IS 進化のその先へ   作:小坂井

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92話 分離世界

「どうぞ、ゆっくりしていってください」

 

目の前のテーブルに紅茶が注がれたカップを置かれ、続けて茶菓子が入っている小さな籠が置かれる。女性が用意してくれた紅茶や菓子に目もくれず、瑠奈はみっともなく今自分がいる部屋をぐるりと落ち着きなく見渡していた。

 

先程の気まぐれで助けた人ーーー八千代と名乗った女性に案内されたのはここら一帯では有名な超がつくほどの高級高層マンションであった。この時点で驚きだが、さらに彼女は1人暮らしで、この高級マンションの一室を貸し切っているという。

このマンションといい、目の前の高価そうなカップと茶菓子と言い、この八千代とかいう女性は意外とすごい人なのかもしれない。

 

下手すると、学園の教室ほどはあるかもしれない客室でソファーに座り、紅茶を飲むなど今までなかったことなので落ち着かない。

 

「あの・・・・どうかしましたか?」

 

「いや・・・このマンションってここらへんでは有名な高級マンションですよね?ここに1人で暮らしているんですか?」

 

「はい、この部屋では1人で暮らしています」

 

「その・・・・失礼ですが、お仕事は何をなされているのですか?1人でこのマンションの家賃を払うことなどできなさそうですが・・・?」

 

「それは大丈夫です。このマンションはお嬢様(・・・)の所有物ですので」

 

「お、お嬢様?」

 

突如出てきた単語に首を傾げる。『お嬢様(・・・)』その単語から想像するに何かの主従関係を示しているのだろうか。

 

「私はこのマンションの所有物であるお嬢様にメイドとして働いているんです。本来は毎日このマンションに家から通わなくてはいけないのですが、それを不便と思ったお嬢様がこのマンションの一室を分け与えてくれまして、おかげでいろいろ苦労せずに働けています」

 

貴重な収入源であるマンションの賃料を一室とはいえまるまる放棄するとは随分と寛大な人だ。それとも、彼女の苦労や不便さを感じての対処だろうか。

 

「ですが、お嬢様は多忙なお方でほとんどこのマンションに帰ってくることはないのですが・・・・」

 

「それは寂しいですね。尽くすべき人の傍にいられないというのは」

 

同感するように低い声を言い、目の前のカップを取ろうとしたとき、インターホンが鳴る。どうやら、来客が来たらしい。

『失礼します』と断りを入れ、八千代という女性は玄関に出ていく。それから十分ほどして再び戻ってきた。

 

「あの小倉さん、今、私の雇用主が帰りまして小倉さんに街中で助けられたと言ったら是非お会いしたいと言われたのですが・・・・よろしいですか?」

 

「はぁ・・・まあ、構いませんが・・・・」

 

この超高級マンションをまるまる所有するほどの金持ちに会いたい。姿を現したのはビジネス帰りだからか黒いスーツを纏い、高そうな手さげバックを持った女性。それだけでならば別におかしいところはない。だが、その顔に見覚えがあった。

 

もっさりとしている金髪に目元にはサングラスをかけているスタイル抜群の女性。もはや、この状況に引き攣った苦笑いが浮かんでくる。その女性は紛れもなくーーーー

 

「あら、随分と可愛いお客さんね」

 

「おいおい・・・まじかよ・・・・」

 

亡国企業(ファントム・タスク)の幹部にして、この前、京都で刃を交えたばかりのIS操縦者『土砂降り(スコール)』であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、あなたに人を助ける心があったとはね」

 

「・・・・・・」

 

テーブル越しにスコールが瑠奈を茶化すような表情を浮かべて、運ばれてきた紅茶を口に運ぶ。その表情からは敵である瑠奈と向かい合っていることに対しての警戒や緊張は感じられない。むしろ、瑠奈ーーーーいや、雄星と2人っきりのこの状況を楽しんでいるようだ。

 

「あなたも人の子ということかしら?」

 

「偶然だよ、単なる気まぐれさ」

 

感情を表すことなく、無表情で手短にそう答える。無礼な態度ということはわかっているが、如何せん相手が相手だ。相手に戦う意思がないとしても警戒はしてしまう。

 

「そう固くならないで。女性に優しくなれない男は好みじゃないのよね」

 

「あんたの好みの男は聞いていない。それに私が好感度を気にする相手は2人だけだ」

 

「そう、でもアクセサリーと同じように、人の好感度はいくらあっても困ることはないのよ?」

 

「そうか」

 

くだらない与太話を切り、静かに警戒態勢を解く。よくわからないが、スコール自身はここで戦闘する気はない様だ。今の会話でそれは薄々感じ取ることは出来た。

 

「スコール、私を追い出さなくていいのか?」

 

「あら、どうして?あなたはお客様よ。私はお客様を追い出すような無礼をしないわ。それにあなたと2人っきりで話せる状況なんて滅多にないし、楽しまなくちゃね」

 

「これはまたご丁寧に・・・・」

 

「ところで、あの子・・・・・破壊者(ルットーレ)は元気かしら?」

 

「私が元気ならば、あいつも元気だ」

 

個人的にはあまり自分語りはしたくない。それがスコールのような得体の知れない人物ならばなおさらだ。

 

「そんな体で学園で暮らしていくのは大変ね」

 

「・・・・そうだな、色々苦労はある。それでもーーー『瑠奈っ!!』」

 

言葉を遮って手元の携帯端末から聞き覚えのある少女の声が響く。声に続き、エストの姿が映し出されるが、表情は慌てている様子だ。

 

『現在学園は所属不明の部隊による攻撃を受けています。直ちにお戻りくださいっ!!』

 

「学園の被害状況はどうなっている?」

 

『現在、学園の全てのシステムがダウン。現在、専用機持ちが電脳ダイブによる対策を行っています』

 

「・・・・わかった、すぐに戻る」

 

通信を切ると、立つよりも先に目の前にいるスコールを睨み付ける。

 

「現在学園を攻撃しているのはあんたの部隊か?」

 

「残念だけど、私の部下にハッキング攻撃ができる操縦者はいないわ。それよりも早く行った方がいいんじゃない?大切な人がピンチらしいわよ?」

 

「そうだな、ここであんたを疑っても時間の無駄だろう。じゃあな、紅茶ごちそうになった」

 

今では怒っている時間ですら惜しい。それだけ言い残すと、玄関へ向かっていく。この最悪なタイミングで学園が襲撃されたのも、街中で女性に軽々しく声を掛けてしまったことに対する報いなのだろうか。

意外と因果応報という言葉も馬鹿にできないものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえ、優れた機動性を持つアイオスであっても今の中破状態でリペアパーツを組み合わせた状態では満足に性能を発揮することもできず、遅れて学園に到着する。

エストは地下のオペレーションルームにいると言っていたが、肝心の学園のシステムが動かないとなると、下手に行動できない。

 

一番最悪なのが、このリペア状態で相手の実行部隊と鉢合わせしてしまうことだ。ひとまず、受け取った位置データを元に、ゆっくりと学園の廊下を進んでいく。

幸いなことに道中誰にも会うことなく(・・・・・・・・・)地下のオペレーションルームへたどり着く。入ると、難しい顔をしている千冬と真耶がモニター前で向かい合っている。

 

「状況はどうなっている?」

 

「詳しい説明は後だ!瑠奈、オペレーションルームへ向かえ!織斑もすでに向かっている!」

 

「わかったよ」

 

渡された位置マップを頼りに再び廊下を進んでいく。指示された部屋に入ると、大規模な電脳ダイブアクセスマシンと思われる巨大なベットチェアに横たわる専用機持ちに狼狽える簪。そして息を切らしている一夏がいた。

 

「る、瑠奈、どうなってんだよこれは!?」

 

「そう騒ぐな、まずは状況を整理する」

 

慌てている一夏を落ち着かせると、エストを呼び出して状況把握に努める。

現在学園は謎のハッキング攻撃により、システムダウンしている。そのシステム侵入者を排除しようにも、一切外部からの攻撃は受け付けない。

いや、正確には受け付けないほどの徹底的な防御というべきだろう。

 

どんなプログラムにも穴というものはある。だが、エストがその弱点を見つけられないほどに異常なまでに固い防御。これではまるで、エストが外部から攻撃してくると分かっている(・・・・・・・・・・・・・・・・・)ような形だ。

 

「この防御力、外部から干渉するのは無理か」

 

「やっぱり、直接電脳ダイブでないと・・・・」

 

空中投影ディスプレイをいじりながら簪が来るが、表情は何処か険しい。まあ、それも無理はないだろう。わざわざ向こうの得意なフィールドである電脳世界で勝負するなどハンデもいいところだ。だが、それしか方法がないならそうするしかない。

 

「一夏、これから私は彼女達と同じように電脳ダイブによる救出作戦を実行するが、君はどうする?」

 

「どうするって、決まってんだろ。俺も行く。瑠奈だけに負担を掛けられるかよ」

 

「いいねえ、そうこなくっちゃ」

 

やる気満々といった様子の一夏をアクセスルームのベッドチェアに寝かせて、システムを起動させる。

 

「エスト、簪、私も行くけどダイブ中に君たちに危険があった場合、そちらに被害が及ぶ前に強制的に切断してくれ」

 

「で、でも、それじゃあ瑠奈は・・・」

 

「いいから、もしもの話だ。それじゃあエスト、ナビゲートを頼んだ」

 

次の瞬間、システムが起動し、意識が遠ざかり謎の浮遊感を感じる。そのまま、瑠奈の意識は電脳世界に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空気の香りが鼻腔をくすぐる。そして肌に感じる風の感触。さっきまで自分の肉体が室内にあるはずなのに、今はこうして仮想世界の中に存在している。それがどうにも不思議でならない。

 

「さてと、これはどういう状況かな・・・・」

 

目の前に広がる草原、その中にポツンと立つ5つのドア。その不思議な光景に一夏と瑠奈は頭を悩ませていた。

 

「この先に箒たちがいるんだよな?」

 

「ああ、とりあえずドアに入ってみよう。まずはそれからだ」

 

ここで立ち往生していても仕方がない。危険だとはわかっているが、今は完全に運任せとしよう。目の前に静かに佇む5つのドア。やけくそになりながら、万が一、共倒れを防ぐため2人は別々のドアへ進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーーーむ・・・・」

 

 

一流の調度品に囲まれた執務室。そこで上品な姿勢でチェアーに座る女性と、近くのソファーに脚を掛けて下品に座っている少年が書類を相手ににらめっこしていた。

 

女性の名はセシリア・オルコット。イギリスで最大規模のオルコット社を束ねる若き総帥だ。過去に没落していたオルコット家が、今やこのヨーロッパで最大の権力を持つまでに成長させた天才と世間では言われているが、そうすることが出来たのは『彼』というパートナーがいてこそだ。

 

「ダメだね。セシリア、この会社との取引はやめておいた方がいい」

 

「な、なぜですか?この取引は条件の提示も良く、悪くないと思いますが・・・・・?」

 

「この前の会議で相手の挙動が落ち着かなくて目線が泳いでいたし、まばたきの回数も多く、呼吸もわずかばかり乱れていた。嘘をついているとはいわないが、多分何か裏がある。そんな相手と取引するのは危険すぎる」

 

「そ、そうだったのですか?気が付きませんでしたわ・・・・」

 

ほぼ、相手の心を読んでいるのではないかと思うほどのずば抜けた観察眼に驚きの声が漏れる。はじめの頃、没落しかけているオルコット家の資産を狙って多くの金の亡者たちがセシリアに迫ってきた。何もかもが信じられなくて、苦しみの日々。その時、突如現れた救世主がこの小倉瑠奈という天才少年だ。

 

『衣・食・住を提供してくれるのならば協力してもいい』と軽めな口調であったが、彼は人を見抜く観察眼に高い技術、そして優れた頭脳を駆使し、オルコット家をーーーそしてセシリアをどん底から引き揚げていった。このオルコット家がこうしてゆっくりとだが、歩みを進めることが出来るようになったのは彼の成果が大きい。

 

素行や態度に多少の問題があるが、セシリアやオルコット家の人々には優しく、今や皆にとってかけがえのない存在となっている。もっとも、本人はそれを自覚している様子はないが。

 

「あ、もうこんな時間ですわ・・・」

 

ふと時計を見ると、すでに本日の業務時間が過ぎていた。慌てて目の前の書類を片付け、立ち上がるとそのまま瑠奈の方へ進んでいく。

 

「瑠奈さん、本日の業務は終了ですわ」

 

「ん?あ、ほんとうだ、じゃあ今日はここまでだね」

 

持っていた書類を適当に放り投げ、疲れた様子で大きな欠伸をする。この執行室にある書類はどれも重要なものなのだが、そんな雑な行動にセシリアは怒らない。彼が書類を紛失するような失態を犯さないことなど、分かっているからだ。

 

「隣、座りますわよ?」

 

「ここは君の執行室なんだ。私に許可なんて取らなくていいよ。好きにすればいい」

 

「もう・・・」

 

不愛想な態度に苦笑いを浮かべながら隣に座り、頭を瑠奈の肩に預ける。ひどく情けないことだとは思っているが、仕事後はどうしてもこうして年下である彼に甘えてしまう。

両親が数年前に事故で他界し、自分には手に余るほどの莫大な資産。両親が残したその資産を守るためにありとあらゆる勉強を拷問のようにし続けた地獄のような日々。

 

それでも現実は非情で、無情で冷たかった。そんな現実に差し込んだ一筋の光。それが彼だった。初めは自分の体や財産を狙ってきた人間かと思ったが、それにしては色々とおかしすぎる。そもそも、住処を条件に近づいてくるなどいくらなんでも情けなさすぎるのではないだろうか。

 

今でもわずかばかり疑いはあるが、彼にはこうして自分と共に頑張ってくれている。ならば、自分は彼を信じられる。

 

「瑠奈さん・・・・」

 

子供のように体を密着させ、名を呼ぶ。多忙ながらも幸せな時間、そんな時間に突如、得体の知れない存在が入り込む。

 

「こう見てみると不愉快なものだな。他人が妄想した自分を見るというのは(・・・・・・・・・・・・・・)

 

「え・・・・」

 

ソファーで仲良く並ぶセシリアと瑠奈。その2人を覆いかぶさるような体勢で、突如もう1人の瑠奈が現れ、隣に座っている瑠奈の後頭部の髪を掴む。そしてそのままーーーー

 

「失せろ」

 

顔面を目の前のテーブルに思いっきり叩きつけ、強烈な一撃を食らわせる。グジュっと何かが潰れる音と共に、叩きつけられた顔面から赤い液体が飛び出し、テーブルの上に置かれている書類を汚す。

 

『ワールド・パージ、異物混入、排除開始』

 

「る、瑠奈さん!?きゃっ!」

 

助けようと近寄った瞬間、得体の知れない意味不明な単語をぶつぶつと呟くと同時にセシリアを突き飛ばし、立ち上がる。ぎょろんと変貌した金色と黒色の目は、この世界で異物である少年へと向けられている。

 

「ほう、意志を持たない動作プログラムごときが刃向かってくるか。くくっ、雄星、あいつは俺がやる(・・・・)。手を出すなよ」

 

得体の知れない殺意を向けられているというのに、瑠奈はこの状況を心底楽しんでいると言った様子で紅き瞳を輝かせ、下品な笑い声をあげる。

 

そんな余裕そうな態度を黙らせるように、拳を放つが笑みを浮かべながらかわし、すれ違いざまに腹部に強烈な拳を埋め込ませる。

 

『がっ・・・!』

 

「まだまだこれからだろ!果てるなよっ!」

 

前かがみとなり、露わとなった背中。そこに間髪入れずにかかと落としを食らわせ、地面に思いっきり這いつくばせる。自分と瓜二つの姿だというのに攻撃には一切の容赦がない。むしろ、自分と同じ姿である相手を楽しんでいるようだ。

 

『異物排除、異物排除、異物排除、異物排除、ごぼっ!』

 

「同じことを何度も言わなくても聞こえているさ。たまには別のことを言え。オウムかお前は」

 

ぶつぶつと同じことを呟いている口に手を突っ込み、黙らせる。必死に引き抜こうとするが手はどんどん喉元へ進行していき、まともに呼吸できなくなりあふれ出てくる唾液に血が混じり始める。もっといたぶってもいいが、そろそろこの動作プログラムの相手も飽きてきた。

 

名残惜しいがショーは終わりだ。

 

「ゼノン」

 

その瞬間、手を突っ込んでいた喉がほのかに赤みと熱を帯びていく。その刹那、喉元が破裂し、頭が吹き飛ぶ。頭部がなくなった体はふらりとバランスを崩し、静かに倒れる。

 

「はぁ、やはり機能を失った動作プログラムはいい。静かだし、余計なことはしない。まるで死体だな。さてと・・・」

 

自分の動作プログラムを排除した瑠奈は状況が理解できずに困惑しているセシリアに向かっていく。その目はセシリアが安全であることに喜んでいる様子はない。むしろ、この心底くだらない自分がいる『分離世界(ワールド・パージ)』を作りだしたことに対する嫌悪が見て取れる。

 

「る、瑠奈さん・・・・こ、これは・・・・その・・・・っ!」

 

突如、セシリアの頬をはたく。この世界は仮想世界であるのにも関わらず、その痛みはセシリアの美しい顔と心に小さくはない傷を付けた。

そしてその痛みは彼がこの世界を拒絶した何よりの証拠であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・」

 

「・・・・・」

 

 

分離世界(ワールド・パージ)を抜けた後も、2人は終始無言で歩いていた。今の瑠奈がどんな心境なのかは分からないが、少なくともこの分離世界(ワールド・パージ)とそれを作りだした自分に嫌悪していることは確かだ。

 

そんな気まずいまま、公然に広がる草原をしばらく歩き続けていると、不意に瑠奈の足がピタリと止まる。

 

「簪、ここからセシリアの意識を肉体へ戻せるか?」

 

『うん、すぐにかかる・・・・』

 

「セシリア、ここから先は私と一夏がやる。君は一足早く戻っていてくれ」

 

「は、はい・・・・」

 

なんの感情が籠っていないはずの声なのに、今のセシリアには自分の存在を威圧するかのような圧力が感じられた。その圧力に気圧されて動けないでいると、瑠奈がセシリアの前に立つ。再び手を上げられるのかと覚悟するが、瑠奈はセシリアの(まぶた)に手を添えると、人差し指と親指を使って優しくセシリアの目を開かせる。

 

「る、瑠奈さん・・・?」

 

「セシリア、君が理想を夢見るのはいい。だけど、その行為は君の瞳を曇らせる(・・・・・・)ことを忘れてはいけない」

 

「曇らせる?」

 

「ああ、叶わない夢ばっかり見てくると現実が見えなくなってくる。そして、その見えなくなった現実に耐え切れなくなった時、人は壊れてしまうんだ」

 

かつて、少年は大切な人と共に生きていく未来を夢見ていた。だが、それによってこの現実を見ていく力がなくなり、大きな過ちを犯した。その罪の意識と大切な人がいない世界に耐えきれなくなったとき、心が壊れ、人でなくなってしまったのだ。

 

彼女にはそんな過ちを犯してほしくはない。歪な存在になるのは自分だけで十分だ。

 

「君の肩には大勢の人達の生活や未来がかかっているんだ。そのための貴重な思考をこんなところで無駄にしちゃダメだ」

 

「わ、わかりました・・・・」

 

心底申し訳ないと言った様子でセシリアの体が現実世界へと送られていく。それを見送ると、ちらりと視界の隅で倒れている物体に視線を向ける。

 

「人間の頭部は約2㎏あると言われているが、それがなくなるというのはどんな感じなんだ?動きやすいのか?」

 

先程、セシリアの分離世界(ワールド・パージ)で破壊した頭部がはじけ飛んだ自分の遺体に気安く声を掛ける。

機能を失った動作プログラムといえど、この遺体は襲撃した者のシステムの端末なのだ。これを調べれば逆探知することぐらいはできるだろう。

 

「とはいえ、ここでのんびりと調べているわけにはいかないな・・・・・仕方がない、場所を移すか」

 

自分の瓜二つの遺体に触れるのはたとえ、電脳世界であっても嫌だが、今は時間が惜しい。動かない遺体の手首を掴むと、ずるずるとスノーボードのように引き攣りながら、この漠然と広がる草原の中を歩いて行った。

 




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