Stage1 満月の夜に
幻想郷におけるヴァルバトーゼの一日の行動は、さして多岐にわたるものではない。
まずは、もはや日課となったチルノとのスペルカード戦。
未だに勝ち星を拾えてないゆえに、敗北の条件である翌日の再戦を律儀に果たし続けている。
続いて幻想郷の徘徊。
とはいえ『帰るための手がかり』などという具体性のかけらもないそれが、早々見つかるはずもない。
特に萃香や霊夢と闘ってからのここ数日間ではめぼしい情報を手に入れることができなかった。
そして最後、それ以外の時間は紅魔館にいることが多い。
レミリアのティータイムに付き合ったり、美鈴との組み手をすることもあるが、おおよそは地下の大図書館にいることが多い。
魔導書のみならず多種多様な書物を内包しているこの場所は、最も何らかの情報が手に入る可能性が高いからだ。
とはいえやはり遮二無二探したところで、そう簡単に有力な情報が見つかるはずもない。
そこでヴァルバトーゼは調べる情報を限定することにした。
彼が目をつけたのはこの世界にしか存在しないモノ。すなわち『能力』についてであった。
それに関する情報文献は割と多く、中にはヴァルバトーゼの想像を大きく超える能力もいくつか存在した。
例えば『妖怪の賢者』八雲紫が持つ『境界を操る程度の能力』であったり、『冥界の亡霊』西行寺幽々子が持つ『死を操る程度の能力』など。
特に前者は運用次第ではヴァルバトーゼの帰還を実現しうるものに思える。
とはいえ、紫がそれについて今まで言及してこなかった以上はおそらく彼女の能力で帰還を実現させることはできないのだろう。そう思いつつもヴァルバトーゼは毎日のイワシ支給の際に、紫に尋ねてみた。
しかしやはりというべきか、それは無理だと断言される。
仮に空間の境界を弄ってかの世界と繋げるにしたところで、指標が存在しない以上は全く関係ない世界と繋がる危険性もあるために試すこともしたくはないと。
ならば転移魔法の成功に必要な魔力の確保、そういった方面での境界操作は使えないのかと問いかけると、自他ともに生物への干渉はほぼできないと断られた。
それでも彼の魔界には存在しない、多様性に富んだ『能力』の存在はそれなりに希望を感じさせるものではあったのだが――
「……ううむ」
ヴァルバトーゼは悩ましげな唸り声を上げつつ、幻想郷で確認されている能力を纏めたという本を閉じた。
当然、帰還の助けになりそうな能力は見つかっていない。
この数日間でヴァルバトーゼが把握できたことは、自身が持っているツテが想像以上に優秀だったことぐらいである。
平時ならば喜ぶべきことであっても、この状況下ではそうはいかない。
それでもなお帰る手段が見つからないということは、ここ幻想郷でそれが見つかる可能性はほぼ零に等しいということであるからだ。
しかしそれならそれでやりようはある。一見手詰まりに思えるこの状況下だが、ヴァルバトーゼは一筋の光明を見出していた。
単純な答え。幻想郷ではダメだというのなら、別の場所へ行けばいい。
彼の世界ですら天界、人間界、魔界の三界構成だったのだ。
それがこちらの世界となると、前述の三界に加えて冥界や地底界など数が多い。そしてその数だけ可能性が存在するということだ。
さらに何やら天界が『欲を捨てた人間の到達点』であったり、魔界に地獄が存在しなかったりと異なる点がいくつか見受けられる。これは単純に興味深い。
しかも魔界は『魔法の効果を高める瘴気』の存在があるらしく――もし幻想郷を離れて手がかりを探すとなればここを目指すのが一番いいように思えた。
もしもう一度幻想郷を回ってみて何一つ手がかりが得られなければ、こちらの魔界に行く手段を講じるとしよう。
そう結論付けたヴァルバトーゼは、読んだ本を片付けると図書館を出た。
どこを回るかと頭の中に幻想郷の地図を浮かべて廊下を歩いていたヴァルバトーゼだったが、前方に人影を認めて思考を切る。
彼の前に立っているのは、幼い少女。
金髪紅眼、紅魔館に住む吸血鬼の片割れ。
「――久しぶりね、お兄さん」
「フン……昨日会ったはずだがな――フランドールよ」
「あれ、そうだったっけ?」
最後に会話――まともな、と言えるかどうかは怪しいが――をしたあの日以来、この二人が顔を合わせることは何度かあった。
しかしヴァルバトーゼはもとよりフランドールにも話すことはなかったらしく、昨日までは視線を交錯させる以上のことはなかったのだが。
何やら今日の彼女は妙に機嫌が良さそうに見える。悩みが吹き飛んだときに見せるような、晴れやかな表情を浮かべているのだ。
「ちょっとお願いがあるんだけど、着いてきて?」
フランドールは一方的に要求を告げると、こちらの同意を得ることなく背を向けて歩き出した。
遠ざかる彼女を見つめるヴァルバトーゼは迷うような素振りを見せたが、嘆息して追随する。
短い付き合いながらも、彼女はこちらの都合を構うような相手でないことぐらいは把握していたからだ。
しばし紅魔館の地下を歩いたフランドールは、ある扉の前でその足を止めた。
「ここだよ」
フランドールは簡潔に一言だけ話すと、そのまま部屋の中へと入っていく。
ヴァルバトーゼもそれに従い、彼女に続いて部屋へ足を踏み入れた。
「ここは……」
広大な無。
ヴァルバトーゼがその部屋に感じた印象は、そういったものであった。
調度品とかそういう次元ではないほどに、その部屋には何もない。ただた無骨な石造りの床と壁が延々と続いているだけであった。
加えて一見した限りでは、端から端まで見渡せないほどに広い。それは面積だけではなく、高さも――
そこで彼は視線を上げて、その事実に気づいた。
「空、だと?」
あるはずの天井がない。そこには、満天の星空と真円を描く月が存在した。
だが彼の記憶が正しければ、ここは間違いなく紅魔館地下の一室であるはずだ。
さらに言えば、紅魔館には吹き抜けになっている場所など存在していないはずである。
「私もよく知らないんだけどね? パチュリーがうまく『繋げて』いるらしいの。月の光を浴びるためだったり、臨場感を出すためとか」
「臨場感……」
大きく空間を取り、無駄を極限まで削ぎ取った一室。
用途など、さしてあるはずもない。
「そうか、この部屋は――」
「そう、ここは紅魔館の遊戯場だよ」
暴れてもいいように。
壊してもいいように。
紅魔館における遊戯場とは、そういう場所であるとフランドールは語った。
ならばここへヴァルバトーゼを連れてきた彼女の狙いなど、考えるまでもない。
それでも、彼はあえて問うた。
「……一応聞こう。キサマのお願いとやらは何だ」
「ええとね。ちょっと、壊れてほしいの」
「…………」
確かにそれはヴァルバトーゼの予想と合致している。
先日の一幕を思い出しても、フランドールが彼に抱いている関心などその程度しかないのだから。
だからこそ、解せない。
「何故だ」
「え?」
「何がキサマをそこまで駆り立てている――いや、どうしてそこまで俺を壊したい」
よもやレミリアが『許可』を出したわけではないだろう。
ならばこれはフランドールの独断ということになる。
その理由がただ壊したいから、では納得がいかない。
何故なら彼女はこれまでそういったことがなかったはずだから。
そうであるというならば、既に美鈴が幾度となく壊されているだろう。
「最近、お姉様が厳しいの」
「……何?」
「あれはダメ、これもダメ。あなたを安心して外に出せるようにするために――って、まるで昔みたい。やっと、理想の世界になったのに」
部屋の中心で、フランドールはくるくると回りながら歌うように話し続ける。
そして、彼女が話すそれにヴァルバトーゼは大きな心当たりがあった。
「だからね、私考えたの。どうしてこうなったのかなってずーっと悩んで、ようやくわかった」
ぴたりと彼女は動きを止めると、ヴァルバトーゼをその紅い瞳で強く射抜く。
そこには紛れもない、敵意が存在した。
「全部、あなたの所為だって。あなたを壊せば、きっと私の大好きなお姉さまに戻ってくれる。優しい笑顔で、私を甘えさせてくれる――」
その瞬間を想像したのか、うっとりとしたようにフランドール身悶えする。
ただそれは一瞬のことで、すぐに彼女は口元を歪ませて哂った。
「だから、壊れて?」
小さな頼み事を告げるような軽々しさで、フランドールはヴァルバトーゼに死を宣告する。
同時に、彼女から凄絶な魔力が噴き出した。濃密な紅が空間を侵していく。
しかしヴァルバトーゼは特に動じた様子を見せない。
そして少し俯いたその顔からは、たれた前髪が彼の表情を隠していた。
「……一つだけ、問わせろ」
小さい、しかしその声は妙な鮮明さをもって空気を震わせる。
その裏には、一つの感情がちらついていた。
まるでそれは炎のような――
「キサマは、姉と約束しているはずだな。俺を壊さないと。それはどうした」
「あれ、よく知ってるね。でも
「ふざけるなァッ!」
気づけば、ヴァルバトーゼは激情のままに叫んでいた。
許せるはずがない。譲れるはずもない。
それほどまでに致命的な言葉を、フランドールは口にしたのだ。
「何故そうたやすく約束を破ることができるのだ! キサマは姉を愛しているのではないのかッ!」
「そうだよ? だから何? 何であなたはそんなに怒っているの?」
「キサマ――!」
妹の代わりに恨んで欲しいと、かつてレミリアはそう言った。
それは歪んだ考えであるとヴァルバトーゼは指摘したが、それでも彼女の瞳に宿っていた深く強い覚悟を知っている。
その覚悟を、彼女は妹の教育へと向けたのだろう。
例え愛する妹に嫌われても、と――そういう覚悟に。
だというのに、目の前の小娘はなんと言ったのか。
好き勝手させてくれないお姉様は嫌だと。どんなことをしても笑って許してくれる彼女がいいと。
――それは例え、約束『なんか』破ったとしても。
だけどお姉様は愛していると。
断じて、許容できることではない。
「ねえ、もういいかな? そろそろ我慢の限界なの」
「…………ああ。そこだけは、同感だな。いい加減、キサマのその醜悪なザマは我慢ならぬ」
最初は、もし仮にフランドールに襲われるような事態に陥ったとしても、ヴァルバトーゼは離脱するつもりでいた。
レミリア・スカーレットが五百年積み上げてきたそれに、容易く踏み入るつもりはなかったゆえに。
ヴァルバトーゼは悪魔にしては可笑しいが、愛や絆のチカラを認めている。だからそれがスカーレット姉妹の間に存在する以上はいずれ必ず実を成すと確信していた。
だがいかに愛情溢れる教育であったとしても、それが成立しないただ一つの要因が存在する。
価値観の相違。
レミリアは思うが侭に振舞ってはよくないと言い。フランドールはそれを受け入れない。
何故フランドールは愛する姉の言うことを聞かないのか。
そんなもの、考えるまでもない。
やりたいように生きて、姉からの無償の愛を受けて、そのままで在り続けられると思っているからだ。
これは理屈では決して解決しない。その身に刻まれない限りは。
だから、彼は剣を抜く。
ヴァルバトーゼにとって、この闘いは幻想郷を訪れて初めて『負けられない』モノである。
これまで彼は勝負の結果にはさして拘っていなかった。何故ならこれまでの闘いはほぼ全て過程を重視するようなものであったからだ。
もちろん、敗北が致命的な結末に繋がらないという要因が大前提ではあるが。
だが今回は違う。かつて断罪者の企みに挑んだように、退くことは絶対にありえない。
「――来い、小娘」
「あまり簡単に壊れないでね?」
教えなくてはならない。
この世間知らずの小娘に。
世の中はそんなに甘くはないということを。