Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! 作:388859
ーーinterlude6-1ーー
午後七時を回り、町が徐々に活気を失っていく時間帯。いつもなら家族揃って夕食を囲む衛宮家だが、今日はそんな当たり前を送れないほどの非常事態だった。
「セラ!」
二階から降りてきたセラへ、リビングに居たイリヤ、クロが駆け寄る。凛とルヴィアも駆け寄りはしないが、思わず立ち上がって返事を待つ。
セラは額の汗を拭き取りながら。
「大丈夫ですよ、イリヤさん。クロさん。処置が早かったおかげで、命に別状はありません。魔術で治癒力を促進すれば、後遺症も残らない。士郎は無事です」
「……よかった……」
はふぅ、とイリヤが張り詰めていた緊張を吐き出し、へたり込んだ。クロもイリヤのようにへたり込んだりはしないが、ほっとしたようで、肩を下げた。
発端は夕方のことだった。いつものように家事をこなしていたセラに、普段から見張らせている使い魔を通して届いた、士郎の危機。病院に連れていくことも考えたが、それでは間に合わないと判断したセラがリズに連れ帰るよう命じ、処置を施したというわけだ。
あっという間のことだったのでイリヤとクロも最初は呆気に取られていたが、右半身がまるごと抉れた士郎を目にしたときの顔は、セラとしても忸怩たる思いだった。
だが峠は越えた。なら次はとセラは続ける。
「普通なら、即死もあり得た傷です。今回はたまたま運が良かったに過ぎない。この家を預かる身として監督不行届だったとはいえ、事情をお聞かせ願えますか?」
口調こそ穏やかだが、セラは苛烈な視線を叩きつける。その目は拒否すればこの家から帰さない、そんな殺意すら滲み出る瞳だった。
「ちょ、ちょっとセラ! ルヴィアさん達だってお兄ちゃんを守れなかったんだよ!? なのにそんな睨み付けなくても……!」
「いえ。イリヤさんの知り合いだからこそ、この程度で済んでいるんですよ。あなた方がこの家の門を潜れているのは美遊さん、そしてあなた方自身が子供達と交流していたから、それをお忘れなきよう。この後の対応次第では、あなた方をこの町から叩き出すのも視野に入れていますので」
「叩き出すって……!? そんな、なんでそんなこと言うのセラ! あんまりだよそんなの!」
イリヤが抗議しようとするが、その前にクロに首根っこを掴まれた。
「ごめんなさい、コイツが居るといちいちこうなるから話進まないでしょ? わたし達一応話はルビーから聞いたし、ルヴィア達はセラに説明よろしくー」
「なぁ!?」
じゃあとでね~、とどたばたフローリングを踏みながらリビングを出ていくクロと猫扱いのイリヤ。音からして外に出ていったらしいことを確認したセラは、ようやく敵意を消した。
「……イリヤさんが居ては話し辛いことが多そうですから、少々演技をさせてもらいました。ご無礼をお許しください、お二方」
「い、いえ……でも、まだちょっと怖いかなあ、なんてー……」
「ええ。演技二割真実八割ですので」
ニッコリと恐ろしいことを口にするセラに、凛は硬い笑顔で対応する。というか真実八割なら大マジじゃない、などと口が裂けても言えないのは、やはり罪悪感があるからだ。
「……」
そんなセラのブラックジョークを受け、更に沈んだ顔を見せるルヴィア。あれからずっとうつ向いてばかりで、今回のことで一番傷ついてるのだろう。
「……申し訳ありません。シェロのこと、何と詫びればいいか……」
「あっ、いえ。こちらも冗談が過ぎました。すみません」
粛々と頭を下げようとするルヴィアに、セラもただ事ではないと感じ、慌てて訂正する。気を使われている事実に気づいていない辺り、今回の件はルヴィアに心底効いたらしい。ほっとけば泣き出しそうな勢いだ。
「じゃあ、何が起きたのか説明します。サファイア」
「はい」
空気を読んで隠れていたサファイアを呼び、凛は夕方のことを説明する。
海浜公園で遭遇した、封印指定の執行者。士郎を叩き伏せ、美遊を奪い取った彼女の名はバゼット・フラガ・マクレミッツ。指折りの武闘派の奇襲に、セラも心底驚いた。魔術世界から手を引いて久しいとはいえ、その名はアイリや切嗣を通して知っていたからだ。
だがそれよりも驚いたのは、その後のことだ。
「バゼット・フラガ・マクレミッツが士郎と同じ世界の人間……ですか?」
「はい。本人が口にしていましたから、多分そうかと。バゼット本人はこれから迫る敵ーーつまり士郎様がいつか相対しないといけない敵に対し、今のままでは勝てないと言っていた。人間衛宮士郎では勝てないと」
「だから士郎を襲い、身の程を思い知らせたと……?」
にわかには信じがたい。相手は魔術師、しかも封印指定の執行者。例え懇意であったとしても、そこに私情が挟まる程度の人間がなれる役割ではない。
だがバゼットがもし本当に殺す気なら、宝具を使用せずとも、自慢の拳で頭を潰すなりすれば殺せたハズだ。バゼットの宝具、
……ここで心臓を引き抜くという発想と、士郎が死ぬ姿を思い浮かべて寒気を催してしまう辺り、まだ人間にも魔術師にもなりきれてはいないなとセラは呆れる。
「? 何か、気になる点が?」
「いえ、ありませんよ凛さん。どうして襲ったかは別として、そういうことがあった。それだけは分かりました」
となれば。
「あとは美遊さん、ですか……」
バゼットに連れていかれた美遊が、並行世界の士郎の妹。イリヤやクロも、その事実を知ったときは相当衝撃を受けていた……が、凛が告げる真実はその上を行った。
「……バゼットは、美遊は並行世界の小聖杯だと言っていました」
「……今、なんと?」
並行世界の……聖杯?
いや、でも、だとしたら……?
「士郎の世界とも、わたし達の世界とも違うーー黒幕と仮定しているエインズワース家が存在する、第二の並行世界。美遊はそこから、聖杯の機能を駆使してここに来た。バゼットはそう言っていました」
「……確かなのですか? いや、疑うわけではないのですが……」
「疑問は最もです。ですが美遊が聖杯なら、辻褄が合う」
凛は指を折って順番に根拠を挙げる。
「聖杯であるイリヤと同等の魔術回路を持っていたこと。クラスカードがこの町にばらまかれた時と同じタイミングで、美遊を見つけたこと。英霊への置換術式……
やはり、そうなのか。
士郎がどうやってこの世界に来たのか。それが結局セラにも分からずじまいだった。士郎の記憶は混濁しており、唯一発端と言えるのは宝石剣の設計図に触れたから……とは言っていたものの、それでは腑に落ちない点が多すぎた。
だが、一つだけ。確実な方法があることをセラは知っていた。
つまりーー聖杯による、世界の壁の突破。
「敵が衛宮くんをここに転移させたとは考えにくい。とはいえ、あっちの魔術刻印が欠けたわたしが第二魔法に届いたとも考えにくい。とすれば、何らかの理由でーー恐らくクラスカードを媒体に転移してきた美遊に、衛宮くんが巻き込まれてこちらに来た……そう考えるのが、妥当だと思います」
「美遊さんをルヴィアさんが見つけたとき、彼女は何処かで拾った古着を見繕っていた状態だった。つまりその日に転移し、そして士郎がここへ転移した日のズレは僅か数日しかない……」
偶然にしたって、それはいくらなんでも出来すぎだ。ここまで証拠が出揃えば嫌でも納得する。士郎をここへ誘ったのは美遊だ。間違いない。
だとすると、
「問題は、並行世界の兄を殺してここに来たことを、美遊が知ったらどうなるか……」
別に誰かのせいではない。委細は本人から聞いていないが、もし全てを知れば、美遊が自分自身を責めることは確実だった。
そして、恐らくそれに気づかなかった士郎も。
誰もが自分を責める。誰もがその事情を無理矢理にでも聞いていればと。
そしてそれは、目の前の少女も同じだった。
「私は……」
ルヴィアが沈黙を破る。いつもなら淡い宝石のように眩しい瞳は翳っていた。
「私は……!」
その悲しみ、苦しみ、痛み、嘆き。
セラにもその全てが分かる。分かっているようで、何も分かっていなかった瞬間の滑稽さ。無力さ。既に手遅れだったと気付いたときの絶望は計り知れない。
セラもそうだった。いいや、セラだけではない。未だ真実を知らないイリヤ以外はみんなそうだった。
これは、部外者のセラが何を言ったところで変わるモノではない。
これは、当事者たる彼らが解決すべき問題だ。
だけどそれでも、何か一言だけ。背中を押せるような何かを言えるとしたら、それは。
「ルヴィアさん」
「……?」
セラは告げる。
アインツベルンの叡知によって生み出されたホムンクルスとして、ではなく。
誰よりも子供達を思うが故に、その絶望と向き合ってきた、家族として。
「ーーあなたは、美遊さんが好きですか?」
「っ……!」
ルヴィアが顔を伏せて、押し黙る。
……これでいい。
複雑な問題ばかり見てしまって、誰かの気持ちばかり考えてしまって、肝心なことを忘れてしまって。
セラが何か出来るわけじゃない。
出来るのは楔として打った言葉を、彼女が忘れないようにしてあげるだけ。
立ち上がり、セラは頭を下げた。
「では、イリヤさんクロさんをよろしくお願いしますね、お二方」
「?……え? いやあの、止めないんですか? 使いっ走りにしてるわたし達が言うのもアレですけど……バゼット相手じゃあの子達でも無事じゃ……」
「ええ、分かっています」
セラはこの家をアイリと切嗣から預かる身だ。士郎だけでなく、イリヤとクロまであんな怪我をさせるわけにはいかない。いかないが、それとこれは話が別だ。
「友達を助けたいのなら、仕方ありません。あの子達がそれを選ぶのなら、わたしが止める権利もない。ですからどうかあの子達を、無事にこの家にまた帰してください。そのための力添えを、何卒よろしくお願いします」
もう一度頭を下げ、セラはリビングから去る。積もる話もあるだろう。邪魔しないよう音を立てず、そのまま二階へと上がり、士郎の部屋へと入った。
部屋は明かりが点いていなかった。しかしホムンクルスのセラは夜目が効く。よって何の障害なく部屋の隅々まで見えた。
雑貨が何もない棚は、隙間を埋めるように参考書が入っており、備え付けの机も同じようなモノだった。埃こそないが、三ヶ月前からそこは最低限しか触ってないだろうことは伺えた。自分の家のように使えばいいのに、未だ自分が殺してしまったと思っているのだろう。
そしてベッドには、幼少期から寝食を共にしてきた彼ーー衛宮士郎が、ぐっすりと眠っている。
「全く……毎度毎度、無茶ばかりするんですから……」
セラは近くまで行くと、膝を曲げ、士郎の額の上のタオルを被せ直す。
宝具の一撃は手加減されていたとはいえ、軽視は出来ない。魔術で応急処置はしたが、それでも大怪我には変わりないからだ。徐々に回復する術を行使したため、今日は恐らく目を覚まさないだろう。
士郎の前髪を鋤く。少し前まで背が自分より小さくて、見上げていた少年は大きくなり、こうして誰かを守っている。やり方は……余り褒められたモノではないが、逃げ出すよりはよっぽどいい。
「……あなたも、やっぱり士郎なんですね……」
知っている。この彼は、自分が知っている彼ではない。
彼も同じだ。エミヤシロウを殺して、今ここに居る。それを罪だと言えるのは衛宮士郎本人だけだ。言えるモノか。言えるわけがない。
……時々、セラは思うことがある。
彼は自分達と居られて、幸せなのだろうか?、と。
幸せなのかもしれないが……同時に、とてつもない苦痛に苛まれているのではないかと。
「……ではないか、ではなく、そうでしょうに……」
「ん、ほんとにばか。一人で浸ってるもの」
「んひぇ!?」
独り言に返事をされるとは思ってなかった。セラは飛び上がり、背後、扉の真横に居たリズをねめつけた。
「り、リズ! 居るなら早く言いなさい! びっくりして大声を出してしまったでしょう!? ああごめんなさい士郎、今はとても疲れているでしょうに……!」
「その素直さを普段から出せればロリだって目じゃない。なのにセラはいつも遠慮してる、こんなときくらい士郎に甘えたっていい」
「甘えるだなんて人聞きの悪いことを……」
「間違えた、デレていい」
「リズ!!」
シェア!!と黄金の左回し蹴りをたまらず繰り出すセラ。リズはそれをぬぼー、っとした顔で難なく受け止めながら、セラの横に座り込んだ。
「……士郎、大丈夫だよね」
「当たり前ですっ。この程度ならなんとでも、」
「そっちじゃない、心の問題」
む、とセラが答えに詰まる。リズは相変わらず無表情だが、その赤い瞳は僅かに揺れていた。
「……士郎、悩みが多いから。なのにお姉ちゃんに相談してくれない。寂しい。そんなところが好きだけど」
「好きとか嫌いとかそんな問題で片付けていいことではないでしょう。ですが……まあ、大丈夫でしょう。誓ったのですから」
大切で、大好きな人達を守る。士郎のそれは、おおよそ全ての人間に当てはまる。普遍であればあるほど、願いは叶わないことが多いこの世界で、その願いは星すらも届かないほど遠いーーまさしく理想郷のようなユメだ。
それを行うと誓った。悩むだろう。つまづくこともあるだろう。でも、歩くことは止めないのだろうなと、セラは確信していた。誰かと共に歩いていくのなら、きっと。
と、リズが、
「でもセラ、よかったの? あの二人、やれって言うならわたしやったのに」
淀みなく口にしたのは、凛とルヴィアを殺害しなくてよかったのかという確認。一見大抵のことなら怒らないように見えるリズだが、逆だ。無感動に殺すし、悲観もなく処理する。それがリズという戦闘用ホムンクルスの思考パターン。
「あの二人、この家に邪魔。士郎がこんなになるの、もう三度目。士郎だけじゃない。イリヤやクロも、これまでもそうだった。今日これからこうなるのかもしれない。そんなのわたし、我慢出来ない」
「……」
「セラだって同じでしょ。なのに、なんで我慢するの?」
子供達が傷つくのは我慢ならない。それはセラだってリズと同じ気持ちだ。友達を助けたいのなら仕方ないなんて、ただの詭弁だ。本当なら今すぐにでも凛からバゼットの居場所を聞き出して、自分達が行かねばならない。それは義務だとか責任だとか、そういうことの前に、もう家族が傷ついてほしくないのだ。
けれど。
「忘れたのですか、リーゼリット。わたし達はホムンクルス。本来なら五年も生きられない身。その機能を封じ、何とかこの十年を生き延びたのです。機能を解放すれば最後、寿命は加速度的に減る。何よりブランクがある我々が叶う相手などとは、あなたも思っていないでしょう」
リズが目を伏せる。もし彼女が本気なら、セラの言葉に惑わされることなく、士郎を助けに行った時点で、一直線にバゼットを追いかけたハズだ。それをしなかったということは、リズだって本当は分かっていたのだろう。
まるでお預けを食らった子供のような表情をする彼女に、セラは苦笑する。そんな彼女を抱き寄せ、こつん、と頭をくっつける。
「……我々が死んでしまっては、誰がこの家を守るというのです。私とて、気持ちはあなたと同じです。だからこそ耐えるべきなのですよ、リズ」
「……」
「ほら。そんなにしょげては、床に伏せている士郎にまでその気に影響されてしまうでしょう。あなたはあなたらしく、いつものように振る舞っていればいいんです」
「……うん」
二人はそのまま、育てた少年を見やる。
合わせ鏡のような容姿に、反発するような気質。それでも、誰かを思う気持ちは同じ。
だからこそ、二人は感じていた。
きっと、近い内に。
この命を燃やして戦うときが、そこまで迫っていることを。
一方。リビングの凛とルヴィアは。
「……で? いつまでそうしてるわけ?」
ルヴィアは応じない。ただ暗澹とした面持ちで、一人で考えては頭を振るばかり。
凛もその気持ちは分かる……分かるが、今はそうやって悲嘆に暮れている暇などない。
「アンタがどう思おうと、美遊は助けないといけない。そのための対策を練らないといけない。アンタだって分かってるんでしょ」
しかし。ルヴィアは言う。
「……良い、のでしょうか……」
「は? 何が?」
「私が……美遊を助けて、いいのでしょうか……」
……今、なんと言った? 凛が信じられないモノを見る目で、ルヴィアへ視線を向ける。
だが、変わらない。
ルヴィアは本気でそう思っている。
「私……あの子のことを、何も分かってあげられていなかった。こんな大事、察することなどいくらでも出来たハズなのに。いいえ……知ろうともせず、遠ざけ、壁を作った。それを詮索することはマナーに反すると、そう言い聞かせて」
拳が、彼女自身の膝を叩く。いつもならもっと鈍い音をたてる拳も、力なく、弱々しいままだ。
「なんて愚かで、矮小で、薄汚い。シェロの一件があったならば、その時点で本人に聞くべきだった。何処から来て、どうしてあんなみすぼらしい格好をしていて、どうしてシェロの前ではそんなに笑っているのか。何が好きで、何が嫌いか。そんなことすら聞かずに、使い魔のように顎で使って、私は……!!」
「……ルヴィア」
「やめてくださいまし!!」
凛が近づけた手を弾くルヴィア。
宿敵である彼女に、こんなルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトを見られたくない。そんな安っぽいプライドと、何より自分自身が邪魔をして、伸ばされた手を拒む。
「私は!!……私は分かっていた。いつかこんな日が来ると。美遊の秘密を知って、後悔する日が来る。それを知っていたのに今日まで、ついに美遊を助けようとはしなかった。そんな私が、美遊を助けられるとは思えない。例え助けようとしても、私が居るせいで失敗したら……私は……っ」
「……アンタ、それ本気で言ってるの?」
「本気もなにも、事実ですわ。仮に美遊を助けるとしても、バゼットに対してイリヤとクロでなければ歯が立たない。私が出来ることなど、何もない」
「……いい加減にしなさいよ、ルヴィアゼリッタ」
凛がその胸ぐらを掴み、引き寄せる。額と額がぶつかり、ルヴィアはようやく凛の顔を見た。
瞳は激しい炎のように爛々と光り、表情はかつてないほど険しかった。それは今までどんな悪態や悪行を重ねても、ルヴィアの前では一切見せなかった、遠坂凛の本当の怒りだった。
「わたし達がぴーちくぱーちくやってる間、美遊は今も一人で、誰かの助けを待ってる。何も知らない世界で、誰よりも助けを求めて、それを押し殺してきた美遊から、あなたが逃げるの? そんなことすれば、美遊は本当に一人ぼっちになってしまうのに?」
「……美遊にとって、私はただの雇い主。それ以上でも、それ以下でも」
「それ以上もそれ以下もあるわけないでしょ! いい加減逃げるのはやめて、ちゃんと向き合えって言ってるの!!」
「でしたら……」
ルヴィアがその続きを言うことはなかった。
何故なら、その前に凛がその頬を叩いたからだ。
小気味の良い音とは裏腹に、ルヴィアがあまりの羞恥に咄嗟に赤面する。だがそれすら、凛の怒濤の気迫に呑み込まれた。
「……アンタが、あの子の面倒を見るって決めたのはどうして? 身寄りがなくて同情したから? それとも体の良い小間使いが欲しかったかしら?」
「それは!!……っ、それは……」
「答えられないわよね? 始まりなんてそんなものだから、こんなとき美遊を見捨てられる。違う?」
「……っ」
違わない。現にルヴィアはそうしようとした。理由をつけて、逃げたのだ。
「思い出して、ルヴィアゼリッタ。あなたが美遊を引き取って、そのまま側に置いている理由を」
卑怯者、臆病者と誹りを受けるだけなら、ルヴィアとて塞ぎ込んだままだったかもしれない。しかし凛は、そんな甘えを与えなかった。あくまで向き合えと、責任を持てと、叱責する。
……どうしてここまでしてくれるのだろう。そう思うと同時に、ルヴィアはそれに応えたいと思った。
それが仇敵の作った土台であっても。今のルヴィアには、そんなことは関係なかった。
「……私は、家族という存在がよく分かりません」
ただもうどうにかなってしまいそうなほど、渦巻く感情を。誰かに打ち明けずにはいられなかったから。
「この私を産み落としてくれた母も、生きる術を教えてくれた父も、そして鏡合わせの妹も。それらはこの体を構成する一部ではありますが、しかし私の側には誰も居ない」
魔術師に情など不要。そこにあるべきは、ただ一歩も歩を緩めない頑なさと、這いつくばって泥を飲むほどの忍耐。家族への情など、根源を目指す魔術師にとって、一番不要な要素だ。
ルヴィアも理屈としては分かっていた。人肌が恋しい年頃などとっくに過ぎたし、成熟しきった精神は既に果てだけを見て進んでいる。
「だから私にとって、側に居る美遊が何なのか。分からなくて」
一月もしない内に別れるだろうと、そう踏んでいた。しかし実際にはもう三ヶ月近く同居して、こうして心を掻き乱されるほど大きな存在になっている。
「シェロは私と美遊のことを、姉妹のようだと言ってくれました。けれど私からすれば……それこそシェロと美遊が、兄妹なのではないかと。そう、思うのです」
「それは衛宮くんが、イリヤのお兄さんをしてるから? でもそれだって……」
血は繋がってない、と言おうとした凛が、口をつぐむ。この際血縁かどうか、元ある形なのかどうかは関係ない。
自分ががその関係を承認するかしないか、それだけのことなのだ。
「利害が一致しただけの関係から始まった私と美遊に比べて、美遊はシェロの前だといつも目を輝かせていました。私の前では見せないような、楽しそうな顔を」
「だから、姉なんかじゃないって?」
こくんと凛の言葉に首肯するルヴィア。
目を瞑れば嫌でも思い出せる。
士郎と美遊の姿を。
自分が周囲の人間で一番最初に出会ったと思い込んで、その実誰かの前に横から割って入って、美遊を困らせていたのだと。
「私は、醜い」
唇を噛む。あの少年は何も分かってなどいない。
ーー立派なお姉ちゃんじゃんか。
立派であるものか。だって、
「美遊が幸せならそれで良いハズなのに。私から離れた方が良いハズなのに。なのに私、私という愚者は……シェロに、嫉妬しています」
一度も抱いたことのない感情は、まるでセメントのようだった。どろりと忍び込んできて、時が経てば経つほど固まり、ずっと心に巣食っている。
「頼られたい、笑顔にしたい、幸せにしたい……私が、私が、私が。そんな自分勝手に人の行き先を決めたい感情ばかり。あんなに悩んでいる美遊を、線引きして放っておいた。感情だけ先走って何も出来なかった人間が、家族であるハズが、ない」
何もかも決定的に違った。
士郎のことは好きだ。大好きだ。だから見なくても良い部分も全て見てしまい、気づいたのだ。
「だって」
美遊は。
「私の前でより、シェロの前で笑う方が、多いんですもの」
結局それだ。
ルヴィアと居るより、士郎と居る方が美遊は楽しそうに過ごしている。
どんなモノを与えても。
どんな教えを説いても。
恐らく自分がどんなに考えて、どんなに手を尽くしても。美遊は、士郎と一緒に居る方が楽しいのだろう。
あの、何もかも満たされた顔は、自分には生み出せない。
それが、あの笑顔を見てわかってしまったことだ。
「私に……あの子の姉を、語る資格など……」
そもそもこうして弱音を吐いていること自体、自身が姉ではない証拠だとルヴィアは思っている。
悩むくらいなら、まず美遊を助けにいけば良い。全てはそれからだ。なのにこうやってうだうだと、やる前から考え込んでいる。
らしくない。馬鹿馬鹿しい。弱々しい。
……気の迷いだと思えたら、どんなに良いだろう。でも、これがルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトという魔術師の、
今更凛に話したところで何かが変わるわけじゃない。気持ちが晴れるわけでもない。
それでも、付き合ってくれた彼女には礼を。
「……聞き流してくれて結構でしてよ、遠坂凛。私がどうかしていましたわ、魔術師の私がそんなことにかまけてる余裕など」
「ルヴィア」
が、凛はそれを遮り。
顔を向けたルヴィアへと、鉄砲のポーズを取る。
そして。
「話が長いわ、馬鹿」
ぴゅっ、と。
いきなり指先から、勢いよく魔術で作り出した水を放射した。
しかも割りと強めで。例えるならホースの先を指でつまんだ感じで。
「は……ぁぶっ!? ご、ばぼっ!? べば!?」
ナイーブだったとはいえ、流石のルヴィアも状況を理解するのに一秒ほど時間を要した。そしてそれが天国か地獄かの明暗を分けた。
水は口、鼻、そして目の順番で放水され、ルヴィアは他人の家だというのに、陸で溺死体験を味わう羽目に。逃げようとするもこれまたいつの間にか手と足をゼリーにも似た何かに絡め取られている。低級呪いの一種だが、水攻めを受けている今では容易に引き剥がすことすら難しい。
「うだうだと、アンタの家族事情なんてどうでもいいのよ。というか、要は自分じゃ美遊を幸せに出来てるかわかんない、だから美遊を笑顔にしてる衛宮くんが妬ましい。こんな感じでしょ?」
バッサリである。妖刀もかくやという一撃、そこに古来から伝わる拷問である水責めもプラスして、最早ちょっとした処刑である。魔女狩りとかの。
ゴボガボボッボボバッ!?なんて酸素を求めるサインをも無視し、凛は告げた。
「じゃ、全部衛宮くんやイリヤに放っぽっちゃえば良いじゃない。隣に預けちゃえば、アンタがもう悩まなくても済む。美遊もイリヤと衛宮くんと一緒に住める。お得意のお金を積めば、今と同じ環境で過ごせる。あなたはこの国からわたしと一緒に去ればあとはお幸せに。 どう? お悩み解決したでしょ?」
反応を見るため、魔術を解除する凛。袖で顔の水を払うと、ルヴィアはえずきながら、
「そ、そんな簡単な話なわけ……!」
「簡単な話じゃない。アンタが関わって、美遊に良いことある? 衛宮くんは家族として、イリヤを守るって誓った。それが偽善でもね。でも、アンタは? アンタと一緒に居なくても美遊は幸せになれる。金銭面、進学、そこを援助するだけでいい。むしろアンタの側に居れば居るほど、魔術師の抗争に巻き込まれたりする可能性も高くなる。ただでさえめんどうなことに絡まれてるのに、更に問題を増やす気? 衛宮くん達と一緒に居る方が幸せなら、それが一番幸せな形じゃない?」
反論しようと口を開けかけて、すぐにルヴィアは閉じた。分かってしまったからだ、自分の浅ましさを。こんなことを怨敵である遠坂の当主に相談し、あまつさえここまで言われてようやく自覚した自分の馬鹿さ加減を。
「ほんとは気づいてるんでしょ? アンタは別に美遊が幸せかどうかなんて関係ない。ただ自分より
違わない。その通りだ。
けど。
「わたしに話したのだって、自信がなくて背中を押してもらいたい、でしょ。子供かアンタ。ま、そんなことだから衛宮くんに嫉妬してるんでしょうけど」
「っ……」
かっと、血が顔全体に集まる。こんなに辱しめを受けるのは、一体いつぶりだろうか。
でも、そんな辱しめも甘んじて受け止めなければならない。
嫉妬に狂ってまともに子供の悩みすら聞き出すことが出来ない。
自分はそれだけ卑しい人間なのだから。
そう、ルヴィアは思っていた。
なのに。
「ま、良いんじゃない? 誰かに
そんなルヴィアの卑屈な考えを、遠坂凛は粉々にぶち壊す。
「……え?」
嫉妬したっていい。その言葉の意図を、
だって、
「家族にそんな感情を持ち込むのは、気が引ける? 馬鹿ね、そんなプラトニックな関係だったら、もっと世界は円滑に回ってるのよ?」
それは……そうだ。でも、とルヴィアは反論する。
「シェロは誰かに嫉妬など……」
「あの馬鹿は格別の馬鹿だから。というかアイツを見本にしちゃダメ……あんなの見本にしてたら、誰だって姉失格よ、全く」
姉失格。そう呟いた凛は僅かに唇を噛み、堪えるように切り出した。
「ねぇ、ルヴィアゼリッタ。あなたはそうは思わないかもしれないけど、実は今この状況って、凄く恵まれてるのよ?」
「……私が?」
「ええ。そりゃもうスペシャルに」
どうしてだろう……と考えて、すぐ思い立った。エーデルフェルトの血筋は代々当主が双子だが、普通の魔術師はそうではない。
「魔術師は名門であればあるほど、嫡子以外の子供は必要とされなくなる。例え予備とされても、まず家族とは会えなくなる。選ばれた魔術師と選ばれなかった魔術師、それが同時に出てくるのが魔術師の家柄よ」
だから、恵まれていると凛は言ったのだろう。
ルヴィアにはその羨望が分からない。そのこと自体が幸せなことだったなど、思いもしなかった。
「わたしもそうだった」
「! あなたも?」
「妹がね。ある日突然養子に出されて、そのまま帰ってこなかった」
倒れたままのルヴィアと、それを見下ろす凛。それは乗り越えられない者と、乗り越えた者の差だった。
「妹にもわたしと同程度には魔術の才能があった。それを活用しない手はないって、お父様があの子を養子に出したの。今は時々様子を見に行ったりしてるけど、当時はもう会えないと思ってた」
「……辛くは、なかったのですか?」
「辛かったわよそりゃあ。辛くて、泣いて、でも自然とそんなことも無くなって。もしかしてわたしって、案外冷めたヤツなのかなー、って思ったりもした。案外、中学を卒業してすぐ時計塔に行ったのも、そこが影響しているのかもね」
ま、わたしのことなんてどうでもいいんだけど。凛はあっけらかんとそう言って、続けた。
「わたし達はろくでなしの塊よ、ルヴィア。あんな小さい子達を戦いに駆り出して、それを後ろから突っ立って見てるような、ね。そんな奴が、今更他人の幸せをどうのこうのって言える権利、あると思う?」
「……」
「結局、アンタの悩みなんて今更なのよ。美遊が他人と居る方が幸せ? そんなの当たり前じゃない。わたし達がわたし達である限り、何処までいったって陰気臭いカビみたいなもんなんだから」
「……カビは、言い過ぎなのでは……?」
「あら、言い返すじゃない。少しは調子戻ってきた?」
茶化しを無視して、ルヴィアは思考する。
確かに遠坂凛の言う通り、ルヴィアの状況は恵まれているのだろう。
でも同時に、お前では美遊を幸せに出来ないと暗に言っているではないか。
そんな疑問を察したか、凛はくすっと小馬鹿にしながら笑ってみせた。
「っくく……ほんっと、ここ一番の柔軟性はないわね、あなた。そこまでわたしと似てるなんて」
「な、何が可笑しいんですの?」
「何が可笑しいって、ほんとらしくないからよ。なんでそんな遠慮する必要があるのよ?」
ルヴィアは面食らう。そりゃ遠慮だってするだろう。その方が幸せなのだから。
「それが遠慮だって言うのよ。どっちかというと独りよがりかしら? なんであなたが居なければ、美遊が幸せだって決めつけてるの?」
「え?」
それは前提が違う。
ルヴィアの側に美遊が居れば、彼女は真っ当な人生が送れなくなる。幸せではなくなる。
なのに、
「だったらあなたが幸せにすればいいじゃない、ルヴィア。あなたの手で、美遊を幸せにしてあげればいい。衛宮くんなんか目じゃないくらい」
「……そんなことが出来たら、苦労など」
「ま、そうね。でもその一部だけでも、貢献してると思うわよ? だってあの子、
「あ……」
……そう。結局、誰が上で、誰が下かなんて関係なかったのだ。
確かに美遊は士郎の側に居た方が笑うかもしれない。それは士郎の方が美遊を幸せにしていることなのかもしれない。
でも、それだけなのだ。
何故なら。
「あの子は隠し事をしても、嘘をつかない」
その笑顔に、嘘など介在しない。
「例え衛宮くんの側に居た方が幸せでも、あなたの側でもあの子は笑ってる。それってつまり、あなたの側に居ることが楽しくて、幸せだってことでしょ? なら、あとは簡単じゃない」
簡単なことが見えてなかった。
一ヶ月前の自分なら、士郎に説教がましいことを言っていた時なら。
今なら士郎の悩みが痛いほど分かる。その苦しみが。こんなにも周りが見えなくなるのでは、まともに生活することすら難しい。
「ルヴィア様」
今まで見守っていたサファイアが、割って入る。ルヴィアと共に、近くで美遊を支えてきた存在として。
「状況説明に時間がかかってしまったため、タイミングを逃していましたが……美遊様から、あなたへ伝言があります、ルヴィア様」
「……私に……?」
「はい。美遊様が拐われた際、私は美遊様の胸元で何があっても良いようにと待機していました。そしてバゼットの拠点にたどり着いた時点で美遊様から離れ、皆さんに助けを求めるつもりでした」
「え、ええ。知っていますわサファイア。この事態をしっかり確認出来たのはあなたのおかげですから。じゃあ、そのときに?」
「はい。音声だけですが、あなたへと。流しても?」
是非と頷き、ルヴィアは耳をたてる。
サファイアの上部からスピーカーが飛び出す。少しだけノイズが響き、そして、その声が聞こえた。
「……聞こえますか、ルヴィアさん」
声が聞こえただけなのに、耳を通して、それが脳で美遊の声だと分かった途端、痺れるような安堵がルヴィアに走る。
もう長く聞いていないような気すらする、大切な彼女の声。その声を、一言一句危機逃さぬようにと耳を傾ける。
「ごめんなさい、捕まってしまって。これを聞いているときには……多分、わたしの秘密を知ってしまったと思います。今まで騙して、すみませんでした」
どうして謝る。美遊は何も悪くない。ここに来たのだって偶発的なのか、自発的なのかすら分かってはいないけど、それでも美遊がこうやって謝ることはないハズなのに。
「サファイアが言った通り、わたしはこことは違う世界で生まれた、人間の形をした聖杯です。自分でも、来る直前の事や誰かに狙われていたとか、そこは
そんなことない。違う世界からこの世界に逃げ込んできたなんて、誰にも言えない。ましてや美遊は、並行世界の兄と会ってしまったのだ。それがバレてしまうことを考えると、余計にその話が出来なくなったに違いないのだ。
ルヴィアは力の限り、強く手を握り締める。磨かれ、光沢すらあった爪が、手のひらに食い込んで離れない。
「ごめんなさい。わたしにとって……ここは、居心地が良すぎたから。だからそれを壊したくなくて、嘘を嘘のまま、貫き通そうとして、きっとバチが当たったんです。嘘つきはダメだって」
違う。ルヴィアは首を振る。
例えそれが嘘だったとしても、それは、誰かが不幸になるような嘘じゃなかった。
不幸になるとしたら、それは嘘をついた美遊だけだった。そんなことでバチが当たるなんて、全くもって、ふざけてる。
そして、そんなことを考えてる中でも、嫉妬は止まろうとはしなかった。
居心地が良かったのは士郎やイリヤが居たからで、自分のおかげではない。
壊したくなかったのは、その関係であって、自分との雇用関係ではない。
……美遊の言葉を聞く度に、粗を探しては嫉妬が燃え上がる。
なのに、
「うん……本当に……正直に言わないとダメだって、思いました」
美遊の声に震えが走る。やはり怖いのだろう、とルヴィアが決めつけていると。
「ルヴィアさん。今までわたしなんかのために、こんなに良くしてくれて。本当にありがとうございました」
美遊は、話し始める。
「本当はね、ルヴィアさん。わたし、最近イリヤやクロに嫉妬してたんです。わたしのお兄ちゃんが、他人に奪われている気がして、わたしの思い出が踏み荒らされてる気がして……とっても、怖くて、気持ち悪くて、そんな自分が情けなかった」
それは正しい感情だろう。自分勝手な感情を押し殺してきた美遊が、何倍も偉い。
「だけど、それは違ったんです」
声の震えは未だ止まらない。けど、その震えが恐怖ではないということに、ルヴィアはようやく気付いた。
それは、歓喜。
初めて見つけた何かを、大切に手ですくいとるような、それは。
「わたしにはもう、居たんです。この世界に、家族が」
きっと。
「ーーーールヴィアさんが。この世界でたった一人、わたしの家族なんだって。そう気付いたんです」
星のように儚い、この世で最初の奇跡だった。
「……え?」
意味が。
分からなかった。
まず、どうして、と思った。本当の家族が居て、離れ離れで、きっと誰にも引き裂けないような絆がそこにはあって、ルヴィアでは到底それに叶いっこなくて。突き放した自分がその席に選ばれるハズもなくて。
自信がなかった。
美遊にとって自分なんて邪魔なだけなのではと、ずっと思っていた。
だから。
ルヴィアの目から自然と、涙が溢れ落ちていた。
「わたしと最初に出会ったとき、ルヴィアさんは何も言わずに拾って、居場所をくれた。見たことない食べ物をいっぱい食べさせてくれたし、かけがえのない友達にだって会わせてくれた。わたしがこれからどうすべきか、将来のことも考えてくれた。それが、わたしにはたまらなく嬉しくて、初めてのことばかりで」
最初の出会いから打算ばかりだった。
サファイアがたまたま選んだ相手だったから、目に入るところに居てもらわないと困った。食事はアレが当たり前だったし、人並みの教養くらいはないとエーデルフェルトに寄り添う者としてふさわしくないと思っていた。
そんな日々を。
美遊は、こんなに楽しそうに。
「お兄ちゃんと離れ離れになって、どうすれば良いのか分からなかった、この世界で。わたしに過去と、今と、未来をくれたのはルヴィアさんです。
ーーーーわたしのお兄ちゃんはここに居なくても。
嗚咽が漏れる。ぐちゃぐちゃになっていた髪やメイクが、素肌のルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの全てが、晒される。
美遊の声が震えていたのは、怖かったからでも、苦しかったからでもない。
ただ、恥ずかしくて、嬉しかったから。はにかんだまま、この声をルヴィアに伝えようとしてくれているのだ。
それこそ、家族に話すかのように。
こんなにも醜い自分に、美遊は。
「だからルヴィアさん、わたしのこと心配しないでください。バゼットさんは、わたしを助けようとしたら、本気で潰してきます。わたしのために誰かが傷つくのは、もう、嫌なんです」
また美遊の声が震え出す。
ルヴィアにはその震えが何なのかすぐ分かった。今の自分と同じなのだから、看破するのは容易い。
「だから」
なのに。
「わたしはバゼットさんと一緒に居ます。今まで、ありがとうございました……ルヴィアさん」
最後の最後まで。
美遊は一度も、助けてとは……口にしなかった。
「……これで終わりです、ルヴィア様」
「……」
ルヴィアは何も言わなかった。
ただ、何度も。何度も何度も目元を袖で拭いて、ルヴィアは顔をあげた。
酷い有り様だった。薄くとはいえ化粧をしていた目や口は頬や鼻まで汚し、天が磨き上げた宝石とまで言われた瞳は赤く腫れ上がっている。
だからこそ。
ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、決意を固めて言った。
「……美遊は私を姉と呼んだ。ならば、もう迷いなど何もありません。私の妹をかすめ取った、あの卑しい魔術師をブッ飛ばすだけですわ!」
ぱん、と白手袋の拳を鳴らすルヴィア。
その姿は、紛うことなくエーデルフェルト現当主、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトだった。
「……ったく、調子のいいヤツ」
せっかく慣れないことまでして発破をかけたのに、損だったなと凛が息を吐く。まあ一発殴れたしいいかと思い直し、
「遠坂凛」
「ん?」
ばごっ、と。
ルヴィアから凛へ、恩知らずのチョップが首へ炸裂した。
首が三十度ほど曲がった状態で、凛は受けた箇所を何度も擦る。対してルヴィアはぺかーっと何の罪悪感すら抱いていない顔で、
「そういえば一発くれやがったので、ひとまずお返しですわ。安心なさい、峰打ちで許して差し上げます」
へ、と破顔し、凛はわなわなと肩を震わせる。
「……上っっ等じゃない!! 今日という今日はっ!! 絶っ対泣かす!! この泣き虫カビゴールドヘタレ魔術師ーーっ!!」
「おーっほっほほほほほほ!! よくってよ、遠坂凛!! この田舎暮らしで小銭しかなくてくすんだ宝石しか手に入れられないただのイモ女が、私に勝てると思って!?」
言ったなこの野郎やりましたわねこの野郎、とまあ懲りもせず例のごとく取っ組み合いになる二人。結局何事かと降りてきたセラに二人とも説教され、戻ってきたイリヤとクロには小学生かとぶつくさ言われ、しょんぽりしながら衛宮家の掃除をすることになるのだが……。
それを側で目撃していたサファイアだけは、
「……まあ、ルヴィア様の耳が赤く染まっていたのが喧嘩の発端だとは思いますが……今更恥ずかしくなって暴れるとは、子供じゃあるまいし……」
「どうしましたサファイアちゃん? 作戦会議しますよーん」
まあ、丸く収まったからいいか。
サファイアはそう結論づけた。
夜は長い。
それでも僅かな、光明だけは見えてきたと、誰もが感じ取っていた。
ーーinterlude end.