 そして、それはモビルスーツに限らず、彼らが生身で行う白兵戦用の銃火器、彼らの()であるモリガンについても同様。

 そして、ある意味ではそれ以上に必要なのが食糧。人間が生きて活動するためには、食べて栄養を補給しなければならない。ザクのように、整備さえしておけばミノフスキー・イヨネスコ型核融合炉によって無限に近い動力を得るという訳にはいかないのだ。

 そして、心情の面から言えば、延々と同じ種類の物を繰り返し食べるのも味気ない。というか、そのようなことをしていれば途中から寧ろ苦行に近いものになる。

 その貯蔵量にしても思案しなければならない。

 彼らが機動巡洋艦一隻を運用するということは、整備の人間など非戦闘員を含めて、100人からの人員を動かすと言うこと。

 それだけの人数が生活するのに必要な物資を揃えなければならず、そのためには揃えるだけの手続きに追われることになるのだった。

 

「だから手伝ってあげてるでしょ? 文句言わないの……あれ、この数値、あってる?」

 

 ヤクモが座る執務机の前、応急的に運び込まれた長机に向かって書類を捲っていたレジーナが、書類から目を離すこともなく言い、目の前に座ったバークレー中尉に一枚の書類を手渡す。

 

「まったくだ。今からそんな弱音を吐くようでは先が思いやられるな……ほら、この申請書、桁が一つ間違ってるんじゃないか」

 

 レジーナから差し出された書類を一瞥したバークレーが立ち上がり、巨体を揺らしてヤクモに近付く。

 目の前に突き返された書類を確認し、御丁寧にも付箋が貼り付けられた箇所の数値を確かめ、手元の別の書類と付き合わせる。

 

「あ、ホントだ……あれ?」

 

 さっき見直したのにな、とぼやきながら、手放したばかりのボールペンを取り上げ、(ゼロ)を一つつけ足す。

 ヤクモが訂正した書類を再度確認したバークレーが、先程まで腰掛けていた椅子に戻る。

 その筋肉で覆われた幅広の背中に、ヤクモが声を掛ける。

 

「さっきから感じてるんだけど……この書類の半分くらいは、艦長の職分になるんじゃないですか?」

「ほう、気付いていたか」

 

 バークレーが、厳つい顔に笑みを浮かべて振り向いた。

 因みに、バークレーはこの度、晴れてモリガンの艦長に就任している。

 部隊発足以前にはムサイ級〈アードラー〉の副長として開戦を迎え、その後アードラーの艦長に就任したカイにも同様に副長として仕え、部隊発足と同時に艦を離れたが、事務に長けた副官として隊を支え続けていた。

 艦単位での運用に関しても事務処理に関しても、カイを除いて隊で右に出るものはなく、ついでに言えば、純粋な腕力であれば隊でバークレーに敵うものはいない。

 軍歴もヤクモたちより遥かに長く、何より開戦の時にはヤクモの上官であった。人間的にも実直な人柄であり、部下であったヤクモに階級で追い越された形になっているが、それを妬んだりするような素振りもない。今回も、これまで事務仕事とは殆ど無縁であったヤクモを進んで手伝いに来ている。

 ……筈である。

 

「確かにお前さんの言うとおり、ここにある書類の半分くらいは艦長レベルで処理する書類だ。最終的な決裁は別としてな」

「だったら何で?」

「どんな処理をするか、自分で理解していなければ決裁のしようがないだろう? サインをするからにはその手続きが判っていないとな。まあ、今日のところは事務処理と心構えのレクチャーといったところだな」

 

 好意から手伝いと指導に来てくれている筈であるが。

 

(どさくさ紛れに自分の仕事もこっちに放り投げているんじゃないのか?)

 

 書類の山とバークレーの悪戯っぽい態度を見ていると、つい邪推してしまうヤクモであった。

 溜息を吐いて、再び書類に向き合うヤクモ。

 何しろ、現状では艦に関することからモビルスーツに関すること、部隊員の福利厚生に至るまで、ありとあらゆる書類が彼の机の上に山積みになっているのだ。

 眺めていてもその書類が処理されていくわけでもなく。

 

「これ、本当に全部俺がやる必要があるのか? 俺はあくまで代理なんだから、カイがサインしてあるのまで引っ張り出してくる必要ないんじゃないの?」

 

 ぼやきながらも、一番上に乗せられた書類から目を通しはじめた。

 そんなヤクモを、妙に優しい目で見る二人。

 

「さて、と。そろそろ艦の巡視に行ってくるかな。しっかりやれよ、指揮官代行殿」

 

 激励か皮肉か、咄嗟に判断のつけ難いことを言って、バークレーが立ち上がる。

 

「あ、私もそろそろ行こうかな。モビルスーツ、見に行かなきゃ」

 

 バークレーに合わせて席を立つレジーナ。

 

「じゃあ、頑張ってね、ヤクモ。決裁した書類は白い篭、誰かの訂正が必要な書類は青い篭に入れておいてね」

 

 恨みがましい視線を物ともせず、そそくさと退室する二人。

 目の前で無情に閉ざされたドアを暫し睨むヤクモ。その眼力が物理的な力を持つなら、ドアは完全に破壊されたに違いない。

 諦めてボールペンを握り直し、書類を読み始める。

 集中しはじめたところで、ドアがノックされる。

 

「どうぞ」

 

 顔を挙げることなく答えると、ドアが開けられた。

 

「失礼します」

 

 という声に目を向けると、そこにはモリガンの砲術担当の下士官がいる。

 

「すみません、艦長がこちらにいると伺ったのですが」

「……ついさっき出てったよ。何かあった?」

「あ、はい。艦の運用訓練のことで……」

 

 下士官の手には紙束。

 

「……最後には俺も見なきゃいけない書類(やつ)?」

「そう……なりますね」

「……そこに置いといて」

「はい、お願いします」

 

 書類を長机の上に置いて退室する下士官に見向きもせず、書類を見続ける。

 ワード・プロセッサの無個性な文字がびっしりと書き込まれた書類を読むこと数枚、再び、ドアがノックされる。

 

「……どうぞ」

「入るぜ」

 

 ごく僅かながら尖った声にも、緊張した様子でもなくドアを開けたのは給事担当の職員。

 

「大尉さんよ、食糧の搬入どうなってるんだい? 申請書がなけりゃ進まねえぜ。早くしなきゃ全員昼飯抜きになるけど、大丈夫かい?」

「え? ええっと、さっき見たけど、どこにやったかな」

 

 慌てて机の上の書類をひっくり返すヤクモ。

 その姿を見た職員が近付いてきて、

 

「ああ、あったあった。じゃあ、これもらってくからよ」

 

 長机の篭の中から、目当ての書類を取り上げて立ち去る。

 残されたのは、書類をひっくり返されて先程よりも散らかった机。先程まで見ていた書類が既に見当たらない。

 

 ようやく探し当て、安堵の息を吐いて続きを読み始めたとき。

 三度のノックとともに、マークが姿を見せる。

 

「……みんなして、わざとやってないよな?」

「……なんのことです?」

「いや、何でもない」

 

 相変わらずのクールな態度ながら首を傾げるマークの姿に、言葉を濁す。

 

「で、何かあった?」

「新装備の受領書です。こればっかりは隊長のサインがないといけないんで。整備班長から言われてもらいに来ました」

 

 無情に差し出された一枚の紙。受け取ると、碌に内容も確認せずサインをして突き返す。

 

「まあ……頑張って下さい」

 

 それだけ言い残して立ち去るマークの後ろ姿を見送り、読みかけの書類を手繰り寄せる。

 五分と経たず、ドアが叩かれた。

 

「………………どうぞ」

 

 ゆっくり十数える程の時間を空けて応答。

 ドアを開けて姿を見せたのは、昨日配属されたばかりの新米技術士官、ルオ・シンファ。

 

「あの、大尉、忙しいところすみませんが、モビルスーツのことで……」

 

 躊躇いがちの声に、顔をあげた。

 

「す、すみません、お邪魔しました!」

 

 余程怖い目付きになっていたのだろう、シンファが回れ右をしようとする。

 

「いやいや、何か用があったんだろ?」

 

 慌てたように声を掛けると、シンファはそのまま一回転して再びヤクモの方に向き直った。

 

「器用なことするなぁ」

 

 その動作に、つい苦笑が浮かぶ。

 

「す、すみません大尉。大尉のザクなんですけど……出来れば地球に降りる前に数値取りたいんですけど、細かい調整もあるので、出来れば今日中に……」

 

 執務机狭しと積まれた書類をチラチラと見るシンファ。語尾が自然に消え入るように小さくなる。

 

「……すまんが、今はムリだ」

「そ、そうですよね。忙しいところ、すみませんでした」

 

 頭を下げて部屋を出ようとするシンファに、

 

「今日中には何とかするよ……また後で声掛けるから休んでてくれ」

 

 努めて、なるべく穏やかな声を掛ける。

 既に目は書類の文字を追いかけていたので、「はい、わかりました!」と、勢い良く敬礼をするシンファの姿は視界に入らなかった。

 

 ……結局、その後も入れ替わり立ち替わり訪れる来客に悩まされたヤクモが全ての書類に目を通し終わったのは、夕食後たっぷり二時間を経過した後のことであった。

 

 

           *

 

 

 グラナダの街を見はるかす月面の小クレーターは、突撃機動軍の管理する演習場の一つである。

 その上空を翔ぶ、一機のモビルスーツ。

 MS-06FSの型式を与えられた、MS-06ザクⅡのカスタム機である。

 ジオン公国軍全体で少数が運用されているが、ザクⅡの基本色である濃緑とモスグリーンをベースに、左肩を鮮やかな漆黒に染め抜いた機体は、恐らく軍全体でもこの一機しか存在しないであろう。

 右肩のシールド表面にはジオンの国章。そして左胸には突撃機動軍のエンブレムを背景に翼を拡げる鴉の部隊章(エンブレム)

 描かれた大鴉さながら、弧を描きながら悠然と翔ぶ。

 フットペダルを踏む右足に徐に力を込めながら、目はメインモニター周りの計器が表示する数値を追う。

 

『大尉、どうですか? 整備前と比べて気になるところはありますか?』

「いや、大丈夫だ。もう少し加速してみないと何とも言えないが、まあ、今のところ及第点だ」

 

 やや固い口調の問い掛けに、率直に思ったことを答える。

 無線の向こうで、シンファの安堵したような微かな吐息が聞こえる。

 

(なるほどね、整備班長がOKを出すわけだ……)

 

 ヤクモは、口許にごく僅かな笑みを浮かべた。

 フットペダルを強く踏み、両手で掴むスロットルレバーを押し込む。

 それまで緩やかな弧を描いていた機体が、一転、バックパックからバーニア光を迸らせつつ急降下する。

 

『ちょっと、大尉、あまり無茶は……』

 

 焦ったようなシンファの声を聞きながら、見る間にモニターを埋め尽くす月面と計器を等しく見やり、見計らったタイミングでスロットルを引く。

 月面への激突寸前で急激に方向変換し、水平飛行へ。そしてシャンデルからのエルロンロール、バレルロールと、本来戦闘機向けの空間動作(マニューバ)を繰り返す。

 その都度、ザクⅡの腰部と脚部のスラスターから解き放たれた炎が、瞬間的に闇を鮮やかに照らす。

 コクピットにかかる強烈なGが、ヤクモの体をパイロットシートに押し付ける。

 前後左右、そして上下。

 あらゆる方向から働きかける慣性が体を苛む。

 何の訓練も受けていない一般人であれば、疾うに身体に異変を来すか、良くて失神(ブラックアウト)しているほどの、体に悪い機動の連続。

 だが、今のヤクモにはそれすらも好ましい。

 軍役にない会社勤めの一般人の感覚でいえば、丸一日の勤務時間を優に超えるデスクワークから解放され、本領であるモビルスーツパイロットに戻った気分は、水を得た魚か、鳥籠から解き放たれた猛禽か。

 スロットルレバーやフットペダルを操作したときの反応(レスポンス)を五感で感じつつの、装いを新たにした愛機との静かな()()

 激しくも美しい演舞にも似たその動作は、やがてザクが月面に着地したところで終わりの時を迎えた。

 

「こんなところか……シンファ、先に戻るぞ」

『え? あ、はい、いえ、ちょっと待って下さい!』

 

 演習場の管制棟にいるシンファに一声かけると、その返事も碌に聞かずフットペダルを踏む。

 宇宙空間を切り裂くようなそれまでの勢いを感じさせない、スラスターを軽く噴かせる小刻みで軽やかなステップを繰り返して基地に向かう。

 

 

「随分調子良いみたいね」

 

 モリガンが繋留されている軍港に併設された格納庫で、ザクから降りたヤクモを迎えたのはレジーナの一声であった。

 

「まあね。なかなか良い腕をしてるよ、あの娘(シンファ)。それより……」

 

 降りたばかりの愛機の足をポンと叩きながら答える。

 

「何でこんな時間にこんなところにいるんだ?」

「モビルスーツの調整に決まってるでしょ」

「こんな時間まで? 午前中に逃げ出したくせに?」

 

 ごく僅かに声が尖った。

 

「逃げ出したって……人聞きが悪いわね。もともと一から十まで手伝うなんて言ってないし、ちゃんとご飯も届けてあげたでしょ?」

「そりゃそうだけど……どうせならもう少し手伝ってくれてもよかったのに」

「そんな恨みの隠った目で見てもムダ。自分の仕事でしょ? 過ぎたことを何時までも引きずるなんて非建設的なことはやめてね」 

 

 からかいの成分が多分に混じってはいるものの、内容は全くの正論。ヤクモが幾らか拗ねたような表情になる。

 

「ま、艦長の言い分じゃないけど、これから必要になるかもしれないんだし。たまには良い経験になったんじゃないの?」

「たまに、で済めばいいけどな」

 

 憮然として言い返したその時。

 彼らの近くに停車する、一台の電気自動車。

 

「セト大尉!」

 

 呼びかけながら電気自動車から飛び降りようとした小柄な人影が、何かに躓く。

 転びそうになりながら近付いてくるシンファの身体を、レジーナが慌てて支える。

 

「大丈夫?」

「あ、はい、すみません」

 

 白い頬をやや赤らめつつ、ずれた眼鏡を直すシンファ。

 

「とりあえず、その()()()は直した方がいいな」

「あ、はい、気を付けます……じゃなくて!」

 

 苦笑しながらのヤクモの声に、やや俯き加減に応じた直後、飛び上がらんばかりの勢いで顔をあげる。

 

「大尉! 試運転にしては荒すぎますよ! FS(このこ)はまだ組み上げたばかりなんですから、もう少し慣らしてから……」

基本(ベース)は前と変わってないんだろ?」

 

 割と強めの勢いを意に介さないように、やんわりとではあるが、シンファの言葉を遮る。

 

「それはそうですけど……」

「セッティングは、整備班長(おやじさん)のがベースだろ?」

「そうです」

「なら、あれくらい大丈夫だよ。元々高速機動を想定した仕様だ」

 

 事も無げに言う。

 

「そうは言ってもですね、まだ組み上げた状態でのバランスも取ってないんですよ」

「いやいや、バランスは良かったぜ。賑やかなだけかと思ってたけど、良い腕だ。見直したよ」

 

 本心なのか、幾分からかい混じりなのか、傍らのレジーナが聞いても微妙な口調。

 

「いやぁ、それほどでも……って、話をすり替えないで下さい」

 

 誉められたと思って頭を掻いたシンファが、真顔に戻る。

 

「はぁ……真面目に答えてあげなさいよ」

 

 軽い溜息を吐いたレジーナが、両手を腰に当てて、嗜めるように言う。

 女性二人の視線を受けたヤクモが、二、三度まばたきした。

 

「そうだな……。それなら言うが、あの程度の動きで動揺するのは、最初で最後にしろ。今回は良いが、戦場では常に慣らしが出来るとは限らない。現地で組み上げて即出撃しなければならないこともあるんだ」

 

 ヤクモの表情も口調も、真剣そのものになっている。それまでの良くも悪くも弛い雰囲気は何処にもない。何時しかその顔は、若いながらも幾度の死地を潜り抜けてきた部隊指揮官のそれになっている。

 

「モビルスーツを扱うのは俺たちパイロットだ。お前たちの仕事は、パイロットがモビルスーツの性能を余すことなく発揮できるようにすることだろう?」

 

 部隊に配属してから初めて見る、真剣なヤクモの表情。

 静かな迫力の様なものまで湛えたその目に、シンファが思わず息を飲む。

 威圧されたように強張るシンファを見たヤクモが、ふっと表情を和らげた。

 

「お世辞じゃなくて、なかなか上手く調整されていたよ。自信を持っていい」

「……はい」

「少なくとも俺は、隊員の経験は問わない。出来る奴は出来ることを最大限にやればいい。それと……」

「……」

「実戦じゃないしな、どこも傷めてないから安心しなよ。細かい調整は任せた」

 

 軽く笑い、頭の上に挙げた左手をひらひらさせながら立ち去るヤクモ。

 その後ろ姿を見送ったレジーナが、シンファに「頑張ってね」と、優しげに声を掛けて後を追いかける。

 何かを思案する表情で二人のパイロットが立ち去った先の通路をしばらく見詰めていたシンファが、歩きだす。その先にあるのは、たった今繋留されたばかりのヤクモの機体。

 作業用のエレベーターでコクピットまで上昇する。

 ヤクモの身体にフィットするように調整されたパイロットシートに座り、メインエンジンを立ち上げた。

 OSが起動すると、メンテナンス用のコードを入力する。

 年若いながらも、ズムシティの工科大学に飛び級で進学し、飛び級で卒業。そして、グラナダのジオニック工厰に配属され、そこでも現行のザクⅡの検証に携わってきた。

 ザクの開発にすら関わったという、天才とでもいうしかない年下の少女はさておき、自分でもメカニックの腕には自負するところがあった。

 メインモニターに表れるグラフやデータを、脇目も振らずチェックする。

 実際にこの機体を、自由自在とばかりに操って見せたヤクモの言葉を疑う訳ではないが、彼女の目から見た「慣らし運転にしては無茶な機体制動」の影響は、必ず機体の何処かに歪みとなって現れている筈。

 

「うそ……」

 

 一通りのデータを確認し終えた後、自分の思い込みを打ちのめす結果を見た思いが、言葉となって溢れた。

 粗探し、というに価するであろうそのチェックの結果を持っても、機体には何の異常も見当たらない。

 モビルスーツという兵器――ザクⅡという革新的な機械を見てきた自分の仕事が、机上の空論であったと思い知らされるような結果。

 自分が見てきたザクⅡの性能は、飽くまでもカタログスペックでしかなかったのか。それとも、選りすぐった部品で組み立てられたこの機体が特別なのか。

 その両方が当てはまるようでもあり、双方ともに間違っているようでもある。

 恐らく、自分は一隊のエースであるパイロットの技倆を読み違えてもいたのだろう。

 観ている者からすれば、機体を損ねるのではとヒヤリとするような、それでいて機体の性能を余すなく引き出して過負荷の掛からないギリギリで完全なコントロールを、事も無げにしてのける腕前。

 ヤクモ自身に彼女を揶揄する気持ちは、恐らくなかったであろうが。

 ――戦場を知らないお嬢さん。

 そうあしらわれたように感じるのも、恐らくシンファ自身の未熟な心から。

 ヤクモの技倆に、素直な称賛と、敗北感にも近い微かな心のざわめきを、共に感じたシンファは、時の経つのを忘れてコンソールを叩き続けた。

 

 

           *

 

 

 新造されたばかりのザンジバル級機動巡洋艦モリガンとそれを駆る大鴉(レイヴン)隊が、出港の時を迎えていた。

 日々(うずたか)く机の上に積まれる書類の山に、指揮官代行が発狂寸前の奇声(或いは雄叫び、若しくは悲鳴のようなもの)を上げたり、配属されたばかりの新米整備士が寝不足と過労でいきなりひっくり返る等の些細な(?)トラブルはあったものの、任地に飛び立つにあたって附与された三日の期間は大過なく過ぎ去り。

 部隊構成員の大半を占める、ムサイ級〈アードラー〉の乗組員と、ザンジバル級を運用するに当たって新たに配属された者たちとの新旧乗組員同士の軋轢もなく。

 新型モビルスーツと新たに配備された武装の積み込みも終え、パイロットたちがそれぞれ駆る機体の整備と調整も万全。

 部隊員個々の士気も高く、ごく僅かな例外を除けば、真に晴れがましい船出の一時と言えた。

 唯一の例外は、深夜までかかったデスクワークの末、疲れた目の下に隈を作っている指揮官代行であった。

 

「何て顔をしている。君がそんなでは部下に示しがつかないだろう」

 

 呆れたように笑う本来の指揮官(カイ)に、

 

「余計なことまで押し付ける方が悪い」

 

 ぶっきらぼうに応える。

 そんなヤクモを、カイが鼻で笑うと、ヤクモもまた、肩を竦めながら軽い笑いを返した。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

 彼らが向かうのは、未だ各地で激戦の続く地球。にも関わらず、ちょっと聞くと、すぐ近所に買い物にでも行くかのような口調。

 

「……気を付けてな」

 

 ごく短い中に、様々な想いを込めてカイが言う。

 

「心配するな。無傷で、とはいかないかもしれないけど、まあ、無事に返してやるよ」

 

 そう返したヤクモが身を翻し、モリガンの艦内に向かうタラップをゆっくり歩く。

 途中で半身だけ振り返り、見守る友にサムズアップを送ると、艦内にその姿を消した。

 その後ろ姿に敬礼したカイもまた、踵を返す。

 

 ヤクモが艦橋に入ると、既に万事を整えたスタッフたちが、彼に視線を送る。

 その一人一人の顔を一瞥して、艦長席のやや後方、ごく僅かに高いところに据えられた椅子に腰を落ち着ける。

 

「モリガン、出港準備整っています」

 

 オペレーター席に座る女性兵士、チカ・ソラノが穏やかに言う。

 カイが着任して以来彼の個人的なファンとなり、いつの間にか秘書的な立ち位置(ポジション)にいた少女は、カイとともにグラナダに残りたがっていたが、その葛藤は乗り越えたようだ。

 チカの声にヤクモが頷いた。

 

「じゃあ、艦長よろしく」

 

 どこか眠たげな、緊張感のない声をかけられたバークレーが、艦長席に据えた巨体を僅かに滑らせた。

 このタイミングで、ある意味大したものだと思いながら、バークレーが振り返る。

 

「よせ、気が抜けるわ。もっと気合いを入れろ、気合いを」

 

 僅かにずれた帽子の位置を直しながら、呆れたように言う。

 頭を掻いたヤクモが、一度目を閉じて深呼吸した。

 再度目を開けた時には、表情が引き締まっている。

 

「それじゃあ……モリガン、出港!」

 

 それほど大きくないが張りのある声。

 バークレーが、右手を前に突き出しながら、ヤクモの倍はあろうかと言う声で「出港!!」と復唱する。

 艦橋のスタッフがそれぞれ復唱し、機関室にもその命令が伝達される。

 既に始動していたメインエンジンが内圧を増し、艦体に微かな振動が波紋を広げる。

 

 やや前方に進んだ艦が、今度はゆっくりと浮上していく。

 その頭上に口を開けるは、漆黒の空間。

 滑らかな流線型をした艦が宇宙港からその全貌を無音の宇宙(そら)に現す。

 

「進路、地球衛星軌道。予定どおり、北米キャリフォルニアベースに向かう」

「了解、進路、オールグリーン」

 

 バークレーとオペレーターのやり取りを耳にしながら、ヤクモは欠伸を噛み殺した。

 ゆっくりと進路を調えつつ進むモリガン。

 

 艦橋正面のスクリーンに、蒼く輝く水の惑星がその美しい姿を晒していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 皆さん、お元気ですか。
 私は辛うじて生きています。

 色々とネタは思い付くんですが、なかなか作中に活かせないのが難しいところ。

 新しく出てきた人も新しく出てきた機体も、前から出てる人も、これからもっと活躍してくれると良いんですが。
 どうなることやら。

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