巨大なクレーターを埋め尽くすように建ち並ぶ巨大建造物群。
それらが織り成す広大な都市。
グラナダ。
月面第二位の人口を有し、ジオン公国突撃機動軍が本部を置く
グラナダの歴史は、有史以来のそれからすれば取るに足らないものであるが宇宙世紀においては古い部類に入り、サイド3の成立とは切っても切り離せない。
かつて宇宙に飛び出した人類は、その容れ物となる建造物を建設した。人類初のスペースコロニー〈シャングリラ〉及びその他サイド1コロニー群への移民をもって、その歩みを西暦から〈宇宙世紀〉へと転換した。時の首相官邸への爆破テロ、世に言う〈ラプラス事件〉等の混乱はあったものの、90億にのぼる総人口を地球の生産力で養いきれなくなった人類は次々と産み出されるコロニーのみならず、月にもその生活の場を求めたのである。
宇宙世紀0027年に初めての月面恒久都市〈フォン・ブラウン〉を建設すると、月を拠点として新たなコロニーの建設が始まった。
宇宙世紀0035年に開発が始まったサイド3である。
サイド3建設に先立ち、コロニー開発のための機材の集積地として選ばれたのが、地球から見て月の裏側にあるクレーターであった。
やがてそこには機材と人が集まり、建設基地となった。
人が集まれば居住施設ができる。人が住むようになればその住人を相手にした商売が始まる。商売が始まれば、その中にやはり定住する者がおり、それらの商人を対象とした別種の商売を始める者が現れる。
そのようにして町の体裁を為した集積基地であったが、当初予定されていたサイド3の全コロニーが完成した頃には、既に計画的な都市開発が進められ、一大都市として成立していた。
現在のグラナダの雛型である。
フォン・ブラウンやサイド3のような、整然とした都市計画によって成立した都市に比べれば多分に流動的に上げられた産声であったが、何しろ全人類の殆どが宇宙開発を正義と見なし、宇宙への進出こそが人類を次のステージへと押し上げると信じられていた――ジオン・ダイクンが後に提唱した思想の遠い萌芽となり得る思想が人類全体の共通認識とも言えた――時代である。
その、全人類が共有した
そして現在、グラナダはジオン公国突撃機動軍が本拠地を置く重要軍事拠点として、地球圏に広くその名を知られることとなっているのである。
*
『こちらはグラナダ管制局。接近中のムサイ級、艦籍と所属を知らせ』
「当艦はMLC-0175、突撃機動軍所属艦アードラー。着港許可願います」
『MLC-0175、アードラー了解。帰港については承知している。ガイドに従い入港せよ』
軍港の管制官と、アードラーのオペレーターを務めるチカの交信を半ば聞き流しつつ、艦長席の左に立つヤクモは、多少の感慨を持ってグラナダ第一軍港の出入口を見つめた。
忘れもしない1月3日。
未だ地球連邦の管理下にあったグラナダに先陣切って踏み込み、最初の砲火を投じたのがアードラーのモビルスーツ小隊長であったヤクモ本人である。
その後は転戦が続き、何だかんだでグラナダに居た期間は通算でも一週間に満たない程度であったが、それでも、初めての戦果の地である。否、戦果と云えば聞こえは悪くないかも知れないが、それは詰まるところ人を殺めた数。
自らの意思で引き金を引いた事実は記憶だけではない。
その瞬間の口の乾き、鼓動、指先にすらトリガースイッチを押した感触が今も残っているのだ。
敵を
その日々の中で、敢えて考えないようにしていた殺戮の螺旋。
グラナダはその存在を、否が応にもヤクモに思い出させる。
『HLVの直接の入港は不可である。アードラーに追従するHLVは専用の発着場へ降りられたし』
管制官の指示により、それまでアードラーに付き従っていたHLVが進路を変えていく。
その姿を見送りながら、ヤクモは艦長席に悠然と腰掛けるカイに語りかけた。
然程嬉しくも愉しくもない感慨を振り払うように、努めて明るい声を出す。
「で、今後の予定は、司令殿?」
「いささか忙しいぞ。聞きたいか?」
「嫌だと言っても変更は利かないんだろう? 仕方ないさ」
悪戯っぽく言うカイに、皮肉っぽく口角を上げて応じる。
「まずはキシリア少将への報告。HLVから例の連邦製の腕を下ろしてジオニックの工廠へ搬送。それからHLVに積まれた資材の荷下ろしもしなければならんか。そうそう、アードラーを寄越してくれたバロム大佐にも挨拶を欠かすわけにはいかないな。それが終わったら……」
「いや、わかった」
何が楽しいのか、今後の予定を嬉々として指折り数えるカイの言葉を途中で遮った。
「何だ、もう聞かなくてもいいのか?」
「予定が目白押しなのはわかった。当面の予定だけわかれば、後のことはいいよ」
「そういう無関心はよろしくない。士官として部隊の運営に関することは把握しておいてもらわないとな」
――さっきと言ってることが違うぞ。
その言葉を呑み込み、友人の榛色の瞳を見下ろす。
「把握してるさ……モビルスーツ隊のことはね。それ以上のことは、指揮官である少佐の命に従うのみであります」
途中で口調まで変え、親友に対するわざとらしい敬礼。
言外に「面倒くさいことはお前の仕事だろう」と匂わせる。
「よろしい。その言を違えぬこと、期待するぞ、ヤクモ・セト大尉」
軽く顎を上げ、ヤクモ以上に勿体振った台詞回しで言い放つカイ。
その不敵な笑みを見たヤクモの胸中に何とも言えない
(うぅん……失言だったかな?)
艦長席で長い足を悠然と組むカイと、その傍らに立ち、頭を掻くヤクモ。
二人の眼前、宇宙港から射出されるガイドビーコンに従い、アードラーはゆっくりと高度を落としていった。
*
ガイドビーコンに従い、ゆっくりと着港したアードラー。
着底したその艦体に、軍港の整備兵たちが群がる。
兵達の間を縫って近付いたタラップ車が、艦橋に直接
作業の終わりを待って艦長席からカイが立ち上がった。その後ろにバークレーが続く。
舷梯に向かうカイに、ヤクモが声をかけた。
「それじゃあ、俺はザクを持ってHLVの発着場へ行くけど」
立ち止まり、上体だけで振り向いたカイが頷く。
「わかった。荷下ろしを手伝ってやってくれ。連邦製は迎えが行くまで下ろさなくていいからな」
「了解」
鷹揚に応じたヤクモが、思い出したように小首を傾げる。
「モビルスーツは何処に預ければいいんだ? アードラーだけじゃ全員分格納できないぞ?」
「そうだな……確認しておこう。少将への報告が終わり次第、誰か伝令に向かわせるから、それまでは発着場で待機していてくれ」
「ん、了解」
再び歩き出したカイと別れ、向かった先は格納庫である。
そこに静かに佇むMS-06F、ザクⅡ。
開戦の時を迎えた時、ヤクモが搭乗していたのはMS-05。今や主力の座を「06」に奪われ、後方での運用が主流となった機種であった。
グラナダ戦の終了直後に受領した現在の愛機に乗り換えて以来、三ヶ月が過ぎている。
――思えば長い付き合いになったものだ、とヤクモは思う。
かの激烈を極めたルウム戦役以降、地球の〈重力戦線〉を生き残り、再びグラナダへ帰って来た。
機体を構成する無数のパーツの中で、破損或いは消耗による交換をしていない部位など、数える程もないであろう。機体表面の、超硬スチール合金装甲の其処かしこに刻まれた無数の傷痕は全て、最前線に立ち続けた証。
このザクがヤクモの身代わりとなって傷付いて来たと、云えば言えた。
そもそも本人の預かり知らぬ間に塗装されていた、
「あん? 大将、
無言でザクを見上げるヤクモに気付いたモビルスーツ整備班長、テオ技術大尉が声を掛けてくる。
「ええ、これから資材の搬出ですよ」
顔だけテオに向き直ったヤクモが苦笑を浮かべて応じる。
「大変だねえ。せっかくグラナダに着いたってぇのに、休憩もなしかい?」
「
今まで生き延びてこられたのは、自分の技倆と運以上に機体の力によるもの。ひいては、どれ程機体を傷めようとも、次の出動までに最善のメンテナンスを施してくれている整備班の努力の賜物。
ヤクモ達パイロットが休息している間にモビルスーツの破損箇所を修復し、次の戦いに出られるようにしてくれている。
厳密に言えば非戦闘員ではあるが、転戦の間、彼らもまた兵員とともに、西へ東へと弾雨を潜り抜けてきている。
そのことを思うと、頭の下がる思いを抱くヤクモであった。
「……本当はよ」
ヤクモの横に並んで立つテオ。
腕組みをしながらザクを見上げる横顔に、何時になく神妙な雰囲気が滲む。
「折角機材の揃ってるグラナダに来たんだ、一度大将の機体をオーバーホールしときたかったんだよ」
「それは……」
迷惑をかけてすみません、と詫びようか、一瞬言い淀む。
が、
「なにぶん、
次にテオがニヤリとしながら言い放った言葉に、肩を落とした。
「……そいつは悪うございました。以後気を付けますよ」
被弾以外にも無理な挙動でモビルスーツに負担をかけているという自覚は、少なからずヤクモにもある。
肩を竦めながら強がって見せるのが、精々のところであった。
「なぁに、いいってことよ。前にも言ったがよ、俺たちに出来るのは整備だけだ。機体が傷付いても、落とされないで帰って来りゃあ、幾らでも直してやるさ」
表情は笑いながら、冗談とも本音ともつかない口調で言うテオと別れ、ザクのコクピットに乗り込む。
機体を立ち上げると、計器が「
(まったく、頭が下がるよ)
愛機の足下からこちらを見上げながら右手を挙げるテオに、ヤクモは彼が整備した機体のサムズアップで応じた。
*
機材の搬出などを終えたヤクモ達、大鴉隊のモビルスーツパイロット達は、明朝までの待機――事実上の自由時間を与えられ、仮寓として割り振られた兵舎に移動した。
HLVの発着場での作業終了後、港外れのドックを兼ねた
軍港部の比較的市街地に近い外れにある、まだ新しい兵舎である。
幾つかの建物は完成しており、ヤクモ達以外にも既に起居していると思われる者の姿もあるが、敷地内では未だに新たな建物の建設が進められている。
既に夕刻だというのに忙しなく働くのは、訓練を兼ねているのであろう工兵隊の制服と、おそらく現地雇用の民間人が半々といったところ。
特に目についたのは、重機やモビルワーカーに混じって動く、MS-05の姿だ。主力モビルスーツの座をMS-06に譲り、「旧ザク」と揶揄されることもある、人類が初めて制式採用した軍事用モビルスーツ。
既に戦争の一線を退きつつあるとはいえ、このような後方での設営作業などではまだまだ現役で稼働していることに、ヤクモは、何処か懐かしさの混じった感慨を覚えた。
ヤクモらに割り当てられたのは、新しいとはいえプレハブに毛の生えた程度の二階建ての兵舎。
4メートル四方程度の、簡易寝台と安物のデスクしか家具のない簡素な部屋。
それでも自由に過ごせる個室を与えられたのは有難いことで。
荷物と呼ぶにも物足りないような、ボストンバッグ一つと段ボール箱二つを部屋の隅に放り出すと、ヤクモは靴も脱がず、真新しい純白のシーツが敷かれた寝台に身を投げ出した。
スペースコロニー同様に、都市ぐるみで気温を調整されているため、屋内にいても不快感はない。
美しい自然と引き換えに、それを造形する酷寒や猛暑に悩まされないことは、宇宙都市に住む者が地球に住む者に対して感じ得る、細やかかつ僅かな優越感の一つかも知れなかった。
久し振りにゆっくりと寛ぐような気がして、ぼんやりと天井の黄色っぽい照明を眺める。
どのくらいの時間が経ったか。
身体の芯からゆっくりと湧き出でる疲労感が睡魔を手招きする。ヤクモは、その甘美な誘いに身を委ね、静かに目を閉じた。
だが、不意に耳に響いたノックの音が夢の国への切符を破り捨てる。
目を開けたヤクモは、大儀そうにゆっくりと起き上がった。
「誰だ?」
部屋の内装と同じく薄っぺらい、安物のドアに近付きながらの誰何に、耳に心地好い女の声が答えた。
「私よ。入っていい?」
「ジニーか」
ヤクモがドアを開けると、そこにいたのは明るいオレンジ色の髪とアクアマリンの瞳の女性。白色のチュニックに濃紺のデニムジーンズというシンプルな格好だが、普段は殆ど軍服かパイロットスーツ姿しか見ていないため、妙に新鮮に映る。
軍装を解いていないヤクモの姿に軽く目を瞠ったレジーナだが、小首を傾げて再度尋ねる。
「入っていい?」
ドアノブを握ったまま、しばし無言で立っていたヤクモが慌てて半身をずらすと、その隙間からレジーナが部屋に入る。
「ふーん……やっぱりどの部屋も中は変わらないんだね」
狭い部屋の中を一瞥して、つまらなそうに呟いたレジーナが振り向く。
フリルのついたチュニックの裾が、ふわりと揺れた。
「何でまだ着替えてないの?」
「そっちこそ、随分早く着替えたんだな?」
何か特命でも下されたのかと訝しむレジーナへの返答は、ややピントがずれた反問。レジーナが呆れたようにヤクモの顔を見る。
「ねえ、ここに着いてからもう一時間経ってるよ? その間、なにもしてない方が驚きなんだけど」
「え、そうだっけ? そんなに寝てたのか」
目を瞠るヤクモに、軽く溜め息を吐くレジーナ。
またも無言になるヤクモに歩み寄る。
「どうしたの? そんなに疲れてるの? それとも……見とれちゃった?」
悪戯っぽく微笑みながら、ヤクモの顔を見上げる。
「いや……私服姿は初めて見たなって」
言い終わった瞬間、レジーナの拳がヤクモの胸を突く。
「何だよ」
「はあ……もういいわよ」
レジーナが呆れたように――というより、何かを諦めたように、大袈裟な身振りで首を振った。
「それより、出掛けようよ。折角の自由時間なんだし、ご飯でも食べに行こ?」
「他の皆は?」
「とっくに出掛けちゃったよ。アンディとリカルドなんて、ここには十分もいなかったんじゃない?」
「そうなのか」
またしても軽く目を瞠るヤクモに、明るく笑いかける。
「私、グラナダの街ってほとんど行ったことないの。何処か案内して」
「おいおい、俺だって変わらないよ。前に滞在したときも一週間居なかったし。寧ろ、俺が地球に降りたときに残留してたジニーの方が詳しいくらい……」
「いいから! レディが誘ってるのよ。黙ってエスコートなさい」
ヤクモの言葉を遮っての命令口調。だが、その表情は柔らかい。
二、三度瞬きしたヤクモだが、お
「かしこまりました、お嬢様。喜んでお供させていただきます」
軍の階級で言えばヤクモが上官だが、もともと気心の知れた仲。
それに、確かに一人で部屋に隠って寝ているより、レジーナと出掛けた方が余程有意義で気分も弾むと言うものだ。
「よろしい。苦しくなくってよ」
胸を反らし、ふざけた口調で応じるレジーナ。
(そういえば、こいつ本物のお嬢様なんだよな)
今更ながら、公国内でも指折りの名家出身である、レジーナとその兄カイの出自を思うヤクモ。
だが、今目の前にいる自称
敢えて芝居じみた仕草をするレジーナの様子に自然と頬が弛むのを堪え、慇懃な態度を続ける。
「さてお嬢様。身支度を調えますので、申し訳ありませんがしばらく外でお待ちくださいませ」
ヤクモはくるりと横に回した右手を胸に添え、もう一度深々と頭を下げた。
*
大鴉隊の指揮官であるカイは、彼の部下たちとは違い、未だ行動の自由を与えられてはいなかった。
広大な部屋の中で、微かに目線を転じれば、嵌め殺しのガラスの向こうに、微かに煌めく市街地の灯り。
彼の直接の上官である突撃機動軍首魁、キシリア・ザビの執務室である。
彼の親友と双子の妹が他愛のないお芝居に興じている間、そのことを露知らぬ彼は、これから、女傑とも女狐とも評される上官と、些かも油断のならない駆引きを演じねばならないのであった。
「待たせてすまぬな、少佐」
部屋の主人不在の中、沈黙を保つ秘書官の不躾ともいえる視線に晒されて待つこと数分。重厚な音とともに開かれたドアから、キシリアが颯爽とした足取りで足取りで入ってくる。
居住まいを正すカイの目の前で、キシリアが優雅な身ごなしで椅子に腰掛ける。
「手持ちの案件の処理に思ったより手間取ってしまってな。まったく、戦況有利とは言えども問題は次から次に起こる……ままならぬものだな」
嘆息とも愚痴とも判断しかねる口調でキシリアが溢す。
現在のキシリアが、その個人の責任で処理すべき案件が一体どれ程あることか。僅か一部隊を率いるのみのカイの手元にすら、時として彼の決裁を与え、判断し、処理すべきことが山積みになることがある。
元々勤勉さと安定した事務処理能力、そして、外見とは裏腹に彼以上に卓絶した事務屋である副官のバークレーを持つカイがそれを不満としたことはないが、我が身と比較すれば、キシリアの多忙さが端的ながらも想像できようというものだ。
尤も、カイ以上の勤勉さを持って政治的野心に燃えるキシリアにとっては、現状も多忙とは捉えていないのかも知れないが。
「さて、地球での活動、ご苦労だったな」
「閣下のご厚恩を持ちまして、幸いにも人的損害を出すことなく務められました」
珍しく労いの言葉をかけてくるキシリアに意外さを感じたものの、まずは芸はなくとも無難な返しをする。
「報告書には目を通させてもらったよ。
キシリアが口にしたのは、東南アジア戦線でヤクモが強奪した、連邦軍モビルスーツの腕。
極めてザクに似たそれの解析と分析はこれから急ピッチで行われるのであろう。
「問題は寧ろ連邦のモビルスーツ開発以前のところにありそうだな。そう思わないか、少佐?」
「……閣下には何かお心当たりが?」
事情を知らない者が聞けば謎掛けに近いキシリアの問い掛けに、カイは付いていった。
問題は連邦軍がモビルスーツ開発に取りかかり、実戦に投入しつつあることではない。ここまでの戦争の推移を見れば、連邦がモビルスーツを実戦投入してくることなど自明である。
それ以前に、なぜ連邦がザクの部品を入手できたのか。
滷獲品の流用、若しくは単なるデッドコピーであれば問題ない。戦争の中ではイレギュラーと呼ぶにも値しないことだ。
だが、そうでなかったなら。
先日、アジア方面軍のノリス・パッカード大佐と協議したように、公国内に内通者がいたとすれば……。
僅かなやり取りではあるが、カイがその結論に辿り着いていると判断したキシリアが、満足げに頷く。
キシリアは高いレベルでの会話を愉しんでいる風もあるが、付き合わされる身としては堪らない。常に自分が試されている気にもなるし、一時も気が抜けない。
部下の心上司知らずというところか、少なくとも表面上は、カイの内心など素知らぬ体で、キシリアは続ける。
「どうも、最近フォン・ブラウンの拝金主義者どもが水面下で踊っているようでな」
カイが形の良い眉を僅かにひそめた。
フォン・ブラウンの拝金主義者――アナハイム・エレクトロニクス。
フォン・ブラウンに本社を置く大企業の一つであり、フォン・ブラウン市政にも影響力を及ぼしているという。一説には、会長職にあるメラニー・ヒュー・カーバインは起業前は地球連邦軍に在籍していたこともあると言い、確証はないものの、連邦軍との癒着が噂されることもある。
それでいて、現在ジオン公国に流通している日用品、家電製品等にも多く「A・E」の社名が刻印されているという強かさと節操の無さを兼備している。
そのアナハイム社がジオンの国内企業に大きく水を開けられているのが軍需産業――厳密に言えばモビルスーツ開発部門である。
モビルスーツ開発の遅れを取り戻し、現在不利な戦況にある連邦に恩を売り、さらに連邦内部でのシェアを獲得する。その為にジオニックに取り入り、不満分子を煽動して内通者を仕立て、完成品のモビルスーツのパーツ乃至部品を横流しさせる。
十分に考えられることだ。
仮に内通者の存在が真実だとすれば、それを手引きする存在として、この上なく疑わしく思える。
だが――。
「確たる証拠はおありでしょうか」
「
「小官が!?」
流石に意表を疲れたカイが、思わずキシリアの顔を見返す。だが、驚愕に充ちた視線は、冷厳な黒い瞳に弾き返される。
「不本意か?」
「いえ……ただ、流石に想定しておりませんでした」
「少佐の意見はどうあれ、やってもらう。よいな」
念を押されては、カイの立場からすれば応じる以外、道は残されていない。
「これまでの資料は用意させておく。早速明朝から取りかかってもらいたい」
「了解であります。が……」
「何だ? 質問があるなら申してみよ」
珍しく歯切れの悪いカイに、今度はキシリアが眉を顰める。
「これは小官一人の任でしょうか」
カイの問い掛けに、そんなことかと言わんばかりの口調で、キシリアが答える。
「案ずるな。他にも幾人かつけてやる」
「その間、隊はどうなりましょう」
「無論、別命に動いてもらう。四六時中、少佐が帯同せねば何も出来ぬような無能者揃いではあるまい?」
挑発するような、揶揄するような言葉。
カイにすれば、これも「当然です」と答える以外術がない。
「まずは、そうだな……少佐に例の物を」
キシリアの言葉の後半は、傍らに佇立する秘書官に向けてのものである。その視線を受けて歩み出た秘書官が、カイに1冊のファイルを手渡す。
受け取ったカイが開くと、そこには数枚の書類と、その上に重ねられた1枚の写真。
写るは、黒髪と褐色の肌を持つ、美しい顔立ちの少女。
「この方は?」
「素性を知る必要はない。私にとって重要な客人、とだけ言っておこう。その少女をとある場所まで護衛してもらいたい。危険があるとは思えんが、念のためな」
「了解であります。三名もいれば宜しいでしょうか」
キシリアが頷く。
「それで良い。ただ、そのうちの一名は例の
「セト大尉に?」
「貴様を除けば隊の最上級者であろう? 言った筈だ、その少女は、大切な客人だとな」
確かにヤクモは、モビルスーツ戦のみならず生身の格闘技術にも長けているし、臨機の対応も出来る。自分が動けない場合、部隊指揮を任せることも出来る。
重要人物の護衛を彼の隊から人選するならば、欠かすことはないだろう。
だが、それだけだろうか。
キシリアの命令の影に、何か別の意図が隠されていないだろうか。わざわざキシリアが名指ししてくるあたりも、何やらキナ臭くはないか。
ヤクモではないが、何やら嫌な予感を――彼のような直感ではなく理性によって――感じたカイだが、言葉には出さなかった。
変わって口にしたのは、
「では、他の者は?」
という尤もな質問である。
「そうだな、さしあたって重要な任務もないが、ただ遊ばせておいても他に示しがつかんか。……当面グラナダにいる教導隊の手伝いでもしてもらおうか。新兵が増えてきた分、教える手が足りんと、〈三連星〉がぼやいていてな。少佐の隊は最前線から戻ったばかりだ。まあ適任だろう」
全てに納得した訳ではないが了解したカイが執務室を辞そうとする、その背中にキシリアは声を掛けた。
「少佐、答えずとも良いが聞け。フォン・ブラウンの日和見主義者どもに連邦との間を回らせるのも意外と骨でな。ここでアナハイムの首根っこを押さえることは、フォン・ブラウンとの駆引きの損にはならんだろうよ。精々励むことだ」
一つ事柄に拘らず、二手三手先を読め。貴様が早期講和を望んでいることは知っている。ならば自分で中立陣営との交渉材料を掴んでみせよ。
キシリアの言をそう解釈したカイは、形の綺麗な敬礼をキシリアに返すと、無言のまま部屋を出た。
端正な青年の去った部屋に、二人の女が残された。
残されたうち立っている方が、豪奢な椅子に腰掛けたもう一方に、遠慮がちな声を掛ける。
「あの、閣下……」
「何だ、申してみよ」
「はい、その……私は閣下があの方にお命じになるとは思っておりませんでした」
「お前は、あの者を信用しておらぬようだな?」
「はい、あの方は、その……」
「ハイメンダールだからか?」
「は、はい……」
「フフ……。確かにあやつの父親は紛れもない総帥派だ。だが、父がそうだからとて子もまた同じ方を向いているとは限らんよ。まあ、あやつが私の下に来たのは総帥の嫌がらせだろうがね」
「そうであれば……」
「あやつはな、家に頼らず自分だけの力で生きようと……いや、自分の力を試そうとしているのだよ。この軍の中において、自分の能力でどこまでやれるのかをな。不遜と言えば言えるが、嫌いな気概ではない。それに、意外と情に弱い男だ、あれは。奴に親しい者が此方にいる間は、逆らうこともしまい」
「それで、閣下はどこまでお取り立てになるのですか?」
「ン? さあな、それはあやつ次第だ。まあ、この程度の任務も果たせないようでは多寡が知れると言うものだ。フフ……」
*
キシリアの部屋を退出したカイは、突撃機動軍本部の広大なオフィスビルを歩いていた。
時折すれ違う同輩と敬礼を交わしつつ、黙々と進む。
その頭の中は、キシリアの命令のことで埋め尽くされている。
さて、どうしたものか。ヤクモにつけるなら、マークと……レジーナか。女だからと教導隊から軽く見られてつむじを曲げられても面倒だしな。アンディとリカルドなら、まあ教導隊の方に遣って問題はないだろう。ウィルも最近腕を上げてきているし、逆に自分が新兵に教えることで見えるものもあるだろうからな。
整備班の半分は教導隊の方に派遣するとして……ヤクモたちの方は、明日は時間に余裕があるな。あいつには私の名代として〈三連星〉のところに挨拶にいってもらうか。他の者は……まあ、非戦闘員のスタッフは3、4日休んでも大丈夫だろう。
詳細はまず――。
そこまで考えたところで、カイの足取りがはたと止まった。
既に本部オフィスの正面出入口の近くまで来ている。出入口の防弾ガラスを通り抜ければ魔窟を抜けられるところまで来て、やや慌てたように踵を返す。
キシリアと面会の間、別室で待機させておいた忠実な副官のを迎えに行くのを、すっかり忘れていたことに気付いたのであった。
UAとお気に入り数が突然急激に伸びている……Why(´・ω・`)?
いや、嬉しいことなんですけどね。
滅茶苦茶嬉しいことなんですけどね。
以前から拙作にお付き合いいただいている方も、新しくお付き合いいただける方も、重ね重ね有難うございます。
ご意見、ご感想など頂けると幸いです。
い、言えない……。
急に伸びた数に焦って、慌てて更新したなんて……
言えない……