幻想郷戦記ヴァルバトーゼ   作:ととごん

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第二話 二つの世界の吸血鬼
Stage1 突撃、隣の吸血鬼


 ある晴れた昼下がりのこと。

 幻想郷の空を一つの影が切り裂いた。

 風を纏って翔け抜けるのは、黒い髪をなびかせる一人の少女――妖怪の山の鴉天狗、射命丸文。

 新聞記者である彼女は、常日頃から特ダネを求めて幻想郷を駆け巡る。

 しかし今日の彼女の目的はネタを探すことではない。ある妖怪への取材である。

 要するに、目的地が存在した。

 

「お」

 

 目当ての場所を視界に捉えた文は、徐々に高度を落としていく。

 彼女の瞳が捉えているのは、深い霧のかかった湖――ではなく、その畔にそびえる大きな洋館であった。その名を紅魔館という。

 最初こそ中心にある時計塔へと目を向けがちな紅魔館だが、色とりどりの花が咲き誇る庭園もまた素晴らしい。既に幾度か訪れている文もまた、時計塔ではなく庭園へと視線を向けている。

 そこでふと文は、その花壇のそばに一人の女性が立っていることに気がついた。注視してみると、その女性と目線が絡んだ。つまり相手は既に文を補足していたのだろう。花壇に水遣りでもしていたのか、如雨露を持ったままじっと文を見つめている。

 無視するのも気が引けたので、正面玄関に下りる予定を変更して女性の方へと降り立った。軽い会釈を行う。

 

「どーもー、毎度お馴染み射命丸です。本日はこちらのお嬢様に用があってきました。ご在宅ですか?」

「こんにちは。多分お嬢様ならいると思いますよ。出かけたところを見てないですし」

 

 赤く長い髪をなびかせ、深緑の中華衣装に身を包んだ女性は愛想よく応対した。

 紅美鈴(ホンメイリン)。ここ紅魔館の門番を務めるれっきとした妖怪である。

 しかしここは平和でのどかな幻想郷。そんな任を果たす事件など早々起こるはずもなく、もっぱら庭師のようなことを行っているらしい。

 

「そうですか。では早速お話を伺ってきます。ありがとうございました」

「今日は話が聞けるといいですね」

 

 礼を述べて踵を返した文を、美鈴は小さく手を振って見送った。

 常ならば、ここからが問題である。

 美鈴が『今日は』などといったように、ここのお嬢様を取材するのは少々難易度が高い。

 興味のない話題はばっさり切られ、機嫌が悪ければ門前払いされることもある。

 しかし今日は違う。自分が持っているネタなら必ずお嬢様は食いつくはずだと、そんなことを考えながら文は玄関の呼び鈴を鳴らした。

 しばらくして、大きな玄関扉が開く。

 

「どちら様ですか?」

 

 そう問いかけながら、メイド服を着た銀髪の少女が顔を出す。

 

「どうも、毎度お馴染み射命丸です」

「あら、射命丸様ですか」

 

 少女――十六夜昨夜もまた、文の姿を見て表情を和らげた。

 すっかり馴染みのある、という程度には訪れているのだから当然ではあるが。

 何せここ紅魔館は新聞のネタに事欠かない。もちろん彼女らがまだ幻想郷に引っ越してきて数年の新参だということは大きい。どんな界隈でも新入りとは話題が事欠かないものであるからだ。

 しかし捨て置けない事実がもう一つある。彼女ら――紅魔館の住人たちが幻想郷でも指折りの勢力であるということ。これこそが最大の要因だろう。概ね幻想郷において、事件の頻度や規模は当事者の実力に比例するものなのだから。

 

「本日はどなたに御用でしょうか?」

「お嬢様です」

 

 文がそう答えると、咲夜は顔をあきれたように眉を下げた。

 

「貴女も懲りないですね。それで、お嬢様に何とお伝えいたしますか?」

 

 ここが第一関門。

 文が告げた内容が、お嬢様の興味に適うものでなかった場合はこのまま帰らされることとなる。

 しかし文は自信たっぷりに答えてみせた。

 

「『昨日面白い吸血鬼と会いました』、とそうお伝えください」

「……かしこまりました。しばらくお待ちくださいませ」

 

 その内容に咲夜もしばし瞠目したものの、表情を変えて一礼するとその場から姿を消した。まさしく、文字通りに。

 そして一分と経たないうちに咲夜は突如文の目の前へと現れた。しかし文は驚かない。彼女の能力を知っているがゆえに。

 

「是非部屋へ、ということです。案内いたしますので、私についてきていただけますか」

「はい、わかりました」

 

 背を見せた咲夜の影で、文は喜色を浮かべて拳を握った。そのまま咲夜の後をついていき、二階にある一室の前へと辿りつく。

 思えば私室へと通されたのは初めてのことであった。普段は立食パーティなどを行う大広間でしか会ったことがない。

 そんなことをつらつらと文は考えていたが、前に立つ咲夜のノックで我に帰った。

 

「お嬢様。射命丸様をお連れしました」

「入りなさい」

 

 あどけなさを感じる女性の声が部屋の中から届く。

 応じる形で咲夜がドアを開けて、文へと道を譲る。

 

「どうぞお入り下さい」

 

 促されるままに部屋へと入った文は、己を襲う違和感に思わず辺りを見回した。

 天蓋付きの大きなベッド。違う。

 ティーテーブルと、そこに座る一つの影。違う。

 明かりのついたシャンデリア。違う――と、あやうく見過ごしそうになったが文はようやく答えを見つけた。

 何ら変哲もないシャンデリア。文はそれのどこに違和感を覚えたというのか。

 無論、明かりがついているということに。今はまだ昼である。夕暮れにすら程遠いこの時間で、何故明かりがついているのか。よく見れば部屋のカーテンが全て閉まっている。

 

「よく来たわね、文」

 

 そんな思案にふけるよりも早くその声が文の注意を引いた。しかし奇しくも彼女は、その声によって答えを得る。

 そう、全てはこの部屋の主の種族がゆえに。

 声が放たれたのは、先程見過ごしたティーテーブルに座る小さな影から。

 青みがかった銀の髪と、紅の瞳が印象深い、可愛らしいドレスを着た少女。人間ならば十にも満たない程度の幼さだろう。

 だが違う。その背中に見える小さいながらも紛れもないコウモリのような翼と、立ち上る紅い魔力が彼女が人間であることを否定していた。

 そうすなわち、彼女こそがこの館の主――吸血鬼、レミリア・スカーレットなのである。

 

「どうも、毎度お馴染み射命丸です」

「中々面白い話を持ってきたようね。今日は歓迎するわ」

「どうぞ」

 

 背後にいたはずの咲夜が、いつの間にか正面の椅子を引いていた。

 言葉に甘えて、文は腰を下ろす。

 

「射命丸様は紅茶でよろしいでしょうか?」

「はい」

 

 こぽこぽと紅茶が注がれる音を聞きながら、なるほどと文は内心で頷いた。

 中々のもてなしっぷりである。よくて立ち話が限度の常からは考えられない。

 確かに今日は歓迎されているようだ。

 

「では私は他の仕事がありますので」

 

 紅茶を注ぎ終えた咲夜が、そう言い残して退室する。

 残された二人のうち、先に口火を切ったのはレミリアだった。

 

「――で」

 

 かちん、とレミリアがティーカップを置く。

 両肘をテーブルにつき、組んだ手の上に顎を置いて見上げるようにレミリアはその紅き瞳で文を射抜いた。

 瞬間、寒気が走ったのは文の錯覚ではないだろう。

 嘘を吐けば潰す。そういうイロを放っているのだから。

 

「あなた、面白い吸血鬼にあったんだって?」

「ええ。中々ぶっとんだ感じの方でしたね」

「そう。ならまずはその話を聞かせなさい。あなたが私に何を聞きにきたのか知らないけど、あなたの話が面白ければ答えてあげるわ」

「わかりました。では順を追ってお話しましょう。話は、昨日の夕暮れ前へと遡ります――」

 

 紅茶と洋菓子を味わいながら、文は昨日の顛末を語った。

 その間レミリアは何一つ口を挟むことなく、文の話が終わってからも思案するように瞼を閉じて語らない。

 それから数分。整理がついたのか、レミリアは片目を開いて問いを放った。

 

「別の世界だの太陽が効かないだの色々疑問に思うところはあるけれど――まずはこれからかしらね。そもそもそいつ、本当に吸血鬼なの?」

「……やっぱそうなりますよねー」

 

 ぼやきながら、文は顔を両手で覆う。何故もっと話を聞いておかなかったのかと、後悔の念が募る。

 いかに日暮れ以降は霊夢に話を聞いてもらえる可能性が下がるとはいえ、普段の文ならば自分の都合を優先したはずなのだが。やはりあの妖怪らしからぬ珍妙な性格に調子を崩されてしまったのだろうか。

 

「そいつが吸血鬼だって証拠が、自白と格好とスペルの雰囲気だけじゃあ、ね」

「ですよねー」

 

 今考えれば、彼はそれ以外だと吸血鬼らしからぬ要素の方が多い存在だった。

 

「せめて強い妖力でも感じていれば話は違うんだけど。そいつの妖力、大したことなかったんでしょう?」

 

 今レミリアが語ったこともそのうちの一つである。

 本来吸血鬼といえば妖怪の中でも一際強いチカラを持つ種族なのだ。だからもしヴァルバトーゼがそうであるならば当然彼の妖力も尋常なものではないはずなのだが。

 

「そうですね……そこらへんの木っ端妖怪ぐらいの妖力でした」

「……そんな弱い吸血鬼、見たことも聞いたこともないわ」

 

 確かに吸血鬼にしては感じたチカラが弱すぎる。というかもっと決定的な何かが違う。

 ヴァルバトーゼの妖力は、今レミリアから感じるそれとは致命的なまでにその質が食い違っているように感じるのだ。

 

「んで、太陽も効かないと」

「ええ、全く意に介す様子は見せませんでしたね」

 

 もしヴァルバトーゼが吸血鬼だと仮定すると、信じられないほどにこの世界の吸血鬼と生態が異なっている。

 それこそまさに――

 

「はん、確かにそいつが吸血鬼だったら別の世界なんてのが存在する証明になるかもしれないわね」

 

 まさしく。文はテーブルを叩き、腰を浮かせて同意を示した。

 

「その通りです! もし彼が吸血鬼ならば、それはこちらの常識から考えて無茶苦茶な存在となります。ということは逆説的に考えるとそんな吸血鬼がいることこそが別世界の存在の肯定するということになります。ということは――」

「文」

 

 段々と言葉の熱が増してきた文を、冷たくレミリアは割り込んだ。

 文はきょとんとした様子で言葉を止める。

 

「はい?」

「うるさい。ここは私の部屋よ」

「……はい。すみません」

 

 文はうなだれて再び椅子に座った。

 そんな彼女を見てレミリアは苦笑した。

 

「ま、あなたの言いたいことはわかったわ。同時にあなたが何を聞きに来たのかもね。――吸血鬼の定義と生態。違うかしら?」

「ご明察です」

 

 そもそもヴァルバトーゼがまさしく異次元の住人で、存在も常識も何もかも違うというならばその真偽をいくら議論したところで意味はない。キュウケツキという言葉が指しているものが全く違う可能性すらあるのだから。

 だが致命的なまでに常識が食い違っているわけでもなかった。何故なら地球も魔界も存在している。加えて『吸血鬼は太陽が弱点である』という話自体は向こうの世界にもあると言っていたのだ。ならばかなり成り立ちが近しい異世界であると考えるのが妥当だろう。もちろん、異世界が存在するという仮定を前提にすればだが。

 ここで重要となるのが、妖怪の種族の区分け方である。もしこれが生態に応じてということならば議論の意味はないだろう。ヴァルバトーゼがいかに別世界の吸血鬼を自称しようとも、生態で否と断じられてはどうしようもないからだ。

 だが違う。妖怪の種族とは、もっと曖昧で抽象的で――概念的なものである。ゆえに『生態は違えど同じ吸血鬼』という理論がこの世界では通用する。

 しかし『生態が違う吸血鬼』がこの世界に存在しないのならば、『ヴァルバトーゼは吸血鬼であるが、この世界ではありえない吸血鬼である』となり、別世界の証明足りうるのだ。

 

「吸血鬼とは何か、ね。あなたはどう思う? 太陽に灼かれてしまう存在か? その身をコウモリに変える存在か? 死者を操る存在か? どれも正しいわ。でもこれらの特徴を全て持っていたとしてもそれだけでは吸血鬼と呼べない。当然ね、あくまで吸血鬼とは『血を吸う鬼』なのだから。他の要素なんておまけに過ぎないわ」

「つまり吸血行為をしている存在ならば全て吸血鬼であり、そうでないのなら吸血鬼ではない。ということですか?」

 

 名に忠実であれ。

 存在構成の多くが精神的なモノによって成り立っている妖怪にとって、名が示すものは何よりも重要であるということだろう。

 

「違うわ。よく考えなさい、文。結論を急ぐのは悪い癖よ」

 

 そう認識した文の解答を、しかしレミリアは否定した。

 

「どういうことでしょうか」

「正確には足りないわ、というところかしら。『鬼』が欠けているのよ、あなたの答えには。もし血を吸うだけの存在ならば『吸血人』でも『吸血者』でもいいわけだしね。なのにどうして、鬼が冠されたのか。 あなたにはわかる?」

「……鬼と弱点を共有しているから、というのは違いますよねやっぱり」

「そうね。それは順序が逆だもの」

 

 吸血鬼の弱点は数多い。太陽や流水の他にも、いぶした豆やらヒイラギの小枝やらと鬼が持つ弱点も抱えているのだ。

 それをレミリアは順序が逆であると述べた。つまり『吸血鬼』となったがゆえに、そういう弱点も付随してしまったということだろう。

 名前に引きづられるということ。肉体よりも精神に存在を依存している妖怪たちにはよくある話だ。

 ならば鬼とは何か。角などといった身体的特徴ではないのだろう。事実レミリアには角など生えていない。

 

「うーん」

「そう難しく考える必要はないわよ。往々にして真実って単純なものだから。つまり鬼、っていうのはね――チカラの象徴よ。あなたも鬼と聞けば強い存在を想像するでしょう?」

 

 現在、幻想郷に鬼の存在は確認されていない。平和で退屈な幻想郷に飽きた彼らは、新天地に旅立ったのだといわれている。

 だがそれでも。それでも鬼の強大さを耳にしたことのない者などいない。

 大地を砕くかの豪腕。鋼すら超える硬さを持つ肉体。そう、鬼とは力という概念を凝縮したような存在なのだ。

 

「……そうですね」

 

 ましてや文は天狗だ。今でこそ妖怪の山を統べる種族は天狗だが、かつてさらにその上にあった種族こそが鬼であった。

 それなりに古参の天狗である文は、当然鬼という存在が強く記憶に刻まれている。今更鬼の強さを語られるなど、釈迦に説法もいいところだろう。

 

「ならば吸血鬼とは――血を吸って、莫大なチカラを得る存在。そう言えるんじゃない?」

「ということは」

「そう、そいつに血を飲ませて妖力が活性化するかどうかを見れば一発でしょう、ってあー」

「その当人が帰っちゃったんですよねー」

 

 だからこそ、文はレミリアに会いに来たのだ。

 当人がいるならばこんな回りくどいまねなどしていない。

 

「でもまあ、そいつ全然チカラ感じなかったのよね? もし本当に吸血鬼だったら相当おかしなヤツだわ」

「確かに。だからこそあんな格好してたのに結びつかなかったわけですしね」

 

 何せ妖怪という種族はあまり見た目に拘らない。

 存在の構成を大部分を精神が占めている以上、当然ともいえるのだが。

 

「あんな格好って、そんなにそのまんまだったの?」

「そうですね、文献で見るような吸血鬼のイメージまんまでしたよ」

「ふーん。今時珍しいわね」

 

 基本的に世間一般に語られる妖怪の姿のイメージとは、遥か古に人が語った姿そのままであることが多い。

 昨今では人間たちの服飾の多様化が進んできたこともあって、妖怪たちの中でも衣装の多様化が進んでいる。

 それでも文たち天狗は比較的人間のイメージに近しい格好を維持しているのだが、ヴァルバトーゼのそれはその次元を遥かに超越していた。

 まさしくそのままなのだ。まるで――

 

「はは、まさか」

「どうしたの?」

「いえ、なんでもありません」

 

 思わず脳裏を過ぎった発想を、文は振り払った。

 まさしく、彼こそが吸血のモデルだったなどと。そんなことがあるわけないのに。

 

「まあ何にしても見てみたかったわね、そいつ」

「いずれまた来ると言っていましたから、大人しくその日を待つことにしましょう」

「……そうね。その時はここに連れてきなさい」

「はい。ではそろそろ――」

 

 話を切り上げた文は、腰を上げる。

 ノックの音が響いたのは、そんな時だった。

 

「入りなさい」

 

 レミリアの許しを得て部屋に現れたのは咲夜。

 

「お話中失礼します」

「いいわ、丁度終わったところだったし」

 

 もし問題があるとするならば、タイミングが完璧すぎて文が所在無さげに腰を浮かせたままでいることだろう。

 しかし主従の二人はそんな文が視界に入っていないらしい。何事もないように会話を続ける。

 

「それで? 何かあったの?」

「珍しく門番が仕事しているようなので、一応ご報告に」

「あら、本当に珍しいわね」

 

 これには文も目を丸くした。

 門番が仕事をしている、というのはつまり紅魔館への侵入を試みた存在に美鈴が応戦しているという意味だろう。

 しかしこれには首を傾げざるをえない。

 この幻想郷に、よりにもよって吸血鬼の居城を襲撃する輩などいるだろうか。幻想郷に詳しい文をして、心当たりが全くない。

 

「ふん、面白そうね。見物に行くわ。文もくるかしら?」

「……そうですね、ご一緒させていただきます」

 

 咲夜曰く、紅魔館の真正面で闘り合っているらしい。

 ということでその場所を一望できる、正面玄関真上のテラスへと彼女たちは足を運んだ。

 そこで彼女たちは、予想外の光景を目にすることとなった。

 

「ねえ文?」

「あー……もしかして、もしかするかもしれません」

 

 侵入者と美鈴が戦闘しているのは、庭を挟んだ門の外。

 距離にして二百間といったところだろうか。常人ならば影を見るのがやっとだろうその距離、しかし人ならざる彼女たちならその姿すらも克明に捉えることができるだろう。

 無論、止まっているのであればの話だが。

 美鈴と侵入者は両者ともに近接戦闘を得手としているようで、常に動き回っている。こうなると鮮明に姿形と捉えることは難しい。

 それでも拳を揮う美鈴に対して、黒衣の男が剣を煌かせている程度のことは確認できた。

 明言を避けた文だが、内心では確信していた。アレだと。

 そして今。体を入れ替えた二人が動きを止めたことで、文の瞳は彼の姿をくっきりと映した。

 

「うわ。まんま」

「やっぱ幻覚とかじゃないですよね」

「じゃああれが?」

「ええ、あれです」

 

 どうみてもヴァルバトーゼだった。

 帰ったのではなかったのだろうか。というかそもそも何で紅魔館で美鈴と闘ってるのか。つっこみどころ満載の光景に、文の理解が追いつかない。

 頬をひくつかせて立ち尽くす文に対し、レミリアの行動は迅速だった。隣で日傘をさしている咲夜へと告げる。

 

「咲夜」

「はい」

「アレを止めて、あの男を私の部屋に連れてきなさい」

「かしこまりました」

 

 傘をその場にとどめたままで、咲夜の姿がかき消える。

 

「ほら、文もいつまでもぼけーっとしてないで私の部屋に戻るわよ。あなたも興味あるんでしょう? 同席させてあげるわ」

 

 そう言い放ち、レミリアは館の中へと戻っていった。

 その言葉で我に返った文は、慌ててレミリアを追いかける。

 そしてその場に残された日傘は、まるで己の役目が終わった事を察したかのようにその場へと落ちた。 

 

 レミリアの部屋で待つことしばし、ついにそれは訪れた。

 ノックに遅れて扉が開く。姿を見せたのは文の記憶と寸分変わらぬ異郷の妖怪――ヴァルバトーゼだった。

 文は開きそうになる口をどうにかこらえる。応ずるべきは己ではないと、流石の彼女も分を弁えた。

 

「ようこそ紅魔館へ。歓迎するわ」

 

 その言葉に、ヴァルバトーゼは怪訝そうに目を細める。

 

「歓迎自体はありがたいのだが、いまいち状況が掴めぬ。互いに面識などないと思っていたのだがな。事実、俺はキサマに見覚えなどない」

 

 ふとそこで、ヴァルバトーゼは何かに気づいたように視線を動かした。

 

「文ではないか。……成る程、客人とはお前のことか」

「どうも、ヴァルバトーゼさん。昨日帰ったはずなのでは?」

「ああ、それがな――」

「そこまでよ」

 

 割り込んだのはレミリア。

 じろりと文を睨んで、冷たく警告する。

 

「主人を差し置いて会話を弾ませるのは感心しないわね。そもそも許可したのは同席することだけよ」

「う。……すみません」

「わかればいいわ。さて――」

 

 そういいながら、レミリアはヴァルバトーゼへと向き直る。

 紅の瞳が紅の瞳を映し、よりその色を深くすた。

 

「自己紹介がまだだったわね」

 

 レミリアはフリルスカートの裾をつまみ上げ、うやうやしく頭を下げる。

 

「私はレミリア・スカーレット。ここ、紅魔館の主で――吸血鬼よ」

「我が名はヴァルバトーゼ。魔界のプリニー教育係で――吸血鬼だ」

 

 その名乗りに、ヴァルバトーゼはマントを鳴らして力強く応じた。

 彼の言葉に、レミリアは小さく鼻を鳴らす。

 

「文から聞いた話は本当だったみたいね。でも――」

 

 一歩。一歩。また一歩。

 レミリアはヴァルバトーゼに迫りながら、酷薄に笑う。

 そして触れ合えそうな距離まで近づいたレミリアは、見上げるようにヴァルバトーゼを紅く射抜いた。まるで、彼の深淵を覗かんとするように。

 

「ほんと、全然妖力を感じないわね。あなた本当に吸血鬼っ……!?」

 

 だがそこで、レミリアはびくりと体を震わせた。

 あっという間に渋面に変わった彼女は、口元を押さえて後ずさる。

 

「アンタ、何持ってんの」

「む?」

 

 刺々しく詰問するレミリアに、しかしヴァルバトーゼは心当たりがないようだった。不思議そうにレミリアを見つめている。

 しかし数秒後。ぽんと拳を叩いたヴァルバトーゼは、懐から何やら取り出した。

 

「もしやこれのことか」

 

 彼が手に持っているのは何やら魚の頭のようだった。幻想郷では見ない種類だ。

 だが吸血鬼が嫌がる魚の頭など、一つしか存在しない。

 よく柊の小枝とセットで使われる鬼避けの道具――イワシの頭。

 それを見たレミリアはますます顔をしかめて、咲夜へと命じる。

 

「咲夜、捨ててきなさい」

「む」

 

 ヴァルバトーゼが違和感に唸ると、既に彼の手からはイワシの頭が消えていた。いや、奪われたというべきか。

 いつの間にか咲夜がヴァルバトーゼの目の前に現れている。イワシの頭は、彼女の手の中に移っていた。

 

「申し訳ありませんが、お嬢様が嫌がっておりますのでこちらで処分させていただきます」

 

 そう告げた咲夜は、そのまま姿を消した。

 原理が掴めないのだろう。ヴァルバトーゼは咲夜が消えた場所を訝しげに眺めていた。

 

「はあ……、何であなたイワシの頭なんか持っているのよ。私への嫌がらせかしら?」

 

 呆れたような声色から一転、レミリアは凍えるような声でヴァルバトーゼへの詰問を行う。

 だがその態度も已む無しと言えるだろう。訪問を歓迎したというのに、その相手は己の弱点を抱えていたのだから。

 ヴァルバトーゼの答え次第では、一気に敵対関係にもなりかねない。

 若干はらはらした様子で推移を見守る文をよそに、あっけからんとヴァルバトーゼは答えを述べた。

 

「いや、イワシの頭には魔除けの効果があると以前聞いてな。その効果を実感すべくほぼ常に携帯していたのだが……」

 

 そこで言葉を区切ったヴァルバトーゼは、何故か大げさに両手を広げると感激したように天を仰いだ。 

 

「――まさか本当に効果があるとはッ! 流石はイワシッ! その素晴らしさは留まることを知らないッ!」

「…………」

 

 突如始まったイワシに対する美辞麗句で、一気に場の空気が弛緩した。

 何かを求めるように文はレミリアの方へと顔を向ける。するとレミリアも同じ心境なのか文を見ていた。そのまま数秒、視線を交わす。

 すると奇妙な同調感を得たのか、二人揃って肩を落とした。そのまま半眼でヴァルバトーゼを睨む。

 そんな視線に気づいたのだろう。ようやく我を取り戻したヴァルバトーゼは己の不徳を詫びた。

 

「む。ついついイワシへの感動に耽ってしまった。何にせよ、よもやイワシが苦手などという存在がいるなどとは思わなくてな。知らなかったとはいえ、悪い事をした。すまん。今後ここへの持ち込みはしないと約束しよう」

「……はあ。もういいわ。今回は不問にしてあげる」

 

 呆れ半分、苦笑半分といった風でレミリアは謝罪を受け入れた。

 その陰で、文は小さく胸を撫で下ろす。一波乱こそあったものの、どうにか友好的な関係を維持できたといったところだろうか。

 

「で、さっきも文が聞いていたけど何であなたが幻想郷(こっち)にいるのかしら?」

 

 中々に長い前置きとなってしまったが、ようやくレミリアが本題へと切り込んだ。

 これは文も気になるところである。昨日のヴァルバトーゼの言葉が本当ならば、彼は元の世界に帰っているはずなのだから。

 あるいは帰ってから再び訪れた、という話なのだろうか。だが昨日の今日である。仮にそれがありえたとしても、紅魔館に乗り込んでくる理由が掴めない。

 

「ああ、それはな――」

 

 二人の疑問を一身に受け、ヴァルバトーゼは口を開いた。

 幻想郷の外へ出てから、今に至るその過程を。


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