シャドウランF   作:WD

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チェイス・ザ・ゴースト
チェイス・ザ・ゴースト【序】


 

 サイバネティクス手術で高度に肉体を増強した兵士、特にフリーランスで都市部に活動している人種を、俗にストリート・サムライと呼ぶ。世間では営利犯罪者(シャドウランナー)の代表格的な存在と認知されている。

 当然ながら、通販サイトのアカウント登録やアンケート回答の職業欄にストリート・サムライだのシャドウランナーだのと書く馬鹿はいない。

 全くいないとは言えないが、普通はやらない。

 もっともらしい経歴を偽り、それ用のSINを用意する。

 

 ステラ・ミラー。インド系UCAS国民。二十二歳。女性。ドワーフ。前職はインド映画のスタント・パフォーマー。四年前に撮影中の事故で重傷を負い、保証金で顔面修復手術とバイオ皮膚移植、骨格の補強手術を受けた。原状回復ではなくサイバー化を選んだのは、損傷が重度かつ広範囲に渡っていたため、クローン培養組織よりもサイバーウェア・バイオウェアの方が却って安上がりであったことと、復帰後の利便性を考えてのことだ。なお、神経系の増強も元は危険なスタントに対応するためのものである。彼女は回復後、当初は現場復帰を目指したものの、PTSDを発症していたために断念、UCASに帰国した。現在はシアトル市に在住。探偵事務所に就業中。

 大体全部デタラメだ。

 だがデタラメだからといって馬鹿にはできない。警察だって偽造SINによる違法な市民籍が横行していることは知っているし、職務質問でSINの照会をする時、経歴に関連する話題を振って探りを入れるのは警察の常套手段だ。テオドールとしては苦労して精巧な出来映えの偽造SINを手配したのだから、ステラにはできるだけ長くこのSINを使って貰いたいし、つまらないドジでボロが出てしまうようでは甲斐がない。だからステラが人前に出る時はこのデタラメをしっかり演じて貰わなければならないのだが、ステラは偽装の経歴にあるような学歴は勿論ないし、実際はインドで暮らしていたこともない。ヒンディー語は少しだけ喋れたが、読み書きはからっきしだ。そんなわけでテオドールは週に一度、ステラに英語文法やヒンディー語、数学などを勉強させることにしており、またインドの街並みを体感できる疑似旅行シムセンスを一緒になって鑑賞している。ステラには当初、「何もホントにガッコのベンキョーしなくても」と不評だったが、無教養な振る舞いというのは悪目立ちするものだし、人の話を聞けないことが多く、行動パターンも直情的になる。幾ら肉体が強靱でも、粗野なだけのシャドウランナーは長生きできないことをテオドールはよく見知っていた。

 お陰でテオドールは無駄にムンバイに詳しくなってしまったのだが、ステラの方はといえばトリッドは好きだがシムセンスは苦手なようで、五分少々も入っていると音を上げてしまうのだった。インド映画のアクション俳優を目指していたはずの彼女が、自分のアパートにほど近いカリーショップの名前、オートランドリーや市場の場所すらろくに覚えられていない。ステラが言うには、焼けたムンバイの街路を歩くアクター、肉体感覚をシムリグで記録しながら漫ろ歩く誰とも知れない女性の歩調や目配りが、ナメクジが這うようにのろまで間抜けで気持ち悪くなるのだという。どうやら彼女の増強された神経系が他人の肉体感覚に酷い違和感を覚えるらしい。サムライが全員そうだとは聞いたことがないので個人差によるのだろうが、ともあれステラはシムセンスが大嫌いだ。そんなわけで週一の勉強はシムセンスによる地理の復習三十分(シムセンス五分と休憩十分を二セット)、インド製トリッド鑑賞、休憩と食事にインド料理のデリバリー、そこから基礎教養の学習というのがお決まりのコースになっていた。ざっと三年続けて、高校卒業を名乗るのはまだ難しいが、ようやく中学生くらいには落ち着いてきたところだ。

「計算なんか、コムリンクでやればいいじゃん」

「コムリンクにどういう計算をさせればいいか、を考えられないと困るよ。それに肝心なのはモノの考え方だ。カラテもそうだろ。本能だけで体を動かしていたら思いも寄らないような動きを練習して体に覚えこませるから、複雑な動きが一瞬でできるようになる。脳味噌だって同じさ。普通ならやらないような考え方をする訓練をしないとね」

 というような遣り取りを何度やったか分からず、一桁のかけ算すら難儀していたステラが、ジュニア・ハイ向けの教科書を開いて連立方程式や三角関数の公式に頭を抱えて唸っているのを見るとテオドールは色々と感慨深い気分になるのだった。

 クリスマスを控えて、二○七五年の十二月半ば。

 探偵などという不規則な商売をやっていると曜日は他人の行動パターンに関連するものでしかなく、手がけていた素行調査に区切りがついて今週分の勉強時間が取れたのは木曜日の深夜だった。アパートに引き上げるのも面倒だったので、ジェームス・ストリートのオフィスビルにある《アルゴイ情報サービス》事務所に引き上げてきたのが二十二時。「面倒臭い。明日にしよう」と渋るステラに「どうせ明日起きたら遊びに行くだろう」と言いそうになるのをぐっと堪え、深夜営業のスタッファーシャックで買い求めたニッシンの培養肉ステーキ・ベントーで懐柔して今週のノルマ消化にこぎつけたところだ。

 ステラは外見だけならローティーンくらいに見える幼い顔を顰め、いつものだぼだぼジャケットから小さく飛び出た指先にペンを持ち、時折クルクル回して弄びながらも、電子ペーパーに計算式を書き付けていく。ドワーフにしては細身で長身の彼女は、外見だけならちょうどヒューマンの子供のように見える。肩や背中の逞しい筋肉を隠せばより完璧にただの子供に見える。勿論、オーバーサイズのジャケットはそのためのものだ。

 彼女がスラムに幾らでもひしめいているSINなし孤児の中から拾い上げられ、サイバーウェアと銃を与えられてカラテを仕込まれたストリート・サムライにされた理由は、要するにそういうことだ。子供の素振りで銃を隠し持ち、標的を油断させ、近づいてバババンッと撃つ。或いは素手のカラテで首をへし折る。そういうことをするための人材というわけだ。彼女の本当の前歴を査定すれば恐らく何十人かは殺しているだろうし、いずれの被害者も厄介な身元の相手ばかりだろう。幸いにしてステラは前歴の仕事上のことをほとんど知らされていなかったし、テオドールも探るつもりはなかった。

 テオドールはステラの最初のボスを知らない。自前でサムライを仕立てられるからには、大規模なシャドウランナーチームか、犯罪組織の下請けだったのだろうと見当がつくくらいだ。テオドールがステラと出会った時には彼女はもうローニン(野良のサムライ)で、ケチくさいチンピラの下で誰彼構わず銃を撃つ仕事をしていた。最初のボスがどうなったかはステラ本人もよく知らないようだ。突然音信不通になってそれっきり。よくある話ではあった。

「ボス、ここなんだけど……」

 電子ペーパーに浮かび挙がった回答の解説を睨んでいたステラが、内容を消化しかねてテオドールに質問してくる。ジュニア・ハイの数学はテオドールも随分昔にやったきりなので参考書を検索しながらの説明になるが、ステラは至極真面目な顔で聞き入っている。辿々しく指導するテオドールの方が申し訳なくなってくるほどだ。ドワーフという人種の常なのか、彼女生来の気質なのか、何事でも一度始めてしまうとステラは生真面目だ。素養はないが粘り強く、難しいとか分からないとか喚きはするものの、放り出すことはしない。その分、一度イヤだと決め込んだことをやらせるのは苦労するのだが。

 テオドールが成り行きでステラとつるんで、もう三年になる。

 テオドールとしては「悪いことをしている」と思っている。

 表の世界で事務職とかウェイトレスとかをやるならともかく、影の世界で言えばステラは相当な人間だ。銃とカラテ、目配りの鋭さ、タフさ、身軽さ。数々の高品質サイバーウェアと天性の素質による運動能力。出会ったばかりの頃はともかく、今なら良いフィクサーのところに紹介すればかなりの高給取りになるだろう。金を貯めて本物のSINを買い、安泰の暮らしを目指すこともできるだろうに、テオドールの下でケチな暮らしをさせてしまっている。多少影の世界と関わりがあるだけの木っ端探偵の仕事と稼ぎが、一級品のストリート・サムライに見合うわけがないのに。テオドールとしても何度か独り立ちを薦めているのだが、ステラは頑として承知しない。彼女は何やら“ギリ”を感じてしまっているようだ。テオドールにとっては重たい話だった。テオドールは彼女の人生に責任を持つことはできない。

 ステラの家庭教師をいまだに続けているのは、そのせめてもの埋め合わせでもあった。

 数学と文法の問題集がそこそこ進んだところで遅い夕飯を採ることにした。午前零時少し前。ベントー・ボックスを調理器に暖めさせ、レモン水の缶を開ける。加熱が終わると飾り付けられていたバターが良い匂いをさせて溶け、フィレの食感を模したニッシンの細胞培養肉に絡みついて、敷き詰められたガーリックライスに滴っている。付け合わせの養液栽培野菜グリルも瑞々しい。一人前二十新円だがステラの分は二つあるのでしめて六十新円。冷凍輸送されてきたミールボックスの製造元はトーキョー・ハチオージ。一センチ厚のステーキは予め一口大に切り分けられており、テオドールはフォークひとつで、ステラは付属のハシで手軽に平らげた。

 食事の後はカフェイン含有量多めでソイ・カフを煎れて、ステラが英語文法のテキストを広げる横で、テオドールはARキーで報告書をタイプしていた。意識が散漫になりかかっている時に思考筆記するとノイズが混じりやすい。しかしそれも午前二時を回ると億劫になってきて、エンジンのかかったステラは高い集中力を保っていたが、テオドールはなんとか眠気を抑えつつ、ただぼんやりとソイ・カフを啜っているばかりになっていた。

 不躾なメッセージが入ったのはそんなタイミングのことで、差出人は使い捨てのコムコードで名前も符丁を使っていたが、マキシミリアンという通り名の男だと見当がついた。密輸を軸に商売しているシャドウランナーだ。国境を越えて税金逃れの貴金属を運び、マトリックスに痕跡を残したくない秘密のメッセージや荷物なども取り扱う他、ヤクザのBTLにまで食い込んでいる。どこかの死体から剥ぎ取った中古の強化反射神経を施術しているからそれなりに素早くて腕が立つ。メッセージの文面は「今すぐに会いたい」というものだった。

 それから、

「幽霊を追ってくれ」

 という、巫山戯た一文が添えてあった。


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