サハリン家。
その家名は、凋落した名家の名としてジオン国内に知れている。
しかし、そのサハリン家の現当主、ギニアス・サハリン技術少将が、サイド3を遠く離れた地球で何を画策しているか、その真意を知る者は少ない。
彼の「計画」に裁可を下したデギン・ザビ公王ですら、その心の奥に燃え盛る執念にまでは考えが及んでいたか。
地球上で最も宇宙に近いヒマラヤ山脈の北、ラサ南方郊外に本拠地を構える、ジオン公国アジア方面軍新兵器開発基地。人里離れた高山を抉るように掘られた岩壁の地下に位置する、ギニアス・サハリンの本拠地である。
ジオン国内でも、ごく限られた範囲の人間しかその正確な場所を知らない、「秘密基地」と呼ぶに相応しい基地である。
未だ岩壁の掘削と機材の整備が進められているその基地内で、ギニアスは一つの通信を受けた。その相手は、ギニアスの腹心、と言うよりサハリン家の忠臣と呼ぶべきノリス・パッカード大佐である。
「特殊部隊?」
『はっ。キシリア少将麾下とのことです』
怪訝そうに首を傾げるギニアスに、ノリスが明確に応える。
『此方の小競り合いに巻き込んだ形でしたが、加勢を受けました。その際、先方も多少被弾した様子で。想定外ではありましたが、多少の補給なりをするのが相応の礼かと存じます』
「ふむ……」
ギニアスは思案顔の顎に右手を当てた。
正直にいうと、基地に部外者を入れるのは余り好ましくない。公王の裁可を得ていると言えども、彼の計画は技術本部にも、更にいえば総帥府にすらその全容を明かしていない、文字どおりの極秘計画である。大望を果たすまではその存在を知らしめるような真似はしたくなかった。
その反面、ノリスの面子にも気を配る必要がある。
軍人というより古風な武人気質の強いノリスのこと、望まざるとはいえ借りを作った形の相手に義理を果たしておきたいと思うのは、無理からぬことであろう。
一方で計画に関していえば、漸く開発機材を含めた準備が調いつつある段階、未だ緒に就いたとも言えぬ状況である。仮にこの段階で基地を探られたとしても、彼の計画が一端なりとも漏洩するとは思えない。
「わかった。基地設備の使用を認めよう」
ややあってギニアスが答える。
意見を退けたからといってノリスが反感を抱くわけでもなく、かといって積極的に意見を採り入れて機嫌を取る等という安い間柄ではない。そんなことを意識することこそ、ノリスに対して失礼というものだ。
寧ろノリスを信頼しているからこその、その部隊が計画の障害にならないという判断。
そして、どうやらノリスは件の部隊とやらを買っているらしい。ノリスは詳しくは言わないが、ノリスの言葉に、そう思わせるものがあった。
ノリスほどの武人に認められた連中がどういったものか……。上手く協力関係を築ければ、計画に役立てることも出来るかも知れない。
つまり珍しいことに、ノリスが評価を下した部隊に、ギニアスも僅かながら興味を感じたのである。
*
ノリス・パッカード大佐の配慮により、晴れてギニアス・サハリン技術少将の客人となった
ラサの南方、ヒマラヤ山脈の地下を掘り下げた巨大な基地は、その規模においてマ・クベ大佐が統括するオデッサの鉱山基地に勝るとも劣らないものに思われる。
大鴉隊が案内されたのは、山脈南側にある基地出入口の一つ。
左右に突き出たローターを格納した状態とはいえ、ファット・アンクル一機を優に搬送できる大きさの
何しろ、この搬送機に直結した出入口すら巧妙に偽装されており、一見して岩壁にしか見えなかったものである。アジア方面軍が地球に降下してから、おそらく一月ほどしか経っていないだろう。それにも関わらずこれほど大規模な基地を建造している事実、そしてそれに費やされた資材と労力を推察するに、余程の重要な任務が付されているのかも知れない。それこそ、アジア方面の攻略そのものを隠れ蓑にするほどの重要な、且つ本国にとって魅力的な何かが……。
どのくらいの高さを降下してきたか。
停止した搬送機の床が自動的にスライドしてファット・アンクルを押し出していく。
押し出された先には、人工の灯りに煌々と照らし出された、広大な工厰。
そこかしこに佇むモビルスーツと、絶え間無く動き続ける大型機械群、そして、忙しなく動き回る整備士たちの姿がある。
今までに見たことのない規模の工厰が、広大な山脈の地下に建造されている、その事実に暫し圧倒される。
「凄いものですね……」
アンディが傍らのカイに話し掛けるが、普段の軽口も無く、ただ思ったことを口にしているだけだ。
「ああ。一前線拠点の整備場にしては大き過ぎるな」
頷きながら、カイの目は整備場の中を見回し続けている。
そこに近付いてきたのは、黒を基調としたパイロットスーツを来た壮年の男。
何人かの整備士に話し掛け、指示を出しながらも、歩淀みなく歩み寄ってくる。
地上に残されていた、もう一機のファット・アンクルが載った搬送機が下に降りてきたのとほぼ機を同じくして、壮年の男がカイたちの前に立つ。
「このような格好で失礼する。私はノリス・パッカード大佐。基地指令ギニアス・サハリン少将の副官を務める者だ。如何かな、我が基地は?」
壮年の男が、カイに声を掛けた。
側頭部と後頭部を剃り上げた特徴的な髪型に、造作の厳めしい顔付きの大佐に、カイが敬礼する。軍隊礼式の見本になりそうな所作の敬礼に、傍らに控える部隊員が続く。
答礼をしたノリスが右手を下ろすと、隊を代表してカイが口を開いた。
「補給及び修理のお申し出、有り難く受けさせて頂きます。大鴉隊のカイ・ハイメンダール少佐であります」
「うむ、先程は迷惑を掛けた。何ほどのもてなしも出来んが、補給が終わるまでの間、気兼ねなく休んでくれたまえ」
多分に形式的なやり取りの後、ノリスが眼前に立つ若者たちの顔を順に見ていく。
(随分と若い部隊だ)
というのが、ノリスの率直な感想であるが、それは言葉どおりの正直な印象である。決して反感の意味を持ってはいない。
現に、今は戦時中である。若くして武勲を誇り、エースと呼ばれるパイロットが多数現れるのも、決して珍しいことではない。〈ルウム戦役〉でその功績を顕彰された「異名持ち」のパイロットたちの中でも、〈赤い彗星〉などは一際若い。
だが、ノリスの目の前にいる面々は、おそらく最年長と思われる者でも20代後半、中には明らかに10代の少年としか見えないパイロットの姿もある。
キシリア・ザビ少将の下で特殊部隊に任じられているからには、年齢に似つかわしくない技倆と、相応の武勲を有しているのであろうことは、想像に難くない。事実、技倆についてはノリス自身がつい先程、その目で確認している。
高級士官として多くのモビルスーツパイロットを統率し、且つこの基地で随一の技倆を誇る熟練のエース・パイロットであるノリスの目から見ても、先の連邦部隊との戦いで垣間見たパイロットの腕前は、粗削りなところが残っているにしても相当なものであった。不意の遭遇戦、しかも敵に先手を打たれた状況下での柔軟な対応、さらには本来爆撃機である〈ドダイ〉にザクⅡを載せて空中戦を行うという、それまでに無い戦法を躊躇いなく採る思いきりの良さも、中々に面白い。
ギニアスの代理として軍の指揮を執ることが多いノリスにとっては、むしろ有能な部隊、優秀なパイロットとして、好意的に思える。
表情を和らげて基地の奥を指し示すノリスの後に続きながら、工厰の中を興味深げに眺めていたヤクモが、足を止めた。
「セト大尉」
団体行動を取らないヤクモに気付き、他人行儀に呼び掛けたカイの声に、全員が立ち止まり、振り返る。
見上げる視線の先に、一機のモビルスーツがある。
緑色を基調としたザクとは異なり、紺色の胴体に青色の四肢、同じく青い顔の頭頂にはブレードアンテナが天を突いている。
更に特徴的なのは、両肩に、弧を描いて聳える長大なスパイクである。
ヤクモの目線を追ったノリスが、その傍らに引き返してきた。
「YMSー07B〈グフ〉。見るのは初めてかな? 尤も、この基地にもつい先日配備されたばかりだが」
地上での戦闘は激化の一途を辿っている。
総体的に見てジオンが優勢に立ち、各地で連邦軍をじわりじわりと押し込んでいる状況は事実ではあるが、連邦もただ手をこまねいてやられたままという訳でもない。特に前線の入り乱れた中米や、ここアジア戦線では、連邦軍がザクⅡに対抗するための様々な戦術を講じ始めていた。
連邦の強みは何と言っても、ジオンに比して圧倒的な生産力と物量にある。
ザク系統のモビルスーツと連邦の既存兵器を比較した場合、それが最初期に生産されたザクⅠであっても、一対一であれば連邦の61式戦車の如きは歯牙にもかけないほどの戦闘能力の差があるのだが、個々に分断された上で圧倒的多数の敵から集中砲火を浴びては、ザクの装甲とてひとたまりもない。
これは一例であるが、いずれにしても連邦軍はジオンのモビルスーツに対する対処を身に付けてきている。戦局がここに来て、ザクⅡは兵器としての優位性を保持しつつも、無敵の存在ではなくなり、その被害も増えてきているのであった。
また、キシリア・ザビ配下の〈キシリア機関〉、ギレン・ザビ直轄の総帥府〈ペーネミュンデ機関〉等、諜報に属する方面からは、連邦のモビルスーツ開発についての断片的な情報が上げられている。
ザクⅡがいくら汎用性と生産性に優れた機体であっても、次代を担う主力モビルスーツの開発は急務なのであった。
否、急務なのはモビルスーツの開発だけではない。新型のモビルスーツを開発したところで、それを扱える人間がいなければ、ただの置物に過ぎないのだ。
古来の戦史を紐解くと、如何に圧倒的であろうとも無傷の戦勝などは無く、それはジオンとて例外ではない。開戦以来、モビルスーツの操縦に熟達したパイロットの中にも戦死した者、戦死が確認されないまでも
モビルスーツ開発に合わせたパイロットの育成もまた急務であり、それは連邦軍に比して兵士の絶対数で劣るジオンにとっては、今後死活問題にもなりかねないのだ。風聞では、優位な戦況に国内が沸くこの時期において既に、国家総動員令に基づく徴兵年齢の引き下げや、学徒動員すら検討されているとも伝わっている。
かつて敵将レビルが声高らかに謳い上げた「ジオンに兵無し」は、あながち虚勢でもない。
こうしている間にも、〈サイド3〉を中心としたジオン国内では、モビルスーツパイロットを
開戦以来、華々しい戦果の影に隠れて人々が気付かぬ、または敢えて目を逸らしてきた事実が、或いはジオン公国という政体を旗頭にした社会に、或いは深刻な影を落とし始めているのかも知れなかった。
「
〈グフ〉と呼ばれる新型モビルスーツを見上げながら、ヤクモが微かな吐息とともに低く呟いた。
その声は、喧々たる工厰内の音に紛れ、誰の耳にも届かなかった。
ノリス・パッカード大佐の厚意により、臨時の
ノリスに頭を下げ、特別に通信機器使用の許可を得ての事である。
彼らの根城であるセヴァストポリへの帰還予定日はとうに過ぎてしまっていた。
カイが基地を不在にしていても、ある程度の基地運用は、副官であるケネス・バークレー中尉に任せておけば事足りる。
ただ、彼らの帰還を待つ側としては気が気でないであろう。
今の今までそこに思い至らず連絡を怠ったのは、止むに止まれぬ事情があったとは言え、カイの不手際、或いは怠慢に類するものであろう。
果して、モニターにその姿を見せたバークレーは、カイの現状説明に安堵した様子も束の間、苦り切った表情になる。
「……事情は判りましたが、少佐が所在不明の間、此方も大変だったのですぞ」
「何か問題か?」
カイが形のよい眉を微かにひそめた。
事務的なことに関しては、この巨体が与える印象に似合わぬ、緻密な処理能力を持つ副官に任せておけば足りた。特殊部隊を仕切るだけでなく、貸与された基地の保持にも責任を負うべきカイが、度々基地を留守にして
そのバークレーにも処理しきれないような厄介な案件が発生したというのだろうか。
「まあ、問題と言うほどのことではないのかも知れませんが……」
先ほどの発言と矛盾するようなことを言いながら、バークレーが巨体の肩を竦めた。
「……少佐、グラナダには連絡は?」
「いや、まだだ」
カイが頭を振ると、バークレーが、カイのそれとは違う意味でゆっくりと頭を振りながら、短い溜め息を吐いた。
「早急にご連絡を。先ほど申したのもその件で……少佐がご不在の間、グラナダから矢の催促で。先方からは早急至急と言ってくるものの、何しろ肝心な少佐は一向に戻られず……、
バークレーがこれ程愚痴をこぼすのも珍しい。
グラナダからの連絡と言うことは、則ちキシリアからの連絡ということ。
余程厳しく言われたらしいと思うと、バークレー以下留守居の士卒に対して心苦しくもある反面、この実直な副官が巨体を縮めて畏まっている姿を想像すると、可笑しくもある。
が、笑っている場合でもない。グラナダーーキシリア・ザビへの早急な連絡をバークレーに確約すると、カイは彼との通信を切った。
通信室にいた、肩までの長さの黒髪にカチューシャを着けた
訝しげな視線を受け、「ノリス・パッカード大佐の許可を得ている」と付け加えると、女性兵士は豊かな髪を揺らしつつ、部屋を後にする。
嘘は吐いていない、解釈の仕方の問題だけだ。
女性兵士の後ろ姿を見送りつつ、無駄な詐言を弄したような後ろめたさに、心の中で言い訳をした。
一人になった室内でコンソールを操作すると、目の前のモニターに女性士官の姿が浮かぶ。カイも以前見たことがある、キシリアの秘書を努める士官だ。
キシリアへの取り次ぎを依頼すると、「暫しお待ちを」と言い残した秘書官の姿がモニターから消える。
直立しつつ数分待つと、モニターの画像が揺れて、顔の下半分をマスクで隠した女の顔がモニターに写し出された。
「久しいな、少佐。あと一日連絡がなければ、部下ともども逃亡罪を適用するところであったぞ」
キシリアの視線と同様、声もまた冷たい。
「ご迷惑をおかけし、申し訳なく存じます」
あながち冗談とも思えぬ。
そう思いつつ、深々と一礼してから、これまでの経緯を簡潔に報告する。キシリアのような、冷徹なほど怜悧な相手に対して、くどくどしい言い訳は逆効果である。寧ろ簡潔に要点だけを説明し、先方の判断に委ねた方が良い。
果して、キシリアの双眸が微かに光り、得心がいった様子になった。
「成程……貴様らの事情は判った。だが、こちらにも都合というものがあってな、少佐。連絡が付かねば困るではないか」
「……重ね重ね、申し訳なく存じます」
カイにしては芸もない謝罪の繰返しになっているが、下手なことを言って先方の機嫌を損ねては不味い。何しろ、相手はザビの一族。カイ以下、部隊の面々は、今のところキシリアから「有用」だと思われていると考えることもできるが、「無用」と判断されたが最後、紙一枚、指一本で彼らをどうとでも処分できる相手なのだ。
生家を飛び出して士官学校の門を叩いて以来、否、それ以前から自分一身の覚悟はしてきたつもりだが、つまらぬことに部下たちを道ずれにする訳にはいかない。また……仮に戦地と遠く離れた場所で濡れ衣で処断されるようなことがあっては馬鹿げていると言うものだ。繰り返すが、カイの相手取っているのは、それができる権力者なのである。
「……まあ良い、ところで少佐。先ほどの話から察するに、貴様らは現在アジア戦線にいるのだな?」
キシリアの声から、幾分棘が抜けているように思える。一頻りくさって溜飲を下げたか、嫌味にも飽きたか。おそらく後者であろうと、カイには感じられた。
「はっ」
カイの短い返答に鷹揚に頷いたキシリアが語を続ける。
「ならば寧ろ好都合。少佐、貴様らの隊はそのままアジア戦線に留まり、新たな任に着け」
顔を上げたカイの眼に、一瞬鋭い光が走る。つい先刻まで見栄もなく平身低頭していた男の表情ではない。
(良い反応をする。油断ならんが……愉快な男だ)
キシリアは内心で軽い満足を覚えた。
「少佐も噂程度には聞き及んでおろう……連邦の件だ」
「モビルスーツ開発……でございますか」
「そうだ。現在我が軍は戦局を優位に進めてはいる。が、万事順調という訳でもないのでな。ここに来て連邦のモビルスーツなど、厄介事以外の何物でもない。が、戦線を調整中の現状、大々的な攻勢に出ることもままならぬ。そこでだ、少佐」
キシリアが一旦口をつぐむ。
「先日来、ルナツー周辺宙域とアジア方面とで、それぞれ連邦の〈人型〉の目撃情報が散見されている。宇宙はドズルにやらせておくとして、貴様らの隊にはアジア方面の調査を任せたいのだ。調査期限は概ね二週間。連邦の尻尾を掴めれば良し、そうでなくとも何かしらの情報を得てもらいたい。良いな?」
最後の言葉は、質問ではなく単なる確認である。
「御意」
と答える以外の選択肢はカイには与えられていない。
「おそらく、少佐の部隊だけでは行動に支障を来すであろう。アジア方面のギニアス少将には此方から連絡を入れておく……成果を期待しているぞ」
姿勢を正して敬礼するカイに、幾分揶揄するような口調でキシリアが続けた。
「例によって細部は貴様の裁量に任すが……報告だけは欠かさぬようにな」
モニターからキシリアの姿が消えるまで敬礼の姿勢を崩さず、カイは慎ましく沈黙を保ったのであった。
*
その夜。
アジア方面軍ギニアス・サハリン少将が、私室においてノリス・パッカード大佐と語り合う姿があった。
「どう思う、ノリス?」
青白い顔の眉間に皺を寄せながら、ギニアスが腹心の部下に問い掛けた。
「些か予想外ではありましたが……無碍にするわけにもまいりますまい。キシリア少将直々の要請とあっては」
議論の種は、グラナダのキシリア・ザビからの要請にあった。
ーー貴軍統治地域における、突撃機動軍特殊部隊の活動を認められたしーー。
同格の相手に対して、頭ごなしとも解釈できるものであるが、相手はザビ家に連なる者。軍の階級はともに少将であっても、公国内の序列として、事実上の立場はキシリアの方が上。
素直に受け入れるのは愉快なことではないが、ノリスの言うとおり、無碍に断るのも得策ではない。かと言って、
……拠点強襲用戦略兵器開発。それこそが、ギニアスがサハリン家再興の為、身命を賭して為すべきと信ずる手段である。
かつての名誉と栄光を喪った家。
若き日の事故で、多量の宇宙線に被曝したことにより、今もなおギニアスの身体を蝕み続ける、不治の病。
平和な時代では、サハリン家はただこのまま没落し、ギニアス自身とともに衰亡の一途を辿る以外になかったかも知れない。
だが、地球連邦との今時大戦が、消えかけたギニアスの執念と野心、そして、先の見え始めた彼の心身に再び火を灯した。
総帥をはじめ軍首脳部の思惑がどうあれ、正攻法に拘るようでは、ジオンは国力において大きく水をあけられている相手に勝てるわけがない。一見すると、ジオンが大きく連邦を押し込んでいる戦況に見えるが、現実的には、地球上の各地の戦況は次第に膠着しつつあるのだ。
連邦が戦力を整えジオンが不利になる、或いは不利になりかけたところで、ギニアスが現在開発中の兵器を投入し、再び天秤をジオンの側に大きく傾けさせる。あわよくば大戦の勝敗を決定付ける決め手とする。
現在の情勢を見るに、戦時の功績こそが喪われつつあるサハリン家の栄光を取り戻す最短の道なのだ。
そう、頑なに信じたからこそ、ギニアスは病身に鞭打って、敢えて過酷な自然環境の地球に降り立ったのである。
計画に裁を下したデギン公王にすら、その全容を明かしていない計画、その真相は来るべき時まで秘す必要があった。その為には、部外者の存在は好ましくない。仮に何かの弾みでギニアスの計画を知り得た部外者が、どこでその計画を漏らさぬとも限らない。
使い古された言い回しなれど、人の口に戸は立てられないのである。
「うむ……しかし」
「ギニアス様」
渋い表情で言いかけたギニアスの言葉に、ノリスが言を被せた。
ギニアスの父に厚恩を受け、サハリン家に身を捧げることを己の誓いとしたノリス。
ギニアスと彼の妹の幼少の砌より、陰日向
なく仕えてきた壮年の大佐には、ギニアスの執念も、その危惧するところもよくわかっているが、その反面、時としてギニアスが自分の考えに固執する余り、視野が狭くなっていることもよくわかる。
ギニアスにとって不本意かもしれないが、ここはキシリアの要請を受けないわけにはいかない局面である。
「ギニアス様。ここはキシリア少将の要請を受けざるを得ません。が、何も彼らを基地に常駐させる必要もないのです」
現在、基地の客となっている特殊部隊の任務は、連邦軍のモビルスーツ乃至それに準ずる新兵器に関する調査であるらしい。
当然調査のために基地を出ての活動が主となる筈である。基地の内情を探られる可能性は、低い。
それならば、寧ろこちらから共同戦線を持ちかけるのも一つの
「幸か不幸か、此方でも連邦の目障りな出城を潰す必要があります。彼らとしても、任務の性質上戦闘行動は覚悟の上の筈。で、あれば……」
「成程……彼らに手伝わせる訳か」
ギニアスの瞳に理解の色が浮かぶのを見たノリスが首肯した。
「はい。利害の一致する範囲で此方も先方を利用すれば良いのです。先方としても、此方に都合を押し付けている立場。嫌とは言わないでしょう。敵地攻略が此方の第一義とでも思わせておけば宜しい」
口許に渋い笑みを浮かべた大佐に、ギニアスが問い掛けた。
「それだけか、ノリス?」
皮肉っぽい目線を受け、ノリスが破顔した。
「これは……恐れ入りましたな。お見通しとは」
先の戦闘において、ノリスは確かに
「仰せのとおり、私は彼らに興味を惹かれました。共に戦うに足ると思っています」
主君に対して、やや控えめながら偽らざる思いを告げる。
そのノリスの、武人としての心を、結局、ギニアスは汲むこととした。
冷やかな月明かりが、其々の思惑を秘めた高山を照らし出す。
アジア方面に熱をはらんだ風が吹き抜ける季節が、着実に近付いてきていた。
どうもご無沙汰しております。
多忙とはいえ、更新までに一ヶ月以上開いてしまうとは、我ながら予想外でした。
次はなるべく早めに更新したいとは思っていますが…… 折角読んでくださる方々には申し訳ありませんが、気を長くお待ちいただけたら幸いです。