「おやおやおや、随分な態度ですね。折角私のほうから来てさしあげたというのに」
文と呼ばれた少女は、口元にうちわを当てると不満げに眉を寄せる。
それが椛の神経を逆撫でたのか、声を荒げて反論した。
「誰が、貴方なんかを!」
「あやややや。それは失礼しました。私の早とちりだったようですね。……ではどうぞ幻想郷の事情に詳しいというお方へ話を通しに行って差し上げて下さい」
「……っ!」
苦虫を噛んだような表情とはこのことか。
言葉に詰まった椛をみて、ヴァルバトーゼはそんな感想を抱いていた。
加えて文はどうやらおおよその流れを知っているらしい。あるいは最初から覗き見ていたのか。
「どうしたんです? いかないんですか?」
右手を掲げてどうぞと告げる文の顔に浮かんでいるのは明らかな冷笑。
椛は強く強く拳を握り締めながらも、どうにか激情を孕ませないように言葉を搾り出す。
「……貴方に、頼みがあります」
「声が小さいですねー、よく聞こえませんよ? ……あはは、そんな怖い顔しないでくださいよ冗談ですって。で、頼みとはなんですか?」
「この方の話を聞いて、できれば協力してあげて下さい」
「おや! それは奇遇ですねー。私、実はそのつもりでここにきたんですよ」
さも驚きましたというように、文は目を丸くして両手を叩いた。
対する椛の表情は厳しい。鋭く煌くその眼光は、限度があると告げている。
そんな椛に、文は肩をすくめて苦笑を見せた。
「まあ、面白いものも見れましたしね。見物料代わりと思えば安いものです。その頼み、聞き入れましょう」
「……お願いします」
最後まで表情を崩さなかった椛は、小さく頭を下げて踵を返す。
「では、事の報告しなくてはなりませんので失礼します」
一瞬たりとも長くこの場に留まりたくはない。そんな感情を隠しもせずに飛び上がった椛は、しかしふとヴァルバトーゼの方へと振り返った。
「ヴァルバトーゼさん、でしたか」
「ああ」
「先の一戦、楽しかったです。ありがとうございました」
「……礼を言うのは俺の方だな。この借りはいつか必ず返そう」
一見対等な勝負の末ゆえに貸し借りなしと思えるが、そもそも先の条件は椛にとってメリットが存在していなかった。戦いたいというのであれば、侵入者を撃退するという名目で襲い掛かればいいのだから。
だというのに彼女は見て分かる通りの、己が望まぬ条件を敗北に定めて勝負を始めた。
あるいは己が負けるはずがないと思っていたのかもしれないが、それでも約束を守ったことは事実である。
なればこそ、ヴァルバトーゼは助けてもらったという自覚があった。
「そうですか、では期待しておきましょう」
そう言い置いた椛は、今度こそ山の上へと消えていった。
それを見送り、視線を文へと移す。彼女はなぜか頬を引きつらせていた。
「あー、その。えーと……もしかしなくても、私の第一印象って最悪ですか?」
意外なことに、先程のやりとりが悪印象であったという自覚はあったらしい。
ヴァルバトーゼはため息を吐いた。
「……お世辞にも印象がよかったなどと言えぬ。だが別段キサマが悪いなどと思っているわけではない。今のやりとりでどちらが悪いかを決められるほど、俺はキサマら二人を――ましてやキサマについては何も知らぬのだからな」
「そう言って頂けると助かります。どうも彼女とは相性が悪くてですね。わかってはいるんですけど、つい」
めんぼくない、と頬をかく文。
ヴァルバトーゼとしても尾を引かれては困るので、すっぱりと話を切り替えた。
「まあそれはいい。それよりもそろそろ本題に入りたいのだが」
「おっと、そういうお話でしたね。ですがその前に一つ、やらなくてはならないことがあります」
「む。なんだ?」
ヴァルバトーゼが疑問に首をかしげた。
すると文は得意げな顔で答えを述べる。
「自己紹介です。お互い既に名前を知っているとはいえ、直接名乗ってはいませんしね。円滑に話を進めるためにもここは一つやっておくべきかと」
「なるほど。確かに。では俺から名乗ろう――俺の名はヴァルバトーゼ。魔界のプリニー教育係だ」
「おや、魔界から来られたんですか」
「ほう、知っているのか」
「それはもちろん有名ですからね。プリニー教育係というのはいまいちわかりませんけど」
やはり、という感情がヴァルバトーゼの心中を覆った。
魔界の存在を知っていると答えたときこそ存外楽に話が進むとは思ったが、どうやらそうはいかないらしい。
表情にも若干の落胆がでていたのか、文がこちらの様子を伺っている。
「どうしました?」
「いや……何でもない。次はキサマの番だぞ」
「そうですか。では――」
そう言うと文は懐へと手を伸ばす。
そして何やら一つの小さな紙束を取り出した。
「わたくし、幻想郷不定期発行『
そういいながら文はそのうちの一枚をヴァルバトーゼへと差し出した。手の平大のそれをよく見ると、そこには今彼女が語った新聞の名前に自分の名前、あとはキャッチフレーズなどが印刷されている。どうやら名刺のようだ。
これによると文々。新聞とは幻想郷で最速の情報紙らしい。また名前の部分が『清く正しい 射命丸 文』となっており、何というか非常にうさんくさい。
具体的に言うと三流ゴシップのような。もちろんヴァルバトーゼとてそんなことは口に出さないが。
「そこでですね、是非貴方から伺ったお話を記事にしたいのですが構わないでしょうか」
「……まあ、構わんが。ただし誤字は許さん。その場合は直訴を覚悟しておくのだな」
事実、過去にヴァルバトーゼは『プソニー』という誤字に対して情報局に直談判を行ったことがある。
まああれはどちらかといえば正確さを司る政腐直轄の情報局発行だったからという面があるのだが。
「あのー、普通は捏造とか出鱈目を記事にした場合に文句を言うのでは……」
「ほう? キサマは事実無根の記事を書くというのか?」
「そんなことはありません! 文々。新聞は――」
「ならよいではないか。何の問題もあるまい」
あっさり信じた様子を見せるヴァルバトーゼに文は毒気を抜かれたように口を開けた。
一拍おいて彼女は呆れたように笑う。
「貴方、変わってるってよく言われませんか?」
「うむ。よくわかったな。……ところでいい加減話を戻したいのだが」
「あやや、それは失礼しました。ええと先ほどこっそり話を聞いていたところによると、何やら幻想郷へ迷い込んでしまったということですが」
「そうだ。俺は自室へ転移したつもりだったのだがな、気づいたらここにいたというわけだ」
未だに原因はわかっていない。むしろここまでの流れで余計に混乱が増したとも言える。
実のところヴァルバトーゼは何らかの作為的な干渉ではないかと疑っていた。しかしそれならばいい加減そろそろ何かアクションがあってもいいはずなのだが。
「それで、どうにか魔界へ帰りたいということでしょうか」
「そういうことだ。何らかの結界に邪魔をされているようでな、ここから出れぬ」
その言葉に文は少しだけ思案する様子を見せると、思い当たる節があるのか表情を変える。
「おそらく、それは博霊大結界でしょう」
「博霊大結界だと?」
「はい。詳しく説明しますと――」
ここ、幻想郷はかつて人間界――地球の一地域、その辺境であったという。
「…………」
「どうしました? 小骨が喉に刺さったような顔をして」
「いや、なんでもない。続けてくれ」
しかし人間が勢力を増すにつれ、徐々に勢力を失っていく妖怪を案じて一人の妖怪が五百年ほど前、幻想郷にある境界を引いた。
その効果は外部から勢力が弱まった妖怪を自動的に内側へ引き込むものであったという。
「それが博霊大結界というものか?」
「いえ、違います」
その境界により妖怪が集中したため、しばらくは妖怪の存在も安定していた。
だがそれから数百年、急激な科学の発展により人間たちは加速度的に妖怪の存在そのものを否定していく。これは妖怪たちにおいて見逃せず、かつ致命的な事態であった。何故ならば『妖怪』という存在は、人に畏れられることで在るモノゆえに。
この窮地において、ある妖怪が一つの案を出した。『もはやこの世界には妖怪の居場所がない。ならば妖怪が在れるような世界を作ればいい』と。
しかし世界創生は、人に依って生きている妖怪程度にできることではない。そこで世界の一部を間借りすればいいと発想を変えた。論理的な結界で外部と隔絶することでその内部を擬似的に世界として完結させたのだという。
あとは再現をするだけでいい。人と妖怪が生きていけるような世界を。無論容易いことではなかったらしいが、結果としてその目論見は成功する。それがここ、幻想郷という一つの世界。
そして、その中核とも言える論理結界。
「それが博霊大結界です。私は結界術には詳しくないので具体的にどういった結界かを説明することはできません。しかし物理的魔力的な結界ではなく、内外の常識を入れ替えるものだとは聞き及んでいます」
「成る程。それが俺の転移を阻んだ、というわけか」
「……と、最初は私も思ったんですけど」
「何?」
「話してる途中で思い出したのですが、この結界はあくまでもう一つの人間界として独立させるものなんですよ。ですから他の世界――つまり天界や魔界、冥界の行き来は博霊大結界の影響を受けないはずなんですよね。冥界のように別の結界が張られていることもありますが、魔界との間にはなかったはずなんですけど」
文の言うことが全て正しいのならば、ヴァルバトーゼの転移が失敗するはずはない。
ならばこの論理のどこかに矛盾が存在しているということになる。そしてその矛盾に、ヴァルバトーゼは一つの心当たりがあった。
当初は小さな疑念でしかなかったそれは、既に確信へと変わっている。
「……恐らくキサマは一つ思い違いをしている」
「はい?」
「結論から言えば俺の言う魔界とキサマの言う魔界は違うものだ」
「……はあ? 何を仰っているんですか?」
露骨に胡乱な者を見るような眼差しを文が向ける。
それでもヴァルバトーゼは動じずに、己の確信を語った。
「キサマは五百年ほど前、妖怪の勢力が弱体化し一人の妖怪が世界中からそういった妖怪を集める境界を引いたといったな」
「ええ、そうですけど」
そんなはずがない。そんなことがあったはずはない。
五百年前に、妖怪が弱体するなど――
「俺は四百年ほど前まで人間界で活動していた。キサマの語る地球が俺の知っている地球と同一のものであるならば五百年前に妖怪が人間に押されて弱体化していたなどということは断じてありえん」
五百年前となれば、暴君ヴァルバトーゼの全盛期である。
恐怖を統べる闇の使者であった彼が精力的に活動していた時期である以上、そんな事態は起こりえるはずがなく事実として起こらなかった。
そもそも彼だけではない。死神王ハゴスも、その他の悪魔たちも今とは比較にならないほど活動的で強大なチカラを持っていた。
間違いなく人間は、かの時代において恐怖で戒められていたのだ。同じ
そうなったとするならば間違いなくここ二、三百年のことであるはずなのだ。
「……いまいち貴方が何が仰りたいのか理解できません。つまりどういうことですか?」
二つの異なる『魔界』と『人間界』が存在する。
それがありえることだと断じる理論が、ヴァルバトーゼの世界には存在していた。
「簡単だ。俺のいた世界とキサマのいる
「――はっ? え、ええ? ええええええええ!?」
最初の疑問は『妖精』の存在。
ヴァルバトーゼはそれを知らなかった。悠久の時を生きていた彼が知らない種族など、ほぼ存在しえないはずだというのに。
あるいは極めて珍しい種族ならばありえた。しかしそこら中で存在を見せる妖精たちは、そうでないことを明確に否定している。
ゆえにここは彼の知る場所ではない可能性が非常に高いと考えていた。事実チルノがこの場所を『幻想郷』と告げたときに納得したのだから。
だが文が語るにはここはもともと『地球』――彼の知る人間界と同じ名前、その辺境だったという。加えて魔界との行き来が可能であるとも。さらに五百年前には妖怪の危機があったという。
そんなものは何一つとしてヴァルバトーゼにとって覚えがない。妖精を知らない可能性はあった。幻想郷を知らない可能性もあった。それでも、世界中の妖怪の危機が五百年前にあったとなれば確実に知っていたはずなのだ。
ならば答えは一つしかない。ここは似て非なる世界であると。
異次元。異世界。そういった常識が、彼の世界には存在している。
例えば数々の魔界を渡り歩いてきたという自称ダークヒーロー。別魔界の覇者を名乗る魔王や魔神。そういった手合いをヴァルバトーゼは今まで見てきているのだから。
しかし目の前で必死にヴァルバトーゼの言葉を咀嚼している文から考えるに、この世界では全くの新しい概念あるいは殆ど浸透していない概念なのだろう。
だがだからこそ新たに一つの疑念、そして懸念がヴァルバトーゼに生じていた。しかしここで論じても意味がないどころか、ますます文を混乱させる可能性もある。そう考えたヴァルバトーゼは一度その思考を凍結させた。
「信じ難いか」
「……ええ、正直全力で疑っています。突拍子のないなんてレベルの話じゃないですし」
仕方のないことだろう。既存概念の破壊は、例え物証を伴っていたとしても否定されることが多い。
「だから信じなくて構わん」
「はあ」
ゆえにヴァルバトーゼはあっさりと文の疑念を受け入れた。
肩透かしを食らったように生返事をする文だが、彼女は一つ勘違いをしている。
話の本質は、ヴァルバトーゼが異世界の住人であるか否かではないのだ。
「よく考えてみるがいい。今俺たちは何について話している」
「……貴方が、どうすれば帰ることができるか」
「そうだ。大事なことは『幻想郷からでは転移ができない』という事実だ」
ここにヴァルバトーゼが言ったような別世界の存在の是非は関係ない。
文を混乱させてまでもこの話題を切り出したの派、話が魔界への行き方にすり替わりそうだったからである。
「つまり必要な情報は『幻想郷からの出方』、というわけですか」
もちろん幻想郷を出る手段として魔界へ行くというのが、最も適切な手段であるならばそれでも構わないのだが。
ともあれここが作為的に閉じられた世界であるということがわかっただけでも大きな収穫だった。断言こそできないが転移ができないのもやはりそれが関係しているのだろう。
「その通りだ。何か知っているか?」
「うーん。……あ」
文は何か思いついたかのよう声を漏らす。
「心当たりがあるのか」
ヴァルバトーゼの確認に、文は小さく笑みを浮かべて胸を叩いた。
「ええ。私にお任せ下さい」