幻想郷戦記ヴァルバトーゼ   作:ととごん

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Stage4 虹彩華拳

 太陽が下り始めた頃、チルノと別れたヴァルバトーゼは紅魔館へと足を向けた。

 元より彼がいたのは霧の湖。その畔にある館ゆえに、辿り着いたのはそれからすぐのことであった。

 彼の視界に映るのは、天辺に聳える時計塔が特徴的な赤く壮大な館。

 中々立派ではないか、とヴァルバトーゼは感嘆の吐息を漏らしながらその手前にある大きな門へと手を伸ばす。

 しかし彼の手が門に触れるよりも早く、その門は金具を軋ませて外側へと動き出した。開いた隙間から覗き込むように赤毛の女が顔を出す。 

 

「どちら様ですか?」

「む。……俺の名はヴァルバトーゼ。ここに優れた魔法使いがいると聞いてな、尋ねに来た」

 

 意表を突かれたヴァルバトーゼは若干であるものの狼狽をみせた。まさか気配を辿られていたとは。

 あるいはその手の結界を張っていたという可能性もある。そうなれば彼女こそが目当ての魔法使いとなりうるが、ヴァルバトーゼの勘は違うと告げていた。この女は、純粋に己の気配を察知したのだと。

 

「うーん。館に知らない方を上げるにはお嬢様の許可が必要なんですけど、今お客さんがきてまして」

「どのくらい待てばよいかわかるか?」

「そんな時間はかからないと思うんですけど、ちょっとわからないですね。どういったご用件かも聞いてないので」

「そうか。では出直すとしよう」

 

 先客がいては仕方ない。日が落ちる前にもう一度来るとしよう。そう決断したヴァルバトーゼは踵を返した。

 だがそんな彼の背中に声が投げられる。

 

「あ、ちょっと待ってください」

「む?」

 

 疑問符を浮かべながらヴァルバトーゼが振り返ると、女は門の外へと出て深々と頭を下げた。

 

「申し遅れました。私はここ、紅魔館で門番を務めている紅美鈴と申します。どうでしょう、お暇でしたら一つ手合わせしませんか?」

「……スペルカードルールか?」

 

 散々チルノとやりあった後だ。とてもではないが気乗りしない。

 そんな内心をありありと浮かべるヴァルバトーゼに対して、美鈴はにやりと笑って否定する。

 

「いえ、こちらです」

 

 美鈴はそう言うと、腰を落として拳を突き出した。拳法の構えだ。

 その澱みのない構えを見て、ヴァルバトーゼの経験が告げる。彼女は凄まじい達人であると。

 それだけではない。ヴァルバトーゼは彼女の構えに見覚えがあった。もっとも、具体的に思い出すには至らなかったが。

 

「面白い」

 

 意図せず、ヴァルバトーゼは呟いた。

 美鈴は明らかに人ではない。気配が違う。悪魔――こちらでいうところの妖怪だろう。

 だが技を極めた悪魔というものは、ヴァルバトーゼの知る限り極めて少ない。その理由は大きく二つ。

 一つは単純に努力を嫌う悪魔が多いから。地道にこつこつ――などというものは一般的な悪魔の性格と噛み合わないのだ。

 もう一つは技を用いる必要がないためである。卑怯を美徳とする悪魔において、技を必要とする場面――『脅威的な存在に、一人で正々堂々と立ち向かう』などということはまずありえない。

 力で勝るならば力で。力で勝てないならば数で。それでもダメならば不意打ち、毒殺、騙し討ち――これこそが悪魔の常道である。

 ヴァルバトーゼも己が用いることこそ好まないが、用いられることに対しては何一つ異論を持っていない。

 このことから彼の住む魔界において、武術――流派としての発展度は著しく低い。我流で戦う悪魔が殆どだろう。ヴァルバトーゼもまた例外ではない。

 だが美鈴は違う。それは世界を隔てた悪魔と妖怪の価値観の差異によるものか、もしくは――

 

「それで、やりますか?」

 

 問われ、現実へと意識が浮上する。随分考え込んでいたらしい。

 勝負を受けることには否やはないのだが、ヴァルバトーゼには気になることがあった。

 

「何故だ?」

「はい?」

「何故俺に手合わせを願ったのだ」

 

 ヴァルバトーゼが抱いた印象では、美鈴は手当たり次第勝負を挑むような性格には見えない。ならば何か理由が存在するはず。

 

「簡単ですよ。少々血が騒いだ、というだけです」

「それこそ解せぬ。俺の魔力が少ないのはキサマも理解しているだろう」

 

 一見した相手の力量を図る際、もっとも分かりやすい指標は魔力の強さだ。

 しかしその指標に照らすと、ヴァルバトーゼという悪魔は間違いなく弱い。少なくとも、美鈴とは一段二段大きな壁が存在している。

 そして他の観点からヴァルバトーゼの何かを見出すには、出会ってからの時間が余りにも短い。

 

「そうですね。ですが貴方は幻想卿の妖怪にしては余りにも気配が鋭い。そんな貴方に少々あてられてしまったんですよ」

「ふむ、まあ理解できなくはないな」

 

 闘争――ともすれば殺し合いを常とする世界でヴァルバトーゼは生きてきた。そんな彼が纏う雰囲気は、ここ幻想卿では少々強烈なのだろう。触発されるというのも十分納得できる話である。

 

「それに――」

 

 成る程然りと頷いたヴァルバトーゼに対して、美鈴は他にも理由はあると言葉を続ける。

 

「――貴方が弱いと思ったなんて、一言も言ってませんよ、私」

 

 その言葉に、ヴァルバトーゼはしばしその目を瞬かせた。それほどまでに予想外のセリフだったのだ。

 無論世辞などではない。美鈴のアクアグレイの瞳は、嘘偽りなしと強くヴァルバトーゼを射抜いているのだから。

 少しの間沈黙が場を満たし、ふと美鈴がくすりと笑った。

 

「勘ですけどね」

「……フ、フフフ。ハハハハハハハッ! よかろう! 手合わせ願おうではないか!」

 

 かつての世界においても、彼を強いと評する存在は数多くいた。

 だがその理由は、畏れエネルギー問題による相対的な優位があったからこそ。

 なればこそ、今この世界においてヴァルバトーゼは決して強くない。少なくとも魔力量のみで見たら弱いと断じても何ら異存はない程度には。

 だというのに、初対面のこの女はそんなことはないと本気で言ってのけた。ならばその期待に応えねばならない。

 滾る気持ちを笑みに変えたヴァルバトーゼは、愛剣を呼び出して問う。

 

「ところで俺の得物はこれだが――問題はあるか?」

 

 万が一。美鈴がヴァルバトーゼを拳法家とみての立ち合いを望んだのならば訂正しておかなればならない。

 とはいえやはり杞憂だったらしい。当然のように美鈴は頷いた。

 

「ええ。何でもありのつもりでしたから。何もないところから剣を取り出したのには驚きましたけど」

「そうか。では始めるか?」

 

 この高ぶりが冷める前にと、ヴァルバトーゼは美鈴へと剣を向けた。しかし彼女は申し訳なさそうに首を振る。

 

「そうしたいのは山々なんですけど、少し場所を変えても構いませんか? 流石にここで始めると門や庭、下手したら屋敷に被害が出てしまうので」

「成る程な。キサマの役目は門番だったか」

「ええ。ですから離れすぎない程度の場所ということで」

 

 その言葉を最後に、少しの間彼らは会話もなく歩き続けた。

 

「ではこの辺りで」

 

 そう言って美鈴が立ち止まったのは、広く開けた草原の真ん中。

 近接戦闘を主とするならば館周りには間違いなく被害はでないだろうという距離だ。

 

「気絶か降参で決着、異存はあるか?」

「ありません」

「では始めるとしようか。先手は譲ってやろう」

 

 そう言って、ヴァルバトーゼは半身に構えると剣をたらした。

 対する美鈴は腰を落として左手をゆるやかに前へと。右手は拳を固めて腰元に。

 

「では――」

 

 言いながら、美鈴は軽く左足を前に出す。

 直後、誇張なく大地が揺れた。

 その凄まじき衝撃と轟音――その震源は、驚くべきことにヴァルバトーゼの足元にて。

 

「――――」

 

 彼の眼下では、赤い長髪が揺らめいている。

 ともすれば混乱の渦中へと落とされかねない現象を前に、どうにかヴァルバトーゼは冷静さを保ち続けた。刹那の間に状況を分析する。

 美鈴は完全の間合いの中に。剣は未だ過去の彼女を見つめている。回避も防御も迎撃は不可能。ならば。

 

「破ッ!」

「ガ――!」

 

 思考が結論へと至ったのと同時に、砲弾のような一撃がヴァルバトーゼの腹部を貫いた。堪えきれず吹き飛ばされる。

 しかしどうにか体勢を入れ替えて両足で着地。無様に地面を削るマネはさける。

 ヴァルバトーゼハ口内にたまった血を吐き捨てると、拳を放った形のまま動かない美鈴へと視線を移した。

 

「流石ですね」

「……キサマもな」

 

 ヴァルバトーゼの言葉に応えたかのように、美鈴の左腕から血が滲みだす。その傷口は紛れもない斬撃のモノだった。

 そう。先の一合にて剣が間に合わぬことを悟った彼は、吹き飛ばされた直後――剣の間合いになったその瞬間を狙って剣を薙いだのだ。

 体勢こそ最悪だったが、美鈴の左後背――すなわち死角より迫った凶刃は間違いなく彼女に手痛いダメージを与えるはずだった。ありえないことに反応されたため失敗したのだが。とはいえ流石に無傷とはいかなかったらしい。

 

「ち……」

 

 重い鈍痛がヴァルバトーゼの身を蝕む。やはりダメージは彼の方が大きい。これでも打点をずらした結果だというのだから恐れ入る。

 美鈴の技巧が卓越しているのか、ヴァルバトーゼの体が貧弱なのか。おそらくは両方だろう。

 

「では、次はこちらからゆくぞ」

「ご自由に」

 

 やはり身体能力で劣っている以上受け手に回ると厳しい。

 次はなどと言ったものの、もはやヴァルバトーゼは二度と受けに回るつもりはなかった。

 ヴァルバトーゼは左足で一歩踏み出す。まるで、先刻の美鈴のように。

 まさしく焼き直し。事実、彼はその場から姿を消し去ったのだから。

 秒のズレもなくヴァルバトーゼが姿を見せたのは美鈴の背後。深く体を沈めた彼は、腰に溜めた剣を解き放った。

 

「……――そこッ!」

 

 その瞬間、彼女は反転して拳を放つ。剣閃の軌道と寸分違わぬその位置に。

 凄まじい感知能力。椛の一戦を省みて影が差さない位置に転移したのだが。

 だが反応したとはいえ所詮は無手。煌く刃と唸る拳、どちらが勝つかなど明白で―― 

 

「な」

 

 直後、鋼鉄を叩いたかのような甲高い音が響いた。刃と拳が鳴らした音とはとてもではないが信じ難い。

 だが幻聴などではないらしく、美鈴の右拳はヴァルバトーゼの剣と鬩ぎ合っていた。

 斬撃の威力を殺したと判断してか、美鈴は器用に腕を捻って剣を払う。

 ヴァルバトーゼは体勢を崩さぬように即座に剣を引くが、遅い。既に美鈴の次弾は装填されている。

 入れ替える形で左拳を放たなかったのは、右を打ち直してなお先手をとれるとみたからだろう。それほどまでに拳と剣では回転率に差が存在する。

 ゆえにヴァルバトーゼの迎撃は間に合わず、美鈴の渾身を受けるしかない。――本当に、そうだろうか。

 確かに返しの刃は間に合わない。ならば刃を返さずして、先手を取ればいい。

 一つ吐息を零したヴァルバトーゼは、己が右手から剣を消す。無論彼の剣が再び姿を見せたのは――左手。そのまま薙ぎ払う。 

 芯のない、軽い一閃。だがこの局面において何よりも重要なのは早さなのだから何一つ問題はない。

 

「くっ」

 

 肉を裂く感触が剣を通して腕に伝わる。だが浅い。ぎりぎりで飛び退かれた。

 美鈴から目を切らずに、剣を右手に持ち替える。追撃も考えたが、迂闊な深追いは愚行だと判断した。事実美鈴は零れる血を気にする素振りもみせずに拳を構えている。

 だが一つわかった。美鈴の肉体硬化は意識的に発動しているものだということだ。でなければ傷を与えられる道理はなく、そもそも彼女は避けなかっただろう。

 

「そういえば、貴方の剣は出し入れ自由でしたね。失念していました」

「俺もよもや、剣と殴りあうとは思っていなかったぞ」

 

 自らの失態を笑う美鈴に、ヴァルバトーゼは笑みと賞賛を返した。

 

「いえ、他に取り柄がないものですから――」

 

 美鈴は恥らうように目を伏せると、左足を軽く上げる。

 

「ね!」

 

 激震。

 再び姿をかき消した美鈴は、やはりヴァルバトーゼの懐へと現れた。

 だが――

 

「フン、二回連続とは舐められたものだな」

 

 二度同じ技に翻弄されるほど、ヴァルバトーゼは甘くない。

 何よりも彼はその技を知っている。否、思い出したというべきか。

 縮地。彼の世界にも存在する特殊な歩法。一瞬にて間合いをつめることができる非常に有用な技術だが、転移と違い単純な瞬間移動ではない。

 すなわち、直線移動しかできないということだ。

 

「――!」

 

 美鈴の驚愕が、気配を通してヴァルバトーゼに伝わる。無理もない、踏み込んだ瞬間視界が暗転したのだから。

 美鈴の眼前にあるのはヴァルバトーゼの左掌。タネさえ割れれば例え擬似瞬間移動であろうと対応は容易であるということだ。

 無論彼女とて硬直するのは一瞬だろう。やはりヴァルバトーゼの剣は間に合わない。だから彼は、そのまま左手で彼女の顔を強く掴んだ。投げつけるように力を込める。

 すると至極、拍子抜けするほどあっさりと美鈴の体が後ろへとぐらついた。まるで抵抗を感じない。

 

「ぐ――!?」

 

 衝撃が、ヴァルバトーゼの顎を貫いた。認識外の一撃にヴァルバトーゼは目を見開く。その瞳が、高く伸びた美鈴の脚を映した。状況を理解する。

 あえて倒されるままにして、反動で足を跳ね上げた。美鈴が行ったのはそういうことだろう。あわよくば意識を刈り取る狙いもあったはずだ。

 

「っ!?」

 

 だが無論、ヴァルバトーゼはこの程度で意識を手放したりはしない。

 

「ガアアアッ!」

 

 痛みすらも糧に変えて、ヴァルバトーゼは地面へと美鈴を叩きつけた。その威力に地面が陥没し、放射状に亀裂が走る。

 彼もまた頭部への衝撃で意識を奪う狙いがあったのだが、こちらもまた失敗した。美鈴の頭と地面の間に、彼女の右腕が差し込まれている。だが流石にその右腕はただでは済まないだろう。

 加えて体勢でも圧倒的にヴァルバトーゼが有利。無防備に体を晒している美鈴へと剣を振り下ろす。

 

「く、うっ……」

 

 肩口を狙った一撃を、美鈴の左腕が阻む。鮮血が舞ったことから、肉体硬化までは間に合わなかったらしい。ヴァルバトーゼが今感じている硬い手ごたえはおそらく骨だろう。

 かなりの痛みが美鈴を襲い続けているはずだが、彼女は力を緩めない。ぎちぎちと押し合いが続く。圧倒的不利な体勢から拮抗を続けるとは尋常な膂力ではない。

 

「ぁ、あああっ!」

「ぐっ……!」

 

 数秒にわたる競り合いは、美鈴の強烈な蹴撃で終わりを告げた。寝ながら放たれたとは思えないその一撃は、ヴァルバトーゼの体を浮かす。

 そこにもう一撃。弧を描いた鋭い蹴りは、ヴァルバトーゼを遥か後方へと吹き飛ばした。

 したたかに背中を地面に打ちながらも、ヴァルバトーゼは剣を突き立てて体を止める。口元の血を拭い、剣を抜いて血を払った。自分の体の状態を確認し、美鈴の様子も確認する。

 彼我の損傷を比較すれば、若干ヴァルバトーゼが有利といったところか。彼は攻撃を喰らった回数こそ多いが、そのどれもが戦闘に支障を与えるほどのモノではない。

 対する美鈴は両腕のダメージが痛恨だろう。拳士である以上、決して無視できない痛手のはずだ。

 しかし美鈴はヴァルバトーゼが動かないことを確認すると、両目を瞑って鋭く強く息を吐いた。

 直後、目に見えて美鈴の傷が癒え始める。

 

「な――、っ!」

 

 呻きながらも、反射的に駆け出したヴァルバトーゼは流石といえるだろう。

 その気配を察したのか、美鈴は目を開き迎撃の構えをとった。同時に再生も止まったが、明らかに傷が軽くなっている。

 何にせよこれで持久戦はできない。足を止めれば即座に回復される。そう結論付けたヴァルバトーゼは、決着するその瞬間までその足を止めないことを決意した。

 

 それからの展開は、いささか単調だったと言えるだろう。

 攻め手を決して緩めないヴァルバトーゼと、幾多の剣閃を捌き続ける美鈴。その繰り返し。決してヴァルバトーゼの刃が美鈴へと届くことはない。

 だがそれも仕方ないと言えた。彼は美鈴に力や速さといった身体能力も、武術としての完成度も劣っているのだから。

 特に技。その一点においてはヴァルバトーゼの膨大な経験においても、彼女を上回っていた者は少ない。

 しかし交わされた拳と剣の数が幾百を超えようとも、戦局は停滞し続けている。無論無理に攻める必要のない美鈴と、攻め続けなくてはならないヴァルバトーゼでは前提からして対等ではない。それでもヴァルバトーゼとて美鈴の反撃を全て凌ぎ切っている。互角の攻防――そう評していいだろう。

 ならば一見して絶大な彼我の実力差を埋めている何かを、ヴァルバトーゼが持っていなければ道理に適わない。

 そう、ヴァルバトーゼが唯一絶対的に美鈴に勝っているもの――それこそが、経験だった。

 魔界に現存する悪魔において最多を誇るその交戦回数。おそらく幻想卿の妖怪では比較にもならないだろう。

 ヴァルバトーゼはほぼそれ一つで、美鈴が持つ数々のアドバンテージと拮抗していた。

 加えて彼女の用いる拳法が彼の知るところであったことも大きい。そう、ヴァルバトーゼは激しさを増す闘いの中でほぼ完全に彼女の用いる拳法を思い出していた。人間が用いる武術の中でも極めて有名な拳法――その流派が一つ。達人特有の崩しが随所に見られるものの未知の武術を相手取るよりは余程まともに戦える。

 例えばもしこれが幻想郷独自の空中機動を交えたものだったなら、おそらくあっさりと決着がついただろう。ヴァルバトーゼの敗北という形で。

 とはいえ現状でもとてもヴァルバトーゼが有利だとは言いがたいが。燃え尽きるまで走り続けなければならないヴァルバトーゼと余力を残してそれを待てる美鈴では、大局的に見ればどちらが勝利を手にするかなど一目瞭然であった。

 そして、その時が訪れる。

 

「ぬ――」

 

 間隙を縫うように放たれた美鈴の拳が、ヴァルバトーゼの右手から剣を払い飛ばした。強い痺れが右手を襲う。

 大きく放物線を描いて飛んでいく剣を見送る暇もなく、美鈴がさらに一歩懐へと踏み込んだのをヴァルバトーゼは視認する。

 剣は触れてなければ干渉できないため、再現出は不可能。今ならば転移が間に合うが、残存魔力を考えれば無駄な魔力は払えない。加えて転移で下がれば回復を許す可能性もある。だからといって回避しようにも、既にそれが許される猶予はない。結局防御が妥当に思えるが、彼女の拳法は『貫く』ことに長けていた。

 ゆえに、残されるは一手のみ。ヴァルバトーゼは無事な左手を強く握る。

 

「終わりです」

「ち、ィ――!」

 

 迫る美鈴の拳。それに合わせるようにヴァルバトーゼもまた拳を放った。

 直後に、それまでとは違う骨の砕ける乾いた音が響く。

 

「ぐ、ァッ……!」

 

 苦悶の声はやはりヴァルバトーゼから。

 威力をあえて殺さずに後ろへと吹き飛んだヴァルバトーゼは、地面に転がった剣を拾ってから体勢を立て直す。

 そんな彼の左腕は、肘から先が奇怪なオブジェのように捻じ曲がっていた。

 だがそれだけで済んだと、ヴァルバトーゼは笑う。

 とはいえ形勢はますます不利へと傾いた。戦闘続行こそできるものの、この左腕では先程までと同じ動きはできないだろう。

 それだけではない。そもそも先の均衡が崩されたということは、双方の実力に開きが生じたということだ。

 その要因は美鈴がヴァルバトーゼの闘い方に慣れたことだろう。

 元より美鈴の武術を知っていたヴァルバトーゼに対して、美鈴にとってのヴァルバトーゼとはまさしく未知であった。

 技に対して常に正しく対応されること。左右対応の奇妙な剣術。予備動作のない瞬間移動。最初こそそれらに翻弄された美鈴だが、並外れた洞察力を持つ彼女は既にそれらに適応しつつあった。

 もちろんヴァルバトーゼとて美鈴に対する慣れが徐々に生じてはいた。だがそれによって埋まる差――いうならば伸び代に決定的な差が存在したのだ。

 

「まだ、続けますか?」

 

 もし回復をする素振りを見せれば即座に転移で斬りかかるつもりだったヴァルバトーゼだが、美鈴の行動は勧告であった。

 確かに趨勢は決したと、断言しても間違いではないだろう。加えてこれが比武である以上続ける意義は薄い。

 

「フン、無論だ」

 

 しかし、まだ一手。ヴァルバトーゼには切っていないカードが残されている。

 負けを認めるならば、せめてその手でもう一博打――そう彼は考えた。

 

「そうですか。では」

 

 不敵に笑うヴァルバトーゼに未だ勝敗は不明とみたのか、美鈴はそれ以上問い直すことはせずに構えを深くする。

 同時に、ヴァルバトーゼは疾走した。機を伺うなど無意味と断じたゆえに。

 一瞬で距離を縮める二つの影。一息で一足の間合いまでつめたヴァルバトーゼは、さらにもう一歩踏み出そうとして――

 

「――そこまでです」

 

 両者を分かつように、銀の光が煌いた。その先には一つのナイフが地面に突き刺さっている。

 ヴァルバトーゼ、そして美鈴はその出所を辿るように一つの方向へと視線を合わせた。

 そこにいたのは銀髪のメイド嬢。彼女は両者に向けて深々と頭を下げた。

 

「勝負の最中と知りながら、お邪魔しましたことについてはお詫び致します。私は十六夜咲夜。紅魔館のメイド長を務めております」

「それで、そのメイド長とやら何の用だ?」

 

 問いかけるヴァルバトーゼの声は剣呑さを纏っている。勝負に水を差された彼の心情を考えれば当然と言えるだろう。

 しかしそんな彼の態度に意を介した様子はなく、咲夜と名乗ったメイドは淡々と語った。

 

「お嬢様――紅魔館の主が貴方をお呼びしています。命令ですので貴方の否応を問わずに連れて行かなくてはならないのですが――それはそちらにとっても都合のいい話かと」

 

 まるで話が掴めない。答えを求めて視線を彷徨わせると、美鈴もまた首をかしげていた。彼女は何も知らないらしい。

 何にせよもはや完璧に興が削がれてしまった。この状況では闘い直す気にもなれないと、ヴァルバトーゼは剣を納める。

 

「癪だが、キサマの言っていることは事実だ。よかろう、キサマの主の元まで連れて行くがいい。――というわけだ。この勝負、俺の敗北で構わぬ」

 

 元より劣勢。ここで決着とするならばヴァルバトーゼの判定負けは明らかだった。

 だが美鈴は苦笑して首を振る。

 

「いえ、どちらにせよお嬢様の意向でしたら私も逆らえませんから。どちらが勝つかまだわかりませんでしたし、決着は持ち越しということで」

 

 そう語る美鈴の声には嘘がない。彼女は本気で、あれから自分が敗北する可能性はあったと言っている。

 だからヴァルバトーゼもまた、それを受け入れた。

 

「……そうか。ならば必ず、この決着はつけると約束しよう」

「はい。お待ちしています」


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