Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! 作:388859
何にせよ、魔法陣のことを報告しないと。そう思って俺は遠坂の携帯に連絡を入れ、先程のことを要約して説明した。
「つまり元の世界に繋がる手掛かりを探していたら、手掛かりどころか元の世界から同じように飛ばされた建物を探し当てたってこと?」
「土蔵そのものが元の世界のモノかは分からないけど、でも召喚陣だけが移動してきたってのも考えにくい。召喚陣が消えたことが、世界の修正力って奴かは分からないけど、とにもかくにも元の世界のモノだと俺達が認識したら」
「出現したハズのそれが、綺麗サッパリ消えたと。なるほどね……サファイア、まだその召喚陣感知出来る?」
スピーカーモードの携帯をサファイアの方に近づけると、カレイドステッキは答えた。
「いえ。我々が思っているよりも、修正の力は強いようです。召喚陣そのものは特別なモノではなく、引き剥がすことも上書きすることだって可能でしょうが、感知となると別です。英霊の召喚陣となれば、残り香とも言うべきマナがこびりつき、感知することはそう難しくはないのですが……」
「それまで残っていた、英霊を召喚した形跡すら、修正されてしまったってこと? けど、微かでも匂いが残っているなら、あなたほどの礼装は嗅ぎ付けられるんじゃ……」
「修正されたというよりは、空間と空間とでその場所だけ挟んで密閉したという方が近いです。汚いシミを座布団で隠すような雑なモノですが、手を出すには召喚陣ごと壊すのも覚悟しなければなりません」
単純な話、手を出そうと思えば出せる。ただそこは砂の牙城、一歩間違えばその手掛かりごと全てが消え去ってしまう可能性もある。
「こっちからは手が出せない、か。ならサファイアの映像記録と、士郎の感覚だけね、頼りは」
「……勝手に進めてすまん、遠坂」
「なんであなたが謝るのよ。むしろ帰る気はあるんだって、改めてほっとしたところよ」
ふん、と呆れた口調の遠坂。だが実際それを見つけたとき、遠坂やルヴィアに連絡していれば、みすみす手掛かりを取りこぼすことにはならなかったのかもしれないのだ。
しかし、
「それに衛宮くん、忘れたの? この世界が可笑しいっていうことは、その一部であるわたし達に何か影響があるのかもしれない。それこそ、あなたが元の世界の手掛かりを見つけようとしたら、実力行使で取り押さえるよう
「そんな強行手段に出たら、今頃もっと大パニックになってんじゃないのか?」
「衛宮くん。今回調べていることって、言わば第二魔法に近い、またはそのものに迫っているのよ? 現にその道のスペシャリストであるカレイドステッキには、感知出来なかった何かがこの世界にはある」
確かに。ルビーやサファイアに、カレンから聞いた情報を伝えたら、あり得ないとすぐ一蹴されたモノだ。
……つまり、おおよそ万能とも言えるカレイドステッキを一時的にも騙せるほど精巧な、神秘。それが、この世界を包み込んでいるということ。
「こっちからも一つ分かったことがあるわ。あの性悪シスターがあなたに言った、ジュリアン・エインズワース」
「! 何か掴んだのか?」
「ええ。それもかなり興味深いこともね」
ジュリアン・エインズワース。第二の平行世界に恐らく存在する、俺が戦うべき敵にして、この異常事態を作り出した張本人。カレンは別に口止めはしなかったし、時計塔などを通じて何か情報を得られればと思ったが、こうも早く収穫があるとは。
「ジュリアン・エインズワースって名前を調べる際、修正力って奴を体験したけれど……出来るなら二度とごめんね、あんなの。頭の奥が霞がかるわ、思考が妨げられるわ、うざったいったらありゃしない」
「……すまん。でもどうしても必要なときは、またお願いするかもしれない。でも俺には遠坂達しか頼れないんだ、頼む」
「意地悪のつもりで言ったわけじゃないから、そこまで頼み込まなくてもやってあげるわよ。報酬はいただくけどね」
恐らくニマニマと今回の儲けを思い浮かべて笑っている遠坂。ちなみに報酬とは、学食の奢り+ルヴィア邸の雑用係である。どちらも期間は一週間。これで済むのだから安いモノである。
カサカサ、とまとめた資料を手に取り、遠坂は調査結果を発表した。
「ジュリアン・エインズワース。エインズワース家長男。千年続く魔術の名家、エインズワース家の嫡男だった」
「だった、ていうことは……」
「ええ。これは十年前の資料。エインズワース家は十年前にとある魔術の実験によって、一家は死亡、もしくは協会によって回収されているわ」
「回収されたのは?」
「ジュリアンの父親、ザカリー・エインズワースだけ。残りは実験の過程で死んだとされているけれど、多分死体になった残りの家族は協会に回収されているでしょうね。ジュリアンもその中かも。ジュリアン以外には妹と姉だけ、母親は居ないみたいだけど」
「なるほど。それで、実験というのは? 相当の無茶をしたのは察しがつきますが」
サファイアの指摘にその通り、と遠坂は続ける。
「衛宮くん。置換魔術って分かる?」
「置換魔術?」
それなら俺にだって分かる。
置換魔術。別名フラッシュ・エア。錬金術の派生から生まれた魔術だが、これと言って何の特徴もない、下位魔術の一つだ。
「あるモノを別に置き換えることが出来る魔術、と言えば便利に聞こえますが、その置き換えられる対象は等価交換内のみであり、更に言えば同等かそれ以下の劣化品にしか置き換えられない。低級魔術のそれが何なのですか、凛様?」
「アンタ偉い毒づくわね……エインズワースは千年続く魔術の大家、っていうのは話したわよね? そのエインズワースが得意とする魔術こそ、置換魔術ってわけ」
「千年続いた割りには、マイナーな魔術使ってるんだな……」
というか、
「サファイアはエインズワースのこと知らないのか? 千年って言えば、アインツベルンに匹敵する歴史だろ?」
「士郎様の世界ならまだしも、こちらの世界ではアインツベルン自体が知る人ぞ知る、謎に包まれた一族です。エインズワースも同じように外界との接触を拒んだ、木っ端の一族なのでしょう。私の記憶領域には入っていません」
「お前やっぱルビーの妹だな……その言語センスは間違いない」
気を取り直して。
「ま、あなたと同じよ衛宮くん。他の魔術適性が無い代わりに、エインズワース家の魔術師は置換魔術の適性がずば抜けてた。それこそ、千年続くほどね。列挙してあるだけでも、物質の置換は勿論、空間置換、概念置換、人格の置換すらやってのけたらしいわ。まぁどれも、あくまでこの千年間の中で確認されたってだけで、近頃は魔術回路の本数も、質も、何より魔道の血が薄まっていた。それこそジュリアンか、その次の世代なら魔術回路そのものが消え失せて、魔術師として消えるところだったってくらいにはね」
「それをどうにかしようと、置換魔術の実験をしたってことか……」
よくある話だ。滅亡寸前の魔術師一族が、宝くじで一等を狙うように、一発逆転を狙うことなど、それこそ鼻で笑われるくらいには。それでも魔術を手放さず、探求し続けるのが魔術師が魔術師たる由縁であり、性なのだ。
しかし、
「でも一体何を置換したんだ? 置換魔術は等価交換、つまり何を置換したところで、一を一かゼロにしか出来ないよな?」
「そこよ、問題は」
ぱんぱんと資料を手で叩き、呆れた声で遠坂は告げた。
「魔術回路、もしくは血そのもの、もっと言うなら魂の置換。千年前の初代エインズワース家当主、ダリウス・エインズワースへの置換。それをエインズワース家は実験したのよ」
思わずサファイアと目を見合わせる。そんなことが可能……なのだろうか? 魂の転写ですら、人格の破綻や記憶喪失などが起こると言われている。ましてや置換ともなれば、いくら同じ血筋でも二つの魂が一つの体に同時に存在することになる。
そう、俺のように。
「あなたの懸念は最もよ。そしてあなたの考え付いたことも。その上で言うけれど、あなたのそれは置換じゃないわ」
「私もそれには同感です。士郎様、安心してください」
「……そうか」
二人が言うなら心配ない。何せ俺より知識も、経験もある。そんな二人が言うのだから間違いなどあるハズもない。
「……むぅ。顔が見えないとはいっても、普通そんな簡単に信じる?……向こうのわたしってどんな接し方してるんだか……」
「凛様、続きを。電話代がかさみますよ」
「え、嘘!? 電話ってそんなにお金かかるの!?」
早く言いなさいよもう!っと、慌ただしいスカンピン魔術師様。ちなみに遠坂は知らないだろうが、電話と言っても通話用のアプリなので、通信料使い放題が基本の料金プランならば実質無料である。それを知らない機械音痴は、先を急ぐ。
「話を戻すけど。本来、過去の人物への置換は相当困難なハズよ。まず本人の残滓、残留思念。つまりは魂の痕跡ね。そして何よりその本人と同等の魔術回路や才が無ければ、置換魔術は成立しない。劣化はあり得ず、そこにあるべきなのは同価値の魔術師だけ。つまり寸分違わない本人を置換しようとしたわけだけど」
「今のエインズワースは、二流が良いところなんだろ? じゃあ同等の対価は? 千年続く魔術の大家を興した魔術師だから、聖遺物とかか?」
「……いいえ、それは無理よ。無機質から有機物への置換は、この場合障害にしかならない。だから置換したのは、人から人。魔術回路には魔術回路。魂には魂。そして質が伴わないなら、あとは数で補うしかない」
質で劣るなら数。それには少なからず共感する。俺の魔術も似たようなモノだ。いや、恐らくどの魔術師も同じように数で問題を解決することがあるだろう。
つまり、
「一族全ての人間の魂。それを代償に、エインズワース家は次期当主であるジュリアンへダリウスの魂を置換しようとした。それによって、もろとも滅んだとされているわ」
……イメージするのは、原始的な生け贄を使った儀式だ。祭壇と魔法陣。同じ血族の人間が周囲を取り囲み、その中央には一人の子供。
例えるならそれは、一族全ての人間で行う心中と何ら変わらなかっただろう。エインズワースの言う、置換魔術がどのようなモノかまでは、具体的には分かっていない。だから成功する確率は俺が思うより高かったのかもしれない。
だけど、きっとそれは、とても悲しいことのような気がした。
魔術師はまともではないろくでなしばかりだが、エインズワース家とてその選択をするまでに研究を止めなかったハズだ。何かないのかと。
それでも次代に託すことが出来なかったのは、彼らが魔術師の一族だから。
外の領域に、手を伸ばそうとして滅んだ、愚かな一族。
滅ぶと分かっていながら、家族を犠牲にしてでも、魔術師として生きねばならなかった、ジュリアン・エインズワース。
……それが間違っているかいないかは別として、同情はする。そして今問題なのは、
「……ということは、俺達の敵はこの世界のジュリアンじゃなく」
「並行世界のジュリアンね、間違いなく。それも恐らく、千年間研磨され続けた末に生み出された正真正銘の怪物。多分、クラスカードもジュリアンが作り出したモノに間違いないわ」
そう、英霊をどう呼び出したかまでは分かっていなくても、クラスカードの本来の使い方を俺達は実際に見ている。
「英霊への置換。恐らくアレは、エインズワース家の秘奥である特殊な術式なのでしょう。我々カレイドステッキを介した現界であったから良かったものの、もしこれが緩衝材なしであったのなら」
「英霊に魂を塗り潰されて、物言わぬ人形みたいになってたかもしれない……その、
英霊への置換がどれほど危険なのかは完璧に未知数だ。しかし、もし俺が英霊エミヤに置換されてしまったらと考えると、それでも長くは持つまい。同一人物であっても、英霊は英霊。元からエーテル体であり魂の情報量が桁違いな彼らを、人間の手で制御しようとすること自体、禁忌なのだろう。
とにかく、これからは英霊への置換はなるべく止めた方が良い。それだけは確かだ。
「あなたも気を付けてね、衛宮くん。この世界にずっといたいって、そう思う自分を
……? それは、どういう意味だろうか?
元の世界に帰りたいとは思う。その思いこそが一番の危険なのだと言うことも分かる。
しかし、
「いや遠坂、俺は自分を騙してなんかないぞ?」
「……は?」
「いやだから。俺は心の底から、元の世界に帰りたいって思ってるんだが」
その言葉の、何がそこまで衝撃的だったのか。遠坂は唖然としたまま、
「……どうして?」
「どうしてって言われてもな。だって、それが正しいだろ? 俺はこの世界の人間じゃない。だから元の世界に戻るのが、
遠坂の表情は変わらない。あくまでそれは魔術師としてではなく。遠坂凛の人間の部分が、俺の考えを否定する。
「あのね……衛宮くん。普通あなたのように、違う人生を強いられる立場の人間はね、元の人生を思い出して、その中で一番大切なモノを浮かべて耐えるモノなの。二つの人生を送るここ数ヵ月の生活は、並大抵の精神じゃ発狂しても可笑しくない。それが、死人との邂逅なら尚更ね」
「?……遠坂、言っている意味が」
「洞窟の中で出口の先にある明かりを頼りに、歩き続けるようなものかしら。どちらにせよ期限がない苦痛に変わりはないけど」
何か、可笑しい。
歯車が噛み合わない。何か、遠坂と俺の間で認識が、ずれている。
「あなたは死んでいた人間と何人も出会った。それも家族っていう身近な存在と。それでも帰りたいと思える何かが、あなたの世界にあると思った。いや、思ってた」
「……」
「でも、あなたは元の世界に帰りたいとは言っていても、どうして帰りたいかって理由までは言ってなかった。その理由を尋ねてこなかったけど、よりにもよって、それが正しいから、ですって? そんな理由で、帰りたいってほんとに思ってるあなた?」
「凛様」
サファイアの制され、凛が口をつぐむ。だが今の俺には、それに感謝する余裕すらなかった。
元の世界に帰りたいと思った。どうあれ、それは正しい。だが、どうして? 理由を伴わない行動ほど異常なモノはない。
ここには、誰よりも側に居てくれる家族が居る。帰ってきて、おかえりなさいと。そう言ってくれる誰かが居る。無条件で俺を守ってくれる誰かが、愛してくれる誰かが、必ず居る。
それを守りたいと思ったし、一緒に居たいとも思った。
なら、どうして俺は、元の世界に帰りたいと思ったのだろう?
正しいとか、それが元の形だからではなく。俺がこの居心地の良い場所を捨ててでもあの世界に帰りたい、何かを覚えているのだろうか?
この心に。
あの世界を。
「……今の衛宮くんは、常に世界そのものから修正を受けてる。記憶だって朧げ、そうよね?」
「……ああ」
「なら今の話は忘れてあげる。だから見つけなさい、帰りたい理由を。この世界を否定してでも帰りたい、元の世界への光を。さもないと、あなたはいつか来るイリヤ達との別れを諦めて、ここに骨を埋めるなんてことしでかしそうだし」
返事は頷くことしか出来なかった。ただただ、自分の救いようのない馬鹿さ加減に吐き気がしてたまらない。
……気付かなかった。
帰りたいという願いは、絶対にイリヤ達を傷つける。そんなことはずっと前から分かってたし、意識はしていたけれど。
でもその願いには、何一つ理由がない。
イリヤ達を傷つけてでも成し遂げたい理由が、その願いから見つけ出せない。
……本当に、俺は帰りたいのだろうか?
この世界を託した誰かを踏みつけたまま、のこのこ
記憶は最早輪郭すらなく、一緒にあの夜を駆け抜けた剣士ですら、どんな顔だったのやら。地獄に落ちても忘れないと思っていた記憶がそれなのだから、他の記憶など言うべくもない。
今の俺は帰りたいという気持ちだけが、先走ったまま。そこに中身などない。
「……さんきゅ、遠坂。よく考えてみる」
「あらそう? あなたがもし帰りたくないって言うのなら、お一つ呪いでもかけた後簀巻きにして川にでも流してやろうかって検討してたとこなんだけど」
「この世から追放されるのは、流石にごめん被る。というか、そんなもがき苦しんで死ぬような真似だけは勘弁してほしいです、うん」
ケラケラと笑うあかいあくま。こちらを元気付けようとしたジョークなのかもしれないが、多分俺がいざそうなったらやりかねないのが遠坂の怖いところだ。面倒見が良いとはいえ、谷底に叩き落として人がひーこら言ってる様をニヤニヤする系なのである。
さて。ここでいつまでもうだうだやっていたところで、状況が好転するわけでもない。そしてめぼしい場所は調べ終わった。そろそろ退却しても良い頃合いだろう。
と、電話を切ろうとしていたときだった。
「シェロ、ちょっとよろしくて?」
急に耳元がやいのやいのと騒がしくなると、遠坂ではなくルヴィアの声が聞こえてきた。携帯を掠め取り、恐らく遠坂を得意のプロレス技で抑え込んでいるのだろう、やや息が切れていた。
気にせず、
「ああ。もしかしてさっきのことで何か気になることがあるのか?」
「いえ、そちらではなく……私が申したいのは、美遊のことでして」
?……咄嗟に土蔵から顔を出して、屋敷の方を伺うが、美遊に変わった様子はない。のんびりと本を読んでいる姿は、むしろ楽しそうですらある。
「本を読んでるけど、特に変わったところはないぞ……何かあったのか?」
「……問いを返すのは不躾と分かっていますが、シェロは何か感じませんか? 今日だけでなく、今までのことでも構いません。何か可笑しな点は?」
「可笑しな点って言われてもな……そもそも美遊には何か事情があるって分かってたから、そういうのは見逃してたし……」
答えると、ルヴィアは押し黙ってしまった。もしかして致命的な何かを見逃してしまったから、呆れているのだろうか。だとしたらまたそろそろ自分に愛想が尽きそうだが、そうではなく。
「……実は」
ルヴィアの話というのは、平たく言えば相談だった。
元々一人で耽ることが多い美遊だが、どうも最近は度が過ぎているらしく、それは屋敷での仕事や、学校、会話の中ですらそうらしい。
……全く気付かない自分はどうなんだ?、と思っていたのだが、どうやら事はそう簡単なことでもないようで、
「美遊様は士郎様の前では、至って普段通りですよ。その反動か、我々の前では何処か夢心地のままですが」
らしい。つまり俺に気付かれたくない悩みがある、ということのようだが……。
「なら俺に相談するより、直接美遊に話した方が良いんじゃないか? どんな悩みかは分からないけど、俺が下手に聞くのも、あんまり得策とは思えないぞ」
「いえ。私も美遊には話したのです。何か悩み事はないのかと。しかし美遊は一切を話してくれませんでした。そしてイリヤやクロにも、話してはいないようなのです。ですからシェロならばと」
「……わかった。とりあえず話してみるよ」
「ありがとうございます、シェロ! 美遊をどうか、よろしくお願いします」
ルヴィアは声を弾ませているが、果たして俺でどうにかなるのか。こういうことはあまり得意じゃないから、先行き不安だ。
にしても、
「なんだか美遊のお姉ちゃんみたいだな、ルヴィア」
「へ? い、いえ、私は美遊とはあくまで契約関係であって……その……」
「ギブアンドテイクなら、わざわざ自分の家に住ませたり、学校通わせたり、小遣いあげたりする必要はないだろ。立派なお姉ちゃんじゃんか」
あの、その、としどろもどろになりながら、言い訳を考えているルヴィアに、追い討ちをかける。
「手助けはするけど、多分最後はそっちに任せるから。だから頑張れよ、ルヴィアお姉ちゃん」
「っ、シェ、シェロは意地悪ですわ!もう!」
ぷんすか言い残して、電話は切られた。サファイアと共に笑いを噛み殺しながら、携帯をポケットに仕舞い込む。
実際、俺が言ってどうなるのかは、分からない。でも何となく、美遊の悩みはルヴィアが解決してくれるんじゃないか、という不思議な信頼があった。何せあれだけ気にかけて、仕事だって休ませているのだ。それを正直に話せば、美遊だって話してくれるに違いない。
「ルヴィア様を弄るのは結構ですが、士郎様も傍から見れば妹のことで奔走するシスコン野郎にしか見えませんよ」
「シスコンってお前……そりゃ悩んでたら、色々してあげたいだろ?」
「わざわざ保健室まで妹を迎えに行く男を世間一般的にはシスコンかロリコンか変質者と呼称しますが?」
ドッジボールなんかで気絶したなら、心配だってしちゃうだろう。なんだなんだい、人を異常性癖者みたいに。兄として当然だろうそれくらい。
「夢うつつなイリヤ様に迫られて赤面したりクロ様に魔力供給して堕ちそうになった男が今更ですね、ええ」
「よーしわかったそこに直れ、バラして物置の埃にしてやるこのクサレステッキ」
調べ物も終わり、お昼時だ。美遊もお腹が空いたということで衛宮邸から移動。そのままバスに乗って新都に来た。
七月になり、日差しや気温も上がったことで、エアコンか扇風機が無ければ外に出ることも億劫なほど暑いが、休日になればそんなことは関係ない。人の行き交う流れが複数本ある程度に、新都は人に溢れていた。
「流石にこっちまで来ると暑いな……さっさと建物に入って涼もう」
「それは良いんだけど……食事を取るだけなら、何もわざわざこっちまで来る必要なかったんじゃ……」
「まぁな」
深山町にも、ちゃんと飲食店はある。そもそも今日の目的は屋敷の付き添いだけで、正直なところ昼飯を食わずに別れても良かったのである。
だがまぁそれはそれ。ルヴィアからの頼まれ事をするには、新都の方が都合がいい。
「ほら、今日は休みだろ? いつもはイリヤ達と遊んでるけど、せっかくなら俺と一緒に出掛けるのも良いんじゃないかなって。ちなみに予定は?」
「……ない、けど」
「ならいいじゃないか。たまには二人で、な?」
とかなんとか言いくるめて、まずは昼食を取るためにショッピングモールのヴェルデへ。
俺の世界のヴェルデは、学生、親子連れなど問わない場所だったが、こちらでも同じような感じらしい。違いと言えば、やはり品揃えか。どれも俺の世界より数段グレードアップしている。特に家電は凄い。なんだこの性能。三十時間保温出来る炊飯器とか何に使うんだ?
それはさておき。
美遊と二人で出掛けるのは初めてだったわけだが、果たして物静かな美遊と何をすべきか、そこから考えなくてはならなかった。
しかし意外というか何というか、最初は乗り気ではなかった美遊も、喫茶店に着いた頃には楽しむ気になったらしい。
「ねぇお兄ちゃん、これ食べ終わったら、服を見に行ってもいい?」
ホットサンドを頬張る彼女は、そう朗々と提案してきた。無論美遊側からの提案があれば、それに越したことはない。悲しいかな、洋服の付き添いにはもう慣れてしまった自分がそこには居た。
というわけで、遠慮なく振り回されてみようか。
……なーんて、余裕ぶるのも昼飯を済ませた辺りまでだった。
何せそこからはまさに、ジェットコースターのような慌ただしさだったのである。
元々理詰めな美遊だ。恐らく昼食中にも予定を組み立てていたのだろう。
喫茶店を出て、まず服選び。ここは女の子らしく、あーでもないこーでもないと鏡や試着室で服を取っ替え引っ替えする美遊を眺めるわけだが、考えてもみてほしい。
小学生女子が選ぶ服と言えば、それはもうフリフリで、キラキラで、シャララーンなのである。少なくとも高校男子が気楽に立ち入って良い領域ではない。そこはもう死地、まごうことなき死地なのだ。座る場所もなく、両手を後ろに組んでさながら軍人みたいにそれでもぼくはやってないと主張したくなる空間。そんな中で美遊も漏れなく夢中になり、そして一気に疲労が溜まる。
次はゲームセンター。なんでここか聞いてみると、
「みんな楽しいって言うけど、行ったことなくて。一人で行くにはちょっと恥ずかしいから……」
らしい。それなら喜んで先達のゲームの腕を見せてやろうと息込んだが、そうは問屋がおろさない。美遊の桁外れの知識と頭脳を舐めていた。
例えばUFOキャッチャー。定番としては、五百円くらい注ぎ込んで交代、華麗に景品をゲットして渡す。無論そんな最強の自分をシミュレーションしていた。しかし美遊は、何やら三百円投資した時点でセオリーや技を開発したらしく、計七百円で四つの景品を獲得。その後もレースゲーム、ホッケー、メダルゲーム、そのいずれも大勝し、そして対戦してはボロ負けした。面子丸潰れでハンバーグが作れるレベルである。
「士郎様、ゲームあまりやったことないんですか?」
人並みにはやってるわほっとけ。
次はちょっと疲れたので、フードコートでアイスでも食べながら休むことに。だがここで、予想外のアクシデント。
「お? おおっ!? なんだよミユキチじゃねぇかー!」
少し高い、男勝りな声が一つ。それに釣られて声の方を見ると、何やら小学生がぞろぞろと四人程度こちらに歩いてくる。
その中でも先頭にいるお団子ヘアーの少女は、にんまりとした笑顔で、
「居るなら丁度いい! 俺達も今からミユキチ達がここで食べてるアイスを食べようと思ってたとこでさー!」
「ね、ねぇ龍子ちゃん……」
「あー? なんだよ美々? 俺は今ミユキチとー……」
たしなめられたことで、視野が広くなったのか。お団子少女の視線がこちらへとロックオン。
「……み、ミユキチが一足先に、大人の下り坂を駆け上っていた、だと……!?」
「待てなんでそうなる」
たまらず突っ込む。なんだ大人の下り坂って。登ってんのか落っこちてるのかどっちだ。
「……美遊が大人っぽいのは知ってたけど、なぁ……?」
「うん……明らかに高校生か大学生の人と……」
「休みに二人で逢い引き……うわぁ……すごい……大人だ……」
凄い、何も言ってないのに俺の価値が急転直下してる。
だがそれも当たり前か。事情を知らなかったら、そういう関係に見えても仕方ない。というか誰なんだこの子達。美遊の友達か?
「うん……一応イリヤとも」
ですよね。
……うん。
逃げよう。
「あ!」
まさに脱兎とはこのこと。素早く荷物を回収、フードコートからの脱出を試みる。
よりにもよって、イリヤの友達にこの状況を見られるとは。しかもこっちは兄と知られていない。いや知っていようがいまいが見られてしまったことで間違いなく拗れる。だって、
「小学生と十代後半男子のイケナイ関係……それをSNSに投稿すれば夏の宣伝になる……話を聞かせてもらわないと……!」
「え!? 小学生男子と高校生男子のNL本!?」
「亀公! あそこのラーメン美味そうじゃね!? アイスぶちこんだら美味そうじゃね!?」
「この状況でアンタ頭の中スープでゆだってんのか! いいからとっとと追うよ!」
イリヤの友達、個性的なの多いし……。
そんなわけで彼女達の追跡を振り切るにはショッピングモールを抜けなくてはならず、そこからもなんやかんやあったりして。
夕方。
海浜公園のベンチで、二人して項垂れていた。
「……なんか、疲れたな」
「……うん」
なんでこんな疲れたんだろ?と思わずにはいられないほどの疲労感。全てを語るには恐らくまたこれと同じほどの疲労感があるだろう。思い出したくもない。特にあちこちで出没したイリヤの友達+冬木の豹と氷室、そして原付きタイガーから逃げ回ったことは。
まぁ、でも。
「楽しかったな」
「うん」
そう言って、二人でくすりと笑ってみる。共有した今日という一日は、なんだかとても疲れて、可笑しくて、楽しかった。
ひとしきり笑った後、並んで夕日を見る。川面を反射させ、地平線に落ちていきながらも、日はとても眩しく、美しい。
そして、それを見る美遊も、負けず劣らず輝いている。
「悩みがあるんだってな」
切り出して、美遊の反応を待つ。彼女は眦を決したが、すぐに諦めたように口を開いた。
「……うん。もしかして、話しやすいように今日は一緒にいてくれたの?」
「ま、そんなとこだ。馬鹿正直に聞いたって、絶対話してくれないだろ?」
「もう、人が分からず屋みたいに……ううん、そうだね。わたしは、頑固なんだろうな」
表情はあくまで穏やかに。されど少しの郷愁を滲ませる美遊。
「……わたしね。ここに来れて、幸せだと思う。友達が出来た、学校に通えた、ルヴィアさんに会えた、イリヤに会えた。色んな出会いがあって、世界はこんなに綺麗なんだって、それを知ることが出来た」
だから、なのだろう。その悩みが生まれたのも。
「でも……多分、この出会いはあり得ちゃいけなかったんだと思う。イリヤに会ったことも、お兄ちゃんに会ったことも。会ってしまったから、こんな、嫌な気持ちばかり抱えて。誰かを代役として見て、本物から目を背けてばかりで、それでこんな、嫉妬までして。わたし……!」
「美遊」
その肩を掴み、ゆっくりとこちらに引き寄せる。
「落ち着け。何に悩んでるのか、何に嫉妬してるのかは分からないけど、でも俺には絶対話したくない。だから明るく振る舞った。そうだろ?」
こくん、と頷いた頭を撫でる。少しでも安らげるように。彼女が立ち上がれるように、手助けする。
「だったら俺に話さなくて良い。その代わりに、ルヴィアに話すんだ」
「ルヴィアさんに……?」
「そもそも、俺がお前の悩みに気づけたのも、ルヴィアのおかげなんだ」
話す。ルヴィアが美遊のことを心配していること。仕事を休ませたのも、その心配からで、わざわざ俺に美遊のことを頼んだこと。そのことを話すと、美遊は目を見開いて、信じられないという顔をしていた。
「どうしてそこまで……わたしとルヴィアさんは、ただの契約関係なのに……」
「ホントにそうか? お前はどうなんだ、美遊? ルヴィアのこと、どんな風に思ってるんだ?」
それを意識して考えたことがなかったのだろう。
恐らくこの町で初めて出会った人間が、ルヴィアだ。その彼女との関係が何なのか美遊は即答することが出来なかった。
そして恐らくそれは、それだけルヴィアの存在が大きいからこその逡巡だった。
「美遊は、ルヴィアのこと好きか?」
「え?」
「ルヴィアと一緒にいたいって、そう思うか?」
「……」
答えは最初から出ている。その答えは俺も、美遊も分かっていたけれど、けれど今欲しいのは言葉だ。
一度も明かしてこなかった言葉。きっとそれを口に出来れば、その関係にも答えが見つかる。
「……うん、好き」
はにかみながら。少女はその言葉を初めて口にする。
「出来るなら、一生。一生ルヴィアさんと一緒にいたい……そう、今は思ってる。まるで家族みたいに」
「じゃあ、そういうことだろ」
立ち上がって、背伸びをする。うんと伸ばすと、胸がすっとした。
「ルヴィアと美遊は、姉妹だ。血が繋がってなくても、その在り方が」
「わたしと……ルヴィアさんが……?」
「ああ。俺が保証する。お前達は姉妹だ。嫌か?」
ぶんぶんと、何度も、大きく顔を振る美遊。その頬が赤く染まっているのは、夕日のせいなどではなく。きっと、温かい絆を見つけたから。
「そっか……わたしと、ルヴィアさんは……姉妹……そう、だったんだ……」
大切な贈り物を、胸で抱くように。美遊は両手を胸にあてて、その言葉を反芻する。それが消えて無くならないように、何度も、何度も。
「いいのかな……あり得ちゃ、いけない出会いなのに」
「だとしても、今更何を悔やんだって仕方ないだろ。俺は美遊と出会えてよかった。イリヤやクロ、お前の友達や、そしてルヴィアだってそうだ。あり得ちゃいけなくても、その出会いが間違いのハズがない。お前が今感じている温かさまで、否定しなくていい」
そしてきっと、それは俺もだ。
美遊はしばらく下を向いたままだった。動かず、喋らず。ただ、得たものを、噛み締めていた。
だが、最後には。
「……うん、そうだね」
立ち上がり、隣に来て、見上げ。
「帰ろう。ルヴィアさんが待ってる、でしょ?」
美遊は吹っ切れた様子で、そう言った。
「ああ」
荷物を持つ。今日が詰まった紙袋を。
結局美遊の悩みは分からない。もしかしたら、俺がその悩みを聞いた方が良かったのかもしれない。
「帰ったらルヴィアにちゃんと相談するんだぞ。イリヤ達だって心配してるんだし」
「そうだったんだ……うん、分かった。ああでも、そのときはみんな呼んで話したいから……それでいい?」
「勿論だ」
だけど、それでも美遊を助けられるのはルヴィアだけだと思った。
それだけの我が儘がどうなるかは分からないけど。
だけどきっと、それが良い方向に向かっていることだけは、確信を持って言えた。
ああ、なのにーー。
「ーーいいえ。その必要はありませんよ」
自信に満ちた声に、たまらず振り返る。
聞き間違えようがない/聞いたことがない声の主は、スーツの麗人だった。臙脂色のそれを四肢に纏い、手には皮のグローブ。笑えば相当な美貌は大理石のように硬く、目は真っ直ぐと敵意を叩きつけていた。
「あなたが家に帰ることは、もう永劫ないので」
バゼット・フラガ・マクレミッツ。
あり得ぬモノを悉く封印する執行者が、夜と共にやってきた。