Stage1 プリニーぷりちー
太陽が頂に座した頃、霧のかかった湖の近くで激しい弾幕が飛び交っていた。
かたや氷の弾幕、かたや――イワシの弾幕が。
「『ヘイルストーム』っ!」
チルノの宣言とともに氷柱の雨が降り注ぐ。
その中心にいた一つの影――ヴァルバトーゼは大地と空間を足場に跳ね回って回避を続けていたものの、ついぞかわしきることなく氷槍をその身に受けた。
残機零。ヴァルバトーゼの敗北である。
「……俺の負けか」
「あたいの勝ちだ! でも、今日は大丈夫そうね!」
「うむ。前言の通り復調している」
前言とは昨日チルノとスペルカードルールでの一戦目を終えたあとに交わした言葉だ。
その時のヴァルバトーゼの動きは著しく精彩を欠いており、それをチルノが指摘したのである。
否定する意味がない程度には動きが酷かったので、ヴァルバトーゼは素直に頷いた。するとチルノは勝負の終了を宣言したのである。
以前の対戦回数を思い出し、チルノが満足しているはずがないと思ったヴァルバトーゼは異議を唱えたものの、怪我人や病人をなぶる趣味はないとチルノは告げた。
その言葉にヴァルバトーゼは引き下がり、明日には回復しているとチルノに答えたのである。
そして今日、自身の調子に問題がないことを確認したヴァルバトーゼは約束通りチルノと弾幕ごっこをしているというわけだ。
「じゃあもう一戦、いくよ!」
「うむ。次は勝たせてもらおうか!」
既に両手の指を余らせる程には続けているが、昨日できなかったこともあってチルノはまだまだやるつもりらしい。
それだけの回数を経て、なお勝てていないヴァルバトーゼとしても望むところではあるのだが。
ちなみに今日は妖精の観客が多い。
一部はチルノが呼んだみたいだが、その多くは氷とイワシが飛び交う珍妙な光景に惹かれて現れたのだと思われる。
そしてそれからも幾度か対戦を繰り返し、その全てをヴァルバトーゼの敗北で終えた頃、一陣の風が吹き抜けた。
風がやむのと同時に、一人の少女が姿を見せる。
「どうも、毎度お馴染み射命丸です」
「あ、新聞書いてる天狗だ。さてはあたいの最強すぎる戦歴を聞きつけてインタビューにきたんだな!」
ふふん、とチルノは腰に両手をあてて胸を張った。
確かに対ヴァルバトーゼに限ってはチルノは全勝なので、あながち言っていることは間違っていないが。
「いいえ、違います。……というか、もう目的は果たしたようなものなんですが」
そう答える文の表情は暗い。さっぱり見当はつかないが、意にそぐわないことがあったようだ。
ため息をつきながらヴァルバトーゼの方を見る。
「まあでもいい機会ですし、ヴァルバトーゼさんに話を伺おうかとも思っているのですが……まだ続けます?」
当然、勝負のことだろう。
ヴァルバトーゼとしてはどちらでもよかった。
「チルノ次第だな」
「んー、いいタイミングだしこれで終わりにしよう。結局アンタあたい勝てなかったし、また明日ね!」
どうやら、勝てるまで毎日戦わなくてはならないらしい。
しかし遊びの戦いとはいえ、敗北の代償としては十分安い。ヴァルバトーゼは頷いた。
「うむ、ではな」
「じゃあね!」
元気よく別れの挨拶を告げたチルノは、ある妖精の一団の方へ飛んでいった。おそらくは友人なのだろう。
そんな彼女を見送り、ヴァルバトーゼは文の方へと振り向いた。
「ところで、キサマは何しにきたのだ? 俺に用があったわけでもないのだろう?」
「ええ、まあ」
そう答える文の歯切れは悪い。
一つため息を吐くとようやく話を切り出した。
「実は椛が『麓のほうで魚の大群が空を飛んでいる』とか言い始めたので、確かめにきたんですけど」
「ああ、これのことか」
ヴァルバトーゼは反射的に心当たりへと手を伸ばす。
弾幕カード。『魚強』と書かれたそれにヴァルバトーゼは魔力を流した。
直後、文の頭上数メートルの高さに数十尾のイワシが出現。間髪居れずに降り注ぐ。
「え、ちょっ。ひゃあ!」
造形がリアルなそれに生理的な恐怖でも感じるのか、文は表情を歪めて必死に避ける。
とはいえ流石は幻想郷の天狗というべきか、狼狽こそしていたものの全てのイワシ弾を回避した。
「な、何するんですか!」
「別に当たっても害があるわけでもなかろうに」
「それは、そうですけど……」
げんなりした様子で肩を落としている文。
その様子は、イワシ弾のせいだけではないように見える。
「どうしたのだ」
「いやあ、実は山を出る前に椛を散々バカにしてきたんですよ。そんなのあるわけないじゃないですかって」
以前二人が顔を合わせたときの様子を思い出し、ヴァルバトーゼは納得した。
けなした相手が正しかったというのであれば落ち込む気持ちはわからなくもない。同情の余地はないが。
「自業自得というほかあるまいな」
「全くです」
苦笑しながら、文は頷いた。
「しかし、椛の視力は大したものだな。山の上から弾幕の仔細を見抜けるとは」
「椛なら千里先でもモノが見えるでしょうから」
「……ほう?」
誇張でないのなら、凄まじい視力である。
彼の住む魔界においてもそこまでの目をもった存在がいるかと問われれば頷けない。
「まあ、それはおいといてですね。先日の約束通り、色々話を聞かせてもらってもいいですか?」
文は手帳とペンを取り出して、ヴァルバトーゼに問いを投げる。
断る理由はなかった。約束をしたのだから当然である。
「何でも聞くがよい」
「じゃあ、お言葉に甘えて。えーっと、プリニーって何ですか?」
至極簡単な問いだった。
魔界天界における常識であり、そもそもヴァルバトーゼはプリニー教育係である。
悩む素振りも見せずに彼は答えた。
「罪を犯して死んだ人間の魂が、その罪を償うためにペンギンの被り物をした姿のことだ」
「ごめんなさい意味がわかりません」
ヴァルバトーゼとしてはこの上なく適切な説明をしたつもりだったで、少し頭を捻る。
仕方がないので、もう少し詳しく説明することにした。
「俺の世界では人間は死んだ後に生まれ変わることになる。輪廻転生といったか、こちらはどうなのだ?」
「ええ、まあそこらへんはこちらも変わらないですけど」
「だが生前に罪を犯した人間はそうはいかぬ。その罪の償いをしなくては転生ができぬのだ」
「その意味も理解できます」
「そのためには天界で善行を積むか、魔界で労働の対価に金を得なければならぬ」
「……はあ」
「そこで地獄のプリニー生産工場で腐った牛の皮をペンギンの形に模って魂に被せて――」
「ちょっと待ってください」
「何だ」
「話が飛躍しすぎじゃないですか!? 何ですかプリニー生産工場って! ていうか腐った牛の皮ってどういうことですか!?」
「ちゃんと臭いは消しているぞ」
「そういうことじゃありません! そもそも天界と魔界での方法に差がありすぎですし、何にしたってどこにそんな被り物する必要があるっていうんですか!」
ぐあー、とまくし立てる文。
今にも飛び掛ってきそうな彼女をヴァルバトーゼは手で制した。
「落ち着け。理由はある」
「……一応、聞きましょう」
「天界にせよ魔界にせよ、罪を償う手段をとるためにはある程度まともななりをしてなくてはならぬ。これはわかるな?」
「ええ、まあ」
「だが十全の能を与えるわけにもいかぬのだ。生前の姿にすること自体は難しくないのだが、蜂起されては面倒なのでな。三界のバランスが崩れかねん」
ヴァルバトーゼの仲間に、風祭フーカという少女がいる。
彼女はプリニーの皮が足りないという非常事態下において、そのままを再現された。
しかしその実体は魂という強烈な力の塊を人の形に変えただけに過ぎない。
結果として、彼女はただの中学生という立場にありながら魔界の悪魔と渡り合うことができた。無論、理由の一つに畏れエネルギー供給の減少における魔界悪魔の弱体化があったことは確かだが。
しかし天魔両界において最も数の多い種族が
「そこで着ぐるみ用いて、ある程度制限を加えることにしたということらしいな」
流石は現役プリニー教育係というべき知識で、ヴァルバトーゼは解説を終えた。
ちなみにプリニーを投げると爆発するのも、反乱防止の一貫である。
「……ちなみに、なんでペンギンになったんですか?」
「それは実際に見てもらうのが一番いいのだが――ふむ、試してみる価値はあるか」
一つ頷いて、ヴァルバトーゼは白いカードを取り出した。
そして目を瞑り、そのカードに魔力を流す。すると数秒後気の抜けそうな音と共に、そのカードへ文字が刻まれた。『ぷりにー』と。
ヴァルバトーゼはそれを確認すると笑みを浮かべて、カードをかざして叫んだ。
「『プリニー召喚』ッ!」
スペルカードは正しく効果を発揮し、彼らの眼前へと全容を見せる。
体長は五十センチほど。悪魔のような羽を背中に小さく生やし、体躯と比較して大きなウエストポーチをつけていること以外はまさしくペンギンであった。着ぐるみであるため随所にデフォルメが見受けられるが。
ぴしっ、と敬礼の構えをしたままそれは――プリニーを模したスペルは動かない。
「どうやら成功したようだな。イワシを作れるのだからあるいは、と思ったが。便利なものだな、このカードは」
このちっぽけなカードに組み込まれている術式はまさしく至高と呼べる領域にあるだろう。
八雲紫は自身が開発したと言っていたが、そうであるならば彼女の評価を上げなくてはならない。
「ともあれ、これがプリニーだ。何か感想はあるか」
「……こう、なんていうか。いじりたくなりますね」
そう言うと文はプリニーもどきに近づいてつっつき始めた。にやにやと笑っている。
「それが理由だ。最初こそ様々なデザイン案があったらしいがな。天使にウケるが悪魔にウケない。あるいはその逆が殆どだったらしい」
天界の住人と魔界の住人はやはりというべきか嗜好に大きな差がある。
天使側からは清らかなイメージの案が出され、悪魔側からは化け物ちっくな姿の案が出される。天使側の案は悪魔に受け入れがたく、悪魔側の案は天使に受け入れがたかった。
そんな中雷鳴の如く現れたのがこのデザインだったという。
「天使には単純に愛らしいと評判になり、悪魔からは嗜虐心をそそられると好評を博してな。以来その姿に統一されている。ところで文」
数歩後退しながら、ヴァルバトーゼは声を投げた。
しかし文はプリニーに夢中で少し反応が遅れる。
「……あ、なんですか?」
「そろそろ爆発するぞ」
忠告したものの、時すでに遅く。
軽い爆音とともにそのプリニーが炸裂した。
ぺたんと地面に座り込んだ文へ、ヴァルバトーゼは説明をする。
「どうやら仕様上『弾幕』の永久展開はできぬらしくてな。指示を出すか時間がくれば自爆するようにしておいたのだが、言っておくべきであったか」
当然だが文にダメージはない。
しかし爆風や衝撃自体は小さいものとはいえ存在する。それに驚いたのだろうか、彼女は放心した様子を見せていた。
少しの間をおいて、ようやく何が起きたのか理解できたらしい、文はヴァルバトーゼを睨んだ。
「今度から是非そうして下さい。……ともあれ、話を聞く限り以前言っていたプリニー教育係とは」
「うむ、人間の魂であるプリニーには魔界や天界の常識が存在せんのでな。それを出荷前に教え込むのがプリニー教育係の仕事だ」
全くの余談ではあるが、ヴァルバトーゼ印のプリニーはよく働くと評判である。
悪魔らしからぬ熱心な教育を施していることの証左だろう。
「……なんか、ものすごい下働きっぽい感じがするんですけど」
「魔界でなりたくない職業ランキング堂々の一位だからな。当然だろう」
「いや、そこで胸を張られても困るんですけど」
「まあ世間ではそういう評価を受けているが、別に俺は厭うてはおらぬ。実にやりがいのある仕事だからな」
毅然と語るヴァルバトーゼの目に嘘はない。
彼は質の落ちた人間の魂に再教育を施すことに悪魔としての使命感を持って望んでいたし、そんな己に付き従うプリニーたちは決して嫌いではなかった。
そんな彼の態度に、文は神妙そうに表情を変えると軽く頭を下げる。
「……なるほど。失礼しました」
これにはヴァルバトーゼが驚いた。
文の目は真剣だ。彼女は本気で謝っている。
「別に頭を下げることの程でもなかろう」
「いえ、私も新聞記者というだけで謂れのない中傷をうけることがあるので」
確かにその職業の特性上、他の職種よりも批判や中傷を受けることが多いだろう。
それを理解したヴァルバトーゼは目を伏せて頷く。
「……そうか。ではその謝罪、受け取っておくとしよう」
「そうして下さい。……そういえば貴方がここにいるということはまだ帰ることができていないみたいですけど、あれからパチュリーさんの協力は得られたんですか?」
「うむ。まあ、トラブルはあったが概ね問題はない」
ちょうど、この話が終わったらパチュリーを訪ねようと思っていたところでもあった。
だが文はその事実よりも、その前の言葉が気になったようで首を傾げて問いかけてくる。
「トラブル、ですか?」
「ああ、左腕を落とされてな」
前腕部を指差しながら、ヴァルバトーゼは答えた。
当然今はくっついているが。ちなみに昨日チルノとの戦いの際に不調だった理由もこれであった。
流石に千切れた腕を繋げて全快となると、今のヴァルバトーゼでは一日以上かかる。
結局あれから丸一日半、昨夜未明にようやく全快となった。
「……だ、誰にですか?」
「フランドール・スカーレット、といったかあの小娘の名前は」
パチュリーに一度聞いただけではあるが、間違ってはいないはずである。
その証拠に、目の前の文の表情が変わった。納得の色。
「その様子だと知っているようだな、ならば話が早い。どうやら俺は出会いがしらにやられたらしい」
「実際に会ったことはないですけどね。……って、やられた、らしい?」
「うむ。未だに何をされたのかすら理解できておらぬ。気づいたときには腕が落ちていた。よもや何かをされたことにすら気づけぬとはな」
気づいたときには攻撃を受けていた。そういうことはヴァルバトーゼの過去の闘いにおいて幾度もある。
だが攻撃を受け、ダメージを負ってなお、それを自分の目で見るまで気付けなかったことは記憶の彼方にすら存在していない。
流石は別の世界、とでもいうべきだろうか。今思い返しても感じるあの非常識さにヴァルバトーゼは笑みを浮かべた。
そんな彼に文から疑念の視線が注がれる。
「……怒ったりはしないんですか?」
「何にだ?」
「いやだって、理由もなく殺されかけたようなものじゃないですか」
「それは俺の立場での話だろう。奴にしてみれば少しちょっかいを出したようなものに過ぎぬかもしれん」
なぜならば、あの時のフランドールには殺意どころか敵意すらも感じなかったのだから。
それよりも触れられて崩れる我が身の脆弱さを恥じるべきだと、ヴァルバトーゼは思っている。
「でも、よくそれだけで済みましたね」
「レミリアが止めた。近くにいたのでな。でなくば……さて、どうなっていたか」
あの瞬間、間違いなく死が間近にあった。
撤退ならば可能だったと思っているが、それでも相応の深手を覚悟しなくてはならなかっただろう。
「……というか、何で襲われたんですか?」
「さあな」
「聞いてないんですか!?」
「うむ。レミリアが今度説明すると言っていたのでな。焦って問い質しても仕方あるまい」
それがどうしたと言わんばかりのヴァルバトーゼの態度にか、文は呆れたようにため息をついた。
かぶりを振って、話を変える。
「……わかりました。じゃあ――」
それから、文の取材は小一時間ほど続いた。