一年戦争異録   作:半次郎

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註:今回、一部読みにくいところがあると思いますが、意図的にそうしてあります。ご理解頂ければと思います。

※ 10月1日、誤字報告頂きました。ありがとうございました。遅ればせながら御礼申し上げます


第23話 Raven

 厚く垂れ込めた雲の切れ目から、月が細い光を投げ掛ける。

 一機のミデア輸送機の、孤児(みなしご)の様に頼りなさげなシルエットが青白い光に写し出された。

 ミデアの前方で、広大な密林の一角がゆっくりと口を開いた。比喩ではなく、鬱蒼と繁る木々の僅かな切れ目にあたる大地が動いているのだ。

 その中に広がるのは、周囲の原生林と明確な対照を為す近代的な機器類。

 ジオン公国の諜報員が血眼になって探査中である地球連邦軍本部〈ジャブロー〉に設けられた発着ゲートの一つ。

 口を開けたゲートの上空で停止したミデアが、ゆっくりと高度を下げる。

 あくまでも自衛の域を出ない数基の格納式連装機関砲塔に、お世辞にも強固とは消えない装甲。

 にも関わらずこの輸送機が連邦軍内で重宝されている理由は、無論前線での戦闘能力にはない。

 長大な航続距離とペイロード150tを優に越える膨大な積載能力、そして滑走路を必要としない――発着陸の場所を選ばないVTOL(垂直離着陸)機能を有する利便性にあった。

 このミデアは、東南アジア地域からジャブローまで、連邦軍の機密を輸送しての帰りである。

 地域でいうとタイからフィリピン、さらに太平洋上に点在し未だ連邦軍の哨戒基地としての機能を有する島嶼を経由し、ジオン軍航空戦力の哨戒網を掻い潜っての長い道程であった。

 人工の光に照らされた格納庫内にミデアが着地すると、その上方のゲートがゆっくりと閉まる。

 ミデアはそのまま搬送コンベアーによって基地の奥に運ばれていく。

 そのまま数分、作業区画を通過して基地の深奥に近い、広大な地下ドックに辿り着くと、数日を要したミデアの長い旅が、ようやく終点を迎えた。

 機内からタラップを降りてくる、制服の中年男が一人と、パイロットスーツを着た男二人、女が一人。

 機体下部に取り付けられたカーゴに群がる作業スタッフを後目に、無機質なコンクリート舗装を踏み締めた彼らに、待ちわびたように近付く伝令士官。

 

「スチュアート少佐、お疲れのところ申し訳有りませんが、レビル将軍がお待ちです。ご同行願います。……パイロットの皆さんも」

 

 伝令に敬礼を返す少佐の後ろで、三人のパイロットが顔を見合わせた。どの顔にも疲労と困惑が共通している。

 予定されていた帰着とはいえ、既に時間は現地時間で午後10時を回っている。それ自体が非常事態たる戦時ながら、夜間に総司令官直々の呼び出しである。

 前線から――今のところは――安全が保証されているジャブローに帰還したとはいえ、楽観的な気持ちには到底なれそうになかった。

 

 一方、彼らを呼び出した連邦軍総司令官ヨハン・イブラヒム・レビル。

 苦戦を強いられる中で、ここまで精力的に指揮を取り、政府との、或いは軍内部との折衝、調整にあたってきたとは言え、この日は疲労の色が濃い。

 もはや恒例とも言える、連邦政府高官とのやり取り――大半はジオンに対して劣勢に置かれている軍部の不甲斐なさを糾弾し、レビルがそれを宥めすかし、時に脅しめいた言動で引き下がらせる――に、流石に辟易していたのである。

 現在は連邦軍総司令官としてジャブローに隠り、軍政と軍略に終始しているとはいえ、そもそも〈ルウム戦役〉で陣頭指揮に乗り出したように、レビルの本望とするところは前線指揮にあった。高官の官僚化が著しい連邦軍内にあって、その面でもレビルは高級将校として珍しい部類に入る。

 地球連邦の命運がかかったともいえる大戦において、軍の全権指揮を委ねられる――。武人として意気に感じるところは無論あるが、それ以上に事大主義の政府官僚にうんざりすることも多かったのである。

 未だ拡張工事の続けられているジャブローの最奥、作戦指揮室にあるレビルが、疲労ばかりを残して実の無い政府高官とのやり取りを思い出して溜息を吐いた時、指揮室のドアが開いた。

 机に両肘をついて指を組んだレビルが顔をあげると、そこには敬礼をする伝令士官がいた。

 客人の到着を察したレビルが、ゆっくりと椅子から腰を上げる。

 伝令士官に続いて指揮室に入ってくる四人を一人一人、興味深げに見る。士官に先導されてレビルの対面に並んだ彼らが、少佐の号令で等しく敬礼をした。

 それに答礼したレビルが、

 

「座ってくれたまえ」

 

彼らに着席を促しつつ、自らも腰を下ろした。

 

「さて、長旅で疲れもあると思うが、もう少し協力してもらいたい」

 

 正面に並んで座る四人に等しく視線を向ける。突然の呼び出しに緊張と戸惑いがあるのか、いずれの表情も固い。それを観て取ったレビルが、緊張を解すかのように、白髭に覆われた口許に微笑を浮かべる。

 

「アジアでの活動、ご苦労だった。スチュアート少佐。それから……ルヴィエ中尉、マッケンジー中尉、モーニング中尉、だったかな」

 

 一人一人と目を合わせながら声を掛けるレビル。

 

「突然の召集に困惑もあろうかと思うが、そう固くなることもない。……君たちがRff-06(ザニー)の運用試験中、ジオンのザクと遭遇戦を展開したと聞いたのでね。実際に戦ってきた諸君の意見を聞かせてもらいたい」

 

 レビルの言葉に、横目で互いの表情を探ったあと、一人がおずおずと手を挙げる。

 

「あの……宜しいでしょうか?」

「何かな、マッケンジー中尉。ああ、座ったままで構わんよ。公的な場では無いのでね」

 

 立ち上がりかけたクリスチーナを、レビルが手で制して、発言を続けさせる。

 

「……恐縮ですが、将軍。ご質問の意味が判りかねます。既に報告が上申されていると思いますが……」

 

 躊躇いがちの発言を受けたレビルが頷く。

 

「そうだな。確かに報告書は読ませてもらった。……残念ながら、現状、ザニーでは戦闘経験を積んだザクには真っ向からは敵わないようだな。だが……」

 

 一旦言葉を切ったレビル。その顔に、なんとも判断のつかない表情が浮かぶ。

 

「逆に聞こう。マッケンジー中尉、君は、今の我々の劣勢の原因は何だと思うね?」

「それは……やはりモビルスーツが要因の一端だとは思いますが……」

 

 クリスチーナの言葉に、レビルが頷く。

 

「そう、モビルスーツだ。無論、それだけではない。戦争に対する備えの在り方、それを含めた戦略的な瑕疵。緒戦においてジオンが示した戦術に、我々が常に後手を踏んだという過ちもある。だが、今の劣勢の大半は、ジオンが有するモビルスーツを我々が持っていない、その一点にあると私は考えている。宇宙艦隊に対する近接戦闘に特化した戦術兵器。モビルスーツがその範疇を出ない代物であればまだ良かったのだが……地上での拠点制圧用兵器としてもここまでの有用性を見せつけられてはな」

 

 長々と発した台詞を、溜息で区切る。

 その目には忌々しさと、その忌々しい敵に対するものとしては些か不適切かも知れない、賞賛が微妙に混じりあった光がある。

 

「そこで、だ。我々が独自にモビルスーツ開発に取り組んでいるのは、諸君には言うまでもないところだな。我々に必要なのは、モビルスーツだけではない。その運用方法についてのノウハウも必要なのだよ。先程も言ったが、報告書は読ませてもらった。ただ、私が知りたいのはそこに書かれていないこと……実戦を体験してきた諸君の、()()意見なのだよ。忌憚の無いところを聞かせてもらいたい」

「そういうことであれば……」

 

 それまで沈黙を保っていたスチュアートが口を開く。

 

「まず、モーニング中尉、君から将軍にご説明申し上げたまえ」

 

 スチュアートの視線と部屋の空気に促され、灰色の髪の青年士官は、一つ頷いて、口を開いた。

 

 ……。

 

 時計の針が二回りするほどの時間の後、前線から帰還したばかりの四人が、作戦指揮室を後にする。

 部屋に残されたレビルは、暫く聴取した内容を吟味するかのように、手元のメモ用紙に目を落としていた。

 ややあって顔を上げた白髪白髯の将軍は、部屋に残っていた伝令士官に顔を向けた。

 

「君、すまんが技術開発室に電話を繋いでくれ。……レイ大尉を頼む」

 

 近くの内線電話を手繰り寄せる士官を視界の片隅に、レビルはこの日何度目のことか、溜息を吐いた。

 椅子に凭れて見上げた先には、無機質で無個性な白い天井と、白色の蛍光灯。

 彼らの頭上には、この時間、月が地球を見下ろしている筈であった。

 

 そういえば、と、レビルはふと思った。

 最後に月を見たのはいつであったか、と。

 

 

           *

 

 

 意に添わぬ、若しくは意想外の任務を付与される不自由さに困惑し、時に怒りを覚えるのは、不利な戦況を強いられる連邦軍に在籍する者たちだけではなかった。

 ジオン公国と地球連邦政府との間で行われている、人類史上最大規模の戦争。その渦中にある軍属で、自分の立場に不自由さや不具合を感じない者は、皆無ではないにしてもごく少数であるだろう。下された命令――それがいかなるものであっても、疑いもせず唯々諾々と受け入れ、心底から絶対服従する人間は、それよりは少し多いかもしれない。

 上役からの命令を受け、活動するのは、「軍人」という人種の圧倒的多数。例え内心に不平不満があったとしてもそれに従うのは、軍組織の秩序を保つ上でも必要なことと、軍人としての教育を多少なりとも受けたことのある者なら、そう受け止めるであろう。

 いずれにしても、軍属である以上、命令を下すものと受ける者は必ず同じ線分の上に存在している訳であり。

 その、時には命を捧げなければならないほどの「命令」という理不尽な存在に、命を下した者のいないところで愚痴を溢す細やかな権利は、或いは最広義でも最狭義でも敵であるジオン公国軍と地球連邦軍の軍人にとって、貴重な共通点の一つかもしれなかった。

 下された命令それ自体に、というよりも、命令達成のために必要な状況に対して、(はらわた)の煮えくり返りそうな想いを抱いたヤクモもまた、時に理不尽さを感じるような命令にも従わざるを得ない者の一人である。

 ヤクモの場合、ジオン公国の(まつりごと)を事実上壟断しているザビ家の一員であり、彼の所属する突撃機動軍の首魁であるキシリア・ザビに、なまじ昔から存在を知られている分、他の者より性質(たち)が悪いと言えた。

 いや、存在を知られているという以上に、今のヤクモの立場の大半は、キシリアの敷いたレールの延長線上にあるもの。

 かつてキシリアが、何の思惑で家族を喪ったヤクモをフラナガン・ロムの研究施設に放り込み、フラナガンに棄てられたヤクモをジオン公国軍士官学校に導いたのか、その意図はヤクモにはわからない。

 未だ少年の身の上で天涯孤独となったことも、その後の半生も、ヤクモ自身が望まなかったことと、当時の立場では選択のしようがなかったことが大半であり、結局は身の不運と諦めるしかなかった。

 それでも、現在(いま)の部隊所属となってからは、士官学校時代の、そして生涯唯一の親友と呼べる者が居り、気心の知れた部下、気の置けない仲間が居て。

 心身ともに負担の大きい前線にいても、まあそれなりに、悪いことばかりでもないと思えていた。

 少なくとも、トラウマになるほど毛嫌いしていたフラナガンと、予期せぬ再会を果たすまでは。

 ヤクモとフラナガンが接触するように態々仕向けた――少なくとも、ヤクモにはそう思われた――キシリアの意図はわからない。

 だが、結局のところ、ヤクモ・セトという人間に結び付けられた糸を手繰っていくと、最終的に辿り着くのはキシリア・ザビの手元であるようだった。それを再認識したことは、ヤクモにとって、愉快というのとは対極にある感情に過ぎなかった。

 

 既にフラナガンのいるサイド6を離れ、往路と同じくフォン・ブラウンを経てグラナダに帰還したヤクモの心境は、フラナガンに遭遇した時に較べれば大分落ち着いている。

 ――帰還の報告は、突撃機動軍本部オフィスで。

 グラナダに辿り着いた第一報の報告を入れた折、カイからそう告げられたヤクモは、レジーナとマークを伴い、心弾まぬ道中にあった。

(いっそ、直接怒鳴り込んで文句を言ってやろうか)

 一瞬、過激なことを思い付いたヤクモであったが、共にある仲間たちのことを思うと、それほど短絡的なことも出来ない。

 結局、レジーナとマークの心配するような視線を時折浴びながら、仏頂面でいる他に無かった。

 

 軍港ではなく、一般の宇宙港から電気自動車に乗って小一時間。

 夕方の混雑が本格的に始まる前に市街地を抜けて軍本部のオフィスビルに辿り着く。

 出入口に佇立する守衛の兵に身分証を提示して来意を告げ、指定された部屋まで歩く。

 然程広くない部屋は、事務用のデスクが一つと幾つかのキャビネットが置かれているだけの殺風景なもの。

 ヤクモらが部屋に入ると、乱雑に書類の積まれたデスクの主が書類から顔を上げた。

 

「ついに本部オフィスに個室を手に入れたか、結構なことだ。友人の栄達を誇らしく思うぞ」

 

 つい三日ほど前に別れたばかりの親友に向け、ヤクモが皮肉っぽく口角を吊り上げた。

 

「笑い事ではないぞ、ヤクモ」

 

 デスクを回り込んで歩み寄りながら非難がましい目を向けたカイに、

 

「奇遇だな、俺も心から笑ってやる気分じゃない」

 

表情を作るのを止めたヤクモが応じる。

 

「ざっと話は聞いたが……大変だったらしいな、精神的に」

 

 何故かヤクモではなく、レジーナとマークの方を見て言うカイ。

 

「まったく、大変でしたよ……主に精神的に」

「そうね、疲れたわ、精神的に」

「……お前ら、何で俺の方を見る? そして、カイ……お前は何で俺の方を見ない?」

 

 異口同音の感想と、微妙にすれ違うそれぞれの視線に、ヤクモが憮然とした顔をする。

 その反応を見たレジーナが一瞬苦笑めいた表情を浮かべたが、ヤクモの心情を慮ったか、すぐに表情を改めた。

 

「……まったく。今は冗談を言う気分じゃないんだ。あんな奴が待っていると知ってたら、何がなんでも断ったのにな」

「そして抗命罪に問われるか?」

「銃殺はともかく、懲罰房にでも入った方が()()だったぜ」

 

 毒づくヤクモに、カイが苦笑する。

 

「そこまでか。……まあ、私も知らなかったとはいえ、嫌な任務になったようだな、すまなかった」

「……まあ、済んだことはしょうがないけどな。それより、そっちの様子はどんなだ?」

 

 仏頂面は変えないまま、話題だけ変えると、今度はカイが憮然とする。

 

「どうもこうも……僅か2、3日でこの有り様だよ」

 

 半分だけ振り向いて、書類が山積みとなったデスクを、微かに動かした顎で指し示す。

 

「甘く見ていた訳ではないがな。どうにも、思ったより面倒臭くなりそうだ」

 

 ふっと真剣な目になったカイに向かって、ヤクモが肩を竦めた。

 ヤクモの代わりに、

 

「まだ時間が掛かりそうなの?」

 

レジーナが質問を投げ掛けた。

 カイが頷く。

 

「ああ。どうやら次の任務には、私は行けそうにない」

「帰ってきたと思ったら、もう次があるのか?」

 

 驚きとも諦めとも、又は呆れともつかない口調で、ヤクモが言う。

 

「まあな。詳しいことは明日話そう。アンディたちも今日の夕方までは教導隊から返してもらえないしな。君たちも今日はゆっくり休んでくれ。帰還の報告は私からしておくよ」

 

 表情を和らげたカイに別れを告げたヤクモたちは、その足で本部オフィスを出る。

 

「さて、次は何をさせられるやら」

 

 独り言のように呟いたヤクモの声が、少しずつ照明の明度を下げて行くグラナダの街に溶けていった。

 

 

           *

 

 

 集合場所として指定されたのは、軍港の外れにある格納庫(ハンガー)であった。

 本来であれば部隊を集結させるのにもっと相応しい場所は幾らでもあるだろう。

 だが、これまで地球の戦線を渡り歩いてきた自分達には、ある意味相応しいかもしれない。

 宇宙都市の、循環され、清浄された空気に混じる機械油と鉄の匂い、早朝ながら動き回る者たちの喧騒に包まれながら、ヤクモはそう思った。

 格納庫の最奥、先日愛機を預けた場所に近付くと、見知った顔が見える。

 ずっと同じ任務に付いていたレジーナとマーク。

 そして、教導大隊に臨時で派遣されていたアンディ、リカルド、ウィリアム。

 

「よう、久しぶり。元気そうで何よりだ」

 

 こちらに気付いて振り向いた部下たちに、軽く右手を上げる。

 

「あ、隊長。お早うございます」

「ああ、お早う、ウィル。教導隊はどうだった?」

 

 いち早く声をかけてきたウィリアムに挨拶を返す。

 

「いやはや、なかなかにこき使われましたよ」

「新兵をしごくのも、意外と大変ですね」

 

 アンディとリカルドが、言葉とは裏腹の不敵な笑みを浮かべた。

 

「〈三連星〉の相手も大変だっただろう? 下の者を虐める訳じゃないんだけどさ。俺も昔、さんざんしごかれたよ」

「隊長がですか?」

 

 ウィリアムが目を丸くする。

 

「俺だって新人の頃はあったさ。……マークとジニーも、元気そうだな」

「私たちはずっと顔を合わせてたでしょ」

 

 腰に手を当てたレジーナが呆れたように言い、その横でマークが「やれやれ」と言った表情を作る。

 

「下らない冗談が言える程度には、気分が落ち着いたようね」

「ああ、ようやく通常運転だ。ところで……」

 

 一旦言葉を切ったヤクモが、格納庫の一点に目を留めた。

 

「……なんか増えてないか?」

 

 その視線の先に在るのは、壁際にずらりと並んだモビルスーツ。見馴れたMS-06F(ザクⅡ)のシルエットに混じり、いやにずんぐりした機体がそこに在る。

 機体高17,5メートルのザクⅡより僅かに背が高く、横幅は一回以上り大きい。

 樽にも似た丸みを帯びた胴体を支える、太い足。左右に突き出たショルダーアーマーの下にある、円筒を連ねたような腕は長く、膝まで達し、一際大きい手の指は鋭い爪になっている。

 胴体と一体化した流線型の頭の前面には、矢印を下向きにしたようなモノアイカバー。

 

「何だ、あれ?」

 

 単眼ではあっても、全体としては人間に近いシルエットのザクⅡに馴染んだせいか、その巨体は一際異形に見える。

 ヤクモの問いに、周りの部隊員たちもまた、一様に首を捻る。

 気にはなっていたが、誰も答えを知らない風だ。

 

「MSM―03、〈ゴッグ〉。ツィマッドの新型だとさ」

 

 近付いてきた男の声が、疑問に答える。

 ヤクモが声のした方に振り向くと、ツナギの上をはだけて、シャツに包まれた恰幅のよい上半身を見せるMS整備班長、テオがいる。

 

「新型?」

「水陸両用だとよ。見た目は鈍そうだが、その分ザクよりも頑丈で、水中では相当動けるらしいぜ」

「水中で、ねえ……」

 

 興味無さげと言うには皮肉な表情と口調で答えるヤクモが答える。

 

「なんだ、気に入らねえのか?」

「そういう訳じゃないですけどね、俺は乗らなくても良いかなって。それより……」

 

 再度目を移した先にあるのは、左肩を黒く染め抜いたザクⅡ。部隊内での個人識別を兼ねたペイントからすれば、紛うことない、ヤクモの機体。

 なのだが。

 数日前とは微妙に違う姿に感じる微かな違和感に、ヤクモは僅かに目を細めた。

 

「……またどこか弄った?」

「お、流石に気付いたか」

 

 厳めしい顔に悪戯っぽい笑いを浮かべたテオが、ザクⅡの前にいた小柄な整備兵の後ろ姿に、

 

「おい、シンファ!」

 

と、声を掛ける。

 その声に振り返り、慌てたように駆け寄る整備兵だが。

 障害物など何もないところで何に躓いたのか、ヤクモたちの目の前で派手に転んだ。

 

「痛たた……」

 

 強かに打ち付けた顔を手で押さえ、何かに気付いて慌てて目の前の地面を両手で探る。

 

 その様子を見たヤクモが、足元に飛んできた物を拾い上げた。

 

「ほら、これだろ?」

 

 ヤクモが拾った物は、大きめの丸いレンズに細いフレームの眼鏡。掌に乗せて、そっと差し出す。

 

「あ……す、す、すみません!!」

 

 恐縮しきりといった口調とは裏腹の、引ったくるという表現に近い素早さで、差し出された眼鏡を取る。

 眼鏡をかけて立ち上がり、服に付いた埃を手で払う。

 その姿を改めて見るとまだ明らかに10代、もしかしたらウィリアムよりも年下かも知れないほどの少女である。

 女性にしてはやや短めの真っ直ぐな黒髪に、眼鏡の奥にある黒色の大きな瞳。化粧気はまるでないが、まあまあ可愛らしいといえる顔立ちである。

 

「……シンファ。慌てなくていいからよ、少ししゃきっとしてくれねえか」

 

 テオが、左手でこめかみの辺りを揉みながら、完全に呆れた顔と口調で少女を注意する。

 シンファと呼ばれた少女が、弾かれたように姿勢を正した。

 

「す、すみません!!」

「……ちゃんと挨拶しな。この人がセト大尉だ」

 

 一瞬ばつの悪そうな顔をした少女が、ヤクモに向き直る。

 

「し、失礼しました! 自分はルオ・シンファ技術少尉であります! えぇと、ルオが姓でシンファが名前です! えと、その、この度、大尉の機付きを命じられました! 不束者ですがよろしくお願いします!!」

「お、おう」

 

 何だか色々と間違ってそうな挨拶に、勢いが良すぎて寧ろ滑稽な程の敬礼。

 呆れるのを遥か通り過ぎる程のインパクトに珍しく気圧(けお)されたヤクモが短く応じた後で、テオに顔を近付け、小声で囁く。

 

「機付き? 大丈夫ですか?」

 

 心底からの不安が混じった声だ。

 

「ま、まあよ……そそっかしいってぇか、うっかり者ってぇか、よ。少しそういうところはあるけど、技術(うで)は確かだぜ。なんたって、飛び級で工科大学を卒業してジオニック社の研究チームに入ったくらいだからよ」

 

 空々しい笑顔を浮かべながらの回答に、不安が増す。

()()じゃないだろ)

 という言葉は呑み込む。

 

「へぇ~、それが何でウチなんかに?」

「……まあ、色々とあってな。おい、隊長さんに機体を説明しな」

 

 言葉の後半は、無論少女に向けたものである。テオから話を振られたシンファが、背を反らしすぎて滑稽な敬礼の姿勢を崩す。

 

「はい、えーとですね……えぇーっと、ですね。まず、ですね、その、結論から言うと、マイナーチェンジみたいなものなんですが、仕様上は、F型ではなくて、FS型というふうになっています。えぇっと、大尉の機体なんですが、各部のパーツが大分傷んでいました。それでですね、えぇと、特に痛んでいたのは右の膝ですね。多分、最近応急的にアクチュエーターを交換したんだと思いますが結構雑な作業で、えっと、他の部品との親和性が不充分でした。それで、右脚全体のバランスがおかしくなっていて、その所為で左脚や腰の間接部にも悪影響がありました」

 

 緊張のせいか、初めのうちは辿々しかった説明だが、次第に滑らかになっていく。

 

「ですから、まずは摩耗した各間接部のパーツをすべて新品に交換しました。それに合わせて装甲鈑も可能な限り新品に取り替えています。また、脚部と腰部に小型スラスターを増設してありますので、今までより機動性が増しています。これまでどおり高速機動仕様のチューニングをしてありますが、低出力時でも今までよりは挙動が安定すると思います。稼働データを解析しながら調整したのでバランスには問題ないと思いますが、一度操縦してみて違和感があるようなら仰ってください、すぐに調整しますから。まあ、マイナーチェンジみたいなと言いましたが、FS自体がF型の中で程度の良い機体をカスタマイズしたものですから今回も無理な改造はしていません。大分交換した部品は多くなっていますが大本の骨格を変えたわけではないので操縦性には問題ないと思います。武装の面では頭部にバルカンポッド四門を増設してありますこれは主に近接戦闘時の牽制用ですので参考にして下さいそれとブレードアンテナについても最新の物に替えてありますので通信範囲が多少ひろがっているのとつうs……」

 

 話に熱が入るというより、何かのスイッチが入ったかのように、熱っぽい目をしてノンストップで話し続けるシンファ。

 最初のうちは耳を傾けていたヤクモだが、途中からは目の前の少女の変貌振りを唖然として見ているしか出来ない。シンファが早口で語り続ける内容の半分も頭に残らない。

 他の面々もまた、珍しくただ棒立ちのヤクモを、初めのうちは面白半分に見ていたのが次第にざわついてくる。

 

「ちょっと変わった()だな」

「変わってるというかイタイというか……」

「おいおい、大尉が圧されてるぜ」

「ある意味凄いわね……」

「どうします、あれ?」

「あ、整備班長、逃げた!」

「ひでえ、自分で地雷踏んどいて」

「そろそろ止めた方がいいのかしら?」

「……あ、隊長がこっち見た」

「しっ! 目を合わせるな、巻き込まれるぞ……!」

 

 それぞれ素知らぬ顔をして目を背ける、薄情な隊員たちを白い目で睨んだヤクモだが、孤立無援を悟って溜息を吐く。

 その間にもシンファの口は止まらず、すでに話はヤクモの理解が及ばない専門的な分野にまで逸脱している。

 いつ果てるとも知れない言葉の濁流に半ば呑み込まれながら踏みとどまり、覚悟を決める。

 何度目の咳払いで、シンファの話がピタリと止まる。

 一瞬呆けたような顔になったのも束の間、辺りに漂う空気を悟ったか、今度はその白い頬がみるみるうちに朱に染まる。

 

「す、すすすすすすみません! つい調子に乗ってしまいました! わたし、昔から夢中になると周りが見えなくなってしまって、それで何度も失敗してですね! あぁ~……初対面の方になんて醜態を……。本当にすみません!!」

「いや、それはよくわかったから。よくわかったから、もういいよ、うん。大丈夫だから……」

 

(この子、疲れる!)

 

 その思いは言葉に出さず、今度は繰り返し頭を下げる少女に、感情のない声を掛けるヤクモ。

 その様子を直視しないながら安堵する隊員たち。

 

「話は終わったかな?」

 

 背後から投げ掛けられた声に振り向くと、そこには明るい笑みを浮かべたカイが立っていた。

 

 

           *

 

 明らかな苦笑を浮かべるバークレーとチカも従え、悠然とした風情で立つカイ。

 

「何時からいたんだ?」

 

 気付いてたら助けろよ。その思いを込めて、ヤクモがカイを睨む。

 

「何時から? そこのお嬢さんが転んだあたりからだが?」

 

(こいつ、完全に日和やがった……!)

 

 大きく目を見開いて唖然とするヤクモを尻目に、

 

「全員、整列!」

 

バークレーが、何事もなかったかのように号令を掛ける。

 

 慌てたように整列する隊員たちに混じり、ヤクモもまた、釈然としないながらもその列に加わる。

 主要な面子が揃っているのを確認したカイが、彼らの前に立つ。

 

「さて、朝早くからの招集になってすまん。早速だが、次の任務を伝達する」

 

 その言葉に、それまで弛緩していた空気が一気に引き締まるのは、流石に幾度となく戦地を潜り抜けてきた部隊と言えた。

 

「諸君には、また地球に降りてもらう。当面の行先は北米大陸、キャリフォルニアベース。ガルマ大佐の指揮に入ってもらうことになるが、詳細は現地で確認してもらいたい」

 

 カイが一旦言葉を切るが、声を発する者は一人もいない。

 

「既に知っていると思うが、私は別命があって今回は同行出来ない。その間、部隊の運用についてはセト大尉に一任する」

 

 その言葉に、微かなざわめきが起きるが、いち早く反応したのは、当のヤクモ本人である。

 

「何で俺?」

「つまらないことに文句を言うな。最上級者だろう? それと、皆に紹介するものがある。着いてきてくれ」

 

 言うが早いか、踵を返して格納庫の奥に向かうカイ。慌ててその後に従うが、どの顔にも微かな困惑がある。ヤクモが見たところ、バークレーですらも同様の反応をしていることから、何も知らされていないらしい。

 そのまま格納庫の奥に進み、ドアをくぐった先にある、薄暗い通路を歩く。

 数分歩いたところにあるシャッターの前で立ち止まったカイが、その前に立つ兵に合図を送った。

 それを受けた兵が一つ頷くと、壁際のスイッチを操作する。

 けたたましい音を立てながら、シャッターが上に開いていく。

 シャッターの奥は完全な暗闇に包まれていて、中を見通すことは出来ないが、闇の中、一層黒々とした巨大な物がそこにあることだけは何となくわかる。

 

「披露しよう」

 

 カイの声と同時に、照明が点く。

 一瞬にして光に包まれた眩さに、ヤクモは咄嗟に右手を目の前にかざした。

 明るさに慣れてきた目をシャッターの奥に向けると、そこに在った物が何であったかが判明した。

 

 傍らの誰かが「おお」という嘆息を洩らす。

 

 そこにあるのは、照明の光を受けて鈍く光る、黒に近い深緑の(ふね)

 丸みを帯びた艦首付近の舷側に、翼を拡げる鴉。

 

「ザンジバル級機動巡洋艦〈モリガン〉。払い下げじゃないぞ、半月ほど前に就航したばかりの新品だ」

 

 新造艦の偉容に暫し見とれていたヤクモだが、ふと思いついて口を開いた。

 

「これで地球に降りるのか?」

「そうだ。そして、これからこの(ふね)で生活することになるだろうな」

「道理で……セヴァストポリから一切合財持ち出すわけだな」

 

 地球からグラナダに一時帰還する際の慌ただしさに、今更ながら合点がいく。

 

「これからは、このモリガンに乗って戦地から戦地を飛び回ることになるのだろう。名実ともにワタリガラス(レイヴン)ということだな」

〈家なき子〉(サン・ファミーユ)の間違いだろう?」

「……そう、元も子もないことを言うものではない」

 

 悪態をたしなめられたヤクモではあるが、新しく受領した艦に、もとより嫌悪感の持ちようもない。

 

 新たな戦地は、再び地球。

 休暇と言えるほど暇な時はなかったが、久方ぶりに帰還した宇宙を離れて、未知の大地に降り立つ。

 

 新品同然に改修された機体と、新品そのものの、新たなザンジバル級(我が家)

 

「出立は三日後だ。それまでに、各員準備を万端にな」

 

 カイの声を受けて、軽く頷く。

 

 戦地の苛烈さを想像しながらも、新しい装備に心踊るのを禁じ得ないヤクモは、本人の思惑はどうであれ軍属であることに馴染んでいると言わざるを得ないところであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 何とか投稿できました。
 書けば書くほど難しさを感じる今日この頃。
 月並みですが、読んでいただいている方、お気に入り登録していただいた方、評価、感想をいただいた方には感謝の気持ちしかありません。

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