それから。
長い長い満月の夜が終わって。
太陽が今か今かと顔を出すのを待っている頃。
ヴァルバトーゼは一人、湖の畔に立っていた。
彼は帰る前に、一つだけ果たしておかねばならぬ約束がある。
そのために、彼は視線を湖上へと彷徨わせた。
「…………フ」
見つけた。
氷を浮かべて、その上で彼女は寝息を立てている。
だからヴァルバトーゼはいつかのように水面を歩いて、彼女に近づいた。
「起きろ、チルノ」
「んー……うー、うー……う?」
眠たげに目尻をこすって、チルノは身体を起こす。
そして数秒間、ヴァルバトーゼの方をじっと見つめると――飛び上がった。
「う、わわ!? 敵か! ついにあたいを始末しようとするいんぼーが! ……って、あれ。ヴァルバトーゼ?」
「うむ。よくわかったな」
こうなってからは、一見でそうとわかる相手は少なかったのだが。
幼子のほうが相手の本質を見抜きやすい、ということなのだろう。とはいえ彼女の年齢が人間のそれと同じはずもないが。
「ふふん。そんなんであたいをだまそうなんて百万年早い!」
「フ、そうか。それは失礼したな」
「……でもヴァルバトーゼ、今日はずいぶん早いね。なんかいつもと違うし」
「うむ。まあ色々合ってな」
チカラを取り戻したこと。故郷へ帰ることができるようになったこと。
それはつまり、チルノとのスペルカード戦が出来なくなることと同じ意味を持つ。
それを口にすることは簡単だが、彼は言葉にしなかった。
話してしまえば彼女はヴァルバトーゼに気遣って敗北を選択するかもしれない。あるいは翌日以降のスペルカード戦の約束をしないかもしれない。
だから今はまだ、語らない。
己が勝利したその時のみ、彼はこのことを話して帰るのだと決めていた。
「ふーん。ま、いっか。じゃあ勝負だ!」
「フ。今日の俺は、一味違うぞ。そろそろ勝たせてもらおうか!」
こうして。
「ふふん。勝てるものなら勝ってみな! このチルノから! さいきょーの座を! 奪ってみせろっ!」
「よかろう! ならば活目して見よ! このヴァルバトーゼの弾幕をッ!」
ヴァルバトーゼの、幻想郷最後の闘いが幕を開けた。
第百二十季 皐月の四
文々。新聞
星月覆う鉄の箱舟
○月○日、突如空に現れた巨大な箱舟が幻想郷の月夜に暗い影を落としたのは、本記事を読んでいる方々もご存知のことだろう。
この奇怪な異変には、巫女だけではなく多くの妖怪(妖獣、魔法使い、幽霊――さらには名高い妖怪に吸血鬼、鬼までも)も動いた。本紙もまた真実究明のためにその場へと向かったのだが、そこには驚くべき光景が存在したのである。
その場にいたのは、魚の頭を模した珍妙な被り物をした、艦長と自称するたった一人の男(妖怪)であった。そしてその艦長に、その場に現れた全ての妖怪が敗北していたのである(それも純粋な力比べで)。
となれば彼は恐るべき強さの妖怪であり、目的如何では幻想郷の危機すら考えられるものであった。
無論まだ異変解決の専門家である博麗の巫女は敗北してはいなかったが、外部の妖怪相手にはスペルカードルールでの決着を望めないため、事態が容易に終結するとは思えなかった。
しかしそこで思わぬ方向に事態が進展する。巫女の姿を認めた艦長は、なんとスペルカードルールでの勝負を提案したのだ。
結果は空を見れば分かる通り、巫女の勝利で幕を閉じた(ちなみに完封であった)。
そして敗北した艦長は、被り物を脱ぐと改めて名乗ったのである。
魔界のプリニー教育係、ヴァルバトーゼと――。
これにて幻想郷戦記ヴァルバトーゼは完結となります。
ここまでお読み下さった貴方に感謝を。
もし楽しんで頂けたのでしたら幸いです。ありがとうございました。