外に出たヴァルバトーゼは、魔理沙に行き先を尋ねた。
「ところで、キサマの家はどこにあるのだ?」
「魔法の森さ」
「魔法の森……というとあれか」
ヴァルバトーゼは視線を南へ――広く生い茂る森林へと向けた。
ちなみに彼がある程度地理を把握しているのは、今朝紫からイワシと共に幻想郷の地図を受け取ったからである。
大雑把な地名と、概要が書いてあったので頭に入れておいたのだ。
「ところで気になっていることがあるんだが」
「む?」
「お前さん、空を飛べるよな?」
箒に腰を下ろした魔理沙は、ふわりと浮かび上がるとそう聞いてきた。
箒にのって宙に浮かぶ彼女は、黒いとんがり帽子と黒を基調にしたドレス染みた服装も相まって、まさしく魔法使いの名に相応しい。
ともあれヴァルバトーゼがその質問に答えるとするならば、それはたった一つ。
「いや、飛べぬ」
「……おいおいおいおい、勘弁してくれよ。まさか歩いていかなきゃなんねーのか? 日が暮れちまうぜ」
うんざりした様子で魔理沙は顔を覆った。
しかし、失望するには早い。ヴァルバトーゼがいつ、追随できぬと言ったのか。
「別に、空を飛んでいくキサマについて行けぬわけではない」
表情一つ変えずにヴァルバトーゼはそう言い切った。
それに魔理沙はにやりと笑うと、一気に高空へと飛び上がる。
「じゃ、頑張ってついてきてくれ。もし追いついてこれなくても知らない、ぜ!」
言葉尻に力を込めた魔理沙は、箒の穂の部分から爆発的に魔力を放出させて一気に加速した。彼女の影がみるみるうちに小さくなっていく。
当然そんな彼女を、ヴァルバトーゼは黙って見送るわけにはいかない。
「フン」
彼は鼻を一つ鳴らすと、右足に力を込めた。そのまま地面へと炸裂させる。
その反動たるや凄まじく、砲弾もかくやと言わんばかりの速度で、彼は鋭角機動を描いて空へと跳んだ。
そう、あくまで飛行ではない。見も蓋もない言い方をするならばただのジャンプだ。速度自体には問題はない。彼女の姿が見えている今はそれでも追いすがることができるだろう。しかし森へ入ってしまっては枝葉の群れに阻まれて見失いかねない。
だから彼は踏みしめるように左足を落とした。空を切らずに硬い感触が返る。魔力を足場にしたのだ。再び踏み切った彼は、さらに高度と速度を上げた。
一時は米粒ほどの大きさまでに小さくなった魔理沙だが、瞬くに輪郭が掴める程度まで距離を詰める。先行する彼女の速度が遅かったのも容易に追いつけた理由だろう。初速を維持せずに低速飛行に移ったのだと思われる。
そして三度目の跳躍にて、ヴァルバトーゼは魔理沙に並んだ。
「おおう!?」
「というわけだ」
再び足場を作り、今度は勢いを殺す。魔理沙の速度に合わせたのである。
いつの間にか驚きの表情を消した魔理沙は、興味深そうにその仕草を見ていた。感心したように言葉を零す。
「……なるほどな、放出した妖力を固定させて踏み台にしているわけか」
「うむ、その通りだ。大したことではない」
自在に飛行できるということが常識ではない彼の世界において、空中で姿勢制御あるいは方向転換する手段は押さえていて当然のモノである。
その中でも自分の近くで魔力を板状に固めることは容易かつ消耗も少ないため、最もポピュラーな手段と言っていい。
特に今のヴァルバトーゼにとって、空中を移動する相手にはこれぐらいしか対抗手が存在しない。誇れるものでは決してなかった。
「まあでも、発想自体は面白いな。飛べることが当たり前の私らには中々でないもんだと思うぜ」
「そういうものか」
「そういうものさ――さて、そろそろ到着だ。降りるぜ!」
かくん、と隣の魔理沙が高度を下げた。その先には、森の中に小さく開いた空間にある館が見える。おそらくあれが彼女の家なのだろう。
ゆるやかに直下していく魔理沙に対して、ヴァルバトーゼは言葉通り落ちていく。それでも魔力を足場に勢いを殺しながらではあるが。
着地した魔理沙は家に背を向けてヴァルバトーゼの方へと向くと、自慢げに両手を広げた。
「ここが私の家だ」
魔理沙の言葉に従って、ヴァルバトーゼは彼女の背後に目を向ける。白を基調にした洋風の館のようだ。
蔦が絡まっているなど手入れの行き届いてない面も伺えるが、十代の小娘が住むには十分過ぎる家だろう。立地を考えれば尚更である。
なのでヴァルバトーゼは素直に賞賛した。
「中々立派ではないか。よくこんな辺鄙な場所に建てたものだ」
「ああ、私もいい拾い物をしたと思ってるよ」
「……む?」
思わぬ魔理沙の発言に、ヴァルバトーゼは聞きとがめる。
「あ」
彼女は失言に気づいたように、口元を押さえていた。頬をかきながら目を逸らす。
「まーなんだ。聞かなかったことにしてくれ」
「……よかろう」
ため息を吐きつつも、ヴァルバトーゼは頷いた。
そこでふと、視界の端に気になるものが目に入る。大きな看板だ。玄関の横に立てかけられている。
「霧雨、魔法店……?」
「ああ、一応店もやってるのさ」
霧雨、というのはおそらく魔理沙の苗字だろう。
つまり魔法に関連する店、ということだろう。術式か、魔導書か、魔法具かあるいは全てか。
そんなヴァルバトーゼの思考を見透かしたように、魔理沙は首を横に振った。
「生憎だが、アンタの思ってるような店じゃないと思うぜ」
「そうなのか?」
「ああ、基本的には何でも屋みたいなものさ。……といっても妖怪退治が殆どだけどな」
「ほう」
見かけによらず、魔理沙は武闘派なのだろうか。あるいは、スペルカードルール専門なのかもしれない。
「さて、さっさと探し出すとするか。悪いが外で待っててくれ」
当然の話だろう。会ったばかりの悪魔を家に上げるのは警戒に欠けるにも程がある。
そもそもここに至るまでの過程も十分そう言えるが、あるいは幻想郷においてはそんなものなのかもしれない。
「ではここで待っているとしよう」
「日が落ちるまでには見つかると思うぜ」
そう言って、魔理沙は家の中へと消えた。
西の空は既に赤い。そう時間はかからないだろう。
特にすることのないヴァルバトーゼは、彼女が出てくるまでの時間を思索に費していく。
そして空が暗くなってきた頃、玄関の戸が軋みをあげて開いた。出てきた魔理沙は右手に持っているものを掲げる。
「ふう、待たせたな。これだろ?」
赤い表紙に、見覚えのある文字列。それはまさしくパチュリーに見せて貰った魔導書であった。
「ああ、それだな」
「ほい」
差し出されたその本を、ヴァルバトーゼは受け取る。
後はこれをパチュリーに渡せば、今度こそ転移の術式を完成させてくれることだろう。
「確かに渡したぜ」
「うむ。……それは?」
ヴァルバトーゼが気になったのは魔理沙の左手にあるものだった。何らかの液体が入っている大きな瓶。紙のラベルに書いてある文字列は、中身の名称を表しているのだろう。
そしてその名称自体には見覚えがなかったが、しかしどんなものであるかは見当がついた。思わずヴァルバトーゼは魔理沙の顔を見いる。人間であるはずの彼女はどう見ても精々が十代半ばに思えるが。
そんなヴァルバトーゼの態度を受けて、魔理沙はにやりと笑う。直後に告げられた正体は、やはり彼の予想通りだった。
「察しの通り、酒だぜ」
人間は飲酒に年齢制限をつけているものだと思っていたが、存外幻想郷にはないのかもしれない。
あるいはそうであったとしても、ヴァルバトーゼに咎める理由はなかった。しかし疑問は残る。
「何故今、持ち出したのだ?」
「今日これから宴会があるのさ。すっかり忘れてたけどな」
「何かあったのか?」
何かめでたいことでもあったのだろうか。
そんな意図を込めた問いかけはあっさり否定される。
「いや? 強いて言うなら、騒いで楽しむ――これじゃあ理由として不足か?」
「……言われてみれば、そうでもないな」
「だろ?」
得意そうに魔理沙は歯を見せて笑う。彼女は心底宴会が好きなようだ。
しかし一転して表情を曇らせると、怪訝そうに呟いた。
「でも流石に最近のは何かおかしいんだよなあ」
「そうなのか?」
「ああ。まあアンタに愚痴っても仕方ないか。……ところでアンタも宴会に来るかい?」
「……何?」
流石にそれはどうなのか。
先の主張を考えるならば、魔理沙自身はいいのかもしれない。しかし他の参加者はそうではないだろう。
「いっつも同じメンツで飲むより、知らない奴がいたほうが場が盛り上がるだろ? それに紅魔館の連中も来るだろうから、そんな疎外感を感じることもないだろうよ」
「……成る程な。だが断らせて貰おう。誘い自体は嬉しいがな」
ヴァルバトーゼ自身は別に飲めや騒げや、という雰囲気は嫌いではない。
だが、今は。
彼の仲間が己を探すために奔走しているだろう今は、帰れる目処も立っていない状態で宴会に参加して楽しめるとは思えなかった。
もちろん帰るための情報が得られる可能性はある。だが聞きたいことだけ聞いて帰るわけにもいかない。となれば断るよりほかなかった。
「そりゃ残念。外から来たってんで話も聞いてみたかったんだがな」
「すまんな」
「いいさ、仕方ない。その気がないやつを無理に呼んでもお互い楽しめないだろうからな」
そこで魔理沙はふと空を見上げた。
夜空に浮かぶ月を見てか、慌てたように表情を変える。
「おっと、そろそろいかないとな。また縁があったら会おう。じゃあな!」
「ああ、ではな」
箒に乗って挨拶を済ませると、魔理沙は早々に空の彼方へと消えていった。
ヴァルバトーゼはそれを見送ると、彼もまた空へ跳び上がり紅魔館へ向かう。
後はこれをパチュリーに届けるだけ、だったのだが――
「あ、一足違いでしたね」
紅魔館へと着いた彼を出迎えたのは、美鈴のそんな一言だった。
その意味は考えるまでもないだろう。間違っていないだろう予想を、ヴァルバトーゼは口にする。
「……宴会か」
「あら、知ってましたか」
「魔理沙に、軽くな」
「なるほど。それで本は返してもらえたんですか? もし貴方が本を持ってきたならば私が預かっておくように言われてるんですけど」
「うむ、これだ」
懐から魔導書を取り出して、美鈴に渡す。
受け取った美鈴は、とても奇妙な質問を投げかける。
「そういえば、貴方は宴会に行かないんですね」
「……変なことを聞くな、キサマ」
確かにヴァルバトーゼは、先程魔理沙から宴会に誘われた。
しかしそのことを美鈴が知るはずがなく、事実そうであろう。それでも彼女はヴァルバトーゼが宴会に足を運ぶ理由がある、と言ったのだ。
とはいえ心当たりはなく、真意も掴めない。そんな彼に美鈴は言葉を重ねる。
「パチュリー様が宴会に行くのって、不思議に思いませんか?」
「……言われてみれば、そうだな」
外出を余りしないであろうパチュリーが、魔理沙曰く理由のない宴会に足を運ぶというのはどうも彼女のイメージにそぐわない。
もちろんパチュリーが宴会を非常に好んでいる可能性もある。だが美鈴の反応を見る限りは、少なくとも表立ってそういうことはないようだ。
「ここ最近、三日起きに必ず宴会があるんですよ。そして必ずお嬢様と咲夜さん、パチュリー様が三人揃って行っているんですよね」
魔理沙もまた、そのようなことを言っていた。
そしてその宴会に普段余り行かないような者までも欠かさず足を運んでいるとなれば、確かにおかしいと言える。
ふと、そこで気づく。
「……待て、三日前もか?」
「ええ、三日前もです」
含みのある笑みを浮かべて、美鈴は頷いた。
すなわちヴァルバトーゼがフランドールに腕を落とされたあの日あの後に、彼女ら三人は宴会に足を運んだということになる。
自棄酒だったのかも知れないが――それでもおかしい。
「何かある、ということか」
「妙な気配も感じますしね」
「妙な気配だと?」
「ええ。どう妙なのか、と問われると難しいのですが……あえて表現するならば――広い、ですかね」
ヴァルバトーゼも神経を研ぎ澄ましてみるものの、何も違和を感じない。
だが美鈴に冗談の気配はなく、ならば事実なのだろう。
「それが原因だと?」
「気配を感じるようになった時期と一致するんですよ。まあだからといって対処法も思い浮かびませんし、実害もないので放置しているんですけど。最悪、霊夢さん――博麗の巫女が解決するでしょうから」
「……成る程な」
「もし貴方が宴会に行くようならば間違いなく異変だと断言できたんですけどね」
あるいは、魔理沙がヴァルバトーゼを宴会に誘ったのはそれが原因なのかもしれない。ふとヴァルバトーゼはそう思った。
「まあ、そんなことはさておき」
唐突に、美鈴は話を変える。
硬く握った拳を掲げている彼女の用件は、自ずと知れた。
「もしお暇でしたら、一戦どうですか?」
「そういえば、決着をつけていなかったな」
もしあの瞬間で判定するのならば己の負けである。
ヴァルバトーゼはそう思っていたが、口には出さなかった。もう済んだ話だからだ。
何よりこれから闘うのであれば、あえて無粋なことを言う必要もない。
「はい。いい機会ですので」
「よかろう――受けて立ってやる」
かつて切り落とされた幕は、今宵再び開かれた。