幻想郷戦記ヴァルバトーゼ   作:ととごん

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Stage3 氷とイワシと約束と

 明け方の幻想郷。

 顔を覗かせた太陽が、まだ霧のでていない湖を朱色に焼いている。

 その様子を、ヴァルバトーゼは腰を下ろして眺めていた。よく見ると手に持つ何かを食べている。

 

「……ふう。よもや水揚げされたばかりのイワシを食べることができるとはな」

 

 何故彼がイワシを手にしているのか。少し話は遡る。

 先程紫の異界を経由して落とされたのがまさしくこの場所、湖の近く。

 ヴァルバトーゼはそのまま紅魔館へと向かおうとしたが、紫にそれを止められた。行くのは昼過ぎがいいわよ、と。

 どうやら館の主は夜型妖怪らしく、この時間帯から昼にかけては寝ているらしい。無理に起こして機嫌を損ねない方がいいだろうということだ。

 紫の口ぶりからすると他にも理由があるらしいのだが、彼女はそれを語らなかった。ヴァルバトーゼとしてもさして興味がなかったため、深くは追求しなかったが。

 ともあれその時を待たなくてはならなくなったヴァルバトーゼだが、実のところ彼には他にもこの場所に用があった。紅魔館での事が済んだらそちらの用を消化しようと思っていたのだが、順序を入れ替えればいいだけで何の問題もない。

 そのための下準備をしていたヴァルバトーゼの頭を、ぺちぺちと何尾かのイワシが叩いたのだ。見上げればそこには閉じゆく裂け目が存在した。早速紫が約束を果たしてくれたということだろう。

 

 そして今、ヴァルバトーゼは最後の一尾を食べ終えた。あえて残した頭を懐に収めて立ち上がる。彼の視線は、湖上をゆらゆらと動く一つの影を捉えていた。

 小さく笑い、ヴァルバトーゼはその影の方向へと歩き始める。すぐに湖面へと差し掛かるが、彼は両足裏に魔力を集中させることで水面へと干渉。何事もないように歩を進めていく。

 その先にある影――浮かぶ氷の上で寝そべる一人の少女がむくり上半身を起こした。僅かな水音と揺れる波紋に気づいたのだろうか。

 だが構わずヴァルバトーゼはその少女の目の前まで進み、静かに宣言した。

 

「小娘。約束を果たしに来たぞ」

「んう?」

 

 そんな彼を寝ぼけ眼で見上げるのは、氷の妖精チルノ。

 気持ちよくまどろんでいたのだろう、眠たげに目元を擦っている。

 だがやがて目が覚めてきたか、びっくりしたように目を見開くとがばりとその場で立ち上がった。

 

「ア、アンタは昨日の! 確かヴァ、ヴァル……」

「ヴァルバトーゼだ」

「そうヴァルバートゼ!」

 

 違う。

 文が話していた通り、頭の方はあまりよろしくないようだ。

 

「ヴァルバトーゼだ」

「ヴァルバトーゼ!」

「うむ。それでいい」

 

 元気よく名前を言えたチルノに、ヴァルバトーゼは満足げに頷いた。

 それにチルノは気をよくしたのか、自慢げに胸を張る。

 

「ふふん。……あれ。それであんたは何しに来たの?」

「これだ」

 

 きょとんとした様子を見せるチルノに、ヴァルバトーゼは懐から何枚かのカードを取り出してみせた。その表面には様々なイワシが描かれている。

 これこそがスペルカード。ここ幻想郷に張られている結界の効果で、スペルカードが欲しいと願えば誰でも手にすることができる特殊な術式札。

 ヴァルバトーゼが先程行っていた下準備とは、まさしくスペルカードプログラムを組み上げることだったのだ。

 

「ルールは聞いた。準備もできている。さあ、今度こそ弾幕ごっこを始めようではないか」

「あ、そっか。アンタ……ほんとに約束を守りにきたんだ」

「無論だ。言ったはずだ、俺は必ず約束を破らぬと」

 

 堂々と当たり前のように告げるヴァルバトーゼに、チルノは喜色を浮かべた。

 彼女は腰に手をあてて、彼に指を突きつける。

 

「よし、じゃあ――勝負だ!」

「待て」

 

 そのまま始めてしまいそうな勢いのチルノをヴァルバトーゼは手で制した。

 勝負を始めるには決めておかなければならないことがある。

 

「残機を決めていない。普段は何機でやっているのだ?」

「あ、そうだった。えーと……多分三機が一番多いかな」

 

 思い返してみれば前回も残機についてチルノは話していなかった。

 おそらくいつもは対戦相手が決めているのだろう。

 

「ならばそれでいい。準備はいいか?」

「いいよ!」

 

 チルノが懐から出して呼応する。

 だがこの場で始めるにはいささか間合いが近すぎる。そう判断したヴァルバトーゼは大きく後ろへ飛び退いた。

 湖上から畔へ。柔らかな草の感触が足から伝わる。

 

「あたいの方が先輩だからね、先手をとらせてあげる! いつでもこい!」

「フ……よかろう! ならば受けてみよ! 我が弾幕の真髄をッ!」

 

 そう叫びながら掲げたカードは弾幕カード。魔力を流し、カードが輝く。

 弾幕が展開されたのは、ヴァルバトーゼの後背頭上。その構成は、まさしく彼が考案したとおりのものであった。

 

「なっ」

 

 弾幕ごっこを彩る華の一つに、多種多様な弾幕の形状がある。

 その形について、紫はヴァルバトーゼに一つのアドバイスを話していた。

 己が信じる力の形にせよ、と。

 ゆえにチルノは氷の模っている。巫女ならば神具。魔法使いならば属性の形に。妖怪ならば種族の象徴を。

 ではヴァルバトーゼは何とするのか。

 彼は吸血鬼である。ならば血か? コウモリか?

 否。そんなはずはない。彼を知る存在ならば口をそろえて一つのモノを挙げるだろう。

 すなわち、今の彼が信じる力の象徴とは――

 

「なにこれ!?」

 

 背が青く、腹部が白い小魚――イワシ。 その造形と色合いは細密かつ忠実に再現されている。

 その群れこそが、ヴァルバトーゼが放つ弾幕の形。今顕現した数はおよそ三十尾。

 それらをよく見るときちんと隊列が組まれており、魚のサイズで三隊に区分けされている。

 

「よく聞け! イワシは三つ、大きさによって呼称が変わるッ! 一つ! 体長十センチ前後の小羽ッ!」

 

 突如ヴァルバトーゼは腕を広げてイワシの解説を始めた。

 そして言い終えると同時に、一番サイズの小さい群体がチルノに向かって射出される。

 

「う、わわわ!」

 

 シンプルな直線攻撃。

 プログラムリソースの全てを速度に裂いたその一手は、紛れもなくチルノの不意をついただろう。

 ――それでもなお、彼女を捉えることはできなかったのだが。

 予備動作なしの空中機動。尋常ではない初速を誇る幻想郷特有の空中機動は、その弾幕を以てしても遅い。

 にやりと、見下したようにチルノは笑みを浮かべた。

 

「二つ! 体長十五センチ程度の中羽ッ!」

「っととと!」

 

 構わず第二射が放たれるが、やはりあたらない。

 ヴァルバトーゼに残された弾幕は残り十尾――いや、十発というべきか。

 

「三つ! 体長二十センチ以上の大羽だッ! 覚えておけッ!」

 

 初弾よりもサイズが倍以上大きいイワシの群れが、チルノに迫る。

 だが彼女は既に平静を取り戻している。大きく回避運動を取った一射目二射目とは違い、チルノは三射目を最小限の動きで回避した。

 そしてカードの効果が終わる。薄暗く色褪せたそのカードは、発動できないことを示している。

 これを紫は再使用不可時間と言っていた。例え弾幕カードといえど同種の連続使用はできないらしく、一度別のカードを発動しなくてはならないらしい。

 

「なんかよくわからないこといってたけど、それで終わりみたいね! 今度はこっちの番よ!」

 

 チルノもまた弾幕カードを掲げたらしく、氷の礫がヴァルバトーゼへと乱れ飛ぶ。彼女のまた、極めて単純な弾幕。回避は容易だろう。

 だがヴァルバトーゼの反射がそれを妨げた。ダメージのない攻撃と知っている彼の経験は、回避ではなく迎撃を選んだのだ。

 理性がそれをとめたのは、腕を振り上げてからのこと。その硬直は如何に単純な弾幕相手とはいえ、致命的であった。

 

「く」

「よーし! 後二つ!」

 

 想像以上に面倒な縛りだと、ヴァルバトーゼは内心で毒づいた。

 正面突破や真っ向勝負を好む気質の彼にとって、回避を主軸としたゲーム性は相性が悪い。

 チカラを失う前など、全ての攻撃に対して迎撃を選択していたほどだ。思考よりも反射が体を動かしてしまう。

 加えて機動性。

 ヴァルバトーゼは基本、足を用いた移動になる。魔力固定の応用で空中機動も可能だが、やはり直線移動となってしまう。

 対してチルノは自在に空中を動くことが可能だ。手足を用いず、予備動作も必要ない。

 両者の差は歴然といっていいだろう。

 

「『ブラッディホール』!」

 

 受けに回れば負ける。

 そう判断したヴァルバトーゼは一気呵成に攻め立てた。牽制も用いぬスペル宣言。

 スペルカードが無数のコウモリへと変じ、突如現れた闇がチルノを包んだ。

 

「穿てッ!」

 

 スペルの仕込みを間違えてなければ、今まさにチルノを多数の赤い針が襲っただろう。

 命中したという手応えが伝わる。チルノの悲鳴も聞こえたことから一機撃墜したことを確信した。

 

「う、うう……」

 

 闇が晴れて、涙目のチルノが現れる。

 だがヴァルバトーゼは手を緩めない。彼が抜いたカードの絵柄はソコノコギリイワシツブイワシ。

 

「『魔陣大次元断』ッ!」

 

 宣言に応じて、光の剣がヴァルバトーゼの右手へと現れた。その剣先をチルノへと向ける。

 そしてその剣先は、チルノ目掛けて伸びだした。慌ててチルノが横へ避けるが、スペルの効果は終わらない。

 

「な、な、な」

 

 彼女の背後へと抜けた光の刃はその身で孤を描き始めると、チルノを囲むようにその身を走らせていく。

 次第にその軌跡は螺旋を描いて天高く昇り始めた。前後左右を塞がれたチルノは、その場で呆然と光の終点を目で追っている。

 気づけばそこには光の塔ができていた。同時に、ヴァルバトーゼが剣を横へ払う。すると塔の頂点で剣が千切れるが、しかし輝く塔はその場に残る。

 ここでようやくチルノが唯一の逃げ場に気づいた。頭上――塔の天辺から抜け出せばいいのだろうとその身を高く浮かせていく。

 しかしその判断は余りにも遅い。既にヴァルバトーゼはその身を膨張させた光の剣を上段に構えていた。

 

「喰らえッ!」

 

 振り下ろされた光の剣は、チルノの逃げ場を塞ぐように襲い掛かった。

 炸裂した光波が周囲を蹂躙していく。だが手ごたえを感じない。どうにか直撃は避けたようだ。

 これで残り一機とするはずだったヴァルバトーゼは、計算が狂ったことで次手を迷った。

 

「『アイシクルフォール』っ!」

 

 その逡巡は相手へターンを譲ることとなる。

 響き渡るソプラノボイスに応じて、チルノのスペルが発動した。

 声がした方向――遥か上空を見上げると、そこにはチルノの姿と無数の氷柱がある。

 

「お返しだっ!」

 

 縫いとめられたように動かなかった氷柱が、その言葉によって解き放たれた。存分に重力の影響を受けた氷柱はあっという間に高速の弾丸と化してヴァルバトーゼへと降り注ぐ。

 同時に、着弾点から離脱せんとヴァルバトーゼは駆け出した。その手には一枚のカードが握られている。弾幕カード。

 魔力に応じてカードが輝き、大量のイワシ弾がヴァルバトーゼの周囲へと展開された。そのまま全段高速射出。無論目標はチルノ。

 大雑把な任意宝庫への全段射出をプログラムされたその弾幕は、運よく高密度かつ複雑怪奇な形を築いた。

 だがほくそ笑む暇もなく、ヴァルバトーゼの腕に衝撃が走る。撃墜された。

 

「うわっ」

 

 しかしチルノもまた、回避に失敗した。これで互いの残機は一つ。

 このまま決着をつけんと、ヴァルバトーゼはチルノ目掛けて跳躍した。そのまま懐からカードを取り出すが、その色は暗い。

 弾幕同時展開不可。先に展開したイワシ弾の効果が未だ残っているらしい。

 対してチルノはスペルの効果が終わっているらしく、ヴァルバトーゼに先んじて宣言を行った。

 

「『パーフェクトフリーズ』!」 

 

 色鮮やかな弾幕が、チルノを中心に放射される。

 しかし全方位に射出される弾幕なだけあって、密度が薄い。

 それでも凄まじい総体速度になっているだろう。回避はおろか反応すら難しいはずのその攻撃を、しかしヴァルバトーゼは空中を跳ね回って回避。

 再びチルノへと向かっていき、肉迫。その瞬間彼はスペルを宣言した。

 

「『カズィクル・ベイ』ッ!」

 

 だが不発。

 バカな、と思わずヴァルバトーゼは目を剥いて手元のカードを見た。

 しかし描かれたマイワシのつぶらな瞳が見返してくるのみで、全く原因がわからない。

 ヴァルバトーゼの宣言に身構えたのだろうチルノも、何もこないことに気づいたらしくきょとんとしている。

 跳んだ勢いのままチルノとすれ違ったヴァルバトーゼは、ようやくルールの一つを思い出した。

 半径三メートル以内でのカード使用不可。宣言が近すぎたのだ。

 だがならば、今再び宣言をすればスペルを放てるはず。必殺の機を逃したものの未だ好機と、彼は再びカードへ魔力を流し始め――

 

「――――」

 

 口から漏れたのはスペル宣言ではなく驚愕の吐息。

 ようやく彼は、自身を囲む異常に気づいたのだ。

 灰色の弾幕。いつの間に現れたというのか。新たなスペル宣言は未だ聞いていない。ならばこれは弾幕カードだというのか。

 刹那にも満たない時間で思考が回る。だがその答えを得るよりも早く、その弾幕が変化をみせた。

 徐々に動き始め――その身に色を灯していく。赤、青、黄、緑。その色の配列にヴァルバトーゼは見覚えがあった。

 パーフェクトフリーズ。

 おそらく一度射出した弾幕を停滞させ、再動させる効果を持つのだろう。ヴァルバトーゼは、それに気づくのが遅すぎた。

 もはや完全に色を取り戻した弾幕は、速度も同じく取り戻している。回避は間に合わない。

 

「フ……、見事だ」

 

 その一言を最後に、無数の弾幕がヴァルバトーゼを襲った。

 

 

 

 

 

「いやったー! あったいの勝ちだー!」

「うむ。俺の負けだ」

 

 無邪気に飛び回るチルノを見ながら、ヴァルバトーゼは笑う。

 流石に初戦で勝てるほど甘い仕組みではないらしい。

 だが何にせよ敗北は敗北。ヴァルバトーゼは素直にそれを受け入れた。

 

「では俺はしばらくキサマの舎弟、ということになるか」

 

 もしフェンリッヒがいたのなら、間違いなくこれを阻止せんと動いただろう。

 だが生憎ここに彼はいない。もっとも、いたところでヴァルバトーゼに約束を翻意させられたとは思えないが。

 しかしチルノはそんな彼の言葉をぽかんとした様子で聞いている。

 

「……なんの話?」

「昨日キサマはそう言っただろう。負けたらしばらく自分の舎弟になれと」

「……たしかに覚えはあるけど。でも今日の勝負の話じゃないじゃん」

「それは、そうだが。しかし昨日の勝負のやり直しと考えればおかしな話でもないだろう」

「そりゃそーだけどさ。じゃあアンタが勝ったらどうするつもりだったの?」

「む……」

 

 昨日の条件に照らし合わせれば、チルノに対する何でも質問権といったところだろう。

 しかし今のヴァルバトーゼに尋ねるような問いなどない。

 あえていうのであれ帰還手段かそれに準ずる手がかりだが、チルノがそれを知っているとは思えない。

 

「弾幕ごっこのルールをきいてきたってことは、あたいに聞くようなことなんてないんでしょ?」

 

 だがそれをチルノが察していることは予想外だった。思わずヴァルバトーゼは瞠目する。

 しかしチルノはそんな彼に構わず言葉を続けた。

 

「そんな不公平な勝負であんたを舎弟にするほど、あたいは落ちぶれてないよっ!」

 

 その大きく胸を張った宣言に、ヴァルバトーゼは苦笑する。

 見誤っていたと、素直にヴァルバトーゼは反省した。

 

「そうだな、キサマの言う通りだ」

「でも楽しかったしもう一回やりたい!」

 

 敗者であるヴァルバトーゼは、そのかわいらしい願いを断る気にはなれなかった。

 何より負けたまま、というのは彼とて好むところではない。

 

「いいだろう。次は負けんぞ」

「ふふん、さいきょーなあたいに勝てるかな!」

 

 

 

 

 それから太陽が高く高く昇るまで、彼らの弾幕ごっこは続いた。

 なお、結果はヴァルバトーゼの全敗である。敗因はいくらでもあった。

 性格による不向き。練り込みが足りない弾幕。スペルカードルールの勝負経験。だがやはり最たる理由は機動性だった。

 完全な立体機動を行えるチルノに対して、ヴァルバトーゼは直線的にしか動けない。その差は甚大と言えるだろう。

 要するに、ヴァルバトーゼは致命的なまでにスペルカードルールに向いていなかったのである。

 

「というわけで明日もくること!」

 

 びしっ、とヴァルバトーゼを指差してチルノは言った。

 もっとも、何がというわけなのかさっぱりわからないが。

 

「よかろう。だが明日は敗北を覚悟しておくことだな」

「絶対だよ!」

「約束しよう」

 

 この日を境に、霧の湖上空にて氷とイワシが飛び交う光景が見られるようになる。

 その光景の異様さたるは幻想郷でも噂になるほどで、興味をもった妖怪や人間が見物に訪れるようになったとか。


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