幻想郷戦記ヴァルバトーゼ   作:ととごん

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Phantasm

 暗くて深い夜の闇。

 長くて高い石段の遥か上空で。

 数多の閃光が交錯した。

 

「……っ!」

 

 そこにあるのは二つの影。

 片や紅白の巫女服に身を包んだ黒髪の少女――博麗霊夢。

 彼女は八方より迫る敵の弾幕を器用にかわしながら敵手へと肉迫していく。

 同時に指で挟んだ術符に霊力を流した。スペル宣言。

 

「『二重結界』ッ!」

 

 顕現した結界は文字通り闇夜を切り裂いた。相手を縦横二つの霊力線が、正方形を描いて取り囲む。

 それは空間すらも断絶する超常の力場。

 傍目には隙間だらけに見えるそれは、絶対的ともいえる堅牢な檻。

 だがこの結界の用途はそれだけではない。

 霊夢は左手で印を組んで、結界へと干渉する。

 

「――縛!」

 

 徐々に結界を狭めて、相手の身動きすらも封じる一手。

 この縛撃で一つ。さらに追撃のスペルで一つ。

 一度結界に捕らえればほぼ確実に二機撃墜できる有用な攻撃。

 それが、尋常な相手ならば。

 

「甘いわね」

「――――!」

 

 たしなめるような声は背後から。

 反射的に前方へ加速し、振り返りながら追撃を確認する。

 だが彼女は相手のいる方に注意を払いすぎた。だから、進行方向へ現れた裂け目に気づけない。

 

「なっ――」

 

 視界の暗転は一瞬。その刹那にてようやく霊夢は転移させられたことを把握した。

 その場所はあろうことか自らの結界の中。己が霊力に縛られて、霊夢は動きを封じられた。

 しかし己の結界であるならば解術はたやすい。

 呼気一つで自身の縛鎖を振り払い、だが間に合わなかった。

 

「『二重黒死蝶』」

 

 霊夢を囲うように赤と青の妖弾が展開される。その数およそ百。

 その僅かな隙間から覗いた敵手の口元が歪んだ。同時に、自身へと殺到する弾幕。

 霊夢は咄嗟に全方位に結界を張った。弾幕との反発で起こった閃光が周囲を瞬かせる。

 どうにか凌ぎきった霊夢。いや、耐えられるように調整されたのだろう。

 何故ならこれは撃墜扱い。そしてもはや既に――

 

「これで四機目。もう後がないわよ、霊夢」

 

 余裕を多分に孕んだ声。その主を霊夢は強く睨んだ。

 ウェーブのかかった金の髪が夜風で揺れる。アメシストと見紛う瞳は冷たく霊夢を見下ろしていた。

 霊夢は彼女を知っている。それどころか三指に入るほど、彼女の生涯で付き合いが長い。

 ――八雲紫。

 博麗の巫女と幻想郷の管理者は、人知れず相対していた。

 

 

 

 

 

 四季。一年を彩る春夏秋冬は、幻想郷においても例外ではない。

 そしてこれらには実質的な区切りは存在しない。暦上は存在するが、年によって気候の変化はまちまちなのだから。

 だから三月を終え、四月を迎えても未だ冬のように寒い――なんてことも百年に一度はあるのだろう。しかしそれが五月に入っても吹き荒ぶ大雪が止まないとなればどうだろうか。しかも、桜の花びらが混じった。

 ここでようやく巫女は現状を異変と認識。身を竦めながらこたつから腰を上げた。

 唯一の手がかりはどこからか流れてくる桜の花びら。彼女はそれを辿るにつれ、高い空の上へとたどり着く。

 そのまま暖気のあるほうへと進み往くうちに、どうやら浮世の境も越えてしまったようで、霊夢は冥界にある大きな屋敷へと辿りついた。

 春を幻想郷から集めていたのは冥界の管理人、西行寺幽々子。ある桜を咲かせるために幻想郷中の春を集めていたのだと彼女は言う。

 曰く――桜の下には何かが封じられているとのこと。私はそれを見てみたい。ああだからもう少し待って。

 そんな幽々子の主張を霊夢はばっさり切り捨てた。封じられているモノには相応の理由がある。ならば不用意に目覚めさせるべからず。

 こうして二者の対立が始まり、霊夢の勝利を以て幕を閉じた。

 

 ここで事が終わればいつもの異変で済んだのだが、何やら一つ問題が発生したらしい。

 それは雪解けが始まって、例年より遅い春を満喫し始めたときのこと。

 何故か冥界の幽霊たちが、現世へと現れ始めたのだ。原因は至極明快。生者である博麗霊夢が幽明結界を行き来したことで、結界の効力が弱まってしまったのだ。

 その異常を知った霊夢は幽々子に話し、しかし幽々子はすでに修復は頼んであると言った。

 だが未だ幽霊たちは増える一方。道理が通らないと問い詰めれば、どうやらまだ冬眠から覚めていないみたいねと幽々子はのんきに答える。

 そののんびりとした態度にイラついた霊夢は、自分が起こしに行ってくるからとそいつの名前と居場所を幽々子に要求した。

 だが両方聞く必要はなかったのだ。なぜなら霊夢はそいつもそこも知っていて――一つ聞けば答えを得ることができたのだから。

 そもそも幻想郷で『結界』と言ったら自分かあいつしかいない。

 知っている相手ならやりやすいと判断した霊夢は、返す足でそいつの居場所へ駆けつけた。

 主を守って立ち塞がる式神を叩きのめして、さっさと直せと屋敷へ乗り込む。

 しかし冬眠から覚めたそいつは、あろうことか上から目線で霊夢に告げた。

 

『いい機会ね。本当に危機が迫ったとき、あなたに解決能力があるかどうかを見てあげましょう』

 

 己に勝てなくば結界は直さないと――八雲紫はそう言ったのだ。

 言いたいことはいくらでもあった。それとこれとは話が違うでしょうと。そもそも今まで寝ていたくせになんて態度よと。いや、そもそも全て霊夢は言ったのだが。

 しかしあれよあれよと主張は跳ね除けられて、気づけば霊夢は渋々ながらも頷いていた。

 五機制のスペルルール。挑戦は日に一度。

 ならばと霊夢はその場で紫に挑みかかった。

 その結果が――

 

「少し、がっかりね。貴方にはもうちょっと期待しているんだけれど。これで終わりかしら?」

 

 勝手なことを、と霊夢は内心で抗議する。

 しかし二者の間には隔絶たる実力差が存在した。

 スペルカードルールでは負け知らずの霊夢だったが、少しばかりルールが変わって程度でこのザマだ。

 こちらのスペルは悉くいなされ、かわされ、相殺(つぶ)されて、あちらのスペルはポンポンあたる。

 無論紫の持つ固有能力(スキマ)は極めて優秀だろう。先のように逃げ場を塞いだところで、断絶した空間すらも抜けてくるのだから。

 それでも、それでもこの差はありえない。そも紫のスキマが決定的だったのは先の一度だけ。それまでの三機は悉く実力差によるものだった。

 それがスペルの差なのか、基礎能力の差なのか、はたまた別の何かなのかは霊夢にはわからない。

 とにかく紫はスペルルールにおいて自分よりも確実に強い。その事実だけを霊夢は冷静に認めた。

 息を一つ吐き、改めて紫を見る。

 彼女は霊夢の出方を伺っているようで、どうやら自分から動くつもりはないようだ。

 その余裕に甘えて霊夢は状況を確認する。

 残機は一、向こうは五。その差に加えて神具もなければ札も足りない。

 何せ霊夢は戦うつもりでここへ来たわけではないのだ。当然準備も怠っている。

 これはダメね、と思わず鼻で笑ってしまう。どうにもやる気がでてこない。さっさと帰って寝たいわねと彼女は心中で呟いた。

 この戦い自体が紫が自分の仕事のツケをダシにして始まったようなものに加え、ぼこぼこにされるわ就寝時間もとうに過ぎたとあってはモチベーションなど保てるはずもない。一度そんな思考に陥ればみるみるやる気が失せていく。

 それは目に見えるほどだったのだろう。唐突に、紫が口を開いた。

 さも今気づいたかのように視線を空に投げ、閉じた扇子を口元にあてて彼女は言う。

 

「そういえば、一つ言い忘れてたことがあったわ。私ね、幽明結界のほかにも様々な結界の歪みを放置してるのよ」

 

 それは博麗の巫女にとって聞き逃せる内容ではなかった。

 

「大結界の北東の方とか、地底との区切りとか、他にもたくさん。折角だし貴方が私に勝てればこれらも全部きっちり引きなおしましょう。だけど――」

 

 しかもこれは嘘ではない。

 霊夢を発奮させるために、というのは考えられるが彼女とて結界術の専門家。言われて調べればすぐ分かるようなことを紫が言うわけない。

 何より、こいつならありえる。などと、霊夢は思ってしまったのだから。

 

「私に勝てないようだと――いつどこでどんな異変が起こるか、私にも想像はつかないわね」

 

 紫は言い終えると同時に開いた扇子で口元を隠したが、霊夢にはそれがどんな形をしているか今までの付き合いでよーくわかっていた。

 笑っている。絶対笑っている。間違いなく笑っている。

 ああなんて性格の悪い女なのだろう。今更ながらに霊夢はそう思った。

 

「あんたねえ……。いっつもいっつも好き勝手やってくれて――」

 

 思えばこの女にはいつも厄介ごと抱えさせられている。

 己の短い人生において、面倒ごとにこの女が関わってなかったことのほうが少ないのではないかと思えるほどに。

 だがここで糾弾を続けても意味がない。その程度でやめるような女であればとうにやめている。

 そう思った霊夢は愚痴るのをやめ、変わりに一つ啖呵を切った。

 

「……はっ、上っ等じゃない。その顔、歪めてあげるわよ」

 

 とはいうものの霊夢の窮地は変わらず決定的である。

 どう考えても長期戦は不可能。ならば――

 

「やれるものなら是非やってほしいわね」

 

 その分かりやすい挑発を皮切りに、幻想郷の夜空を再び神秘の光が彩った。

 

 一分。

 それから、決着がつくまでの時間である。

 だがその短い間に霊夢は紫の残機を一まで削り、そして――

 

「『弾幕結界』」

 

 そこで終わった。

 果てしなく近い最後の一手を、しかし致命的に届かせることができなかった。

 敗北の味をかみしめながら、霊夢は深い闇の底へと墜ちていく。

 その狭間で、頭上から声が落ちる。

 

「貴方の敗因を教えてあげましょう。それはね――」

 

 その上から目線の講釈を拒むように、霊夢は己の意識を闇に落とした。


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