シンガポールを舞台に一幕書こうかなと少し悩んでおったり。
第27話
「……だから先輩がかかわらなくても大丈夫なんですよ!」
そう声を荒らげる一色の表情は暗くて読み取れなかった。
夕日が差し込んでいるわけでもないのに、赤に染まった路地裏で、辺り一面のコンクリートが異様なねじれを持って崩壊している。尋常ならざる力が加わったことは火を見るより明らかだった。
女子が必死な姿には情を感じないでもない。だが、引けない。見てしまったからには、引けない。
「結果、そうなるとしてだ、その理由は、過程は」
怒りが色を持っているように周囲を赤に染める。いや、染められた赤を際立たせる。
固く握られている一色の拳がかすかに震えている。怯えているのだろう。
「……俺をバカにしてるだけならそう言え、いくらでも言わせてやる。でもそうじゃないなら、根拠があるはずだ」
「……卑怯ですね」
「あぁ、お前が知っているくらいにはな」
推測通り、というか、隠すつもりもなかったようだ。
一色いろはは暗部の人間で、シスターズに関しての情報を集めている。そして、一色はシスターズが一方通行のレベルアップに利用され、殺されることを知った。そのうえで、一色はその計画を無視した。どころか、その計画を邪魔しようとしている俺を阻止しようとしている。
「……理由は言えません、ただ、先輩が関わっていい事は一つもありません」
「それは学園都市にとってか?」
「学園都市にとっても、先輩にとっても」
「それで、放置していたらいつの間にか計画が頓挫して、シスターズは開放されて万々歳ってことか?」
一色は強く歯を軋ませた。その表情を悟られまいと顔を落とし、血に染まった地面を見る。
一色が何を見ているかは分からないが、少なくとも俺は、見たくもないのにそれから目を話すことが出来ない。右手、頭、右足、左手『上から順番に』その残骸を繰り返し見る。骨が丸見えになっているし、明らかに足りない部分もある。
「なぁ、ミサカは、あいつは、死んだんだ……一方通行に殺されたんだ」
言葉にして現実を再度正しく認識する。御坂美琴のクローンである、検体番号9980号、御坂妹と呼んでいた彼女は、見るも無残に殺された。
「正直に言うと、『はい』と答えるしかありません」
「……一色、お前は、どうなんだ? さっきまで一緒に遊んで、飯食ってただろ。そのミサカが、今誰なのかすら分からない……それでもお前は何も感じないのか」
俺や一色だけの話じゃない。雪ノ下や小町にはどう話す。言わないままでいいのか? 御坂美琴自身は、ある程度のことは知っていても、こんなことになっているとは知らないかもしれない。知ったら今度は、報復に向かい、『こんな姿』になってしまうかもしれない。
でも、だからといって……言わなくていいのか、無視していいのか。
「……先輩に」
「なんだよ」
「先輩に何が出来るって言うんですか!!!!」
聞いたこともないような大声だった。
しかし、すぐハッ気づいたような表情を浮かべ頭を下げる。
「いや、えっと、すみません……」
「いや、俺の方も悪い。そっちはそっちで色々あるんだな……」
「……とりあえずこの場所を離れましょう、私のせいで人が来るかも知れませんし、シスターズが『掃除』しに来るはずです」
「あ、あぁ……」
心の中で土下座する気持ちでゆっくりと9980号から背を向けた。
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夕食を終えた頃だった。御坂妹はこう切り出した。
「皆さんは夢とかありますか? とミサカはたずねます」
まず初めに答えたのは小町だった。そう言えば小町が夢を語るのは俺にとって初めてかもしれない。昔のお兄ちゃんのお嫁さんになる! とかは無かったことにして。
「んー……わたしはお兄ちゃんにしっかりして欲しいですね、今は雪ノ下さんが居てこその下宿のように思えますし、私生活以前にせめて社会に出れるような性格に矯正して欲しいです」
短冊に書く願いのように言った。
お節介だが、愛する妹の言うことだから、ちゃんと受け止めよう。ところでバイト初日でバックれたりするけどなんにも性格に問題ないよな?
「まぁでも、夢ってなると、お嫁さんなんて言いませんけど、そこそこ普通に幸せな人生を送ることが夢ですかねぇ」
「私もそんな感じですね〜、妬まれてもめんどくさいですし」
お前が言うか。というツッコミはあえてしない。どうにでもなれ←お前が言うか。
「私は……私は、特に、無いわね」
「なんか意外だな」
この回答には正直驚いた。
世界征服、けぷこんけぷこん……
普段ならばこの世界を変えたいとか、そういう事を言い出しそうだが、雪ノ下からすればそういった事は『夢』なんてものでは無いということかもしれない。
むしろ生き様、在り方。それくらい当然のもので、染み付いた『雪ノ下自身』なのだろう。
「そうかしら? 比企谷君は夢とかあるのかしら?」
「あぁ、あるぞ、イケメンは死ねばいい」
「次」
「ミサカは……」
まさかこんな綺麗に流されるとは思っていなかった。その流れに誰も疑問を持たない事に対しても驚きを隠せない。
「ミサカはもっと、こうしていろんな人と出会って、気兼ねなく話をして、遊んでみたいです」
御坂妹が静かに願った。
その願いが重い。なんて思ってしまうのは、俺が真面目に彼女のことを考えていないからだろうか。それとも、その言葉を真摯に受け止めたからこそだろうか。
自分の中で答えが出ず、返答に困る。
「ミサカさん。今こうして話しているじゃない、あなたくらい真面目なら少し行きづらい世界かもしれないけれど、少なくとも……私達がいるわよ」
そういう雪ノ下の目は熱く、しかし、口元はわずかにほころんでいた。
その場にいた全員が驚いた顔をした。
俺も同様に驚きはしたが、雪ノ下の事はこの中で一番知っている。
卑怯な人間に対してはとことん厳しく、恐怖を覚えるほどだが、真面目に生きる人間に対しては、彼女は優しい。
以前の高校で『奉仕部』……という部活に所属していた事はぼっちの俺で小耳に挟んで知っていた。
そこで彼女に依頼した人間は口を揃えてこう言っていた。
「怖い人だった」
「頼まれてくれなかった」
そのことについて、雪ノ下本人に聞いた事があった。
「なんでも屋じゃないの。なのになぜ、自分で努力をする事を惜しむ人間に、私が頼まれなきゃならないのかしら?」
カッコイイと思う反面、危ないとも思った。その強さは他人にとって眩しすぎて、受け入れることが出来ない事を、俺は知っている。
しかし、その強さがあって、救われる者もいただろう。現に由比ヶ浜はその強さに心を打たれ、憧れを抱いた。それは俺も同じだし、この場にいた全員が彼女の生真面目さを、その強さを肌で感じただろう。
特に一色が壮絶な何かを見たような顔をしていた。一色には、理解出来ない程にかけ離れたものに思えたのかもしれない。
「そうですね、ありがとうございます。また遊びに来ます」
叶わぬ、夢だった。
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ちょっとおしゃれなカフェに場所をうつした。
一色が甘そうなコーヒーだったらしきものを飲みながら、話を始める。
「こんな所でそんな話してもいいのか?」
「これくらい雑音がある方が内緒話にはもってこいなんですよ? それに先輩がいれば、それだけで危険は避けられます。そうですよね?」
「ああ、まぁ、そうだな」
「まず、状況の整理から始めましょう」
「ああ」
目の前で一人の人間が殺されて、一瞬で驚きと、怒り、様々な感情が湧き上がって来たが、その反動なのか気持ち悪い落ち着きが心を満たしていた。
「さっきから相槌しか打ってませんけどほんとに大丈夫なんですか……?」
「ああ」
大丈夫とは言い難いが、これは気分の問題であり、憎たらしいことに肉体は健康そのものだ。
「はぁ……まぁ初めに、先輩が浮かべているっぽい疑問に答えられる範囲で答えます」
「私が暗部の人間であることは既に察してると思うので省略します。というかこれ以上は聞かないでください」
「まず、今日ゲーセンで先輩と出会ったのは、偶然なんかじゃないです。クローンミサカと接触した男子高校生を追跡して、特定の人物以外であれば接触しろ。それが私の仕事です」
上の期待は先輩ではなかったということです。特定の人物についてはオフレコです。と一色は言うが、さっきからそうだが、緊張感が足りないような気がする。私は私、クローンはクローンとでもいいそうな程だ。
「ですが、『こちら側』としては先輩でビンゴです。かなり上の方が気にしているのは『彼』の行動と『プラン』私たちくらいが気張るなら、先輩がいいとこです」
雪ノ下陽乃も、アレイスターもそうだが、学園都市に来てから俺を道具のように見ている人間が多すぎるように思える。
「先輩の過去は暗部には完璧に把握済みです。先輩の情報ってだけでかなりの高値がつけられるくらいです」
「は? なんでだよ、俺の利用価値どんなもんだって「こんなもんですねー」」
「驚きましたか? 正確には利用価値というか、期待値みたいなものです」
一色がタブレットを見せてきた。そのタブレットに書いてある金額は、想像の100倍できかなかった。
「ここまでレートが上がったのには2つ、理由があります」
「ひとつは先輩が原石であり、開発時の人間が暗部であったということ」
「だとすると、総武高校からの転入生は全員暗部に開発されたってことか?」
「そういう事になりますねー」
「金脈を見つけるために、外からの学生を大量に狙うのは暗部の開発系の人間からしたら当然です。モルモットの大量輸入と言っても過言ではありませんからねぇ」
よくあることだと言わんばかりに一色は話す。
「いやおかしいだろ、それだとしたらそのまま全員拉致したり、解剖したりするんじゃないのか?」
「いやー、そんなことしませんよ、『最先端技術』を用いた能力開発をして、データをとる……とかじゃないですかね」
「それって」
「そうですね、先輩が特に顕著です」
怪しいとは思っていたが、学園都市と言っても、日本だから、危険だなんて思っていなかった。
「原石を磨く、そんな適当な事でよく納得しましたねー? まぁ、でも仕方ないのかも知れませんけど。後、先輩と同じように実験を受けた人たちはちょっと異様な能力を持っているかもしれないので気をつけてください。副作用も込めて」
グウの音も出ない。ごまかすように甘いコーヒーを飲む。
「まぁ、安心してください。紆余曲折ありましたが、結局そのデータの断片は私達が持っています」
「断片?」
疑うように一色を睨む。
「はい、暗部だって一枚岩ではありません。私達の系列が、邪魔して、奪っちゃいましたー!」
嬉しそうにピースしてくる。
「……喜んでいいのかわからん」
しかし女子に個人情報を握られてると言われると少し興奮しないでもない。している場合ではないが。
「はっきり言って喜んでいいですよ。あんなところよりは」
うへぇ、とリアクションしながら謎のフォロー。
「ちなみに、先輩の高く売れる情報ってのはコレではあるんですが、もうひとつあって、それとセットで何億何十億、場合によっては何千億との額がつくんです」
「それが高く売れる理由二つ目……か?」
「そうです。今後必ず先輩の鬼門となる人物がそれを持っています」
「……はっ、分かった」
「まぁ、彼女しかいませんね、実際はこっちのデータも初めは彼女一人で獲得したんです。一矢報いてやっと手に入れたのだって、断片程度、しかもそれすらも狙われたものかもしれない」
一色がストローに口をつけてズルズルと音を鳴らして遊ぶ。苛立っているようにも見える。
「あの人やっぱりそんなにやばいのか」
「やべーです、もう、やべー」
「口調荒れすぎだろ」
「まぁそれくらいヤバイ相手って事ですよ……」
「で、あの人だけが俺の情報全部持ってるってことか?」
「あー、それは違うんですよ」
全部持ってないと価値にならないんじゃなかったのか。
「敢えて、情報の断片をほかの部署に分ける事で、明らかな敵の存在を分散させたんです」
「…………なるほど」
「その断片も考えたんでしょうね。先輩を勝手に使える状況にするためには、能力以外の情報を掴むこと能力は付加価値ですからね、人権には足り得ません」
絶句するしかない。俺の能力以外の情報を全部持ってるとして、だというのに、「小町」というカードしか切らなかった。後どれだけの手札が潜んでいるか、想像することすらはばかられる。
「でも、あの人以外の暗部からすると『比企谷八幡』それだけあっても価値は無い。でもあの人ほどのビッグネームが持ってるんだから何かある。なら能力に関する情報を手に入れよう。しかしそれは断片としてあらゆる機関に隠された。何よりそれを個人でやってのけてしまう」
……驚きを通り越して呆れてしまった。
「仕方なくあの人の持つプライベート情報を手に入れようにも、それだけの価値があるか分からない……って事ですよ」
「俺からすると、守られた……ってわけでも無さそうだな」
「そうですね、私が今先輩と一緒にいるように、『監視権』の奪い合いや、『接触権』の奪い合いがさっきまで起こってましたが」
一色がゆっくりと息を吸い込んだ。
「先輩が今日、デートしてくれるだけで問題はなくなりました!!」
「は?」
デートをしているつもりは無いし、仮にデートだとして、それだけで問題が収まる理由がわからない。
「権利戦争っていうんですかね……現代人ならちょっとはわかるんじゃないですか?」
「はぁ……なるほど」
例えば、モテモテな男子が一人いたとして、その男子に接触するまでは権利戦争が女子内で起こるわけだ。しかし、1度私と付き合うことになりましたー。ということになると、ほかの女子はその女子をいびろうにも、男子に嫌われたくない。男子をいびるなんてそれこそ何のための争いだったんだとなるわけだ。
それにしてもなにかの条件がないと男子と付き合うことは出来ない。
「多分これもあの人の思惑だと思うんですよ」
ぬかりがなさすぎて笑うことも出来ない。全裸で手錠をかけられる方がまだ開放感があるんじゃないかと思う。
しかしひとつ疑問が残る。
「だが、俺の情報だってアナログじゃないだろ? デジタルな情報ならオンリーワンとはいかないし、そこまで価値が暴騰するわけは無いはずだ」
最悪の結果を想定しながら、そんなわけないと、自分に言い聞かせるように言った。
「まぁそうですね……まずはこの話をするべきだったかも知れませんね」
声のトーンが随分と落ちた。落ちた分だけ俺の意識が一色に引き寄せられる。
「結論から言って、先輩はもう、新たに人権を獲得しなければ、『比企谷八幡』として生きられません」
意味が分からなくて静かになってしまう。
「つまりですね、先輩の情報は全部あの人の手によって消されました」
「文字通り、あの人が持ってる情報が俺のすべてって事か?」
「まぁ、実際、困ることはそんなにありませんよ。外に出る時、あの人に土下座しなきゃ出られない。くらいです」
いや、大問題だわ。土下座くらいいくらでもできるが、それはつまり、あの人に従ってなきゃ俺は誰かの記憶にしか残らない、物的証拠だけでいえば生きて無いに等しいということだ。年金も受け取れないかもしれない。
「しかも先輩、小町ちゃん盾にされてるっぽいですし……」
「それもあの人の狙いだったってことか」
一色は多分というふうに頷いた。
「あの人の一番厄介なところですよ、自分自身が出てきたら一番効率的なはずなのに、周囲を扱うことで自分の実力を隠してなおかつリスクヘッジも怠らない」
一色が恨めしそうな顔で店員さんを呼ぶ。
店員さんがその表情に軽くビビっていた。
「先輩ケーキでも食べます?」
「いやいらね」
「あ、コレとこれで」
「かしこまりました」
気のせいかな、二つ注文したんだけど、俺いらないって言ったし、自分で食うやつだよね?
「話がそれましたね、御坂美琴さんのクローンミサカ……『量産能力者計画』通称レディオノイズ計画の話に戻ります」
さっきより真剣に一色の顔を見つめる。
一色が俺を見返して笑う。
「先輩も意外とお人好しですねー」
「そういうわけじゃねぇよ、誰かがどうにかしなきゃダメだろうし、御坂美琴に会わせる顔も無えし、一方通行だって気に入らないし、ミサカの死ぬ寸前の態度も気に入らないし、お前が他人行儀なのも気味が悪い」
どれだけこの世界が腐っていたとしても。この後に及んで俺はまだ期待していたようだった。
人間関係なんて、たった1日偶然関わっただけなら、無かったに等しいことにされる。
大きなため息がきこえた。正面を向けば一色がこちらを覗き込んでいた。
「そういうのをお人好しって言うんですよ。普通の人間なら一方通行に対してなにかしようなんて思わないし、ましてや暗部の事情なんて聞かなかったことにするのが正解だと言って無視する」
そうかもしれない……ただの衝動なのかもしれない。
「でも、先輩はそうじゃなかった」
ほめているわけじゃありませんけど。と続ける。
「素直に……感動はしました」
何かを思い出すように一色は言った。
「どうも」
だから褒めてませんよ。
一色は笑ってそう言った。
その時丁度、注文していたケーキも届き、一色は片方のモンブランを俺の方に押し出してくる。苦い話に甘いものは緩衝剤のような役目を果たしてくれるのかもしれない。素直に受け取り、代わりに言葉をこう返した。
――本題に入ろう。
投稿遅れてすみません……