Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! 作:388859
改めて言うが、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは魔術師……ではない。厳密には魔力回路などの魔力量は桁外れだが、その本質はエーテル体であるサーヴァントの魂を集めることに特化した、器そのものである。
聖杯戦争に運命を左右される少女。初めから人間としての機能は付属品でしかないわけだが、そこはさておき、である。
そんなイリヤだが、上記の通り魔術師としての技量はさほど高くない。聖杯戦争のマスターとして教育された影響か、知識が少し偏り気味なのだ。故に、会得した魔術は錬金術が主で、暗示や念話など、あとは簡易的なトラップなど、魔術戦は不得手だったりするのだ。
前のイリヤですらこんな調子であれば、今のパンピーお嬢様のイリヤに魔術など寝耳に水なのも、仕方がないと言えば仕方ないかもしれない。が、残念ながらそんなことは言ってられない状況だった。
「え、えっと……? ルヴィア、さん?」
「毎度言うのも飽き飽きしていますが、貴女にそんな風に名前を呼ばれるほど、親しい間柄ではないですわ、ミスアインツベルン。魔術師のように残酷でありながら、少女のように純真さを残す貴女らしくはありますが」
ルヴィアーーいや、魔術師・ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトはイリヤを指しながら、
「約束覚えてますわね? 次会ったときは、自身を殺すようにと貴女は私と約束した」
「え……ええっ!?」
そんな約束、イリヤは無論していない。そもそも、イリヤは死ぬつもりなど微塵もない。まだ花の十代前半、自殺願望どころかむしろこれからイケてる女になりたいというのに。
とはいえ、ルヴィアが嘘をついているようにも全く見えない。
「……あの、ほんとにルヴィアさん、ですか……?」
「? なんですの? 急に改まって? まさか、今頃命が惜しいなどと言うわけでは……」
イリヤ、必死の首振り運動。その必死さたるや、まさしく生き汚いと言われても仕方ないレベルであった。
「ひ、必死すぎません貴女? 本当にあの千年続く魔術の大家、アインツベルンですの? 余り名を出したくはありませんが、ガリアスタやアーチボルトの方がまだ引き際を見極めていてよ?」
そんなこと言われても、イリヤとしては知ったことではない。ガリアスタだのアーチボルトだのよくは知らないが(知ってるような気もするけど)、そんな魔術師と一緒にしないでほしいのが本音である。
が、そこでイリヤは気付いた。
「あの、ルヴィアさん。それわたし達の世界のアインツベルンじゃなくて、お兄ちゃんの世界のアインツベルンの話でしょ? わたしの世界のアインツベルンはほら、引きこもりみたいなもんだってリンさんが」
「は? 何をおっしゃいますの、ミスアインツベルン?
「……え?」
ルヴィアの言葉を反芻して。イリヤはたまらず、突きつけられるガンドの銃口すら頭からすっぽ抜けた。
……一年前に、挨拶にきた?
そんなことは物理的に無理だ。何せイリヤとルヴィアが初めて会ったのはたった三ヶ月前。アインツベルンの名すら知らなかったルヴィアが、そんなことを言うのは、あり得ない。
何か。嫌なモノが、背中に垂れる。それはこの世界に来る前に嫌と言うほど味わった、見たくもない真実の味だ。
イリヤの世界のアインツベルン家は、知る人ぞ知る、秘境の一族らしい。ドイツの何処かに居を構え、外界と袂を分かって久しいとか。
とすれば、ルヴィアの話してるアインツベルンは何処のアインツベルンだ?
……答えなど、分かりきっている。だからこれは、確認だ。
「ルヴィアさん、幾つか質問していい
「は?」
……もしも。
イリヤの知るルヴィアなら、この時点で違和感に気付いたのかもしれない。敬語を使ってくるなど、それこそルヴィアからすれば他人行儀だからだ。
しかし気付かない。
確認作業が行われる。
「今、何月ですか? 昨日まで何してました?」
「何を聞くかと思えば、今は
殺す相手を心配する辺り、ルヴィアの世話焼きな一面は変わらないようだ。イリヤはそこに安心して、だからこそ、状況の深刻さに呑まれそうになる。
息を吐く。溢れそうになる結論を押し留め、ゆっくりと推測を連ねる。
「よく聞いて、ルヴィアさん。これは嘘でも、ましてやわたしが魔術をかけられていたわけでもない。いや、ある意味魔術にかけられているんだけど」
「?……貴女、何を……?」
「今は七月下旬の夏、ここは日本の地方都市冬木」
「……は?」
ルヴィアからすれば受け止めきれないのも無理はない。
だから、イリヤは結論を先に告げた。
「ーーーーあなたは、三ヶ月眠っていたんです、ルヴィアさん」
疑問には、思っていた。
美遊の作り出した世界は死者を蘇らせた、理想の世界だ。しかし、ならば元々そこに暮らしていた生者は? 衛宮士郎、遠坂凛、バゼットやカレンを除く、生きていた人々はどうなったのか?
これが恐らく答えだ。
生者一人一人の記憶を、理想の世界に違和感がないよう
恐らく、ルヴィアも同じようにこちらの平行世界へ飛ばされたのだろう。
しかしどういうわけか、神稚児による記憶の改竄がここに跳ばされたことで解けてしまったのだ。
そうしてルヴィアは、元の世界ーー七月二十日の理想の世界ではなく、四月某日の衛宮士郎の世界から、この世界にやってきた、ということになるのだ。
「……む、ぐ、ぬぅ……」
眉間に皺を何重にも刻んだルヴィアは、唸りまくっていた。それも当たり前だ。ルヴィアには包み隠さず、イリヤの事情を話したのだから。
美遊という少女に起こった悲劇、その関係。イリヤ達死者のことと、その世界で行われた三ヶ月の日々。
楽しかったこと、戦ったこと、どうしようもないこと、それでも、生きたいと思ったこと。
全てをぶつけるべき相手は、このルヴィアではない。それでも、ぶつけずにはいられなかった。もしかしたら、思い出してくれるかもしれない。あれだけ美遊を大事に思っていて、兄のことを好きでいてくれた人なら、きっと。そう、思ってしまった。
だけど一つ話す度に、疑いの目を向けられた。それは警察や探偵の上品な推理などではない。細胞の一つ一つを剥き出しにして、解剖していくかのような冷徹な瞳だった。
世界は違えどルヴィアも魔術師、かなり無理のある話だということは重々承知だ。しかも気づけば時計塔ーー霧と歴史あるロンドン、つまりはイギリスから、遠路遙々極東の日本をすっ飛ばして平行世界である。信じる信じないの前に、常人ならまずこっちの頬でも捻られる話だ。
「……あの」
少し場所を移動して、イリヤとルヴィアの二人は山道を歩きながら話していた。流石に狼の死体が転がっているような場所には長居したくない。どちらにせよ、冬木市には向かわなければいけないのだから、時間が惜しい。まあルヴィアからすれば、少しでも足を動かすことで事実を飲み込もうとしているのかもしれないが。
既に、イリヤはもうルヴィアに都合のいい夢を押し付けようとはしていなかった。イリヤの知るルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、恐らく、もう何処にもいない。
兄と同じだ。勝手に割り振られた役を、意味も分からぬまま期待される。明確に違うことがあるとすれば、ルヴィアからすれば余計な重荷でしかないということ。
しかし、目の前にいる彼女も、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトには変わりない。
「……全く。十を越えたばかりの少女が、そんな顔をするものではなくてよ、ミス?」
「……え?」
俯いていたイリヤの肩へ、ルヴィアが手を伸ばす。すると服についていた雪を払いつつ、後ろに回る。そして、乱れていた髪を梳かし始めた。一連の行動は、ルヴィアがお嬢様だということを忘れるほど流麗だ。
「こんなに素材が良いのに、手入れを怠っては宝石もくすんでしまいますわ。次からは、これくらい自分でも出来ますわね?」
「あ……は、はあ」
目をぱちくりさせてるイリヤに、くすりとルヴィアは唇に微笑を乗せる。それは同姓のイリヤですら、魅力を感じるほど美しい。
「……本当に、貴女はただの子供ですのね」
それは、降り積もる雪よりもなお深い、諦念だった。
「女の魔術師にとって、髪は重要な意味を持ちます。例えば髪の長さ、つや、色。髪そのものを魔術的な記号にして行使する魔術も少なくない。かつての貴女も、そうだったことでしょう」
イリヤも、知っている。それこそ生前のイリヤは、髪を針金へと変換、そこから錬金術によって様々な魔術を行うことが出来た。決して殺し合いが得意ではなかったイリヤでも、髪にまつわる魔術は手段として持っていた。
「前の貴女なら、きっと体に触れることすら許さなかったでしょうに。今はこんな簡単に、触れられる。触れられてしまう……これもまた巡り合わせだとしたら、奇妙な縁があったものですわ」
「……ルヴィアさん」
信じたくはなかった。そんなことを、暗にルヴィアは言っていた。
今のは最後の確認だったのだろう。本当にイリヤが、ただの小学生だということの。
僅かな静寂が、山地を再び包む。それはまるで眼前の冬木市のように、死んだーーあるいは拒絶しかけていた事実に、浸かるかのよう。
そんな泥沼から、ものの数分で抜け出したルヴィアが、口を開いた。
「信じましょう、ミス。貴女のおっしゃったことを。一から十までとは行きませんが、少なくとも貴女が私の知るミスアインツベルンとは別の存在であり、そして悪意をもった相手ではないということ。それは、信じましょう」
「……」
分かってはいた。
例え同じ人間だとしても、ゼロから信頼を得るのは難しい。ましてや魔術師が相手なら尚更。むしろ生前のイリヤを知るルヴィアだからこそ、その差で真実味を帯びたなら、僥倖だった。
「……じゃあ、あの。協力してくれるってことで、良いんですか?」
「貴女は貴重な情報源ですもの、組まない手はありません。正直、世界が滅ぶと言われましても、それを阻止する義理など私には無いもので。それはあなたが為すべきことですから。
が、まあ……幼子に振りかかる火の粉くらいは払わねば、エーデルフェルトの沽券に関わりますわ」
つまるところ、『世界がどうこうは一先ず置くとして、イリヤみたいな子供をこんなところで見捨てられないから知り合いまで送る』……こんなところだろうか。迂遠な物言いはらしくないが、見捨てるとは言わないのが、何ともルヴィアらしい。
「じゃあ……それまではよろしくお願いします、ルヴィアさん」
「ええ。よろしくお願いしますわ、ミスアインツベルン」
……む、と。イリヤは気に食わない素振りを見せる。
「イリヤで良いですよ、ルヴィアさん。わたし十一歳だし、ミスなんて呼ばれるほど立派な人でもないし……何より、慇懃無礼さがないルヴィアさんって凄く違和感あって、むず痒いというか……」
「さらっと私のこと猛烈に貶してることお分かり??? 一度死んでも、若返っても、貴女のその毒は一ミリも抜けてませんのね、全く……」
いいでしょう、とルヴィアは自身の豊満な胸に手を当てる。
「その代わり、貴女も敬語なんて使わず、自然体で構いませんわ」
「……え、いいんですか? 一応目上だし、初対面なわけだし、敬語使わないとって……」
「一応は余計でしょうこの天然毒娘。私を見つけたとき、貴女は友のように接してきたでしょう? なら、あなたが私へと求めるモノはそれ。でしょう?」
「……そう、なんですけど」
それは兄と同じ苦しみを、ルヴィアに与えることになるのではないか? イリヤの中に宿る不安を見透かし、ルヴィアは自信の限り答える。
「勘違いなさらぬよう。私と貴女は、対等の関係ですのよ? これから先、子供と侮ることもありません。故に、あなたが行動で示すなら、私もそれ相応の対価で返さねば。
そういうことで……
それは、凍えるような冷気が一瞬で吹き飛ぶ、熱を持っていた。イリヤを、この状況へ立ち向かわせる強さを。
「!……うん! 改めて、これからよろしくね、ルヴィアさん!」
ああ。イリヤは、胸の奥から久しぶりに感じた温かさに、笑みを浮かべる。
この世界に来て初めてだったかもしれない。ぬか喜びでもなく、正しく、良かったと心の底から思えたのは。
分かっている。こんなことは長く続かない。
それでも、向かう先が終わりであったとしてもーーイリヤにとって、これは大きな一歩だった。
「さて、ではまず衣服を買うことにしましょう。何時までも夏の装いでは、こんな矢先で凍死しかねませんし」
「え? でもルヴィアさん、お金あるの? 財布入れるスペースなんてドレスの何処にも無さそうだけど」
「ああ、ご心配せずとも。現金でしたら従者に持たせていま」
「その従者さん、今いないけど」
「………………………………………」
「ちょっ!? ルヴィアさん!? 萎んでる!! こう、貴族的なオーラが秒速何百って勢いでくすんでるよいいのそれ!?」
「……お仕舞いですわ……ティータイムすらまともに……くまちゃんを抱いて寝ることすら……」
「そんなに知りたくもない可愛い一面が明らかになったけど狙ってるのか狙ってないのかどっちなの!?!??」
……大丈夫、なのかなあ。
衣服すらまともに調達出来ない仲間を得て、少女は歩き出す。
平行世界で起きてから僅か三十分の出来事なのだが、これからやっていけるのか。イリヤとしては切に心配なのでした。
そんなわけで、かれこれ四十分後。
イリヤとルヴィアの二人は山を下り、県道まで歩を進めていた。
昔は港町として栄えたらしい冬木市だが、海とは反対の円蔵山近辺は緑が深い。こうして降りてみても、深山町まではまだ少し遠そうだ。魔術を使えば町の端くらいまで一息かもしれない。イリヤを放っておけば、の話だが。
相変わらず雪は降っているが、ルヴィアの魔術により保温されているため、イリヤも比較的消耗はしていない。
ただ凍結した路面に対し、片やサンダル、片やヒール(取り外し可)と迂闊に進めば頭をコンクリで叩き割る未来が待ってるので、進みは遅くなってしまうが。
そんな二人だが、この間に情報交換を行っていた。お互い相手の差異などを無くすためなのだが……。
「え、ルヴィアさんって日本嫌いなんですか!?」
「ええ。こーんな田舎の極東など、世界で一番縁がない国だと思ってましたもの。聖杯戦争などという馬鹿げた儀式のせいで、当時は本当に大変でしたし、何よりあのナンチャッテチャイナ拳女の住む国に足を踏み入れてはほら、貧乏菌が移りますでしょう?」
「ナンチャッテチャイナ拳女……? ああ、リンさんか。うーん、じゃあミユのことも最初はよく思ってなかったのかなあ、ルヴィアさん……?」
「ああ、勘違いなさらぬよう。私個人、というより家そのものが日本嫌いなだけですわ。あとトオサカも。そもそもそちらの世界の私は、聖杯戦争を知らなかったのでしょう? 例え私と同じ状況だったとしても、私は人種で人の価値を決めたりはしませんわ。トオサカは別ですが」
とか。
「そういえば、その美遊とは、どのような人物なんですの?」
「ミユ? ミユは……うーん、そうだなあ。ミユはね、凄く真面目で、融通が効かなくて、でも誰より他人のことを気にしてて、優しい子……かなあ?」
「かなあ、って。友達なのでしょう? でしてたら良いところくらいはバシッと口にすればよろしいのに」
「う、まあそうなんだけど。最初はミユのことちょっと怖い人だなあって思ったし、怒られたこともあったし……でも、良いところも悪いところもあるから、わたしはミユをほっとけなくて、友達になったのかなあって」
「……なるほど。良いも悪いも兼ね合わせての人だからこそ、共にいたいと。魔術師には中々ない価値観ですわ。ふふ、素晴らしい友がいるのですね、イリヤスフィール」
「ありがとうございます……なんか、こう話すと照れるなあ。あ、じゃあルヴィアさんはどんな友達がいるの?」
「私?……私は……ふむ……」
「あ、あれ? スッと出ないんですか? 自分はあれだけ言ってたのに?」
「いえ。イリヤスフィールのような価値観で言うのならば、私には友がいないということになりますから……」
とか。
「はぁ……ルビーがいてくれたら、わたしも戦えるのになあ……」
「カレイドステッキがそこまで協力的だなんて、私的には驚天動地なのですが……一体どんな手を? 宝石? 宝石ですの?」
「いやそんな賄賂とかないし……ってあれ、ルヴィアさんは会ったことがあるんですか? ルビーとサファイアに?」
「というより、元々アレはエーデルフェルトとトオサカが大師父より賜った、一級の礼装ですわ。エーデルフェルトにはサファイアが与えられ、代々封印しているのですが……」
「ですが?」
「……一度使ったことがありまして。そのときの記憶がすっぽり抜け落ちてしまったのです。その後、周辺住民に温かい目を向けられたときは二度と使ってたまるかコンチクショウと」
「ああー……」
とか。
些細なことばかりで、一見そんな会話に意味はなかったかもしれない。しかし、イリヤは魔術師ではない。ルヴィアも魔術師ではあるが、同時に堂々と清廉潔白過ぎて、その在り方は魔術師というには些か真っ直ぐすぎる。
そんな二人だからこそ、相手を信頼するのに必要な要素は、その人生。本音を吐露し合う、とまでは行かずとも、どういう人生を送ってきたかを知ればそれで信頼するという二人なのだ。
目の前の人物が狂人でないなら、こんな経験をしたならああする、という予測とて立てられる。最も、そこまで計算しているのはルヴィアだけなのだが。
「……それにしても」
視線だけ投げながらルヴィアは、
「やはり異常ですわね。電車どころかバス一つ通りませんわ。いくら極東の田舎といえ、ここまで人と出会わないのも可笑しい」
ここまで二人は、バスはおろか道路を走る車、自転車、歩行者すら目撃していない。
先程より暗くなってきて、時間も夜に差し迫ってきているかもしれないが、それにしてもこの人通りの悪さは正常ではない。
「……何があったんだろう?」
「世界滅亡の危機でしたら、それこそなんでもありでしょう。
ともあれ、やるべきことは一つだ。
「まずは町へ。この世界の情報を集め、そして」
「クロやリンさん達と合流する、だよね?」
「ええ」
冬木市がどうなっているか分からない以上、足を踏み入れるのは愚策かもしれないが、情報源は今そこにしかない。
全ては歩かなければ始まらない、ということだ。
「イリヤスフィール。ここからその深山町、という場所までどれくらいかかりますの?」
「うーん、あと二十分くらいかなあ……いやもう少し早いのかな? こんなに歩くこと中々ないから、ちょっと分からないかも」
「そうですか……うう、こんなに徒歩で移動することになるとは……リムジンが恋しいですわ……」
確か士郎の友人に、毎日お寺から学校まで二時間歩いて登校する人がいたな、とイリヤは思い出す。このままではとっぷり夜も更けた辺りで冬木市に着くだろう。流石に野宿するわけにも行かないし、方針を変えた方が良いかもしれない……とイリヤが考え始めたときだった。
「……?」
さ、とイリヤをたおやかな腕が制止させた。ルヴィアが何かを感じ取ったようで、遠くの冬木市をねめつけている。
「……ルヴィアさん? どうかしたんですか?」
「
「い、今!?」
イリヤの目には、冬木市そのものに異変はない。しかしルヴィアは感じていた。
二つの町の接点、あの西洋造りの城を頂点に、冬木市を余すことなく結界のようなものが囲んでいる。
ようなもの、とルヴィアが言ったのには理由がある。
結界にも種類がある。ポピュラーな外敵から身を守るモノ、はたまた一般人を巻き込まないための人払い。
ルヴィアは世界中の魔術的な抗争から、成果だけをかっさらい、自らの神秘を次の段階へ推し進めてきたエーデルフェルト家の当主だ。
だからこそ、その結界の異常さに気付いた。
広すぎるのだ。結界そのものが。
例えばこれが常駐する、龍脈などのバックドアがある結界ならばまだ分かる。
しかし、十キロを越える広範囲に渡って貼った結界を自由にオンオフするなど、聞いたことがない。そして何より、結界の向こうーー冬木市そのものが、物理的な距離より遠く感じる。
まるで、そこには何もないと暗示をかけられているような。
「、イリヤスフィール!!」
「えっ、わっ!?」
ルヴィアはすぐにイリヤを抱えると、そのまま走り始める。傍目からすれば、急に抱え上げたルヴィアの行動は首を傾げても仕方がない。
だが、魔術師として、エーデルフェルトとしての血が騒いでいた。
「あの結界が貼られた理由が、時間に則ったものでないのなら……!!」
結論を口にする暇すらない。
後方、円蔵山の直上。
その空が、
さながらカッターナイフで切ったかのように、世界という壁を容易く別つそれから、ずるりと何か落ちてくる。
それは、人だった。ただの人ではない。誰も彼も武装しており、その割りには銃などの近代的な装備はかなり少ない。国籍も様々で、イリヤのような子供から枯れくさってしまいそうな老人まで、層はバラバラだった。
一つ共通する点があるとするなら、それはひりつくような殺意。距離にして大体二、三キロだろうか。それだけ離れているというのに、濃密な殺意の波は距離など感じさせなかった。
「な、ん……!?」
イリヤも世界が裂ける、という現象は何度か見たことがある。しかし、そのどれともアレは似通っていなかった。人が降りてくるにしても、エインズワースのそれとは違う。
そう、
ならば、まだ先があるのも当然だ。
「!?」
今度は前方だった。
冬木市、結界内。視力を強化したルヴィアどころかイリヤですら、その姿は目に飛び込んできた。
西洋の城、その頂点。そこで、黒く巨大な立方体が顕現していた。
ルービックキューブにも似たそれは、西洋の城と同等にまで膨らむと、脈打ちながら回転し始める。
ルヴィアが足を止める。
先述したが、彼女は魔術世界でも珍しい、武闘派である。当然、それにちなんだ礼装や魔術、場合によっては宝具などを目にしたこともある。
しかし、それらが塵芥に見えるほど、その黒い立方体は異様だった。漆黒を塗り固め、雨風という自然の彫刻刀で削られたと言われても納得してしまうほど、精巧で、見る者の心をざわつかせるほどの何かを秘めていた。
そしてそのざわつきは、立方体から滲み出した液体で、確信へと変わった。
「……う、そ」
イリヤはそれに見覚えがあった。
空気が救いを求めるように水面を弾けて、それは圧倒的な重量で冬木市を溶かす。
「聖杯の泥……!?」
なんでそんなものがここに? アレはギルガメッシュが吸収してそのままだったのではないのか? そんなイリヤの疑問に答える者はおらず、更に状況はめぐるましく変わる。
泥が地表へと落ちたかと思えば、それは人型へと形を変えたのだ。
そう、丁度後方で今冬木市へ全速力で駆けてくる彼らのような、悽愴な何かが。
「黒化英霊まで……!?」
イリヤは絶句する。たった一体の黒化英霊に負けることすらあったのに、それが何十と泥を破って浮き出てきたのだ。空いた口が塞がらない。
ルヴィアも黒化英霊の話は聞いていた。しかし、だからこそ、それを何十体も出現させなければならない後方の集団は、なんだ?
結界まではあと二十分。
つまり走れば、それ以下。
「
キィィン、という風切り音は、ルヴィアのドレス内部から。発光する箇所は太股の辺り。弾帯を巻いて、弾丸の代わりに宝石を装備していたのだ。
「口を閉じて、舌を噛みますわよ!」
即座に宝石に蓄えられていた魔力がルヴィアの全身へと行き渡る。イリヤがしがみついたのを確認し、薄い翡翠の幕で覆われたルヴィアは、それこそ弾丸のように道路を爆走し始めた。
重力操作と身体強化の併用。
その速度足るや、先の狼にすら勝るだろう。
しかし、
「っ、こっちだって出し惜しみしてるわけじゃありませんのに……!」
背後。一足早く開いたあの穴からこちらの世界へ来た者達が、音速の壁を越えてこちらへ接近してくる。いや、それだけじゃない。強化したルヴィアの眼球は、それを捉えて体を横へ流した。
「うわっ!? な、なに!?」
至近で小さな爆発。危なげなくルヴィアは回避したが、イリヤからすれば意味の分からぬままの狙撃だ。動揺するのも無理はない。
「……狙撃に弓を使うとは、なんて時代錯誤でふざけた真似を……!!」
「ル、ルヴィアさん。これってまさか……!」
「ええ、考えることは同じでしょう。全く勘弁してほしいものですわ、考えたくもなかったというのに……!」
ルヴィアは感知用の簡易ダウンジングと、防護結界を貼りながら、
「いきなり
普通ならまず否定する思考。しかしルヴィアが言ったのだ、ここでは何があっても可笑しくないと。
世界なんてものが終わるとして、それはどんなときなのだろう。
そんな詩的な問いに、現実的な回答をするなら、今や世界など救うも壊すも容易いモノでしかないと魔術師は答えるだろう。
ボタン一つで都市を破壊するミサイルが空を泳ぐ世界で、そんな問いに意味などない。世界の価値などそんなもので、だからこそ、目の前に広がる光景も一つの終わりに違いない。
一人一人が戦術兵器に匹敵する英霊の戦争。それは最早戦争の肩書きを越えて、大戦に発展する。
巻き込まれたらまず死ぬ。
それは魔術師だとしても関係ない。
一般的な戦争の知識など、何の意味も持たない破滅の空間ーー!
「遮蔽物どころか、隠れる隙間すら貫通してくる可能性があるとしたら、逃げ場なんて何処にもない……!!」
「とにかく走るしかないよ! 担がれてる分際で言いたかないけど早く走って!」
「ほんとですわよ!? 軽すぎて逆に怒りたいくらいですけども! あなた肉を食べてますの!? だからぺったんこなのではなくて!?」
「最近の女の子は細身志向なの!!」
たたん、とステップを踏んで、攻撃の範囲から外れようとルヴィアは踊る。前から狙撃はなく、幸運なことに円蔵山からの狙撃も、威力と精度はそれほどではない。
しかし、
「ルヴィアさん前!!」
「え?……、っ!?」
注意が後ろに逸らされていたから、イリヤに忠告されても気づくのが遅れた。
真横の田んぼ。狙撃から逃れようとして誘導された先に居たのは、赤いフードを被った襲撃者。サバイバルナイフを構えていた襲撃者は、音もなく二人の背後を取り、そのナイフで首を断つべく振り回すーー!
その、直後だった。
つんざくような破砕音が、響いた。
「……え?」
一瞬のことすぎて、二人には田んぼに居た襲撃者が勝手に反対の家屋まで吹き飛んだように見えただろう。
だが、それを実力者が見れば、一連の動作に気づいたハズだ。
襲撃者のサバイバルナイフを砕いた一射と、続く二射目で襲撃者の腹を貫通した矢の存在を。
「……!?」
二人が目を見張る。
何故なら、聖杯の泥で作られた黒化英霊達が、いつの間にか二人の側に現れていたかと思うと、まるで守るように取り囲んだからだ。
目を白黒させるイリヤとルヴィア。まさか、エインズワースに関係ありそうな彼らが自分達を守ってくれるなど、予期していなかった状況だ。
「……なに、これ?」
「助かった……と考えても、よろしいのでしょうか?」
黒化英霊達は何も言わない。ただ、目の前の敵を駆逐することだけを命じられているのだろう。
そうしている間にも、頻繁に攻撃は防がれ、穴から落ちてきた集団に対し、黒化英霊達は牙を剥いている。水田が吹き飛び、木が薙ぎ倒され、アスファルトが割れて粉々になりながら、英霊達は一歩も引かない。
二つの勢力は互角だった。様式美、という単語がまさにこの戦争には似合う。こんな辺鄙な場所であっても、見える景色はかつて世界の各地で行われた英雄譚と何ら変わらない。
全くもって、予想外のことが起きすぎている。こうも振り回されていると、立ち上がる気力すら削がれてしまいそうだ。
誰か状況を教えてほしい、そう二人が心の底から考えたとき。
「ーーいやあ、運がいいですね、お姉さん達。たかが三十秒とはいえ、
それは、秘境にだけ成る至高の果実のように、蕩けてしまうほど甘美な声だった。危険が付きまとうハズなのに、口にせずはいられない、そんな誘惑の権化だった。
ざ、と砂利を踏みしめる音は軽い。それもそのハズ、そこに居たのはイリヤよりも年下と見られる、金髪の子供だったからだ。
しかし、声が出なかった。イリヤには、その声に身覚えがあったからだ。生前も、死後も。密接に関わる死神のごとく。
「……あなたは?」
「僕? ああ、そうか。イリヤさんは知ってるけど、そっちのルヴィアさんは知らないんだっけ?」
ルヴィアの明確な敵意を込めた誰何にすら、笑顔のまま、彼は一切動じなかった。
金髪の少年は数多の黒化英霊が散っていく戦場の最中、柔らかな口調で告げる。
「僕はギルガメッシュ。この戦争ーー第六次聖杯戦争に呼ばれた、はぐれサーヴァントさ」