「と、いうわけだ」
ヴァルバトーゼはチルノとの戦いや、紫との会話の詳細は省いた半日間の出来事を説明し終えた。
つまり彼が語った内容は、故郷へ帰れなかったこととその原因、幻想郷へ戻ってきた理由、紅魔館へきた理由。大まかにこの三つとなる。
きちんと筋道を通して話したため、疑問が生じる余地はない。そうヴァルバトーゼは思っていたのだが。
「どうしたのだ、揃って神妙な顔つきをして」
何故かレミリアと文の表情が硬い。
確かある話をしたあたりで、彼女たちの表情が変わったのだとヴァルバトーゼは記憶している。
だがさてそれは何の話だったか――その答えを得るよりも早く、レミリアが問いを投げた。
「ヴァルバトーゼ。一つ聞きたいのだけど、いいかしら」
「何だ」
「あなた、血を断っていると言ったわね。私の常識に照らすと、吸血鬼が血を断つなんて正気の沙汰とは思えないのだけど――何故かしら?」
隣に立つ文も小さく頷いて同意を示している。自己主張が小さいのは先ほどレミリアに怒られたからだろう。
成る程、そういうことか。確かにイワシを持っていた理由にあわせて、血を飲んでいないことも話している。疑問に思うのも無理はない。
「……まあ、よかろう。隠したい話というわけでもないしな」
ヴァルバトーゼは語る。
四百年ほど前に一人の人間と出会い、ある約束をかわしたことを。
そしてその約束が果たされずに死に別れたことを。
「で、それから四百年バカ正直に血を飲まずに生きてきたってわけ。――あなた、本物の大馬鹿者ね」
理由はわかったと、レミリアは結論を引き継いだ。
もっともまだ続きがあるのだが、確かに理由を話した以上無理に続ける必要も感じず、ヴァルバトーゼはレミリアに話を合わせた。
「そういう約束をしたのだからな。守るのは当然のことだろう」
「その結果あなたはチカラを失ったのよ? 未練はないのかしら」
「――あるとも。俺がチカラを失ってさえなければ、と思ったことなどいくらでもある」
もしヴァルバトーゼがチカラを失っていなければ、先の断罪者事件において彼奴の小細工を全て力ずくで叩き潰すことができただろう。人界魔界を纏めて地獄に墜として再教育することもたやすく行えた。この一件も特に奔走することなく転移して帰ることができたはずである。
そして何より――フェンリッヒに耐え難いほどの雌伏を強いることもなかったのだ。
しかし。それでも。
「だが後悔はしていない。もし後悔があるとするならば、あいつを死なせた俺の甘さだけだ」
「……ふん、口だけは立派ね。――咲夜」
ぱちん、とレミリアは指を鳴らす。
数瞬の間をおいて、音もなく咲夜が現れた。その手には紅い液体を揺らすグラスが一つ。
レミリアはそのグラスを咲夜から受け取ると、ヴァルバトーゼへと突き出した。特徴的な香りがヴァルバトーゼの嗅覚を刺激する。
その正体が何であるか、ヴァルバトーゼに理解できないはずがない。この液体は、イワシすらも超えて馴染みが深いものなのだから。
「血か」
「そうよ。ところで、こういう話ならどうかしら。『あなたは私に無理矢理血を飲まされた』。これなら、約束を破ったことにならないんじゃない?」
「フン、話にならんな」
ふざけた提案だと、ヴァルバトーゼは一笑に付した。
そんな形だけの理屈でヴァルバトーゼが納得するならば、既に彼のシモベが飲ませている。フェンリッヒもまた、同じような手管を用いたことがあるのだから。
だがレミリアとフェンリッヒでは一つ決定的に違う点がある。
「しかし解せん。何故、俺に血を飲ませようとする」
フェンリッヒには明確な理由があった。主に力を取り戻してもらい、共に野望を果たして欲しいという。
ではレミリアの理由とは何か。
「そう難しいことじゃないわ。あなたが戦ったうちの門番、美鈴は決して弱くないの。いかに吸血鬼とはいえ、チカラを失っていてはまともに勝負になるはずがない。でもあなたは違った。なら、チカラを取り戻したときはどれほどになるのか興味があるのよ。……まあ別に、断るならそれはそれで構わないわ」
そう言いながら、レミリアは笑った。
大きく大きく口を裂いて、牙を剥き出しに。幼い容姿にそぐわない邪悪な凶笑。
「――力ずくで、飲ませるから」
直後、レミリアから紅い魔力が噴き出した。空間が軋むほどの大魔力。これまで幻想卿で対峙してきたどの妖怪よりも強烈な奔流が、ヴァルバトーゼの肌を鋭く刺す。
あるいは、並の悪魔ならばこれで屈服してしまうだろう。恐慌して襲い掛かるかもしれない。
だがヴァルバトーゼの心中は、眼前の暴虐さにさざ波一つ立てていなかった。あるのはただ一つ、懐古の念のみ。
少なくともヴァルバトーゼの知る限り、故郷では己以外の吸血鬼が現存していない。
ゆえにレミリアが放つその紅い魔力は、己がチカラを失って以来始めてみるものだった。
なればこそ――
「断る」
「……何ですって?」
ヴァルバトーゼに怯む理由はない。
何故なら今の彼の立場が、過去のさかしまであるゆえに。
かつてはレミリアの位置に彼がいて、彼の位置に敵がいた。
確かに現在、彼我の戦力比は膨大。魔力量という一点だけで見ればまさしく巨像と蟻の例えに等しい。
それだけではないかと、ヴァルバトーゼは口元を歪ませる。
そんなことは過去の戦いで腐るほどあった。彼が、強者という立場で。それでもなお立ち向かってきた輩を、彼は蹂躙してきたのだ。
ならばどうして、ここで怯むことができるというのか。
「断ると、そう言った。キサマに一つ教えてやろう。俺がこの世で恐れるモノはただ二つ。イワシの小骨と――約束を違えることだけだッ! 力で俺の意思を折れると思うなッ!」
剣を抜き、即座に構える。少ない魔力を全て肉体活性に注ぎ込み、レミリアの一挙手一投足を注視する。
気を抜けば、次の瞬間には消し炭になりかねない。ただでさえ、美鈴戦のダメージが抜けきっていないのだから。
ならば交戦した場合、どのような手をとるか。そこへ思考が伸びたとき、一つのことを思い出す。イワシの頭――先程のトラブルを。
そう、こちらの吸血鬼には弱点が存在する。そしてその最大の弱点は当然――
その瞬間、紫の助言が脳裏を掠めた。彼女はこの展開を読んでいたのかもしれない。
方針が決まり、より一層ヴァルバトーゼの集中力が増した。狭窄化した彼の視界からはレミリア以外の存在が消滅している。
手か、足か、魔力か。極限まで引き伸ばされる時流の中で動いたのは、そのどれでもなかった。
「いいわ」
「……何?」
言葉とともに、紅い暴威が止んだ。
何がいいというのか。訝しむヴァルバトーゼに、レミリアは笑みを返した。先程までの悪意に塗れたそれではない。
まるで、もうその気がないとでも言うように。
「あなた、元の世界へ帰るためにうちの魔法使いに用があるんでしょう? 便宜を図ってあげるわ。当然、対価は要求するけどね」
「……どういうつもりだ」
不可解だと、ヴァルバトーゼは思う。
確かにレミリアには己への害意があった。返答次第ではと、その意を感じたのだ。
「私はね、あなたの話を全般的に信じていなかった。もちろん、吸血鬼であることもね。だからあなたを信用するに値するか、試したのよ」
レミリアは手元のグラスを口へ運び、瞬く間に飲み干した。
すると彼女の魔力が脈動する。その現象をヴァルバトーゼは知っていた。
「見ての通り、血を飲めば妖力が活性化するわ。チカラを失っているというあなたならこの比じゃないはず。だからあなたに血を飲ませることができれば、吸血鬼か否かを判別することができる」
「だが俺は血を飲んではいない。結局、是非がわからぬままではないか」
「いいのよ、それで。だって飲んでたら、叩きのめしていたもの」
さらりと、レミリアは先の発言を翻した。とはいえよくよく考えてみれば、確かに彼女は飲んだら何もしないとは言っていない。
ではレミリアは一体何がしたかったのか。いまいちその目的がヴァルバトーゼには掴めなかった。
「話が見えんな」
「肝心なのはあなたが信用できるか、ということよ。あなたの話が真実なら、あんな脅しで四百年守った約束を破るわけがないでしょう。その場合あなたは信用に値しない、ということになるわ」
成る程道理だと、ヴァルバトーゼは頷いた。
「でもあなたは断った。この場合重要なのはその理由よ。吸血鬼ではないとバレることを怖れてのはったりなのか、約束を守るためなのか。結局最後は自分の判断に頼ることになったけど――」
そう言いながら、レミリアは苦笑する。
「あなたは嘘をいっていない。そう見えた、自分の目を信じることにしたのよ。……おかしいかしら?」
「……いや、おかしくはないな」
おどけたように笑ったレミリアに、ヴァルバトーゼも薄く笑みを返した。
「だからあなたを、紅魔館の正式な客人として認めましょう。改めて歓迎するわ」
「そうか。それはありがたい」
そこでふとほう、と吐息がヴァルバトーゼの耳を叩いた。
見ればほっとした様子で胸を撫で下ろしている文がいる。
一触即発。あわや殺し合い。そんな場に巻き込まれた彼女にしてみれば当然の安堵というべきだろう。
「ところで、対価とは何だ?」
前置きが長くなったが、本題はこれからだ。
ヴァルバトーゼはまだ、交渉のテーブルについただけに過ぎないのだから。
「友人に紹介する。その程度のことに法外な要求をするつもりはないわ。そうね……」
言いつつも、レミリアは悩んでいるようだった。髪先をいじり、思案に更けている。
十秒ほどそうしていただろうか、ふいに視線を戻して彼女は口を開いた。
「将来、チカラを取り戻すことができたなら私に会いに来なさい。それでいいわ」
「……確かに帰ることができれば遠くない未来にチカラを取り戻すことができるだろうが、いいのか?」
後払いかつ無期限。それは余りにもヴァルバトーゼに有利な条件だった。実質、対価などなきに等しい。
しかしその確認の問いに対して、レミリアは額に指をあてて一粒の汗を流していた。
「……どうした?」
「どうした、じゃないわよ。チカラ……取り戻せるの?」
レミリアは頬をひくつかせてヴァルバトーゼに問う。
何がおかしいのかと疑問を抱きながらも、ヴァルバトーゼはそれに頷いた。
「うむ。約束を履行すればいいだけだからな。それに我がシモベが――」
「待ちなさい」
言葉が遮られる。
レミリアの額には青筋が浮かんでいた。苛立たしげにヴァルバトーゼへ問う。
「例の人間は死んだんでしょう? どう果たすのよ」
「ああ、そう難しい話ではない。先の話には続きがあってな――」
ヴァルバトーゼはその人間――アルティナが天使となって再び彼の前に現れたことを話した。
しかしどうやら両世界間における死後の概念は大分違うものであったらしい。話を聞いた三者は――今まで全く表情を動かさなかった咲夜でさえ、驚きを浮かべていた。
「……色々言いたいことはあるけど、無茶苦茶ね」
「同感です」
主従揃って呆れたようにため息をつく。
だが世界の違いに驚いたのは彼女らだけではない。
「俺も驚いたぞ。もしやとは思っていたが、まさかプリニーが存在せぬ世界があるとはな」
「そういえば昨日と、さっきもプリニーがどうとか仰っていましたね。何ですか、プリニーって?」
疑問の声を上げたのは、やはりというか文だった。
記者の性とでもいうべきか、未知への興味が強いのだろう。
「ああ、プリニーとはな――」
「はいはいそこまでよ」
二回、手を打ち合わせてレミリアが話に割り込む。
「そういう疑問を解決していたらいつになるかわかったもんじゃないわ。というか文、あなた何回言えばわかるのかしら?」
「……返す言葉もありません」
しょんぼりと、肩を落とす文。
身長では明らかに文の方が高いはずなのだが、縮こまった彼女はレミリアよりも小さく見えた。
「ヴァルバトーゼには悪いけど、私はすぐに帰れるようになるとは思えないわ。しばらく幻想卿にいることになるでしょう。だから今度、機を改めて聞きなさい」
「はい、そうします……」
さて、と前置きしてレミリアはヴァルバトーゼへと向き直す。
「ヴァルバトーゼ、早速うちの魔法使いに会いに行きましょうか」
「わかった」
「では私はこれで。レミリアさん、今日は色々とご迷惑をおかけしました」
そう言って、文はぺこりと頭を下げる。
それにレミリアは薄く笑った。
「まあ、あなたから話を聞いてなければこう面白いことにはならかったわ。だから今回に限っては気にしなくていいわよ。今後も、面白い話なら歓迎するわ」
「はい、その際はよろしくお願いします」
「咲夜、見送りよろしくね」
「かしこまりました。では射命丸様」
部屋の扉を開け、咲夜は文を促す。
それに文は頷きながらもヴァルバトーゼの方を向いた。右手は人差し指を掲げて、左手は腰に当てるとヴァルバトーゼに念押しをする。
「ヴァルバトーゼさん、今度絶対詳しく話を聞かせてもらいますからね?」
「フ……よかろう、好きにするがいい」
「はい、そうさせて頂きます。では」
「うむ。また会おう」
退室する文を見送ると、レミリアが動いた。
「じゃ、私たちも行くわよ」
「うむ」
こつこつと、二つの足音が下へ下へと降りていく。その場所には窓がなく、僅かな照明がぼんやりと二人の吸血鬼を照らしていた。
彼らが向かっている場所は、件の魔法使いがいるという紅魔館地下にある大図書館。
その魔法使いはここ紅魔館では珍しくレミリアと対等の存在らしい。曰く友人だとか。
色々と頼みごとを引き受けて貰う代わりに、地下の一部を住まいとして提供しているらしい。幻想卿への『引越し』もその一つだとレミリアは語った。
「外観に反して、この館は広いな」
歩きながら、ふとヴァルバトーゼは違和感を零す。彼の方向感覚は、既に幾度か館の敷地外へ出ていることを告げていた。
あるいは錯覚かとも疑ったが、レミリアがそれを否定する。
「当然よ。館の空間を広げているもの」
「ほう、そんなことができるのか」
「あら、そっちはそういうことできないの?」
「さあな。やろうと思えば出来る奴もいるのかもしれぬが、生憎と俺はその方面に詳しくないのでな」
ヴァルバトーゼは空間操作の専門家ではないため、これがどれほどの技術なのか判別つかなかった。
そもそも、彼の世界には既存の空間を拡張するという発想がない。亜空間が多く次元間移動が比較的容易な彼の世界では、空間の不足がそもそも起こりにくいからだ。
「ふーん、そう。……っと」
レミリアは相槌を打ちながら、唐突に足を止めた。長い廊下の途中。彼女が足を止めた右手には、大きな両開きの扉があった。
「着いたわ。ここよ」
レミリアは大扉にある二つの取っ手を左右の手でそれぞれ掴むと、そのまま押し開けていく。
その身に秘める力を考えれば当然なのだが、小さな体躯で苦もなく大扉を開く光景はいささかシュールといえるだろう。
そのまま中へと進むレミリアに、ヴァルバトーゼもまた続いた。一歩踏み入ると、途端に紙の匂いが鼻をくすぐる。
「ほう」
中を一瞥したヴァルバトーゼは、興味深そうに吐息を零した。
広い。おそらくここも空間を広げているのだろう。前後左右もそうだが、凄まじく天井が遠い。
だというのに大して開放感を感じないのは、やはりこの空間を埋めているある存在があるからだろう。
すなわち本。大図書館とは伊達ではないようだ。本、本、とにかく本。広大な空間全てを使って本棚が存在しており、その全てにぎっしりと本が詰め込まれている。それでもなお足りないのか、壁にも棚が埋め込まれ、天井からも棚が吊り下げられていた。
そんな場所に、本以外のものがあれば嫌でも目が向くだろう。
部屋の奥、その片隅に人影が一つ。その人影――少女はロッキングチェアに座って一冊の本を読んでいた。
そんな彼女に、レミリアは近づいて声をかける。
「はぁい、パチェ」
「……あらレミィ、どうしたの?」
読書に集中していたのだろう。ワンテンポ遅れて、ようやくパチェと呼ばれた少女はレミリアの方へと顔を向けた。
彼女こそがおそらくは例の魔法使いだろう。
何故なら細い。筋肉も脂肪も見えないその体つきは、魔法を専門とする手合いによく見られる体型だ。
あるいはただの人間という可能性もあるが、静かに揺らめく力強い魔力がそれを否定していた。
「ちょっとあなたに頼みたいことがあってね」
「ふうん。……そっちの妖怪に関係あるのかしら」
ちらりと、少女はヴァルバトーゼの方を見る。
「流石、話が早いわ。――ヴァルバトーゼ、彼女がお探しの魔法使いよ」
レミリアの紹介に、ヴァルバトーゼは一歩前に進み出た。魔法使いの少女もまた、応じる形で本を閉じる。
「ヴァルバトーゼだ。優れた魔法使いがここにいると聞いてな、協力を請いに来た」
「パチュリー・ノーレッジよ。よろしくするかどうかは、貴方の話次第ね」
抑揚のない声で、パチュリーはそう告げる。その表情はどんな感情の色も示していなかった。
もっとも魔法使いとは往々にしてそういう者が多い。特に探求を目的にしている場合は、その興味関心を全て魔法へと注ぎ込んでいるため、それ以外のことなどどうでもいいというタイプが多いのだ。
「……そうだな。まずは事情を話さねばならんな」
ヴァルバトーゼはもはや何度目になるかわからない経緯の説明をした。
例によってパチュリーも驚愕あるいは懐疑の念を見せるかと思ったのだが、その予想は裏切られる。
最後まで淡々とした様子を崩さずに話を聞き終えたパチュリーは、あっさりと頷いたのだ。
「事情は理解したわ。貴方の世界の魔導書を持ってくると確約するなら、引き受けてもいいわよ」
「……やけにあっさりと信じるのだな」
納得のいかない表情を浮かべるヴァルバトーゼに、パチュリーは呆れたように言う。
「別に貴方の話を疑ったところで確かめようがないじゃない。だから私は、貴方を紹介したレミィを信じたのよ」
それはまるで先程のレミリアを彷彿させるような言葉だった。レミリアは自分自身を、パチュリーは友人をという違いはあるが、つまりは己が信じるものを信じたということだろう。彼女らが友人だというのも頷ける。
「……そうか。ではその条件で頼もう」
「わかったわ」
こうして拍子抜けするほどあっさりと、契約は成立した。
だが問題はここからだ。はたしてパチュリーの手ほどきを得て、ヴァルバトーゼは故郷へと帰ることができるのか。
「じゃあ早速、始めましょうか。最初に、貴方の転移の仕組みを見せて貰うわ」
「俺は何をすればいいのだ」
「適当に転移してみて。この部屋には解析用の術式を張り巡らせているから、それだけで貴方の転移がどうなってるのかわかるわ」
「把握した」
求めに応じ、ヴァルバトーゼは一メートルほど後方に転移。
眉を顰めるパチュリーに、レミリアが問う。
「で、どうなの?」
「少し待って。……というかレミィ、貴女こそ何でまだここにいるの?」
「することないし」
「……暇人ね」
肩をすくめて、パチュリーは呟いた。
ヴァルバトーゼも内心で同意する。
「まあいいわ。で、ヴァルバトーゼ……でよかったかしら?」
「うむ」
「今度は部屋の外へ転移してみてくれる?」
「よかろう」
これで何が変わるのかさっぱりだったが、理由など後で聞けばいい。
ヴァルバトーゼは疑問を捨てて、転移を発動した。視界が途切れ、景色が切り替わる。
特に失敗する理由もなく、ヴァルバトーゼは大図書館の入り口へと現れた。赤い絨毯の敷かれた、長い廊下。ヴァルバトーゼの右手には大図書館への扉がある。
こんな場所に長居する理由があるわけもなく、ヴァルバトーゼは扉の取っ手へと手を伸ばした。
「――ねえ、そこのあなた」
だがそんな彼を呼び止めるように、声がかけられる。
幼く高い――そんな印象を抱きながら振り返れば、やはりそこには相応のシルエットがあった。背丈の程がレミリアと同じ程度の少女。
そう思わずレミリアを例えに出すほど、その少女はレミリアを連想させた。見た目だけで言えば確かに違う。左右で結えた金の髪、あどけなさの残る勝気な目つき、そして何よりも背中のソレだ。
もしソレがレミリアと同じようなコウモリ系の翼だったなら、ヴァルバトーゼは彼女をレミリアの血縁と断じただろう。
しかし違う。彼女のソレは決してそのようなものではなかった。
黒い枯れ枝のような、いわゆる翼手の部分。それはいい。
だがその下にあったのは、皮膜でも羽毛でもなかった。
石だ。水晶のような菱形の石が左右七つずつ、まるで吊り下げられているかのように浮いている。
そしてその石は、左右それぞれ虹の七色を振り分けられていた。
「……誰だ?」
問いを投げたヴァルバトーゼの声は硬い。その理由は彼自身も明確に掴んでいなかった。
この場にいる以上、紅魔館の関係者であることは間違いない。おそらくはレミリアに近しい存在のはずだろう。ならば警戒する必要などどこにもないと、冷静な思考はそう告げている。それでも、本能は警鐘を鳴らし続けていた。
――危険だ、と。
「あなたって、男?」
そんなヴァルバトーゼの内心とは裏腹に、少女は無邪気に問いを投げてきた。
質問に質問で返されことに顔を顰めつつも、ヴァルバトーゼは律儀に答える。
「そうだが、それが一体――」
「じゃあ」
少女はヴァルバトーゼの言葉を遮り、口の両端を吊り上げた。それはまるで黒い三日月のように。
彼女はゆっくりと右手を前へと伸ばしていく。
「コワしても、いいよね――?」
「っ――!?」
刹那、おぞましいほどの悪寒がヴァルバトーゼの背筋を駆け抜けた。
そしてその直後、三つの音が連続して響く。
一つ目は、ヴァルバトーゼの両足が絨毯を蹴った音。彼自身、遠のく少女を見て初めて己が飛び退いたことを自覚した。
二つ目は、ヴァルバトーゼの両足が絨毯を擦った音。この間少女は何もしていない。あえて言うならば、右手を握ったぐらいだろう。
そして三つ目。
その発生源は彼の足元。重く鈍い音が、絨毯を叩いた。まるで、何かが落ちたような――
「――――」
そこにあったものに、ヴァルバトーゼはその両目を大きく見開いた。
一見すればそれはただの黒い棒。よく見ればその先端は白い布で包まれており、さらに細い棒が五つ伸びている。
それはまるで黒い袖を通して、白い手袋をつけた腕のよう。
否。それはまさしく――
「バ、カな……ッ」
紛うことなく、彼の左腕だったのだから。