シャドウランF   作:WD

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ディア・マイ・サムライ
ディア・マイ・サムライ【前 1】


 銃声が聞こえて、微睡みから醒める。

 見れば壁掛けのトリッドが《サムライ・ストライダー》シーズン5を投影しており、主人公マーカス・ブラックがUZIサブマシンガンを二丁持ちして撃ちまくっているところだった。アーマーベストから伸びた黒光りするサイバーリム、肩から指先まで隈無く装甲された両腕がマーカスのトレードマークだ。彼が銃口を薙ぎ払うたび悪党がバタバタと景気よく死んでいく。

 来客用のソファにはステラが尻を深々と沈めていて、トリッドをぼんやり眺めながらテーブルに山盛りのフライド・ソイと缶コーラを交互に口へ運んでいた。テーブルには空き缶が既に四つ転がっていた。

 外見が小娘然としているステラはそんな風にしていると更に子供っぽくて、学校から帰った一人っ子の女子高生が両親の不在を良いことにジャンクフードをデリバリーし、コムリンクを放り出し、子供なりに煩雑な人付き合いから一時の解放を得て、溜め込んだ配信動画プログラムを怠惰に満喫している――と、さながらそういう風に見えた。

 ただ生憎とステラは女子高生ではないし、テオドールは不在でもなければステラの親でもなく、そもそもここはリビングではない。

「ステラ、テーブルに油がつくから、食べるなら自分の机で食べてよ」

「んー?」

 あっけらかんと、あどけない褐色の顔が振り向く。無造作に切り揃えた髪。オーバーサイズのフライトジャケット。袖を折らないといけないのは流石にどうかと思う。

「ボスも食べる?」

「ステラ、来客用のソファに座るのはやめてって――」

「だって、来ないじゃん。お客。……食べない?」

「……食べる」

 テオドール自身、今の今まで惰眠を貪っていたことを思えばあまり強く言えた筋ではない。テオドールは今後の人間関係を慮って抗議の矛を収め、熱々の大豆成形食品が発する油の匂いにふらふらと近寄っていった。そう言えば酷く空腹だった。

 ステラの向かいに腰を下ろす。ソファの安っぽいスプリングが軋むが、なんとか体重を受け止めてくれる。ステラは指についた油を舐めながら画面を見つめている。画面の中ではスーツ姿の逞しいオークがAKの銃口をマーカスに向けていた。マーカスのUZIは弾切れだった。オークが何者か分からなかったので、手元のコムリンクで登場人物設定を閲覧する。イタリア系マフィア幹部と出た。今回の悪役であるらしい。演じているのは疎いテオドールでも名前を知っている大御所だったが、下顎から伸びる牙に大袈裟な編集がかかっていて、顔の造形を崩していた。

 マーカスとオークが何やら気の利いた皮肉の応酬をしているのを横目に、拳大のフライド・ソイを鷲掴みにしてかぶりつく。鶏肉に似せた成形大豆肉の歯応え。油と塩分と合成旨味成分の汁が染み出て舌に広がる。体に良くなさそうな滋味。

 立体画像の中のマーカスは、暗い工場跡かどこかでガラクタの間を縫うように走っていた。オーク・マフィアがライフルをバースト射撃する瞬間を強化された反射神経で見抜き、絶妙のタイミングで物陰に飛び込んでいる(映像がスローモーションになってそれを強調している)。マーカスは弾切れのUZIをとうに捨て、散発的に撃っていた拳銃も放り捨て、今は腰からカタナを抜いたところだ。敵がマガジンを換える瞬間を狙って斬りかかろうというのだ。

 マーカスの視界にはオークのAKの残弾がカウントダウンされている。銃声を拾い、画像分析で銃の種類を特定して残弾を数えるシステムだが、実際に使ってみると間違いが多いので恐ろしくてとてもアテにはできない。しかしこれはドラマだ。しかも主人公が勝つと決まっている筋書きだ。果たして我らがマーカス・ブラックはアサルトライフルの弾倉が空になった瞬間を突いて鋭く詰め寄り、オークの野太い首目がけてカタナを繰り出した。しかし敵もさるもの、咄嗟に掲げたライフルの銃身でがっちり刃を受け止める。

 オークはすかさずのしかかるように力を込めてマーカスのカタナを押し戻した。ライフルを掴む逞しい両腕は筋肉が膨れあがって、スーツの袖が弾けてしまいそうだ。マーカスが身長一八〇センチ/体重九〇キログラムであるのに対して、敵はアメリカ人オークの平均を頭ひとつ上回る身長二一○センチ/体重一七〇キロの筋肉マンだ。マーカスが両腕を機械に置き換えているといっても体格差は歴然で、全身の体重を使った押し合いになると流石に分が悪い。マーカスはみるみる押され、膝が震えて、ついにはがくりと頽れる。オークがにやりと笑い、AKの銃身を支える左拳からスパーを――中手骨の間に埋め込むサイバークロー、《ウルヴァリンの爪》と俗称される仕込み武器を伸ばした。マーカスを押し倒し、そのまま突き刺すつもりだろう。

 主人公、危うし。そう思わせた次の瞬間、マーカスの両手がアップになって目まぐるしく動いた。左手でカタナの刀身を握り、柄をオークの野太い右手首に引っかけて、カタナをAKに絡みつけたのだ。そのままテコのようにカタナを捻ると、魔法じみてオークの巨体が引っ繰り返った。どぅ、と重い音を立てて仰向けに倒れたオークの首に、今度こそ白刃が食い込む。やたらリアルな流血描写。血飛沫が立体投影で画面から飛び出し、テオドールの鼻先を掠める。そんなところに力を入れなくていいのに。

「ファーストが前にやってたね、あれ」

「やってたね」

 ステラがぽつりと友人を引き合いに出した。相槌を打ってまだ開いてないコーラの缶と、二つめのフライド・ソイを確保する。ドラマはそろそろエンディングに差し掛かり、廃工場の奥に捕まっていた少年をボロボロのマーカスが救出するところだった。動画情報から粗筋を確認すると、イタリアンマフィアに誘拐された少年をマーカスが成り行きで助けに来たという経緯らしい。もっと細かいことを言えば、その少年の家庭環境について主人公が過去の自分と重ね合わせたりとか、少年の父親はマーカスが直近で片付けたシャドウランに関わっていたりとか、そういうことが起きていたようだ。

 感動的な音楽を背景に、マーカスは少年と父親と喧嘩した時の仲直りの方法について語らった後、手ずから少年を家まで送り届け、親子の再開を遠くから見届けて立ち去った。遠ざかっていくマーカスの愛車は番組スポンサーのフォードだ。ヒーローの車としてはちょっとどうかと思う平凡な車体の後ろ姿がフェードアウト。エンドロールと共に次回の予告が流れ出す――以前ヒロインをやったエルフの魔法使いが企業の陰謀に巻き込まれるのを助けるという筋らしい。アイリッシュ・エルフの少女が五年前の出演時と全く変わりない美貌を見せつけて、大仰な仕草で精霊を呼び出している。精霊は本物、女優はマンディン。魔法はカメラに映らない位置で裏方の魔法使いが使っているのだ。余韻を残して音楽が終わる。次回の配信開始は三日後。

 ステラが大きく伸びをした。けっこう満足げな様子だった。

「いいねえ。今年のはイイ感じじゃない?」

「ん。演出良くなったなぁ。前期がグッダグダで評判悪かったから、テコ入れしたのかな。けど今期のマーカス、ちょっといい人過ぎない?」

「ハンパにワルぶってるより格好いいよ」

「そうかな」

「どっちみち、あんなサムライいないし」

「そりゃドラマだもの」

「だったら下手に本物っぽいよりは、見てて楽しい方がいいじゃん」

「まあ、そうかな……」

 テオドールはあっさり折れて、指についた油を舐め、コーラで舌を濯いだ。

 本物のサムライがロハでマフィアと戦争をするわけがない。金ずくでも、よほど信頼できる筋からでないとやらない。そして、やるとしても決して一人ではやらない。味方の頭数を揃え、ドローンを買い、仲間割れを仕向け、あらゆる手段で敵に向く銃口を増やすだろう。更には知恵を尽くして素性を隠すだろうし、可能なら他人に罪をなすりつけるだろう――積極的に。

 この種のエンターテイメントが大抵そうであるように、《サムライ・ストライダー》でも不快を催す生々しさや冗長さが意図的に省かれている。もしくはそれらがただのスパイスに成り下がるよう、上手い具合に料理されている。感動的な戦争ものの映画と違い、実際の戦争は長ったらしくて過酷で不潔で全貌が見えず、故に退屈だがいざとなれば感動的な台詞を吐く暇もなくゴミのように人が死ぬ。刑事ドラマと違って犯罪捜査現場は忍耐と過労と妥協と慣例に彩られ、発酵するローカルルールが正義に成り代わる。同様、シャドウランナーだって実情をあまり克明に描きすぎると視聴者の不興を買いやすい。ストリートサムライの多くがサイバーアップしたチンピラに過ぎず、その仕事は大半ちょっとばかり手の込んだ強盗や誘拐でしかないということを殊更あげつらったところで誰も得をしない。

 そう言えばマーカスも最初はなるべく本物らしいサムライに似せられていたが、その最初はもう十年も前になる。その頃のテオドールは本物らしいサムライのマーカスを、まだしたり顔で楽しんでいた気がする――

 ステラがエンドロールをはしょって、ライブラリから次のトリッドを物色し始める。テオドールはかけっぱなしのAR眼鏡を起動。コムリンクに繋いで視界オーバーレイを開く。古風な封筒を象ったアイコンが、現実から薄皮一枚隔てた仮想領域に描画される。封蝋を切り、便箋を手に取って開く――というイメージをすれば、コムリンクが額のトロードからそれを読み取ってメールアプリを起動してくれる。新着一覧を流し見るが、めぼしいメールはなし。予約の申し込みもなし。幾つかのアドレスに、仕事があったら回して欲しいとメッセージを送る。

 続いてスーツの左内ポケットに仕舞ったコムリンクを起動し、眼鏡をそちらに切り替える。着信履歴が一件。送信者はホルへ。あまり素直に喜べない名前だ。用件は素っ気なく「人探し」とだけ書いてあって、引き受ける場合の返答期限はきっかり17:00だった。現在時刻13:18。ひとまず話を聞かせて欲しい旨を返事すると、即座に待ち合わせ場所が返ってくる。インターナショナル・ディストリクトのフィリピン・ナイトクラブ。時間は15:00。

「ステラ、出かけるから支度」

 ステラがトリッドを消す。

「お仕事? 何やるの?」

「人探し、だって」

 ソファを立ち、机から拳銃とホルスターを取り出す。拳銃はアレス・プレデター。マーカスを含め、トリッドに出てくる大抵のサムライが持っているやつだ。ごつく、重く、大口径で、普通のボディアーマーなら簡単に貫通する。更には内蔵スマートシステムが標準装備。周辺機器の申し込みをせずとも店頭でプレデターを指さすだけで高性能のスマートピストルが手に入るという寸法だ。

 グリップを握る。コムリンクが自動で銃のスマートシステムと通信し、視界オーバーレイに本体情報を表示する。型番。ファームウェア版数。セイフティがオンになっていること。通常弾が十五発装填されていること。ライセンスは所持、携行とも問題なし。

 プレデターを左脇に吊り下げ、上からジャケットを羽織る。

「行こうか」

「うぃ」

 ステラを伴って事務所を出る。テオドールの事務所はジェームス・ストリートに面した緑色のオフィスビルの五階、東側の一角にあり、ドア脇には控えめな《アルゴイ情報サービス》という看板がかかっている。

 探偵事務所だ。

 

 

 カナダ・アメリカ合衆国。

 一世紀前までは北米の大半をこの国家ひとつが――当時は別の国家だったが――領有していたという歴史を小学校で習ったとき、子供のテオドールには今ひとつピンと来なかった。ネイティブアメリカンはどうしていたのだろうと思ったのだ。その頃はメタヒューマンも魔法も存在しなかったのだと教師が付け足して、「ええー」と疑いの声を上げたものだった。呪わしいHMHVV、偉大なるドラゴンさえ影も形もなかった覚醒前の世界。ネイティブアメリカンは精霊の加護を得られず、従って二百年以上も侵略者の膝下に敷かれていた――などという話が、子供に信じがたいのは無理もない。メタヒューマンがいないのだからメタヘイトもなかったのだろうと思いきや、人間同士で肌の色を比べあっていたと聞いて、随分呑気な話だと思ってしまったものだった。

 そんな単純な話ではないというくらいは分かるようになったが、そもそもテオドールには前世界のことが本当には理解できない。平面映像と史料を見て想像するのが関の山だ。

 逆に言えば、前世界の人々に取り、現代の物事は全く想像の埒外であったのだろう。

 第五世界から第六世界へ移る過渡期にあって、その光景はどのように映ったか――

 それこそ、想像するしかない。

 例えばネイティブアメリカンが壮大な魔法の儀式で火山を噴火させ、混乱に乗じて北米大陸の支配権を握ったという当たり前の近代史も、北米が一つの国だった頃は馬鹿げた悪夢としか認識されなかったようだ。当時の人々が書き留めた諸々の史料は、そのすべてが彼らの受けた衝撃と驚きを訴えており、或いはメディアニュースの錯乱を疑っていた。つまりは彼らの現実逃避の記録だった。しかし彼らがどう思おうと《覚醒》は現実の出来事であったし、眼を瞑ってもネイティブアメリカンの蜂起から成る戦争が消えてなくなるわけではなかった。

 テオドール達が暮らす今のシアトル市は、その近代史の延長線上に誕生した。

 先住民部族連盟に西部の大部分を返還したデンバー条約において、合衆国が領有を許された僅かばかりの飛び地として。

 しかし合衆国は条約締結後も現実逃避を引きずったきらいがあって、例えばシアトルの小学校でサーリッシュ公用語を教えるようになったのは2050年代、僅か二十数年前のことだ。官民からの根強い抵抗があったであろうことは資料を捲るまでもない。

 何はともあれ、今の市内では羽根飾りとビーズの先住民衣装が正装の一種として定着しているし、事務所のビルの入り口に立っている警備員もネイティブ・アメリカン系のオークだ。出がけにテオドールが会釈すると愛想良く笑い返してくれる。

 事務所からインターナショナル・ディストリクトまでは、休日の昼下がりであれば歩いて行っても良いかと思えるくらいの距離感だ。デスクワークのホワイトカラーならそうするべきだろう。今日は日曜だし、昼下がりであったし、テオドールは白いシャツを着ていた。だがテオドールにとって休日ではない。徒歩を選んだのは車を整備工場へ出しているせいだ。頭上は真っ青に透き通っていたが、風は冷たかった。コートを着てくれば良かったかも知れない。ステラもだぼだぼジャケットの襟を掻き合わせている。

 高架下を潜ってイェスラーウェイの傾いだ交差点を渡り、インターナショナル・ディストリクトに差し掛かる。コムリンクに市史チップを差して二十一世紀初頭に設定し、視界オーバーレイに映してみれば整然と区画整理された街並みが映るだろうが、現実のインターナショナル・ディストリクトは都市計画もへったくれもないコロニーの発生と融合を繰り返した結果、街路は動脈硬化めいて肥厚し、建造物や人や雑多なガラクタが溢れて車道を狭めている。その有様が観光客を惹き付け、一帯の人口密度を奇妙に押し上げているのだが、彼らの目にはこのゴミゴミした様子がサファリパークか何かに見えているらしい。

 駐車場でベトナム人がローカルな広告タグを幾つも張り付けて立っている。AR視野で見ると無数の看板が人型に集合して蠢いているような風体だ。魚醤を使った屋台料理の匂い。酷い訛りで喋る客寄せの声。人混みの顔ぶれは雑多な人種とメタタイプの見本市になっていた。サウス・ジャクソン・ストリートを越えて中華街に入ると猥雑さはいや増し、人間の密度たるや歩いているだけで圧殺されるのではないかと錯覚されるほどになる。そこまではいかなくとも、トロールに足を踏まれたり蹴飛ばされたりしないよう注意が必要だ――テオドールはビールの金樽を五本抱えた二メートル半のトロールと慎重に擦れ違った。小籠包を売る店先でまるまる太った中国人エルフ女性があくびをして、人種もメタもバラバラの子供達が何やら楽しそうに叫びながらその前を走り抜けていく。ドワーフの果物屋台の隣で中古回路を売っているヒューマン黒人女性は半年前まで男性だったが、更に一年前はやっぱり女性だった。テオドールは彼/彼女と顔見知りで、時々立ち話をするけれど、元の性別がどちらなのか分からない。その斜向かいでイタリア/中国ハーフの男がやっている歯医者は、夜中に地下でグールの乱杭歯を診察しているという噂。食屍鬼も虫歯になるのだろうか……

 それらしい雰囲気の日本人男性の前を通る際は、奥ゆかしい態度を示し、卑屈でない程度に丁寧なオジギをする。この辺はヤクザの縄張りなので彼らに礼儀を弁えない輩と思われてはやってられない。

 テオドールとステラは表通り沿いに二ブロック歩き、まだ閑散としている繁華街を抜けて飲茶の店に入った。培養烏龍茶と紛い物の――合成澱粉と合成食物繊維とフレーバーの――ココナッツ団子を二つずつ食べ、当たり障りのないお喋りで少々時間を潰す。待ち合わせ十分前に店を出て歩くと、二分もせず営業時間外のフィリピンナイトクラブ《重力》の勝手口まで到着する。この店が日中は談話室代わりに席を貸してくれることを、知っている人間は知っている。

 搬入用エレベーターを使って地下三階まで降りる。事務所にお邪魔すると、VRに没入していた顔見知りの従業員が数瞬遅れてこちらに気付き、ハッと顔を上げた。だらしなく弛んだ口元。ぎらついた目。多分ポルノでも見ていたのだろう。

「十五時から予約入ってる?」

 テオドールが尋ねると、彼は黙ってホールを指した。テオドールが会釈を返す間にステラは進んでしまっている。早足で追いかける。

 昼間のホールを照らしているのはヴァイオレットの毒々しいライトアップではなく無味無色の作業灯で、赤黒モザイクになったカーペットや石材を模した模様のソファ、中央の小さなステージをくっきり照らし出しており、営業中であれば緻密に演出されているだろう陰影の妖しさは欠片も見あたらない。カウンターを掃除しているフィリピン系オークのウェイターも気の抜けたジーパン姿だ。テオドールは挨拶を交わして前を通り過ぎ、ホルへが待っている隅っこのブースへ座った。

「やあグレイ」

 ホルへは褐色の皮膚がたるみかけた顔に人畜無害な笑みを作り、テオドールのあだ名を呼ぶ。

 彼の服装は日曜に家族サービスに連れ出されたお父さんのようなポロシャツとスラックス。冴えない風体をしたラテン系の中年ヒューマンだ。《T&T》探偵社の所員であるはずだが、ホルへは他のところからも仕事を持ってくる。

「こんにちは、ホルへ。急ぎの仕事?」

「うん。まあ座って座って」

 ホルへはテオドール達に席を勧めて、ソイ・ラテのペットボトルを差し出す。トリッドなら小洒落たカクテルでも頼むところだが、クラブは営業時間外だし、仕事の打ち合わせ中にアルコールを摂取する神経が――例えフィクションだろうと――テオドールには理解できない。従って文句があるわけもなく、キャップを捻ってラテを一口煽る。甘い。ステラは遠慮無く一気のみして、一息で半分空けてしまった。

 三人のコムリンク間でPAN/パーソナルエリアネットワークを接続し、サブボーカル通話を開く。喉元に張り付けたマイクが声にもならない囁き声を広い、必要なら補正をかけて内緒話を成立させてくれる。テオドールはふと視界オーバーレイの片隅に囁きアプリの設定を開き、音声フィルタがきちんとオンになっているか確認した。でないとラテを飲む音が全員の耳へダイレクトに届いてしまう。

「家出した高校生の女の子を捜して欲しいんだけどね」

 囁き回線にのんびりとしたホルへの声が入る。イヤホンから響く補正のかかった音声は肉声よりも鮮明で聞き取りやすい。

「依頼者は親御さんでね。身元は綺麗な人なんだけど、子供の素行はちょっと良くなかったみたいでね。三日前にその辺のことで口論になって、出て行って、それきり帰って来ないということだ。予算は経費込み三万新円。期限はできるだけ早いうち」

 明細も何も交わさない。酷く大雑把な契約だ。正規の探偵社がやるべき外注の手続きではない。つまりテオドールとステラは正規の外注先でないということだ。当然、ホルへの方では色々と辻褄を合わせるのだろうが。

 強いて詮索することもなく、テオドールは幾つか質問を投げた。

「警察には?」

「ナイト・エラントとローンスター、両方に相談済み。ただ、まあ、分かるだろ。高校生の家出で彼らが総力を尽くすことはない。巡回地域で見かけたらお知らせしますって程度さ」

「素行が良くないっていうのは?」

「ギャングの男に引っかかったらしいよ」

「どこのなんていうギャング?」

「それは分かってない。失踪者の友人から聞き出したところ、それらしい話があったっていうところらしい。まあ、その他、分かってる範囲のことは資料にまとめてる。やってくれるなら渡すけど?」

「やる」

「OK」

 ホルへが共有領域に資料ファイルをアップロードし、テーブルの上に支払い保証済みクレッドスティックを置いた。黒いスタンダードタイプ。ステラが摘み上げて、液晶表示をテオドールに見せてくる。前金に五千新円。

「十九時に顧客との面談と、対象の部屋への立ち入り調査をセッティングしてある。後は任せても?」

「分かった。ありがとう」

「ああ、金の話はそっちからはしないでくれ。うちで出した明細と食い違う」

「分かってる」

 他に幾つか細かいことを確認してから解散になった。ホルへは改まって例を述べ、テオドールとステラに握手を求めると、忙しなく立ち去っていった。囁き回線を切らないままステラがクスクス笑いをしたので、テオドールは耳がくすぐったくなった。

「ジョンソンごっこが板に付いてきたよね、あいつも。段取りに凝っちゃって」

 テオドールは苦笑いを返して、トイレを借りに立った。

 

 

 サラ・エファーソン。

 女性。年齢十六歳。アフリカ系ヒューマン。UCAS市民籍。高校生。

 資料は大元の依頼者であるサラ嬢の父親、トーマス・エファーソン氏から提供されたものだ。顔写真とSINの照会番号、コムリンクのコード、それからトーマス氏が知る限りサラ嬢の交友関係が記載されている。ただしコムリンクの現在位置を検索してもエラーが表示されるばかりなので、コムリンクは既に乗り換えているのかも知れない。

 いったん事務所へ戻るまでの間、テオドールとステラは手分けしてSNSを漁った。あまり良くない行いだ。歩きながら神経直結インターフェースを使うのはけっこう注意が逸れるので交通事故の元だし、強盗にも目を着けられやすい。

 ささやかに悪いカルマを積み上げつつ、テオドールはサラ嬢とトーマス氏、その他の家族、それから親しい友達について、すぐ分かる範囲のことを調べた。一家は四人家族。トーマス氏と妻のエミリー、長女サラ、弟のジョージ君。いずれも容姿はアフリカ系の印象が強いが、全員生粋のシアトル産まれで母語は英語。サラ嬢の祖父母になると違ってくるが、近頃は疎遠になっているようだからひとまず除外しておく。仕事はトーマス氏がマトリックスデザイナー、エミリー氏は水産会社の事務、サラ嬢が高校生でジョージ君が中学生。夫妻はそこそこ熱心なクリスチャンだが、子供二人の方は日曜の礼拝をよくサボる。

 サラ嬢の悪い素行やボーイフレンドについては、よく分からなかった。お気に入りの服の色も特定しかねた。トーマス氏が把握している限りでは、三ヶ月ほど前からサラ嬢の帰宅時間が遅くなったことと、「みっともない格好」をするようになったこと、それから反抗的になったことと、親しい友人にボーイフレンドの存在を自慢していたこと。そのくらいだった。「みっともない格好」をしたサラ嬢の写真は撮っていなかった。サラ嬢のSNSアカウントに自撮りでもないかと思ったが、最近著しく利用頻度が落ちていたようで、やはり見あたらなかった。変名で別のアカウントを作ったのかも知れない。それでも以前までの行動範囲を知ることくらいはできた。

 テオドールは事務所に戻ると、コート掛けからコートをひったくって袖を通し、留守中の来訪者がいなかったことを確認し、路面電車のダイヤに急かされるままビルを飛び出た。走ったかいあって停留所には二分前で到着。前髪の下からトロードを外し、熱を持った額に冷たい風を浴びる。

 時刻は16:14。

 テオドールはやってきた路面電車に尻を落ち着けると、囁きマイクを使って《オーガン・グラインダー》の窓口に電話し、サラ嬢の写真を見せた。幸い、モルグにサラ嬢と思しき死体が運び込まれたということはなかった。少なくとも合法な臓器売買ショップには。

 当然、違法な方も当たる。路面電車でパイクプレイスマーケットの近くに乗り付け、まだ明るいうちに観光客向けでない区域の寂れたトルコ料理店へ駆け込む。テオドールは挨拶もそこそこに中東系オークの店主へサラ嬢の画像を渡した。彼の本業は非合法な臓器売買と非合法な売春の問い合わせ窓口だ。「この子がどこかで死体か売春婦になってたら教えて欲しい」と頼んで、支払い保証済みクレッドスティックから三百新円渡す。精算の名目は食事代金になる。店主は奥に引っ込み、すぐに戻ってきた。こちらでもサラ嬢らしき死体や売春婦は見あたらないということだったが、闇マーケットで死体や性奴隷の顔をカタログに出さないような業者は幾らでもある。深みに嵌っていればそれまでだ。テオドールはそうでないことをお祈りし、今後情報が入ったら知らせてくれるように頼んで店を出た。

 辺りはそろそろ暗くなっており、街灯も疎らだ。眼鏡の暗視が勝手に作動し、風景がモノクロになる。酷い生ゴミの臭いが吹き抜けてくる裏路地に、ヒューマンの少年が気取った格好でたむろしていて、ニヤニヤと嫌な目付きでこっちを見ていた。テオドールは彼らを見つめ返し、プレデターを納めた左脇の膨らみをちょっと突き出して見せた。彼らのニヤニヤ笑いはそれで納まり、テオドールは早足で歩き去った。ステラがヒヒッと笑い、視線を振り向ける。「あたしの尻とボスの尻、どっちが目当てだったかな」「勘弁してよ」

 トーマス・エファーソン氏の家はセントラル・ディストリクトにあったので、タクシーを使った。タクシーの中から顔馴染みの用心棒に電話し、直近の予定を尋ねる。ちょうど暇だったということなので、今夜から付き合って貰いたい旨を申し入れた。やはりテオドールとステラの二人だけでは夜遊びに支障がある。

 エファーソン氏の家に着いたのが十九時の五分前。大きくはないが小綺麗で新しい邸宅だった。「《ジョンソン保険サービス》です」と事前に取り決めてあった肩書きで入れて貰う。ステラの格好が肩書きにそぐわないのはこの際、仕方がない。

「《T&T》探偵社契約調査員のテオドール・マガトと、アシスタントのステラ・ミラーです」

 リビングに通されて早々テオドールが名乗ると、エファーソン夫妻は「よろしくお願いします」と折り目正しく応じた。二人とも表情には疲弊の色が濃く、こちらを見る眼には「望みを託せるものなら託したいがどこまで信用して良いのか分からない」という消極的な疑いが浮かんでいた。探偵に依頼する人間というのは大体そうだ。

 ジョージ少年は立ち合っていない。部屋にでもいるだろうから、後で話を聞かせて貰うことにする。

 トーマス氏から話を聞いてみるが、概ねホルへから貰った資料に書いてあったことしか聞き出せなかった。

「無断での外泊を叱ったら、それが切欠で口論になったんです。それまでも何度か、サラには素行や学校のことで叱ったことがありましたから」

「素行の面で、過去にこういうことは?」

「それは、サラだって子供ですから、時には反発することもありましたが……悪い友達を作って夜に遊び歩くなんていうことはありませんでした。ここしばらくでのことです」

「三ヶ月ほど前からだったと伺っています」

「ええ、はい。そうです」

「改めて確認したいのですが、行き先に心当たりは? 悪い友達の名前とか、乗っていた車とか、悪い友達と会ってた場所……そういったものは何かご存じないですか?」

「いいえ……家族には隠していたようです。親しい友人にもあまり話してはいなかったようです」

「ボーイフレンドがギャングだという話は? サラさん本人が言っていたのですか?」

「学校の親しい友人に、サラがそう仄めかしていたそうです」

「ギャングのグループ名は?」

「それは分かりません」

「そのご友人の名前を伺ってもよろしいですか」

「マリア・タナーという子です。この近所に住んでいます」

「後で、マリアさんをお訪ねするかも知れません。エファーソンさんからタナーさんへ事前の連絡をお願いします」

「分かりました」

「それで、最近、その悪い友達に会いに行く時に着飾っていた彼女の写真などはありますか」

「いいえ、ありません。その、あまりにも見られたものではなく……」

「どのような格好でした?」

「私は服には疎いのでなんと言えばいいか……革を使っていて、肌を出していて、気味の悪い首飾りをして、あちこちタトゥーシールを貼って……そういうような」

 エミリー夫人にも尋ねてみるが、聞き出せた服装のディテールは同じようなものだった。

「最近、服の色に拘りだしたとかは? 特にその友達に会いに行く時とかに」

「色、ですか」

「全体の色使いか、目立つ場所のワンポイントか……ギャングが仲間同士の目印にすることがあります。サラさんが付き合っている悪い友達を特定できるかも知れません。服の革の色は黒でしたか?」

「いえ……ブラウンか、レッドか、そんなような色でした」

「タトゥーシールの色も同じ?」

「そちらは黒でした」

「サラさんのSNSにはパイクプレイスマーケットがよく写っていましたが、頻繁に遊びにいかれてましたか?」

「そのようでした」

 サラ嬢の部屋を見せて貰った。あまり整理されているとは言い難く、清掃の状態を見るに、掃除機も走り回るのを難儀しているようだった。雑多な持ち物は日本製ブランドコートの偽物、安っぽいブーツ、流行外れのジャケットなど。あまり遊び慣れているようには見えない。肌着を中心に普段着の多くは母親が買い与えたものだ。棚に転がっているシムセンスソフトのパッケージを見る──アクションものが多い。テオドールは写真を撮りながら、コムリンクのエージェントに一つ一つリストアップさせた。本やシムセンス、トリッド、ミュージッククリップについてはタイトルから概要も検索させた。心持ち、クライムアクションものが多いような気がする。特にシャドウランナーを題材とした。

「ステラ、BTLが混じってないか見ておいて」

「あいよ」

 というやりとりは、勿論、トーマス氏に聞こえないよう囁き回線で行った。

 ソフト類をステラに任せ、サイドチェストを開けるとガラクタが詰め込まれていて、中国の玩具やイミテーションのボトルシップ、プラスチック製の狼の牙、カタナを模したペーパーナイフ、シュリケン、といった雑多な品揃え。小物類についてトーマス氏に尋ねてみるが、トーマス氏もサラ嬢が買い集めたものはよく知らないようだった。「そういうおかしなものが好きだったようです」と苦々しげに言うばかりで、トーマス氏は娘の趣味をあまり良く思ってはいなかったようだ。テオドールは、エファーソン夫妻が熱心なクリスチャンだという資料の記述を思い出す。そこに軋轢があったのだろうか。

 チップ類にBTLは混じっていない、というステラの囁きが聞こえて、ひとまず懸念のひとつが消える。電脳麻薬で脳を焦げ付かせた子供の将来はどう甘めに見ても明るくない。

 サラ嬢が使っていたというタトゥーシールのストックか台紙がないかと隅々を捜してみるが、見つからなかった。コムリンクは本人と一緒に行方不明。トーマス氏に頼んで邸宅の中央ホームノードにアクセスして貰い、管理者特権でサラ嬢のアクセス履歴を調べようとしたら、履歴が消されていた。

 夫妻立ち合いのもとでジョージ少年とも話をした。仲は悪くないようだったが、異性の兄弟の常として、お互いの私生活にはあまり踏み込んでいないようだった。姉の様子についも知っていることは両親と大差なかったが、タトゥーシールの図案は覚えていた。

「狼のシールだったよ」

 玩具にもそんなものがあった。プラスチックの狼の牙。

 一通り調べ終え、テオドールは場を辞した。立ち去り際、夫妻とジョージ少年はどうかサラ嬢を無事に連れ戻して欲しいと改まって述べ、テオドールは「全力を尽くします」と答える他はなかった。


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