それから雑談を交えることしばし、ヴァルバトーゼはふと思い出したことがあった。
「そういえば、レミリアよ」
「何かしら」
「フランドールは何故いきなり俺を壊しにきたのだ? まさか知らない顔ならやってもいいなどと言いつけてあったわけではあるまい」
そういえば、フランドールが何か理由のようなものを言っていたような気がしたが。
なんだったかとヴァルバトーゼは記憶の引き出しに手をかける。整理がされていないようで、中々答えが出てこない。
「……あー、それね」
そんなヴァルバトーゼに、レミリアは頬をかきながら口を開いた。
目を逸らし、言いづらそうにしながらも彼女は言葉を続ける。
「女には手を出しちゃだめよ、って言ってあったのよ」
「……………………ん?」
確かに、フランドールは男だからと言っていた。
それはつまりどういうことかといえば、フランドールは姉の言いつけを守っていたということで。
「まてまてまてまて。ということは何か? 先日のアレに限ってはキサマの責任が最も重かったということか?」
「ええ、まあ……そういうことになるかしらね」
「そういうことになるかしらね、ではないわ! さっきのやり取りはなんだったというのだ!」
「うぐ。いや、あれがあったから言い出しづらかったというか……その……」
矛先うんぬんに関しては元々これからも迷惑をかける可能性を考慮してのことだった。
元々それについての話が終わってから事情を説明して謝るつもりだった。
それがお互いヒートアップした結果いい話っぽくに纏まったので切り出しづらかった。
以上が、しどろもどろになりながらもレミリアが弁明した内容である。
「ふう…………わかった、それはよしとしよう」
思い切り顔を顰めながらも、ヴァルバトーゼは頷いた。
しかし納得いかないことはある。
「だがそもそも女はダメ、というのはどういうことだ。大雑把すぎではないのか?」
ここ紅魔館に男が入ることは禁じられている、というのであればともかく。
少なくともヴァルバトーゼはそういった話を聞いた覚えはなく、そういう雰囲気を感じたこともない。
だが驚くべきことにレミリアはそれを否定した。
「いえね、それがそうでもないのよ」
「……何?」
「だって、幻想郷は男が壊滅的に少ないもの」
「…………」
沈黙しながら、その言葉の意味を噛み締める。
実のところ、ヴァルバトーゼも何となく気づいていたことではあった。
何せ出会う相手が悉く女なのだ。疑問に思わないほうがおかしい。
「理由はあるけど、聞く?」
「聞こう」
私自身も聞いた話が多いのだけどね、とレミリアは前置きして話し始めた。
「まず第一に、ここって平和なのよ」
「……成る程、そういうことか」
何せ『
そして男というのは全般的に好戦的というか血気盛んというか、とにかくそういう手合いが多い。ましてや悪魔や妖怪というようなチカラを持った存在ならばなおさらに。
ヴァルバトーゼ自身もそうであるから理解ができる。観光や息抜きに訪れるならともかく、永住するとなるといささか幻想郷は退屈に過ぎるということだろう。
「ええ、だからバトルジャンキーみたいのは大体どっかに行ったんじゃないかしら。強い妖怪の男、なんていうのは幻想郷に居ないんじゃない?」
だから種族ぐるみでいなくなったものいるみたいよ、とレミリアは付け加えた。
確かにそういう種族がいても不思議ではない。
「で、まあ……そういう環境になると碌でもない男が増えるのよ」
「……そうだろうな」
力が強く恐ろしい妖怪が減り、女性比率の高い場所だ。
さらに外から弾かれたものがやってくるという幻想郷のシステム上、そういうのが増えるのは当然の理といえる。
当然、そういう輩の跳梁を許しているのであれば今幻想郷は平和であるとはいえないだろう。
つまり――
「それで昔、そういうのを纏めて粛清したみたい」
「……それは、男がいないわけだな」
「まあそういうワケだから人里の男女比率は普通だし、人畜無害な妖怪になら男もいると思うわよ」
「成る程、女に限定するわけだ」
「そういうこと。万が一男が紅魔館に客としてくることがあってもその都度言っておけばいいと思っていたのよ。誰も壊すな、って言葉は束縛感が強いしね」
それらの情報を踏まえて考えれば、先日のアレは恐ろしいまでの偶然の一致があったということだ。あの一瞬を除けばヴァルバトーゼは常に紅魔館の住人と共にいたのだから。
つまりレミリアに過失はあったものの、仕方がないといえるものだった。ことの流れを思い返しても、レミリアがフランドールに注意できるタイミングはない。どちらかといえば――
「つまり、俺の間が悪かったと」
「まあ、それも理由の一つでしょうね」
そういうことだった。
「何にせよフランには言いつけておいたから、これからは大丈夫だと思うわ」
「ちなみに、何と言ったのだ?」
「さっき腕を壊した男はもう壊しちゃダメよ、って」
「……そういう表現をされると、己が情けなく感じるものだな」
まるで積み木のような扱いである。
「なら、さっさとチカラを取り戻すことね」
「……そうだな」
そのためには何としても帰らなくてはならない。
ひとまずはパチュリー次第ということになっているが。
「ともあれ、そろそろ去るとしよう」
ヴァルバトーゼは椅子から立ち上がり、告げた。
カーテンの隙間から覗く色は暗い。既に日は落ちているのだろう。
思えば随分と話し込んだものだった。
「……そういえば、あなたどっかに住んでるの?」
確かにそれは疑問に思うところだろう。
何せヴァルバトーゼは幻想郷に訪れてからまだ一週間もたっていないのだから。それも事故という形でだ。
「特に定まった場所はないな」
休むときは周囲の気配がない場所を選んでいるぐらいである。
そんなヴァルバトーゼを見上げて、レミリアは一つ提案をした。
「適当な部屋でも貸してあげましょうか?」
「いや、いい。生憎無用な借りを作るのは好きではなくてな」
そう、まさしく無用の話である。
空気は澄み渡り、気質は穏やか。ここ幻想郷は外でも十分休むに事足りる。あえて屋内に腰を据える必要は感じなかった。
ゆえにその提案に乗ることは無意味に借りを作るだけである。
「そう言うと思ったわ。なら、咲夜を見送りもいらない?」
「うむ。玄関までの道は把握している」
いかに広いとはいえ、造り自体は複雑ではない。
方向音痴の気があるわけでもないヴァルバトーゼが、外までの道筋を違う理由はなかった。
「ところで、最後に一つ聞きたいことがあるのだが」
ドアノブに手をかけたところでヴァルバトーゼは振り返る。
彼には一つ、気になっていたことがあったのだ。
「何かしら」
日が沈んだからか、レミリアは明かりを落としてカーテンを開けていた。
上弦の月が妖しく彼女を照らし出す。
「キサマの能力はなんなのだ?」
「ああ、それはね――」
レミリアは薄く笑い、自らの能力を答えた。
「運命を、操る能力よ」
玄関へと向かう途中。ヴァルバトーゼは足を止めた。
迷ったわけではないし、迷わずに外へ出れると考えていたヴァルバトーゼの判断は間違っていない。
ならば何を以て彼の歩みは止まったのか。
「こんばんは、お兄さん。今日もいい月夜ね」
答えは一つ、他者による干渉である。
ヴァルバトーゼは言葉に応じる形で外を見た。
廊下の窓から覗く夜空は雲一つない。満月ではないことこそ惜しいものの、いい月夜であることは疑いようはなかった。
「……そうだな。その通りだ」
ヴァルバトーゼは同意して、視線を正面に戻す。そしてその先にある影へと問いを投げた。
「で、何の用だ? ――フランドールよ」
先日、ヴァルバトーゼの腕を落とした張本人――フランドール・スカーレットがそこにいた。
ヴァルバトーゼの口調は硬い。確かに彼自身、フランドールに含むところはない。腕を落とされたことは能力によってという話だったが、それでもなお彼は己が未熟であったと思っている。
だが、だからといって彼女に馴染みを感じる理由もまたないのだ。
「ああ、私の名前は知っているのね。あなたの名前は……お姉様に聞いた気もするけど忘れちゃった。教えてくれない?」
「……ヴァルバトーゼだ」
「ヴァルバトーゼね、今度は忘れないようにしよう。それにしても、あなた凄いね」
「……何がだ」
嘆息しながら、問い返す。
結局のところ、最初の問いにフランドールは答えていない。
「全然目が見えないんだもん。一回壊したのに見やすくならないなんて、美鈴みたい」
「ほう」
己でそうならば美鈴は間違いなくそうだろうと、ヴァルバトーゼは頷いた。
武芸を極めて高いレベルで修めている彼女である。ならばその程度で精神の均衡が崩れるはずがない。意思の衣は剥げず、恐怖に溺れることもないだろう。
「どれくらいで崩れるか試してみたいな。お姉様はダメって言ったけど、本人がいいって言えば大丈夫だと思うんだよね。どう?」
フランドールは見た目相応に無邪気な笑みを浮かべてヴァルバトーゼへと問いかけた。
あからさまではあるが、抽象的なその言葉の意味をヴァルバトーゼは考える。
崩れるかどうか、というのはおそらくどの程度の負傷で目が見えるようになるかということだと思われる。
ならば当然、試してみたいというのは考えるまでもないことだろう。彼女の後ろに立ち上る攻撃的な魔力を見れば瞭然だ。
当然、返事は一つに絞られる。
「お断りだ。俺にそういう趣味はない」
「うーん、残念。今度お姉様にお願いしてみようかな」
言い終えると、フランドールは頭を捻り始めた。
これが用件だったのだろうか。何にせよ奔放というかマイペースというか。
ため息を吐きながら、ヴァルバトーゼはフランドールの思考を裂いた。
「……話は終わりか?」
「あ、うん。もういいよ」
フランドールは焦点をヴァルバトーゼに戻して頷いた。
ヴァルバトーゼは別れの言葉を告げて、横を通り抜ける。
「ではな」
「ばいばい――またね」
今度こそ、ヴァルバトーゼは紅魔館の外へ出ることができた。
気持ちのいい夜風を受けながら門の外へと歩いていく。
そんな彼に、一つの影が近づいた。当然こんな時間に館の外にいる相手など一人しかいない。
「……大丈夫でした?」
「フランドールのことか」
紅魔館の門番、美鈴は親しげな笑みを見せながら問いかけてきた。今その問いを投げてくるということは、フランドールと会っていたことを知っているのだろう。
何故か、というのは愚問である。彼女ならば邸内の気配を全て把握していても不思議ではない。
「はい。ですが特に問題はなさそうですね」
「フン、それで?」
「はい?」
「惚けるな。まさかそんな当たり前のことを確認したかったわけではあるまい」
どこか壊されでもしたのか、という懸念を解決したいのであれば遠目で見るだけで十分である。
そもそも何かあったのなら、こうして平然とヴァルバトーゼが外に出てくるはずがない。何にせよあえて問う必要はなく――美鈴が話しかけてきた目的は別にあるということになる。
そうしたヴァルバトーゼの追求に、美鈴は観念したように肩をすくめた。
「ばれちゃいましたか。大したことじゃないんですけどね、貴方と同じくアレを受けたもの者として感想を伺いたくて」
「そういえば、フランドールもそのようなことを言っていたな。どういう経緯でそうなったのだ」
一戦交えた印象や、フランドールの能力を考えてもそのような状況になるとはいまいち考えづらい。
もちろん殺し合ったとでもいうならば話は別だが、それはそれでどうすればそうなるのかわからない。
だが、真実は彼の予想の斜め上にあった。
「いやー、どういうものか一度その身で体験してみたくて一度頼んでやってもらったんですよ」
あはは、と笑いながら答える美鈴。
聞く者が聞けば愚か者の極みだと嘲笑するだろうが、ヴァルバトーゼはそういう輩が嫌いではない。ゆえに彼は感心の笑みを見せた。
「大物だな、キサマは」
「まあ、強くなる上ではああいったものも経験しておきたいですから」
だがここではその機会に恵まれないだろう。そういった言葉をヴァルバトーゼは喉の奥へとしまいこむ。
そこまでする美鈴がここでこうして門番をやっている以上、相応の理由があるはずだからだ。
ゆえにヴァルバトーゼは納得を示すだけにとどめ、当初の質問に応えた。
「……成る程な。まあ、大したものだとは思った。だが付け入る隙も多い」
「例えば?」
興味深そうに美鈴が尋ねてくる。
わかっているだろうにと、苦笑しつつヴァルバトーゼは答えた。
「当然、破壊に至るまでの条件全てだ。視界内に対象を捉えねばならないということ」
その驚異的な破壊能力を行使するためにはいかなる状況においても、まず壊す対象の『目』を見なくてはならない。
もし最初から『目』が見えていたとしても、正面から見合ってのよーいどんで始まる戦いでなければ打つ手は多いといえるだろう。
「一度に壊せるのは精々二箇所だということ」
手に『目』を収めて、という条件がある以上一回につき一つと考えるのが妥当なはずだ。よって両手で二つ。
さらに手中に『目』が収められたとしても、握るアクションさえ潰せば破壊を免れることができる。
「そして必然、両手か両目を潰せば能力を使えない。最後に――意思を砕くか、肉体を砕くかせねば『目』を見ることができないということだ」
これらのことから導き出せる結論は一つ。
「つまり、我らにはほぼ関係のない能力だということだ」
「やっぱ、そういう結論になりますよね」
嬉しそうに、美鈴は同意した。
重要なのは『目』が見える条件だ。フランドールの言葉に偽りがなければヴァルバトーゼと美鈴は平時において『目』を見られることはない。
よって身体に相応のダメージを受けない限りは破壊の対象にならないと言える。
しかしフランドールの破壊能力における最大の長所は『対象の強度を無視できる』ということだ。だというのにその頃には深手を与えることができている――ならば破壊能力など必要はあるまい。
当然それがフランドールの渾身によってようやく、という防御耐久を持つ相手なら話は別だろう。そこで破壊の追い討ちを重ね、さらに相手の意思を砕くことができたのなら――確かに脅威の能力と言える。
だがヴァルバトーゼも美鈴も違う。
「どうせ妹様が軽く魔力を込めた一撃でも、私たちじゃズタボロでしょうしね」
「違いない」
喜べる話ではないが。
ステータスという意味での能力が負けているのだ。それも圧倒的に。
だが、とヴァルバトーゼは笑う。
「だからといって、負けるつもりはないがな」
「それがどうした、という話ですよね」
美鈴もまた、笑みを浮かべて同意した。
もちろん彼らはフランドールと戦うつもりはないし予定もない。
だが、しかし、もしも――相対することがあったとしたら。
ただ、それだけの話であった。