一年戦争異録   作:半次郎

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第22話 過去との遭遇

 雑多な船籍を持つ客船や貨物船。

 何処かから運ばれ、またいずれかへ運ばれ行く人と物。

 それらを或いは出迎え、或いは見送る者。各宇宙都市へ、又は地球へと飛び立つシャトルの発着を待ち、時に港内の店舗に入って商品を眺め、思い思いの時を過ごす人々。そのすべてに悲喜交々(こもごも)の物語がある。

 その物語たちが擦れ違い、時に絡み合い、新たな物語(ドラマ)に展開することもあるであろう場所。

 月面最大の都市、フォン・ブラウンの宇宙港である。

 開戦後、いち早く中立を宣言した地球圏の都市の中で最大級の規模を誇る港であり、その分だけ人の流れが盛んである。

 港内のシャトル発着場の搭乗ゲート手前、雑踏に紛れて立つ男女がいる。いずれも、港内の空気に溶け込むようなカジュアルな格好の、男が3人と女が1人。

 ジオン公国突撃機動軍内の特殊部隊、大鴉(レイヴン)の面々である。

 部隊指揮官のカイを通じてキシリア・ザビからの要人護衛任務を受けて護衛対象を迎えに来たヤクモ、レジーナ、マークと、彼らに指令を伝達した当のカイ本人。尤も、カイはフォン・ブラウン内偵の別命に就く必要があってヤクモらに付いて来たのであって、護衛には帯同しない。

 護衛対象を一目見ておこうという思惑と、ここまで対象を連れてくるキシリアの配下からの申し送りのために来たようなものだ。

 そもそも、カイにとってはこの任務事態に幾分かのいかがわしさを感じないでもない。

 キシリアから命を受けたときに感じた違和感――何故、わざわざ言わずもがなの名前を出してまでこの任にヤクモを指名したのか。寧ろ、何かしらの理由から、ヤクモをこの任務に適さないとして除外した方がまだ違和感がない。

 ()して、キシリアはカイに言ったのだ――危険があるとは思えない、と。

 確かに、フォン・ブラウンも護衛の目的地であるサイド6も、ともに今大戦においては中立を宣言している。その中立陣営の船籍を持つシャトルで中立陣営間を移動するのだ。ジオン軍、連邦軍ともに、みすみす中立国家の心象を悪くするような愚行に走る必要はない。

 ならば、と、カイの思考は一点に戻らざるを得ない。

 ――一体、キシリアは、何の思惑から、態々ヤクモをこの任に就かせたのか。もっと言えば、今回の要人護衛に託つけて何をしようと、若しくはさせようとしているのか。

 民間の宇宙港にいる人間の自然さをカモフラージュするためと、フォン・ブラウンの国内情勢を端的にでも掴むため、売店で買い求めたニュースペーパーに目を通してはいるが、思考の迷路に迷い込んでしまったためか、内容はちっとも入ってこない。

 

「来たようだな」

 

 周りにいる仲間内にだけ聞こえるような小声で呟いたヤクモの声が、カイの意識を強制的に、目の前の現実に呼び戻した。

 微かに顔を動かすと、黄色いワンピースを着た小柄な少女が、やや俯き加減に歩いてくるのが見えた。そして、その少女の斜め前辺りを猫背で歩く、鼠色のくたびれたスーツを着たハンドポケットの男。ここまでの警護役であろう。そして、少女の周囲にもまだ幾人か護衛役がいるのだろうと判断し、カイは心持ち目を細めた。

 警戒するように、時折周囲を()め回す鋭い目付きは、それ単体であれば異様に映るかもしれない。が、男の人相の悪さと相まって、あたかも獲物(カモ)を物色するスリ師のように、逆に男の素性を隠していると言えなくもない。

 ただ、結局のところカイにも、彼の部下たちにもその正体は明らかに見抜かれている訳で――。

 

(大した腕ではないな)

 

 カイは、おそらくは〈キシリア機関〉に属しているであろう相手に、辛めの評価を内心で下した。

 同輩とは言え、秘匿任務を専門にしている訳でもない彼らに見抜かれる程度の人物が任に当たっていることに、やはりキシリアの思惑が気にかかるところであった。

 

 カイと視線を合わせることもなく近付いて来た男が、僅かに身体の位置をずらしながら歩く速度を緩める。

 カイの身体を避けるようにも見える動きだ。十分に近付いたところで低く呟く。

 

「……今宵の月は?」

「兎の舞踏(ダンス)はお休みだ」

 

 身体どころか視線すら動かさず符牒を口にしたカイに、男もまた表情ひとつ変えることなく、擦れ違いざまに低く言う。

 

「あとは任せたぜ」

 

 申し送りはそれで充分だった。

 男の去り行く方向を振り向きもせず、カイは足元の手荷物を持ち上げると、搭乗ゲートに背を向けて歩きだした。

 少女に近付くと、やはり視線を向けぬまま、小声で語り掛ける。

 

「グラナダからの迎えです。部下がサイド6までお供します」

 

 その声に驚いたように、一瞬びくりと身体を震わせた少女が、ごく微かな目礼を返すのも確認せず、カイは宇宙港の出口に向かった。

 宇宙港を出たところで、はじめて後ろを振り返る。

 

(さて、と。少将にはまたぞろよからぬ思惑がありそうだが……頼んだぞ、ヤクモ)

 

 

           *

 

 

 もとより任務自体にはカイが如何程の心配もしていなかったように、フォン・ブラウンからサイド6、〈パルダコロニー〉までの道中は、平穏そのものと言って良かった。

 無論、ヤクモ以下、レジーナもマークも油断していたというのには程遠い。

 ザビ家の人間のような重要人物や政府要人などの公務の際の警護には、それなりの規模で大々的に体制を取って当たるが、今回のように一般人の警護の基本は、無暗に人目を引かないこと。そこに「重要人物がいる」ことを無駄に知らしめることは必要ないのだ。

 そういう意味では、一般人に溶け込み、決して目立たぬようにフォン・ブラウンから少女の安全を護ってきたヤクモらの仕事ぶりは、充分に及第点を与えられるものであった。

 とは言うものの、実際に起こり得ない可能性が極めて濃厚な危機に対して、有るかも知れないと神経を尖らせ、何事が起きても対応できる心構えを常時していると言うのも疲れるものである。

 翌朝には任務解除というところで滞在したホテルの一室。

 マークが、インスタントコーヒーを淹れた備え付けのマグカップを、二つ持ち上げた。

 振り返ると、ソファに凭れて行儀悪く両足を投げ出したヤクモに近付く。

 因みに彼らが今いるホテルは、パルダコロニーの中でも最高級とはいかずともそれに近い高級ホテルである。

 ――こういう場合、ある程度良いところに泊まった方がセキュリティもしっかりしているし、怪しまれないものだ。という、カイの事前アドバイスを受けて選んだホテルだが、その言の正しさは兎も角、たしかに高い分、部屋は広くて綺麗であるし、居心地も良い。

 ソファのクッションも程好く、身体に心地好い。

 

「ん、ありがとう」

 

 無言で差し出されたマグカップを受け取り一口すすると、インスタントにしては豊かな香気が口から鼻に抜ける。

 

「大分疲れているみたいですね」

 

 壁に背を預けたマークが、自分もカップに口をつけながら言う。

 

「ああ、そうだな。……何て言うかな、こういうのに慣れてないからかな」

「モビルスーツに乗っている方が馴染む……まあ、判りますけどね」

「あと一日、いや半日程度の辛抱なんだがな」

 

 苦笑したヤクモの口調に、マークが眉を微かに動かす。

 

「何か気になることでも?」

「……一寸、な」

「我々が何をしているか、護衛対象が何者なのか、連邦に悟られている筈はないし、仮に我々の正体が察知されていたとしても、中立コロニー内で連邦軍が何かしてくる筈がない。それに、パルダコロニー(ここ)はサイド6の中でも治安の良いところですからね、不測の事態もまずないでしょう」

 

 状況を確認するように淡々と言ったマークが、口角をごく僅かに上げる。

 

「隊長の予感も、今度ばかりは()()ですよ、きっと」

「ああ、そうだな」

 

 寧ろそうあってほしいと言わんばかりのマークに、ヤクモが苦笑で応える。

 会話が終わると、ヤクモは立ち上がって窓に近付いた。

 指先で微かにカーテンを開け、隙間から外を見る。

 高層階から見下ろす夜景は美しく、このコロニーの外では史上空前の規模の大戦が行われているという事実が俄には信じられない程である。

 いや、実際に、中立を宣言したサイド6の住民に取っては、この戦争も、緒戦で壊滅的な被害を蒙ったサイド2、サイド4などの惨状も対岸の火事程度にしか体感できないのであろう。

 その事実に心を痛めている人間が少なからずいたとしても、現実には眩いネオンの下、住民は別天地の平和を享受しているに違いなかった。

 

 目を射す灯火と、耳に届かない喧騒を見下ろしながら、

 

(そういうんじゃないんだよな……本来の任務と少し違うところで、何か嫌な感じがするんだよな)

 

ヤクモは思い、マークに気取られない程度に、ごく小さく、溜息を吐いた。

 

 

           *

 

 

 明けて翌日。

 各々チェックアウトを済ませた一行は、公共交通機関を乗り継いでパルダコロニーの郊外に向かっていた。

 バスを降りてから雑踏の中、先導を兼ねて先行するマーク、その数メートル後ろに少女、少女のすぐ右後ろにレジーナが続く。

 少女に危害を加えようとするものがあれば、まずレジーナが対応し、そしてヤクモ、マークが直ぐに駆けつけられる態勢だ。

 少女に無駄な圧迫感を与えないよう同性のレジーナが直近にいるのだが、その警戒態勢については、ヤクモは何ら心配していない。ヤクモやマークだけでなくレジーナもまた、モビルスーツ戦闘に秀でるのみならず、生身の格闘技術についても並ならぬ技量を有している。天性の物であろう運動神経からくるしなやかな身のこなしは、並の男では太刀打ちできないほどのものだ。

 そのレジーナの後ろ姿を見ながら歩くヤクモは、いつぞや地球に潜伏したときのように伊達眼鏡を掛け、無愛想な表情を浮かべている。時折周囲に視線だけを向けて様子を窺いながら歩く。

 不機嫌そうな表情は、無論、常に視界にいるレジーナや少女に向けられたものではなく、昨夜から続く正体不明の予感に起因するものだ。

 目的地に近付くにつれ、その思いは一層強く、重くなっていく。

 雑多な事業所や商店が軒を連ねる都市部と、人工的なものとはいえ風光明媚な丘陵や湖が絶妙なコントラストを描くパルダコロニー内は平穏そのもの、周囲に危険を感じさせる事物は何もないというのに、奇妙と言えば奇妙な感覚であった。

 

 一行の先頭を歩くマークが、あたかも見慣れぬ街に来た観光客を思わせる仕草で周囲を眺めた後、交差点を左に曲がる。

 その後もマークの後に続き、何度か右左折を繰り返してメインストリートから完全に離れる。

 人気の無くなった小路の、幾つ目かの角を曲がったとき、灰色の外壁の建物が正面に見えた。

 ヤクモは、ジャケットのポケットから一枚の写真を取り出してちらりと見た。写真に写る建物と目の前のそれが相違ないことを確認し、小さく息を吐いた。

 既に、先行していたマークが建物の守衛と思しき中年男に話をしている。

 その様子を見ながら改めて周囲にも目を向けるが、特段の気配は感じない。

 ゆっくりと建物に近付きながら、ごく僅かに張りつめていた緊張を解いたところで、建物から出てきた人物が視界に入る。

 

 グレーのスーツに身を包んだ、ややずんぐりとした体型の男。

 年の頃は既に初老の域に達しているだろう。青灰色の髭が顔の下半分を覆い、髭と同じ色の髪は頭頂部近くまで後退している。

 血色の悪い顔に深い皺が刻まれている。

 ヤクモは、その男を知っていた。

 否、知っているどころではない。

 決して忘れることのできない、それでいて、二度と顔も見たくなかった男。

 ヤクモは、胸の奥で痼のように残っていた嫌な感覚が、残念ながら当たっていたことを悟った。

 

「……フラナガン」

 

 乾いた唇の隙間から、呻き声にも似た声が漏れる。

 それはヤクモの耳に、まるで他人の声のように響いた。

 

 

           *

 

 レジーナは、少女とともに、ゆっくりと初老の男に近付いた。

 既に建物の前で立ち止まり、此方を見ているマークと目が合う。微かに頷いたマークに、同じく微かに頷き返したレジーナが初老の男と挨拶を交わす少女の前で立ち止まった。

 

「貴方がフラナガン博士ですか? ララァ・スンです。ある方に、ここに来るように言われました」

「ララァ・スン、よく来てくれた。これから私の研究に力を貸して欲しい」

「私が? 研究に?」

「そう……人類の新たな可能性を拓く研究だ」

 

 怪訝そうに首を傾げる少女と、相好を崩した初老の男――ララァとフラナガンの会話を聴くでもなく聞きながら、レジーナは任務の終了を悟った。

 目を閉じ、小さな安堵の息を漏らしたレジーナは、再び目を開けたとき、ごく微かな違和感を感じた。

 目の前にいるマークが、レジーナの後ろに目を向けている。その険しいと同時に疑惑に満ちた表情に、レジーナもまた振り返る。

 

 そこには、微動だにせず立ち尽くすヤクモの姿があった。

 

 レジーナとマークの視線を受けるヤクモの目には、しかし、彼らの姿は入っていなかった。

 ヤクモの意識は、総てフラナガンに注がれている。

 その心の大部分を占めていたのは、普段の彼にしては珍しいほどの、憎悪、そして怯え。

 直ぐにでも踵を返したい気持ちと、逆に、短絡的な復讐に走りそうな衝動。

 その双方を押し止めるのに、少なからぬ労力を必要とした。

 意を決して、そして力を振り絞って一歩を踏み出すと、今度は、今にも走り出しそうになる。

 フラナガンに詰め寄ろうとしたヤクモの前に、不穏な気配を感じたレジーナとマークが進み出なければ、ヤクモはそのままフラナガンに掴み掛かるか、或いは殴り掛かっていたかもしれない。

 

 それまでフラナガンと話をしていたララァが、ただならぬ雰囲気を感じて振り返る。

 それにつられるように視線を転じたフラナガンの小さな目が、憎悪を滾らせる琥珀色の瞳と交錯する。

 何か言おうとして口を開きかけたが、結局息を呑んだヤクモと裏腹に、フラナガンは何の感傷も隠らない無機質な表情でヤクモを見た。

 

「随分無礼な目付きをしている男だな。どこかで会ったか?」

「何だと!? ……ふざけたことを。人を散々実験動物(モルモット)にしておいて……」

 

 ドライアイスよりも冷たいフラナガンの言葉に、ヤクモが感情を昂らせる。

 今にも飛び出しそうなその雰囲気に、マークとレジーナが慌ててその身体を手で押さえた。

 

「ちょっ……ヤクモ?」

「隊長? どうしたんですか、落ち着いて」

 

 朝方、ホテルを出る前までとは余りにも異なるヤクモの変貌ぶりに、二人とも戸惑いを隠せない。

 そんな二人の制止も意に介さず、さらにフラナガンに食って掛かろうとするヤクモの機先を制して、再度フラナガンの冷たい声が響いた。

 

「ああ……セトの小倅か。今さら何の用だ?」

 

 まるで芝居っ気もなく、おそらく本心からそう言うフラナガン。

 

「アンタに用なんて無い! アンタがいるって知ってたら、死んでもこんなところに来なかった!」

 

 剣呑な雰囲気の中、ララァがフラナガンに向き直る。

 

「この人達は、私をここまで無事に連れてきてくれたんです」

 

 ヤクモを制止しながら、レジーナがララァの言葉を肯定するようにフラナガンに向けて頷く。

 

「キシリア少将の命で、その方の護衛をして来ました」

「なるほど。ではララァ、中へ入りなさい。……ここで騒がれても迷惑だ、お前たちも着いてきなさい」

 

 納得したように頷いたフラナガン。

 ララァへ掛ける猫なで声と、ヤクモたちへ掛ける抑揚の無い声の使い分けが、いっそ見事に思えるほどだ。

 

「ふざけるな、誰が行くか!」

 

 吐き捨てると、レジーナが止める暇もなく踵を返すヤクモ。

 半ば唖然としてその姿を見送るレジーナとマークに、フラナガンが話しかける。

 

「お前たちはララァの護衛なのだろう? なら、まだ任務は終わりではないぞ」

 

 顔を見合わせたレジーナとマークだが、そこには自分と同種の困惑した顔しかない。

 

「仕方ありませんね。あの隊長を放ってもおく訳にもいきませんし、中尉は隊長のことを頼みます。動きが有り次第連絡します」

 

 溜息混じりに言ったマークに一つ頷き返すと、レジーナはヤクモを追って走り出した。

 

 

           *

 

 

「ちょっと、待ってよヤクモ」

 

 交差点を曲がった先で、レジーナは早足で歩くヤクモに追い付いた。

 後ろ姿に声を掛けるが、ヤクモは止まらない。

 

「待ってってば。一体どうしたの?」

 

 ヤクモを追い越し、目の前で立ち止まったレジーナにぶつかりそうになり、ようやくヤクモが足を止める。

 

「どうしたの? 急に怒り出して。あの人……フラナガン博士? あの人のこと、知ってるの?」

 

 心配そうに、矢継ぎ早の質問を繰り出すレジーナ。

 しばらく無言で立ち尽くしていたヤクモが、胸郭を使って大きく息を吐いた。

 

「知ってるなんてものじゃない。憎くて、怖くて……」

 

 そう吐き捨てたヤクモの瞳には、暗い憎念が渦巻いている。

 常に戦場でヤクモと共に在っても感じたことのない、憎悪。

 「敵」であるはずの連邦軍にすら向けていなかった、直接的な殺気。

 そう言った負の感情をヤクモから感じたレジーナは慄然とした。

 レジーナの身体を押し退けるようにして再び歩き出すヤクモ。一拍遅れて、その後をレジーナが追う。

 士官学校時代からの記憶を辿っても初めて見るヤクモの様子に、何度か声を掛けようと思ったものの、結局掛ける言葉が思い浮かばない。

 ヤクモの背中を見て無言で歩き続ける。そのうちに道が未舗装になり、街を外れていた。

 目の前には光を反射する湖があり、その周りには灌木と、なだらかな丘陵が広がっている。

 地球を模して創られた人工の風景ではあるが、その牧歌的な雰囲気に、一瞬心を奪われる。

 湖の畔で立ち止まったヤクモの後ろで、周りの長閑な風景を見回していたレジーナが、一点に視線を留める。

 ここを訪れる観光客の為の物だろう、木製のベンチが幾つか置かれている。

 しばらくそのベンチの一つとヤクモの後ろ姿を交互に見たレジーナが、ヤクモの手を取る。

 

「ジニー?」

 

 流石に驚いたような声を上げたヤクモに「いいから」と短く言い、ベンチまで引っ張って行く。

 そのまま身を翻してベンチに座ったレジーナに抵抗することなく、ヤクモもまた、レジーナの横に腰を下ろした。

 

「綺麗なところだね」

「ああ……」

 

 先程より幾分気持ちが落ち着いたのか、ヤクモが短く応える。

 その口調から、ささくれが取れていることに少し安堵したレジーナが、未だヤクモの手を握ったままであることに気付いて、そっと手を離した。

 普段と違う雰囲気の青年。

 微妙に気まずい沈黙が流れる。

 

「あの、さ……何があったの?」

 

 思い切って質問したが、緩慢に向いた琥珀色の瞳に、未だ暗いものが宿っているのに気付く。

 

「……ごめん、しつこくて。話して気が紛れることもあると思ったんだけど……。よっぽど嫌なことなんだよね……無理に話さなくて良いよ」

 

 微かに目を伏せるレジーナ。

 ヤクモの表情が、微かに和む。

 

「いや……俺こそすまない。取り乱した」

 

 深呼吸をした後で、ヤクモが静かな口調で言う。

 

「昔のこと、ジニーに話したこと、あったっけ?」

「あんまり聞いたことない。士官学校に入る前は、何処かの施設にいたんだっけ?」

「ああ。施設って言っても養護施設とか孤児院とかじゃない……ズムシティにあった研究施設なんだ」

「研究?」

 

 軽く首を傾げるレジーナに、ヤクモは頷いた。

 心中の波風が完全に凪いだ訳ではないが、荒々しい衝動は大分治まってきている。

 

「ニュータイプって言葉、聞いたことある?」

「聞いたことくらいあるよ。『人の革新』でしょ?」

「じゃあ、それがどういうものなのか、知ってるか?」

「それは……」

 

 ほっそりした人指し指を、綺麗な流線を描く顎に当て、上を見上げてしばらく考えるレジーナ。

 ややあって、困ったように笑う。

 

「ごめん、わからない」

「いや、謝ることはない。わからなくて当然なんだから。こっちこそ、変なこと聞いて悪いな」

 

 そう言った後で、先程からお互い謝ってばかりであることに気付いて苦笑する。

 

「かつてジオン・ダイクンは言ったらしい……生活の場を宇宙に移した人類は、洞察力と認識力が拡大し、やがて互いに理解し合うようになる、だったかな」

「その、理解し合えるようになった人……が、ニュータイプなの?」

「そういうことになるのかな……多分」

 

 座ったまま前屈みになり、膝の上に肘を乗せた。やや俯きがちに前を向いたままで、ヤクモが口を開いた。

 

「あのジジ……フラナガンは、ニュータイプ研究者だ」

「それじゃあ……」

 

 レジーナの見開かれた瞳に、驚愕と共に理解の色が浮かぶ。

 ヤクモは、レジーナの顔を見ないまま続けた。

 

「俺はその研究所に飼われていたんだ。研究材料としてね。どうして俺だったのかはわからないけど……。随分とクソッタレな扱いをされたものさ。それで何年かして、『お前はニュータイプじゃない』って棄てられたって訳さ」

 

 自嘲ぎみに笑いながら、ヤクモは腹の底で再び怒りが鎌首を上げるのを感じていた。

 それが現状では身勝手な怒りだと頭では理解していても、過去に自分がモルモットにされたこと――数年にわたって心身ともに摩耗するような実験を施されたことを笑って許すほど、ヤクモは寛容にはなれなかった。

 

「ま、過ぎたことだ。フラナガンの顔を見て殺意が湧いたのは事実だけどな」

 

 重くなった空気を振り払うように、ヤクモが言う。

 

「えっと、ちょっと待って」

 

 ヤクモが立ち上がろうとしたとき、レジーナが何かに思い至ったように言った。

 

「じゃあ、あの()は、これから色々な実験をされるってこと?」

「……そうなるな」

 

 何とかしてあげられないのか。

 少女に対して過酷な実験が行われることを連想したのか、そう訴え掛けるような表情のレジーナ。

 以前施された実験それ自体が心的外傷(トラウマ)となっているヤクモには、レジーナの懸念するところが、彼女以上に理解できた。

 もとよりその為人を知るつもりも機会も無かったとはいえ、あの少女に過酷な実験が行われるというのは酷なことに思えた。

 

「……戻ろう」

 

 フラナガンの元に戻ったところで、具体的にどうするかなど、言ったヤクモ本人にすらわからない。ララァに関しては裏でキシリア・ザビが糸を手繰っているのだ。キシリアの存在が無かったとしてもフラナガンがヤクモの訴えに耳を貸すとも思えず、或いは彼らにできることなど何もないのかもしれない。

 それでも、仮にそれが自己満足に過ぎないかも知れなくても。

 ここで過去に捉われて不貞腐れているよりは良い。

 ヤクモの目に、先程とは意味合いの異なる強い光が宿るのを見て、レジーナは安堵した。

 

 折から、レジーナの持つ通信機にマークからの連絡が入る。

 二人は顔を見合わせた後、走り出した。

 

 

           *

 

 

 フラナガンの研究施設に戻った二人が見た光景は、ヤクモが居なくなる前と大差無いものであった。

 談笑するララァとフラナガン。その傍らに表情を殺して立つマーク。

 ただ、玄関脇に停められている電気自動車(エレカ)だけが数十分前と異なっていた。

 

 フラナガン等の姿が見えたところで走る速度を緩め始め、息を整えながら歩く。

 ヤクモはフラナガンの前で立ち止まり、血色の悪いその顔を見下ろした。

 

「騒々しい奴め、何だ?」

 

 どこまでもヤクモを見下した――少なくともヤクモにはそう感じられる――尊大な口調を変えようとしないフラナガン。

 呼吸を、というより心を落ち着かせるため、大きく息をした。

 

「相変わらず人をモルモットにしているようだな」

「何の話だ?」

「この()にも、あんな実験を繰り返すつもりか?」

「だとしたらどうする? お前に何が出来る?」

 

 ヤクモの詰問の答えは、冷笑であった。

 覚えず拳を握るヤクモを見てヒヤリとしたマークが動こうとするが、そのマークをレジーナが止める。

 

「……まあいい、一つだけ教えてやる。ララァはお前のような出来損ないとは違う、と言うことだ」

「何だと……?」

 

 どういう意味だ、とヤクモは更に問い掛けようとしたが、既にフラナガンはヤクモに見向きもしない。

 

「それではララァ、今日のところは部屋でゆっくり休みなさい。明日から、私に力を貸しておくれ」

 

 ヤクモに対するのとは別人のように、孫に接する好好爺のような優しげな口調でララァに語り掛ける。

 ララァが一礼すると、フラナガンは満足したように、ヤクモらに背を向けた。

 残された四人が、それぞれの表情でその丸まった背を見送った。

 

 フラナガンの姿が完全に建物の中に消えてから、ララァはヤクモに向き直る。

 無言で見詰めてくる翡翠色の大きな瞳を、反射的にヤクモは見詰め返した。

 

 そのまま数秒。幽かな居心地の悪さのような物を感じたヤクモが、目を逸らした。

 振り返ってマークの元に歩み寄る。

 憮然とした顔で腕組みをしているマークに向かって、軽く詫びの言葉を掛けるヤクモ。

 溜息を吐いたマークが、傍らの電気自動車に乗り込み、エンジンを掛ける。

 

 そのやり取りを見ていたレジーナが、ふと視線の角度を変える。

 

 その先にいるのは、何か腑に落ちないことがあるのか、小首を傾げている少女であった。

 レジーナは少女に近付き、車に乗るよう、優しく促した。

 

 彼らにとって慣れない任務が、ようやく終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 今回は少し(今までからすれば)早めの更新かな?
 ご意見、ご感想など頂ければ幸いです。

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