拠点に戻ってきた狩人達の間には、やはり暗い空気が立ち込めていた。
「――今はもう少し、ヴェルデさんを休ませてあげましょう…」
ベッドに横たわるヴェルデを横目で見て言う、フルフル装備にフルミナントソードを背負った、黒髪黒目の東方大陸からの旅人、カナ。
今までの戦いで、彼女に落ち度は無く、むしろ誰より活躍していたのだが、ヴェルデをフォローできなかった事を悔いているのか、彼女の表情は暗いままだった。
だが、そんな彼女が霞んで見えるほど、アリナの表情は暗かった。
カナの言葉に無言で頷くアリナだったが、その顔は、今にも泣き崩れそうな顔だった。
私のせいで、私のせいで――
蹲るアリナの横顔は、そう思っているのが見て取れるほど、悲痛な表情だった。
だが、カナもアリナを責めることなどできない。
暗い表情の二人は、そうして沈黙したまま、ヴェルデが起きるのを待つことしかできなかった。
激しい痛みを覚えながらも、ヴェルデは体を起こす。
――どれくらい眠っていたのだろうか。
ゆっくりとした動作でベッドから出て立ち上がる。ふとベッドに視線を向けると、自分が寝ていた場所の両隣には、二人の少女が眠っていた。
ベッドの中央を占拠していたのは悪かったなと思ったが、そもそも自分はこのベッドで寝た記憶がないという事実に気付き、苦笑いを浮かべ、ベッドのあるテントから外に出る。
外は既に冬を感じさせる寒さで、むき出しの頬に冷気が染み渡る。
周りは既に暗く、辺りを照らすのは、松明の火と月明かりだけだった。
(リオレイアと戦っていたのは昼間だから、大分眠ってたみたいだな…)
「ゴァァァァァァァ…」
そのリオレイアの咆哮が、エリア1から響いてくる。
「ッ…!」
反射的にエリア1の方向を向き、身構えるヴェルデ。その顔には、怒りと焦燥と、僅かな安堵があった。
自分が寝ている間に、カナタ村がリオレイアによって襲われていなかったという事に対する、安堵が。
途端に、ヴェルデの体が疲労と激痛に襲われる。リオレイアとの戦いで蓄積されたものが、安堵して気が抜けた瞬間に吹き出してきたのだ。
ぐらつく足でテントに戻ってきたヴェルデは、そのままベッドに入ろうとして、一旦足を止める。
(しかしこの、所謂添い寝の状態で眠ってたとはいえ、やっぱり自分からここに入っていくのは抵抗があるな…)
と、目が覚めるまで自分と添い寝の状態だった少女二人を眺め、ヴェルデは困ったような表情を浮かべる。
仕方ない、といった感じでヴェルデは、その辺にでも座って眠ろうかと考え、ベッドに敷かれている毛布を手に取る。
しかし、毛布を持った手は上がらなかった。見てみると、ヴェルデの右手首には、少女の細く、綺麗な手が握られていた。
その手を辿っていくと、その少女の顔が見えた。
整った顔立ちに、桃色の髪は、間違いなくアリナのものだった。
「アリナ...?」
そんなアリナの顔を覗き込み、ヴェルデが怪訝そうに小さく声を掛ける。
アリナは目を瞑ったまま、唇をぼそぼそと動かし、弱弱しく呟く。
「ダメ...しっかり休まないと...」
その言葉にヴェルデが反応する間も無く、アリナは呟いた後にヴェルデの腕を掴んだ手を引っ張り、ヴェルデをベッドに引きずり込む。
毛布を手にとろうとして、体勢を崩していたヴェルデは、アリナの弱い力にすら抗えず、ただ音だけは殺してベッドに倒れ込む。
アリナがヴェルデを掴んでいる手と逆の手で、ヴェルデに毛布をかけようとしているのを見て、ヴェルデは地面でも寝れるから必要ないと言おうとする。
「地面では寝れても、疲労は取れない。だから、ベッドで寝て...」
アリナが言ったその言葉には、眠そうではあったが、先程の呟きよりも強い意志がこもっていた。
ヴェルデはまさに今自分が言おうとした事に反論され、返す言葉も見つからなかった。
(休まないと、っていうのはそういう意味か...)
少なからず、自分の体に無理をさせているという自覚があったヴェルデは、ベッドから起きようとはしなくなった。
だが、ベッドに入る前に思っていた事を意識せずにはいられず、結局今夜のヴェルデの睡眠時間は、仮眠とそう変わらない時間となってしまった。
(全っ然眠れなかったぞ…)
口から漏れ出る欠伸を手で押さえ、ヴェルデは誰もいないベッドから這い出る。
テントの外に出ると、冬の冷たい空気が肌を刺すようだった。
「おはようヴェルデくん、よく眠れた?」
テントから出てきたヴェルデに気付き、こちらに声をかけてきたのはアリナだった。
昨夜のことを覚えているのかいないのか、はたまた気にしていないのか、その顔色からはうかがい知ることができなかった。
「ああ、まあ…」
曖昧な返事を返すヴェルデ。そんな彼にもう一人の少女が声を掛けてくる。
「ヴェルデさん、お体はもう大丈夫なんですか?」
黒髪黒目、アリナよりも幼い印象を受ける顔立ちの旅人、カナだ。
心配そうにこちらに駆け寄り、ヴェルデを覗き込むようにして尋ねるその姿は、自分の妹を連想させる。
「…ああ、大丈夫だ。心配かけてすまん」
そんなカナに心配かけまいとして、ヴェルデはそう言ったが、正直まだ体の節々は悲鳴を上げていた。
「大丈夫ならいいのですが…無理はしないで下さいね」
そう言ってカナは再び元の場所へと戻っていくが、アリナはヴェルデに視線を向けたままだった。
ヴェルデもその視線に気付いていたが、あえて気付かない振りをしていた。
微妙な空気の沈黙が数秒続いていたが、その沈黙を破るようにしてアリナが口を開く。
「ヴェルデくん、ほとんど寝てないでしょ」
ヴェルデが寝不足なのは、もはや誰の目にも明らかだった。
おそらくカナも気付いていただろう。それを言わなかったのはカナの性格からしてヴェルデ本人の意思を尊重した、といった感じだろうか。
だが、アリナはそれを黙って見過ごすわけにはいかなかった。
「…」
ヴェルデの沈黙を肯定と受け取り、アリナは言葉を続ける。
「それに、カナちゃんにはああ言っていたけれど、まだ体は万全じゃないんじゃないの?」
ヴェルデの強靭な生命力といえども、あのリオレイアの攻撃をモロに受けていれば、どんなハンターであろうと無事でいられるはずがない。
だが、ヴェルデはその無理を通してでも狩りに出るつもりだった。
いくらカナタ村を守るためという名目があっても、万全でないヴェルデをリオレイアと対峙させるという、自殺行為にも等しい行動を、アリナは認めるわけにはいかなかった。
しかし、
「…それがどうした。例え万全だろうとそうでなかろうと、奴が村に危険を及ぼす可能性が万が一、いや億が一でもある限り、俺は誰がなんと言おうと奴を狩る」
異論は認めない、とでも言わんばかりのその言葉には、アリナが今まで聞いてきたヴェルデの言葉の中で一番、気迫がこもっていた。
アリナがヴェルデの気迫に思わずたじろいでいるうちに、ヴェルデはその場から立ち去り、自らの準備に入っていった。
(アリナにはああ言ったが、正直万全じゃない状態で行くのは無理があるよなぁ…)
と、ランポスクロウズを研ぎながら考えるヴェルデ。
しかし、かといって秘薬のない今の状況では、一気に万全な状態にするのは現実味のない話だった。
(何かないか…少しでも狩りを楽にする方法は…)
と考えるが、ヴェルデの無いに等しい知能では、閃光玉を使うこと以上の策を思いつくことはできず、思考はすぐに停止してしまった。
カナは、思考停止してフリーズしたヴェルデを遠くから眺めていた。
(大丈夫、なのかな…?)
ランポスクロウズを手にしたまま固まったヴェルデを心配し、おそるおそる近寄る。
「ッ!?」
その瞬間、フリーズから復帰したヴェルデがハッとしたような声を上げて、急に顔を上げる。
「きゃっ!?」
おそるおそる近寄っていたカナは、急に動いたヴェルデに驚き、ビクッと体を強ばらせる。
その声に反応したヴェルデは、顔を上げた時の間抜け面そのままでカナに振り向くが、次の瞬間にはその顔は真顔に戻っていた。
「…カナか。どうしたんだ?何かおかしなことでもあったのか?」
しいて言えば、今のヴェルデの一連の動作がすでにおかしかったのだが、そんなことはさておき、カナは答える。
「い、いえ特に。ですがずっと動きを止めていたのでどうしたのかな…と」
「…いや、少し考え事をしててな」
思考停止するほどの考え事を“少し”と呼ぶのかどうか、とヴェルデの思考力の無さをまだ理解しきれていないカナはそう思ったが、それはひとまず置いておき、そこまで長考するほどの中身はなんなのだろうか、と気になったカナはその先を問う。
「考え事…ですか。もしよければ内容をお聞きしてもいいでしょうか?」
と問いかけたカナだったが、考えが纏まっていないのか、それともカナに言っていいことなのだろうかと考えているのか、対するヴェルデの反応は鈍かった。
「…?」
心配になったカナが覗き込むようにヴェルデを見ると、ヴェルデは慌てたようにしてカナの問いに答える。
「っああゴメン。いや、ただ単にどうやったら楽にリオレイアを狩れるかって考えてたんだけど、あまりいいアイデアが思い浮かばなくてな…」
と、若干情けなさそうに言った。
(楽に、かぁ…)
その答えを聞いて俯き、手を顎に添えて考え始めるカナ。ヴェルデがそんなカナの顔を覗き込んでくるが、まるで先ほどのヴェルデのようにそれに気付かないほどに長考に入っていた。
そんなカナを見て何かを察したのか、ヴェルデはカナから一歩離れ、カナの回答を待つことにした。
楽に狩れるようにする方法は、もちろんある。
――ただ、それがヴェルデになせる事かどうかは別なのだが。
「尻尾を切る、とか…?」
そう、ぽつりとカナは言葉をこぼした。
(尻尾を切る、か――)
その発想はなかったとばかりの顔のヴェルデは、再び俯きしかしと考える。
だが…
(尻尾を切れれば確かに楽に狩ることはできるが…)
そう、あくまで切断ができれば、の話だ。
ヴェルデの操る武器は双剣。三人の中では誰よりも手数が多く、機動力もある武器なのだが、その分一撃の重さやリーチに欠ける。
リオレイアの尻尾は頭より高い位置にあるためリーチが無い武器では届きにくく、リオレイアのどの部位よりも激しく動き回るため、仮に一撃を加えたとしても二撃目が入らず、一撃が軽い双剣では切断に時間がかかってしまう。
ゆえに、ヴェルデがそれをなすことはほぼ不可能に近い。
どうしたものか、とヴェルデが顔をあげると、視界いっぱいにアリナの顔が映っていた。
「っおわぁ!?」
驚きのあまり盛大に後ろに飛びのくヴェルデ。続いてカナの顔を見ると、困惑しているような、驚いているような、なんともいえない複雑な表情を浮かべていた。
再びアリナに視線を戻し、説明を求めて口を開こうとする。
が、先に口を開いたのはアリナだった。
「尻尾を切るのじゃだめなの?」
「――おぁん?」
説明を求めようとした矢先に質問を投げかけられて、思わず口から漏れてしまった奇声のようなものを気にもせず、アリナは同じ質問を問うてくる。
「尻尾を切って楽に狩るのじゃだめなのか、って訊いたのよ」
もちろん尻尾が切断できればかなり狩りは楽になるだろう。毒針が全部無くなり、毒状態にならなくなる――とまではいかないだろうが、尻尾を用いるすべての攻撃のリーチが致命的に短くなるのだから。
だが――
「そもそも俺では尻尾を切ることができないだろう、仮に切れたとしても膨大な時間がかかる」
と、双剣を使うがために尻尾を切断することがほぼ不可能なヴェルデはそうアリナに反論したのだが、アリナは納得するどころか、呆れたような、悔しがっているような表情を見せる。
「無理をしていたのは明らかだったけど、周りまで見えなくなるまで無理をしてたなんてね…」
「――?」
その言葉の意味がヴェルデにはまるで理解できなかった。その様子を見てアリナは、ため息を吐き、さらに言葉を続ける。
「確かにヴェルデくんでは、尻尾を切ることができないかもしれないけど、じゃあカナちゃんはどうなの?」
「ッ!」
そう、カナであれば話は別だ。カナの操る武器は大剣。手数と機動力に劣る代わりに、リオレイアの尻尾にも届くリーチもあり、尻尾の止まった一瞬を逃しさえしなければ有効な一撃を加えることができる。
カナであれば、リオレイアの尻尾を切ることも、容易とまではいえないが可能だろう。だが――
「――そんな――」
「そんな人任せな方法でッッ…!」
そう、今のヴェルデは、人任せな方法でリオレイアを狩ることを、絶対によしとしない。
何故か。
リオレイアを狩ることは、カナタ村を守るということだからだ。
たとえそれが『楽に狩る』という一つの過程であろうとも、ヴェルデは絶対に人任せにしようとは考えない。
「「――!」」
ヴェルデの心からの叫びを聞いた二人の表情が変化する。
片方は驚いた表情に。そしてもう片方は、呆れ、それからどこか安堵した表情を浮かべた。
やれやれ、といった顔をし、アリナはヴェルデの頭を軽くはたく。
「狩りは一人でやるものではない、って教わらなかったの?」
「――っ!」
「それと、人任せ、じゃなくて人を頼る、って言いなさい?」
胸につかえていた何かが、とれていく感覚があった。
ふと今までの戦いを思い返せば、ヴェルデが倒れたときはほぼすべて、周りを見ずに、ひとりよがりな戦いをしていた時だった。
「私たちは決して一人じゃない。それさえ忘れなければ、ヴェルデくんはきっと、いえ、必ずリオレイアに勝てる。私はそう信じてる」
そうだ。アリナとの連携、信頼を忘れなければ、一時ではあったが二人だけでもリオレイアに通用していたのだ。
ましてや、今回はカナがいる。
ならば――
――負ける理由など、存在しない。
「…悪かった。アリナ」
独りよがりになっていたことを認め、素直に頭を下げるヴェルデ。
「ううん、ただ、これからは周りのことを忘れないでね?」
自身の気持ちが伝わったのが伝わったのがよほどうれしかったのか、満面の笑みを浮かべるアリナ。
顔をあげ、その笑顔と正面から向き合い、ヴェルデは、
「――ああ、わかった」
と、口にした。
「――それと、私からも謝らせてもらうね」
リオレイアの尻尾を切断するための作戦を練り、いよいよ出撃という前に、アリナがこんな一言を口にした。
「?」
何か謝られることでもあっただろうか、と考えるヴェルデだったが、
「その、『最終的にはその場で臨機応変に』っていう言葉の意味を汲み取ってあげれなくて」
ああ、と思いつつ、頬に苦笑いを浮かべるヴェルデ。
「その言葉な、意味もくそもないぞ。強いて言うならその言葉通りだ」
「え――」
「ずっと前から思ってたことなんだが、アリナ、お前は人の言葉の裏やらなんやらを汲み取ろうとするのを控えたほうがいい。それでアリナ自身のせいにされたらたまったもんじゃない」
ヴェルデが意識を失っていたであろう時、まさに今ヴェルデの言ったとおりに、自分のせいにしていたアリナは、なんともいえない顔をして、無言でヴェルデから目をそらす。
「ん?」
そのまま顔ごとそらすアリナ。その頬はわずかに赤く染まっていた。
「おいアリナ、もしかして本当に自分のせいにしてたんじゃ――」
そうヴェルデが口にしたとたん、頬を染めたアリナがヴェルデにくいかかるように叫ぶ。
「べっ別にそんなことないわよ!ヴェルデくんはもう少しその思い込みを直したほうがいいんじゃないの!?」
激しい剣幕で叫ぶアリナだったが、ヴェルデの表情は若干、いや、思い切りにやついていた。
「お?その反応は図星か?図星だなアリナ!」
「~~!!」
ヴェルデの言葉をうけ、さらに顔を赤くするアリナ。しかしふっと顔をそらし、そのままエリア1へと進んでいく。
「ちょ、おい待てアリナ!」
「っうるさい!ヴェルデくんは早く台車を持って運んで!」
ヴェルデはひとつため息をつき、それから仕方ない、といった感じで苦笑いし、台車へと歩みよる。準備を終えていたカナが何事かと駆け寄ってくるが、なんでもないと返し、台車を運んでエリア1への入り口へと足を向かわせる。
これからの戦いは、いや、これからの戦いも、カナタ村の命運を賭けた戦いである。
しかし、その命運を一身に背負っている少年の顔に恐れはなかった。
『負ける理由など、存在しない』。少年のその確信に影響を受けたのか、少年の傍らに立つ二人の少女にも恐れはなかった。
少年は一歩足を踏み出す。リオレイアが待ち構えているであろうエリア1へと。
少年は一歩足を踏み出す。陸の女王を、今度こそ狩猟するために。
村を出発したときのように、決意を叫びなどしない。
己に必要なことはただ一つ。仲間を信じ、頼ること。
リオレイアを狩猟する。
ただ一つの目的のため、三人の狩人は再び歩み始める。
――失踪する理由など、存在しない。
途中からこの後書きが書きたくなってしかたなかったです、はい。