□鳳凰/Blave phoenix
それは日本から遥か彼方。インド上空でのことだった。
日本航空103便。フランスから日本に向けて飛行する一機の旅客機。そのパイロット室にて、機長と副機長の二人は、オートパイロットの操縦桿から手を離し、CAが持ってきたコーヒーを飲んでいた。
勤務歴24年のベテランパイロットの機長。それに対して副機長の方は勤務3年目の新米パイロットだった。とは言うものの、彼は決して若くはない。三十の年はとうに超え、すでに頭には白髪が混じり、覇気にももう若さは見られない。
なぜ、そんな男が新米なのかというと、それはひとえにISの開発が原因だった。
「そういえば副機長。確か君は前は自衛隊務めだったそうだな?どうして、ここに?」
「機長。それ聞いちゃいます?今パイロットをしていて、尚且つ元自衛官なら理由は一つしかないじゃないですか…」
「あぁ…そうか。すまなかった。そうだよな、君もか」
「もしかして、他にも心当たりが?」
「まぁな。伊達に長く仕事はやってない。ここ数年で、君みたいなのを何人も見たよ。皆、なんというか、その…」
「はっきり言ってくれて構いませんよ、機長。皆、俺みたいに覇気がなかったんでしょ?」
「う、まぁ、そうだな…」
「気にしないでください。自覚してるんで…」
そう言って、副機長は自虐的な笑みを浮かべていた。
彼は自衛隊の戦闘機のパイロットだった。それこそ昔は国を守るんだと息巻いていたものだ。だが、その思いはISの開発により一転した。戦闘機の需要は日に日に無くなっていった。それこそ、周りにいた同僚は次々といなくなっていった。最早、制空権を守っているのは戦闘機ではなく、ISとなっている。
そのため、戦闘機のパイロットは皆、自分から軍を去ったり、クビになったり、そういう末路をたどっているのだ。無論彼も、その一人だった。
「…しかし、ISというのはそれほどまでに恐ろしいものなのか?俺にはどうも分からんのだが…」
「機長は実際にISと交戦したことがないから分からないかもしれませんけど、あれは普通の兵器なんかじゃないんですよ。どれだけ攻撃しようと傷つかず、そしてどれだけ早く逃げても必ず追いつかれる。あれはそういう代物なんです」
実際に戦ったことがあるからなのか、副機長の言葉にはすごく現実味があった。
だから、なおさら機長には分からなかった。昨日のあれのことが。
「なら、そのISすら超えるという篠ノ之束のISS。あれは、いったいなんなんだよ?」
「はは、あるわけないじゃないですかそんなもの。だって、あのISを倒すんですよ?一機や二機ならともかく、467個すべてのコアを壊すとなると、全部のISを敵にしなきゃいけないんですよ?そんなオーバーテク絶対に無理ですって。実際にISと戦った俺が保障しますよ」
それは副機長の正直な言葉だった。
副機長は信じて疑わない。あれに勝つなんてことは絶対に無理なのだと。なぜなら、戦闘機パイロット歴8年の自分が手も足も出なかったのだから。
機長は、副機長の言葉に何も言えなかった。ただ、ボヤッと窓の外を眺める。それに副機長は何も言わなかった。
今はインド上空を飛んでいるはずだが、生憎高度故に地上を見ることはできない。仕方なく、機長は最早何度も見てきて見慣れてしまった雲と空を眺めた。
が、それ故だったのかもしれない。遠くで飛ぶ別の飛行物体を見つけられたのは。
「ん?あれは…」
「どうしたんですか機長?」
思わず出た機長の声に、副機長も機長の見る方角に目を向ける。
するとそれはすぐに見つけることができた。遠くで点となり飛んでいる飛行物体。その形は遠すぎてよくは見えなかったが、元戦闘機のパイロットである副機長にはすぐわかった。
あれは、あの形は間違いなく、かつて自分が乗っていた飛行機。
戦闘機だった。
「へぇ…ここじゃまだ使ってたんですね…。インドってことはテジャスっすかねぇ…」
「ここもISが主戦力だと聞くんだがな。インドは確か、世界で七番目にISコアを保持してる国だったよな?」
「いやいや機長。このバカデカい国をISだけで守ろうだなんて無理な話ですよ」
「そうだな。それもそうだ」
そう言って、副機長はまた外を眺めた。久しぶりに見た戦闘機に興奮しているのだろう。
仕方のない奴だ。そう思いながら、機長は機器をぼんやりと眺めた。いくらオートパイロットとはいえ、マメにチェックをしなければいざというときに対応できない。それはベテラン故の経験則だった。
「ん…?」
だから、気が付いた。遠くに見えるあの戦闘機のおかしな点を…。
「どうしたんですか?機長?」
「あ…いや、すまない。どうやら機械の故障みたいだ。レーダーを見てみろ」
「はぁ…え?」
副機長もレーダーを見た瞬間にすぐ気が付いた。
さすがは元戦闘機パイロット。一瞬の判断ミスでも命とりになる空で生きてきた男だった。
「200メートル?あの戦闘機との距離、たったそれだけしかないんですか?」
「だな。見える大きさから考えても、二キロは先にいるはずなのに。これではあの戦闘機の大きさは三メートルくらいしかないことになる。明らかにおかしいな」
「そうですね。一応空港の方にも報告しておきますか?」
「あぁ。そうだな、頼もう」
「了解しました」
すぐに副機長は日本に向けて交信の準備を始める。
それを見て、機長はまた遠くの戦闘機に目を向けた。ずっとこちらと並行飛行し続けるその機体。それはまるでこちらの機体を警戒しているようで、今考えてみたら少し気味が悪い。
そんなことを考えながら、機長は手に持ったコーヒーを一口口に含んだ。
だがその刹那、機長は自分の目を疑った。
「なっ…なんだあれは!?」
「どうしたんですか、きちょっ…!?」
突然の機長の声に、副機長は思わずそちらを見る。そして機長と同じく絶句した。
それは信じられない光景だった。上空15000フィート。速度300キロ近くで飛行する旅客機と並行飛行する戦闘機。
それが、人型に変形(・・・・)したのだ。
夢だと錯覚してしまった。けど、それは現実であり、事実だった。
機長も副機長も、いやこの機に乗っているすべての人間が悟った。あれは戦闘機なんかではない。そう、あれはIS。インフィニット・ストラトスなのだと。
「っ!?機長!!あの機体が、ISがこちらに急速接近してきます!!」
「くっ…!!」
副機長に言われるまでもない。さっきからうるすぎるくらいにブザーが鳴っている。
それは空中での機体衝突がないように警告するブザー。それが鳴ること自体、緊急事態なのだ。急いで操縦桿を握る。だが、それより先にISの方がこちらの機体に張り付いた。
落とされる。最悪の事態が目に浮かんだ。だが、それは祈念に終わった。
『はーい、こんにちは。今日もお仕事ご苦労様』
「…は?」
代わりに、耳につけた通信機から聞こえてきた女の声に、二人はポカンと口を開けたのであった。
女。いや、声の色から言ってまだ少女かもしれないその声に、二人は息をのむ。そんな二人の思いなど露知らず、少女は話続けた。
『ごめん、お仕事のお邪魔しちゃって。けど、さっきからちょろっと傍受していた声に気になった言葉があったから来ちゃったんだ。一言物申していいかしら?』
「…それは、…構わない」
『そ。アリガト。なら、言うわね――――』
そう言って、少女は声高らかに謳った。自らの使命を。
『あたし達は本気よ。本気で、ISコア全部を壊してやるわ。だってISSは…最強なんだから』
「…お前は、いったい…?」
『そうね。機嫌好いから今日は特別に教えてあげるわ。あたしの名前は【舞姫(まき)】。コードネーム舞姫。篠ノ之束の【最速の剣】よ』
その瞬間。コックピットのすぐ横にISが現れる。
赤い。真っ赤に色づいたISSだった。そのスーツを着ている少女の顔は残念ながら仮面で見えない。が、彼女が出す雰囲気。もしくは気配が物語っていた。
彼女はヤバい。危険だと。機長は祈った。彼女がいなくなるのを今か今かと。
『…どうやらフランスから来た日本便みたいね。奇遇ね、あたしもそうなのよ。お互い、日本まで無事たどり着けるように祈りましょ。それじゃ』
次の瞬間。ISだったそれは再び戦闘機になった。
大きさは三メートルくらい。機長の目に間違いはなかった。そして刹那、戦闘機の姿は見えなくなった。遠くで赤い光が見える。速い。この旅客機では到底追いつくことなどできない。
それは刹那の速さだった。
それはまるで夢のような出来事だった。
*
「舞姫。現在、タイ上空を飛行中。このまま飛行による移動を続けます」
駆動はバッチリだった。問題もない。エンジンも正常に起動している。
舞姫こと――――鳳鈴音――――は雲も引き裂き、空気を絶ち切り、15000フィートの上空を飛行していた。
目指すは彼女の第二の故郷『日本』
そして、彼女の思い人がいるはずの『IS学園』である。
シフトはすでに第三段階を迎えている。もうすぐで、起動するために必要なエネルギーのチャージが完了しそうだった。
「…3、2、1…エネルギーチャージ完了。【光速駆動(レイエンジン)】正常起動を確認」
そして、すべての準備が整った。
四機のISSには、それぞれ特化した特徴がある。それは攻撃だったり防御だったり様々だ。
そして、鈴のISSの特徴は【スピード】。どのISSよりも速く。視認すらできないそのスピードは防御する暇すら与えない。故に、最強なのだ。
その最もたる理由がこれ。飛行形態への変形である。
変形しないというISの常識を覆すこの機能は、スピードを上げることに最も効率がいい形態だ。
それに加え、鈴のISSにはもう一つオーバーテクノロジーが積んである。
それがこの【光速駆動(レイエンジン)】である。
速さのみに特化したこの機体、最大の特徴。
このオーバーテクノロジーは、操縦者の身体ごと機体そのものを光の粒子に変換し、光速間近の飛行を可能とした技術。一回の使用には限界があるが、これで地球上ならどこに居ても五時間以内での移動が可能なのである。それ故に、この機体は『最速のISS』と呼ばれるのだ。
舞姫こと、鳳鈴音専用機。『最速のISS』その名は――――
『【鳳凰(Blave phoenix)】これより目標地点まで飛翔します。今行くわ…一夏』
刹那。赤い光が煌めいた。それはまるで光速移動する【鳳凰】の翼のようであった。